ぶらぶら人生

心の呟き

二人の人影(模造人と働く老女)

2010-01-20 | 散歩道
            

            

 今日は日頃歩かない道を散歩してきた。
 土田海岸に出て、一丘を越え、北浜に抜けた。
 その途中、片側の段々畑の上の方に、人影を見た。
 季節に不似合いな<白い人>である。(写真 上)
 腰を下ろしての作業中?
 そう思った直後に、果たして人? という疑念が湧いた。
 好奇心から、近寄ってみた。
 笑ってしまった。
 うまくできた女性の仕事姿であった。
 この存在が、作物を鳥獣から守ってくれるのかどうか?

 北浜の海を眺めた後、国道に向かって歩いている時、人に出会った。
 今度は間違いなく、農作業中の老婦人であった。(写真 下)
 手を休めて腰を伸ばし、通りかかった私に目を向けられた。
 私も足を止めて、挨拶した。

 「何を植えられるのですか」
 と、尋ねた。
 「馬鈴薯。耕しておいたのに固くなったからね」
 放置している間に固くなった土を、再び掘り起こしておられるのだった。
 馬鈴薯を植える時期を尋ねた。
 三月、と教えてくださった。
 それまでにはまた、土が固まるであろう、と思った。
 暖かい日には畑に出て、幾度も耕されるのだろうか?
 土はその都度、息を吹き返すのかもしれない。

 老婦人は、家の中にこもっていると体によくないことばかり考えるから…とも、話しておられた。
 腰も膝も不自由だけれど、こうして外に出て体を動かしていると、気分が紛れる、とも。
 よく分かる。
 私も気分が鬱屈すると外に出る。表向きは運動が目的であっても、精神的な改善を意図していることもある。
 動くことは、マイナスよりプラス面が多い。
 
 老婦人はさらに、このあたりには猪や狸が出て、畑を荒らすから困る、と話された。
 玉葱を掘り起こしたこともあるそうだ。
 私は驚いて、玉葱を食べるのですか、と尋ねた。
 獣たちの狙いは、肥沃な畑に棲む虫類らしい。
 さぞ残念なことだろう。苦労して育てた野菜が一夜にして台無しになるのだから。
 私は、完成間近のブログの文章が、時に完全に消去されるときの空しさを思い出した。
 それは私の操作上のミスだから、責任は自らにあるのだけれど。(と言っても、私には原因の分からないことが多く、そうなった時の悔しさは大きいのだが…)
 しかし、折角育てたものを猪や狸など、他者のいたずらによって喪失する無念さは、私のそれとは、全く比較にはならないことであろう…。

 散歩には思いがけぬ副産物がある。 
コメント (2)
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植樹 (記念樹)

2010-01-20 | 身辺雑記
 先日頼んでおいた木の苗を用意し、O造園の夫妻が植樹に来てくださった。
 早速、予定の場所に、記念樹として植えていただいた。

 二メートル足らずの裸の苗木は、ただ細い枝を広げただけの、素っ気ないものである。
 裏庭の焼却炉の跡に植えてもらったのが、<アメリカザイフリボク(英名 ジューンベリー)>。(写真 左)
 4、5月頃には白い花が、6月頃には赤く熟す実が楽しめ、11月には紅葉も美しいという、贅沢の味わえる木である。
 うまく根付いてくれると嬉しい。
 初めて出会った木の、これからが楽しみである。

 前庭にあったウツギに替えて、新たに植えてもらったのは<ハナカイドウ>。(写真 右)
 こちらは、あちこちで見慣れた木である。
 早速、賑やかな紅色の花を、この春咲かせてくれるだろうか。

 あと幾年、この二本の木の四季を楽しめるのか、先のことは全く分からない。が、今日めぐり合えたことを喜びとしよう。
 私の庭に植えられた運命を、この木が喜んでくれているかどうかは分からないままに…。

 詩人、まど・みちおさんの言葉を思い出す。
 
 <毎日毎日、限りない出会いがあります。そのすべてを大切にできたらと願わずにはおれません。不可能が可能になったのが出会いなんだから、……略……>
(『いわずにおれない』《第四章 宇宙の永遠の中、みんな「今ここ」を生きている》より)

          
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