ぶらぶら人生

心の呟き

与勇輝の人形 (「ごめん下さい」)

2008-10-22 | 身辺雑記
 10日ばかり前に、「与勇輝展」(今井美術館)へ行ってきたと、ATさんから、絵葉書セットをいただいた。
 この人形作家の作品を写真で見るごとに、郷愁を伴う親しみを覚えてきた。

 8枚の絵葉書、それぞれに味わいがあった。が、その中の一枚・<ごめんく下さい>と名づけられた人形(写真)を眺めているうちに、ある風景が思い浮かんだ。
 風呂敷包みを両手で抱きかかえた少女は、内に向かって来訪を伝え、家の中からの反応を待っている。
 <いらっしゃるのかしら?>
 <もしかしてお留守?>
 そんな不安げな眼差しをして佇んでいる。

 いつの間にか、この少女が、私の幼い日の姿に変わっていた。
 祖母のお使いで、よく祖母の父の家にお使いに行った。屋敷に入る門から玄関に辿り着くまでに、随分長い道を歩いたような気がする。
 夏には、草いきれのする小径が長く続いて……。
 子供時代には、全てが事実よりは過大に見えやすい。曽祖父にまつるわる思い出も、子供の目に映った過大化された風景が、今なお、心の風景となっているだけなのかもしれない。
 嬉しいお使いではなかった。
 そこには、長い、真っ白な顎鬚のおじいさんがひとり住んでいて、私は祖母からの預かり物を届けねばならなかったので。
 私も、<ごめん下さい>と、声をかけ、中の様子をうかがったに違いない。
 少女時代は、私も着物を着せられていることが多かった。赤い鼻緒の下駄を履いていたこともあるだろう。
 引っ込み思案の私は、大きな声さえ出せずに、おじいさんの気配を窺っていたように思う。
 屋号を「ようろや」と言った。どんな漢字で書くのか知らない。
 豊かな、白いひげの長さは、20センチ以上あったように思う。しかし、これも子供の目に焼きついたものであり、実際とは異なるのかもしれない。

 曽祖父の風貌と古い屋敷の情景に合わせ、おじいさの大きな手が私の頭をなで、お使いをねぎらってくれたとき、やっと安堵の思いに至ったことなども、この人形は思い出させてくれた。
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