私的図書館

本好き人の365日

車のニオイ

2006-10-31 07:22:00 | 本と日常
他人ってやっぱり不思議です。

昨日は会社の釣り仲間とアオリイカを釣る道具を買いに行こうということになり、岐阜市内まで買い物に行って来ました。

この間日本海で初めてアオリイカに挑戦したのですが、その時食べた釣りたてのアオリイカの美味しさが忘れられなくて、今度は道具を揃えて行こう、ということになったので☆

岐阜市内までは片道一時間半。
同僚の車に乗せてもらったのですが、車の中が何ていうか、もうほんとに………き、汚い*(びっくり1)*

コンビニの袋は散らかっているは、ダッシュボードは拭いていないは、自分もそんなに車にお金をかける方じゃないけれど、これはヒドイ!

掃除機なんて買って以来一度もかけたことないっていう様子で、本人がタバコを吸うこともあって車内自体も臭い。

何で何とも思わないんだ?

おまけにクーラーが古くて効かないというので窓を開けての走行。
行き交うトラックの排気ガスがバンバン入ってくる…………い、息ができない*(汗)*

4人で出かけたのですが、その内2人と買い物に行くのは初めてで、その一人が今回のドライバー。

どうやら他の3人は気にならないらし。

こ、こんな環境で生きている人がいるんだ(驚き!)

ま、人間ゴミや臭いでは死なないから、贅沢と言えば贅沢な感想だけど、お金がなくてそうしているわけでもなさそうだし(釣りの道具はたくさん買ってた)、やっぱり、価値観が違うんだろうなぁ~

あんまり身なりにもお金はかけないみたいだし…

せめて、他人に不快感をあたえない程度には清潔にして欲しい。
でもそれもやっぱりこっちの身勝手な要求なのかな?

ともかく、行き帰りでの約三時間。

途中で降りるわけにもいかないので、ずっと不思議そうに全然気にしていない3人の会話を聞いていました。

あんまり口を開けたくなかったので(苦笑)

とっても長い、長~い三時間だった*(涙)*

こんなことなら自分の車で行けばよかった。






高校での履修不足問題

2006-10-29 19:18:00 | 本と日常
話題になっている全国の高校で発覚した必修課目の履修不足問題。

文部科学大臣が救済処置を発表するらしいけれど、まじめに受験に必要の無い授業を受けてきた生徒は納得できるのかな?

ルールを曲げてまで受験対策をしてきた学生が、真面目に勉強してきた学生と同じ土俵で勝負するのはヒドイと思うけど…

これじゃ「正直者はバカを見る」ってことを子供たちに大人が教えているような気がする。

せめて大学の試験は別々にやって欲しいなぁ。

それにしても、だいたいどうして無理に卒業させなくちゃいけないんだろう?

もう一年高校で勉強するってことがそんなにいけないのかな?

レールから外れるから?
「普通」じゃないから?
生徒が「かわいそう」って、具体的には何がかわいそうなんだろう?

確かに子供たちにとってはいい迷惑だけど、運動選手だってドーピングしたら、例えそれがコーチの指示でも失格になるんだし。

何だか横並び主義のひとつの価値観で大人も子供も社会も動いているようで怖いな。

そんなに「無かったこと」にしたいのか?
とりあえず卒業したらこの問題はお終いですってことになりそう。
今回の生徒のことをずっと一生抱えて生きて行く覚悟くらい先生にはして欲しい。
それくらい大きな問題なのに。




十月の本棚 3 『グリーン・レクイエム』

2006-10-28 12:01:00 | 新井素子

今回は新井素子さんの1980年の作品。
『グリーン・レクイエム』をご紹介します☆

内容はズバリ!

人間と植物の恋。

はてさて、どんな物語だと思います?

新井素子さんの本を読み始めたのは高校生の時から。
最初に立ち読みした『二分割幽霊綺譚』という作品が面白くて、それまでに書かれた作品をさかのぼって探し、それ以降は作品が発表されるたびに買い求めてきました♪

今でも本屋さんに行くと、新しい作品が出ていないか、真っ先に探しています☆

…人間なんてたいしたことない。
…他の生き物を食べなくちゃ、生きていけない生物のくせして。

「自然を守ろう」「地球を大切にしよう」なんて言う人がいるけれど、確かにそれは大事なことなのかもしれない、だけどそれはあくまで自分達人間の立場を確保した上での話し。
ほんとなら、人間が地球からいなくなってくれた方がどれだけ地球に優しいか。
だけど誰も、「自然を守るために自殺しましょう」とは言わない。
それは生き物として言ってはいけないことだから。

だからほんとうなら、「自然を守ろう」なんて上から物を言わないで、「生きていくためには生き物も殺すし、木も切ったり燃やしたりもする。でもそれだとそのうち我々も困ることになるからこれからは考えて自然破壊をしましょう」と言えばいい。

「人間なんて、地球の上にたくさん生きている生物のひとつじゃない!なによ、えらそうに~」

新井素子さんの作品に、こんなことが書いてあるわけじゃありませんが、ところどころで感じるのは、この「人間だからって何をえらそうに~ もっと生物としての自分を自覚しなさい!」という立場。

好きです、こういう考え方☆

だからって、人間が「悪」と言っているわけじゃありません。
では、ナンだというのか?

それは生き物としてしょうがない。

生きるために他の生物を殺し、食べることはしょうがない。
そこに善も悪もなくて、人間ってそういう生き物だから。
ただ、他の生物を食べたり、水や空気を毎日消費していることを忘れて、自分たちが生きていることを当たり前だなんて思って欲しくない。

ようはスーパーで売っている、魚や肉のパック、あの姿を世界だなんて思って欲しくない。

泣き叫ぶ牛を殺し、皮や骨をとり、赤い血をたくさん流して、肉を切り刻んでパックにする。

それは残酷かもしれないけれど、それが生きるってこと、それがこの世界。

心の痛みを知らない人は、他人に優しくなんてなれません。

もし、スーパーに並んだ魚や肉、野菜なんかが、言葉をしゃべったらどうします?

「私を食べるの? そう、しかたないわね。それが私たち生き物のさだめですものね」

なんてさめざめと泣かれたら?

少しは食べるということ、生きていることを実感しやすくはないですか?

もっとも、うるさくてしかたないかも知れませんが。

何度も言いますが、こんなことは新井素子さんの作品には書かれていませんよ(笑)
ただ、そういった意味じゃないかと思うだけ。

多くの作品は特徴でもある彼女独特の文体で、時にシリアスに、時に面白くストーリーが進みます♪
SF、異世界、宇宙旅行に超能力、吸血鬼にぬいぐるみまで☆

もし、植物に意思があったとしたら?
森の木々や、草花にそれぞれ意思があり、その思いを我々人間に伝えてきたとしたら、その内容はどんなものでしょう?

『グリーン・レクイエム』は恋愛物語です。

腰まで伸びた長い髪の少女と、彼女を守ろうとする青年の物語。

公園のベンチ。
木々のこずえから木漏れ日が少女の髪に落ちる。
その、長く美しく輝く「緑色」の髪に…

十数年前、山奥の洋館から聞こえてきたピアノの音。
そこでまだ少年だった頃の青年が出会った緑の髪の幼い少女。
たくさんの植物に囲まれて、その少女は立っていた。
響くピアノの音。
あれは幻影?
それとも幻?

光合成に宇宙船。
狩る者と狩られる者。
赤く燃える炎と崩れさる建物。
全編を包むショパンのノクターン。
美しく奏でられる感情という旋律。

ファンタジーとSFの要素を盛り込んで、ありえないけれど、だからこそ面白く、悲しいストーリー。

続編となる『緑幻想~グリーン・レクイエムⅡ~』という作品もあるので、気に入った方、もしくは「こんなラストじゃあんまりだ」と気に入らなかった方、どうぞ探してみて下さい♪

ただそばにいたかった。
しかし、それさえかなわない…

果たして二人を待つ運命は?

作者の初期の作品ですが、いつまでも心に残る不思議な作品です。

密かに代表作だと思っています☆












新井 素子  著
講談社文庫





おみそ汁

2006-10-24 23:59:00 | 本と日常
このところ、仕事から夜遅く帰ってくると、せっせとみそ汁を作っています。

朝あたためるだけでいいってのありますが、みそ汁の美味しさに目覚めてしまったから♪

子供の頃は毎日同じご飯とみそ汁ってメニューに反発していたのに、今じゃそれだけあれば他に何もいらないくらい☆

味噌は二種類をブレンド。
昔から食べていた麹(こうじ)味噌に、西京味噌(白味噌)をまぜる!
これが美味しい♪

具は玉ねぎとか、豆腐、じゃがいもといったものを日替わりで一種類か、二種類入れるだけ。
あったらネギは刻んでぜひ入れたい!

すごくシンプルで、時間もかからず簡単で、しかもこんなに美味しいなんて、味噌を発見した人はエライ!

お湯で溶くだけだもんね、日本初のインスタントって感じ。

冬の寒い時は、これに一味唐辛子をかけてもいいし、ちょっと贅沢して豚汁みたいにしてもいい☆

万能だな、味噌スープ♪





許せる? 許せない?

2006-10-23 00:34:00 | 本と日常
怒ってます。
職場の上司を警察に突き出したいくらい!

警察なんて言葉を持ち出すと、なんだか大袈裟かも知れないけれど、これってヘタするとホントに犯罪かも。

うちの会社が製造している商品を、正社員は割引した値段で買えます。
でも、仲間内の暗黙の了解として、派遣社員の人も正社員の人の名前を借りて商品を割引した値段で買っていたりします。

まあ、それはお互いが了承しているのだから、私からは何も言うつもりはありません。
そういったことを社員が行っていることを本社がどこまで知っているのかは知りませんが。

今回も、うちの上司が同じ手を使って購入した値引き商品を、派遣社員の人に渡したらしいのです。

それだけならいつものことと言えなくもない。

ところが、その上司、今回はなんと私の名前を使って購入しているんです!

当の派遣社員の人が商品の代金をいつ払えばいいのか私のところに聞きに来たので初めてわかりました。

代金は給料からの引き落とし。
お金はどうやらその人が払ってくれそうですが、勝手に名前を使われて、勝手に自分の給料から引き落とされるなんて、すごく納得がいかない!

調べたら、その商品は一人一個しか購入できないみたいで、上司は自分はすでに注文していたので誰かの名前を借りる必要があったみたいです。

だからって勝手に人の名前なんて使っていいの?
しかも身に覚えのない代金まで払わせるなんて、それって犯罪じゃない?

確かに代金をあとで払ってくれたら、実質的な損害はないに等しいけれど、そういう問題なのかな?

多分、その上司に悪意はないと思います。
軽い気持ちで名前を使ったんでしょう。
現に「名前くらいで何を大袈裟に」と思う人もいるかも知れません。

でも、これをあえて「小さなこと」とするなら、この「小さなこと」に、すごく怖い”闇”のようなものを感じます。
犯罪にならなくても、むしろこの本人が悪意とさえ感じない、何が悪いのかさえわからない”闇”の方が悪に見える。

それとも私が神経質なのかな?

今回の上司の態度からは、どうしても他人を尊重する気持ちを感じることができません。
他人の名前を勝手に使うことに、良心のブレーキが反応しないことが怖いです。

多分、この上司にとって私の名前なんて私にくっ付いている記号みたいなものなのでしょう。
ただその記号を利用しただけ。誰も損はしていない。
大勢いる社員の一人一人の気持ちなんて、いちいち考える必要もないのかも知れません。

ここで私が「納得できません!」と言ったら、目の前の男に意思があることに初めて気が付いた、という風に驚くかも。

もっとその人をよく見れば、その中に自分と同じ、そしてまったく違う、感情を持った人格というものがあることに気が付くだろうに…

こんなことされたら、本人がどう思うかって想像力が働かないのかな?

私たちは単なる映画のエキストラじゃない、一人一人が自分の世界を持った主人公なのに。

それとも、これも大袈裟に考えすぎなのだろうか?






生きるヒント

2006-10-17 23:58:00 | 本と日常
あなたが生きていることに、誰の許可もいらない。

あなたは誰かの期待に応えるために生まれてきたんじゃない。
まして、誰かの夢をかなえるために生きているのでもない。

人間は一人では生きていけない。
友達は必要。

そんなこと、デタラメかも知れない。

大人が自分たちの都合のいいようにルールを決めて、君達にそう教えているだけなのかも知れない。

あなたの命はすべての人と平等だ。

学校だけが生きる場所じゃない。
家だけが、あなたのいるべき場所じゃない。

どうか、そんなもののために命を投げ出さないで。







2006.10.17.



秋桜

2006-10-16 00:09:00 | 本と日常
通勤の途中、田に植えられた一面のコスモスを見ることができます。

もうすっかり秋なんですね♪

うちもわずかばかり田畑があるので、毎年コスモスの種を蒔きますが、それは決して美しさを観賞するなどという高尚な目的のためではなく、単に補償金がもらえるから(苦笑)

減反政策で稲の作付け面積を減らさなくっちゃいけないので、その穴埋めとして、コスモスやレンゲといった景観植物を植えると、わずかばかりの補償金がもらえる…らしいです。

何かせこいなぁ。

ま、キレイだからいいけど☆

今年の新米(コシヒカリ!)もいただきました♪

いつもより少し水を少なくしたのにちょっとやわらかめ。
でもやっぱり新米は美味しい!

おかずは焼きサンマ☆

でもアパートなので、実家みたいに表で七輪で焼くことができなくて残念。
ホームセンターで魚焼き用の網をホンキで買おうかどうしようか悩んでしまいました。
結局、めったに食べないからという理由で保留に。

よくよく考えてみると、お店で食べたほうが絶対安くすむ。
後片付けもしくていいし…

食べることに情熱かけすぎだって。

何だかこの分だと、今年もやっぱり「食欲の秋」になりそうな予感がするなぁ~(^^;)








 秋深き 隣は何を する人ぞ

               芭蕉









十月の本棚 2 『変身』

2006-10-14 02:12:00 | 海外作品

一度読んだら忘れられないっていう本、ありますか?

細かい内容はさておいて、強烈な印象を残していく作品。
他のどんな物語とも違う異質感。
そこにただよう底知れぬもの。
しかし、イメージだけはまるで目の前で見ていたかのように鮮明に思い描ける。

今回ご紹介するのも、私にそんな印象を与えた一冊。

フランツ・カフカの 『変身』 です☆

ある日目覚めると、自分の姿が一匹の虫に変わっていた…

背中は固く、無数の足がある、巨大な虫。

ベットの上で、仰向けのまま「自分が虫になっている」と確認する主人公グレゴール・ザムザ。

彼はいかれた超能力者でも、はたまた変な薬を飲まされた高校生でも、改造人間でもありません。

昨日までは、いや、昨夜までは確かに真面目なサラリーマンだったのです。

そして今も、巨大な虫の姿になった今も、家族の借金のために働き、嫌な上司に頭を下げ、妹を密かに音楽学校に入れてやるのを夢見る、真面目な男に変わりはないのです。

仰向けの姿勢のためベットから降りられず、仕事に遅刻してしまうのを気にするグレゴール。

この小説の特異な点は、こうした異常な始まり方をするにも関わらず、物語が破綻することなく淡々と続いていくことです。

この小説はホラーでもSFでもありません。
例えるなら、夏目漱石の小説に、虫になった男が登場するようなものです。

グレゴールの様子を見に来た勤め先の支配人。
なんとか誤魔化そうとするグレゴールですが、もはや人間の言葉さえ出すことができず、業を煮やした彼は自分が虫になっていることも忘れて、部屋から飛び出してしまいます。

支配人の顔に浮かぶ恐怖。
家族の驚き。

その日から、グレゴールと家族の陰惨な日々が始まります。

虫になったとはいえ、息子であり兄である”それ”を放っておくことはできず、かといって世間に知られてしまうわけにもいかない家族。

部屋に食事を運び、恐怖を感じながらもけなげに世話を焼く妹。
息子への愛情で胸を苦しめられながら、どうしてもその姿を正視できない母親。
そして、何に対していいかわからない怒りに身を震わせる父親。

なぜ虫になったのかは、この作品の描くところではありません。
最後まで、それはわかりません。

でも、世の中にだって、「どうしてこんなことになってしまったんだ!」と思うようなことはたくさんありますよね。
そんな時、私たちはのんきに原因を突き止めたりはしていられません。
とにかくなんとかしなくちゃいけない。
現実に向き合わなければならない。

どうして…と考えていられるのは実は甘えのかも知れません。

現実は、時に何もかも簡単に変えてしまい、不条理に私たちに迫って来るものです。

一家の稼ぎ手がこんなことになってしまい、経済的に苦しくなった一家はそれぞれに自分たちも変わらざる得なくなります。

商売に失敗してから息子の世話になり、食べて横になる生活で太っていた父親も、自分の力で立って仕事をするようになります。
彼は家でもその職場の制服を脱ごうとしないくらい。

健気に世話をしていた妹も、使ってくれるところがあって働くようになると、兄の世話もしだにおざなりになりますが、ある日グレゴールの部屋を母親が掃除すると、烈火のごとく怒ります。

いつの間にか、グレゴールの世話をしているというのが、彼女のアイデンティティーとなり、自分のテリトリーを侵されたと母親に食ってかかったのです。

そうした家族の変化を眺めながら、グレゴールは壁や天井を這い回り、物陰を好んで身を潜めるようになります。

しかしまだ人間としての記憶も、理解力も失ってはいません。

そのうち、家賃を得るために下宿人を置くことにする一家。
もちろんグレゴールのことは彼らには秘密。

温かい料理が並んだテーブルに、下宿人たちの前で自慢のヴァイオリンの腕を披露する妹。

ほこりにまみれ、食べ物さえろくに食べていないグレゴール。

そして、決定的な事件が起き、ついにグレゴールは…

作者のフランツ・カフカはオーストリア=ハンガリー帝国領時代のプラハに生まれました。
この作品は1912年に執筆され、1915年に出版されています。
その前年の1914年にはサラエボでオーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント大公がセルビア人青年に暗殺されるという事件が起き、この事件をきっかけにして、世界は第一次世界大戦へ向うのです。

カフカはこの『変身』が出版される際、写実的な画家が扉絵を描くと聞き、慌てて手紙を出しています。

「…彼はたとえば昆虫そのものを描こうとするかもしれないと、そう考えたわけです。それだけは駄目です。それだけはよくありません。…(中略)昆虫そのものを描くことはいけません。遠くのほうからでも、姿を見せてはいけません。」

グレゴール・ザムザはいったい何になったのでしょう?

とっても薄い本なので、ちょっと手に取るにはちょうどいいと思います。

ストーリーも設定が設定なだけに予想ができなくて、次はどうなるんだろう? と、ワクワク、ドキドキしながら読むことができました。

いちおう有名な作品ですが、有名な作品の中にも面白いものはあるといういい例ではないでしょうか(苦笑)

ただし、翌朝目覚めるのが心配になってしまうかも知れませんけど☆









フランツ・カフカ  著
高橋 義孝  訳
新潮文庫









黒い悪魔

2006-10-12 21:57:00 | 本と日常
…激しい戦いでした。

ベットの下、ラックの下、床の上をすばやく移動する真っ黒な”そいつ”を追い詰め、激闘すること約10分。
ついに完膚なきまでにたたきつぶしました。

そう、ゴキブリです。

引越ししてから初めて見た~
大掃除して部屋を片付けたからか?
前のアパートは新築だったからいなかったし、実家にはヘビやネズミはいてもゴキブリはいなかった…

古いアパートだからな~
ま、仕方ないか。

でも食べ物なんてほとんどないし、ゴミもたまってないのに、何食べて生きてるんだろう?

だいたい狭すぎて隠れるところだってないはずなのに。

あ~あ、久しぶりに必死になって反射神経使ってしまった(苦笑)

でも人類が滅んでも生き延びるっていわれているくらいシブとい奴らだから、一匹やっつけただけじゃ安心できない。

明日はさっそくバルサン買ってこよう。







発作?

2006-10-10 11:26:00 | 本と日常
なんとなく部屋の片付けを始めたら、なんか止まらなくなって、この2日でカラーボックスを買ってきたり、台所の模様替えをしたりして、いつの間にか大騒動。

おかげでいきなり暮らしやすくなりました♪

散らかっていた本やCDも整理できたし、空きカンと空きビンの仕分箱も手作りしたし、ユニットバスもピカピカにして、シャワーカーテンも手洗い。

なんだ、やればできるじゃん☆

ま、一人暮らしの小さなアパートなので、気合入れて掃除するっていったって、所詮たいしたことはないんですけどね。

普段手抜きしてるから、一度始めるとあっちもこっちも気になって、結局全部やらないと気がおさまらない。

毎日ちゃんと掃除していればこんなに苦労することは…

わかっちゃいるけど、それができないんですよね~







十月の本棚 『弥勒戦争』

2006-10-09 18:27:00 | 本と日常
ブッタ入滅後、五十六億七千万年を経て現世に出現し、衆生を救うといわれる弥勒菩薩。

しかし、なぜ五十六億七千万年後なのか…

もし、その降臨を恐れた人々が、その存在を遠ざけるためにあえてとほうもない年月をでっち上げたのだとしたら?

もし、弥勒菩薩が、すでに何度も現世に現れ、その度に人類に災厄をもたらし、人類の手によって撃退されていたとしたら?

唐の玄奘三蔵が記した『大唐西域記』に登場する慈氏。

六世紀に北魏で起こった大乗賊の乱の首領で自ら弥勒と名乗った、沙門法慶。

隋の時代に反乱を起こそうとし、弥勒仏の出世と自称した宗子賢。

奈良時代、藤原仲麻呂を追放しようとクーデターを謀り、その謀議の会を弥勒会と称した橘奈良麻呂。

そして、太平洋戦争の末期、この世の地獄と化した広島で、新たな弥勒が目覚める…

さて、今回はSF、ミステリーなどで活躍している作家、山田正紀さんの不朽の名作、*(キラキラ)*『弥勒戦争』*(キラキラ)*のご紹介です☆

滅びることを自らに課した悲劇の一族。

彼らの生きる目的は、自らの血をこの世から消し去ることと、時代を超えて出現する”弥勒”を倒すこと。

仏教の世界観を舞台に、想像力豊かに描かれる、ストイックでどこか哀しい物語。

大乗仏教とか小乗仏教って学校で習いませんでした?

何でこんな呼び方をするのか、先生は教えてくれなかったんですが、この本を読んで納得。

大乗とは、<偉大な乗り物>(マハ・ヤーナ)。
衆生を彼岸に渡してくれる乗り物という意味。
つまりこの世のすべての人々を<さとり>へと導く教えであるのに対し、小乗とは<劣悪な乗り物>(ヒーナ・ヤーナ)という意味。
こちらはあくまで自身だけの<さとり>を目的とし、すべての人を救おうなんてしない。

<自利と他利>のために教誡に努める者を菩薩と呼び、<自利>のためだけに努める者を<独覚>(どっかく)、または<声聞>(しようもん)と呼ぶ。

主人公は裏小乗の独覚(どっかく)として生まれた青年、結城弦。

独覚(どっかく)というのは、誰にも教えられることなく、真理をさとった者で、<六神通>を身につけています。

この<六神通>。
簡単に言うと超能力みたいなもので、思いのままにどこへでも行け、姿を変えられ、過去と未来を知り、相手の心を操ることもできるというもの。

この力を解放すれば、まさに超人ということになるのに、彼らの一族はこの能力を使おうとはしません。

そればかりか、独覚(どっかく)の血を絶やそうと、自ら死地に飛び込んで行くのです。
それというのも、この独覚(どっかく)の能力は、修行で身につけられるものではなくて、どうやら遺伝で現れる性質のものだから。

この遺伝というのには驚きました!

この小説、作者が若い頃に書いたということもありますが、仏教の究極的な目的である、<さとり>の境地に至るのは、修行でも普段の良い行いでもなく、ただたんに<遺伝>だと決め付けているのです!!

<さとり>に入るか入らないかは、だからどう生きたかではなく、生まれた時から決まっていると。

それはもちろん、あのブッダでさえ例外ではなく、彼は遺伝的に<さとり>を開く運命にあったにすぎない。

これって宗教を根本から否定してしまいますよね?
ま、SFだからいいのか?(^_^;)

舞台は戦後間も無い、GHQ支配下の日本。

裏小乗の長老で、結城たちの育ての親、薬師寺の命で集められた日本の独覚(どっかく)と声聞(しようもん)、その数4人。

彼らは長老から信じられない話を聞かされます。
正体不明の独覚(どっかく)の手により、世界に第三次世界大戦の危機が訪れようとしている…そして、その独覚(どっかく)を操っているのは、おそらく弥勒であろう…と。

第三次世界大戦の危機?
正体不明の独覚(どっかく)?
そして、弥勒とはいったい…

山田正紀さんの作品では、これの前作、『神狩り』も面白かったです♪

こちらは神戸市で発見されたという古代の石室、その壁に書かれた不思議な文字を研究するよう強制された情報工学の若き天才が主人公。

彼はその文字を解読していくうちに、それが十三もの関係代名詞が重なった<メタ言語>であることを突き止めます。
しかし、人間の脳は七つ以上の関係代名詞が重なった言語は理解できないはず。
もし、こんな言語をあやつることが出来るとしたら、それは人間を遙かに超越した存在…あるいは…神。

人間の世界に様々な形で干渉してきた力、神の存在を確信した主人公は、華僑の美青年や霊感能力者の女性と共に、神の正体を暴き、その干渉を止めるべく、神を狩り立てていく…といったストーリー。

どちらも神との戦いを描きながら、運命に立ち向かっていく人間の姿を描いています。

時に運命に逆らい。
時に運命に流され。
時に受け入れるしかない運命というくび木。

運命にあらがう人間の哀しさ、そしてその中に燃える命のともし火のあたたかさ…

SF作品としての設定の面白さもさることながら、登場人物たちの生き様が物語の大きな魅力になっています♪

仏教に全然興味がなくても大丈夫!

たまには、想像力の翼を広げ、思いっきり遊んでみるのもいいものですよ?

秋の夜長。
あなたの想像力を刺激すること請け合いです☆







山田 正紀  著
ハルキ文庫(1976年のハヤカワ文庫版を底本としています)