今日は日頃歩かない道を散歩してきた。
土田海岸に出て、一丘を越え、北浜に抜けた。
その途中、片側の段々畑の上の方に、人影を見た。
季節に不似合いな<白い人>である。(写真 上)
腰を下ろしての作業中?
そう思った直後に、果たして人? という疑念が湧いた。
好奇心から、近寄ってみた。
笑ってしまった。
うまくできた女性の仕事姿であった。
この存在が、作物を鳥獣から守ってくれるのかどうか?
北浜の海を眺めた後、国道に向かって歩いている時、人に出会った。
今度は間違いなく、農作業中の老婦人であった。(写真 下)
手を休めて腰を伸ばし、通りかかった私に目を向けられた。
私も足を止めて、挨拶した。
「何を植えられるのですか」
と、尋ねた。
「馬鈴薯。耕しておいたのに固くなったからね」
放置している間に固くなった土を、再び掘り起こしておられるのだった。
馬鈴薯を植える時期を尋ねた。
三月、と教えてくださった。
それまでにはまた、土が固まるであろう、と思った。
暖かい日には畑に出て、幾度も耕されるのだろうか?
土はその都度、息を吹き返すのかもしれない。
老婦人は、家の中にこもっていると体によくないことばかり考えるから…とも、話しておられた。
腰も膝も不自由だけれど、こうして外に出て体を動かしていると、気分が紛れる、とも。
よく分かる。
私も気分が鬱屈すると外に出る。表向きは運動が目的であっても、精神的な改善を意図していることもある。
動くことは、マイナスよりプラス面が多い。
老婦人はさらに、このあたりには猪や狸が出て、畑を荒らすから困る、と話された。
玉葱を掘り起こしたこともあるそうだ。
私は驚いて、玉葱を食べるのですか、と尋ねた。
獣たちの狙いは、肥沃な畑に棲む虫類らしい。
さぞ残念なことだろう。苦労して育てた野菜が一夜にして台無しになるのだから。
私は、完成間近のブログの文章が、時に完全に消去されるときの空しさを思い出した。
それは私の操作上のミスだから、責任は自らにあるのだけれど。(と言っても、私には原因の分からないことが多く、そうなった時の悔しさは大きいのだが…)
しかし、折角育てたものを猪や狸など、他者のいたずらによって喪失する無念さは、私のそれとは、全く比較にはならないことであろう…。
散歩には思いがけぬ副産物がある。