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学生時代の仲間と久しぶりの新年会

憲法学者M氏のYouTubeの番組

昨日、用宗漁港の近く、「幸七」という店で、大学時代の友人との新年会があって、10時半頃出掛けた。約束の11時に用宗の駅頭に立つがそれらしい待ち人はいない。下りが到着して、M氏と、続いてK氏が来た。K氏とは何十年ぶりであろうか。約束の時間が11時30分だったと聞く。聞き間違いだったか。その11時30分に丸子団地在住のO氏が徒歩でやって来た。もう一人、A氏は会場が妹の旦那の店なので、直接店に行ったのだろういう。声を掛けたもう二人は、出席できないようで、5人だけの新年会になった。

全員四捨五入で、80歳の高齢者である。ここにいない人たちのうわさや、現在の自分の近況が主たる話題になる。

A氏は静岡で会計士及び税理士をしており、現役ながら、今は大半ボランティアで、お金は請求しないという。皆んな今や年金もあり、お金には苦労のない人達である。A氏は、最近帯状疱疹をやって、体調がすぐれないと言い、アルコールは飲まなかった。

M氏は埼玉在住、憲法学の名誉教授で、憲法改正の先鋒、論客である。コロナで、忙しかった講演も激減、このごろ漸く少しずつ出始めているという。

占領国の先導で憲法の改正がなされてから70年。敗戦国日本の弱体化が狙いだった憲法である。米国自体が、日本の独立後には、すぐに自主憲法に改正されるだろうと考えていたに違いない。その憲法を未だに改正できないでいる日本の体たらく。9条だけでなく、あちこちに矛盾だらけの憲法を、解釈という嘘で固めないと、日本は成り立たない。孫たちにこんな嘘をどう説明すればよいというのだろう。以上はM氏の言葉ではなく、自分の思いである。

M氏の最新の考えは、その著書「日本国憲法八つの欠陥」 に詳しい。またネット上でも「WiLL増刊号」で視聴できる。

K氏は教師として小学校の校長まで勤め上げ、現在は 悠々自適、静岡市中央図書館からはいつも本を借りていると聞く。旧東海道を完歩し、現在は各地に残る城を見て回り、往時の城主たちに思いを馳せるのが趣味だという。古文書講座の話をすると、自分の講座を一度見てみたいという。駿河古文書会で自分が担当の時、招待しようかと思う。

O氏は、この新年会を企画してくれた。終始、静かに話を専ら聞く方であったが、趣味の登山から、現在は自転車で、週3回か4回、丸子ー用宗ー焼津ー岡部ー丸子の高草山山系の周りを一回りするコース(2時間)を回っているという。集まった中では、一番元気である。

自分は、古文書講座のこと、郷土史研究会のこと、天正の瀬替えのこと、「五和の過ぎたるもの二つ」のことなど、ついついしゃべってしまった。M氏いわく、随分よくしゃべるようになったんだね。

この後、喫茶店で話が弾んで、夏ごろの再開を約し、用宗の駅で別れた。再開まで、お互いに元気でいなければならない。

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以下、1月25日以降の活動記録
1月26日 駿河古文書会に出席する。次回、2月2日は、まきのはら塾発表会の準備のため、欠席すると1班の方へ頼んでおいた。(次回は1班の當番のため)

読書:「浪人若さま新見左近 日光身代わり旅」 佐々木裕一 著
読書:「闇の稲妻 三人佐平次捕物帳」 小杉健治 著
読書:「かげろうの恋 もんなか紋三捕物帳」 井川香四郎 著
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「異説・天正の瀬替え」レジメ

昨日、夕方まで消えずに残った雪

「異説・天正の瀬替え」 のレジメを作ったので、示しておく。

異説「天正の瀬替え」レジメ
1 事のはじまり
2 浅井治平著「大井川とその周辺」より「天正の瀬替え」の通説を読む。
(疑問1) 「天正の瀬替え」以外に、瀬替えについての文書などが
  どうして出てこないのか。(著者の疑問)
3 「掛川志稿」の天正の瀬替えの稿を読む。
(疑問2) 「掛川志稿」の著者は「瀬替え」のことを、どうして牛尾村で、
  尋ねたのか。
4 牛尾の臼井家「旧記」を読む。
(疑問3) 瀬替えは、本当に計画されたことなのか。
5 横岡の北川家「我が家の歴史稿」を読む。
(疑問4) 五和に出来た村々の内で、どうして「横岡新田」だけが、
  「新田」なのか。
6 「寛政重修諸家譜」より、長谷川藤兵衛家の家譜を読む。
(疑問5) 天正18年より、島田代官を勤める長谷川藤兵衛家が、
  どうして「天正の瀬替え」に関らなかったのか。
7 異説「天正の瀬替え」

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以下、1月18日以降の活動記録である。
1月18日 午前中、散髪。店主に「天正の瀬替え」の自説を話す。興味を持った様子。午後、掛川文学講座へ出席。W先生、帯状疱疹に罹ったと聞いたのは何ヶ月前だったか。まだ後遺症が抜けないらしい。健康への自信を無くされたのか、来期は講座を年四回に減らすという。帯状疱疹は手当てが遅れると怖い。一時間でも早く医者に掛かれば、何倍も速く治るのだが。(自分の経験から)
1月20日 金谷宿大学「古文書に親しむ」講座、午前「初心者」、午後「経験者」の二講座を実施する。全員、来年度も継続受講してくれると聞く。
1月23日 「異説・天正の瀬替え」のデジメを作成した。
1月24日 朝うっすらと草の上に雪を見る。日陰では夕方まで融けなかった。当地で雪は珍しい。この冬、最も寒い朝であった。夕方、明石のI氏より電話。大阪のK氏が倒れて一年以上経つが、どうやら介護施設でリハビリをしているらしい。出来れば、見舞いに行きたいと話し合う。 

読書:「旅だから出逢えた言葉」 伊集院静 著
読書:「出戻り 新・知らぬが半兵衛手控帖 19」 藤井邦夫 著
読書:「五分の魂 風の市兵衛 8」 辻堂魁 著
読書:「松本-日本平殺人連鎖」 梓林太郎 著
読書:「はぐれ狩り 日暮左近事件控 16」 藤井邦夫 著
読書:「百鬼園事件帖」 三上延 著
読書:「首無し女中 もんなか紋三捕物帳」 井川香四郎 著
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長谷川藤兵衛、五代の家譜


金谷宿大学、新年の「駿遠の考古学と歴史」講座
S講師からの新年の贈り物「七福神の宝船」
後ろから読んでも同じに読める、「回文」という
七福神の絵とともに枕元に置いて眠れば
目出度い初夢がみれると江戸時代の民は楽しんだ

次回の金谷郷土史研究会で、「異説・天正の瀬替え」と題して、2時間ばかり話しをしようと思い、研究会には話していたが、それが2月に予定が決まった。

色々な資料が手元にあるが、長谷川藤兵衛五代の事績がもう一つはっきりしない。そんなところに、S先生が「寛政重修諸家譜」を見ることを勧めてくれた。幸い、同書は新版が金谷図書館にもあることが分かり、金谷図書館の閉架にあるものを出してもらい、調べてきた。

「寛政重修諸家譜」より、長谷川藤兵衛、島田代官五代の家譜。
1.長谷川藤兵衛長盛(ながもり)  藤太郎、藤兵衛、母は某氏。
東照宮につかへたてまつり、関東に移らせ給ふの後、御上洛のため所々御旅館の近郷にをいて、御料の地を置かる。このとき長盛駿河國嶋田の御代官をつとめ、同國志太郡のうちにをいて采地五十石、をよび廩米二百俵をたまふ。後、台徳院(秀忠)殿に土産のものを献ぜしにより、御書を下さる。慶長十九年四月二十日死す。法名長盛。駿河國志太郡大草村の天徳寺に葬る。後、勝峯に至るまで葬地とす。

2.長谷川藤兵衛長親(ながちか)  藤太郎、藤兵衛。
東照宮につかへたてまつり、父に代りて嶋田の御代官をつとめ、後、紀伊大納言頼宜卿に付属せられ、元和八年七月二十日死す。法名長白。

3.長谷川藤兵衛長勝(ながかつ)  藤太郎、藤兵衛。實は長谷川藤右衛門長 次(長盛の弟)が次男。母は某氏。長親が養子となりて、其女を妻とす。
元和九年二月二十二日遺跡を継、父に代りて嶋田の御代官をつとめ、正保元年私財を費て岩石を鑿ち、大井川の水を引きて、三千百石餘墾田をひらく。これにより其租税のうち十が一をたまふ。明暦元年九月二十一日死す。法名道光。妻は長親が女(むすめ)。

4.長谷川藤兵衛長春(ながはる)  藤太郎、藤兵衛、母は長親が女。
寛永十八年八月朔日はじめて大猷院(家光)殿に拝謁す。時に十六歳。明暦元年遺跡を継、御代官をつとむ。延寶五年六月十八日死す。年五十二.法名永剛。妻は有栖川家の臣森戸甚左衛門某が女。

5.長谷川藤兵衛勝峯(かつみね)  九十郎、藤兵衛、母は甚左衛門某が女。
延寶五年閏十二月十日遺跡を継。時に十五歳。六年三月晦日御代官となる。のち勝峯が故の支配所、遠江國榛原郡は川井助左衛門某支配する所なり。しかるに村々多く水災にかゝり荒蕪するの地、凡三千石にをよぶ。彼地は勝峯父祖よりの支配所なれば地理を考へ、水災を防ぎ、農民を撫育すべきむね仰を蒙り、年を歴て遂に舊に復し、しかのみならず新墾の田を合せ、一萬石餘の地をひらく。其後負金あるにより逼塞し、元禄十五年十二月二十四日會計終るにより、これをゆるさる。十六年三月朔死す。年四十一。法名道隣。妻は曲淵與左衛門直弘が女。

長谷川藤兵衛家は、家康が関東へ移られた時(天正18年)に、家康が京に上る時の宿とするべく、御料の地として島田に置いた代官がはじまりという。同時に、駿河は中村一氏、掛川は山内一豊が領主として秀吉より派遣されている。この島田代官と駿河藩主は支配の2重構造に見える。天正18年中村一氏の瀬替えが、いよいよまぼろしになっていく。

以下、1月13日以降の活動記録である。
 1月13日 午後、金谷宿大学「駿遠の考古学と歴史」講座に出席。
  金谷郷土史研究会 2月の予定が都合が悪くなったので、
  急遽、ピンチヒッターで「異説・天正の瀬替え」の講話が決まった。
 1月14日 午後、掛川大東図書館で「石川依平の足跡」の文学講演に、
  出席する。「依平」は歌人らしく「よりひら」と読む。
  講師の、東洋大学、高松教授は若いけれども、古文書解読能力は
  高いようだ。後に展示物の解説の場で、図書館で展示した解読文に、
  いくつも駄目出ししていた。
 1月16日 午前、金谷図書館で「寛政重修諸家譜」を閲覧した。

読書:「七草粥 三人佐平次捕物帳」 小杉健治 著
読書:「桃太郎姫七変化 もんなか紋三捕物帳」 井川香四郎 著
読書:「逃れ者 新秋山久蔵御用控 17」 藤井邦夫 著
読書:「浪人若さま新見左近 陽炎の宿」 佐々木裕一 著
読書:「歴史の愉しみ方/忍者・合戦・幕末史に学ぶ」 磯田道史 著
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年取ってからの友人だから

今日の静岡城北公園


今日の富士山

今朝、藤枝のKKさんから電話があり、高齢で奥さんに続いて、自分も体調を壊し、静岡へも通えなくなったので、駿河古文書会も退会すると挨拶があった。KKさんは古文書解読の趣味を通して、年取ってから出来た友人であった。駿河古文書会で知り合い、金谷の古文書講座も受講してくれて、頼れる兄貴のような存在であった。気配りの人で、色々と気を使っていただいた。免許証を返上したので、金谷へは通えなくなったと、金谷の講座を卒業されたのは、ほんの一年前のことである。短い期間であったが、損得勘定なしの、気持ちの良い付き合いをさせていただいた。一度、顔を見に行きたいが、体調には十分留意されて、ご夫婦で長生きしてほしいと思う。年取ってから出来た友は、互いに残された期間が短いだけに、大切にしたいと思う。

以下、1月8日以降の活動記録である。
 1月10日 午後、まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」講座実施。
  12名、全員出席が、何とも目出度い。最高齢、90歳と聞く。
  課題「お万の方の年賀状」、女文字で思った以上に苦労した。
 1月11日 午後、掛川古文書講座に出席した。
  課題「宝暦年間、雨乞祈祷の覚え/雨桜の由緒」
  神主の文書で、癖字に、解読に苦労した。
 1月12日 午後、駿河古文書会に出席した。
  暮れに、元会員だった方が二人亡くなったと聞いた。
  女文字に詳しい、OTさんに、「お万の方の年賀状」のチェックを頼む。

読書:「風立ちぬ 上 風の市兵衛 6」 辻堂魁 著
読書:「風立ちぬ 下 風の市兵衛 7」 辻堂魁 著
読書:「浪人若さま新見左近 将軍の死」 佐々木裕一 著
読書:「帰り道 新秋山久蔵御用控 16」 藤井邦夫 著
読書:「急流・富士川殺意の悔恨」 梓林太郎 著
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嶋の旧惣庄屋、山田家を訪問した

島の旧惣庄屋、山田家(御日限地蔵の守り家)

山田家の松
松の巨木が次々に枯れていく今
島田でも有数の松である
いつもは塀越しに写真を撮らせていただいている
今日は中から撮らせていただいた

山田家の現当主より、山田家文書の里帰りの活動に興味があると、一度会って話を聞きたいとのことで、今日午後、NTさんと訪問した。
山田家というと、個人的には庭の松の巨木がいつも気になっていたので、庭から一枚、松の写真を撮らせていただく。

  島田市五和に過ぎたるものが二つあり。山田家文書と竹下村誌稿。

浜松の家康を評した俗諺「家康に過ぎたるものが二つあり。唐の頭に本田平八」のもじりで、自分が言い出した言葉だが、「竹下村誌稿」の解読書の出版と、東京の資料館所蔵の「山田家文書」のコピーによる里帰りが、NTさんと自分の目下の目標である。

自分たちの思いを2時間ほどお話しして、名古屋で公認会計士をされている当主は、毎日曜日にはこちらの屋敷に帰られると言い、協力の言葉を頂いた。

人に話すたびに、段々と逃げ道が塞がれていく。何としてもやり遂げねばなるまい。

読書:「越中なさけ節 小料理のどか屋人情帖39」 倉阪鬼一郎 著
読書:「殿中 鬼役 三十一」 坂岡真 著
読書:「幽女の鐘 新大江戸定年組 4」 風野真知雄 著
読書:「大井川殺人事件」 梓林太郎 著
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多難の年明けで

掛川市、倉真温泉の龍

昨日二日、掛川のまーくん一家五人が昼に来て、八人で新年会。
夜、羽田の事故には驚かされた。能登の余震も続いているし、今年はいったいどんな年になるのだろう。

今日、能登の地震は様子が分かるにつれて、大変な災害だと分かってきた。
午後、神戸の甥、A君が昨年再婚したNさんを連れて、見えてくれた。2時間ほど話す。これから河口湖に行くという。定宿があるらしい。
昼寝の後、横岡の女房の在所に年頭にゆく。暮れから解読している本家の「我が家の歴史稿」を持って話に行った。解読してみると、なかなか興味深いことが書かれている。書かれた十三代は、なかなかの学者である。
夜、在所の豊岡の次兄より、年頭の電話あり。元気そうで一安心。

読書:「守銭奴 もんなか紋三捕物帳」 井川香四郎 著
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令和6年 年賀状です

令和6年 年賀状

今年の年賀状の図柄は、静岡県藤枝市瀬戸ノ谷、芋穴所のマルカシである。詳しくは、2021-11-13 の当ブログ参照のこと。

正月にいきなり大地震で驚かされた。震源地は能登地方。午後、サッカーの国際親善試合をテレビ観戦していて、終わって監督のインタビューの途中、「緊急地震情報」で画面が入れ替わった。震度7。立て続けに「緊急地震情報」出た。さらに、津波警報が出た途端、注意を呼び掛けるNHKの女性アナウンサーの声が一段高くなって、すぐに高台への避難を呼びかけ始めた。訓練されたもののようで、なかなかの迫力であった。被害のほどはまだ明らかではないが、明日になれば、被害の様子が明らかになるのであろう。

昨年一年の活動などを書いておこう。
・コロナもほぼ終結した。
・喜寿の祝い。
・10月故郷へ帰る。墓参と、次兄の見舞い。伯父の形見、碁盤を持ち帰る。
・金谷郷土史研究会に入会する。
・面白古文書 令和五年版発行(3冊目となる)
・「硯屋日記1」(江戸中期駿府の商人の日記)の解読終わる。
・今年も古文書3講座を実施。
・「はりはら塾」最後の発表会に参加。
・「金谷宿大学」発表会に参加。ミニ講座を実施。
・研究テーマ「天正の瀬替えは無かった」「旧五和村に過ぎたるものが二つあり。山田家文書と竹下村誌稿」

読書:「大義賊 もんなか紋三捕物帳」 井川香四郎 著
読書:「桃太郎のユーウツ」 玄侑宗久 著
読書:「裏切り者 三人佐平次捕物帳」 小杉健治 著
読書:「裏切り 江戸の御庭番 7」 藤井邦夫 著
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明けましてお目出とう御座います

大代のジャンボ干支「辰」

明けましてお目出とう御座います
今年も、時々の「かさぶた日録」、よろしくお付き合いお願いします 



隣りの大代地区 、毎年、ジャンボ「干支」を作り続けてもう四半世紀を超えた。年々迫力を増している。これはもう十分に「歴史」である。
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