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「富士日記」 6 (旧)七月十九日(つづき)

(隣りの茶畑の徒生えのセイヨウフウチョウソウ)

茶畑にとっては、これは雑草である。ここまで大きくなって花まで咲かせるのは、もはや事件だろう。

午後、静岡へ、駿河古文書会に出席した。紙魚の原稿の確認をされた。投稿者が減ったため、どうして必要なようだ。「明治元年の神座村の御觸控え帳」を纏めてみようと考えている。

夜は、掛川の孫たちが来て、ギョーザを作って食べて帰った。孫たちにとって、夏休み真っ盛りである。

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「富士日記」の解読を続ける。

上野原の坂本に流るゝ川は、相模国、津久井の県(あがた)の果てにて、川より遠(おち)は、甲斐国都留郡なりとぞ。すなわち鶴川の駅家(うまや)に流るゝ、鶴川を徒歩渡りすとて、

   甲斐の国 都留の郡の 鶴川を
        つるはぎにして 渡りつるかな

※ つるはぎ(鶴脛)- 着物の裾が短くて、すねが鶴の脚のように長く現れていること。
(原注 金葉集に、宇治へ罷りける道にて、日頃雨の降りければ、水の出て、賀茂川を男の袴を脱ぎて、手に捧げて渡るを見て、
   賀茂川を つるはぎ(鶴脛)にても 渡るかな    頼朝朝臣
   狩袴をば 惜しと思いて              信綱 )
※ 狩袴(かりばかま)- 地下(じげ)の官人が狩猟のときにつけた括り袴 。貴族のものより幅が狭い。
※ 信綱(のぶつな)- 田代信綱。「平治の乱」で敗れ、伊豆国の蛭ヶ小島に流されていた源頼朝に仕えていたの武将。狩野荘田代郷の地頭。


ほどなく野田尻と云うに至る。長峰、谷の久保などは、また山路にて、いと暑し。昨日、今日の空は、水無月(旧六月)の照る日にも勝りて、野山の土も石も、焼けたるようにて、踏み立て難きほどなり。今日は猿橋までのあらまし(予定)なれど、日も暮れ、甚(いと)困じたれば、犬目と云う所に宿る。
※ 困じる(こうじる)- ひどく疲れる。困憊(こんぱい)する。

今朝より道連れとなりにし富士の行者、歳は六十に多く余れりと云えど、脚は我がどちの及ぶべくもあらず。いと健なり。
※ 我がどち(わがどち)- 我が仲間。
(原注 都良香「富士山記」に云う。役小角始めて、その頂きを登るを得たり。)
(原注 今の世、富士行者と云うものは、元禄中、江戸人覚行と云う優婆塞より始まれりとぞ。)


いま一人は武蔵の雑司ヶ谷のほとり、野寺の満行寺のあざり(阿闍梨)にて、諏訪の湯浴みになん行くなりける。


読書:「雪花菜飯 小料理のどか屋人情帖5」倉阪鬼一郎 著
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