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「沢井軍曹之碑」を読み解く

(静岡浅間神社、金谷出身の沢井軍曹の碑)

午後、「古文書に親しむ」講座に出席する。今年度最後の講座である。いよいよ来月より自分の受持ち講座となる。継続してくれる皆さんにテキストを渡した。

浅間神社にある顕彰碑の3基目として、沢井軍曹之碑を解読する。沢井軍曹の出身は金谷だという。

明治丁丑(年)の西南之役、賊勢猖獗、戦闘の、未だかつて聞かず。かくの若(ごと)く有るものなり。而して田原坂の東に劇し、我が軍死傷者四千人。陸軍軍曹沢井敬高、またこれに死す。
※ 猖獗(しょうけつ)- 悪い物事がはびこり、勢いを増すこと。 猛威をふるうこと。
※ 劇(げき)- はげしさ。


敬高、佐兵衛と称し、予の義子なり。嘉永壬子六月十五日に、駿河国安倍郡静岡宮崎街に生る。その祖、遠江国榛原郡金谷驛に出づ。家世売薬を業(なりわい)とす。敬高、幼くして孤(ひとり)なり。天資英敏、賈(あきない)を事するを(潔、いさぎよ)しとせず。兵書を読むを喜ぶ。人、その有為を望む。
※ 義子(ぎし)- 義理の子。養子、娘の夫など。
※ 家世(かせい)- 代々続いてきた家柄。また、その家の代々の人 。
※ 天資(てんし)- 生まれつきの資質。天性。
※ 不屑 - いさぎよしとせず、あきたらず。
※ 有為(ゆうい)- 能力があること。役に立つこと。


他日において、兵制一変して始めて徴兵令を布(し)くに会う。敬高、奮然と起ち曰う。これ吾が素志、将にこれを達する秋(とき)なり。豈(あに)老いて牖下に死すべけんや。然る身、長子にして嗣家在り。役を免ずる例中、因って特にこれを県庁に乞う。
※ 素志(そし)- 平素から抱いている志。以前からもっている希望。
※ 牖下(ゆうか)- 窓のした。「牖下に死す」で、日本語的には「畳の上で死ぬ」こと。
※ 嗣家(しか)- 跡を継ぐ家。


癸酉五月、郷を辞し大阪鎮台連隊に編ぜらる。暇あれば輙(すなわ)文事を講じ、已にして伍長に進む。初め、佐賀之役に従い功あり。十季(年)復た軍曹に擢(ぬ)かれ、その死事の時、年二十有六、実に明治十年三月十五日なり。肥後国玉名郡木葉街高月里に葬らる。
※ 文事(ぶんじ)- 学問・文芸などに関する事柄。⇔武事。
※ 佐賀之役(さがのえき)- 佐賀の乱(さがのらん)。明治七年(1874)二月に、江藤新平・島義勇らをリーダーとして、佐賀で起こった明治政府に対する士族の反乱。


嗚呼(ああ)哀しきかな。敬高の死、人孰(だれ)か哀しまざらん。而して、予のもっとも哀しむ所以(ゆえん)のもの、未だその材の略(あらまし)を見尽し及ばずして、死するを以ってなり。朝廷賜り金、若干祭祀に資し、則ち新旧相謀り、碑を公園の側に樹つ。以って恩典を紀(しる)す。かつ死者を不朽たら使(し)む。銘曰く、

  雖身殞 万世名垂 在險心亨 剛中如斯 安彼佳城 天乎奚疑
※ 繄(ああ)- ああ。(感動詞)
※ 佳城(かじょう)- 墓。墓地。(墓を堅固な城にたとえていったもの)

(銘の意訳、七五調で)
ああ!、その身は殞(し)すと云うけれど、名は百世になんなんと、険しきときも意志強く、かくのごとくのつわもので、堅固な墓に安んじる、誰がどうして疑わん。


    静岡、河島維観撰  勢南、松田元修書並び篆額
  明治十四年三月十五日      妹 沢井氏建  広群鶴鐫

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「丸尾翁頌徳碑」を読み解く その4

(諏訪原城東馬出発掘現場)

午前中、諏訪原城跡発掘調査現地説明会に出向く。今年度の発掘は二の曲輪の重馬出の一つである東馬出である。見学者には関西から駆け付けた人もいるようで、どの世界でもマニアには距離の要素は欠落しているようである。

今回の発掘箇所は旧東海道のすぐそばで、武田の時代から重要視されたようで、三つの馬出が重なっている。今回の東馬出は城の南東隅にある。堀は薬研堀で曲輪側の深さが7.5メートルあるという。発掘品に鉄砲玉が多く見られ、この辺りで戦いがあったことが想像される。諏訪原城の唯一の戦いは天正3年の家康軍により攻め落された戦いである。

今日は今年もっとも花粉が舞う量が多いようで、その中で山中を歩いたため、一日花粉症の症状が酷く、ティッシュが手放せなかった。

丸尾翁頌徳碑の解読を続ける。

民、無感に能わずして、君、官民の間に介し、上に朝旨を奉じ、下に達す。民情、枘鑿有るを免るゝ。県会議員として議長に進み、十数年、衆議院議員に選るゝ。同審、推し重ぬる毎に、部長として前後四年。
※ 朝旨(ちょうし)- 朝廷の意向。
※ 枘鑿(ぜいさく)- ほぞと、ほぞを受ける円い穴。(「枘鑿相容れず」は、二つの物事が、互いに食い違っていて合わないことのたとえ。)


君、学を好み、かつて投資し郷校を立て、また広く書籍を購い、見附文庫を建て、人の就読に便ず。また和歌を嗜(たしな)み、集蔵、家に有り。(明治)二十九年五月一日病歿距。生れ、天保三年八月享壽六十有五。北島氏に配(つれそ)い、四女を挙ぐ。男子無く、秋野氏の子、鎌三郎を養う。(鎌三郎は)長女を娶(めと)り、家を承く。
※ 郷校(きょうこう)- 江戸時代から明治の初年にかけて、藩士や庶民の教育のために各地に設けられた学校。
※ 歿距(ぼっきょ)- 歿去。死去。
※ 朔(ついたち)- 一日。
※ 享壽(きょうじゅ)- 天から享(う)けた壽数。つまり死んだ時の年令。享年。


明治丗二年十一月廿日 正二位勲一等子爵、榎本武揚題額拜撰文 旭宇新岡久頼書 藤田長利刻
※ 榎本武揚(えのもとたけあき)- 幕末の幕臣。昌平坂学問所、長崎海軍伝習所で学んだ後、幕府の開陽丸発注に伴いオランダへ留学した。帰国後、幕府海軍の指揮官となり、戊辰戦争では旧幕府軍を率いて蝦夷地を占領、いわゆる「蝦夷共和国」の総裁となった。箱館戦争で敗北し、二年半投獄後、明治政府に仕えた。逓信大臣・文部大臣・外務大臣・農商務大臣などを歴任。
※ 旭宇新岡久頼 - 新岡旭宇。江戸時代末期・明治期の書家。弘前藩士である書家新岡九郎兵衛の子で、藩校稽古館で蘭学を修め、上田流書家工藤彦四郎に書法を学び、弘化四年(1847)に江戸に出て、寛永寺春性院に寄宿し、衆僧に書を教授した。
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「丸尾翁頌徳碑」を読み解く その3

(静岡、浅間神社楼門の扁額)

午前中、再度、静岡浅間神社に行く。碑文の3文字が読めずに確認のためである。碑の上部で、確認が難しかったが、判ってみれば何のことはない。「文六其通稱也」と読めた。

丸尾翁頌徳碑の解読を続ける。

天下にその名を知らざる者無き、天下にその名を知らざる者無き、それ前者の不忘、後者の師なり。この碑、ここに立つ人々、観て感じ、感じて継続を奮ず光前啓後を辞さずして、益々将(まさ)利国富民の図なり。ここにおいて、君、不死たるなり。乃ち、君の家世生平略叙し、併せて石に勒(きざ)ませしむ。
※ 奮ず(ふんず)- ふるい立つ。気力をふるう。
※ 光前啓後(こうぜんけいご)- 過去の栄光を継続し、それを発展させながら将来を開拓していくこと。
※ 利国富民(りこくふみん)- 国を利し民を富ますこと。
※ 家世(かせい)- 代々続いてきた家柄。また、その家の代々の人。
※ 生平(せいへい)- ひごろ。ふだん。平生。
※ 略叙(りゃくじょ)- 簡略に述べること。


君、諱(いみな)清謙。号、松斎。文六、その通称なり。その先、清和源氏に出で、天正年間、徳川氏に仕う、丸尾修理有り。小笠原氏守に隷(したが)い、高天神城以って、武田氏を禦(ふせ)ぐ。城陥(お)ち、死す節、子孫農に為る。数世以って君に及ぶ。君の父、曰う。「清」字、母水野氏に、君承(う)く。膝下を歓(よろこ)び、孝養を匪懈す。
※ 膝下(しっか)- ひざもと。自分を庇護してくれる人のもと。
※ 匪懈(ひかい)- 怠らないこと。


当家を壮んに及び、義に伏し、財賑を踈(うと)み、恤災を窮む。郷里、その度に頼る。また海陸運輸の利を興し、新道を開通し、数十里に亘る。地頭方埠頭を築き、汽船を購(あがな)い置く。
※ 財賑(ざいしん)- 財産が増えること。
※ 恤災(じゅっさい)- 災難にあった人々に金品を与えて見舞う。


車駕西巡、事上聞に達し、を下し、これを褒(ほ)むる。実に(明治)十一年十一月に在り。また政治に心を尽くす。封建に在るこの時、既にその横須賀藩を賛(たす)く。改まりて藩廃に及び、大小区長として、戸籍を査覈し、地租を改正し、以って教学(教育)の方、徴兵の制の事に至る。皆新しく創(はじ)む。
※ 車駕西巡(しゃがせいじゅん)- 明治天皇の西への行幸。
※ 上聞(じょうぶん)- 天皇や君主 の耳に入ること。
※ 詔(みことのり)- 天皇の命令、またその命令を直接に伝える文書。
※藩廃(はんはい)- 廃藩置県のこと。
※ 査覈(さかく)- 調査。


(丸尾翁頌徳碑の解読、続く)
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「丸尾翁頌徳碑」を読み解く その2

(庭の鉢植えのクリスマスローズ)

図書館に一文字だけ調べに行った。偏(へん)に「血」旁(つくり)に「阝」、何という字か。「恤」の別字と判った。だから、読みは「じゅつ、あわれむ」、意味は「憂える。心配する。あわれむ。困っている人に金品を贈る。」次回で出てくる。もう少し詳しい漢和辞典を手に入れようかと思う。

丸尾翁頌徳碑の解読を続ける。

(けだ)し、君、下手にして斯業これを始めて、静岡茶業の隆旺、今日の如く致す。また実にこれに基づき云う。君、智深く勇沈にして、心細量宏公利に狥じ、国の志、天性に根ざす。身を挺し、敢えて盤錯に遇(あ)うごとに、その気、益々振い、不倦不沮、以って諸所区画を改め、成功せざる莫(な)し。
※ 隆旺(りゅうおう)- 盛んに栄えること。
※ 勇沈(ゆうちん)- 勇敢で沈着なこと。
※ 心細量宏(しんさいりょうこう)- 心細かく、度量が大きい事。
※ 公利(こうり)- 公共の利益。公益。
※ 天性(てんせい)-天から授けられた性質。また、生まれつきそのようであること。
※ 盤錯(ばんさく)- 「盤根錯節(ばんこんさくせつ)」の略。曲がりくねった根と、入り組んだ節。複雑で、処理や解決の困難な事柄。
※ 不倦不沮(ふけんふしょ)- うまず、くじけず。


明治十六年、神戸に製茶共進の会有り。当時、茶市の利大を以って、人、目前の小益に眩(くら)み、往々濫造者有リ。君久しくこれを憂い、乃(すなわ)ち、その期会を以って、全国茶業者のため、茶帮議立し、これを政府に白(もう)し、允(ゆる)しを得る。君、遂に日本茶葉組合中央会議長として推さるを見る。
※ 茶帮(ちゃばん)- 茶の同業者団体。
※ 議立(ぎりつ)- 会議をして設立する。


(そで)を以って、そのを得、また茶市の繁多、外人所のために壟断されるを慨す。海外直槽(船)の方を創(はじ)め、米国金山に肆(みせ)を設け、号して富士商社と曰う。勅賜藍綬の章を以って、勧業博覧会製茶共進会に及び、皆、頂等賞牌、褒状を以って遺(のこ)す。
※ 弊(へい)- よくない習慣。害。
※ 繁多(はんた)- 物事が非常に多いこと。用事が多く忙しいこと。
※ 壟断(ろうだん)- 利益や権利を独り占めにすること。
※ 慨す(がいす)- 嘆く。憂える。憤慨する。
※ 米国金山 - 米国サンフランシスコ。(正しくは、旧金山)
※ 勅賜(ちょくし)- 天皇からいただくという意味。
※ 藍綬の章(らんじゅのしょう)- 公衆の利益、公共の事業で事績著明な人に授与される褒章。
※ 頂等賞(ちょうとうしょう)- 最高賞。


(丸尾翁頌徳碑の解読、続く)
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「丸尾翁頌徳碑」を読み解く その1

(静岡浅間神社の丸尾翁頌徳碑)

丸尾文六氏を顕彰する碑は、丸尾原水神宮に建つものを解読したが、その碑面で、もう一つ、榎本農商務大臣所撰の頌徳碑があることを知った。調べてみると、静岡浅間神社境内に五基ある内の一基がそれであった。丸尾原水神宮のものと較べると、かなり難解な文面であるが、解読してみる。

最初の碑の写真でほとんど文字の判読は出来たが、一部不明な所があり、今日再度浅間神社に行ってみた。戻って確認したが、まだ判明しない部分がある。見切り発車で解読を進めてみようと思う。

丸尾翁頌徳碑
海禁より既に、互市を除き盛行なり。我が邦の出口の貨、茶葉を以って大宗を為す。海外の人、その口吻を潤し、その胃腸を滋するもの、専ら我れを取りて我れ坐を得て、その利を収む。

※ 海禁(かいきん)- 中国、明・清時代の中国人の海外渡航と貿易を禁止制限する政策。ここでは、江戸時代の鎖国のことを示す。
※ 互市(ごし)- 互いに物を売買すること。貿易。交易。
※ 盛行(せいこう)- 盛んに行われること。
※ 大宗(たいそう)- 大部分。おおかた。
※ 口吻(こうふん)- 口先。口もと。


(にわ)か、米の庶、英法の富は、等外の府が後れて来たるを視る。我が邦のこれを確かに以って宇内に視るべき者、蓋し将にこれを資(たす)けん。余、かつて乏しきを承け、農商務大臣の力で、その業を獎(すす)む。則ち、静岡丸尾文六君の如く、安(いずく)んぞ、無祀にてこれを表わすべからんや。平況、県下に有る、有志諸子、これに碑石の文を請う。而して辞するを得べからざるなり。
※ 英法(えいほう)- 英国と仏国。
※ 等外(とうがい)- 等外官。明治初期の官制で、最下級の官吏。
※ 宇内(宇内)- 世界。
※ 平況(へいきょう)- 普通の状態。


君方、維新の初め、徳川氏、駿遠に移封の時、藩議、大井川渡船を許す。川原徒渉、旅客過ぐる者、概して津夫の背を頼む。輿を負い載せて、川の両岸にて資(たす)くを以って、生を為す者、百数家、一旦、船を用い、皆その業を失う。君、藩旨を請け、牧之原を墾(たがや)し、榛莾を披(ひら)き、硌确を除く。人、二反五畝の地を給い、茶を栽え尽くしむ。
※ 津夫(つふ)- ここでは、川越し人夫。
※ 榛莾(しんもう)- 草木が群がり茂っている所。また、群がり茂った草木。
※ 硌确(ろうかく)- 邪魔な岩石。


(丸尾翁頌徳碑の解読、続く)
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「水道建設頌徳碑」を読み解く

(金谷、水道公園の「水道建設頌徳碑」)

昨日、取材に行った、「水道建設頌徳碑」を解読した。現物が読めなかった分、かなや会館の方に頂いた「碑文」の資料を参考に読み進めたが、読み下してみると、その碑文資料に4ヶ所、違いがあることに気付いた。「碑文」の資料を作成した方は、おそらく読み下してみてはいないのだろうと思った。

頌徳碑
静岡縣知事、正五位勲四等伊東喜八郎、篆額

金谷町金谷、これなる地、丘陵をその三面に擁し、北東一面を金谷河原に接す。河原これなる言、磧(かわら)なり。昔、大井川の流れ、その地、砂磧磊々、故にこの名有り。今、市街となる。水脈、なお存り。地を掘る数尺で、清泉掬すべし。
※ 砂磧(しゃせき)- 砂の河原。砂原。
※ 磊々(らいらい)- 石が多く積み重なっているさま。
※ 掬す(きくす)- 両手で水などをすくいとる。


金谷、則ち然らざる地、概して岩質を粘土を以って覆う。井を鑿(うが)ち、水を得る。多く飲むに堪えず。以って、筧(かけい)を溪澗(たにま)に引き、纔かに能く渇きを免れる。旱(ひでり)則ち炊爨の用を欠く。則ち、溷濁動き、田圃の汚水が雑(まじ)り、衛生を害(そこ)なう。郷民これを憂いて、未だ補給の方を得ず。
※ 炊爨(すいさん)- 飯をたくこと。
※ 澇(ろう)- 水びたしになること。
※ 溷濁(こんだく)- いろいろなものがまじって濁ること。


静岡の人、岡部安次郎君為人任侠。心に公益存り。急難の人に赴(おもむ)くに身命を顧みず。嘗(か)つて以って、往来を事とし、金谷にその状を目撃し、救済の心を起こす。これにより、暑寒を冒(おか)し、榛莽を穿(うが)ち、以って水源を索(もと)める。辛苦二星霜、遂に枡渕を発見す。その量を計り、その質を検べ、優に闔郷の用に供するに足るを知る。
※ 為人(ひととなり)- 生まれつきの性質。天性。
※ 任侠(にんきょう)- 弱きを助け強きをくじく、義のためならば命も惜しまない、といった気性に富むこと。おとこ気。
※ 榛莽(しんぼう)- 草木が群がり茂っている所。また、群がり茂った草木。
※ 二星霜(にせいそう)- 二年間。
※ 闔郷(こうきょう)- 村じゅうみんな。全村。


(すなわ)ち有志に経営の急を以って説く。有志感激し、資を募り、工を起す。貯水池、濾過池、配水池を設け、鉄管を以ってこれを各戸に分く。消火栓を併置し、以って祝融に備う。一日の量、大旱に千二、三百を下らず。多くは則ち、三千余斛に至る。金谷の地、復び涸渇の憂無し。
※ 祝融(しゅくゆう)- 火災のこと。
※ 大旱(たいかん)- おおひでり。
※ 斛(こく)- 石。体積の単位。米穀などを量るのに用いる。一石は一〇斗。約 180リットル。


工事、大正十三年十二月に始り、十四年五月に終る。岡部君、探討より落成まで、日来服労して報酬を固辞す。郷民深くその徳を感じ、碑を樹て、これを頌す。余にこれを叙せしめ、余また一郷民にして、その感を同じうする者なり。録すを辞さず。この梗概、かくの如し。
※ 探討(たんとう)- 奥深く隅々までさぐり、調べること。調べ究めること。
※ 日来(にちらい)- ふだん。ひごろ。
※ 服労(ふくろう)- 労役に従うこと。
※ 頌す(しょうす)- 功績や徳を,文章や言葉にしてほめる。すばらしさをたたえる。


  大正十四年、歳は乙丑なり、十月九日建 
                 河村多賀造撰並び書
                    金谷町
                     彫工 小林青龍刻

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「阪本藤吉製茶之碑」を読み解く その2

(「阪本藤吉製茶之碑」/ 静岡浅間神社境内)

静岡浅間神社境内にはこの碑を含めて、五基の石碑が並んでいる。他の碑も順次読んでみようと思っている。

「阪本藤吉製茶之碑」の解読を続ける。

(かつ)て鬻(ひさ)ぐ、諸々江戸侯伯争い買う。阪本茶園の号、嘖々たり。初め狂愚非毀の者、皆来たり謝罪す。かつ教えを乞う。藤吉欣然一笑、その秘訣を授く。これにより駿州の茶、大いに天下に著す。
※ 侯伯(こうはく)- 侯爵と伯爵。諸侯。
※ 嘖々(さくさく)- 人々が口々に言いはやすさま。(良い評判)
※ 非毀(ひき)- 悪口を言うこと。
※ 欣然(きんぜん)- よろこぶさま。楽しげに事をするさま。


豈に所謂(いわゆる)倜儻敢為、力を竭(つく)し、財を散じ、一世の業を創るものや。今則ち、静岡茗葉(茶葉)、海外ヘ運輸す。年率一千万斤、價(あたい)、二百万金を下らず。盛んと謂うべし。かつその気味芳甘、宇治を譲らず。これその、欧人の口に適(かな)いて、殊域に誉れを取る所以(ゆえん)なり。
※ 倜儻(てきとう)- 才気が衆人よりはるかにすぐれていること。
※ 敢為(かんい)- 物事を困難に屈しないでやり通すこと。敢行。
※ 一千万斤 - 一斤(きん)が600gとして、6000トンになる。
※ 殊域(しゅいき)- よその世界。よその国。


藤吉亡き後、官、金若干、その孫文平に賜り、その功を旌賞す。実に明治二十年九月なり。静岡県業茶(茶業)者、藤吉の遺徳を景仰し、その公園に碑を建て、以ってこれを不朽とせん。書記官伊志田君友方を价(かい)して、余に文を請う。余、その恵を嘉(ほ)め、後人に波及す。これを叙するを辞さず。また係るを詩を以って曰く、
※ 旌賞(せいしょう)- 善行などを公にしてほめること。
※ 景仰(けいこう)- 人格の高い人をあおぎ慕うこと。


 于以植茶 静岡之原 于以摘茶 南圃北圃 于以製之
 維甘維馨 于以輸之 維米維英 于以遺之 国家福履
 誰其創之 有卓藤子

※ 藤子(とうし)- 藤吉先生。

(詩の意訳)
ここに以って茶を植える、静岡の原。ここに以って茶を摘む、南畑北園。
ここに以って茶を製す、甘く香しく。ここに以って茶を輸す、米また英ヘ。
ここに以って茶を遺す、国家の幸せ。誰それ茶を創る、卓れた藤子あり。


       従四位勲三等巌谷修書並び題額    三省 河野春鐫
 
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「阪本藤吉製茶之碑」を読み解く その1

(日差しの暖かい大代川近辺)

今日は風もなく暖かくて、裏の柿の木の上部を少し切った。

島田市伊久美出身の「阪本藤吉製茶之碑」が静岡の浅間神社の境内に建っている。出身地の伊久美にも建つというが、おそらく最近のものだろうと思う。伊久美の碑もいつか見に行く積りではいる。

碑の撮影がうまくなく、ぼやけて判読できない部分があり、手元にあった「伊久美村誌」に全文が出ていたので、参考にした。ところが何ヶ所か間違いがあって、どうしても解読がうまく出来ない。やはり、文字を写すだけでなく、読み下して、意味を理解してみないと、正しさの確認が出来ないから、間違いにも気付けない。これは古文書にも言えることで、読み下して意味が通じないと解読したことにならない。

さて、それでは読み下してみよう。

阪本藤吉製茶之碑  東京 信夫粲撰文

嗚呼(ああ)倜儻敢為の士、終身の力を竭(つく)し、一家の財を散じ、人の毀譽を顧みず。而して後、一世の業を創(はじ)め、後世に不朽たるを以ってすべし。苟(いやし)くも、かくの如く能(あた)わば、箍桶補釜の微といえども、なおその功を没せず。况んや茶葉の海外ヘ輸出をや。国家の貧富これに関りて、かかる阪本藤吉為す所、安(いずく)んぞ、伝えざるべきや。
※ 倜儻(てきとう)- 才気が衆人よりはるかにすぐれていること。
※ 敢為(かんい)- 物事を困難に屈しないでやり通すこと。敢行。
※ 毀譽(きよ)- けなすこととほめること。悪口とほめ言葉。
※ 箍桶(たがおけ)- 桶にたがをはめること。
※ 補釜(ほかま)- 釜に空いた穴を埋めること。鋳掛。


藤吉、駿河国志太郡伊久美邨(村)人、天資倜儻、事に臨み為敢す。毎々、地方製茶の不良を歎じ、弊害を除くを欲す。発明有る所久し。一日江戸に抵(あた)り、適(たまたま)宇治茶師某に逢う。その方を以って問う。大いに感ずる所有り。遂に宇治に抵(あた)り、千金を擲(なげう)ち、男女数十人を傭(やと)い、これを試す。その家遠近、これを聞き、笑いを以って、愚と為し、狂と為す。
※ 天資(てんし)- 生まれつきの資質。天性。

藤吉夷然、顧みず、励精益々勗(つと)める。乃ち一家の製を創り、玉露金液など佳茗陸続として成る。
※ 夷然(いぜん)- 落ちついて動じないさま。平然。
※ 励精(れいせい)- 心を励まし努力すること。精を出すこと。
※ 佳茗(かめい)- 味が良い茶。
※ 陸続(りくぞく)- 次々と連なり続くさま。


明日へ続く。
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明治時代の汽車火事、再び

(「明治時代の汽車火事」の碑)

久し振りに読む石碑は、明治時代に蒸気機関車による沿線の火事の話を記した石碑である。2008年2月17日に、一度、このブログで取り上げている。その当時は漢文も読めず、少しだけ拾い読みをした程度であったが、今回はしっかりと読んでみた。

紀念碑
 正七位勲六等、板垣昌徳、篆額 上田義実撰文

孟軻氏曰く、誠は天の道なり。思誠は人の道なり。行人の道、遺譽を以って百世に於けるは、これ義士、仁人と謂う可きなり。
※ 孟軻(もうか)- 孟子のこと。「軻」は諱。
※ 遺譽(れい)- 死後に残るほまれ。


明治三拾有一年五月廿二日、東海鉄道汽車、当遠州小笠郡河城の邑(村)を過ぐ。烟筒(たまたま)火を噴き、火は沿道の民家へ。この日天気朦朧、西風強烈、煙々天に漲(みなぎ)り、遂に拾余戸に延焼す。
※ 烟筒(えんとう)- 煙突。

ここに罹災の民、相謀り、以って官に償いを要(もと)む。官応じず。その民、憤然、窃(ひそ)かに相集まる。発事者、村長高岡重一氏、窃かに聞き、これを知り、罹災の民を招く。某々ら、これを踰(こ)え、自製の陳情書と総代鈴木美賢氏共に、鉄道局ヘ請い、陳情を以って償いを要(もと)む。半歳を経て、答え無し。

高岡氏、奮然上京、逓信省に詣で、大臣某に面ず。曰く、官若し請いに応じざれば、裁判を要(もと)め、理否を決す。大臣の陰、静岡県知事加藤平四郎君をして調停せしむ。これを高岡氏聴かず。県知事厚くこれを諭し、帰国せしむ。以って命を待ち、数日を経て鉄道局、金弐千余円を出し、以って罹災の民を慰藉す。
※ 慰藉(いしゃ)- なぐさめいたわること。

これにおいて遭災の民、皆高岡氏に義侠を感じ、その功蹟を百世に伝えんと欲す。余、碑文を嘱(しょく)す。余、固(もと)より不学短才、然しその事故を詳知し、解(げ)するを得ざるなり。高岡氏、世々豪農たり。資性温良、然(しこう)して、弱きを扶け、強きを挫く。事に臨み、屈撓せず、必ずその意を達し肯ずる。蓋しその民を慮(おもんばか)るや深き故、至誠感神、その意旨を達するものなり。嗚呼、加え、高岡氏、義士仁人と謂うべきなり。
※ 屈撓(くっとう)- 屈服すること。
※ 肯(がえん)ず - 承諾する。同意する。
※ 意旨(いし)- 意図。意向。


銘曰く、
  義高仁深   至誠感神   扶弱挫強   爲義忘身
  其智其勇   克済災民   罹災之民   孰忘其仁

(銘の意訳、七五調で)
義高くして仁深く、至誠は神の域にして、弱きを助け強挫く、義を為すために身を忘れ、その智と勇を兼ね備え、災害に克ち民救う、この災害を受けた民、誰がその仁忘れよう。

    明治三十三年五月二十二日これを建つ   井上淡水謹書
                          石工坂田鳴鳳鐫字

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「川崎今平紀功碑」を読み解く

(川崎園裏手に建つ、川崎今平紀功碑)

金谷には漢文碑は数少ない。その一つ、「平口機一郎の碑」が八雲神社にあると知り、先日見に行った。ところがその碑は碑面を下にして横倒しになり、石のテーブルのように置かれていて、碑面を読むことは出来なかった。後日、八雲神社の方に尋ねてみたところ、倒れる危険があったので、そばの木を伐採する序でに、横倒しにした。昔、町の有志が建てるというので、八雲神社で場所を貸しただけなのだが、あとどうするのか、町に聞いても、町は関わっていないと取り合ってはくれない。

言葉が刻んである石碑だから、粗末には出来ない。しかし代が替って、有志の人たちも手が出なくなって、この石碑は今後、どうなってしまうのであろう。八雲神社の方も思案顔であった。

金谷にもう一基、紀功碑がある。川崎園というお茶屋さんの裏手で、同敷地内にあって、ほとんど人の目には触れない。川崎今平氏は川崎鉄工場(現、カワサキ機工)の創業者で、製茶機械を開発し、茶業界に広めた功労者である。その割には大切にされているようには見えず、川崎園に聞いても、碑の内容を理解してはいなかった。

江戸から昭和の戦前まで、人々の功績を永久に残そうと、たくさんの石碑が建てられたが、石碑が朽ちる遥か前に、人々の記憶から消え、石碑のことは忘れられているしまうだろうことを、石碑を建てた人々は想像しなかったのであろうか。

川崎今平氏の紀功碑を以下へ読み下して示す。氏の茶業界に対する功績からすれば、碑文はやや舌足らずに思える。

 紀功碑 正五位勲三等大谷嘉兵衛
※ 大谷嘉兵衛(おおたにかへえ)- 明治、大正、昭和の実業家。製茶貿易業に携わり、「茶聖」と呼ばれた。第2代横浜商業会議所会頭。貴族院議員。正五位、勲三等旭日中綬章。

駿遠の州たるなり、山を負い、海を臨み、沃野遠く闢(ひら)きて、気候温暖、最も茶苑と州人宜しく、多く製茶を以って業と為す。
※ 沃野(よくや)- 地味のよく肥えた平野。
※ 茶苑(ちゃえん)- 茶園。


川崎今平、の金谷人なり。資性明敏、才識群を超え、(つと)機械製茶の利を察す。研鑚積年、遂に能く製茶機数種を発明す。多く改良する所、民頻(すこぶ)るこれを便じ、遠近争い購(あがな)い置きて、茗茶を二州の産物の大宗と為す。何其(なんと)盛んなり。
※ 遠(えん)- 遠州。遠江国
※ 夙に(つとに)- ずっと以前から。早くから。
※ 二州(にしゅう)- 駿遠。駿河と遠江の二つ。
※ 大宗(たいそう)- 物事の初め。おおもと。
※ 何其(なんと)- なんとまあ。


大正十一年二月一日病没、享年五十六。頃者、郷人胥議し、不朽の君の名の為、余に文を請い、余以って、君の事業、国益に関す故、喜んでその功を紀す為に、労を云う。
※ 頃者(けいしゃ)- このごろ。近ごろ。
※ 胥議(しょぎ)- 皆んなで相談すること。


大正十四年九月
    帝国大学教授文学博士塩谷温
    榛原郡茶業組合長伊藤仙太郎書
※ 塩谷温(しおのやおん)- 日本の漢学者。東京帝国大学名誉教授。
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