ぶらぶら人生

心の呟き

私の根付(裏)

2007-01-21 | 身辺雑記
 前回に続いて、私の根付に関する話である。
 この根付は、精細緻密という点では、むしろ裏側である。(写真)
 見えないところに力を注いで技を凝らすとは、どういう意味なのだろう?
 実に細い線が刻まれている。どの程度の腕前があれば、こんな線が彫れるのだろうか。
 今は彫り物用の道具も進歩しているだろう。
 この根付は、私の想像では、大正以後のものではないように思う。明治?あるいはそれ以前? よくは分からないが、年代としては、ちょっと古いもののように思う。

 銘も浮かし彫りだし、技術がいりますよ、と田中氏は言われたが、そこに彫られた文字は読めないとのこと。
 私の傍にいた長身の紳士が、どれ?といった感じで手に取り、ルーペを当ててしばらく眺めた挙句、上の字は「空」で、下の字は「有」であると、自信ありそうな様子で、解答をくださった。
 田中氏も、「なるほど空有と読むのですか」と言い、「石見の根付ですか」と尋ねられた。
 石見根付けではない。たぶん金沢? と、私は言葉を濁した。
 それにしても、「空有」とは、どんな人なのか、依然として分からない。それでも、私自身幾度となくルーペを当て、目を凝らしても読めなかった文字を読み解いてもらったので、嬉しかった。

 田中氏の作品を見に行こうと会場を出たところへ、先の紳士が追いかけてきて、紙切れを渡された。
 それには、銘に彫られたとおりの書体(草書?)で、「空有」と書いてあった。
 書家なのだろうか、美しい線の文字であった。
 私は、その紙片を、貴重品として大事にしまった。だが、お礼の言葉が足りなかったと、今になって後悔している。
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私の根付(表)

2007-01-21 | 身辺雑記
 私は一つだけ根付を持っている。(写真)
 こらは、30年以上も昔に、もらったものである。
 「いいものあげよう。根付といってね、骨董的な価値があるんだよ。ネックレスかペンダントの代わりに使えないかなあ」
 そう言って手渡された品物である。
 「こうして磨くと、ますます艶が出るよ」
 とも言われ、とにかく大事にしてきた根付である。一時は、折角いただいたものだから、ペンダントとして使ってみた。が、本来の目的が異なるので、胸の飾りとしては収まりがあまりよくなかった。
 最近は、思い出の品としてジュエリー箱に収め、しばらく手に取ることもなかった。

 が、この度、根付に接する機会があり、久しぶりに取り出してみた。
 懐かしい思いで、幾度も手の中で愛玩した。
 いただいた時も、今も、骨董品にはそれほど興味がない。ただ贈られた品として、懐かしさは一入である。この根付の、かつての持ち主も、今は故人であり、改めて由来などについて尋ねる術もない。

 私は、講演会をよいチャンスだと思い、田中氏に聞いてみることにした。
 材質くらいは分かるかと思ったが、それもよく分からないとの返事だった。
 ただ、根付として、かなり値打ちのあるものだと思う、大事になさってください、とのことだった。ちゃんと銘もと入っていますね、読めないけれど、と眺めておられた。
 私の根付は、田中氏を取り囲んでいた人たちの手へ、次々と渡されていった。

 価値のほどは分からないが、私にとっては大事な宝物の一つである。
 宝物とは、金銭の価値で決めるべきものではなく、そのものにどれだけの思い出が潜んでいるか、だと思う。宝物=思い出の重さと体積、そんなことを考えながら、今もパソコンの横に根付を置いて、眺めているのだ。
 
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「合縁奇縁」 田中氏の講演

2007-01-21 | 身辺雑記
 昨日(1月20日)、石見根付の彫刻家、田中俊睎氏の話を聞きに、グラントワへ出かけた。
 朴訥な人柄に惹かれ、話を楽しく聞いた。(写真の人)
 60代半ばの人らしい。サラリーマン時代から根付彫刻を始め、退職後4年を経たと話しておられた。根付の彫刻歴はかなり長いようだ。
 この石見地方で、昔から根付が盛んに創られていたことなど、つい最近まで知らなかった。「石見根付」と称される文化がかつてあったこと、そして今なお、「木樹会」なる組織を結成して、仲間同士が相集い研鑽を積まれていることなども、全く知らなかった。その会も、来年30周年を迎えるとのこと、しっかりと伝統は根付いているらしい。
 田中氏は、その創始者である清水巌(「石見の左甚五郎」といわれた人)<1733~1811>やその一門の人々、さらには後継者や、田中氏自身が根付彫刻を通して出会った人たちの話など、訥々と、しかし味のある言葉で話された。
 「合縁奇縁」という言葉に基づきながら。
 講演会場に入ったとき、正面に、この4字の熟語が板書されていた。田中氏の人生上の合縁奇縁を語り、この4字熟語は、「愛縁機縁」あるいは「愛縁木縁」でもあると、話された。
 石見には、知られざる優れた文化的遺産のあること、みんなでそれらを大事に磨き育ててゆきたいとも。

 <根付制作 実演と講演>
 「ひと振り ひと彫り 木に学ぶ」
 という演題で、映写機を使っての、根付制作の工程や根付の材質についての説明もあった。
 
 現在開催中の「高円宮家所蔵の根付展」には、田中氏の作品も1点あるとのこと。
 前回見て回ったときには、あまりに作品数が多く、いちいち作者名を確認しなかった。
 そこで、田中氏の作品を見るために、会場を再び訪れた。
 「郷愁」と題された作品は、蛙二匹が向き合って笹舟に乗っている様が彫られていた。素朴な味わいのもので、田中氏の人柄が感じられる作品だった。財は桜。

 田中氏は江津市嘉久志の人と聞き、幼少時4年間を過ごした町なので、一層親しみを覚えた。清水巌の顕彰碑もあるとのこと、いつか、思い出探しもかねて出かけてみたいと思っている。
 
 
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大寒の日・朝の海

2007-01-21 | 散歩道
 昨日は、大寒の入りであった。
 このところ、およそ冬らしくない日が続いている。
 今日も、朝から晴れのお天気。
 波の穏やかな磯には、岩と岩の間に漁船がたゆとうていた。(写真)
 5艘の船が肉眼で捉えられた。サザエを獲っているのだろう。
 世は事もなし! といった穏やかさだ。

 昼前から町に出た。
 町を歩いていると、3月の末か4月の始めといってもおかしくない、そんな暖かさだ。感覚が狂ってしまいそうだ。
 それでも、関東では雪の舞う寒い日だったとか。東西南北、みな同じというわけではないらしい。

 一度くらいは、霏霏と降りしきる雪を見たい。
 雪の中を散歩したいし、鄙びたローカル線を列車に乗り、車窓に降りしきる雪を眺めながら、旅もしたい。
 贅沢な望みだろうか。
 昨年あたりから、寒さに弱くなったと自覚しながらも、冬は冬らしくあってほしいと思う。
 
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この冬の椿 7 (わが家の庭に咲いた第1号)

2007-01-21 | 身辺雑記
  家の庭に、椿の木が三本ある。それぞれ異なる花を咲かせる。
 その中の一本に、昨日、最初の花が咲いた。
 葉も花びらも、しゃきっとしたところがなく、あまり見栄えはよくない。ただ花びらのピンクの淡さが、取り柄だろうか。
 椿の寿命がどれぐらいあるものか知らないが、これは現住地に引っ越すとき、前の住まいから移植した木なので、少なくとも二十余年は過ぎている。
 よく頑張ってるね、とねぎらいたくなる。
 花に似合わぬ堅牢な実を沢山つける木でもある。
 
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