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「富士日記」 4 (旧)七月十九日

(散歩道のモミジアオイ)

今日も雲が垂れて涼しい。駿河古文書会の予習をする。「新庭訓往来」の一部で、京の観光案内のようなものだが、この種のものとしては、なかなか骨がある。京都の観光地図と比べながら読んで行く。

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「富士日記」の解読を続ける。

十九日、寅の半ばかりにやありけん。宿を立ちて分け行くに、月、いと隈なくて、道の行手には、松虫、鈴虫、声々に(きほ)るさま、いとおかし。
※ 寅の半(とらのなかば)- 午前4時前後。
※ 隈なく(くまなく)- 影や曇りがないさま。
※ 競う(きほう)- 争う。張り合う。


   立ち帰り またも見てしが 虫の音の
        月に競
(きほ)える 武蔵野の原

駒木野の関にかゝれる頃、明け果てたり。荒垣を越えて、関屋の簀の子のもとに行きて、過所を出したれば、関守ひとりひひらき居たるが、開き見て、通り給えと言えるさま、何となく昔憶えておかし。
※ 駒木野の関(こまきののせき)- もと小仏峠にあった関所が、天正8年に、東側の駒木野の地に移設された。
※ 荒垣(あらがき)- 目のあらい垣。
※ 関屋(せきや)-関所の番小屋。
※ 簀の子(れい)- 簀の子張りの床または縁。
※ 過所(かしょ)- 古代・中世の関所通過の許可証。
(原注 万葉第十五 過所なしに 関飛び越ゆる ほととぎす 数多が子にも 止まず通わむ)
(原注 関市令に云う、凡そ関国に向いて、過所を請う者、本部(居住地の国郡)へ、具(つぶさ)にその事及び人物名を録し、数二通、所司へ申し送る、云々。公式令に過所式有り。唐六典に云う、凡度関者先径本司へ過所を請う、云々。)

※ ひひらく - ぺらぺらとしゃべる。しゃべりまくる。


小仏峠、一里十八町と云うを、攀じ登るほど、例の暑さ耐え難し。道の行く手の竹を折りて、杖に突き、谷陰の清水を掬(むす)び、辛うじて、頂きに登れば、小さき家、二、三軒あり。そこに怪しき駕籠を下ろして、その脇を囲みながら、憩える人、五、六人あり。
(原注 駕籠の名目の古きものに見えたるは、康応二年(1389)三月、鹿苑院(足利義満)殿、厳島詣記に、御前浜の鳥居のほとりより、駕籠にて御舟に移らせ給う、云々)

こなたの主に問えば、咎(とが)は知り侍らねど、甲府より江戸に出で詣ずるか、罪人に侍るなりと聞くに、顕基の中納言の咎無くて、配所の月見てしがな(ね)給いしように、今日の暑さ、この山の(さが)さ、言わん方のう苦しければ、罪無くて、駕籠には乗らまほしくぞ覚ゆる。
(原注 顕基卿は西宮左大臣殿の孫、大納言俊堅(賢)卿の男なり)
※ 配所(はいしょ)- 罪を得た人が流された土地。配流の地。
※ 見てしがな(みてしがな)- 見たい。(見ることを望む気持ち)
※ 祈ぐ(ねぐ)- 祈る。
※ 険し(さがし)-険しい。険阻である。
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