ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



自分の行き過ぎた欲望って、いけないことだって分かるんだけど、でも自分ではどうしようもないんだよね。この欲望って、どうすれば、なくしていくことができるんだろう? なーんて疑問持ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りの挑戦(上)』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 「心の三毒」という考え方があります。心を毒するものに三種類あると言われています。(中略)
 この心の三毒を簡単に説明してみます。
 まず、「貪(とん)」は貪(むさぼ)りの気持ちです。たとえば、野良犬がごみ箱に鼻先を突っ込んで、食べ物をあさっている状態を想像してみてください。非常に浅ましく貪欲な感じがします。当の本人は気がついていないのですが、傍目(はため)には「なぜそれほどまでに欲が深いのか」「なぜそれほどまでガツガツするのか、浅ましい感じを出すのか」というように見えるのです。
 では、その浅ましさの対象とはいったい何でしょう。まず、食欲です。たとえば、みんなが礼儀作法を心得て食事をしているところに、お腹を空かせた人が一人入ってきて、ガツガツと食べはじめたら、ちょっとたまらない気がします。とてもではないけれども、食事がおいしく食べられなくなります。
 あるいは、性欲というものもあるでしょう。自分を抑えきることができず、とにかく異性を見るともう人間ではなくなってしまうような強い欲望を持っている人がいます。欲望を自己のコントロールのもとに置けない人です。
 この欲には限りがありません。出世欲から始まって、物欲など、さまざまな欲がありますが、とにかく手に入れたくてしかたがないという気持ちです。これが「貪」です。
 要するに、「貪」というのは「奪う愛」に当たるわけです。この「貪」の反対は何かというと、当会で言えば、「与える愛」です。あるいは「布施」という考え方です。これは、ある意味では「貪というものを捨て去りなさい」という教えであるわけです。
 これは、他人を観察してみると、よくわかってきます。第三者の目で見るとよくわかりますが、自分自身では、そう簡単にわからないという特徴を持っています。分不相応な欲望や願いを持っているかどうかということは、自分自身にはなかなかわからないことですが、他人を見るとよくわかるのです。ですから、常に世の中のことをよく観察して、自己を客観視できるようになるための努力が必要になります。
(78~81ページ)

自分自身の行き過ぎた欲望は、自分では分からないものだけど、他人のものはよく分かる。

だから、まず常に世の中のこと、まわりをよく観察することで、自分を客観視できるようにしていく。

それが行き過ぎた欲望をなくすための努力の出発点になる、ということなんだと思います。

今日も勉強になったなあと私は思っているのです。

 

『悟りの挑戦(上)』

 大川隆法著

 

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