ぶらぶら人生

心の呟き

カリンの実

2007-08-29 | 散歩道
 「カリン(榠樝)」は、「花梨」とも書くようだ。
 駅裏の道をゆくと、カリンの木のある家がある。今日、その前を通ってみると、果実の季節になっていた。しかし、豊作の年ではなさそうで、実の数は少なかった。元々、形が歪なうえに、虫に食われたりして、決して美しいとはいえない姿だった。(写真)
 そばには柿の木もあり、青い実がかなり大きくなっていた。
 小雨のなか、佇んでカリンや柿の実を眺め、近づきつつある秋の気配を感じた。

 「かりんあたま(花梨頭)」という言葉のあることを辞書で知った。
 <カリンの果実のようなでこぼこ頭。>と、広辞苑は説明している。
 そんな歪な頭の人など、思い出せない。
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野菊 (嫁菜の花)

2007-08-29 | 散歩道

 野道を歩いていると、菊系の花によく出会う。
 ひっくるめて、私は<野菊>と呼んでいるのだが、野花の本を見ていると、微妙な違いがあり、その違いごとに名前も異なるようだ。
 歳時記では、「野菊」と「嫁菜の花」は、項を別に立てている。
 植物の分類は、大変難しい。違いを見抜く炯眼がないと、みな似たものに見えてしまう。写真は、<嫁菜の花>だと思うが、どうだろう? 絶対の自信はない。写真で見るかぎり、非常に似ている花に<柚香菊>というのがある。
 この秋、二つの見分けができるようになるといいのだが……。

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雨の中の散歩 (アキノタムラソウ ?)

2007-08-29 | 散歩道

 8月の日が残り少なくなった。昨日今日と雨が降って、少し凌ぎやすくなった。本当に暑い夏だった。私にだけ猛暑が襲いかかったわけではないのだが、元来夏の嫌いな身には、とりわけ厳しい暑さがこたえたのだった。身体をいたわる意味もあって、朝の散歩も、7月の半ばころから大いに怠けた。特に今月は、わずか五日しか歩いていない。
 朝の散歩を思い立ったのは、昨年の今日であった。ちょうど一年になる。「散歩道」のカテゴリーをブログに加えたのも、散歩を始めると同時だったように思う。

 上記の記事を書きつつ、自分の記憶に間違いはないだろうかと自信がなくなり、過去のブログを遡って点検したところ、散歩開始は28日だった。その三日後、散歩が三日坊主に終わらなかったところで、その喜びを記し、30日から新たに「散歩道」のカテゴリーを設けているのだった。
 第一日目は、散歩の途中でみた<蓮の花>を添えている。
 記憶が少しずれていた。が、大まかに言えば、散歩も「散歩道」も、始めて丸一年ということである。まだ一年との思いもあるし、一年よく頑張ったという思いもある。

 29日が散歩開始日と思い込んでいた私は、今日から心を新たに(こう書いて、ふと総理を思い出した。言葉だけの、まじめくさった決意は、周囲から見ると、妙に滑稽じみてみえる)二年目へのスタートを切ろうと考えていた。ところが、起きだしてみると、雨であった。まだ体の方が気乗りしないらしく、内心ほっとした。当然の如く朝の散歩は中止した。

 午前中は、弱い雨が止み間なく降り続いた。連日降り続けばうんざりするだろうけれど、雨の日は嫌いではない。傘をさして、家の周辺を散歩してこようと思い立ったのは、11時過ぎであった。着替えたりはせず、家にいるときの服装のままで出かけた。
 帰宅後、万歩計をみると、3000歩ほどプラスしていたから、わずかの散歩であった。
 それでも、道々の草花は、十分、目を楽しませてくれた。
 この花は? と、思うものにも出会った。(写真)
 野花の本を繰ってみて、「アキノタムラソウ」ではないかしら、と思っているのだが、どうだろう? 
 そうだとすれば、シソ科ということになる。花の咲き上るさまは、それらしく見えるが、肝心な花の形が異なるようにも思えるのだが。

 「散歩道」の一年を記念し、「私の見た道野辺の植物たち」とでも題して、私固有の図鑑を編集してみようと思っている。「草花舎の四季」は、別の写真集としてまとめたい。
 撮影したまま、ブログには掲載せず、保留しているものも含めれば、この一年には、かなりの草花との出会いがあった。

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8月の庭 (大蘇鉄)

2007-08-28 | 草花舎の四季

 王者のような大蘇鉄は、草花舎の庭にあって、格別の存在感を示している。(写真 27日)春先だったかと思うが、一度丸坊主にされたのに、今はまた新しい葉を勢いよく伸ばしている。

 昨日は、きびしい残暑のなか、大蘇鉄といえども、<さすがにまいるなあ>といった表情だった。硬質な葉を威勢よく広げるためには、いくら南国系の植物とはいっても、水分が必要だろう。

 その名前の由来について、ある本は実にそっけなく、<中国名が蘇鉄で、和音読みにしたもの>と記してあった。が、歳時記には、<枯れそうになった時、鉄釘を刺すと蘇生するといわれることからの命名だ>と、容易には信じがたいが、あるいはあり得ることかもしれない、と思われるようなことが書いてあった。
 とにかく、風格のある植物だと思う。少々の難儀に遭ってもへこたれそうにはない。
 「蘇鉄の花」は、別名「ご赦免花」ともいうようだ。
 歳時記によると、<かつて流人の島、八丈島にこの花が咲くと囚人ご赦免の船がついた>ということから、別名の呼び方が生れたのだとか。
 私は、蘇鉄の雄花も雌花も見たことがない。毎年、咲くものではないのだろうか。
 草花舎の蘇鉄の、一つの樹頭部分が、黄色い笠を被ったように見える。あれはなんだろう? と思いつつ、いつも眺めているのだが……。

 
 今日は思いがけず、草花舎に立ち寄ることになった。
 Jさんの葬儀に参列するため、行きは送迎バスで出かけた。
 Jさんにお別れの花を手向け、葬儀場の玄関に佇んでいるとき、草花舎のYさんにお会いした。そして、帰りは誘われるままに、Yさんの車にありがたく便乗させてもらったのだった。(バスで帰途についていれば、下車後、家に帰りつくまでに、ずぶ濡れになっていただろう。折りたたみの日傘しかもっていなかったから……。)

 葬儀場を出て、国道を走り始めた途端、いきなりの驟雨となった。雷鳴が轟き、篠つく雨となったのだ。
 雨宿りをかねて草花舎に寄り、コーヒーをいただきながら、二人でJさんを偲んだ。二人とも、故人をよく知り、互いに別離の悲しみをもてあまし気味だったのだ。
 雨は、意外に長く降り続いた。草花舎の建物も、激しい雨に包まれた。
 窓の外に降る雨を眺めながら、きっとJさんへの涙雨だろうと、二人で話した。
 Jさんの思い出から、さらには人生のあれこれを語り合っているうちに、雨が上がった。おりしも喫茶のお客が入ってこられたので、話の続きはまたと、帰途に着いた。
 雨が上がって、戸外は少し涼しくなっていた。が、遠雷はなお鳴り続けていた。 

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8月の庭 (角虎の尾)

2007-08-27 | 草花舎の四季
 草花舎の裏庭に咲いていた花。(写真 27日)
 これは「カクトラノオ(角虎の尾)」、と自信を持って眺めた。昔住んでいた家の庭に、母が植えていたのだ。

 思い込みの間違いだってあるので、草花舎の棚から、花の本、「花おりおり」を取り出して開いてみた。
 <シソ科の花で、花序も茎も四角い>と記してあったので、もう一度庭に下りて確認してきた。多分間違いないだろう。「ハナトラノオ」ともいうようだ。

 サクラソウ科には「オカトラノオ(岡虎の尾)」というのがあるとも書いてあった。
 帰宅後、草花の本、「野に咲く花」で調べてみた。
 こちらは、山野でよく見かける花らしい。花期は6,7月頃とある。あるいは散歩の途中、名前が分からないまま、見過ごしていたかもしれない。
 来年の楽しみにしておこう。
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8月の庭 (百日紅 白)

2007-08-27 | 草花舎の四季
 草花舎の前庭にある、淡いピンクの花を咲かせる百日紅については、既に書いた。
 昨日、裏庭の木々の間を歩いているとき、足元に落ちている白いびろびろの花びらに気づいた。これは百日紅らしいと、梢を見上げた。
 木が蜜に繁っていて、窮屈そうに花をつけていた。花も咲き満ちて、陽に白色を輝かせていた。少し疲れた風情も見せながら。(写真 27日)

 ※ びろびろの花びら、と書いて、この表現は妥当だろうかと広辞苑を引いた。花びらの形容としての説明はなかった。が、直感として感じたことなので、書き換えはせず、そのままにしておくことにする。
 「びろびろ」の項には、<意地きたなく探しまわるさま。異性に対してだらしのないさま。>と出ていた。そのような言い方は、私にとっては、あまりなじみのない表現なのだが、辞書の説明にあるからには、私が使い慣れないだけなのだろう。
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8月の庭 (花水木の実)

2007-08-27 | 草花舎の四季
 昨日の草花舎の庭は、ずいぶん暑かった。帽子を忘れたために、天からの直射日光を存分浴びて。それでも、お庭を一巡した。
 花水木(赤い花)の下に行くと、くたびれた葉っぱの傍に赤い実がなっていた。(写真 27日)こんな艶やかな実をつける木なのかと、ただ感心して眺めた。

 無知は、常に新たな感動を生む源でもあるようだ。
 
 白い花の花水木は、白い実なのだろうかと、その木の下に行ってみたが、まだ実らしいものは見つからなかった。赤ちゃんの乳首のような小さな小さな塊がついていたが、それがやがて実となるのかどうか、今のところ分からない。 
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8月の庭 (コニファーの一種)

2007-08-27 | 草花舎の四季
 午前中、友人のW・Tさんが岡山に行ってきたと、名物の「きびだんご」など、お土産を届けてくださった。可愛いお菓子をいただきながら、午前のコーヒーを共にした。

 その後、お昼には草花舎を訪れた。
 今朝未明の雷雨が、少しは涼しさを運んでくれるかと期待したが、全く効果はなかった。片道10分の道のりの暑かったこと!

 カメラを持って、草花舎のお庭歩きをするためには帽子が必要なのに、無帽で出かけてしまった。だから、お庭歩きもかなり堪えた。
 お庭を歩くと、季節はずれの落葉が、カサコソと音を立てた。木々も暑さにまいっているらしい。

 あの木は? と、庭にある針葉樹を指差すと、Yさんは、<コニファーの仲間>だと、教えてくださった。濃い緑の多いなかにあって、浅い緑が目を惹く。(写真)
 私にとっては、コニファーという種さえ、初めて耳にする名前だったので、帰宅後、ネットで調べてみた。
 そこで分かったことは、以下の点である。
 <コニファー>とは、
   「球果植物」の意味。
   針葉樹の総称。
   日本古来のマツ、スギも、この仲間。
   樹形様々。
   葉色――濃緑から銀白まで変化に富む。
   多彩な空間構成のため、必要不可欠な植物。
 等々の特色を知ることができた。

 今後は、コニファーの仲間たちにも、目を注いでみようと思う。
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久しぶりの来訪者

2007-08-27 | 身辺雑記

 暑さのせいか、老いのせいか、このところ読書に集中できない状態が続いている。
 昨日は、午後のひと時、久々に姿勢を正して活字を追ってみた。すると、思いのほか、読むことに興が乗り、夢中で読み進めることができたのだった。ところが、そこへ、来訪を告げるベルがなった。

 玄関に出てみると、久しぶりの来訪者は、Y・Sさんだ。20余も前に、同じ職場で席を並べていた人である。
 「お久しぶりです。近くを通りかかったもので……」
 と挨拶する人を見れば、私よりはかなり若いはずだが、剛毛に白髪が交じっている。彼もはや、初老の人かと思いつつ、
 「本当にお久しぶりです」
 と、私も応じ、時間が許せば、お上がりくださいと招じ入れた。

 職を辞してからは、専ら菜園作りに精を出していると語る人は、夏の日差しが体に染み入り、健康そうである。
 前回会ったのがいつのことか、互いに思い出せないのだった。少なくとも、10年は経っている。だが、そんな歳月が流れているような気がしないのは、なぜだろう?
 生き方、人生の歩み方はまるで異なるのに、なんの違和感もなく、昔日に帰って話し合えるというのが不思議だ。20余年前の続きを再現しているかのように。
 
 二時間ばかり話したとき、日暮の気配が漂い始めた。
 「ではまた…」
 と、互いに再会の日が確実にあるかのような別れ方をしたが、ふと、これからの人生には、<ではまた>という約束が、甚だしく不確定なものであることを思った。というのも、前回のブログに書いたように、昨日は、若いJさんの訃報に接し、人との別れの不定をしみじみ感じていたからでもある。

 人との交わりに消極的な私は、ほとんど自分の方から他者を訪問することはない。しかし、来訪者を拒んだりはせず、快く受け入れる方である。
 Y・Sさんの来訪も、実に気まぐれである。近くを通りかかって思い出してもらったのである。次回、近くを通りかかられる日が、いつかの日に、あるのかないのか。
 大学卒業当時なら、10年後にお会いしましょう、という約束がそう不自然ではないが、初老を生きる身となっては、10年サイクルの出会いの約束など、あってないに等しいもののように思えるのだ。

 (写真は、私の育てた朝顔。朝顔はやさしいが、はかないものの象徴のような花である。) 

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就寝の前に (13夜の月、Jさんとのお別れ)

2007-08-26 | 身辺雑記

 ブログはお休みにしようかと思ったが、就寝の前に、やはりJさんへのお別れを記しておこうと思い、パソコンを開いた。外に出てみると、月が隣家の屋根の上に明るんでいた。ほぼ満月に近く見えるが、13夜の月のようだ。月を眺めているうちに、ひとりでにJさんを偲んでいた。
 Jさんに月を眺める趣味があったかどうかは知らないが、Jさんはもう月を眺める側の人ではない。すでにこの世の人ではないのだが、ふと、Jさんの朗らかな声が聞こえてきそうだった。月のある空の高みから。<やっと楽になれたよ>と。
 あたりに虫の声が満ちている。それもJさんの耳には届かないのだなと思うと、ひとりでに、涙で月が霞んだ。

 お昼前、Jさんの訃報が届いた。
 容態がかなり悪いようだとは、先日、草花舎でうかがっていた。が、こんなに早くお別れの日がこようとは思っていなかった。
 しかし、意外な死ではない。十分予測し得る死であった。
 Jさんの晩年は、癌とともに生きられる日々であった。余命の乏しい状態にありながら、Jさんはいつも気丈だった。

 私よりはずっと若い、薬局の店主である。私はその顧客の一人に過ぎないのだが、ただ単に店主と顧客以上の親しみを感じて過ごしてきた。Jさんを知る人の心には、私同様の思いがあるのではないだろうか。
 私の知るJさんは、ずいぶん話好きで、その話題が陽性だった。
 Jさんのお店で、30余年間、常用の薬をいただいてきた私は、お店に行くと、用を済ませて、<ではさようなら>と、直ちにお店を後にすることはほとんどなかった。いつも、なにかしら会話が弾むのだった。Jさんはお客に合わせて、自在に会話を楽しむことのできる人だったようだ。

 薬のまとめ買いをする私は、そうしばしば薬局を訪れているわけではない。
 一週間に一度、抗癌剤の治療を受けられるようになって、かなり経ってから、お会いしたときも、病む人の暗さは全くなかった。しかし、実際は相当苦痛があったのだと思う。治療を受けた後の三日間はかなり難儀で、一週のうち気分のいい日は半分に満たないと話しておられた。それでも、お店に出て人に会っている方が気分が紛れる、と磊落に話しておられた。同情を請うような姿は全く見せられなかった。
 その後、お店のしまっている方が多くなった。草花舎へ行くとき、あるいはバスや車の車窓から、入り口の閉ざされたお店に気づくと、いつもJさんの容態を気にしてきたのだが……。
 
 昨年の五月ころであっただろうか、お店に寄った時、パソコンの話になった。Jさんは自らパソコンを店頭に持ち出し、パソコン歴の長い先輩として、実に気楽にいろいろなことを教えてくださった。なかでも、使い勝手のいい「ウィキペディア」のことを教えてもらったのは、その後の調べに大いに役立った。(その知識を得て、暫くしてからだった。朝日新聞が「ウィキペディア」についての特集を掲載したのは。)

 私がブログを始めたと話すと、Jさんは、
 「ぼくは専ら、アダルト系だから」
 と、男女の機微を載せた記事内容について、楽しそうに語ってくださったのが、忘れられない。
 「でも面白いよねえ、アダルトなんか見ているうちに、不思議なことに、深刻な病と闘う人の手記に行き当たったりして、馬鹿みたいにポロポロ涙を流して読んだりして……」
 と、内面の一部をうかがい知ることのできる話をされたことも、今思い出す。
 Jさんの人柄が、どんな話にも、そのまま出てきて、語らいの楽しい人だった。

 もう再び、Jさんと話すことはないのだと思うと、やはり無性に淋しい。
 28日の葬儀には、一応のお別れをしてこよう。しかし、人の心に想い出を残した人は、亡き後も、その人の心に生き続けるのだと私は信じている。そう思うと悲しみも、少しは薄らいでくれる。 

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