草花舎の紫陽花を眺めている途中、見上げた枇杷の木が、黄色い実をたくさんつけているのに気づいた。生り年らしい。(写真①)
その梢を見上げながら、心の中で、
<あるがまま>
と、ふと呟いていた。
それは、草花舎へ出かける前に読んでいた書物(五木寛之・帯津良一の対談『生きる勇気 死ぬ元気』)に出ていた言葉である。
帯津良一医師と懇意だった太極拳の指導者、故・楊名時という方が、常々言われていたとして、次の言葉が記されていた。
「頼みますよ。私は生きるも死ぬも、あるがままですから」
そして、帯津先生の病院で、死を迎えられた楊さんの最期は、その言葉通りに<あるがまま>を貫かれ、立派であったと。(第2章「理想の死にかた」)
その<あるがまま>を、呟いていたのだった。
枇杷の木を見ていて、思わずその言葉を思い出した背景には、木々の、花々の、あまりに自然な姿に、<あるがまま>を感じたのであろう。
最近は、私自身の死について、以前より考える時間が多くなった。年齢的に当然というか、むしろ遅すぎるくらいかもしれないけれど。
<空手来 空手去>(コン ショウ ライ コン ショウ チ)
≪何ももたずにこの世に生を受け、何ももたずにこの世を去ってゆくのだ≫
という楊名時さんの言葉も紹介してあった。それも思い出していたのだった。
<空手去>は、最期の形として、理想に思える。
なかなかそうはゆかないだろうけれど……。
前庭の片隅には、すっくと伸びた茎に、バラが愛らしい花を咲かせていた。その後ろの黄色い花は、入り口にも咲いている「ヒペリカム・アンドロサエマム」だと思う。(写真②)
①
②
その梢を見上げながら、心の中で、
<あるがまま>
と、ふと呟いていた。
それは、草花舎へ出かける前に読んでいた書物(五木寛之・帯津良一の対談『生きる勇気 死ぬ元気』)に出ていた言葉である。
帯津良一医師と懇意だった太極拳の指導者、故・楊名時という方が、常々言われていたとして、次の言葉が記されていた。
「頼みますよ。私は生きるも死ぬも、あるがままですから」
そして、帯津先生の病院で、死を迎えられた楊さんの最期は、その言葉通りに<あるがまま>を貫かれ、立派であったと。(第2章「理想の死にかた」)
その<あるがまま>を、呟いていたのだった。
枇杷の木を見ていて、思わずその言葉を思い出した背景には、木々の、花々の、あまりに自然な姿に、<あるがまま>を感じたのであろう。
最近は、私自身の死について、以前より考える時間が多くなった。年齢的に当然というか、むしろ遅すぎるくらいかもしれないけれど。
<空手来 空手去>(コン ショウ ライ コン ショウ チ)
≪何ももたずにこの世に生を受け、何ももたずにこの世を去ってゆくのだ≫
という楊名時さんの言葉も紹介してあった。それも思い出していたのだった。
<空手去>は、最期の形として、理想に思える。
なかなかそうはゆかないだろうけれど……。
前庭の片隅には、すっくと伸びた茎に、バラが愛らしい花を咲かせていた。その後ろの黄色い花は、入り口にも咲いている「ヒペリカム・アンドロサエマム」だと思う。(写真②)
①
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