三江線は、走行距離118.9キロのローカル線である。
私の乗った午後の列車は、乗車時間が3時間39分。
<のぞみ>に乗って東京を発ったら、岡山に楽々着ける時間と同じだ。
いささか時間がかかりすぎだと思っていたところ、二駅で、随分長く停車した。
浜原駅と口羽駅と。
浜原で9分、口羽では15分停車した。
乗客は、ぐっすり眠っている坊や以外、みな立ち上がってホームを歩いたり、緑の空気を吸ったりした。
浜原駅に止まったとき、私も下車し、乗車している車輌をカメラに収めた。(写真①)
車体の左上の隅に、<三次>と行き先が示してある。
私は、大昔、三江線の列車で、浜原の一駅手前の粕淵に下車したことがある。
その駅近くの山間に湯抱温泉があって、そこに一泊したのであった。
多分バスに乗って湯抱に入ったのだろうと思うけれど、詳細は思い出せない。宿泊した旅館も。
ただ、宿から歩いてゆける距離に、斎藤茂吉の歌碑があった。
記憶が曖昧であるけれど、歌碑の歌は、こここそ人麻呂の終焉の地だと詠っていた。
人麻呂の最期の地については諸説があるようだが、柿本人麻呂の研究者でもあった斎藤茂吉は、歌碑に次のような歌を書き残し、自説を主張していたように思う。
<人麻呂がついの命を終わりたる鴨山をしもここと定めん>
(覚え違いの箇所があるかもしれないけれど…)
三江線にまつわる思い出といえば、粕渕、湯抱温泉、茂吉の歌碑のみ。
そこから先は、初めて辿るコースであった。
浜原での停車中、運転手に、県境の駅はどこかと尋ねてみた。
<㋑○○㋛(私の耳には<イタバシ>と聞こえたが、正しい地名は伊賀和志(いがわし)であった)で、一度広島県に入るけれど、また島根県を通り、香淀(ごうよど)から先は広島県になるのだ>と。
山間を縫うように、くねくねと奥石見から奥備後へと三江線は走っているらしい。
二度目の長い停車は、口羽駅であった。
ホームに下りると、名所案内の看板があった。(写真②)
この山間の川には、ゲンジボタルの飛ぶ、幻想的な静寂の地があるらしい。
看板を見ながら佇んでいると、すぐそばの青田で、蛙が鳴いていた。
さすらい人の寂寥を覚えた。
少し離れた位置に、朱色の棒が立っていた。近づいてみると、10センチ刻みの印がつけてあった。80センチまで。
積雪の深さを知るための標識であろうか。
なんでもない、どうでもいいものとの出会い、それもローカル線の楽しさかも知れない。
作木口(さくぎぐち)を出てしばらくすると、それまで喘ぐように上り続けていた列車が、ゆるやかに下り始めたように思った。車窓に見える川の幅も広がりを見せ始めた。県境を越えた様子である。
と、間もなく到着した駅が、香淀(ごうよど)であった。
いよいよ広島県入りしたのであった。
①
②
③
私の乗った午後の列車は、乗車時間が3時間39分。
<のぞみ>に乗って東京を発ったら、岡山に楽々着ける時間と同じだ。
いささか時間がかかりすぎだと思っていたところ、二駅で、随分長く停車した。
浜原駅と口羽駅と。
浜原で9分、口羽では15分停車した。
乗客は、ぐっすり眠っている坊や以外、みな立ち上がってホームを歩いたり、緑の空気を吸ったりした。
浜原駅に止まったとき、私も下車し、乗車している車輌をカメラに収めた。(写真①)
車体の左上の隅に、<三次>と行き先が示してある。
私は、大昔、三江線の列車で、浜原の一駅手前の粕淵に下車したことがある。
その駅近くの山間に湯抱温泉があって、そこに一泊したのであった。
多分バスに乗って湯抱に入ったのだろうと思うけれど、詳細は思い出せない。宿泊した旅館も。
ただ、宿から歩いてゆける距離に、斎藤茂吉の歌碑があった。
記憶が曖昧であるけれど、歌碑の歌は、こここそ人麻呂の終焉の地だと詠っていた。
人麻呂の最期の地については諸説があるようだが、柿本人麻呂の研究者でもあった斎藤茂吉は、歌碑に次のような歌を書き残し、自説を主張していたように思う。
<人麻呂がついの命を終わりたる鴨山をしもここと定めん>
(覚え違いの箇所があるかもしれないけれど…)
三江線にまつわる思い出といえば、粕渕、湯抱温泉、茂吉の歌碑のみ。
そこから先は、初めて辿るコースであった。
浜原での停車中、運転手に、県境の駅はどこかと尋ねてみた。
<㋑○○㋛(私の耳には<イタバシ>と聞こえたが、正しい地名は伊賀和志(いがわし)であった)で、一度広島県に入るけれど、また島根県を通り、香淀(ごうよど)から先は広島県になるのだ>と。
山間を縫うように、くねくねと奥石見から奥備後へと三江線は走っているらしい。
二度目の長い停車は、口羽駅であった。
ホームに下りると、名所案内の看板があった。(写真②)
この山間の川には、ゲンジボタルの飛ぶ、幻想的な静寂の地があるらしい。
看板を見ながら佇んでいると、すぐそばの青田で、蛙が鳴いていた。
さすらい人の寂寥を覚えた。
少し離れた位置に、朱色の棒が立っていた。近づいてみると、10センチ刻みの印がつけてあった。80センチまで。
積雪の深さを知るための標識であろうか。
なんでもない、どうでもいいものとの出会い、それもローカル線の楽しさかも知れない。
作木口(さくぎぐち)を出てしばらくすると、それまで喘ぐように上り続けていた列車が、ゆるやかに下り始めたように思った。車窓に見える川の幅も広がりを見せ始めた。県境を越えた様子である。
と、間もなく到着した駅が、香淀(ごうよど)であった。
いよいよ広島県入りしたのであった。
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②
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