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秋葉街道似多栗毛6  太田川橋際

(えまちゃんに似ているといわれる女雛。21世紀の美人顔なのだろうか)

秋葉街道似多栗毛の解読を続ける。

北八「もし、おやぢさん、ここはお寒いに大きにごくろうだね」と、茶わんを出して注がせる。
弥二「これ/\、喜太八、おれも待ちかね山だ。早く差せ/\」と、弥二もまたぐっとひっ懸けて、
弥二「おやぢさん、もっとやってもいゝのか」
親父「ハイ/\、いくらでも御勝手にあがらしゃれませ」
弥二「そんなら、おじぎなしに重ねせら」
※ おじぎ(御辞儀)- 遠慮。

親父「もしなんぞ御肴あがりませぬか。こんにゃくのおでんと、ふきのとうの煮しめたが、ござります」
弥二「こんにゃくを一と皿くんなせい」
喜八「弥二さん、酒はいゝが肴はよしなせえ」
弥二「それでも」と目まぜをすると、弥次「貴公不人情な。それでも親父さんのほまれがないはさぁ。てめえもやらっし」と、一人合点で、また引き受け呑む。喜太八もしたたか引き受く。
※ 引き受け -(酒の)相手になる。応対する。

弥二「さあ、これでいゝ。もし親父さん、大きに御馳走。そして、こんにゃくはいくらだ」
親父「はい/\、こんにゃくが五十文、御酒代がお二人で百五拾文、みなで弐百になります」
弥二「なに、御酒代だぁ」
親父「あい、この茶わん一つが弐拾四文ずつで御座ります」
両人「こいつぁつまらぬ事を言う親父だ。
喜太「おらぁ無茶だと思ふが、この弥次さんなんたぁ、今の林大学なんたぁ、友だちで、時々聖堂へも出ちゃぁ、講釈もする。おいらだぁ、田舎の高札ぐらいは後ろ向きても読む男だ。ばか/\しい、親仁ぃ」
※ 林大学 - 林大学頭。々幕府朱子学者林家の当主。
※ 聖堂 - 湯島聖堂のこと。昌平坂学問所があった。


親仁「はい、お前様は後ろ向いてもなんでも、御酒代は御払いなされませ」
喜太「またしろ、あの高札に、太田川舟橋ともに無賃、酒手に及び申さず候とあらぁ。親父め、どうだ」
※ またしろ - 意味不明なるも、想像をたくましくすれば、「冗談はまたにしろ」を縮めた言い回しではないか。
親父「はい、船賃には酒手は構いませぬが、わしのは商売だから、酒手がいります」
弥二「そうか、とんだ算ちげいだ。喜八、喧嘩もなるめい。往生して出せ/\」
※ 算違い - 計算違い。
北八「弥二さん、おめえ聞いたふりをするから、こんな番くらわせに、あわぁ」それっと、銭を投げわたし、北八「さあ/\、弥次さん、早く宿を取ろうよ」と出て行く。
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秋葉街道似多栗毛5  戸綿峠 - 太田川

(えまちゃんの雛かざり、実質、今回が初節句のえまちゃんに、雛かざりを贈った。日曜日に掛川の家へ見に行ってきた。段飾りは場所を取るというので、内裏びなだけにした。)

大井川を渡ってすぐの、島田の囲碁サークルに入会して3週目になる。一週目2敗、二週目2勝1敗、三週目2勝1敗。囲碁は実力に合わせて、弱いほうが石を予め置いて戦う、置き碁という制度があって、今の所置き方は皆さんの仰る通りとしている。段々思い出して来て、碁らしくなってきた。今は初段という扱いになっているが、そのうち、段の調整があると思う。

   *    *    *    *    *    *    *

秋葉街道似多栗毛の解読を続ける。いささか、うんざりしてきた。滑稽譚は下ネタと思い込んでいるのか、下ネタのオンパレードである。本当に、この文書が町の指定文化財なのだろうか。まあ、膝栗毛自体、そういう傾向にある本だから、似多栗毛としては止むを得ないのかもしれない。まあ、二週間ほどだから我慢して付き合おう。

弥二郎兵衛、火吹竹を持出し、尻をまくって、喜太八が前へ出す。喜太八、心得たりと、尻の穴へ火吹き竹をあて、目、鼻、耳の穴をふたがせ、息をつめてふっと吹けば、芋は口より飛び出たり。

   人玉が 何ぞと問えば 火吹竹 ぶりと答えて 出だし芋玉

   へゝん屁に しんのある 芋玉は 火吹竹にて 吹き出だす芋

果ては笑いになりける。なお最前の娘は、この騒ぎに、暇乞いもせずに、いつか行きければ、喜太八は、けろ/\そこらを見廻して、大仰にふさぐ。なおここにて、弥二郎兵衛、餠も喰い、酒も呑み、少し人こゝろも出来て、最前、道連れ女のてかけ、言い出して、喜太八をわろう。
※ てかけ(手掛け、手懸け)-手に掛けて愛する者。妾。

   芋厭(いと)い 肴も喰える 世の中に 何とてさきの つれなかるらん

(喜太八)「弥次さん喜べ。娘はお先へ行ったわやい。いめえましい。こんな番くらわせはねい。せっかく見付けて、うまくきた代物を、取りにがした。なんでもあした逗留してなるとも、あの代物を尋ね出さねいけりゃ、男がたゝねい」と、つぶやきながら、ひとり立ち出る。弥二郎も秋葉道中記などを買い、亭主に礼を言うて、立ちいずる。
※ 代物(しろもの)- 遊女。また、年ごろの美しい娘。

それより両人、森町へと急ぐに、程なく太田川近く来ると、川端に高札あり。弥二郎見て「むう、なんだ。太田川船橋ともに無賃、酒手等に及び申さず候。こいつぁ妙だ。やぼでないの。早く行って、二、三べん渡ってやろう。喜太八向こうを見ろし。猿芝居の座本が梅二郎問屋の後見という、しわくたな親父、橋際に屋台見世を出し、ちょぼくなって居らぁ。ありゃ、さっき高札に書いてあった通り、この森町というとかぁ、きつく情さけ深いとこと見えて、船賃も橋銭も施行だから、酒も施行だろう。早く行って見よう」
※ 猿芝居の座本が梅二郎問屋の後見 - しわくちゃな親父の屋台見世の形容だと思うが、「梅二郎問屋」がよく分からない。
※ 施行(せぎょう)- 僧侶や貧しい人に物を施し与えること。布施の行。


喜太八「そうだ/\、一寸見ると」北八「弥二さん奇妙だぜ。もし、おやぢさん、かんはついて居やすかね」
親父「はい/\かんはよくついてござります。一つあがらわしゃれ」
※ 奇妙(きみょう)- 珍しくてすぐれているさま。素晴らしいさま。
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秋葉街道似多栗毛4  本郷 - 戸綿峠

(シャコバサボテンも空を見る、我が家のシャコバサボテンが咲いた)

秋葉街道似多栗毛の解読を続ける。

娘「もしへ、あの吉三とお七のような色事もある事かの」と、とんだ話に、喜太八、俄か、襟を直(ととの)いたり、びんをなで付けたり、見栄張って、あしな目付をして、
喜太八「そうさね、とかく人は、見めより心というけれど、お七さんは心意気といい、何もかも言い分なしの心中だて、吉三がほれたも無理はない、という歌も満更じゃぁねい。もし又、今でも吉三がような男があったら、おめい方、どうだろう」と、尻をつめる。
※ あしな(悪しな)- へたな
※ 心中だて - 男女がその愛情の契りを守りぬくこと。また、それを証拠だてること。
※ 満更(まんざら)じゃない - 捨てたものではない。


(娘)「わたしらがどう致しましょう。そして狂言は作り物、真実の心意気は知れませず。たとえ一寸の道連れでも、誠の心が見えたなら、それこそ頼もしい御人とも申しましょうかい」と、この詞(ことば)に、喜太八は心有頂天となり、夢ではないか、もしや狐、狸の類では有るまいか、と眉毛につばきをつけながら、ため息をつき、なんでもこれには妙句があるだろうと、その返事を工夫する。

また、娘「主しへ、おまへさんは御供でも有りそうな事、ただお壱人さまかえ。おあとの方はお連れさまかえ」と、問われて、まご/\しながら、
喜太八「いや、あとのは供でござります。最前より虫気で遅れて参りやす」と見栄張るを、弥次郎兵衛、言葉も出ず、くす/\笑いながら行くに、程なく戸綿峠なる茶屋にかゝる。
※ 虫気(むしけ)-痛みを伴う腹の病気。腹の中にすむ三尸(さんし)の虫によって起こると考えられた。

娘「もし、一服なされませ」喜太八「はい/\」と入り、喜太八「もし御亭主、何かうめえ物がありやすかねぇ」
茶屋「はい/\、何も外にはござりませぬが、ここの名物芋のれんがくがござります」
※ れんがく(田楽)- でんがく。

言ううち、弥二郎兵衛、腹をかゝえて、顔をしがめながら這い入り、物をも言わず、串芋を取って喰う。余り急ぎ喰いしゆえ、親芋の大きなるを丸のみにして、喉へも入らず、口へも出ず、ぎく/\と目を白くして、胸をたゝき、喜太八をおがむ。喜太八、心得たりと、亭主に金さいづちをかりて、胸のあたりを打たんとする。
※ さいづち(才槌)- 小型の木の槌。

亭主あわてゝ「もし/\、どうなさるというに」
喜太八「これで、上からたゝき潰して、芋を出すきの金比羅大権現と、己れどうだ」と言えば、弥二郎兵衛、腹立たしそうに、かむりをふり、
※ 出すきの金比羅大権現 - 「讃岐の金比羅大権現」の語呂合わせの地口。

   のみ込みの 悪い人とて 人々の きもはつぶせど 芋はつぶれず
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秋葉街道似多栗毛3  細谷 - 本郷

(秋葉神社道の道標、東海道とも分岐)

秋葉街道似多栗毛の解読を続ける。

弥次「とんだ欲のふけいばばだ。**玉と言っても、もらいたがらぁ。それはそうと、最前から腹が少し延引した形だが、喜太八、ぬしやぁ、どうだ。」
喜太八「腹はいゝが、一てき、きめかけてぇ」と、程なく細谷村の峠へ来たる。峠の茶屋、折ふし、この頃は往来の人もうすく、みな/\見世を引いて、人も見えず。

細谷村の人、畑打人に、弥次「もし、ここに酒でも餠でも売る家はありませぬかね」
畑打人「酒はないが、わしがとこに餠がござります。なんならしんじようかへ」
弥次「おめえの内ちゃぁ、どこだね」
畑打人「じきそこだが、餠にするには、おまえ方、ちっと待っとうたらずに。まだ黒米であるで、そりようついて、餠にねってしんじよう」
弥次「こいつぁ、つまらねい。そんなら正月来ましょうから、その時にしておくれ」
畑打人「そんなら、どうでも御帰りなさるか。やれ/\おぞうそうだ」

   すき腹の 心細谷の 山道で むしもぐふ/\ 夕暮の旅

喜太八「弥次さん、御艱難という、お顔つきだが、御時分が良すぎるかね」
弥次「喜太八たすけてくれる智恵ぁ、あるめいかえ」
(喜太八)「かなしいこえだぜ。おめえ、鳥居のじゝいを笑ろうた報いだ。なんと、罰(ばち)は、もくせんだち(黙先達)とたしなんで、無駄はいわねいがいゝ。しかし、餠といったら何か有るだろう。そろ/\きなせい」と、行きて、向うの方へ、年の頃十七、八の娘と下女らしき何が、ふつ/\話しながら行くに、喜太八かけつけて、
(喜太八)「もし、おめえ方ぁ、どこまで御出でなされやすね」
娘「はい、森まで参ります。あなたはへ」
喜太八「わっちも森泊りとめえりやすから、どうぞ御一所に頼み申しやす。そして、ここは何と申す所でありますね」
娘「はい、ここは本郷でござります」
喜太八「や、ほんに、あの本郷なら御存じだろうか。吉三さんはお変わりねいか、どうで有りますね」

本郷と聞いて、八百屋お七の舞台となった江戸本郷を思い出し、お七の相手吉三の消息を尋ねた洒落である。

娘、下女に向いて、娘「はい、八兵衛殿の男衆より外にゃぁないで、あの人は毎日/\歩(かち)であるくで、世間の衆も知ってるげなで、大方そうでござります。あなたは吉三殿を御存じかえ」
喜太八「よっく知っておりやす。やっぱり今でも小性かね」
※ 小性(小姓、こしょう)- 寺院では住職に仕える役。

吉三は吉祥寺の小姓をしていた。

下女「いんえ、そんなのろい名じゃない。ぐっとひどい、今はとうがらしの吉三といって、この海道では馬子中間でのきけもので、わしもちっとばかりねんごろした事もございす」
※ きけもの(利け者)- 腕利きの者。はばをきかせている者。

コショウ(胡椒)でなくて、とうがらし(唐辛子)の洒落である。

喜太八「おや、こいつぁ、きめりだ。そんなら、おめいの名はお七かえ」
下女「いんえ、おかべ」こう三人。まあ弥次郎兵衛、腹は耐え難けれど、最前から可笑しい噺しに聞きとれ、酒屋の有るもしらずに、遅れながら、顔をしがめて行く。
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秋葉街道似多栗毛2  大池 - 細谷

(秋葉街道略図、「森町 かぎ屋佐右衛門」が版元なのだろうか。)

今日解読の部分は、少し品(ひん)がないので、一部伏字にする。**の部分は容易に想像できるが、これ以降は読者の品であって、このブログの品には影響しない。

弥二「それはいゝが、誰ぞ道づれになって、とくと様子を聞きてぇ物だ。あれ/\、むこうへばぁさんが行くから呼びかけて尋ねて見さし」
喜太八「ここ、ばあさん、おめえ何か落し物はしねいか」
ばゞあ「はい/\、これは/\、お若いによくお気が付いて、拾わしゃって下された。はい/\、忝(かたじけ)のうごさります
※ ます - □に対角線の入った升の判じ文字を使用。


(「秋葉街道似多栗毛」本文)

弥二「喜八、ぬしぁ、とんだ事をいうぜ、なにを拾った」
喜太八「おれ次第にして、おかっし(と目まぜをして)これ、ばあさん、そうてい拾い物という物ぁ、まず落したものゝ方から、何を捨てましたから、それを拾わしゃったと、くんなせいというが御定りだが、おめえ、先ず何を捨てた」
※ 目まぜ - 目で合図をすること。目くばせ。

ばゝあ「やれ、それがどうして知れましょう。おまえ、まず、謎を掛けるように言って見さっしゃれ。おれが当てましょう」
喜太八「そんなら、こうと、まず色が黒くて、じと/\と汚れ、そして縫目が有って、ひねくって見たが、丸しき、毛少しある形な物、何」
(ばゝあ)「ほんに、そう/\、わしが娵(よめ)入りの時に、持って来た珠数(じゅず)、こん(この)袋の中へ、今朝四文銭を入れて持って出ましたが、袋が古いによって、じと/\します。それ拾わしゃったろう。戻して下され。やれ/\、うれしや/\」

喜太八「なに、ばあさん、そんな物じゃぁねい。わっちらが拾った物ぁ、それとは大違いだ」
ばゝあ「はい/\、そんなら何んでこざろう。ほんに、それ/\、ゆんべ寝がけに娵に隠いて、銭百くすねた所が、何にも入れ物がなかったによって、ちゃん袋の中へ隠して置いて、今朝、そのまま持って出ました。それであらずに。下され/\」

喜太八「なに、おいらが拾った物なぁ、**玉だ。おめえは女だから落しもしめえが、念の為だから、一寸尋ね申した」
ばゝあ「はい/\、その**玉は大きいのか、小さいのかえ」
喜太八「大**も/\、ずっしりとした大物さ」
ばゝあ「大**なら、大方、おらがじいさまが、寺参りの戻りに落したもんだらず。下され/\」

弥二は最前よりだんまりて、聞き居りたりしが、堪えかねて吹き出し笑う。
両人口をそろえて「ばあさん、おめえのじいさんの物だも知れねいが、確かな証拠もねいから、まず、いまは渡されねえ。とくと詮議して尋ねてきさっし。おらぁ、今夜、秋葉泊りだから、宿まで来なせい、あばよ」と追ぬけ急ぐ。
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秋葉街道似多栗毛1 掛川 - 大池

(大池橋そばに、今は秋葉の鳥居はなく、秋葉神社の分社」がある。
今日はお祭りがあったようだ。片付けが始まっていた。)

いよいよ今日より本文を読み始める。予定では半月ほどで読み終えそうだ。

   
※ 跋(ばつ)- 書物の末尾に記す文章。あとがき。跋がどうして最初にあるのか疑問。
えへん、孔子の曰く、これを、智者はこれを好むにしかずとやら何とやら。初編を作られしお方は、いうに及ばず、月妾なるおのこ、この街道の利にくわし。膝栗毛に鞭うち、五ツの巻となせしは、田舎まれなる頓作には、近頃珍らしさ大当り/\。  
※ 頓作(とんさく)- 即座にうまく応答したり洒落などを言ったりすること。また、そのような人や、そのさま。

弥次郎兵衛、喜太八の両人は、それより掛川の駅をはなれて、大池村にかゝれば、秋葉山の鳥居、さもいかめしく見えければ、俄かに思ひ出して、
喜太八「コラ弥次さんおいらが立つ時、大屋さんのいわっしゃるには、遠州の秋葉山へは必ず参詣しろとて、御初穂あつらえたが、なんとこれから秋葉へ参って行こう。しゃぁあるめぇが」
弥二「それもよかろうが、道法はいくらあら。ぬしぁ、知って居るか」
喜太八「道法りは知らねいが、ていげいしれたもんだ。こゝに鳥居が有るから、壱里か一里半だろう。さあ/\よるべい/\」
※ 道法(みちのり)- ある地点に行き着くまでの道路の距離。

鳥居のそばに居る親仁(つんぼうと見へて、大きな声で)「おまえ方ぁ、もちでも呑んだり、酒でも喰ったりしてこざらぬか。これから森まで五十丁、道三里という物なぁ。餠も酒もありゃぁせぬぞへ。腹はよしか/\」
※ 親仁(おやじ)- 店の主人。

弥二「あい、その手もくわぬが、餠もくわねいのさ」
喜太八「馬鹿/\しい。おいらが腹ぁ、餠をくうほどな日照りでもねいのさ」
弥二「また、あのじじいめが、嘘ばか、ぬかしやぁがって、うぬが物を売ろうとすらぁ」
喜太八「とかく油断はならねい。しかし今の親仁めは、森まで五十丁、道が三里といったが、秋葉へ三里とは、ちと御了簡より遠いぜ」
喜太八「そうさ、おいらぁ、壱里か壱里半だろと思ったに、三里とは、少し
今のじいさんの耳ときて居る
※ 餠をくうほどな日照り - 親仁の「もちでも呑んだり」のいい間違いをついたつっこみ。
※ 耳ときて居る - 「距離が遠い」と「耳が遠い」を掛けた言い回し。
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「秋葉街道似多栗毛」を解読始める。

(朝日、ムサシの朝の散歩時、塔は消防署の訓練塔)

「秋葉街道似多栗毛」の題名を見れば、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」を思いつく。「秋葉-」はその便乗ものか、パロディか、と考えるところである。作者は一返舎半九。いかにもあざといペンネームである。この一返舎半九、ネットで検索してみると、十返舎一九の弟子に五返舎半九という戯作者が実在している。その外、九返舎一八、半辺舎一朱、十字亭三九など、名前が出てくるが、一返舎半九の名前はない。

「秋葉街道似多栗毛」の解説を一つ見付けた。(東海まちづくり研究所)それによると、一返舎半九の詳細は不明であるが、遠州方言や街道事情に通じ、地元在住の人物と考えられるとある。目次を見ると、秋葉山参詣の後、鳳来寺、豊川稲荷の参詣までで、5編構成となっているが、現存するのは秋葉山参詣を終えた、3編まで。残りは執筆されなかったとの見方もあるようだ。

森町の歴史民俗資料館のあとがきによれば、「相当筆の立つ方であり、しゃれの心に満ちた人である」と書かれている。まずは読んでみれば解るであろう。なお、原書は森町の指定文化財となっている。

   自叙  初編
往年、十返舎のあるじ、膝栗毛の編書ありて、都鄙、これを翫布事となれり。されど東海道にして秋葉へ詣での、そのつなぎ有りし。紅葉は紅粉を粧(よそお)い、美女に髪の荘観なきが如し。、一夜戯れに筆を投じて、これを補う。も(と)よりその署にあらざれば、作意の拙きは、さらにもいわでの、語勢の精神ながら、存じも、唯、初春一時の興にとて、余寒の爐(いろり)辺にとて、燈灯をかけて記す。

※ 都鄙(とひ)- 都会と田舎。
※ 翫布(がんぷ)- 喜ばれ広く読まれる。
※ 紅粉(こうふん)- べにとおしろい。脂粉。
※ 予(よ)- われ。自分。


以下、目次にあたる部分
   表題  初編
掛川、鳥居、細谷、本郷、戸綿、峠、太田川橋場泊り
   二編
黒石、西俣、三倉、一之瀬、花立、小なら安泊り
   三編
乾の舟渡しより坂下、三十丁目茶屋より秋葉山参詣、戸倉、西河の舟渡し、石打泊り
   四編
神沢より大野、鳳来寺参詣、門谷、志ん城泊り
   五編
新城より豊川稲荷参詣、御油宿泊り
   総目録終り


  見渡せば はらの郷かけて 居尻とは 大尾の下まで 見ゆる黒又
                     一返舎半九
                     国一之十
※ 国一之十 -これも何かのもじりと思われるが不明。

はら/尻/大尾(帯)/又(股)と縁語を並べて諧謔を誘う。原、居尻、大尾山、黒俣といずれも掛川の北部、原野谷川沿いに現在もある地名である。

掛川大池鳥居
  おゝ池とは 神の社に あらねども 橋の上にも 鳥居立つとは

明日から本文に入る。
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松木新左衛門始末聞書43 当目へ参詣・安部川出水(後)、終り

(虚空蔵山から大崩海岸を望む)

松木新左衛門始末聞書も今日が最後である。安倍川の徒歩渡りで、新左衛門は死に目にあった。大井川でも無理な徒歩渡りで少なからぬ人が亡くなったという。神経質な位の川留めにはそんな背景があった。川の流れの恐ろしさは想像以上であっただろうと思う。「当目へ参詣、安部川出水の事」の後半が、松木新左衛門始末聞書の最後である。

治兵衛跡より追い付いて、新左衛門の左りの手を聢(しか)と握りて申す様、何様の事ありとも、この手を必ず離し給う事なかれというて渡る処に、本瀬の真中に成りたれば、水は脇を払う位の深き処にて、漲(みなぎ)り来て肩を乗り越えたれば、心気転倒して、痿(テナヘ)癖足(アシナヘ)中に、横様に浮び上るゝを、治兵衛は行厨、衣類を頭に戴せて縊り付けて居りながら、行手にて両人を引き留める。
※ 縊る(くびる)- 首を括る。ここでは、あごに括りつける意。

されども握りたる手をば放さず、暫し有りて浅瀬に至りて、引き摺り上げれば、両人は大いに狼狽(あわ)て、又この先にし深瀬有りやと案じて煩(わずら)う時に、本瀬は越したり、心易く御渡りあれと云いたれども、最早川を渡る力なきに依て、治兵衛、然らば肩車に召されよと云いたれば、能く/\懲り果てしか、先後の譲り合いもなく、新左衛門、行厨を引き落し、肩車に乗り上がりしに、苦もなく岡へ出でねしたれば、新左衛門は溜息継ぎて、過(あやま)ちたり、肝を潰ぶすというはこの事なるべしと、初めて思い知りたり。初めて不覚を取りたるを見たると申すよし。

治兵衛はまた跡へ返して、連れの人を肩車に乗せ、難なく上りたれば、連れの人申す様、水の達者、命の親なりと讃えければ、新左衛門、唯、万両の仕事なりとばかり云いたるよし。時にいまだ留止(とど)めず。新左衛門平生の人品は何国へやらず下帯ばかりの裸にて這い込みし由。新左衛門は一生の危難。また治兵衛は千頭者にて、水連(練)の達者、人々知る処なり。

大男の二人連れりて、行手にて引き摺りたるは、微力とはいいがたし。殊に足の強きものなり。(ごう)の力士たるものなりと、我ら承りて存じ罷り在る。連れの人は何人(なんびと)か聞かず。
※ 彊(ごう)- 強い。強いる。「强」は「強」と共通の異体字。

それに付き、仕合わせなる事は、当目帰りに弥勒町より雷なりしに、段々募りて夜通し大雷して、町、在、四十八ヶ所へ落たるよし。その夜、新左衛門、関頭勘右衛門と云う者有りて、江尻町に糀屋をして居りたりしに、その日新左衛門の宅に来たり居りて、かの帰宅を案じて居たるよし。雷止みたらば帰るべしと見合せ居れども、猶々大雷鳴、その老母至って雷嫌いによって、詮方なく勘右衛門帰宅のため、両替町壱丁目より江尻町へ帰るまで、電(いなびか)り少しも遠くやみなく、街道日中のごとに有りしよし。

この節の大雷は前代未聞、後代にも有るまじと云いしに、その後、今、安永まで、それ程の大雷は聞かず。元文の初頭までは雷の度毎に云い出さずという事なかりし。

この書、文つたなく、事の前後なる事、妄(みだり)なりといえとも、事実に害なし。依って本書のまゝ写し置きぬ。時に、寛政九丁巳、卯月下旬

再写
これ、文化四卯、祀夷則ち上元より。
※ 上元(じょうげん)- 陰暦正月15日の称。


以上で、「松木新左衛門始末聞書」の解読を終る。
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松木新左衛門始末聞書42 当目へ参詣・安部川出水(前)

(当目山虚空蔵さん)

昨日、浜当目の虚空蔵さんに行って来た。山頂まで登って、ここには一度来たことがあると思った。訪れたのは、何時であったか、今では記憶も無い。

松木新左衛門始末聞書の解読を続ける。

     当目へ参詣、安部川出水の事
一 ある年五月十三日、新左衛門朋友壱人の連れ有りて、羽衣治兵衛に行厨(ベントウ)を荷なわせ、当目山虚空蔵へ参詣す。
※ 当目山虚空蔵 - 焼津市浜当目の海抜126メートルの当目山のある、香集寺。本尊虚空蔵菩薩。往時から「当目の虚空蔵さん」として親しまれ、現在に至る。

時に大崩より雨降りたれども、丸裸に成りて山を登り、参詣して帰る処に、甚しき大雨に成りて、殊に山の登り下り、雨に打ち流るゝ事なれば、山を下りて浜へ出たれば、寒くなりたるを事ともせず、安部川の出水、帰府を妨(さまた)ぐべしや、新斎へ暇乞いなく出たれば、是非帰らずば有るべからずと、心に懸けて、莨も飲まず、民家へ立ち寄りて休足もせず、急いで安部川へ馳せ着きたれども、黄昏に成りて、川は満水にて、あたりに人も居らざれば、川上へ行きて川越しを傭うべしといえば、連れの人申す様、これしきの川水、何を川越しを雇うべきや、倡え打ち渡れと言いて、下帯を〆て打ち入る。

羽衣、留どめ申す様、水をば謾(マン)ずべからず。先々御待ちあれといい
やれば、新左衛門の云わく、治兵衛は日頃に似合わざる比興なり。こればかりなる水に恐るゝや、何ぞ川越し入るべき。その方は自(おの)が跡より来たれ。我等は先へ渡りて向いの岡にて待つべしと云いて、草鞋の紐を〆る。
※ 比興(ひきょう)- 卑怯。

治兵衛あぐみ果して申す様、比興も我慢も事によるべし。御両所は少しの水練を高慢して、渡りても越えても見るべしと思し召せしめ、畢竟すれば、御両所は人間なり、鷹なり。拙者は獺(カワウソ)なり、鵜なり。拙者壱人ならば、この水が倍ありとも、屑(いさぎよし)とせず。鵜の真似して水を飲む事はさて置き、一命浮沈を恐るゝのみ。
※ あぐみ(足組み)- 足を組んで座ること。あぐら。

併し申すとも御承引は有るまじく、然らば拙者一瀬踏み仕り、その上にて御渡りあれと申しても用いず。然らずんば拙者の肩車に御乗り有りて、両度に御越しあれと申しければ、両人訇じて云う。川水の出はな、争論の内も水は弥増(いやまし)に成るというて、両人手を取り、全て飄(ひょう)と打入る。
※ 訇じる(こうじる)- 大きな声で言う。

(この項後半、明日に続く)
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松木新左衛門始末聞書41 遠国へ角力見物に行く(後)

(焼津の虚空蔵山/当目山とも呼ぶ)

長く読み続けてきた、松木新左衛門始末聞書も、あと今日も含めて3回で読み終える。久し振りに、今日は取材で、焼津の浜当目の虚空蔵さんへ行ってきた。わずか126メートルの山ながら、久し振りの山登りはきつかった。虚空蔵さんは次回に出て来る。

松木新左衛門始末聞書の解読を続ける。「遠国へ角力見物に行きたる事」の項の続きである。

元文の初め頃、角力咄し出る度毎に、我等の祖父申し出して、祖父の角力好きも大躰(たいてい)程有るべし。いかにすきなればとて、見物に箱根山を越えて行き、十七日を経て帰るのみにあらず、西国へ行く程の路銀を遣いし事、馬鹿の限りというて、祖父を嬲(なぶり)たるを覚えて罷り在り。

長兵衛は吉原、小田原の芝居にて、褒美、花代を度毎にくれて、また吉原より小田原への出立前に、二、三日吉原に逗留の中、冨士郡の近付き知者へ見舞に行くにも、土産を調(ととの)へて参る。旅篭代、路金まで拾四両遣い捨て、帰りたるよし。
※ 近付き(ちかづき)- 交際のあること。また,その人。知り合い。面識。
※ 知者(ちしゃ)- 知恵のすぐれた人。道理をわきまえた人。


新左衛門は駿府の花麗に異にして、勝ち角力にも花もくれず。吉原にて大関が取り抜きたる時に、扇を開き仰ぎ立て、見事/\と誉めて、扇子を投げてくれ、跡にて金子百疋に引き替えける。小田原に於いて、吉原にての関脇が龍田十助を屠(ほお)りたる時に、扇子を揚げて、よくも取たり。遖(あっぱれ)なりと讃(たたえ)て、その扇を土俵の真中へ投げ出し、これも百疋にて取替えし由。しかし河内屋長兵衛が多分くれたるよりは、新左衛門の弐歩を、殊の外に嬉しがりしなり。

また吉原逗留中、懇意の所へ見舞に行くにも三文の土産も持たず。先方の馳走にばかり成りて、酒は飲まず。朝夕の飯を五、六盃ずつ喰う故か、昼遣いも多分は入らず。早道の達者ゆえ、道中も駕篭に乗らず。先へ行きて立場に待ち居て、両人の駕篭、或は歩行にて来るを待ち兼ねて、小縒(コヨリ)をよりて居たるよし。
※ 早道(はやみち)- 早足で歩くこと。

これに依って、褒美弐分と旅篭代ばかり遣いしゆえ、入用僅か壱両に足らずとなり。遠地の駅郷、見知らざる者どもに、大金を費して見せべきにあらず。誉められたりとて詮もなし。陰墓の金箔、縁の下の力持ちという事なるべし。

祖父平右衛門ども鳥方(取方、角力のことか)誘われ行きしに、吉原尓てかの角力と十兵衛に花くれ、また小田原にて小兵衛、佐兵衛、三郎兵衛、十助等に褒美をくれ、下戸ゆえ銭遣いも少なきなれども、籏篭代、駕篭代まで五両遣いたるよし。

噺の度毎、祖父中ば五両にあらず、三両なりといい紛わすに、祖父申すには、三両は懐中したる金なり。あと弐両は河内屋長兵衛より売掛の書出しの奥に、金弐両角力の取替と有り。されば紛れる所なしと、度々座興ながら諍いし。三人の入用金、廿壱両余なり。
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