ぶらぶら人生

心の呟き

庭木の剪定

2014-07-15 | 身辺雑記
 朝、庭師のOさん夫妻が来宅、例年どおり、庭木の剪定をしてくださった。

 午前中は、梅雨の晴れ間となり、湿度も低かったので、夏にしては作業のしやすい日であった。
 が、午後は突然の雨となり、2時間近く降り続いた。
 それでも、合羽を着て、作業を続けてくださった。
 雨が上がったのは3時過ぎ。
 その後は、曇り空に覆われた、蒸し暑い夕方となった。

 雨のために、庭木の消毒と、花壇への土入れ作業は、後日ということになった。
 剪定だけは、すべて無事に終わり、さっぱりした。
 先日、別の業者に庭の草取りもしてもらったので、現在は、家の周囲が非常にさわやかである。

 しかし、雑草は、またすぐはびこり、木々の枝葉も、たちまち伸びるだろう。
 束の間の、涼やかな心地よさと分かりながら、すっきりした庭を歩く。
 刈り込まれた一本一本の木々のたたずまいを眺め、Oさん夫妻の腕の確かさに感心する。


  
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月の庭 (Tomo の 服展)

2014-07-14 | 草花舎の四季
 郵便局の用を済ませ、草花舎へゆく。
 昼食をいただき、今、開催中の『アジアの手仕事 Tomo の 服展 ― 絲を着てくらしをうつくしむ ― 』を覗いてみるために。
 会期は、7/23(水)まで。

 下の写真は、草花舎から届いた案内状。
 1976年生まれの若い作家(真鍋友芳氏)の作品と作者の言葉が刷り込まれている。


          


 多種多様な作品が並んでいる。
 草花舎からの案内状には、<シャツ、ブラウス、プルオーバーシャツ、タンクトップ、チュニック、ワンピース、パンツ、スカートやメンズものもまじえて多数展示。また、バッグ、スカーフ、マット、人形等の小物も取り揃えて…>と、紹介してある。

 作家は、タイのチェンマイに住まわれ、その地にあって、初めて生産可能な作品を手掛けておられる。
 ちょっと自然なおしゃれを楽しみたい人には、きっと好まれるだろう。
 織りの美しさ、概してあっさりしたデザインなどがいい。
 お値段の手ごろさも。
 そこらのお店では入手できない、魅力的な作品が並んでいる。

 私も、上衣とスカーフを求めた。
 いずれも、さりげなく身にまとえそうである。

            



    
                 カレーライスとコーヒー

    
                     室内の花

 以下は、庭の花。
 入口の椿が、たくさんの<かたし>をつけていた。

    

    


 夜更けて、外に出てみた。
 山の端から、十六夜の月が上るところだった。

      
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身体と対話

2014-07-13 | 身辺雑記
 今日の「朝日新聞」 <Re ライフ>欄(P17)に、ラジオ体操のことが出ていた。
 「ラジオ体操で体と対話」という見出しで。

 ラジオ体操の効用は、体験としてわかっているのに、ほとんどしない。
 たまたま、10時前の<テレビ体操>放映の時間、手が空いてれば、立ち上がって体操をする。
 これもしないよりは、ずっといいのだろう。
 だが、ラジオ体操に比べれば、少々物足りない。

 昨年か一昨年か、ラジオ体操のDVDを求めた。
 「ラジオ体操 第1」 「ラジオ体操 第2」 「テレビ体操」(いずれも、座位・立位の両方が行えるようになっている。)
 さらに、「体をほぐす体操」「筋力を保つ体操」「関節や筋肉を伸ばす体操」も入っている。
 懇切寧寧な指南のDVDである。
 

 早速、思い立った日を吉日として、実践した。
 新聞の記事によると、<週1回でもいい 体調上向く>と、書いてある。
 が、できるだけ一日一回を目標に、習慣づけたい。
 三日坊主に終わりそうな気もするけれど。
 その時も、自分を責めないで、またやる気の起こった時にやればいい。

 その効果は、いいことばかり。

    体力の維持と筋力アップ  血行促進  胃腸に刺激


 先日来、気を付けて試みているのが、腹式呼吸
 しかし、あまり要領よくいかない。 
 特に<吸う>方が、下手である。

 もう一つ、朗読を試みている。
 斎藤孝著『声に出して読みたい日本語』を使って。
 まず、その一巻から。
 腹から声を出すのは大変である。
 10分も読めば、息苦しくなる。


 ラジオ体操や腹式呼吸、朗読を続けることで、多少でも、不調の改善につながればいいと思っている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草刈り・草取り

2014-07-11 | 身辺雑記
 業者にお願いして、崖の草刈りと、庭の草取りをしてもらった。
 私としては、庭木の剪定後にお願いしようと考えていたが、業者の都合で、今日来てくださった。

 
 崖一面に夏草が伸び、とても鬱陶しくなっていたので、早く来ていただけたのありがたい。
 家周辺にも、雑草が伸び放題。
 植物(特に雑草)の繁殖力はものすごい。
 私の手におえるものではない。

 手慣れた男性4人で、きれいにしてくださった。
 3時間かけて。
 家の周囲がすっきりして、心も清々しくなった。

 

 夏草の消えた崖の向こうには、青空がのぞいていた。(写真 左)
 雑草が取り除かれてみると、裏庭は木賊だらけである。(写真 右)
 これはこれで、なかなかいい眺めだ。

 
 ガウラ、ユキノシタ、ミズヒキソウなど、私の好きな植物の姿が消えていた。
 少し残念だけれど、人にお任せしたのだから、仕方ない。
 それより、庭の隅々まで、完璧な仕事をしていただいたことに、感謝している。 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8号台風

2014-07-10 | 身辺雑記
 日本のあちらこちらで、大変な豪雨災害が起こっている。
 台風8号の進路とは無関係な場所でも、土石流が人命や家財を濁流に飲み込む災害が起き、終日、災害関連のニュースが流れた。

 報道を見ながら、いつものことながら、無力感に襲われる。
 「天災ですから…」
 と言いつつ、途方にくれる人の姿もあった。
 防ぎ得た災害はなかったのだろうか。

 被害に遭われた方々にとって、一日も早く被災前の日常が取り戻されますように、そう念じつつも、やはり虚しい。

 中国地方には、大きな被害がなかった。
 当地では、雨も降らず、風も吹かなかった。
 それはそれで、ありがたいことなのだが、なんとなく心は、終日ざわついていた。


 午後の庭に出てみた。
 庭の風情に、大きな変化はない。
 今年もノボタンが咲くらしいと蕾を眺めたり、万両の俯く蕾に目をやったり…。

 ランタナやシモツケの花が少々あるだけの庭。

 

 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吐いて、吸って

2014-07-09 | 身辺雑記
 昨日、草花舎から帰るとすぐ、『呼吸の本』(谷川俊太郎・加藤俊朗著)を探した。
 置き場所を替えていたので、すぐには見つからず、今日改めて書棚のあちらこちらを丁寧に探した。

 <呼吸のレッスン>(CD付き)を試みるまでには至っていないが、再読だけは果たした。

 谷川俊太郎さんの「息」という詩が扉を飾っている。
 
     人が息をしている
     ひとりぽっちで
     苦しみを吐き出して
     哀しみを吸いこんで
     人は息をしている
               (「息」の第四連)

 また、加藤俊朗さんは、

     「息」という字は自らの心と書いて息(いき)と読みます。
     あなたの息は心の状態を表しています。
     息を調えて心を穏やかにやすらかにしましょう。
     人の命は息の仕方で決まります。
     生命を大切にするには呼吸を大切にしないとね。
     呼吸は吐いて吸うんです。それも気持ちを込めてやるの。
                (第一章 「息と呼吸法」より)

 と、述べておられる。

 この本は、問答形式で、呼吸の神髄が語られるので、非常にわかりやすい。
 以前読んだ時は、かなりいい加減な読み方をしていたようだ。
 健康に対する不安感が、それほどなかったのだろう。
 こんな健康法もあるのだくらいのとらえ方をしていたのかもしれない。

 最近は、郵便局や草花舎への行き帰りが難儀である。
 これは、私にとって、かなり深刻な問題である。
 再読の今回は、ひとりでできる健康法として、呼吸法は、試してみる価値がある、との思いに至った。

 加藤メソッドは、<吐いて吸う>呼吸法を推奨されている。
 私は、もともと、腹式呼吸が下手である。
 深呼吸を意識的にすることも、ほとんどない。

 呼吸が浅い、と思うことはよくある。
 ただ、それを重大問題だと感じたことはなかった。
 が、最近の体調不安は、あるいは呼吸下手と関係があるかもしれない。

 何もかも年齢のせいにせず、吐いて吸うという、その単純で深遠な行為を<気持ちを込めて>やってみよう。
 そうすれば、老いの日々が、もう少しは生きやすくなるかもしれないと。

 これは、今日の収穫であった。 

                


 昨日、草花舎から帰るときも、呼吸を意識して歩いた。
 すると、かなり歩行が楽だった。

 空を見上げて、飛行機雲や電線の燕を眺めたり、佇んで、中学校の花壇の花に目をやるゆとりもあった。
 

           

           


    
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月の庭 (蝉が鳴き、鶯が鳴き…)

2014-07-08 | 草花舎の四季
 手紙二通と葉書き一通を書いて、郵便局へ出かけた。
 切手を求める用もあったので。

 局まで歩くのに、幾度も立ち止まらねばばらなかった。
 道端で休まれる老人の姿を見て、<お年寄りは大変なんだ>と眺めていたことが、わが身にも降りかかってきた感じだ。

 最近、局までの距離を遠く感じ始め、歩くのが難儀だな、と思うことはしばしばだった。
 が、立ち止まるというのは、今日が初めてのことだ。
 立ち止まって、何をしているかといえば、どうやら息を整えているらしい。

 局からの帰りは、草花舎で休憩するから、何とかなっていた。
 しかし、前回は、その帰りもつらかった。

 局へも草花舎へも、自力では行けない日が来るのかもしれない。
 そんな不安を、Yさんに話すと、
 「足?」
 と聞かれた。
 「足ではない」
 「頭?」
 「頭でもないね。上半身かなあ?」
 「胸のあたり?」
 「うーん、背も、胸も…」

 結局、私自身、自分の体がどうなっているのかわからない。
 以前のように、無意識に歩くということができにくくなっている。
 一言でいえば、<老い>のせいなのだろう。

 Yさんが、突如、
 「呼吸! きっと呼吸でしょう!」
 と言われる。
 確かに、呼吸が浅い。
 生きているから、息はしているに違いないけれど、呼吸を自覚することがない。

 「加藤メソッド、やってみたら!」
 二、三年前、加藤俊朗・谷川俊太郎著『呼吸の本』をYさんに紹介してもらって、求めた。
 CD付きなので、本を読み、実体験もした。
 しかし、切実には、呼吸法の大切さを理解していなかったのかもしれない。
 今からでも遅くはあるまい。
 さっそく実践してみようと思う。

 「今日は蒸し暑いから、そのせいもあるんでしょう」
 と、Yさん。
 午前中に、気温は32℃を超えたとテレビが言っていた。
 特別に大型の大風8号が、沖縄に近づいいる。
 その影響なのだろう。
 風も雨も降らいないけれど、むしむし暑い。


 慌てて、蝉が出てきたらしい。
 草花舎の庭に立つと、蝉の声がにぎやかだ。
 山の方からは、鶯の声も聞こえてくる。
 季節まで、混沌としている。

 コーヒーをいただき、庭のナンキンハゼを見上げた。
 地味な花穂がついている。
 私のデジカメでは、高い梢の、葉色と類似の色をした花を、うまく撮ることができなかった。


      


             

               

 下の写真は、ナンキンハゼの実である。
 たくさんついていた紅葉の葉は、薄汚れて1枚になった。
 涼やかだった白い実も、いつしか、黄ばんでしまった。

 この枝をくださったのは、Aさんだった。
 歳月が流れ、Aさんはもう鬼籍の人となられたが、生涯忘れ得ぬ人の、ひとりである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出の画集

2014-07-05 | 身辺雑記
 6月から、手元に置いて、折々眺めている画集がある。
 一冊は、 『BALTHUS』 、もう一冊は、 『熊谷守一』 。

 私がバルチュス展を見たのは、平成3年の暮れのこと。
 東京ステーションギャラリーで開催された展覧会であった。。

 熊谷守一展は、見ていない、
 ただいろいろな機会に、その絵を見てきたし、上京の際、豊島区の『熊谷守一美術館』を訪れたこともある。
 この人の、素朴な表現の奥にある世界が、実に魅力的である。

 今年は、二人の絵画展が、それぞれに開催され、作品に直接接する機会があった。
 (今日から、バルチュス展が、<京都市美術館で、~9月7日まで>開催されているはず。)

 昔のように、思い立てばすぐ出かける気力が、今はない。
 画集を眺め、全く画風の異なる二人の世界を、気の向くままに楽しんでいよう……。


             
             平成3年、東京ステーションギャラリーで開催時の画集(左)
             「樹のある大きな風景」は、今回も展示されている(右)

    

             

             
             見飽きることのない、熊谷守一作品の一部
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「半夏生」 暦と植物と

2014-07-03 | 身辺雑記
 昨日(2日)は、時候の変化を表わす <七十二候>の一つ「半夏生」に当たる日だった。
 「半夏雨」という言葉もあるようだ。
 週間天気予報によると、3、4日は、久しぶりに雨らしい雨が降るという。
 そこで、病院行きを早め、昨日、T医院へ行ってきた。

 病院で、 「半夏生(草)」の鉢に出会った。
「半夏生」(暦)の日に「半夏生(草)」(植物)に遭遇するという珍しい日となった。

           

 そうしばしば見かける植物ではないけれど、一度その名を聞くと記憶に留めやすい。
 半ば化粧をしたかのような半夏生草(片白草・三白草ともいうらしい)に出会えた昨日は、幸運であった。

 『日本の七十二候を楽しむ』という本によると、<香川では、田植えや麦刈りを手伝ってくれた人たちに、うどんをふるまい、労をねぎらうならわしがあった>という。
 いつの間にか、麦を作る農家は少なくなり、田植えも早くなった。
 昔の生活習慣とは、かなり異なる暮らしぶりとなった。
 それでも、昨日は、<うどんの日>として、香川の方では、ただでうどんがふるまわれたと、ニュースが報じていた。

 半夏生草のほか、昨日のT医院に置かれていた植物の鉢。
 心や目を、ぞんぶん楽しませていただいた。

           

               

                  


 昨日は、珍しいものをいただく日ともなった。
 山形のさくらんぼと、小豆島のそうめん。
 いずれも好物なのでありがたい。

                  

                               
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月の庭 (日本の行方を案じながら) 

2014-07-02 | 草花舎の四季
 昨日の午後、郵便局へ行った。
 その帰り、いつものならいで、草花舎にも立ち寄った。

 コーヒーとケーキをいただく。

        

 Yさんとは、政治談義も。
 日本の、昨今の政治を憂いながら。

 さりげなくくつろぎ、コーヒーをいただけるささやかな日常の幸せ。
 そんな平凡な自由が奪われ、統制された不自由な時代を生きた経験があるだけに、未来に暗雲が漂い始めたような不安を覚える。

 庭を歩くことはしなかった。
 
 室内には、珍しい花や、実のなっているヤマモモなどが、活けてあった。
 ヤマモモは、懐かしい。
 幼い日、口や洋服を果汁で赤くした、遠い日々を思い出す。

   

   

        
            窓から眺めた7月の庭


 草花舎にいるとき、彫刻家・三木俊治先生からの荷物が届いた。
 先日、展示会の折、三木先生にお会いし、Yさんと三人で話した。
 その時、先生が話しておられた、缶入りの<タイカレー>が送られてきたのだ。

 Yさんから、おすそ分けしてもらった。
 先生の話では、手軽でおいいいカレーとのこと。
 いただく日が楽しみである。

             
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする