ぶらぶら人生

心の呟き

朝顔、そして皆既日食

2009-07-23 | 身辺雑記
 昨日、朝顔の第1号が咲いた。(写真①)
 私ガ目にした最初というだけで、蔓には咲き終わって萎れた花が二つあった。
 前日、前々日の大雨の中で咲き、誰の眼にも留まらずしぼんでしまったのだろう。
 今朝は、三つの花が咲いていた。
 昨日と同じ種の花と、色違いの大輪(写真②)と小型のピンク(写真③)と。
 妹が種撒きをし、苗を育ててくれた鉢なので、どんな花が咲くのか見当がつかず、それだけに、毎朝、朝顔の鉢を眺める楽しみが増えた。

 朝顔とは関係のない話だが、昨日は、46年ぶりの皆既日食の日であった。
 前日から晴れの予報が出ていたので、当地でも微妙な自然現象(木漏れ日の変化やかすかな薄明)が見られないかと、居ながらに期待した。しかし、予報に反して、夕方まで空は晴れなかった。
 雲の彼方に起こっているはずの現象を想像するだけであった。
 折から訪問の友人と、NHKの、各地から伝えられる映像を楽しみながら。

 皆既日食が6分半近くも続くことで話題となり、初めて、その存在を知った鹿児島県・トカラ列島の悪石島は、あいにくの雨であった。
 日本の各地から、さらに、はるばる海外から悪石島を訪ねた人たちは、さぞ無念だったことだろう。
 それでも、その時間帯は、夜の訪れを思わせる漆黒の闇となったようだ。テレビの画面がその様子を映し出していた。
 コロナや黒い太陽を眺めることのできなかった人たちにとって、いささかの慰めになったことだろう。昼間の短い暗黒も、その日にしか遭遇できない現象だったのだから。
 あちこちの動物園で、諸動物が夕暮れ時に行う行動を始めたというから面白い。
 その点、現代人は時間による生活習慣や科学的知識を持っているから、ごまかされたり、不安に駆られたりすることはないだろう。しかし、太古の人には、恐怖や不吉の現象であっただろうことは想像に難くない。

 次回、日本で見られる皆既日食は、26年後だとか。
 まず、この世に生きていて、その日を迎えることは不可能である。
 が、ひょっとして、もっと美しいダイヤモンドリンクを、私の魂は、宇宙のどこかで眺めているのかもしれない。そんなたわいないことを夢見た日でもあった。           


            ①

                   ②

            ③
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雨、降り続き… (雨疲れ)

2009-07-21 | 身辺雑記
 <雨疲れ>、こんな言葉はないだろう。
 しかし、降り続く雨に、心身疲れた。
 
 天の怒り!?
 そんなことを思わせるような激しい雨が、今朝6時過ぎから降り続いた。
 昭和58年の豪雨を思い出し、無気味になった。
 雷光が未明の部屋を白色光で照らしたかと思うと、雷鳴が轟き、雨音が後を追う。
 新聞の休刊日なので、ベッドで本を読んでいたのだが、落ち着かなくなって起き出した。
 カーテンを開けると、屋根の下の樋から幅広い瀧が流れ落ちている。
 花壇は水を張った池となっている。
 さて、と考えても、なす術もない。
 雨脚の弱まることを念じて、ただ異常な光景を眺めた。

 今日は、街へ出る予定にしていた。
 この雨では…、と思っているうちに、激しさが衰えた。
 ところが、9時、家を出ようとした折、また激しい雨となった。
 雨具をつけても、びしょぬれになりそうな雨である。
 タクシーを呼んで出かけた。
 市役所で、住民票を取り寄せる手続きを済ませる間、タクシーに待ってもらい、銀行まで乗せてもらった。
 家を出てタクシーを降りるまでの30分間、かなり激しい雨が降り続いた。
 国道は、ところどころ冠水し、側溝の水があちこちで噴き上がり、凄まじい光景であった。
 低地の家には、浸水の被害も出ている模様であった。
 降り続く雨に疲れたなどと、贅沢なことを言っていてはいけないのであろう。

 ここまで書いて、<激しい雨>の形容としては、どんな言葉があるのだろう? と手を休めて考え、広辞苑の『逆引き辞典』を引いてみた。
 まずは、訓の<あめ>で終わる語。
 <あめ>が最後につく言葉は、<雨>か<飴>に関するものである。
 そのなかで、今日の雨にふさわしい表現は、

 <篠突く雨><柴榑雨(しばくれあめ)><しぶき雨><鉄砲雨><八重雨>
 といったところだろうか。<気違い雨>というのは、当たらないだろう。

 音の<う>が最後につく語は沢山ある。そのうちの、<雨(う)>で終わる言葉のなかから、激しい雨を表す語を探した。

 <豪雨><甚雨><猛雨><雷雨>
 などを拾うことができた。

 言葉遊びで、雨疲れした気分をほぐしたのだった。

 ついでに髪の手入れをし、遅い昼食をとって帰宅した時には、雨はほぼ上がっていた。
 裏庭に、シュウカイドウの第一号の花が開き初めていた。
 葉は、無数の雨滴を留めたままであった。(写真)


           
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7月の庭 (オニユリなど)

2009-07-20 | 草花舎の四季
 さて、どうしよう? と迷っているうちに、雨音が静かになった。
 薄日の差す気配さえある。草花舎へ出かけることにした。
 昨夜来、雷光雷鳴を伴って、激しい雨が降った。中学校の校庭やテニスコートには、あちらこちらに水溜りができている。国道の側溝を流れる水が、轟々と音を立て、網状の蓋からぼこぼこと濁水が溢れ出ている。相当の雨量があったらしい。

 草花舎までの道中、雨に遭わずにすんだ。
 雨に濡れている庭の散歩も楽しめた。
 朱色の百合が咲いていた。(写真①)
 オニユリだと思い込んでいたが、似たものにコオニユリというのもあるらしい。
 ネットで確かめたところ、ムカゴがつくのがオニユリ、つかないのがコオニユリだと説明してあった。
 花の後を見なくては、両者の区別は難しいようだ。

 百合のそばに、花をつけた木があった。(写真②)
 クサギの花だろうか?
 Yさんに確かめたかったが、今日は客が多く、忙しそうだったので遠慮した。
 奥庭にも、クサギに似た木があったが、花の色が違っている。(写真③)
 この木はなんだろう? クサギの仲間だろうか?

 前庭の合歓は、今年も花をつけなかった。しかし、雨に濡れた葉の風情がいい。(写真④)
 先日(16日)、山口までの往復路の沿道に、合歓の花が至る所に咲いていた。梅雨明け近くに満開となる花のようだ。
 雨上がりの庭には、蝉の声が増えていた。
 合歓の花は、蝉の賑わいと共に咲く花でもあるようだ。

 さりげなく置かれたものにも、草花舎の<物>には、美が潜む。物そのものの美であり、配置の美でもあるのだろう。
 写真⑤は、入り口の石と鉢。
 写真⑥は、私の座った席の前に飾られていた、ペ・ミエの作品とガラスの花瓶に挿されたエキナセアの花。

 大雨の降り出す心配もあるので、食事を終えると帰宅した。
 レジに向かおうとしたとき、お客のSさんに声をかけられ、同伴のUさんを紹介されて挨拶した。
 草花舎では、折に、新しい出会いもある。
 

          

                  ②

            ③

                  ④

            ⑤

                   ⑥
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<滋味溢れる…> 南木佳士著『生きのびる からだ』

2009-07-19 | 身辺雑記
 先日、友人の車に乗せてもらって、山口に出かけた。
 文栄堂に立ち寄って、<週刊 『鉄道 絶景の旅』 3~6>(1と2は、すでに購入済み)を求め、さらに、南木佳士著『生きのびる からだ』(文芸春秋社刊)と池田晶子著『死とは何か さて死んだのは誰なのか』(毎日新聞社刊)も手にして、レジに行った。

 その1冊、南木佳士をまず読んだ。
 『ダイヤモンドダスト』(第100回 昭和63年下半期の芥川賞受賞作)以来のファンのつもりでいる。だが、雑誌<文学界>に掲載された作品は、必ず読んできたはずなのに、大方は忘れている。比較的鮮明に思い出せるのは、『阿弥陀堂だより』くらいだ。
 それでもファンと言えるのかどうか。
 店頭で、南木佳士の名前を見た途端に、ためらわず本を求める気になったのは、その精神的風土に懐かしさを覚えたからに違いない。

 33篇のエッセイ集である。
 短いエッセイばかりなので、かしこまって読む必要もない。南木佳士さんの呟きに頷きながら読み終えた。医師であり作家である作者の来し方に思いを馳せて。

 『ダイヤモンドダスト』は、『水車を作る』という題名の短編だったという。
 文学界に掲載のとき、編集者との話し合いで、その題名が『ダイヤモンドダスト』に変更されたのだという。
 一つの作品が日の目を見るまでには、様々な経緯があるのだろう。
 『水車を作る』より『ダイヤモンドダスト』の方が、よほど気が利いて垢抜けている!?
 題名は作品の一部として、大事なものだとつくづく思う。

 この本(写真)の帯に、「心とからだを解き放つ滋味溢れるエッセイ集」という言葉が添えられている。
 そうだ、<滋味溢れる…>という表現こそは、南木佳士の文章を評するにふさわしい言葉である。

 <滋味溢れる>、そんな文章を、私も書きたい。
 だが、滋味を生み出す背景には、豊かな心の泉がなくては、不可能なことであろう。

             
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駅舎の燕・二羽

2009-07-18 | 身辺雑記
 T医院で定期の検診を受けた後、石見津田駅で、益田行きの列車を待った。
 無人駅となった構内の天上には、燕の巣がある。
 その一つの巣に、親鳥が巣穴を覗き込むようにして止まっていた。(写真①)
 巣の中は静かであった。
 子燕のいる気配は、全く感じられない。
 一体、親燕は何をしているのだろう?
 巣の中に、何が起こっているのだろう?
 親鳥は、巣の左端に止まって動かない。
 卵を抱いている様子でもない。

 私は駅舎のベンチに腰を掛け、巣を見上げて、ひとり眺め続けた。私の目には異様と感じられる光景に見とれて。

 しばらくして、もう一羽が飛んできた。
 と、一瞬、声を交わして、巣の右端に止まった。(写真②)
 と同時に、それまでいた一羽は、入り口から外に飛び立った。
  
 交代した一羽も、ただ巣を覗き込んでいるだけのように見える。
 私の目からは、何をしているのか分からないし、目的も理解できない。
 巣のなかでは、やがて雛となる卵が、刻々と変化を続けているのだろうか、と考えて見る。それを親燕のつがいが、交互に見守っているのか?

 顔全体を嘴にして、親鳥の運ぶ餌を待つはずの子燕のいない巣は、空虚な静けさをたたえていた。
 それだけに、親鳥の飛来するという行為が、妙に寂しくも感じられた。

 私が乗る予定の列車は10分遅れで到着すると、無人の駅に放送が流れた。
 乗客は私ひとり。
 5、6回、同じ放送が、無機的に繰り返された。

 結局、私は、20分以上、燕の巣を眺め続けることになった。
 その間、左右に止まり場所を定めている二羽の燕は、数度交代を繰り返した。その都度、合図の鳴き声を交わして……。
 厳粛な意味があるのかどうか?
 二羽の燕の、行動の意味を解せぬままに、私は時間を計って、列車の到着するホームに出た。

 雛のいない巣に、親鳥が交互に飛来する様を見たのは初めてだった。
 雛鳥誕生のプロセスには、私の知らない世界が存在するのであろうか? 
 とにかく、私にとっては、不思議で不可解な出来事との遭遇であった。


              ①

              ②
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妹を訪ねて (コリウス他)

2009-07-14 | 身辺雑記
 昨日は、午後、気が向けば街に出て妹宅に寄り、届け物をしたり、買い物をしたりしてこようと考えていた。
 しかし、郵便局まで二往復し、暑さにまいってしまったので、出かける気が失せていた。
 ところが、草花舎から帰宅してみると、電気工事のため、停電していた。
 真昼間の停電。
 電気なしでは何もできない。それに暑くて我慢できない。
 結局は、家の中にこもる暑熱となす術のなさに外出を促されるかたちとなって、予定通り街に出ることにしたのだ。

 届け物をし、帰途、買い物をしてすぐ帰宅する予定だったのだが、ひと時、妹夫婦と話し込んでしまった。
 スーパーまで送るという義弟の車に乗ろうと玄関を出ると、前庭の、色鮮やかなコリウスや見慣れぬ草花に気づいて、しばらく眺めることになった。

 その写真を添付することにする。

 ①~④は、コリウス。(④は、<トキメキリンダ>という名のコリウス。)
 ⑤は、シラサギカヤツリ。
 ⑥は、ハナセキショウ。
 ⑦は、(純白の)槿。
 ⑧は、(黄)バラ。
 ⑨は、ポーチュラカ。

 (植物名は、妹夫婦から教えてもらってメモしたもの。)

 買い物の後は、タクシーで帰宅した。
 カーラジオが、麻生内閣の解散日と選挙日を報じていた。
 そのとき初めて知ったニュースである。
 あまりにも夢のない、課題だらけの政治を憂いつつ、運転手さんと語り合っているうちに、家に帰りついた。 


          ①

                  ②

          ③

                  ④

          ⑤

                  ⑥

          ⑦

                  ⑧

          ⑨
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7月の庭 (ヒメヒオオギズイセン)

2009-07-13 | 草花舎の四季
 30度を越す気温だったのだろう。
 外に出てみると、ひどく暑い。これだから夏は厭だと思う。
 12時に食事に行くのでよろしくと、草花舎に電話しておいた。
 その前に、郵便局に寄り、送金の手続きを済ませ、それから草花舎に行く予定で出かけた。
 ところが、局に着いてみると、お財布がない。バッグをかき回して探す必要もなく、椅子の上に置いたまま出かけてしまったことに気づいた。
 「暑いから、無理もありません」
 と、局員に同情され、私の忘れ物は暑さのせいだと慰められた。
 だが、暑さのせいではない。何かと抜かりの多い毎日である。老化現象とは認めたくないのだけれど……。
 お財布なしでは送金もできないし、草花舎で食事もできない。家に引き返すより仕方なく、往復に30分をかけて、無駄な時間を費やした。
 おまけに、暑さの二乗!
 汗をびっしょりかいて草花舎に着き、目に入る汗をふき取ろうと、眼鏡をはずした。手にした眼鏡は外出用の遠近両用ではなくて、老眼鏡である。出かける前にパソコンの前で使っていたのを、そのままつけて出かけたようだ。
 することなすこと、愚昧至極である。
 今日が初めてのことではなく、今までにも、幾度か老眼鏡で外出している。外歩きに一向不自由を感じないのは、視力がおかしくなっているのかもしれない。遠からず、眼科で検診を受けることにしよう。

 草花舎の庭も、真夏さながらである。
 朱色の花の群れが目に入った。先日、S寺の庭で見た花と同じだろうか?
 同種であれば、<ヒメヒオオギズイセン>のはず。(写真)
 夏にふさわしい趣の花である。

 赤紫蘇の独特な葉の色も、私の好みの夏の色である。(写真)

 S寺のGさんが草花舎に来られたので、先日の講演の話をし、関連して高史明の話もした。
 Gさんは自著『思想としての親鸞 状況のなかの<信>』を草花舎の棚から取り出して、「高史明という現象」と題された文章を私に示された。
 10ページの短い文章だったので、その場で読んだ。
 高史明の<信仰構造の思想的な負性>に対する懐疑が述べられ、真宗の在り様や課題を提起しておられるように読みとった。が、それについて私見を述べるほど確かな考えを私は持っていない。
 これを機に、Gさんの『思想としての親鸞』を読んでみようと思い、借りて帰ってきた。1983年の出版となっている。Gさんが若き日に書かれたものである。

 Gさんが帰られた後、Yさんと二人で、スーザンさんやTちゃん不在のもの足りなさをかこち、現代アートのことなども話して、帰宅した。

 
        

                 
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東京へ 5 (鎌倉 光則寺)

2009-07-12 | 旅日記
 お寺にも、色々な特色がある。
 観光客を拒否しているわけではないが、ひっそりとして訪れる人の少ない光則寺(日蓮宗のお寺)が、長谷寺からそう遠くない位置にあった。
 ゆるやかな坂を登って参拝する。
 入場券を売る受付もなく、参拝・入園に当たって、喜捨を投じる箱は設けてあった。100円を入れて、境内に入った。

 ここも花の寺である。
 特に海棠の古木が有名らしい。
 東西南北に伸びた枝は、支柱で保護されている。(写真①)
 周囲にはハンゲショウの白い花が風情を添えていた。(写真②)
 大賀ハスの、赤紫の蕾が、緑の濃い庭に、灯明のようであった。(写真③)

 草花の手入れに余念のない婦人の姿が木陰にあった。
 その人に、宮沢賢治詩碑の場所を尋ねた。
 すぐ傍にあるのに、碑面の文字が遠目には読めず、碑とは分かりにくかった。  「雨ニモ負ケズ」の詩が、刻まれていた。(写真④)
 ここになぜ? との思いがあったが、宮沢賢治が法華経の信者であったここと関連しているのだろう。

 やがて十数人の見学者がやってきた。土地に住む人たちの、寺社散策のグループであろうか。
 説明者が、輪の中にあって、お寺の由来など語っている様子であった。
 

 見学の後、長谷駅に引き返す。そして、三たび江ノ電に乗って鎌倉に戻り、JR横須賀線で東京に引き返したのだった。      


         ①

                  ②

         ③

                   ④
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東京へ 4 (鎌倉 長谷寺)

2009-07-12 | 旅日記
 再び江ノ電に乗って、長谷駅に下車。
 長谷寺に詣でた。
 鎌倉には、数度訪れている。が、長谷寺は初めてであった。

 入場券に、<花と眺望の寺>と、印刷されている。
 <紫陽花の寺>としても有名らしい。(写真⑦は、辛うじて、美しさを留めていた紫陽花。)
 紫陽花の季節はすでに終わっているのに、観光客の多さは格別である。古寺であることや本尊の十一面観音菩薩像(長谷観音)の存在以外にも、人をひきつける魅力が、このお寺にはあるらしい。
 境内の花を眺めて、心に安らぎを覚える人が多ければ、それも十分な価値と言えるだろう。現実世界の浄土である。
 年月を重ねたタブの複雑な幹(写真④)を見るだけでも、長谷寺を訪れてよかったと思う。樹木の生きるプロセスの生み出す不思議な姿が、そこにはあった。
 花々は、季節を歌い、あるべき位置に収まっている。今咲き誇るのは、睡蓮、桔梗、槿、凌霄花(ノウゼンカズラ)など。
 

 <和み地蔵>の愛らしさに、歩みを止めた。(写真⑨)
 どんなに心が荒んでいても、このお地蔵様の前で、心の和まぬ人はいないのではあるまいか。
 傍のピンクの花は、<アメリカノウゼンカズラ>と記してあったように思う。

 お寺の敷地内には、比ヶ浜など、近景遠景をみはるかす丘(見晴台)がある。(写真⑩)
 まさに<眺望の寺>である。
 空気の澄んだ日の眺めはすばらしいことだろう。

 さらに、このお寺は文人との関わりも深く、高山樗牛の寓居跡の碑(写真⑪)や久米正雄の胸像(写真⑫)、さらに高浜虚子の句碑もあった。
長谷寺に限らず、鎌倉の地は、文人墨客に縁の深い街である。そうしたゆかりの場所を訪ねてみるのも楽しいだろう。
 いくら時間があっても足りない気がする。

 私も、住まう場所が選べるものなら、鎌倉辺り、第一候補に挙げたいところだ。しかし、それは夢。私は、石見の国を終焉の地とすることになるのだろう。


 写真①は、山門。 


         ①

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          ⑨

                   ⑩

          ⑪

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東京へ 3 (鎌倉 鶴岡八幡宮)

2009-07-12 | 旅日記
 9日の朝は晴れていた。
 鎌倉に出かけることにした。
 気楽な旅の、気ままな旅…。
 東京駅から藤沢へ。そこで、江ノ電に乗り換え、沿線の風景を間近に眺め、江ノ島、七里ヶ浜、由比ヶ浜など、なじみの駅を経て鎌倉へ向かう。
 海上は少し波立ち、波に戯れるサーファーの姿もあった。

 まずは鶴岡八幡宮へ。
 駅前から段葛の桜並木を歩き、観光客の多い広い境内を抜け、60段の石段を登って本宮にお参りする。
 (写真①は、段葛入口の鳥居。 写真②は、大銀杏。)

 梅雨の季節にもかかわらず、鎌倉は観光客に溢れている。外国人の姿も多い。
 段葛の桜並木に花の咲くころ、一度訪ねてみたいが、同じ思いの人で、並木の道は、動きの取れない状況になるのかもしれない。

 桜並木に蝉が鳴いていた。今年初めて聞く声であった。

 お参りした後、蓮池の傍にあるレストランで休憩した。
 池の面を覆う、大きな深緑の葉の群がりのなかに、純白の蓮の花がポツリポツリと咲いていた。(写真③④)

 
         ①

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         ③

                   ④
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