私は、つい最近まで、宮迫千鶴さんを知らなかった。
帯津良一氏の本を読んで、画家、評論家、エッセイストの肩書きを持つ、この女性を知り、関心を抱いた。
早速、沢山の著作の中から、三冊を選んで注文した。
『美しい庭のように老いる』
『魂を大切にする生活』
『宮迫千鶴の小さな楽園の作り方』
本を通して、人脈(人の縁)が、地下茎のように広がってゆく……。
若い時と違って、最近の読書は血となり肉となりにくいのが残念である。それでも、活字に親しんでいる一瞬は楽しいし、雑念を払うこともできる。
さらに、その作者には、格好な話し相手にもなってもらえる。
宮迫千鶴さんは、私など相手にしてもらえそうにない若い方だが、本(活字)は、私を拒まない。そこがありがたい。
ただ、老少不定、宮迫千鶴さんがこの世の人でないのは悲しいことだ。帯津三敬病院で死去されたのは、昨年の6月19日だという。
今日読み始めたのは、『美しい庭のように老いる』。
この本を書かれた時の作者は、50歳の前半である。
50歳で考える老いと、60歳、70歳で考える老いには、かなりの違いがありそうだと思いながら、それでも、この作者の歯切れのいい文章を楽しんで読んでいる。
例の有名なターシャ・テューダーも、宮迫さんの憧れの老女だったようだ。
<真似をしたいのは、あの自己流を貫く精神の強さである。彼女は言う。「人生は短いのだから、思う存分楽しまなければ」と。
なんと素敵な老いの言葉だろう。>
これは、ターシャについて書かれた文章の一箇所である。
ここまで書いたら、来訪者があって、パソコンを閉じなければならなくなった。 (今日はここまで…)
(写真は、昨夜眺めたお月様。12夜? 梅雨の晴れ間のお月様は、隣家の屋根の上で、ちょっと淋しげであった。)
帯津良一氏の本を読んで、画家、評論家、エッセイストの肩書きを持つ、この女性を知り、関心を抱いた。
早速、沢山の著作の中から、三冊を選んで注文した。
『美しい庭のように老いる』
『魂を大切にする生活』
『宮迫千鶴の小さな楽園の作り方』
本を通して、人脈(人の縁)が、地下茎のように広がってゆく……。
若い時と違って、最近の読書は血となり肉となりにくいのが残念である。それでも、活字に親しんでいる一瞬は楽しいし、雑念を払うこともできる。
さらに、その作者には、格好な話し相手にもなってもらえる。
宮迫千鶴さんは、私など相手にしてもらえそうにない若い方だが、本(活字)は、私を拒まない。そこがありがたい。
ただ、老少不定、宮迫千鶴さんがこの世の人でないのは悲しいことだ。帯津三敬病院で死去されたのは、昨年の6月19日だという。
今日読み始めたのは、『美しい庭のように老いる』。
この本を書かれた時の作者は、50歳の前半である。
50歳で考える老いと、60歳、70歳で考える老いには、かなりの違いがありそうだと思いながら、それでも、この作者の歯切れのいい文章を楽しんで読んでいる。
例の有名なターシャ・テューダーも、宮迫さんの憧れの老女だったようだ。
<真似をしたいのは、あの自己流を貫く精神の強さである。彼女は言う。「人生は短いのだから、思う存分楽しまなければ」と。
なんと素敵な老いの言葉だろう。>
これは、ターシャについて書かれた文章の一箇所である。
ここまで書いたら、来訪者があって、パソコンを閉じなければならなくなった。 (今日はここまで…)
(写真は、昨夜眺めたお月様。12夜? 梅雨の晴れ間のお月様は、隣家の屋根の上で、ちょっと淋しげであった。)