私的図書館

本好き人の365日

梨木香歩 『ピスタチオ』

2012-05-08 06:39:20 | 梨木香歩

不思議な物語を読みました。

 

梨木香歩 著

『ピスタチオ』(筑摩書房)

 

筑摩書房
発売日:2010-10

 

 

 

 

 

 

フリーライターの女性が主人公なのですが、飼っている犬の病気からはじまって、いつしかアフリカの奥地で人々から厚い信頼を集めている呪術医の話になっていきます。

 

 死者には物語が必要なんだ…(本文より)

 

アフリカの観光名所を紹介するという仕事の依頼があり、一時期暮らしたことのあるアフリカの大地に再び立つ主人公。

彼女のもうひとつの目的は、不思議な亡くなり方をした、知人でアフリカの部族を回ってフィールド・リサーチをしていた日本人社会学者の足跡をたどること。

アフリカの荘厳な大地。

感情豊かでダイレクトに生命の力強さを感じさせるアフリカの人々。

内戦の傷跡や、連れ去られた子供たちによって組織された「子ども兵」の存在。

木になったと伝えられる伝説の女性ナカイマ。

症状であり、状態である「ダバ」

人々に語りかけ、時に導く精霊「ジンナジュ」

 

論理の飛躍があろうと、どれだけ非効率に見えようと、受け入れるべきものを受け入れ、自分の力のおよぶすべきことをする。

何回も念を押したのに、あっけなくひっくり返る約束。水しか出ないシャワー。ガタゴトとゆれる道。いつ来るのかわからないバスに、売り子なのかお客なのかわからない屋台の人々。

 

TVでよくハエが子供たちの目や鼻にたかっている映像を見ますが、あれが水分を求めているのだということを初めて知りました。

ハエがいるのは、そのハエを追い払う体力のない者…

ナイルの源流。

溶け出す氷河。

踏み固められた赤茶けた大地の上で、人々は踊り、精霊と交感しあう。

作者の描き出すアフリカの人々や現地の様子。ホテルのアメニティーや食事の内容もとっても興味深いのですが、なんといってもそこで暮らす人々の、そしてそれは現代の日本人にとって遠くなってしまった、大地と人間という原始からの関係が、作者も本文中で語っていますが、初めてなのに懐かしい感慨を読者に与えてくれます。少なくとも、私にはそう思えました。

内戦で荒れた山野にピスタチオを植える…

それは大地の回復と地元の人々に現金収入をもたらすはずでしたが、気候の問題もありうまくいきません。

しかし、その種が物語を意外な方向へ…

 

毎回、人間を描きながら、たえずそのかたらわに草花や木々など、自然の現象をよりそわせる梨木香歩さんが描くアフリカの自然は、それまでの日本のつる草や草木染め、英国の湖水地方などを描いてきた作品とはまた違った荒々しさがあって、とっても魅力的でした。

主人公は決して「精霊」や「呪術」を信じているわけではなくて、日本にいても神社に行けばあらたまった気持ちになるように、「人々が必要としている」ものとして敬意を払い、暴き立てるようなことはしません。

それは人間関係にもいえることで、いかに自分と違う考えを後生大事にしている人に出会っても、必要もなく踏み込まない気遣いを見せます。

そんな距離感も好感が持てました。

もっとも、時にはチクリと刺すこともありますが(苦笑)

 

人々の思いをくみ取り、それを治療する呪術医。

主人公は物を書くことで、依頼主の思いをくみ取り、それを形にする。

いつか自分の思い描く国を物語にしてみたい…

巻末に、主人公の書く「ピスタチオの物語」が載っています。

とても不思議な物語でした☆

 


梨木香歩 『f植物園の巣穴』

2012-04-13 22:45:28 | 梨木香歩

図書館で借りてきた、梨木香歩さんの『f植物園の巣穴』(朝日新聞出版)という本を、今ベッドに寝転びながら読んでいます。

ニワトリ頭の大家の娘とか、猫じゃなくて犬の手を借りている歯医者さんだとか、不思議なキャラクターが出てくるのに、どこか心の生皮をはがすようなところがあって、人間の本質に迫る生と死を扱った作品。
どこか同じ作者の作品、『裏庭』を彷彿とさせます。
 
でも言いたいのはそこじゃなくて、この本の中に、主人公が子供の頃の怖かった思い出として、ニワトリ(雌鶏)に追いかけられたことを語るシーンがあるってこと!
私もこの前、この日記でニワトリに追いかけられて、ランドセルに飛び乗られたって書いたばっかり!!
 
偶然とはいえ、なんてタイミングがいいんだろう♪
 
しかもそれだけじゃないんです。
数日前、私が好きな益田ミリさんのマンガを本屋さんで読んでいたのですが、そこで森の近くに引越した女性が、遊びにきた友人に、アゲハチョウの幼虫(いわゆる芋虫)はミカンの匂いがするんだよ、と教えるシーンがありました。《『週末、森で』(幻冬舎文庫) 》
そしたら『f植物園の巣穴』でも、アゲハチョウの幼虫が、ミカン科の木しか食べないというシーンが登場して、(だからミカンの匂いがするんだ! )と私の中で、二つの作品がつながったんです!
 
こんな偶然が二度も続くなんて!!
 
ま、私だけにしかわからない狭い範囲の奇跡なんですけどね☆
 
人間は見たいように世界を見る。
見たくないものは目に映っていても脳に届かない。
自分が妊娠すると、どこにいても妊婦さんが目につくようになるのと同じ。別に妊婦さんが急に増えたわけじゃなくて、自分にとって妊婦さんが新しい意味を持つようになったということ。
  
精神的にはそうなのかも知れませんが、こういうちっちゃな偶然って嬉しいんですよね。
勘違いかも知れないけれど、運命を感じてしまう(苦笑)
 
作品とは、まったく別のところで盛り上ってしまいました。
 
続きを読むのが楽しみです♪
 
 

『僕は、そして僕たちはどう生きるか』はムーミンだった!

2012-01-09 22:24:00 | 梨木香歩
1月の第2月曜日は「成人の日」でしたね。
昭和生まれには1月15日じゃないとピンときませんが、とりあえず新成人の皆さん、ここまで無事に育ったという意味で、おめでとうございます。
自分の頭で考えることのできる責任ある人間になって下さいね。

このお正月に読み始めた梨木香歩さんの、

『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(理論社)

を読み終えました。

梨木香歩さん、戦ってるなぁ~
最初は回りくどくて小説としてはちょっと読みにくかったのですが、しだいに引き込まれてしまい、最後は夢中!
読み終わると心地よく疲れ果ててはいましたが、一人でも多くの人に、とくに新成人の方々には、この本を読んで欲しいと強く思っていました。
ぜひ文庫化して欲しい!!

現代の中学生、コペル君が主人公ですが、最初は植物や鳥、虫の名前がたくさん出て来るので、慣れない人はうんざりするかも知れません。草木染めや環境保護という言葉を見て、「あぁ、よくある文明批判小説ね」と扉を閉めてしまったらきっと後悔します!

AV(アダルトビデオ)に出演させられて傷ついた少女…
教師の一方的な押し付けで登校拒否になった少年…
大人たちの、群れという共同体の持つ無責任さに、いつの間にか強制されている価値観…

「魂を殺す」

戦時中、兵役を拒否して洞窟に逃げ込んだ青年…
「非常時」という言葉で何もかもが一方方向に押し流されて行く。
そしてそれを「当り前」として賛美し、自分の頭で考えることもなく賛同する周りの人々。
「あの時はそういう時代だった」と、自分の罪を覆い隠して…


「それが国のやり方だ。国が本気でこうしたいと思ったら、もう、あれよあれよという間の出来事なんだ…」(本文より)


ある教師が「命の授業」として、子供たちが育てた動物を殺して調理し、食べさせるという授業を行いました。その話は話題になり、映画化もされています。最初にそれを行った教師にとって、多くの批判にさらされることは覚悟の上でした。
ところが、この本にはその授業が「正しい」と世間から認められてからのち、安易にその授業をマネして同じような授業をしてしまう教師というのが登場します。そして結果的に、生徒の心を傷つけてしまう…

「群れ」の中で「異質」でいること。

それは決して悪いことでも、欠陥でもない。

重いテーマにも関わらず、屋根裏部屋の蔵書とか、庭に出没する謎の生き物だとか、オーストラリア人の豪快なマークさんだとか、挟み込む演出がうまくて、中学生の心の葛藤を最後まで読みきらせる手腕はさすがです!!

中学生のコペル君は考えます。
僕は「大勢」の中の一人ではないのか。ユダヤ人を迫害したドイツ人のように。周りの価値観に染められ、自分の意識すら誤魔化すほどずる賢い、裏切り者ではないのか?
考えたくないことには耳をふさぎ、親友を売り渡す、卑怯者ではないのか?

コペル君の叔父さんは言います。
世の中には緑が、自然が大嫌いな人もいる。こういう景色が心の底から嫌いな人たちもいるんだよ。…緑を見ると、よし、ここもきれいにコンクリートで固めてすっきりさせてしまおう、と本能的に思う人たちが…

みんなの前で「それはおかしい」というのは勇気がいりますよね。
面倒臭いから、よくわからないから、と顔をふせてやりすごす。
それで傷つく人がいても、それは自分のことじゃないから。
そして、「何だかおかしい…」と思っているうちに、もう取り返しのつかないことになっている。
言葉のはしばしに感じる違和感。根拠のない数字。スーツを着た感情のない人々。

僕は、そして僕たちはどう生きるか…

他人との距離感。大切なもの、それは…

すっごく読みごたえがあって、すっごく共感できました♪
さすが梨木香歩さん!
娯楽小説ではないけれど、自分の頭で考えることの大切さを教えてもらいました。

たき火を囲むコペル君たち。そこには子供も、大人もいる。男も、女もいる。日本人も、オーストラリア人もいる。育った環境も、周りにいた人たちも、価値観や受けた教育も違うけれど、一緒に暖をとり、食べ物を食べる。

その姿に、種族も考え方も違う様々な登場人物が一緒に暮らす「ムーミン」の世界が思い浮かびました。

ムーミンの親友のスナフキンは、いつもテントで寝起きし、ふらっと旅に出かけます。いつもムーミンと一緒というわけではありません。でも、ムーミンはちゃんとわかっています。スナフキンが一人にならなきゃいけないってことも、旅に出なくちゃいけないってことも。だって、それがスナフキンなんですから。


 やあ。 よかったら、
 ここにおいでよ。
 気に入ったら、
 ここが君の席だよ。


        ―梨木香歩著「僕は、そして僕たちはどう生きるか」より―




『水辺にて』

2011-01-09 16:13:00 | 梨木香歩

  
 with desperate effort

 激しく希求する心。そのための、命がけの努力。



          ―梨木香歩「水辺にて」―



自ら茨の道を選ぶ人がこの世にはいます。
私はそういう人たちに憧れています。
安心と安定を求めることを決して否定はしません。
でも、仕方がないのです。
自分の心が、苦労と困難が待ち構えていることがわかっているのに、どうしても、それこそ、生きることと同価値に、その道を求めるのですから。


 生きるために、単に「生きる」以上の何かを必要とする人々。



          ―梨木香歩「水辺にて」―



電車の中で先日買った梨木香歩さんのエッセイ、

『水辺にて』(ちくま文庫)

を読みました。
上記の 「with desperate effort」 という言葉は、作者がアイルランドを旅した時に立ち寄った海辺のB&B(Bed and Breakfast 簡素な宿泊施設)で、そこの女性オーナーが口にする言葉です。

もともとイングランド生まれの彼女がこの土地に惹かれ、いてもたってもいられず、まるで本能に導かれるようにこの地に移り住んだことを作者に話す時、彼女は 「with desperate effort」 という言葉を使います。

 激しく希求する心。そのための、命がけの努力。

イギリスに留学経験のある作者らしく、英国人流の人生の楽しみ方も随所で触れられています。

スコットランドやアイルランドでアザラシが人々の生活に深く関わっていると知って少し驚きました。

考えてみればイギリスって北海道と同じくらいの緯度なんですよね。

英国人に深く愛されている本として、シェイクスピア、聖書、マザーグースの次にケネス・グレーアムの『たのしい川べ』が紹介されていたのも嬉しい発見でした♪

高楼峰子さんの『十一月の扉』(新潮文庫)を読んで、私も『たのしい川べ』(岩波少年文庫)は読んでいたのです☆

川遊び…水辺と人間との関わり…

ついには自分のカヤックを手に入れ、一人で湖などに出かけて行く梨木香歩さんの行動力にも驚かされました!

半身をカヤックに収め、オールで漕ぎ出す。
風に押し流されたり、波と格闘したり、時には水の流れるままにまかせてみたり。

アイルランドから北海道まで、様々な湖や川の作り出す風景。そしてそこで暮らす人々。

アイヌの民謡、スコットランドでの「アザラシの娘」の話し、ダムに沈んでしまった村…

梨木香歩さんの物の見方、作品が生まれてくる土壌みたいな物を感じられて、ファンとしてはとても読みごたえのあるエッセイでした。

人間達の作った柵を乗り越え、産卵場所に向う鮭たちの命がけの旅。
体がボロボロになりながらも、生きるために、単に「生きる」ということ以上の必要にせまられ、川を遡って行く鮭たち…

そんな鮭たちは顔つきまでも変わってくるのだそうです。

自分の中にもそんな求めてやまない心があって、これまでずっと葛藤してきたので何だか感動してしまいました。

電車の中は空いていて、四人がけの席に一人で座って、1時間以上、好きな音楽を聞きながら、文字を追うのに疲れると時たま雪をかぶった御嶽山(おんたけさん)や移り行く車窓の風景に目を移したりして、暖かい車内でゆっくり読書することができました。

電車の中での読書もいいものですね。

幸せな時間を過ごすことができました☆



『沼地のある森を抜けて』

2009-12-19 10:47:00 | 梨木香歩

私が住んでいる地方でもこの冬はじめての本格的な雪が降りました。

カーテンを開けると一面の銀世界!

雪が降るとテンションが上がります♪

車の運転をなさる方はお気を付け下さい。

最近、ちょっと体調を崩して会社を休んだりしていたのですが、このところ何とか回復して来ています。

何もかもが灰色に見えていた世界も、ちょっと回復しだして食事がおいしく食べられるようになると「別にそこまで深刻に考えることもないな」と、あっけなく色付いて元の世界に戻るのだから人間って現金なものです☆

あ~、ラーメンがおいしい♪

会社を休んでいる間も、復帰した後も、ずっと読んでいたのが梨木香歩さんの小説、

『沼地のある森を抜けて』(新潮文庫)

ぬか床の中から人間が生まれてくる!?

もう読み出したら他の事が手に付かなくて、没頭してしまいました。

曾祖父母が故郷の島を駆け落ちした時に持ち出したという、いわく付きの「ぬか床」

代々の女たちの手で毎日かき混ぜられ、台所でひっそりと引き継がれて来たその「ぬか床」が、母親や叔母の手を巡って、回り回って長女の長女である独身の主人公の元に引き取られます(母親は三姉妹の長女)。

初めは面倒臭がっていた主人公ですが、ちょうど新しいアパートを探す必要があったこともあり、その「ぬか床」を持っていた叔母が住んでいたマンションをもらえると聞いて、交換条件のように引き取ることを承知します。

しかし、その「ぬか床」がただ者じゃなかった。

朝と晩の2回、毎日ぬか床はかき混ぜないといけない。

化学メーカーに勤める主人公は、とりあえずキュウリやナスを漬けてみますが、これがなかなか美味しくて、職場でも好評。

化学メーカー勤務らしく、酵母とか乳酸菌とか微生物といった言葉が出て来ます。

ぬか床に釘などの金属を入れて置くと、ナスのアントシアンと結合して、安定した青紫の塩類を作るそうです。

その他には明礬(みょうばん)なんかを入れたりしますね。

ところが、毎日「ぬか床」の世話をしているうちに、手に何かが触る感触が…

…卵がある。

「ぬか床」が産んだ(?)卵から出て来た不思議な人たちとの奇妙な共同生活!!

梨木香歩さんの作品は好きなので、新作を見つけるたびに読んでしまうのですが、このお話にはのっけからやられました。

代々の女たちが朝に夕に繰り返して来たぬか床をかき混ぜるという行為に、伝えるもの、引き継ぐもの、食べる、命、果ては生命の根源といった意味まで彷彿とさせて、生と死についての物語が読めるようになっています。

物語のほとんどと、間に挿入される「寓話」のような「シマの話」も好きなのですが、主人公が「ぬか床」の故郷の島に渡るラストはちょっと不満足。

書きすぎじゃない?

そこがインパクトがあるのかな?

(あくまで個人的な感想です)

ただ、「ぬか床」に染み付いた女たちの情念とか、いやらしさとか、涙や強さとか、女性って怖いなって思いました(苦笑)

男は物語の中で秘密基地を作ったりしてますからね(いい年をしたおっさんが)☆

原初の地球。
まだ世界にたった一人で孤独を感じていた最初の細胞。

ただ分裂して自分を増やすだけだった彼女が、自分とちょっとだけ違う相手を見つけた時、彼女は、話しかけたようとしたのではないか…

分裂ではない、融合と結合という形で…

常に様々な立場と視点から物事を捉えることの出来る作者らしい「愛」の物語…なのかな?

でもまさか、細菌や酵母の立場から愛を語られるとは思わなかった(苦笑)

うちには代々引き継がれているぬか床なんて無くてホント、幸いでした。

…アレ?
…無い…よね?

そういえば、実家の台所の床下収納、開けたこと無い…

知らないだけだったりして!?


十月の本棚 3 『村田エフェンディ滞土録』

2007-10-31 23:23:00 | 梨木香歩

私には一人の友人がいます。

学生の頃からこの齢になるまで、会うとバカなことばっかりしています。

互いのアパートに泊まったり、徹夜で話し込んだり、車で無計画に海を目指したり☆

時にはひどい言葉を投げつけたこともあります。

相手のダメなところも、苦手にしていることも、いいところも、面白いところも、話し出したらきりがありません。

今はそれぞれに生活を持ち、一年に一回会うか会わないか。
メールも月に一度くらい、思い立った時に交わすくらい。

それでも変わらぬ友人です。



「…友よ。」



さて、今回ご紹介する本は、梨木香歩さんのトルコはスタンブールを舞台にした小説、『村田エフェンディ滞土録』です☆

「エフェンディ」というのはおもに学問を修めた人物に対する一種の敬称みたいなもの。

この物語の主人公村田は、トル皇帝の招きを受けて、日本から考古学を学ぶためにやってきた留学生です。

時は19世紀末。

招かれたといっても、決して優秀だからではなく、たまたま名前の発音がしやすかったから♪

トルコの軍艦が和歌山沖で座礁した時、地元の人々が献身的に救助、看護してくれたことにえらく感激されたトルコ皇帝は、両国にお友好がますます深まらんことを願って日本の学者を一名、トルコに招くことにしました。

そこで公募者の中から選ばれたのがこの村田エフェンディ。

彼はイギリス人の夫人が営むスタンブールの下宿屋で、寝起きすることになります。

梨木香歩さんの小説を読んでいつも感じるのですが、登場する人々がベタベタしていなくて、みんなちゃんと自分の足で立っている.

それぞれに生き方があり、感じ方があり、それを困ったなと思いながらも受け入れている。

”本当の自分”なんて探したりしない。

そういうところが彼女の小説の魅力だったりするんですよね♪

友達、家族だって、互いに何かを求め合い、しがみついて生きていたら、いつか必ずどこかで疲れちゃう。

人間って、お互い一人で生きていける者同士であって初めて対等な関係が築ける…

そんな風に個人的には思っているので☆

ま、迷惑をかけあうのも、友達、家族ならではなんですが。

村田エフェンディも、トルコの地で様々な人に出会います。

下宿の大家さん、敬虔なクリスチャンのディクソン夫人。

その使用人で、敬虔なイスラム教徒であるトルコ人のムハンマド。

考古学者で強面(こわもて)だが気のいいドイツ人のオットー。

ギリシア考古学協会の会員というギリシア人のディミィトリス。

軽羅(けいら)という薄布で顔を隠したトルコの美しい女性セヴィ。

同じくトルコの女性で、パリで教育を受け、洋装も似合うシモーヌ。

彼女は皇帝の支配する今のトルコをなんとか近代化しようと、ある運動に参加しています。

異なる人種、異なる宗教が混在し、アジアとヨーロッパの文化が流れ込むトルコ。

エザンと呼ばれる経典朗誦(イスラム教の聖典コーランを読んでいる)の声が決まった時間に流れる異国の地トルコの描写も興味深いですが、村田エフェンディの周りには、人々だけじゃなく、様々な国の神さまもやってくるので愉快です☆

忘れられた古代の人々が崇拝した力のシンボルとしての牡牛。

日本からやって来たお稲荷さんのキツネ。

エジプトのミイラ作りの神とされた犬神。

そして忍び寄る、第一次世界大戦の影…

世の中には様々な文化、様々な価値観がありますね。
物語の中で、村田が同国人のためにアジを釣り、塩焼きにして白いご飯とみそ汁でもてなすところがあるのですが、その気持すごくよくわかる♪

私たちも一人一人、日本の文化、価値観というものを背負っています。(最近はその価値観も様変わりしてきましたが)

でも、だからって争う理由にはならない。
自分と違うからって、他人を拒否してしまったら、ものすごくもったいないと思うのです。

お互い、困ってしまうこともあるけれど、違いは違いとして、わかりあえるところもあるはず。

大体、面白いじゃないですか♪

イギリスに留学され、国際的な様々な人々と出会ってこられた作者だからこそ、こういう雰囲気の作品が書けるんでしょうね。

ちょっと可笑しく、ちょっと悲しい、でも、読んでいてとてもいい本だと思いました。

私のお気に入りは、いつも抜群のタイミングで言葉をはさんでくる村田エフェンディの下宿で飼われているオウムです♪

「悪いものを喰っただろう」
「友よ!」
「いよいよ革命だ!」
「繁殖期に入ったのだな」
「もういいだろう」

このオウムのたどる運命も数奇なものになります。

古の人々と文化が折り重なるように積み上げられて形造られた大地。
男達は水煙草をふかし、女達は軽羅をすかして美しい瞳に情熱を燃やす。
そんな中を闊歩する一人の日本人。

村田エフェンディの土耳古(トルコ)滞在録、あなたもトルコの熱い風を感じてみませんか☆



ちなみに私のくだんの友人は今、一人娘にラブラブです。
写メールなんて送ってきます。

カワイイですよ。(もうすぐ幼稚園☆)カワイイけれど、これから運動会のビデオとか見せられちゃうのかな?

「友よ」「…もういいだろう」


…(笑)









梨木 香歩  著
新潮文庫




六月の本棚 『家守綺譚』

2007-06-16 23:52:00 | 梨木香歩

古い日本家屋の縁側から、庭を眺めてみませんか?

マンション住まいでも大丈夫。
人混みにもまれて、列車に乗る必要もなし。

ただ一冊の文庫本を手に取るだけ。

今回は、庭に植えられた木々や草花、タヌキやキツネ、河童に湖をおさめていらっしゃる浅井姫命、それと犬のゴローが登場する梨木香歩さんの清々しい小説。

『家守綺譚』をご紹介します☆

清々しい小説ってどんなの?

という純真無垢な疑問を抱いた方、そう、それは、まるで雨後の竹林のような清々しさを読書後あたえてくれる世にもまれなる小説…

余計わかりにくくなりました?☆

亡き親友の家に、「家守」として住むことになった”私”、こと綿貫征四郎。

売れない文章書きの彼は、いっこうにすすまぬ原稿と、これまたいっこうに温かくならない懐をもてあましながら、二間続きの他人の座敷から、伸び放題の庭の草木を眺め、池を眺め、田んぼや山を眺める日々を送っています。

庭先のサルスベリがすべすべしていて撫でると気持ちがいいので撫でていると、夜中に硝子戸を微かにたたく音がする。

少し濃い目の桃色をしたサルスベリの花が、房となって硝子戸に当たっているのだが、その様子がどうも尋常ではない。

どうやらサルスベリの木に惚れられたらしい…

しかたがないので話し好き(!)というサルスベリのために、根元で本を読んで聞かせる征四郎。

このサルスベリが女性の姿になって、あやうくタヌキに騙されそうになった征四郎を助けたりなんかします♪

白木蓮。
南蛮ギゼル。
ドクダミ。
カラスウリ。
葛。
竹の花。

家に住みついた犬のゴローは人格者で、河童と掛け軸の中のサギのケンカを仲裁したとかで、近辺ではちょっとした顔だったり、河童の女の子が脱いでいった河童衣を(ゴローのつてで)返しにもらいに来たり、そうかと思うと、竜田姫の侍女が鮎の姿で庭の池に迷い込んだり、カミナリが落ちて白木蓮が白竜を身ごもったり。

どのお話も、ちょっと不思議で、でもすごく懐かしい☆

忘れてしまった友達を思い出した時の罪悪感とも、照れくささともとれる気持ち。
そんな気持になったことありませんか?

彼らはどこにでもいます。

特別の場所じゃない。
ちょっと目をこらせばあなたにも見えるかも☆

風にそよぐ木々の枝の間に。
水面に浮かぶ水草の影に。
舞い散る桜の花の中に。
竹林の奥にひっそりと…

英国に留学した経験も持つ作者の梨木香歩さん。
彼女の描く草や木や花、庭や家屋の様子が好きです♪

長年日本に住んでいると、自然についてもイメージが出来上がっていて、ついつい頭の中の形で見てしまうってことありませんか?

桜といえば実物を見ないでも花びらの形や色が思い浮かんだり、チューリップといえば、描くのは同じような形ばかり。

本当は一本、一本、木も花もみんな違って見えて、季節や時間で輝きも変わるはずなのに。

梨木果歩さんの描く自然は、まるでそのものを実際に目で見て感じた姿を描いているように感じます♪

女の子は髪が長くて赤い服を着てスカートをはいている?

そんなトイレの表示板みたいな女の子、実際にはいませんよね♪

一人一人がそれぞれ違った姿をしている。

だから、話好きなサルスベリがいてもいいんじゃないかな☆

主人公の征四郎もいい性格していますが(なんたってサルスベリのために本を読んでやるくらいですから☆)、実はこの物語で一番活躍しているのは犬のゴローかも知れません♪

河童とサギの仲裁をしたことで、すっかりみんなに信頼され、ひっぱりだこのこのゴロー。

犬好きの隣のおかみさんからは、征四郎のぶんの晩のおかずまで頂いちゃうちゃっかり者なのです☆

そろそろ梅雨入りした所も多くなってきました。

この時期、草や木や花たちは大きく成長する時期。

雨が降ってうんざりという人もいるかも知れませんが、私は雨は眺めている分には大好きです♪

あのすべてが濡れて清められたみたいな雰囲気。
清々しい空気。

思いっきり深呼吸したくなります。

さあ、あなたも縁側に腰掛けて(他人様の縁側ですが)、雨に濡れたサルスベリやヒツジクサ、都わすれなどを眺めてみませんか?

もしかしたら、葉っぱの影に、小鬼が隠れているのを見つけることができるかも知れませんよ☆













梨木 果歩  著
新潮文庫





五月の本棚 2 『からくりからくさ』

2006-05-27 09:52:00 | 梨木香歩

小さい頃、近所に養蚕をしている家が一軒だけ残っていました。

蛾の幼虫を育てて、そのまゆから生糸をとるんです。

幼虫が入ったままのまゆをグツグツと煮て、糸口を取り出し、丁寧に巻き取っていく。

工場の窓や出入り口は、蒸気とその熱気を逃がすためにいつも開けっ放しで、小学生の私たちは、通学途中によくその中をのぞき込んでいました。

そうしてまゆからとった糸が、私たちが絹、シルクと呼んでいるものになるわけです。

広がる桑畑。
工場から少し離れたところにある大きな屋敷の離れには、たくさんの蚕(かいこ)が飼われている部屋があって、戦争中は近衛兵だったという気さくなおじいさんの案内で、その様子をのぞいたこともあります。

このおじいさんがちょっと変わった人でした。

屋根裏部屋を改造して、昔の古い道具類を集め、自前で資料館を開いていたんです。

普通の民家なのに、ちゃんと入館料の案内板まであるんですよ☆
ま、払っている人なんて一度も見たことないんですけどね。

子供たちに見せるのが好きで、小学生の私たちも変わったもの(ひょうたんへちまとか♪)がもらえるので、仕方なく付き合ってあげていました(笑)

私が高校生になる頃には息子さんの代に替わって、自分の家では養蚕をしなくなってしまい、とうとう近所から桑畑は消えてしまいましたが。

さて、今回ご紹介する本、梨木香歩さんの『からくさからくり』には、糸や織物、草木染めやキリム(遊牧民が羊やヤギの毛を染めて作る織物)などが登場します。

もちろん「りかさん」も♪

小学生の時、祖母から譲られた黒髪の市松人形「りかさん」。

祖母が残してくれた古い家を女学生に貸すことになった時、誰よりもその家に愛着を持つ孫娘の蓉子(ようこ)は、両親に一つの条件を出します。

自分も下宿人としてあの家に置いてくれること。

草木染めの勉強をしている蓉子。
美大で織物の図案を研究したり、作品を作っている佐伯与希子と内山紀久。
そして、蓉子の知り合いで、アメリカから鍼灸の勉強に来ているマーガレット。

この4人が古い民家に下宿することになり、「りかさん」を加えた、ちょっとおかしな共同生活が始まります。

「りかさん」の存在に最初はとまどう同居人たち。

特に物事をハッキリさせたいマーガレットは困惑気味。

お互いの違いを違いとして受け止めながら、共に寝起きし、食事を作る。

時に相手の感情の嵐が静まるのを息をひそめて待ったり、網戸を買うお金を貯めるために庭の雑草を食べてみたり、大きな蜘蛛の巣の美しさにみんなで驚嘆したりと、古い家での生活はしだいに4人の心をつなぎ合わせていきます。

機織り機を持ち込み、ギッタンバッタンとリズミカルな音の響く中、桜や柏、桂の枝を煮出して、糸を染める色を紡ぎ出していく…

草木染めって今回初めて詳しくその方法を知ったんですが、意外と家庭でも出来そうな感じでした。

なにより、草木の生きた証を色として結実されていく工程が魅力的で、媒染液(ばいせんえき)によっても色が変わるし、同じ木でも季節によって出る色が違うと知って、本当に木って生きているんだなぁと実感しました。

作者は草木染めを人間のそれぞれの人生に照らし合わせ、その時々の色によって染められていく一生という織物を読者に見せようとしたのかも知れません。

からくさ模様は永遠に連続する生命の流れ。
様々な思いをからめとり、東と西、男と女、生と死を紡ぎながら一枚の布、一つの世界を織り成していく…

迫害され、国を奪われたクルドの人々。
古い家に縛り付けられ、しかし、その家と共に生きる女たち。
能面に込められた思いと、二つの人形。
妊娠騒ぎに、燃える炎の中で嬉しそうに飛び立っていく「りかさん」の姿。

前回紹介した『りかさん』の中の主人公、ようこが成長した姿で登場するこの物語。

「りかさん」の出生の秘密や、その生い立ちが明かされるだけでなく、それ以上に人間について、人と人のつながりについて、強く考えさせられる内容です。

決して押し付けるのではなく、たんたんと語られる、自分の中に悲しみも苦しみも抱えた人々の物語が、読書後、自然と胸の中に清々しさを与えてくれます。

たくさん素敵な要素が織り込められているので、ちょっと贅沢すぎるかなと思う程。

いい本読んだなぁ~と正直思いました♪

最近、自分の周りの自然をゆっくり見たことありますか?

大切なのは、その”気配”を感じることです。

この本を読むと、そんな感覚にもっと敏感になりたい、そんな気持にさせてくれますよ☆









梨木 果歩  著
新潮文庫




十一月の本棚

2003-11-09 06:28:00 | 梨木香歩

祖母が亡くなる前日、一冊の本を読み終えました。

梨木香歩の『西の魔女が死んだ』です。

中学生の”まい”が、ママのママ、大好きなおばあちゃんの元で過ごす、ひと月あまりの物語。

「西の魔女」こと、英国人のおばあちゃんから、魔女修行を受けるまい。
魔女修行で大切なことは、「何でも自分で決める」ということ。

文章の雰囲気がとっても良くて、自然と共に暮らし、自然体で生きる、このおばあちゃんの優しさが、こちらにも伝わってくるかのようです。

題名からもわかる通り、「死」と向き合うことになるまい。
彼女の心を包んでいた繭が溶け、成長していく姿は、感動と共に共感を強く胸の奥に湧き上がらせてくれます。

読み終わった次の日。
まさか自分の祖母が亡くなるとは思いませんでした。

冷たくなっていく体を見つめ、八十年以上、祖母の体として動きまわってくれたことをありがたく思いながら、もうここには祖母はいないんだ、と実感しました。



人は死んだらどうなるのでしょう?



病室の陰、ろうそくの炎、ゆれる煙の中に、祖母の「サイン」を目で探してしまう自分がいました。

でもきっと、好奇心旺盛な彼女のこと、自分の葬式の様子を眺めながら、人の着ている着物や帯、履物などの品定めをしたり、娘や孫達が、きちんと悲しんでいるかどうかを見てまわったり、落ち着かなくフラフラしているに違いないんです。

「葬式の時ぐらい、しおらしくしていてくれよ」

と心の中でいつものように話しかけたりして。

死んでしまった後でも、つい習慣で心配してしまいます。

祖母が亡くなった時、心に浮かんだのはこの本ともう一冊。
吉本ばななの『キッチン』でした。

祖母の末娘といっしょに、よく世話をしてくれたその友達という人がいたのですが、出棺の折、その人が泣き崩れるのを見て、自分にこの人程の感情がないのはどうしてだろうと、『キッチン』の主人公みかげが感じたのと同じ感慨を受けました。

確かに悲しいのですが、半面、おばあちゃんの存在の気配が、消えてしまったという感じはなくて、不安は感じないのです。

こんなこと、ただの感傷だと思われるかもしれませんが、おばあちゃんは、生きていた時よりも、私の気持ちをわかってくれている。
言葉にすることはできないけれど、感情なんかでは表せないけれど、もっとダイレクトに伝わっているはず。
そうだよね、おばあちゃん。

返事なんかもちろんありません。

肉親を失ったことでの一時的な気分なのかも知れません。
現実逃避? それもいいでしょう。

だから私は私に返事をします。

本当は地元の言葉なんでしょうが、ここは『西の魔女…』の中のプロの言葉をおかりして。
まいとおばあさんのこの言葉が、今の私にはピッタリなものですから…



「おばあちゃん、大好き」



『アイ・ノウ』



梨木 香歩  著
新潮文庫