神さまは一人だって考えられてる国と、日本みたいに神さまはたくさんいるって考えられてる国があるでしょ。これって宗教の違いなんだろうけど、どっちが正しい考え方なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
これは結局において、造物主、創造主というものと、地球系霊団の人格神とを分けて考える以外に道はないし、そう考えることが、世界の宗教が一つになるための早道だと思います。
人格を持って地上に出てくる、あるいは霊天上界において人格を持って地上の人を指導する神というのは、この大宇宙を創った神と考えるには、スケールにおいて若干小さく見えることは否めません。大宇宙の神自体が、人間になったり、人間を直接指導したりするというのは、やはり考えにくいことでしょう。
根源神、あるいは根本神、根本仏と言ってもよいけれども、人格を持たない巨大な創造エネルギー、根源的なる力があるということは、やはり認めるべきです。これをいわゆる神という言葉で呼ぶかどうかは別として、根源神、根本仏、宇宙の根源、光の根源自体はある。これを認めることが、東洋と西洋の宗教をまとめるためには、どうしても必要な考え方だと思います。
それを認めたうえで、この地球系ということに限った霊団のなかに、人格を持った偉大な神霊がいることを知るべきです。この偉大な神霊も、九次元というところには、私が説いているとおり、十体の神霊がおります(中略)。そして、この下になりますと、如来界というところでは、様々な宗教で神あるいは大天使と言われるような方が何百人もいらっしゃるわけです。さらにその下の菩薩界へ行けば、万の単位の方が活躍しておられます。
そうしますと、「本来、一神教か多神教か」と言われるわけですが、それは論の立て方にもともと問題があるのです。「一神」と言われる場合と、「多神」と言われる場合の 「神」の概念が同じではないからです。
「天使」を「神」と呼びかえると、多数の天使が実際にはいるわけですから、多神となります。また、もし「造物主」という意味であれば、本来は一体しか存在しませんので、世界の宗教は一神にまとまるでしょう。しかし「人格を持った神」ということになるならば、同じ一神の場合でも、これは選択の問題が発生することになります。
その民族、あるいはその地域、その宗教を特別に守護している九次元神霊を唯一と捉えるならば、これがその一神になります。しかし、残念ながら、それでは世界を包括できていないのが、人類の歴史を見るかぎり明らかです。砂漠の神様は、唯一の神と称されても、残念ながら全世界を統合することはできないでおります。
それはなぜかというと、結局、世界には二つの思想が流れているからです。調和の面が強い思想と、進歩の面が強い思想が出ていて、この二つの思想は、それぞれ矛盾しながら両立しているのが現実なのです。
(216~219ページ)
根源神(根本神、根本仏)という人格を持たない巨大な創造エネルギー、根源的なる力がある。
その上で、地球系に限った霊団のなかに人格を持った偉大な神霊がいる。九次元には十体の神霊、その下の如来界(八次元)には、様々な宗教で神や大天使と言われる方が何百人も、その下の菩薩界(七次元)では、万単位の方が活躍している。
つまり、「一神」と言われる場合と、「多神」と言われる場合の 「神」の概念が同じではないから、そもそも「本来、一神教か多神教か」という論の立て方にもともと問題がある──。
この一神教と多神教の問題は、宗教の世界でまったく解決がつかずに延々と論じられてる問題だと思います。
でも、「天使」を「神」と呼びかえてみると、日本ではなんで「八百万(やおよろず)の神」なんていって、神様が数えきれないほどいることになってるのかが、よく分かってきます。
そして、「人格を持った神」(天使・大天使)の中でも最高レベルの存在(九次元神霊)は、10体おられ、そのうちのいくつかが、ある民族や地域を特に守護していて、そこではおのおの唯一神のように思われている、と。
そして、なぜその九次元神霊であっても全世界を統合できないのかまで、大川隆法先生は、サラッと答えを出してしまわれます。
ここで「調和」と「進歩」と語られたその言葉の深遠な意味については、また次の機会に深く考えてみようと私は思うのです。
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『宗教の挑戦』
大川隆法著 |
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