20日、21日、頭部と心臓の検査を受けた。
20日は、24時間心電図(ホルター心電計)をつけるだけ。
待ち時間も少なく、午前中に帰宅できた。
21日は、ホルター心電計(ホルターは、心電計を考案した人)を外してもらった後、同じ場所で、<起立テスト>を受けた。
普通の心電図検査の後、隣の部屋に移り、ベッドに横たわって10分の安静。その後1分置きに3回、血圧検査。
次は、立ち上がって腕を台に乗せ、1分置きに10回、血圧検査。
(看護師さんから、「残り3回です」と、声をかけられたほかは、沈黙の時間。)
すべてが終わった後、ためらいつつ、血圧の数値を尋ねた。
「安静時が、130です」
とのこと。
今日は正常な血圧らしいと安堵する。
「起立時は?」
と、重ねて尋ねた。
「110です」
との返事だった。
どういう数値が理想的なのか、全く分からない。
29日に、先生の総合診断を仰ぐだけだ。
私は内心、立った方の血圧が高いだろう、と思っていた。
が、高いのは、安静時の血圧だった。
一旦、神経内科の窓口にゆき、次の指示を待った。
間もなく、MRIの検査室前に案内された。
そこで暫く待たされたので、バッグに入れていた本(田中修著『雑草のはなし』<中公新書>)を取り出し、栞を挟んだページを開けて読み始めた。
スズナ(アブラナ科)とスズシロ(アブラナ科) P34
<……与謝蕪村は、住んでいた大坂天王寺がカブの産地であったため、「俳号を蕪村とした」という。>
と、記されていた。
そうだったの?!
と、新知識に感心していると、検査室から入室を促された。
検査用の衣に着かえて、いよいよMRI検査が始まった。
数年前、腰に違和感があって、MRI検査を受けたことがある。
狭い筒?の中に身体を入れ、いつ果てるか分からないガタガタゴトンという不気味な音を聞いているのは、不快だった。
病的とは言えないかもしれないが、閉所恐怖症気味である。
<狭い空間>は、嫌いである。
(知らない場所で、トイレを使用するのは、非常に不安である。)
以前の経験を活かし、どれくらいの時間がかかるかを、あらかじめ尋ねておいた。
20分ないし30分とのこと。
それぐらいなら耐えられるだろうと暗示をかけて臨んだ。
台の上に横たわると、遠いところから、「ニッ ポン ニッ ポン」といっているような音が聞こえる。
サッカーの試合などで聞く応援の声に似ている。
機械の操作音なのであろう。
その後は、様々な検査音が続いた。
ガタガタ ガッタンガッタン ガチャガチャ ゴトンゴトン
シュワ―シュワ― ザワザワ などなど
ガ行音やザ行音が多かったような気がする。
強い音、激しい音、優しい音、包み込むような音など、音響の性質は異なっていた。
一つの検査コースが終わるごとに、「ポアーン」という合図音が入る。
幾コース、あったのだろう?
音を楽しんでいるうちに、検査完了。
怖さや不安はなかった。
(ただ、台の上に上がった時、両手を脇に置くよう指示され、<気をつけ>の姿勢をとった。
寝るときは、お腹の上に手を重ねておく習慣があるので、何もない腹部が、少々不安がっていた。)
さて、結果はどうなるのか?
最近の<言葉忘れ><文字忘れ>を考えると、脳は縮小しているに違いない。
転倒とは、別問題?
検査によって、付録の発見も、いろいろあるだろう。
すべては、29日の診察を待つしかない。
バス停で、時刻表を確かめているとき、妹から声をかけられた。
検査が無事終わったかどうか、様子を見に来てくれたようだ。
バスの発車まで時間があるので、日赤前にあるスーパーに入った。
レストランで食事をして帰宅。(妹は家庭があるので、そのまま自家へ。)
バス停近くにある楠とその幹に密生したノキシノブ
植物の生命力の強さに、改めて感心しながら、大樹とノキシノブを見上げた。
夜は、蕪村について調べたり、<蕪村>名に関わりがあるという陶淵明の「帰去来辞」を読み直したりしているうちに、10時になった。
検査の疲れも加わり、夜更かしの限界を感じ、いつもより早めに就寝した。
20日は、24時間心電図(ホルター心電計)をつけるだけ。
待ち時間も少なく、午前中に帰宅できた。
21日は、ホルター心電計(ホルターは、心電計を考案した人)を外してもらった後、同じ場所で、<起立テスト>を受けた。
普通の心電図検査の後、隣の部屋に移り、ベッドに横たわって10分の安静。その後1分置きに3回、血圧検査。
次は、立ち上がって腕を台に乗せ、1分置きに10回、血圧検査。
(看護師さんから、「残り3回です」と、声をかけられたほかは、沈黙の時間。)
すべてが終わった後、ためらいつつ、血圧の数値を尋ねた。
「安静時が、130です」
とのこと。
今日は正常な血圧らしいと安堵する。
「起立時は?」
と、重ねて尋ねた。
「110です」
との返事だった。
どういう数値が理想的なのか、全く分からない。
29日に、先生の総合診断を仰ぐだけだ。
私は内心、立った方の血圧が高いだろう、と思っていた。
が、高いのは、安静時の血圧だった。
一旦、神経内科の窓口にゆき、次の指示を待った。
間もなく、MRIの検査室前に案内された。
そこで暫く待たされたので、バッグに入れていた本(田中修著『雑草のはなし』<中公新書>)を取り出し、栞を挟んだページを開けて読み始めた。
スズナ(アブラナ科)とスズシロ(アブラナ科) P34
<……与謝蕪村は、住んでいた大坂天王寺がカブの産地であったため、「俳号を蕪村とした」という。>
と、記されていた。
そうだったの?!
と、新知識に感心していると、検査室から入室を促された。
検査用の衣に着かえて、いよいよMRI検査が始まった。
数年前、腰に違和感があって、MRI検査を受けたことがある。
狭い筒?の中に身体を入れ、いつ果てるか分からないガタガタゴトンという不気味な音を聞いているのは、不快だった。
病的とは言えないかもしれないが、閉所恐怖症気味である。
<狭い空間>は、嫌いである。
(知らない場所で、トイレを使用するのは、非常に不安である。)
以前の経験を活かし、どれくらいの時間がかかるかを、あらかじめ尋ねておいた。
20分ないし30分とのこと。
それぐらいなら耐えられるだろうと暗示をかけて臨んだ。
台の上に横たわると、遠いところから、「ニッ ポン ニッ ポン」といっているような音が聞こえる。
サッカーの試合などで聞く応援の声に似ている。
機械の操作音なのであろう。
その後は、様々な検査音が続いた。
ガタガタ ガッタンガッタン ガチャガチャ ゴトンゴトン
シュワ―シュワ― ザワザワ などなど
ガ行音やザ行音が多かったような気がする。
強い音、激しい音、優しい音、包み込むような音など、音響の性質は異なっていた。
一つの検査コースが終わるごとに、「ポアーン」という合図音が入る。
幾コース、あったのだろう?
音を楽しんでいるうちに、検査完了。
怖さや不安はなかった。
(ただ、台の上に上がった時、両手を脇に置くよう指示され、<気をつけ>の姿勢をとった。
寝るときは、お腹の上に手を重ねておく習慣があるので、何もない腹部が、少々不安がっていた。)
さて、結果はどうなるのか?
最近の<言葉忘れ><文字忘れ>を考えると、脳は縮小しているに違いない。
転倒とは、別問題?
検査によって、付録の発見も、いろいろあるだろう。
すべては、29日の診察を待つしかない。
バス停で、時刻表を確かめているとき、妹から声をかけられた。
検査が無事終わったかどうか、様子を見に来てくれたようだ。
バスの発車まで時間があるので、日赤前にあるスーパーに入った。
レストランで食事をして帰宅。(妹は家庭があるので、そのまま自家へ。)
バス停近くにある楠とその幹に密生したノキシノブ
植物の生命力の強さに、改めて感心しながら、大樹とノキシノブを見上げた。
夜は、蕪村について調べたり、<蕪村>名に関わりがあるという陶淵明の「帰去来辞」を読み直したりしているうちに、10時になった。
検査の疲れも加わり、夜更かしの限界を感じ、いつもより早めに就寝した。
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