ぶらぶら人生

心の呟き

初夢

2007-01-02 | 身辺雑記
 たわいない初夢であった。
 旅の夢……。
 どこから、どこに向かうのかさえ、定かでなかった。
 一人のようであり、二人のようでもあった。
 吉夢のようでもあり、ごく平凡な夢のようでもあった。
 脈絡があるようであり、ないようでもある、たわいない夢であった。
 とにかく、いやな夢でなかったことに安堵する。
 別に、初夢に拘るわけではないのだが……。

 私にとっては、日々が小さな旅のようなもの。初夢のように、<さすらい人>として、ささやかな楽しみが得られたらいい。
 庭に咲いたハナカンザシの小ささに見とれながら、そんなことを思った。(写真)

 昨年の暮れ、友人から初夢について尋ねる電話があった。吉とされる初夢の<一富士二鷹三茄子>について、「なぜ三は茄子なの? 一と二は、およそ想像できるけれど……」と。
 友人は、広島在住の小学生の孫から質問を受けたのだという。
 そう尋ねられてみると、昔から耳にしてきた言葉なのに、その意味を考えたり、吟味したりしたこともない。
 私は、調べたうえで、折り返し電話することにした。

 三に茄子の選ばれた訳をあれこれ考えながら、書棚から、「故事 ことわざの辞典」(小学館)を取り出してみた。

 <夢、特に初夢に見ると縁起が良いものの順。江戸時代からのことわざで、将軍家に縁の深い駿河の国と結びつけた解が多い。富士は言うまでもなく、鷹も茄子(早生)も駿河の名産を並べたにすぎないとする解、駿河で高いもの(「たか」は足高(愛鷹)山の俗称、「茄子」は初茄子の値段)とする解がある。吉夢とする理由としては、富士は広大、鷹はつかみ取る、茄子は成す、あるいは、むだ花がないことをあげる。>

 と、説明されていた。
 友人に電話し、最後の説明が分かりやすいのでは、と話しておいた。

 生まれてこの方、富士山の夢など見たことがない。鷹の夢、茄子の夢も然り。
 私の夢は、荒唐無稽でたわいないものばかりだ。
 が、時にはしんみりとした、懐かしい夢を見ることもある。
 目覚めて、ああ夢でよかったと思うのは、たいてい責任が果たせなくて焦る夢。期日までに仕事が完了しないとか、単純に列車に乗り遅れて遅刻する夢とか……。
 実に爽快なのは、すいすいと車を運転する夢である。無免許なのに、と後ろめたさを覚えながらも、ハンドル捌きの見事さにわれながら感心しながら、田舎道を走り続ける……といった夢。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする