ぶらぶら人生

心の呟き

台風去って

2015-08-26 | 身辺雑記
 台風15号が去って、今日は静かな一日となった。
 一気に気温が下がり、少々心寂しすぎるほどである。

 朝、<資源ごみ>を出すため、外に出た。
 そのついでに、台風で汚れた庭を掃除した。
 と言っても、大げさな作業ではない。
 大型と騒がれた台風だが、当地には被害をもたらすこともなく、過ぎ去ってくれたので。
 
 今日も、晴れ間はのぞかない。
 陰鬱な空である。

 いつの間にか、ツバメの姿が見えなくなった。
 家の巣から巣立ったツバメはどれだろう? と、電線を見上げる間もなく…。
 なんだかあっさりと飛び立ったらしい。
 挨拶もなく(!?)と、不満である。
 <帰燕のとき>を、しっかりと見定めたかったのに!
 むなしく、虚空を眺める。

 来年を待つしかない。が、その来年のことは分からない。
 まあ仕方ないことと諦めて、目を地面に移す。

 タマスダレが、三つ咲いている。
 傍らの白山吹は、濃紫色の艶やかな実をつけている。
 その隣のビオウヤナギは、葉の上に、早朝の雨滴を、上手にためている。

         

  


 今日はひととき、活字に親しんだ。
 三分の一のところに、栞を挟んだまま中断していた、黒井千次著『老いのつぶやき』 (河出書房新社・2012年刊)を読了。

                  

 短いエッセイを集めた作品集である。
 日常の体験に基づいて、筆者の所感が綴られた、才知に満ちた本である。
 同世代の黒井千次さんは、好きな作家のひとりであり、今回も、その著作に欺かれることはなかった。

 だが、著書名の『老いのつぶやき』と、帯に記された紹介文は、この本の内容にふさわしくないと思う。
 書かれている内容は、<老い>とあまり関係がない。
 高齢者層向けの本ではない。
 読者層を選ばない内容である。
 そんな意味から、<老い>は、不要だと思う。

 高齢者数の増加に伴って、近年、老いをテーマにした本が、多数出版されている。
 商業的狙いがあるのかと思うほど、<老い>という言葉が、題名のなかに踊っている。
 私自身、老いの身なので、生き方の参考になればと、こうした類の本を求めることが多いのだが…。

 この本に限っては、<老い>が、全くふさわしくない。
 黒井千次さんは<あとがき>で、題名について、わざわざ解説していらっしゃる。
 
  <『老いのつぶやき』という書名は、「老い」について書かれたものを集めたという
   意味ではなく、筆者が六十代から七十代にかけての「老い」の季節を生きる中で
   書かれたものを一冊にまとめた、という意味のタイトルとして受け取っていただ
   ければ幸せである。>


 と。

 著者自身、書名に不自然さをを、お感じになったのではないだろうか。
 私見としては、内容と書名との不一致が、なんだかもったいない気がする。                  
コメント
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