昨日、朝顔の第1号が咲いた。(写真①)
私ガ目にした最初というだけで、蔓には咲き終わって萎れた花が二つあった。
前日、前々日の大雨の中で咲き、誰の眼にも留まらずしぼんでしまったのだろう。
今朝は、三つの花が咲いていた。
昨日と同じ種の花と、色違いの大輪(写真②)と小型のピンク(写真③)と。
妹が種撒きをし、苗を育ててくれた鉢なので、どんな花が咲くのか見当がつかず、それだけに、毎朝、朝顔の鉢を眺める楽しみが増えた。
朝顔とは関係のない話だが、昨日は、46年ぶりの皆既日食の日であった。
前日から晴れの予報が出ていたので、当地でも微妙な自然現象(木漏れ日の変化やかすかな薄明)が見られないかと、居ながらに期待した。しかし、予報に反して、夕方まで空は晴れなかった。
雲の彼方に起こっているはずの現象を想像するだけであった。
折から訪問の友人と、NHKの、各地から伝えられる映像を楽しみながら。
皆既日食が6分半近くも続くことで話題となり、初めて、その存在を知った鹿児島県・トカラ列島の悪石島は、あいにくの雨であった。
日本の各地から、さらに、はるばる海外から悪石島を訪ねた人たちは、さぞ無念だったことだろう。
それでも、その時間帯は、夜の訪れを思わせる漆黒の闇となったようだ。テレビの画面がその様子を映し出していた。
コロナや黒い太陽を眺めることのできなかった人たちにとって、いささかの慰めになったことだろう。昼間の短い暗黒も、その日にしか遭遇できない現象だったのだから。
あちこちの動物園で、諸動物が夕暮れ時に行う行動を始めたというから面白い。
その点、現代人は時間による生活習慣や科学的知識を持っているから、ごまかされたり、不安に駆られたりすることはないだろう。しかし、太古の人には、恐怖や不吉の現象であっただろうことは想像に難くない。
次回、日本で見られる皆既日食は、26年後だとか。
まず、この世に生きていて、その日を迎えることは不可能である。
が、ひょっとして、もっと美しいダイヤモンドリンクを、私の魂は、宇宙のどこかで眺めているのかもしれない。そんなたわいないことを夢見た日でもあった。
①
②
③
私ガ目にした最初というだけで、蔓には咲き終わって萎れた花が二つあった。
前日、前々日の大雨の中で咲き、誰の眼にも留まらずしぼんでしまったのだろう。
今朝は、三つの花が咲いていた。
昨日と同じ種の花と、色違いの大輪(写真②)と小型のピンク(写真③)と。
妹が種撒きをし、苗を育ててくれた鉢なので、どんな花が咲くのか見当がつかず、それだけに、毎朝、朝顔の鉢を眺める楽しみが増えた。
朝顔とは関係のない話だが、昨日は、46年ぶりの皆既日食の日であった。
前日から晴れの予報が出ていたので、当地でも微妙な自然現象(木漏れ日の変化やかすかな薄明)が見られないかと、居ながらに期待した。しかし、予報に反して、夕方まで空は晴れなかった。
雲の彼方に起こっているはずの現象を想像するだけであった。
折から訪問の友人と、NHKの、各地から伝えられる映像を楽しみながら。
皆既日食が6分半近くも続くことで話題となり、初めて、その存在を知った鹿児島県・トカラ列島の悪石島は、あいにくの雨であった。
日本の各地から、さらに、はるばる海外から悪石島を訪ねた人たちは、さぞ無念だったことだろう。
それでも、その時間帯は、夜の訪れを思わせる漆黒の闇となったようだ。テレビの画面がその様子を映し出していた。
コロナや黒い太陽を眺めることのできなかった人たちにとって、いささかの慰めになったことだろう。昼間の短い暗黒も、その日にしか遭遇できない現象だったのだから。
あちこちの動物園で、諸動物が夕暮れ時に行う行動を始めたというから面白い。
その点、現代人は時間による生活習慣や科学的知識を持っているから、ごまかされたり、不安に駆られたりすることはないだろう。しかし、太古の人には、恐怖や不吉の現象であっただろうことは想像に難くない。
次回、日本で見られる皆既日食は、26年後だとか。
まず、この世に生きていて、その日を迎えることは不可能である。
が、ひょっとして、もっと美しいダイヤモンドリンクを、私の魂は、宇宙のどこかで眺めているのかもしれない。そんなたわいないことを夢見た日でもあった。
①
②
③