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峡中紀行下 18 九月十七日、「橡の実」の訳と、揮毫のこと

(散歩道で見つけたゴマダラカミキリ)

島田のUさん、藤枝のNさん、番生寺のMさんに「再び」を届けた。久し振りに会ってお話するのが楽しい。

荻生徂徠著の「峡中紀行 下」の解読を続ける。

況んやこの行、軺車の経る所、郷有司(村役人)前に戒め、郵丞里正道左に扶服(平伏)し、遇(あ)う者は馬を下り、言う者は鞠躬如たり。遂に昔の吾なることを忘れて、自(より)て以って、固(もと)より、これ有りとすなり。その人と狙(ねら)いと糧を同じうする者を覩(み)るに及んで、爽然として自失し、復た忽(たちま)ち前身を悟るなり。因って思う、啻(ただ)我のみならずや。
※ 軺車(ようしゃ)- 一般の官吏が乗った傘のような屋根だけがある馬車。もっともここで乗っているのは、轎(駕籠)である。
※ 郵丞里正(ゆうじょうりせい) - 宿役人や村長(むらおさ)。
※ 鞠躬如(きっきゅうじょ)- 身をかがめて、つつしみかしこまるさま。
※ 爽然(そうぜん)- がっかりするさま。ぼんやりするさま。


その東都(江戸)に生長して、以って恩沢中に老死する者、則ち前身皆、生を隔てんや。故に我懇ろに(橡の実)四五を丐(乞)いて、都に還りて後、将に以って、吾が党、紈絝の子に饋(おくり)て、それをして、いわゆる宿命通なる者を、獲(え)(せしめ)んと。これ豈、四、五の善(知)識に非ずや。善知識にして、これ(橡の実)を失う。これ豈これを求めて太(はなは)だ急(せか)すべからざらんや。足下何ぞ以って諸(これ)を笑うや。則ち省吾、唯々、そのなるを腹笑すなり。
※ 恩沢(おんたく)- めぐみ。いつくしみ。おかげ。
※ 生を隔つ(せいをへだつ)- 死んで生まれ変わる。
※ 紈絝(がんこ)- 白い練り絹のはかま。(中国では昔貴族の子弟の服装であった。転じて)貴族の子弟。
※ 宿命通(しゅくみょうつう)-(仏)六神通の一。自他の過去の出来事や生活をすべて知ることのできる超人的能力。
※ 迂(う)- 回りくどいこと。
※ 腹笑(ふくしょう)- 腹の中で笑う。


逆旅(宿屋)主人、(先生を)何人なることを知らず。冠するに方(あた)、予が従える所のを介して、詩を留めんことを乞う。これを奇(珍事)とすること甚し。燈心帋(紙)を需(もと)めて、展げて途中の一、二首を書す。また五奇を作りてこれに畀(あた)う。
※ 冠するに方(あた)る -「礼記」の「二十を弱と曰ひて冠す」から、「弱冠」つまり男子二十歳のこと。
※ (けん)- 若党。
※ 五奇 - 紙本墨書猿橋五奇。猿橋宿内で見聞きした奇妙な事柄を五つ選んで書いたもの。当時の駅長であった幡野家に、現代までそのまま残されている。
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峡中紀行下 17 九月十七日、先生過去を語る

(散歩道のクレマチス)

荻生徂徠著の「峡中紀行 下」の解読を続ける。

(先生)曰く、嘻(あゝ)我の南豫章に在る方(頃)で、天譴未だ霽(は)れず、親々及び諸(もろもろ)、知識する所の厚禄(高禄)の者、半字の相問う無し。これを以って、日夜奔走して、山谷の間を窮め、牧豎耕夫伍し、備えに稼穡の艱難する所を嘗(な)むること、十数年の間、その所の四方に餬口する者、大氐(たいてい)、盤中に堆(たか)藜藿芹藻を盛り、荒歳には則ちその大半に草根、樹皮居す。糅るに半掬(すく)い許りの菽麥を以ってす。その公上に貢する所(年貢)香稲は、悉く皆眼飽きて口未だ熟せず
※ 南豫章(なんよしょう)- 上総国のこと。徂徠は子供のころ、父の蟄居で、母の故郷である上総国長柄郡本納村に、家族で移り住んだ。
※ 天譴(てんけん)- 天罰。
※ 半字(はんじ)- わずかなことば。
※ 牧豎(ぼくじゅ)- 牧童。
※ 耕夫(こうふ)- 田畑をたがやす男。農夫。
※ 伍す(ごす)- 仲間となる。
※ 稼穡(かしょく)- 種まきと収穫。農業。
※ 餬口(ここう)-(ほそぼそと)暮らしを立てること。
※ 藜藿芹藻(れいかくきんそう)- アカザの葉と豆の葉、せりと水草。
※ 荒歳(こうさい)- 凶作の年。
※ 糅る(かつる)- まぜ合わせる。まぜる。
※ 菽麥(しゅくばく)- 豆と麦。
※ 香稲(かいね)- 中国では稲の一品種名。ここは香(かんば)しい稲の意。「香」は美称。
※ 秔(うるち)- 一般に炊いて飯にする、粘り気の少ない米。
※ 香稲白秔 - 年貢に出すような上米のこと示す。
※ 眼飽きて口未だ熟せず - 目では見ているが、口には入らず。


一度、大恩に霈(うるおい)しより来(この)方、事(つかえ)る所の主、大(名)、小(名)、朝廷の、分れ有ると雖も、合わせてこれを計れば、六、七百石の米を得るべし。その箸を下す所の、五侯(諸侯)贈遺する所を、鱠にすること、樓氏の子が如くなること、未だ能わずと雖(いえど)も、また、九を借りて韭を詐(あざむ)、以ってその窶々しき諱むに至らざるなり。
※ 贈遺(ぞうい)- 人に物品を贈ること。また、その物品。
※ 鱠(なます)にする -「鱠(膾)」は、魚・貝や野菜などを刻んで生のまま調味酢であえた料理をさす。ここでは、美味、贅沢な料理として「鱠」を上げている。
※ 樓氏の子 - 漢代の「婁護」という人。王氏の五侯(王族)から送られた生魚でなますを作り、「五侯 青」と呼んだことが「西京雑記」にみえる。これを踏まえた話。
※ 窶々(やつやつ)しい - みすぼらしい。
※ 諱む(いむ)- 避ける。
※ 九を借りて韭を詐(あざむ)き - 「九」と「韭」が同音であることから、三種の韭(にら)を食べていることを、三韭(きゅう、九)二十七種の美味を味わっていると、戯れた故事を踏まえる。

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峡中紀行下 16 九月十七日、篠籠(笹子峠)を越える

(散歩道のヒメジオン)

午前中、散髪に行く。午後、アクアの点検に出向く。散髪屋の主人とディーラーの担当に、「再び」を進呈した。両者ともに、前回も進呈していて、もう10年、20年と言った付き合いである。

荻生徂徠著の「峡中紀行 下」の解読を続ける。

十七日中夜蓐食して迺ち発し、篠籠(ささご、笹子峠)に上る。半嶺(峰半ば)にして、天稍々明なり。深い谷底の人家、雞(鶏)声遙かに聞こう。山豈に岱山に比するや。然ると雖ども、意(気持)日観の勝に渇け(渇望)ること甚し。従者をして轎を推して上ら使(し)む。
※ 中夜(ちゅうや)- よなか。夜半。
※ 蓐食(じょくしょく)- 朝早く外出するときなどに、寝床の中で食事をすること。
※ 岱山(たいざん)- 泰山。中国、山東省の中央部、済南の南に位置する名山。五岳の一。
※ 崇(すう)- 気高いさま。
※ 日観(にちかん)- 泰山の東南の峰を日観と呼ぶ。「日観の勝」はそこから出る日の出の景色のこと。


(いただき)に至るに及びて、遠い黛(まゆずみ)の中、往々逗(とどまる)紅、濃淡相暈(ぼか)し、来たる時より群山の豔(あでやか)なるを覚う。独り憾(うら)む、小仏(嶺)蔽虧し、その虹旌澤旗後前導擁繽紛たるを眺むることを得ず。鎔金の冶に在る、その大きさ、幾十余丈なり。
※ 蔽虧(へいき)- 覆い隠すこと。
※ 虹旌澤旗(こうせいたくき)-「澤」は「つや」光沢の「沢」。「旌」「旗」ともに「はた」。「虹旌澤旗」で朝日の光彩と雲気を表わしている。
※ 後前導擁(こうぜんどうよう)-(雲が)前後に引き回し押し寄せるさま。
※ 繽紛(ひんぷん)- 多くのものが入り乱れているさま。
※ 鎔金の冶 - 金属を溶かして、形に作ること。(昇る太陽のさまを譬えた)


この興と帰思と相壮(さかん)なり。歩して走り、飛びて嶺を下る。麓に至りて顧(かえり)みてこれを仰げば、省吾なお山腰に在り。喘ぎて吁々然たり。黒岱、初鴈、花崎の諸站(駅)を経て、猿橋に歇(いこ)う。
※ 帰思(きし)- 故郷に帰りたいと思う情。
※ 山腰(さんよう)- 山の中腹と麓との間。
※ 吁々然(ううぜん)- はあはあと喘ぐさま。


予が嚢中(さき)に丐(乞)う所の杼実(とちのみ)を喪う。甚しくこれを索(さが)して得ず。省吾笑いて曰く、未だ公(先生)狙公なるを聞かず。杼実、遂に何の用ぞ。(猿回しなら猿の餌にするが)
※ 嚢中(のうちゅう)- 袋の中。
※ 狙公(そこう)- 猿回し。
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峡中紀行下 15 九月十六日、後主一族の最期、鶴瀬に宿す

(散歩道のタチアオイ)

荻生徂徠著の「峡中紀行 下」の解読を続ける。

また勝(勝頼)国間の事を問う。今、景徳院の門前の処、その時、二、三の人家有り。後主の走りてこれに至る。追う者既に逼(せま)れば、則ち、夫人、衆姫(多くの姫たち)、妾(そばめ)を一民の家に、納(い)れしむ。その人名は清右(清右衛門)、その子孫、見(現)に在り。なおその時の事を語す。

時に茅を庭場に積むに会う。命じ搬(うつ)して、以ってその門口を擁塞し、一炬を呼びてこれを火にす。侍女の輩(ともがら)、或は走り出る者有れば、皆諸を燄烟の中に砍投す。南牟(南無阿弥陀仏)の声と哭泣、倶に聞こう。後主曰う、今にして心頭罣碍無し。その烈知るべし。
※ 擁塞(ようそく)- ふさぐ。
※ 燄烟(えんえん)- ほのおと煙り。
※ 砍投(かんとう)- ぶった切って投げ入れる。
※ 哭泣(こっきゅう)- 大声をあげて泣き叫ぶこと。
※ 心頭(しんとう)- 心。心の中。
※ 罣碍(けいげ)- 障りや妨げ。障害。


迺ち地の稍(やや)高きものを覓(もと)む。今の廟を構える処を得たり。宝甲盾無なるものを出し、郎君(勝頼の嫡子信勝)に衣せ、土屋宗蔵をして、これが師為しむ。顛沛の間、その礼を執ること、(こう)せざるものかくの如し。
※ 宝甲盾無 - 武田家の家宝「楯無」。兜に鬼の面の付いた鎧兜。
※ 顛沛(てんばい)- とっさの場合。つかの間。
※ 苟(こう)- いい加減に。


後主、則ち偃月刀を提げて、出て奮戦せんと欲す。宗蔵諫めて曰う。主君、則ち新羅三郎の宗統の在る所、二十八世、社稷の重きを承く。上天の不弔なる、一旦運移りて、業已(すで)にこれに至りて、豈(あ)匹夫の勇に放ちて、首を奴子輩に授くべけんや。
※ 偃月刀(えんげつとう)- 中国古代の武器。刀が弓張り月の形をし、長い柄がついている。なぎなたに似る。
※ 新羅三郎(しんらさぶろう)- 源義光の異名。平安時代後期の武将。源頼義の三男。兄に源義家(八幡太郎)や源義綱(加茂二郎)がいる。子孫は佐竹氏、甲斐源氏などに分流。
※ 社稷(しゃしょく)- 土地の神(社)と五穀の神(稷)。
※ 不弔(ふちょう)- 天のあはれむ所とならず。
※ 匹夫の勇(ひっぷのゆう)- 思慮分別なく、血気にはやるだけのつまらない勇気。
※ 奴子輩(やっこばら)- 多くの人をののしっていう語。やつら。


後主憤りを抑ヘ、甲(かぶと)を觧(解)き、石上に端坐して、宗蔵をして刃を奉じて終(つい)を取らしむ。或は云う、小原丹後をしてせしむと。従行の将校、皆、互に刺して以って死す。
※ 耦(ぐう)- 仲間。ともがら。

最後に宗蔵及び僧の麟岳在り。岳謂う、弓刀の士、その刃を運ぶの士(さむらい)自屠するに方(ところ)で、力或(る人)足らず、死なんと欲して能わず、呼吸線存す。これ豈に大いに欲すべからざるの事にあらずや。僧は則ち害亡しなり。迺ち宗蔵をして先立たしめ、審(つまびらか)にその裏事を克するを眎(み)て、後に岳、口を以って刀に伏し、その背を鋒貫して死す。世に後主、攢戟の下に殞(し)すと謂うは、伝聞の誤りなり。
※ 自屠(じと)- 自殺。
※ 線存(せんぞん)- 糸のように細く在ること。
※ 鋒貫(ほうかん)- きっさきを貫くこと。
※ 攢戟(さんげき)-「攢」は「あつまる。むらがる。」、「戟」は「ほこ。」「鉾が群がる」で「戦場」を示している。


予始めて後主の影像を拝する時、なお拝せざるが如し。然り、これに至りて悚然に勝らず。
※ 悚然(しょうぜん)- ひどく恐れるさま。ぞっとしてすくむさま。
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峡中紀行下 14 九月十六日、十境の案内を避けた理由

(散歩道のアルストロメリア)

荻生徂徠著の「峡中紀行 下」の解読を続ける。

僧則ち云わく、影堂の前の大樹、夏夜毎に、三宝の鳥有りて来たり鳴く。また神燈有りて、富嶽に来往す。夕べに納涼なる人多くこれを見る。また大風或は火を失すれば、必ず聖僧、を現ずと。種々の絮話、十境の為に興を補うものに似たり。
※ 三宝の鳥(さんぼうの鳥)- 鳥のブッポウソウの別名。
※ 神燈(しんとう)- 神に供える灯火。みあかし。
※ 瑞(ずい)- めでたいしるし。吉兆。
※ 絮話(じょわ)- 長く続く話。長話。


頗るこれを厭うて、即ち出づ。始めの山に上る時、一聯を得たり。云う。鞋(わらじ)を礙(さえぎ)る冷石、我を留むるが如し。杖を植れば白雲来りて人に媚(へつら)う。還るに及んで賡(つぐない)成す。帰興の、佳なるを覚るや。寧(むし)ろ僧の興を敗るは、境の僧無き者をして、頓(にわか)に勝ることを覚え俾(し)むるか。
※一聯(いちれん)- 漢詩で、一対になった二句。
※ 転(てん)- 漢詩で、絶句の第三句。意味内容を一転させる句。「転句」の略。「起承転結」


未だ暮れざるに、宿を擇(えら)ぶ所の鶴瀬の人家に至りて宿す。家隘(せま)しといえども、主人頗る能く話す。話して天目の事に及び、主人失驚して云う。何ぞ(他)無きことを得んやと。これを問えば、則ち山中故と、嘗(かつ)木客有りて、善く人を撩(かす)む。迺ち悟る、嚮(さき)の僧、導くを為すを憚るは、これが為の故なり。嗚呼(あゝ)、我をして苕源の奇を窮めることを得ざるを俾(せし)むる者は、僧の慈悲心なり。
※ 失驚(しっきょう)- うっかり驚くこと。
※ 它(他)無きこと - 変わったこと。
※ 木客(ぼっかく)- 山にすんでいるという怪物。
※ 苕源(しょうげん)- 中国杭州の地名。


それ木客善く詩を吟じれば、豈に必ず人を畏(おそ)れしめんや。人を畏れしむと曰うと雖ども、また何ぞ我が儕を怨(うら)みん。これ則ち過慮と謂うか。かつ聞く、(あの)山、浙に在ると、その奇絶を駢(なら)べて、千載廖々として、誉れを翰墨の間に施さず。
※ 我が儕(わがみ)- 対等の者に対して、自身をいう語。
※ 過慮(かりょ)- 考えすぎ。思いすごし。
※ 浙に在る - 中国浙江省にある天目山のことを指す。
※ 奇絶(きぜつ)- きわめて珍しいこと。すばらしいこと。
※ 千載(せんざい)- 千年。長い年月。千歳。
※ 廖々(りょうりょう)- 寂しいさま。
※ 翰墨(かんぼく)- 詩文を作ること。書画をかくこと。 また、その出来上がったもの。


戞々として浄老の十首、寧(なん)ぞ、その烟霞の趣を攄(ひら)くに足りて、山霊、木客をして、詡々たる面孔を作して、世人に向い使(し)めんや。然ると雖ども、啻(ただ)に吾が二子(二人)の者、山縁無きのみならず、迺ち山の詩縁無きなり。またその拙を護りて、吾が二子(二人)を忌む者なり。
※ 戞々(かつかつ)- 堅い物の触れる音を表す語。
※ 烟霞(えんか)- 煙のように 立ちこめた霞やもや。自然の風景。
※ 山霊、木客 - 山の神と山の怪物。
※ 詡々(くく)- 大言壮語するさま。
※ 面孔(めんこう)- 顔。顔つき。
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峡中紀行下 13 九月十六日、棲雲寺(続き)

(裏の畑のアマリリス)

荻生徂徠著の「峡中紀行 下」の解読を続ける。

方丈に入りて苦茗を啜り、僧を喚(よ)びて語す。曰く、機山七世の祖、明庵使君、この寺を造る。山、原(もと)木賊(とくさ)山と名づく。入ること更に深くして、使君疴(病)を養の処有り。寺、壬午の災に罹って、その興復(復興)を為す所の者、大有力の戮助すること有ること莫(な)し。而して、陋撲、見る所の如し。封租四十八貫なるも、今にして、厪々として四石二斗と云う。
※ 苦茗(くめい)- にがい茶。品質の悪い茶。
※ 壬午(じんご)の災 - 天正10年(1582)武田勝頼が自害した天目山の戦いを指す。
※ 戮助(りくじょ)- 力を合わせて助けること。
※ 陋撲(朴)(ろうぼく)- 狭くて飾りけがないこと。
※ 封租(ふうそ)- 古代の貴族に対する封禄制度の1つ。
※ 厪々(きんきん)- 僅かなこと。


所謂(いわゆる)十境なるものを訊(と)えば、業海及び使君の歌詩一版を出して相示し、その字画の漫漶を愬(うった)う。予慨然として、貲を捐して重ねてこれを新たにせんと誓う。僧、合掌して曰う。多少の福田と。予曰う、これ福田の為ならず、また名高の為ならずと。僧、惘然たり。
※ 十境(じゅうきょう)- 美観十景。(八景と同様の趣向)
※ 漫漶(まんかん)-(字や絵が)年を経てかすれたさま。
※ 慨然(がいぜん)- 憤り嘆くさま。嘆き憂えるさま。
※ 貲(たから)を捐(えん)す - 身代(しんだい)を捨てる。
※ 多少の福田 - 「多少」は多いこと。「少」は助字。「福田」は、福徳を生じる物事を田にたとえていう。合せて、「大変有難い」位の意味。
※ 惘然(ぼうぜん)- 「呆然(ぼうぜん)」と同じ。


その十境なるものは、雷斲峡、山神廟、飛猿嶺、梵音洞、金剛窟、忿怒巌、天目井。龍門、對岳、傳燈を合せて十とす。その処を索(さぐ)るに、僧、寺西の長嶺、屏障の如くなるを指す。然して、百千の王孫、相負い、攜(たずさえ)し、累々として樹枝の間に垂れて熙(ひか)るを見るなり。
※ 屏障(へいしょう)- 障壁。
※ 王孫(おうそん)- 猿のこと。


その它(他)の六者を間えば、則ち云う。路甚だ遠く、旦つ荊棘(いばら)衣を鈎(かぎ)かけて行くべからず。予及び省吾と、これを強いれば、迺ち云う。観る可きこと無し。色頗る憚然たり。向行の童、喃々として休まず。将に寺戸を喚び来て、路を芟(から)しむる者の状の若(ごと)し。その農収を妨(さまた)げんことを慮(おもんばか)り、意、廃して止む。
※ 憚然(だんぜん)- 恐れはばかるさま。
※ 向行(こうぎょう)- 先に行く。
※ 喃々(なんなん)- 口数多くしゃべり続けるさま。
※ 寺戸(てらど)- 寺下百姓。
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峡中紀行下 12 九月十六日、棲雲寺に詣ず

(散歩道のリナリア/姫金魚草)

焼津のI氏に「再び」を届ける序に、コメントでお馴染みの“はぐれ”さんに届けようと、住所をナビに設定して、初めて訪問した。ところが既に郵送されて受け取ったと言われた。とんだ恥を書いたが、おかげで本人の顔をしっかり見て来た。その後、静岡のO氏宅を訪問、「再び」を届け、3時間ほどお互いに近況を話し合った。70歳を越えて、いよいよ元気に、かなりハードな山行を続けられていると聞いた。インドアの自分とは随分違う。

荻生徂徠著の「峡中紀行 下」の解読を続ける。

省吾顧(かえりみ)て曰う、棲雲(寺)の遠に非ざるを知るなり。何以っての故ぞ。詩云わざるや。「白雲生ずる処、人家有り」これを故以ってなり。相笑いて行く果て、寺門を得たり。
※ 「白雲~」- 杜牧の「山行」の詩に「遠く寒山に上れば、石径斜めなり。白雲生ずる処、人家有り。」
※ 杜牧(とぼく)- 中国,晩唐の詩人。その詩は平明なので、江戸時代以来、日本でも愛唱され、特に「江南の春」「山行」は有名。


未だ十許り歩に至らざる、路の左側の小亭、地蔵像を安んず。前に石有り、息壊(やすみいし)と名づく。始め、業海西より帰りて、行々、山水の天目に肖(に)たるものを求め、これに至りて罷(つか)るゝこと甚しくして、石にして以って睡る。忽ち目を開けば一磁椀を見、因って憶う。
※ 業海(ごうかい)- 業海本浄。鎌倉-南北朝時代の僧。臨済宗。中国杭州天目山で、中峰明本の法をつぐ。帰国後、甲斐に棲雲寺を開き、山号を天目山とした。
※ 跌(てつ)- 転ぶ。躓く。


苕源に在りて、その師中峰と約す。天目に遇(あ)えば、輙ち止まらんと。遂に山に登りて四眺す。果して勝地を穫たり。背にする所の中峯像を出して、蘭若を建てこれを奉ず。則ち今の棲雲寺と、土人云うなり。国語、磁椀を天目と為(す)るを以って、伝益するに、空海三鈷の事を以ってす。世俗伝語する所、率(おおむ)ね、この類いのみ。
※ 苕源(しょうげん)- 中国杭州の地名。
※ 蘭若(らんにゃ)- 寺院。精舎。
※ 空海三鈷(さんこ)の事 -空海が、唐から密教弘通の霊地を求めて投げたところ、高野山に落ちたと伝えられる、三鈷の金剛杵の伝説。ここでは三鈷が磁椀となっているが同類の伝説である。


山門を対嶽閣と曰う。影堂を伝燈庵と曰う。背おい来る所の中峯の像有り。豊胖なり。智福の相有るを覚う。哲那環六角に作る。記す、塩山の抜隊の像の衣上なるもの、また爾り。則ち、その時これを尚(とうと)ぶなり。右に業海の像有り。また豊かにして骨少なし。目視望羊然たり。倶に塩山諸師なる者に較べれば、精彩雁行に在るが若し。その晴玉を嵌(い)れざるしての故なり。凡百工巧、中華を精と為す。これ独り然らざるもの、豈物各(おのおの)長ずるところ有るか。抑(そもそも)唐代の遺、これを吾が東方に施すなり。
※ 豊胖(ほうはん)-でっぷりとしたさま。
※ 哲那環 - 掛絡(から)。禅僧が普段用いる、首に掛ける小さな略式の袈裟。及びその袈裟に付けてある象牙などの輪。
※ 抜隊(ばっすい)- 抜隊得勝(ばっすいとくしょう)。南北朝時代の日本の禅僧。臨済宗向嶽寺派の祖。
※ 望羊然(ぼうようぜん)- 遠くを見ているさま。
※ 凡百(ぼんびゃく)- いろいろ。さまざま。かずかず。
※ 工巧(くぎょう)- 手仕事をする人。
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峡中紀行下 11 九月十六日、橡の実、数顆を乞う

(散歩道のカシワバアジサイ )

午前中、原に登って、Oさん、ATさん、AHさんへ「再び」を届ける。いずれも懐かしく、しばらくお話して帰った。(「再び」とは「四国お遍路まんだら再び」の本。読んでみたい方は、御一報下されば進呈します。)

荻生徂徠著の「峡中紀行 下」の解読を続ける。

(影)已に斜(かたむ)けば、則ち相訣(わか)れて山を下る。行くこと数百歩にして、路の右に分る有り。村に入る小径なる者に似たり。予、以って意と為さず。意に沿いて更に下ること、百歩可(ばか)りにして、行々且(しばらく)天目に走る道を覓(もと)める。樵子の立ちながら語るに逢う。
※ 天目(てんもく)- 天目山栖雲寺。勝頼一族は天目山にこもる道中で自刃。
※ 樵子(しょうし)- きこり。


迺ち、なるは是なることを識るなり。反(そ)れてここに道す。初めは石田径を夾(はさ)むこと、往々にして在るを見る。樵子の、吾を誰かと疑うなり。愈々行けば、愈々邃(ふか)し。またその真諦の語やと疑えども、更に隻影無くば、誰に従うてこれを質(ただ)さん。
※ 嚮(きょう)- ある方向に向かう。向う方向。
※ 真諦(しんたい)- 事物や思想の根本にあるもの。本質をとらえた極致。
※ 隻影(せきえい)- ただ一つの物の影。片影。


大氐八九里の間、左、山に傍(そ)う。迺ち右は山稍(やや)(ひら)けて、これを阻(さえぎ)るに水を以ってす。水左すれば則ち、左擔(肩)の影、鑒(うつ)らむべし。左右遠近のに代わるも、耳を洗う声(音)皆水にして、目を娯(たの)しむるものは、山に非ざること無し。而して後に、その人間の地にあらざることを知るなり。
※ 大氐(たいてい)- 大抵。おおよそ。
※ 迭(てつ)- 入れ替わり。


山間稍(やや)(たい)らかなるものを、屋形平(ひら)と曰う。即ち典厩使君なる者、昔これに居す。皆坦らな処に踞(しゃが)め、憩息す。雨益(ますます)(や)む。頃之(しばらく)して、仰ぎて看れば、雲裂けて処々に青天有り。熱蒸(むせあつく)(たちまち)甚し。皆、袒膞して行く。
※ 袒膞(たんせん)- 肩抜くこと。はだぬぎになること。

枕阪に至る。相伝う古時、龍伯氏の子有り。蓬山(蓬莱山)を踏みて疲れ、芙蓉を茵(しとね)にして臥す。これその枕なり。右に龍門の瀑を瞻(み)る。響き猛きこと甚し。但し、匹練の色、天に懸けずして、諸(これ)を地に布(し)くもの。豈(あに)陵谷(丘や谷)の数、福地も免(まぬが)れざるか。
※ 龍伯(りゅうはく)-「列子」に見える伝説上の大人国の名。その巨人。
※ 匹練(ひつれん)- 一匹の練絹。「匹」は布の長さの単位。一匹は約9.6メートル。「練絹」は精錬した絹。「精錬」は生糸から繊維から夾雑物を除くこと。(滝や湖の表面が練絹に似る形容。)
※ 福地(ふくち)- 神仙の住む所。


更に行きて人家数四、橡の実を上に曝(さら)すを見る。何か為するやと問えば、その味を瀹殺して、作りて餌(しょく)と為るなり。予、憫然として数顆(つぶ)を丐(乞う)てこれを袂(たもと)にす。
※ 箔(はく)- すだれ状のすのこ。
※ 瀹殺 - ひたし殺す。(「その味を瀹殺して」で、渋抜きすること。)
※ 憫然(びんぜん)- あわれむべきさま。

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峡中紀行下 10 九月十六日、景徳院に詣ず

(散歩道のガクアジサイ)

荻生徂徠著の「峡中紀行 下」の解読を続ける。

山径(みち)忽ち東し、忽ち北し、足指稍々(やや)上に向う。水垈村を過ぐり、時に陟り降り有り。右一溪に沿うは、則ち龍門の下流なり。率い行くこと五、六里にして、景徳院に至る。雨また小さく歇(や)む。山門南に向う。門に入りて、後主(勝頼)の廟に謁す。

後主郎君夫人の影像あり。皆新造の者、太(はなは)だ俗にして、観るべからず。僧麟岳圓首座、将校、死に従う者三十三人、虞氏の輩十六人、皆牌子(位牌)なり。廟前、後主(勝頼)(きょ)して自裁す所のもの、石二つ有り。その外を竹落す。
※ 郎君(ろうくん)- 主家の息子などを敬っていう語。わかとの。武田信勝のこと。
※ 麟岳(和尚)- 信玄の甥。
※ 圓首座 - 麟岳の弟子。
※ 虞氏(ぐし)- 虞美人。項羽の愛人。四面楚歌の時、項羽の足手まといにならぬために自殺(伝説)。ここでは、ともに死んだ女たちを示す。
※ 竹落(もがり)- 虎落(もがり)。竹を筋かいに組み合わせて縄で縛った柵や垣根。


謁し畢(おわり)て、籌室に詣り住持僧と語る。道骨有る者に似たり。遺蹟の所在を問えば、則ち云う。始め後主(勝頼)兵解くる時、闔州麻の如く乱れ、為に後事を修する者、有ること莫(な)し。僧拈橋なる者、広巌院に在りて、これを聞き赴き来たる。既に七日を過ぎて、屍血淋漓、君臣弁(わきまえ)ず。迺ち一壙に葬ず。即ち今廟を建てる処なり。故を以って別に窀穸の所無し。
※ 籌室(ちゅうしつ)- 方丈。寺の住職の居室。
※ 道骨(どうこつ)- 道を体得した者の容貌。
※ 闔州(こうしゅう)- 州全体。
※ 麻の如く乱る - 麻糸が乱れ縺れるように乱れる。
※ 拈橋 - 拈橋倀因(ねんきょうちょういん)。戦国、織豊時代、曹洞宗の僧。武田信玄の要請で甲斐、広厳院の住持となる。
※ 屍血(しけつ)- 屍(しかばね)と血。(戦いの後の惨状を云う)
※ 淋漓(りんり)- 水・血・汗などのあふれしたたるさま。
※ 一壙(いっこう)- 一つの墓穴。
※ 窀穸(とんせき)- 墓穴。


一、二年の後、神祖(家康)伊奈熊蔵なる者に命じて、寺を建て、祀(まつ)りを奉じ、特に六、七里の地を賜うを、香火を供じて、なおかつ草創にして、寺これを名付くる所有る莫れ。州、但し、田野精舎を以って称と為す。
※ 伊奈熊蔵(いなくまぞう)- 江戸初期の代官頭。利根川・荒川の改修、検地・知行割、新田開発、寺社政策など、関東領国の財政基盤の確立に寄与した。
※ 檄(げき)- 触れぶみ。
※ 符(ふ)- 公文書。


七、八年の後、始めて寺に成ることを得ると云う。拈橋、已に順世して、後住の者、貧暴にして仏事を作(な)さず。迺ち境内の竹樹を採伐して、貨殖を図るを務めと為す。則ち、勝(頼の)国の遺臣来りて、神祖に事(つかえ)る者、皆憤ること甚し。
※ 順世(じゅんせい)- 死ぬこと。

更に良尊なる者を請いて、これに居らしめて、寺境をして復た広巌(院)に隷せざらしむなり。良尊、復たその師骨山なる者を推して、祖と為す。故を以って、拈橋遂に湮没して、伝わらず。後主(勝頼)の廟貌、皆二三十年前、営置する所にして、従死の諸臣の姓名も、また小幡氏なる者、牌(位牌)を作りて寄送するに縁(よ)りて、然る後に、得て言うべきなり。
※ 湮没(いんぼつ)- 跡形もなく消えてなくなること。
※ 寄送(きそう)- 送届ける。拝納する。
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峡中紀行下 9 九月十六日、後主天目山に向かう

(庭のサフランモドキ)

荻生徂徠著の「峡中紀行 下」の解読を続ける。

十六日、雨を衝いて東行す。路側の葡萄架、采摘殆んど尽し、蕭然として、復た来たる路に非ずに似たるなり。柏尾山に上る。石磴(石段)、都下の愛宕の高さの如し。寺僧誇りて説く、福原、鎌府、室町、世々覇主の文券(古文書)存す。また巨勢の金岡が画不動、幅の広さ丈二、希代の物なりと。急ぎ行きのため故に、請いて観(み)ず。
※ 采摘(さいてき)- 摘み取り。
※ 蕭然(しょうぜん)- もの寂しいさま。
※ 柏尾山 - 勝沼にある柏尾山大善寺のこと。
※ 巨勢の金岡(こせのかなおか)- 平安初期の宮廷画家。巨勢派の始祖。唐絵(からえ)を描く一方、和様の風景画・風俗画を制作。その画風は「新様」とよばれ、大和絵成立にかかわった最初の画家とされるが、作品は現存しない。
※ 希代(きだい)- 世にもまれなこと。 めったに見られないこと。


村口大橋有り。横吹川なり。陰雨、渓流と勢を助けて、喧豗然たり。物候驟々殊なる。它(他)道を取りて還るかと疑うなり。鶴瀬に至れば、関吏(関所の役人)迎い謁す。店(茶店)のこれ宿すべくを擇(えら)び、一(若党)を留めて、装(荷物)を看せれば、還りて関を出で、橋前より左し、山行一里許りにして、諏訪祠或り。
※ 陰雨(いんう)- しとしとと降りつづく陰気な雨。
※ 喧豗(けんか)- 騒々しい。にぎやかである。
※ 物候(ぶっこう)- 生物の周期性現象と気候との関係。「物候学」で、生物気象学。
※ 驟々(しゅうしゅう)- しばしば。
※ 物候の驟々殊なる - 万物時候のしばしば殊なる。

始めは則ち都道(本街道)と、但し一川を隔つ。行人(道行く人)の語り、駅の歌、往々に相聞え、衣の白、なお弁識すべし。漸く行けば、隔つ所の川も、また山に隔てん。その水声、漸く聞えず、寥寂甚し。
※ 豎(じゅ)-子供。童(わらべ)。「駅豎」で「宿の童僕」の意。
※ 白(そうはく)- 黒白。
※ 弁識(べんしき)- わきまえ知ること。識別。(薄暗さを表現か)
※ 寥寂(りょうせき)- 寂寥。ひっそりとしてもの寂しいさま。


土人指し語りて云う、後主(武田勝頼)の新府を棄て、東に遁るゝや、鶴縣順に違い、迺ち已むことを得ずして、将に天目山を固めんとす。時なお、この路有ること莫(な)し。を冒し、を排して、前山に縁いて、以って進む。郷豪土兵、処々に屯結して逆(敵方)を助け、盗賊、蠭(蜂)の如く生じ、声勢相扇ぐ。将校、扈従の士、日々竃(かまど)を減じ、夫人侍姫(侍女)、荊棘の中に徒跣し、路草これが為に色変わる。父老、その事を目撃するもの、言を伝えて今に至る。なお為に潸然すと。予と省吾、覚えず歔欷これを久しうす。
※ 翳(さしば)-鳥の羽などで扇形につくり、長い柄をつけたもの。貴人の行列などでさしかけ威儀を正した。
※ 薈(かい)- くさむら。
※ 郷豪土兵 - 郷の強者、在所の兵。
※ 屯結(とんけつ)- 集りたむろすること。
※ 扈従(こじゅう)- 貴人に付き従うこと。
※ 徒跣(かちはだし)- はだしで歩くこと。
※ 潸然(さんぜん)- 涙を流すさま。
※ 歔欷(きょき)- すすり泣くこと。
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