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塵摘問答 7 弓、碁・将棋・双六

(散歩道のムクゲ)

塵摘問答の解読を続ける。

(弓)
一 男問い云わく、弓は誰人のはじめ給い候や。

老僧答えて云わく、天竺の鉄輪王の時、こうはん廟出とて、二人の臣下ありしが、大悪の下臣なれば、大事あるべしとて巧み給う時、俄かに御門(みかど)の御庭に涌出(ゆじゅつ)したる木一本有り。丈は七尺五寸にして、枝もなし。神変仏力なれば、七種のつるをあらわして、神通の功、矢にて射て取りたるなり。
※ 神変仏力 - 人知でははかり知ることのできない、不可思議な変異と、仏の持つ計り知れない力。
※ 神通(じんづう)- 超人的能力。通力。通。


さる程に、矢は丈定まらずば、弓は七尺五寸の物なり。震旦にはくおう帝の御時広まりて候なり。また日本には仁王十五代の御門神功皇后異国退治の御時、桑の弓、よもぎの矢にて、豊前の国宇佐の宮に御逗留ありて、攻め伏せ給いてよりこの方、広まりて候なり。
※ 十五代の御門 - 応神天皇。
※ 神功皇后(じんぐうこうごう)- 仲哀天皇の皇后。応神天皇の母。仲哀天皇の急死後、後の応神天皇を腹に宿したまま、玄界灘を渡り、三韓征伐をなした。十五代天皇として数えた時代もあった。その説では、以後の天皇が一代づつずれる。
※ 異国退治(いこくたいじ)- 三韓征伐。
※ 桑の弓、よもぎの矢 - 桑の木で作った弓。昔、男児出産のとき、この弓に蓬(よもぎ)の茎ではいだ矢をつがえて四方に射て将来の立身出世を祝った。古代中国の風俗による。


(碁、将棋、双六)
一 男問いて云わく、碁、将棋、双六、何ととて、盤の上の遊びは、如何なるゆえ候や。

老僧答えて云わく、こは十界を描す。盤は二尺二寸四方、四季をかたどるなり。九つのもくめは九曜の星を学び、三百六十目は一年の日数なり。白石百八十は白月なり。黒石百八十は黒月なり。二人の打つ人はたもん地獄なり。
※ 十界(じっかい)-(仏語)悟りと迷いの視点から10種の境界を分けたもの。悟界は仏界・菩薩界・縁覚界・声聞界、迷界は天上界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界。
※ 九曜(くよう)- 七曜星(日・月・火・水・木・金・土)に、羅(らご)と計都(けいと)の二星を加えた名称。インドの暦法から起こり、陰陽道で人の生年に配し、運命の吉凶などを占う。九曜星。
※ 学び(まねび)- まねること。
※ 白月(びゃくげつ)- 古代インドの暦法で、月が満ち始めてから満月に至るまでの15日間の称。
※ 黒月(こくげつ)- 古代インドの暦法で、満月後の16日から月末までの称。


また将棋は唐土の王位の合戦を真似えり。十六善神、震旦国に仏法を広めんとせし時、大悪神たち広めまじとて、御門を攻めたる姿なり。馬はつわもの(兵)の、差し違え/\戦いたる躰なり。震旦国には大将棋をもっぱらとす。我朝には小国なる間に、将棋を渡せり。寺方にては差すべからず。
※ 唐土(とうど)- 昔、日本から中国をさして呼んだ名。もろこし。
※ 十六善神 - 般若経の誦持者を守護する十六の夜叉神。十二神将と四大天王。
※ 大将棋(だいしょうぎ)- 将棋が9×9の升目の盤に対して、大将棋は13×13の升目の盤で、双方の駒数合計は68枚13種類で,将棋にない、注人、奔車、飛竜、猛虎、横行、鉄将、銅将の駒がある。


また、双六盤は長さ一尺二寸、これは十二月を描す。横七寸二分は七十二日の土用を描す。白石十五は上十五日、黒石十五は下十五日なり。胴は須弥山、賽(さい)は日月を描す。これは吉備大臣の広め給う。
※ 双六盤(すごろく)- 双六をするときに使う盤。長方形の盤面の中央に一条の細い空地を設けて、敵・味方の陣に分け、縦に左右それぞれ12の地をつくったもの。
※ 吉備大臣(きびだいじん)- 吉備真備。奈良時代の政治家・学者。吉備の豪族の出身。唐に留学、諸学を学ぶ。帰朝後、橘諸兄のもとで活躍。後に右大臣となる。律令の刪定などに尽力。吉備大臣と称せられた。
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「お札降り~ええじゃないか」 - 金谷公民館の歴史講座より

(散歩道のサルビア・ガラニティカ)

朝9時半からの、金谷公民館の歴史講座に出席した。こんな早い時間の講座は珍しい。題名は「近代金谷の民衆からみた歴史」で、講師は、元島田市史編纂委員の枝村三郎氏である。

「お札降り~ええじゃないか」「大井川川越人足の転職」「民選議院設立の建白書と静岡事件」「日清日露戦争と米騒動」と言ったレジメだったが、時間が4倍ほど欲しいという講師の話の通り、話があちこちに飛び、少し雑ぱくになってしまった感がするのは残念であった。静岡で民衆側からみた近代史を研究しているのは枝村氏だけとの話で、もっと時間をかけて聞きたかったと思う。

中で「お札降り」と「ええじゃないか騒動」については、大変興味深く聞いたので、以下へ少し記す。

1867年7月に三河の吉田宿(現在の豊橋市)で、突如発生した「お札降り」は西進して名古屋、刈谷、桑名、津と広がり10月には伊勢、京都へ達した。他方、東進して、8月に浜松、見附、9月に金谷、島田、府中、江尻、10月に岩渕、吉原、大宮(富士宮)、11月に小田原、平塚、藤沢、横浜、江戸と広がったという。

お札が理由なく天から降るわけはないから、誰が何のために降らせたのか。今もって犯人が判っていない。倒幕の志士、幕府側の陰謀、伊勢神宮御師など諸説あるが、講師は、後に、義勇軍を組織して、官軍の露払いをした、三河・遠州の神職たちでは、とのヒントを出した。

講座後、そのことを考えてみた。当時、すでに幕府の権威は失墜し、各所で政権にほころびが出て、庶民は役人の指示をまともに聞かなくなっていた。諸物価は高騰し、庶民の不満は相当溜っていた。そこへ「お札降り」の騒ぎである。起きたことを見ると、御札、祭壇、祭り、屋台、踊りなど神社仏閣の関連グッズが登場するし、発生した三河は多くの神職が加わった遠州国学の中心地で、義勇軍もその中から多く出ている。

最初の御札が降ったとき、それをどんな風にお祭りするかを仕掛ければ、後は街道の要所へ御札を置くだけだから、手間はほとんどかからない。御札が降ったらどう対処するかを、隣町へ聞きに行く記述もあるから、騒ぎは自動的に伝播する。そればかりか、騒ぎたい民衆たちは、どんどん騒ぎを大きくして行く。金谷の例でも、民衆たちが勝手に御札をまいているようで、何百枚もの御札が確認されている。金谷では騒ぎは3か月に及んだ。

やっていることが、お祭りであっては、幕府ではそれを咎めることが出来ない。金谷の数え歌の中にあるように、「世直し」という言葉も出るに及んで、幕府もこの騒ぎに禁止令を出し、騒ぎも漸く治まったが、熱も冷めやらぬ、翌1868年1月、官軍の東征が東海道を通過して行くことになる。
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塵摘問答 6 和歌(後)

(散歩道のランタナ)

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(和歌 後)
天正大神(天神、菅原道真のこと)の御歌にいわく、

  心だに まことの道に 叶いなば 祈らずとても 神や守らん
※ 心だに~ - 菅原道真の作と伝わっている。

善光寺如来の御歌に、

  急げたく みのりの舟の 出でぬ間に 遅れてはただ た(誰)たる渡さん
※ 急げ~ - 神楽歌に、「急げ人みのりの舟のい出ぬ間に乗り遅れては誰や渡さん」

また、和泉式部、熊野詣でのとき、本宮の御前にて俄かに月の障りありければ、悲しみて一首詠めり、

  いにしえの 五障の雲の 晴れやらで 月の障りと なるが悲しき
※ 五障(ごしょう)- 女性のもつ五種の障害。五つの障り。

と詠めり。権現の御返歌にいわく、
※ 権現 - 熊野権現を擬人化して、歌を詠ませている。
  
  もとよりも 塵に交わる 神なれば 月の障りも 何が苦しき

と詠み給う。

また、弘法大師、土佐の室津に御座ありしとき、御歌に、

  法性の 室津と聞きて わが住めば 有為の浪風 立たぬ間もなし
※ 法性(ほうしょう)- すべての存在や現象の真の本性。万有の本体。真如。実相。法界。
※ 有為(うい)- 因縁によって起こる現象。生滅する現象世界の一切の事物。


と詠み給う。また河内の教興寺へ御参詣時、女郎花を一本(もと)持ち給えば、一人行き会いて、一句かくばかり、
※ 女郎花(おみなえし)を~ -「女郎花合わせ」物合わせの一。和歌を添えたオミナエシの花を持ち寄って比べ、その優劣を競う。
※ 聖(ひじり)- 寺院に属さず,遁世(とんせい)して修行に励む仏教者。


  おみなえし 大師の手にも かゝるかと

言えり。師の御付け句に、

  徒名立つた(龍田)の 山越ゆるとて 
※ 徒名(あだな)- 男女関係についてのうわさ。浮き名。

と付け給う。

明恵上人の御歌に、
※ 明恵上人 - 鎌倉前期の華厳宗の僧。後鳥羽上皇より栂尾山を賜わり、高山寺を創建して華厳興隆の道場とした。戒律を重んじ、念仏の徒の進出に対抗し、顕密諸宗の復興に努力。

  心より 他には法(のり、乗り)の 舟もなし 知らねば沈む 知れば浮かみん
※ 浮かむ(うかむ)-「浮かぶ」と同じ。

かくの如くの知識、智人も、ことごとく歌を詠じ給う。一首の歌の内に真言五字六字の名号八万諸小経こもるなり。
※ 智識(ちしき)- 仏法を説いて導く指導者。
※ 智人(ちじん)- 智者。道理をよくわきまえた人。知恵のある人。賢い人。
※ 真言五字(しんごんごじ)- 地・水・火・風・空を表わす梵字、ア・ビ・ラ・ウン・ケンの五文字。
※ 六字の名号(ろくじのみょうごう)- 「名号」は仏・菩薩の名。これを聞いたり唱えたりすることに功徳があるとされる。六字の名号は「南無阿弥陀仏」を示す。
※ 八万諸小経(はちまんしょしょうきょう)- 「阿弥陀経」のこと。
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塵摘問答 5 鳥居、和歌(前)

(日除けのゴーヤの実)

知らぬ間に黄色くなったゴーヤを見つけ高い所で採る算段をしていたら、雨どいから顔を出したゴーヤの実を見つけた。このあと、何れも収穫した。

今日は曇り時々小雨、ぐっと気温が下がり、もう秋の雰囲気である。連続する前線が太平洋上へ南下し、日本列島が秋の空気に被われたためである。もちろん、このまま秋になってしまうわけではない。

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(鳥居)
一 男問い云わく、神前に鳥井の立つは如何なるゆえ候や。

老僧答えて云わく、鳥居の二た柱は生死を離るゝ事難きゆえ、参るには内を通る。下向には外を通る。上下に同じ方を通らぬものなり。通るは、死してまた生るゝ心なり。輪廻を嫌う心なり。また玉垣とて結界を描す。善根の人は罪得滅して仏果に至るなり。法十界を描す。
※ 下向(げこう)- 神仏に参詣して帰ること。
※ 輪廻(りんね)-(仏語)生ある者が迷妄に満ちた生死を絶え間なく繰り返すこと。三界・六道に生まれ変わり、死に変わりすること。
※ 結界(けっかい)- 一定の場所をくぎり、その内側を聖域として外側から不浄なものが入らないようにすること。
※ 仏果(ぶっか)- (仏語)仏道修行の結果として得られる、成仏(じょうぶつ)という結果。
※ 法十界 - 十法界。天台宗の教義において、人間の心の全ての境地を十種に分類したもの。地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界に分類され、その総称が十界である。


(和歌 前)
一 男問い云わく、うた(和歌)、連歌を用い候は、これも作法なるべく候や。

老僧答えて云わく、それ歌は字数三十一字のものなり。これは二十八宿と日月星の三光を添えて詠むなり。はじめの五文字は五智如来なり。次の十二字は十二因縁なり。次の七字は過去七仏なり。次の七字は天神七代をかたどる。創り人は釈尊より一千歳前に出世せられし孔子(時代が合わない)という人の作り初めたるなり。おろそかに心得給うべからず。歌をよく詠めば、仏神も納収し、その方も成道すという事疑いなし。
※ 二十八宿 - 古代中国で、月・太陽などの位置を示すために、赤道・黄道付近で天球を28に区分し、それぞれを一つの宿としたもの。月はおよそ1日に一宿ずつ動く。
※ 五智如来(ごちにょらい)- 五仏ともいい、その構成にはおよそ二種ある。金剛界五仏は大日、阿閦、宝生、阿弥陀、不空成就の五如来。胎蔵界五仏は、大日、宝幢、開敷華王、無量寿、天鼓雷音の五如来である。
※ 十二因縁 - 人間が前世・現世・来世の三界を流転する輪廻のようすを説明した十二の因果関係。無明・行の過去の二因、識・名色・六処・触・受の現在の五果、愛・取・有の現在の三因、生・老死の未来の二果の称。
※ 成道(じょうどう)-(仏語)菩薩が修行して悟りを開き、仏となること。特に、釈迦が仏になったこと。成仏得道。
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塵摘問答 4 六十六ヶ国、仁王

(十種チャーハン)

昨日の昼食に作ったチャーハンは「十種チャーハン」と名付けた。入れた具が何と十種類、刻みに刻んだ。玉ネギ、人参、ピーマン、赤ピーマン、シメジ、ハム、豚肉、ちくわ、ニンニク、生姜。残り物の御飯に、醤油味である。学んだことは、具の種類が多いほど美味しくなる。コツは具の炒め順を考えることと、その途中に、塩胡椒で下味をつけることである。美味しく頂けました。

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(六十六ヶ国)
一 男問い云わく、我朝は三十三ヶ国にてありつるを、何時の代に六十六ヶ国に割られて候や。

老僧答えて云わく、昔、唐土より、賢人来たりて言う様は、日本はわずか三十三ヶ国なり。これほど小国に、いかでか仏法を広めんやと申して帰りけり。その後、仁王三十代の御門(みかど)、用明天皇の時、六十六ヶ国に割られて候。
※ 賢人(けんじん)- 知識が豊かで徳のある人。聖人に次いで徳のある人。
※ 仁王(にんのう)- 人皇(にんのう)。神代と区別した語で,神武天皇以後の天皇。
※ 三十代 - 三十代は敏達天皇で、用明天皇は三十一代である。


さる程に、五畿内五ヶ国は、五天竺を描(びょう)す。坂東八ヶ国は胎蔵界八葉を描す。東海道七ヶ国は、天神七代をかた取り、南海道六ヶ国は、補陀落の六観音をかたどる。九州は金剛界の九会の曼荼羅を真似えり。中国十六ヶ国は大聖尊を描す。北陸道(ほくろくどう)七ヶ国は過去七仏を描す。これ日本なり。
※ 五天竺(ごてんじく)- 昔、天竺(インド)を東西南北と中央の五つに分けた称。
※ 胎蔵界(たいぞうかい)- 密教で説く二つの世界の一。金剛界に対して、大日如来の理性の面をいう。仏の菩提心が一切を包み育成することを、母胎にたとえたもの。蓮華(れんげ)によって表象する。
※ 八葉(はちよう)- 蓮華(ハスの花)の8枚の花弁を放射状に並べた形。また、その文様。
※ 天神七代 - 日本神話で、天地開闢のとき、生成した七代の神の総称。
※ 補陀落の六観音 - 観音菩薩の降り立つとされる補陀落山におわす、六道の煩悩を破砕するという大悲・大慈・師子無畏・大光普照・天人丈夫・大梵深遠の六体の観音のこと。
※ 金剛界の九会(え)の曼荼羅 - 両界曼荼羅の一つで、胎蔵界曼荼羅と対をなす。大日如来によって総括される仏教の宇宙観を図式化したもの。九種 (九会) の曼荼羅を三列三段に並べた曼荼羅。
※ 大聖(だいしょう)- 仏道の悟りを開いた人の尊称。釈迦。菩薩にもいう。
※ 過去七仏(かこしちぶつ)- 釈迦牟尼(むに)とそれ以前に現れたとされる、毘婆尸(びばし)・尸棄(しき)・毘舎浮(びしゃぶ)・拘留孫(くるそん)・拘那含牟尼(くながんむに)・迦葉(かしょう)の諸仏の総称。


(仁王)
一 男問い云わく、仏前に仁王を立つるは如何なるゆえ候や。
※ 仁王(におう)- 二王ともかき、金剛神・金剛力士ともいう。寺門(仁王門)の左右に安置され、釈尊をまもる。むかって右像は金剛杵(しょ)をもち、口をあけた阿(あ)形で、左像は口をとじた吽(うん)形。

老僧答えて云わく、仁王と申すは、本地大日如来なり。姿は邪鬼(じゃき)の形なり。これは仏法を護りて、悪魔を退治せんがために、仁王とせん。 ―― 口をあき、口をふさぎ、あうん二つを描すなり。
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塵摘問答 3 比叡山、高野山、奈良七大寺、書写寺

(散歩道のセンニンソウ)

塵摘問答の解読を続ける。

(比叡山)
一 男問い云わく、比叡山は誰人のひらき給い候や。

老僧答えて云わく。かの山は人皇五十代の御門(みかど)桓武天皇の御時、延暦元年に伝教大師の唐土の天台山を遷されたり。さる程に、谷は十六にて、三千坊の寺なり。一度参りたる人は十悪五逆の罪を滅ぼし候と申すなり。
※ 人皇(じんのう)-〔神代と区別した意味で〕神武天皇以後の天皇。にんのう。
※ 伝教大師(でんぎょうだいし)-最澄の諡号。平安初期の僧。延暦23年(804)空海とともに入唐し、翌年帰国。日本天台宗の開祖。比叡山に入り、根本中堂を建立。
※ 十悪(じゅうあく)- 身口意(からだ・言葉・心)で犯す、とくに著しい十の悪い行為のこと。殺生、偸盗、邪婬、妄語、両舌、悪口、綺語、貧欲、瞋恚、愚痴など。
※ 五逆(ごぎゃく)- 五種の最も重い罪。父を殺す、母を殺す、阿羅漢を殺す、僧の和合を破る、仏身を傷つけることをいい、一つでも犯せば無間地獄に落ちる。


(高野山)
一 男問い云わく、高野山は誰人の開き給い候や。

老僧答えて云わく、人皇五十二代の御門、嵯峨の天皇の御時、弘法大師の御開き候山は、兜率の内院を描して、四十九院、ひた(直)末法万年の要路、念仏三昧の所なり。これにより三国不双の霊地と申すなり。
※ 兜率(とそつ)- 兜率天。六欲天の第四天。内院と外院があり、内院は将来仏となるべき弥勒菩薩が住するとされ、外院は天衆の住む所とされる。
※ 三国 - 日本・唐土・天竺の三つの国。また,全世界。


(奈良の七大寺)
一 男問い云わく、奈良の七大寺は誰人の開き給い候や。

老僧答えて云わく、七ヶ寺の開山はめん/\に候間、詳しく申せば、事尽くさず候。七大寺は過去七仏の旅所なり。震旦仏閣を移されたり。
※ 過去七仏(かこしちぶつ)- 過去に出現した七人の仏。その一人、釈迦は真理を悟った人(仏)の一人にすぎないということが含意される。


(書写寺)
一 男問い云わく、播磨の書写寺は誰人の開き給い候や。
※ 書写寺(しょしゃじ)- 姫路市の書写山圓教寺。

老僧答えて云わく、書写は本は補陀落山の本縁の峰にてありしが、奇特の事有りて、性空上人の開き給いて候。生身の観音にて、おわしまし候なり。
※ 本縁(ほんえん)- 事物の起こり。起源。由来。縁起。
※ 奇特(きとく)- 非常に珍しく、不思議なさま。
※ 性空(しょうくう)- 平安時代中期の天台宗の僧。従四位下橘善根を父として、京に生まれ、慈恵大師良源に師事して出家。康保三年(966)播磨国書写山に入山し、国司藤原季孝の帰依を受けて圓教寺を創建、書写上人とも呼ばれる。
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塵摘問答 2 我朝、イザナギ・イザナミ、日域

(「ぢんてき問答」本文)


塵摘問答の解読を続ける。

(我朝)
一 男問い云わく、わが朝は根本、誰人の開き給い候や。
※ わが朝 - わが国。「朝」は、君主が治めている国。

老僧答えて云わく、昔、転輪聖王の代に、天地六趣震動して、りょうしゅ山の丑寅の隅、みつたら山と云う嶽かけて、大海に沈みけり。それより二十万一千四百余年に、いざなぎ、いざなみ、二人の御神出せし給いて、梵天の海原より、天の逆鉾にて探し給う時、淡路島はこの先に中って、阿波国かとて、鉾をひき上げれば、その滴り、凝り固まって、一つの島となる。則ち、みつたら山の欠けて入りたるが、鉾に中りたるなり。
※ 転輪聖王(てんりんしょうおう)- 古代インドの思想における理想的な王を指す概念。
※ 六趣(ろくしゅ)-(仏語)六道。地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道。
※ 梵天(ぼんてん)- 淫欲を離れた清浄な天。
※ 天の逆鉾(あまのさかほこ)- 日本神話で、いざなぎ・いざなみの二神が国産みに用いたという、玉で飾った矛。あまのぬほこ。
※ りょうしゅ山、みつたら山がどこにあたるのか、判らなかった。


さて甲子の年、わが国になるにより、きのえ(甲)をはじめて、ね(子)を一番に置くなり。その後、一つの葦原生えたる間、豊葦原中津国とも申し候なり。
※ 豊葦原中津国(とよあしはらなかつこく)- 日本国の美称。


「古事記」の仏教的解釈である。いざなぎ、いざなみによる、国生みの神話もこんな風に解釈される。

(いざなぎ、いざなみ)
一 男問い云わく、そのいざなぎ、いざなみ、二人の御神は本地、誰人にて候や。
※ 本地(ほんち)- 仏・菩薩が人々を救うため、仮に日本の神の姿となって現れることを垂迹(すいじゃく)というが、その本来の仏・菩薩。(本地垂迹説)

老僧答えて云わく、二人の御神は本地、大日如来の化身にて、男女夫婦にて御座有りしが、我が朝を表さんために男女の語らいをなし給い候なり。
※ 大日如来(だいにちにょらい)- 真言密教の教主。宇宙の実相を仏格化した根本仏。


(日域)
一 男問い云わく、我朝を日域と申すはいかなる故候や。
※ 日域(じちいき)-(日の出る国の意から)日本の異称。じついき。にちいき。

老僧答えて云わく、日本は何州と云いながら、東海とて辰巳にて日の境なる間、日輪
をかたどって、日域と申すなり。唐土をば星を招いて震旦というなり。また天竺をば、月をかたどって月氏国と申すなり。
※ 唐土(とうど)- 昔、日本から中国をさして呼んだ名。もろこし。
※ 天竺(てんじく)- 中国および日本で用いたインドの古称。
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塵摘問答 1 始まり、高僧

(散歩道の赤紫のサルスベリの花)

「一九之記行」はいかにも品が悪く、読み続けると、自分まで品を落とすように感じられた。そこで、次の解読する本は「塵摘(ぢんてき)問答」という、高尚にしてやや難解な本を選んだ。意味が十分理解できないところもあるが、間違いを恐れずに解読を進めてみよう。読む本は寛永九年(1632)板行のものであるが、変体仮名の多用、句読点・濁点なしなど、文字は読めても理解できない部分が多いので、正保三年(1646)改板の物も並行して読み、理解を深めたいと思う。何れの本もその中身をネット上で、写真で見ることが出来る。

この本は、東海道遠江国、今善光寺前の茶店で、たまたま隣り合わせた、老僧と若い行商人の問答と云う形式で、物の始まりに付いて、さまざまな問答が交される。そんな形をとったこの本は、寺子屋の読み本などにもなったようで、版が重ねられた。

本書は文字だけであるが、絵の付いた絵本版もある。内容は、事実とどこまであっているのか、大いに疑問は多いけれども、江戸時代に生きた人々の常識を醸成した本であったことは間違いない。内容は、寺子屋の教材としては中々難しい。現代人には理解が困難な部分が多く、仏教用語なども多出して、注を付けることが多くて、煩雑になるけれども、読んで行くと、江戸の人の心に触れることが出来る気がする。

また、現代人の感覚で読めば、与太郎が知ったかぶりの御隠居さんに、あれこれ尋ねまくって、御隠居さんがもっともらしい珍答、奇答で煙に巻くといった、落語の構図に見えなくもない。それでは解読を始めよう。

塵摘(ぢんてき)問答

(始まり、高僧)
そもそも、東海道遠江の国、今善光寺の前にありける茶屋に、年の齢(よわい)五十あまりと見えたり、老僧のに休み、茶を飲みおる。また三十余りなる千駄櫃負いたる男、立ち寄り、これも茶を飲みけるが、この老僧に種々の事を問えども、詰まらず答え侍る間、この男云うようは、さても諸出家の御中に、高僧と申して、ことに尊(たっと)み候は、如何なるゆえにや。
※ 今善光寺 - 掛川市岡津、旧東海道沿いに善光寺がある。そこのことか。
※ 床(とこ)-腰かけ。
※ 千駄櫃(せんだひつ)- 小間物を入れて行商人などが背負うたくさんの引き出しのついた櫃。


老僧答えていわく、禅宗は震旦国にて初立(しょりゅう)したる宗なれば、当州にてもっぱらにて候。また日本より入唐(にっとう)せられ候も、学問の為にて候。取り分き尊み候教えを、ことごと見破るをもっぱら、悟りを沙汰し候間、こゝをもって用いなり。
※震旦(しんたん)-中国の異称。支那の称と同系統。古代インド人が中国をチーナスターナ(シナの土地)と呼んだのに由来する。振旦,真丹などとも書く。
※ 当州にてもつぱら - 遠州では、現在でも、お寺は圧倒的に禅宗が多い。
※ 沙汰(さた)-理非を論じて極めること。


こんな風に、問と答えが延々と続く。
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秋葉山鳳莱寺一九之紀行(下) 15 下巻終り、自跋

(「一九之紀行」後編近刻の告知)

一九之紀行下編の本文は昨日で終わった。ようやく秋葉山のふもと辺りまで来たところで、物語としては途中半端だと思っていたら、案の条、以下の文が続いた。解読を続けよう。

○ この次編には、秋葉山にて通夜泊りの滑稽、国々の同者打ち混じて、話の間違いより、災難に遭いたる始末、犬居宿の喧噪、四十八瀬の急難、森町にて落馬したる可笑しみ、草稿あらまし出来これ有り。来春出板売り出し申すべく候。御評判宜しく、希(ねが)い上げ奉り候。

     秋葉山参詣 一九之記行 下巻 終り

  
秋葉山大権現の霊験、多き中に、弓箭刀杖の難、火災焼亡の危急、その外、洪水沈没の横難を、免(まぬが)れさせたまうとかや。さるによって、詣人多く、山頭の賑わい、神威の徳(さかん)なる事、海内一円に及ぼせり。予、今年当山に参詣し、それより三州鳳来寺に至るに、これまた無双の名刹にして、宝閣金塔、眼を驚かすの壮観たり。予、信敬のあまり、両山参詣の記行を編(つづ)るといえども、例の俳語滑稽にして、膝栗毛の弥次郎、喜多八が、趣きに比する事、書房の需(もとむ)るによればなり。この書、張陽滞留中、急迫の俳設なれば、至らざるの境もあるべし。諸賢これを見赦したまえと爾云
                   自跋
※ 跋(ばつ)- 書物の末尾に記す文章。あとがき。
※ 弓箭(きゅうせん)- 弓と矢。弓矢で戦うこと。
※ 刀杖(とうじょう)- かたなとつえ。また、刀剣類の総称。
※ 横難(おうなん)- 思いがけなく起こる災い。不慮の災難。
※ 山頭(さんとう)- 山のてっぺん。山頂。
※ 海内(かいだい)- 四海の内。国内。天下。
※ 張陽(ちょうよう)- 尾張名古屋のこと。
※ 爾云(しかいう)- 然言う。文章末尾などにおき,上述のとおりという意を表す。
※ 自跋(じばつ)-自ら記すあとがき。⇔ 自序


そして、最後に

   穐(秋)葉参詣一九記行 後編 全二冊 近刻

とあって、続きが後編として2冊、近いうちに出るとの予告広告文があった。勿論江戸時代の話だから、出版されていたのなら、どこかに見つかるはずと、ネットやら図書館やら調べたが、現在まで出版された痕跡を見つけることが出来なかった。

今、自分なりの考えを言えば、後編2冊は結局出版されなかったのであろう。心待ちにしていた、後編の沿道近くに在住する一九ファンの一人が、出版されていないのなら、自分で書いてみようと思い立ち、書き記したのが、「秋葉街道似多栗毛」(今年1月26日~2月18日、当ブログで解読)ではなかったか。次編のあらましを読んでいて、「秋葉街道似多栗毛」の筋立てに、その「次編のあらまし」を下敷きにしたところがあるように思えた。コースは掛川から秋葉山で、主人公は弥次喜多だから、「一九之記行」と共通するものはないのだが、出版されなかった秋葉から掛川の分を補う意図が見えるような気がする。さらに想像をたくましくするならば、「秋葉街道似多栗毛」の作者は、「一九之記行」の「権八」や「清次」のモデルとなった、一九の旅の同行者ではなかったか。何の確証もないが、そんな想像をしてみるのも楽しい。

さて、明日からは「ぢんてき問答」という本を読む。
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秋葉山鳳莱寺一九之紀行(下) 14 さい川(四)

(挿絵)

(挿絵中の句)
    ちる柳 千筋に月の ひかりかな       雲水舎 吐

一九之紀行下編の解読を続ける。

権八呼び止めんにも、大声を上ぐることならず、詮方なく、しょぼ/\と、這い上り、

《権八》エレハイ、一九のやろうめが、ずだいな目に合わせたやぁ。
※ ずだいな目 - ひどい目。

 ト、一人小言を言いながら、辺りに細き流れのあるを幸いと、着たる袷(あわせ)を脱ぎて、背中の所を洗い出し、丸裸になりて、寒さは寒し、ぶる/\とふるえながら、宿の裏の方より、座敷の縁先へ来たり。

《権八》コリャ清次どの居ずかい。
《清次》誰だ、悲しい声で呼ぶは。
《一九》権衆だそうな。おめへどうした。
《権八》イヤハイどうしたどこか、命に障りのないばっかで、ずだいおぞいめにあったいやぁ。

 ト、この内清次、内から障子を開けると、外から這い込むなりは、丸裸にて濡れくさりし、袷を手に提げて、ぶる/\とふるえながら、

《権八》わしのなりを見てくれさい。《一九》ハヽヽヽヽ。《清次》ハヽヽヽヽ。
《権八》イヤハイこの衆は、笑いとこじゃあないやぁ。わし、おまいに小便し掛けられて、ずだいだやぁ。
《一九》ナニどうしやしたと、マア寒そうだに、なんぞ着替えなせぇ。そして何だか、おかしな悪い匂いがする。エヽ臭い/\。
《権八》えゝ見たくでもない。臭いはずだいやぁ。
《一九》わっちがおめえに、小便し掛けたというは、ハヽア聞こえた。糞檐(こえたご)の中から出たはおめえか。
《権八》わしだんてハイ。この形(なり)だいやぁ。

《清次》ハヽヽヽヽ、おめへなぜまた、あんな所に居なさった。
《権八》わしハイ、ずなく追っ掛けられたもんだんで、コリャハイ、逃げずにもかなわないと思って、あのこえたごの、まんだ中に、何にもないもんで、つっぱい(入)って隠れているとこへ、おまい達が来て、小便をハイ、わし首筋へ、し掛けさっせる。わしはハイ、追っ掛けて来たやつらだと、思いおって、コリャハイ、声立てたら、ずない目に合わずと、黙って、しこっていたがやぁ。あとで見りやぁ、この衆であったもんだんて、わし肝がひっくりかえるやぁ。
※ しこる(四股る)-しゃがむ。うずくまる。
《一九》ハヽヽヽヽ、コリャ可笑しかった。ハヽヽヽヽ、ハヽヽヽ。
《権八》アニハイ可笑しいこんだい、わし腹が立つやぁ。

《清次》ハヽヽヽヽ、こんな可笑しい事はねぇ。それというも、おめへ、褌を洗った
水で、わっちにうがいをさせなさった。その報いというものだ。
《権八》ホンニハイ、まんだ褌を洗いおっただけが、気持がえいやぁ。
《清次》イヤその褌にも、わけがある。わっちが褌を外して、こゝに置いたが、さっきから探すに、見えやせん。ドレおめえの洗った、褌を見せなせえ。ソリャこそ、これだわ。
《権八》ナニ待たっせえ。わし褌を外して、ヤア/\/\。わしのはこゝにある。そんだら精出いて洗いおった褌は、こなたの褌かやぁ。
《清次》ハヽヽヽヽ、コリヤ可笑しい。ハヽヽヽヽ、ハヽヽヽヽ。
《一九》ハヽヽヽヽ、ハヽヽヽヽ。

《権八》何とでも言わっせえ。わし一人をこなた衆、ずだいな目に合わせおって、さぞ本望であらずいやぁ。わしこんなにも、おぞい目に合わずもんか。これからハイ、神信心をせずいやぁ。南無秋葉山大権現、どうぞわし国元まで、恙(つゝが)なく帰りおるように、お守りなさって、くれさっせえまし。

 ト、始終真面目なるも可笑しく、大笑いして、打伏しけるが、一睡の夢早くも、山寺の鐘に驚かされて、起き出れば、程なく、夜明けて、支度調え、この宿を立出るとて、

    小便を し掛けられたる 顔つきは
      しぶ/\恥を 柿の盗人


かくてここを打ち過ぎて、齋川の渡しを越ゆるとて、

    朝夕に ところの人は 落鮎を
      釣りて食うらん 飯のさい川


それより山坂道をたどり/\て、戸倉の宿を打ち過ぎ、これより秋葉山へぞ登りける。
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