ぶらぶら人生

心の呟き

一日仕事  (家のコスモス)

2008-10-17 | 身辺雑記

 昨日は、<一日労働者>になった。
 朝から、家の内外の掃除をしただけのことであるけれど……。
 しかし、私にとっては、かなりの労働であった。
 長い間、動かしたこともない洋間の大小のソファを移動して掃除をしたり、萎れ始めた紫苑を鎌で刈ってみたり……。
 掃除というのは、し始めるときりがない。
 明日のない人間のように働いて、夕方にはぐったりした。
 私は、実に要領の悪い人間だとつくづく思う。
 大邸宅ではないのだから、もう少し計画的に、自分の力を慮って、計画性をもってやればなんということはないのだ。それができない。

 草を刈るとき、背筋を痛め、どうなることかと思ったが、今朝起きてみると、意外に痛みは薄らいでいた。それより、平素使わない筋肉を労働のために使ったらしく、身体のあちこちが痛む。明日になれば治るだろうけれど。

 昨日は労働(掃除)が、今日は髪のお手入れが、一日仕事となった。
 昨日、働きすぎた疲労もあるのだろう。今日は心身ともに、快調とはいかなかった。

 パソコンを開くのも、夜になってしまった。
 今朝カレンダーをめくり、捨てる前に、16日分に記載してある印刷文を読んだ。
 <悲しみ苦しみは人生の花だ>
 と、記してある。
 坂口安吾の言葉である。
 読みつつ、そんな生き方は、私には至難のことだなと思った。
 悲しみは悲しみ以外のなにものでもなく、苦しみは苦しみ以外のなにものでもない。悲しみや苦しみを人生の花に昇華するなどでっきこない、それが朝の感想だった。
 夜の今も、その思いに変わりはない。
 安吾の言わんとすることは、理解できるけれど。
 この人生訓は、何に出ているのだろう?
 坂口安吾と言えば、「堕落論」「白痴」くらいしか読んでいないのでは?
 書棚から、文学全集を取り出して、ぱらぱら拾い読みをしてみたけれど、そんなことで、日めくりカレンダーに出ていた言葉が見つかるわけはない。

 ふっと『日本名言名句の辞典』(小学館)には出ているかもしれないと思い、<作家作品別索引>で調べてみ。
 坂口安吾の言葉は、かなりたくさん載っていた。
 もちろん、前記の名言も。
 出典は、『悪妻論』(昭和22年)ということも分かったが、私の持っている坂口安吾集の中にはその作品がない。
 どういうくだりに、その名句が出てくるのか、今は調べようがない。探してまで読もうという気はないけれど、何かの弾みで『悪妻論』に出会えたら、読んでみようと思っている。

 夕刻、家に帰ってみると、今朝はまっすぐ立っていたコスモスが、お辞儀の形をして、私を出迎えてくれた。<お帰りなさい>と言わぬばかりに。(写真)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テリハバンジロウの実

2008-10-17 | 身辺雑記

 今年も、ATさんから、実のついた一枝をいただいた。
 それは、<テリハバンジロウ>の小枝。(写真)
 花瓶に挿して眺めている。葉と実の彩を楽しみながら。
 実りのプロセスが一枝の中におさまっていた。熟した赤い実から、半ば色づき始めたもの、更には緑色の実まで、
 葉が艶やかなところから、<テリハ>の名を持つらしく、ネットには、漢字で、「照り葉蕃柘榴」と書いたものもあった。
 英語名は、「strawberry guava (ストロベリー グァバ)」というらしい。

 箱に入れられて、塾した実も、添えてあった。
 酸味のある甘い実を美味しくいただいた。
 秋の味。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツワブキの花、咲いて

2008-10-17 | 身辺雑記

 庭のツワブキが咲いた。13日の夕べの庭に。(写真)
 咲き方が、少し早すぎるのではないだろうか?
 ツワブキ(石蕗)の花は、歳時記の上では<冬の季語>である。
 ここ幾日も続く秋日和には、いささか不似合いな気がする。

 中・高校生のころ、日本海の海沿いを走る山陰本線の列車に乗って、6年間通学した。車窓に眺めた、初冬の寒風の中に咲く、あの黄色い花こそが、私にとってのツワブキなのである。
 心身共に軟弱な私であったが、この花の咲くころは、ツワブキに励まされるように、意志強くありたいと念じた。
 「この花の如く……」と。
 
 近年、ツワブキの咲く時期が早まっているように思うのは、私の個人的な思いであろうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする