13日、お庭を歩くと、花の名残はあったが、あの甘やかな香は薄れていた。
食事をし終えて、テラスに立ってみると、遠くから見るクサギの花は、それなりの風情を保っていた。集団の美として、これはこれでいいと思いつつ眺めた。(写真 13日)
花は間もなく完全に終わりのときを迎えるだろう。これから先は、秋の実の色づくのが楽しみである。
草花舎の庭に、<わたし、もうへとへと>といった感じで咲いていた花。(写真 13日)
花ばかりでなく葉もぐったりしている。
Yさんの話では、夕方になると、しゃきっとして元気になるのだとか。強烈な日差しに弱いのだろう。私に似ている。
名前は分からない。
昨日、兄や妹たちと墓参に出かけた。
山々のところどころに、立ち枯れの木があり、今年の猛暑の異常さを物語っていた。日照りに弱い木なのだろう。一、二本ではなく、車窓をよぎる山のあちこちに、赤茶けた木の姿があった。よほど根の浅い木なのだろうか。大地の深くにある水源にまで根が達していないのかもしれない。枯れている木は、遠目にも、みな同じ種類のように思えた。
毎年、お盆のお墓参りに通る道で、こんな光景を見たのは初めてだ。
雨が降らない上に、濃い日差しが続けば、人間ばかりでなく、他の生き物だって、悪影響を受けて不思議ではない。
道野辺の草も、水分不足の哀れげな姿を呈していた。
草花舎の庭には、イヌビワの木が2本あることに、先日初めて気づいた。
前々からその存在を知っていた木は、どういうわけか、実のなり方が少ない。庭の木々を眺めながら歩いていると、奥まったところに、イヌビワに似た実をつけた木が、もう一本ある。足を止めて眺めた。これもイヌビワだろうかと、半信半疑でカメラに収め、Yさんにその名を確認すると、間違いなくイヌビワとのことであった。(写真 13日)
こちらの木は、豊かに実をつけていた。よく見ると、樹皮に特色がある。灰白色の滑らかな肌をしている。
その実と木肌から、この植物は容易に見分けがつきそうだ。
花は、実の中にびっしり詰まっているのだとか。花の常識からは考えにくいが、私の大好物である無花果(いちじく)も、<無花>の果物とはいいながら、実の中に花を詰め込んでいるということなのだろう。
実が花を内蔵する植物は、他にもあるのだろうか?