ぶらぶら人生

心の呟き

本を通して広がる縁

2009-07-05 | 身辺雑記
 私は、つい最近まで、宮迫千鶴さんを知らなかった。
 帯津良一氏の本を読んで、画家、評論家、エッセイストの肩書きを持つ、この女性を知り、関心を抱いた。
 早速、沢山の著作の中から、三冊を選んで注文した。

 『美しい庭のように老いる』
 『魂を大切にする生活』
 『宮迫千鶴の小さな楽園の作り方』

 本を通して、人脈(人の縁)が、地下茎のように広がってゆく……。

 若い時と違って、最近の読書は血となり肉となりにくいのが残念である。それでも、活字に親しんでいる一瞬は楽しいし、雑念を払うこともできる。
 さらに、その作者には、格好な話し相手にもなってもらえる。

 宮迫千鶴さんは、私など相手にしてもらえそうにない若い方だが、本(活字)は、私を拒まない。そこがありがたい。
 ただ、老少不定、宮迫千鶴さんがこの世の人でないのは悲しいことだ。帯津三敬病院で死去されたのは、昨年の6月19日だという。
 
 今日読み始めたのは、『美しい庭のように老いる』。
 この本を書かれた時の作者は、50歳の前半である。
 50歳で考える老いと、60歳、70歳で考える老いには、かなりの違いがありそうだと思いながら、それでも、この作者の歯切れのいい文章を楽しんで読んでいる。

 例の有名なターシャ・テューダーも、宮迫さんの憧れの老女だったようだ。

 <真似をしたいのは、あの自己流を貫く精神の強さである。彼女は言う。「人生は短いのだから、思う存分楽しまなければ」と。
  なんと素敵な老いの言葉だろう。>

 これは、ターシャについて書かれた文章の一箇所である。

 ここまで書いたら、来訪者があって、パソコンを閉じなければならなくなった。  (今日はここまで…)

 (写真は、昨夜眺めたお月様。12夜? 梅雨の晴れ間のお月様は、隣家の屋根の上で、ちょっと淋しげであった。)

          
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新井満著 自由訳『般若心経』

2009-07-05 | 身辺雑記
 自らを省みて、どう甘く評価しても、篤信の人間とはいえそうにない。
 しかし、若い日から、仏教関係の書に、眼を背けてきたわけではない。
 生き方に疑問を抱くとき、ささやかな躓きに打ちひしがれるとき、あるいは関心が高まるとき、歎異抄を読んだり、般若心経の教えを繙いたりした。
 でも、それが、心の支えとなることはなかった。
 
 昨日、今回求めた新井満氏の自由訳『般若心経』を読んだ。
 自由訳を読む限り、教えの表面は理解できるのだが、まだ私の魂の救いとはなり得ない。意味が分かることと悟りとには、大いなる隔たりがありそうだ。

 今回も、肝心な自由訳の部分よりも、

   「あとがき」に代える十二章
    母が遺してくれたもの

 の方に、より感動した。
 こうした感じ方は、作者の意図に反することであろうか?
 そして、作者にとっては不満だろうか?

 『般若心経』の自由訳は、また日を改めて繰りかえし読むことにしようと思う。
 

          
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