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「家忠日記 五」を読む 34

(散歩道のヒメヒオウギズイセン)

土手でヤブカンゾウとともに、今の時期、オレンジ色が目立つヒメヒオウギズイセンである。いずれも南アフリカ産の。ヒオウギズイセンとヒメトウショウブとの交配種で、耐寒性に優れ、また繁殖力も旺盛で、全世界で野生化しているという。

午後、お昼前から晴れてきたので、T氏から預かって来た、金谷宿の商家から出た古文書を、水洗いしてみた。和紙と墨で出来た古文書は水洗いに耐えると確信していたが、いくつか問題点があった。糊付けの部分は長く水に漬けると剥がれてしまう。特に薄い紙はちぎれてしまいそうで、扱いが厄介であるなど。時間は掛かったが、大小30枚ほど洗い、新聞紙に貼りつけて干した。紙は乾くに早い。破れを裏から和紙で補修して、10枚ほど、教材にコピーを取った。年貢の件、貸し借りの件、手紙の3種で、興味深いテーマ性のある古文書はなかなか見当たらないものである。

「家忠日記 五」の解読を続ける。

 天正十七年(1589)丑五月
廿一日丁卯 会下僧衆、時にて御越し候。会下へ参り候。
      駿河若君様御袋、西郷殿、一昨日十九日に御死去候由、申し来り候。
      野田菅沼助兵衛、喧嘩にて死去候由、申し来り候。
      幡豆龍花院、小笠原彦左衛門所より、やまもも越し候。
※ 西郷殿(さいごうどの)- 徳川家康の側室、西郷の局、通称はお愛の方。江戸幕府第二代将軍徳川秀忠、松平忠吉の生母。院号は宝台院。
廿二日戊辰 竹谷与次郎同心候。西郷殿御弔いにて、見付まで越し候。
廿三日己巳 藤枝、初ぶり候。駿府参着候。落ち付き十三郎所にふる舞い候。
廿四日庚午 龍泉寺にて中陰候。御弔い申し候。弐百疋。
      夕飯、本田藤五所へ越し候。
※ 龍泉寺(りゅうせんじ)- 現、宝台院(常盤町)。当時は柚の木にあった。
※ 中陰(ちゅういん)- 仏教で人が死んでから次の生を受けるまでの四十九日間を指す。

廿五日辛未 普請出来、普請衆移り候。
      朝、板倉四郎右衛門所にふる舞い候。夕飯、跡大炊助所に候。

廿六日壬申 掛川益田まで帰り候。
廿七日癸酉 新居まで帰り候。
廿八日甲戌 未刻に地震する。深溝帰り越し候。初さゝげ、しゅこう。
廿九日乙亥 夜、雨降り。宮へ雨乞の宿願掛け候。
※ 宿願(しゅくがん)- 前々から抱いていた願い。かねてからの願望。
晦日 丙子 雨降り。
      宮にて雨乞いの連歌候。
      発句               玄佐
      この度や ぬさ(御幣)も取りあえぬ 相の雨
※ 「古今集」に、菅原道真の以下の歌あり。
     このたびは 幣も取りあへず 手向(たむけ)山
        紅葉(もみぢ)の錦 神のまにまに

この歌を本歌に、雨乞いの、ぬさも間に合わない内に、雨が降り出したことをいう。「相」は「間」か。
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「家忠日記 五」を読む 33

(散歩道のアメリカナデシコ)

ネットで花の名前を調べて、セキチクなのか、アメリカナデシコなのか、迷った。決め手は葉の形であった。アメリカナデシコで画像を検索すると、アメリカで試合するなでしこジャパンの写真がたくさん出て来た。

「家忠日記 五」も読み終えるにもう少しである。解読を続ける。

 天正十七年(1589)丑五月
 五月大
一日 丁未 会下へ参り候。雨降り。如総大洞より越され候。
二日 戊申 京都連歌、又長申し来り候。‥‥‥知らず。
      あわれと言わん 人もなき世ぞ     
三日 己酉 見しは世な 移り変わると 老い果てて
      これは作手美作守、連歌長なり。
※ 連歌長(れんがちょう)- 連歌は、短歌の上の句(長句)と下の句(短句)とを交互に詠み連ねる。「連歌長」はその上の句(長句)。
四日 庚戌 刈谷水(野)三左衛門所より、はい鷹乞いに越し候。
      駿河へ普請、夫丸遣し候。
※ 夫丸(ふまる)- 陣夫。人夫。
五日 辛亥 鷹、刈谷へ遣し候。会下へ参り候。家中衆、礼に越され候。

六日 壬子 
七日 癸丑 夜雨、ばら/\と降る。
八日 甲寅 朝、雨ちと降る。宮へ雨乞いの龍、願掛け候。
※ 雨乞いの龍(あまごいのりゅう)- 龍神は、雨・水などを司るとされ、龍神に雨乞いするお祭りは全国にある。
九日 乙卯 竹谷へ点取り連歌、備後所へ越し候。
十日 丙辰 ‥‥‥も、人を遣し候。同与次郎所に、点取り連歌候。
      夜、雨降り。駿河普請に、人数ばかり越し候。

十一日丁巳 祈祷へ。昼まで雨降る。
十二日戊午 宮にて雨乞いの連歌候。
      発句          玄佐
      五月雨は 降り続きたる 宮井かな
十三日己未 雨乞いの龍、願また掛け候。
十四日庚申 雨降り。初揚梅(やまもも)大津より越し候。
      竹谷備後、同与次郎、形原宮田先衆へ、点取り連歌、さし越され候。
十五日辛酉 雨乞いの連歌候。
      発句          玄佐
      五月雨は 水引き川が 神の前
      連歌同日、時分過ぎて、会下へ参り候。
      信州よりしゅんのう東堂、同大津よりしゅんしょう東堂、越され候。

十六日壬戌 昨日の両東堂ふる舞い候。
十七日癸亥 
十八日甲子 会下へ参り候。香春にふる舞い候。
十九日乙丑 野田織部所より、やまもも来り候。
      柏原鵜殿藤助所に、点取り連歌にて越し候。
廿日 丙寅 初なすび、夕顔、刈谷中嶋権之尉所より越し候。
      竹谷備後所に、昨日の連歌仕掛けにて越し候。
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「家忠日記 五」を読む 32

(散歩道のヤブカンゾウ)

土手の所々に、緑の勢いに負けないように、今の季節にオレンジ色の花を咲かせるものに、ヒメヒオウギズイセンとヤブカンゾウがある。ヒメヒオウギズイセンは後日に譲り、ヤブカンゾウの花をデジカメに撮ってみた。どれを見ても花がぐしゃりと握りつぶされたようで、写真写りの悪い花である。

「家忠日記 五」の解読を続ける。

 天正十七年(1589)丑四月
十一日戊子 掛川益田帰り候。深尾清十‥‥‥
十二日己丑 新居まで帰り候。
十三日庚寅 深溝参着候。
十四日辛卯 竹谷備後所へ、数奇(茶の湯)にて越し候。
十五日壬辰 会下へ参り候。緒川はな越され候。

十六日癸巳 
十七日甲午 
十八日乙未 
十九日丙申 雨降り。与次郎所、朝飯。金左衛門所に夕食。
      竹谷へ点取り連歌に越し候。
廿日 丁酉 逗留にて備後所に朝飯。帰り候

廿一日戊戌 会下へ参り候。
廿二日己亥 去る比(ころ)、駿府にて成され候連歌、玄旨
      点に取らせられ候由候。竹備後二百‥‥‥
      西になる 月こそ庵の 主(あるじ)なれ
      土用の寺の 秌(秋)の淋しさ

※ 玄旨(げんし)- 物事の奥深い内容。深遠な道理。
※ 韵(いん)- ひびき。(二百のひびき、つまり二百句)

廿三日庚子 舞候。与三越し候て、烏帽子折り、十番切り舞い候。
※ 十番切り(じゅうばんきり)- 曽我兄弟の十番斬りを扱った幸若舞いの演目。
廿四日辛丑 深尾清十、雪吹与右衛門越し候。同備‥‥
廿五日壬寅 喜平所に月次連歌にて、竹谷備前、与次郎、形原、
      発句。
      水籠りも 緑は深き 早苗かな
※ 水籠り(みごもり)- 水中に隠れること。(植えたばかりの早苗が田の水に浸っている様子を言うか。)
      宮内鵜殿藤介、被越され候。

廿六日癸卯 雨降り。南風荒く吹き候。竹谷衆留りにて、点取り連歌候。
      酒井小兵衛。過ぎし夜中の時分、山脇路端にて、突死、今朝見出し候。
※ 突死(とつし)- 突然死。
廿七日甲辰 六栗披官二人、喧𠵅(喧嘩)にて、相手、弟一人果て候由、申し来り候。
※ 披官(ひかん)- 武家の家臣。
廿八日乙巳 深尾清十越され候。晩に竹谷へ越され候。
廿九日丙午 夜、雨降る。深尾同道にて、竹谷与次郎越され候。
      晩に、駿川普請奉行衆より、御本城石積み崩れ候間、
      早く越し候え候由、申し来り候。
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「家忠日記 五」を読む 31

(散歩道のナデシコ)

午後、静波の古書店倉庫へ出かける。T氏と久し振りに会い、40歳の年齢差を意識することなく、3時間ほどお話した。帰りに、金谷宿から出た古文書を、プラスチックケースごと、未整理のまま借りて来た。どんなものが出て来るか、楽しみである。

「家忠日記 五」の解読を続ける。

 天正十七年(1589)丑三月
 三月大
一日 戊申 竹与次郎、御大方様御煩い、見舞い越され候。
      西郷衆と本田中務同心衆、喧嘩候。双方一人ずつ成敗候。
※ 成敗(せいばい)- 処罰。特に、死罪・斬罪にすること。
二日 己酉 雨降り。松平弥三郎所へ振る舞いにて越し候。
三日 庚戌 松平弥三郎、戸田左衛門、ふる舞い候。
四日 辛亥 板倉四郎右衛門所にふる舞いにて越し候。
五日 壬子 鵜殿八郎三郎所へふる舞いにて越し候。
      晩は隣衆ふる舞い候。

六日 癸丑 
七日 甲寅 
八日 乙卯 
九日 丙辰 晩より雨降る。
十日 丁巳 雨降り。

十一日戊午 夜、天野三郎兵衛所へ、火事出来候。
十二日己未 
十三日庚申 
十四日辛酉 
十五日壬戌 

十六日癸亥 雨降り。
十七日甲子 小栗二右衛門所へ、振る舞いにて越し候。
十八日乙丑 晩、雨降る。小性衆ふる舞い候。
十九日丙寅 本田佐渡守所へ、ふる舞いにて越し候。
廿日 丁卯 本田佐渡同心、天野孫三所へ、振る舞いにて越し候。

廿一日戊辰 雨降り。
廿二日己巳 如雪へふる舞いにて越し候。
廿三日庚午 跡部大炊助所に連歌候。
廿四日辛未 根来衆、宰相所へ、振る舞いにて越し候。
廿五日壬申 小栗又一所へ、ふる舞いにて越し候。

廿六日癸酉 雨降り。水野清六所へ、ふる舞いにて越し候。
廿七日甲戌 花揚院に粥の振る舞い候。
廿八日乙亥 連歌候。
廿九日丙子 
晦日 丁丑 家の材木届け候。山家(やまが)へ人数越し候。


 天正十七年(1589)丑四月
 四月小
一日 戊寅 初時鳥(ほととぎす)聞き候。
二日 己卯 跡大炊助所に、夢想連歌候。
三日 庚辰 板倉四郎右衛門所に、夢想連歌開きのふる舞い候。
四日 辛巳 初海松、鵜殿八郎三郎所より来し候。
※ 海松(みる)- 海藻(緑藻)の一種。世界の熱帯から温帯の海に広く分布し、浅い海中の岩礁上などに生育する。
五日 壬午 井野二郎左衛門所へ、ふる舞いにて越し候。

六日 癸未 雨降り。小栗忠蔵所へ、振る舞いにて越し候。
七日 甲申 雨降り。
八日 乙酉 雨降り。
九日 丙戌 
十日 丁亥 普請出来候。
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「家忠日記 五」を読む 30

(土手のヒメジオン)

「家忠日記 五」の解読を続ける。

 天正十七年(1589)丑二月
六日 甲申 雨降り。御城に御鷹の振る舞い成され候。
七日 乙酉 同勘解由入道にて、玄左と申し候。
※ 入道(にゅうどう)- 仏道にはいって修行すること。出家・剃髪して仏道に入った者。武士を含め僧体でありながら、在俗の者もいた。
八日 丙戌 三州、遠州、駿州、連歌士ども御寄せにて、
      点取り連歌成され候わんとて、今日御呼び候。
九日 丁亥 朝飯、備後所へふる舞いにて越し候。
      夕飯、石川左衛門大輔所へ、備後同心にて、数寄に越し候。
      真‥‥見候。
十日 戊子 備後、作手美作、振る舞い候。晩より雨降る。

十一日己丑 深溝はいたか留り候て、与三郎返り候。
      小伝主、手伝い普請に当り候。
      技連歌御城にて、今日成され候。
      連衆十人発句は作州発句にて候。
      松の色や 猶一しおの 若みどり
   三川衆
    瀧の長尊 深溝玄左 同正作 竹谷備後守 作手美作守
   岡崎    駿河衆
    そけい    如雪 雲巴 三益 頭雲
十二日庚寅 雨降り。殿様御上落、廿四日に相定り候。
十三日辛卯 雨降り。信州真田息子出仕候。
※ 真田息子 - 真田昌幸の息子、真田信幸。家康に仕える。
十四日壬辰 技連歌、御城にて成され候。晩雨降る。今日の発句、岡崎そけい。
      (さか)しきや もるにも勝る 山桜
十五日癸巳 跡部大炊助所に、備後ふる舞いにて、同心(同道)越し候。

十六日甲午 又々、城連歌の発句  正作
      並木ただ 花は咲々の 盛りかな
十七日乙未 石川石見所へ、備後同心にて、ふる舞いに越し候。
十八日丙申 夜、雨降る。
十九日丁酉 石蔵根石据え候。松平伊豆守、ふる舞い候。
※ 根石(ねいし)- 建物の地盤に接する部分の石積み。
      また、鵜殿善六所に、備後に数寄にて、跡見に越し候。
      朝飯、賀藤甚七、ふる舞い候。
廿日 戊戌 

廿一日己亥 花揚院ふる舞い候。備後玄佐、正作、興国寺へ越され候。
廿二日庚子 夜、雨降り、菅沼織部所に越し候。
廿三日辛丑 雨降り。少し煩い候。
廿四日壬寅 雨降りにて、御上落延び候。
廿五日癸卯 

廿六日甲辰 雨降り。御上洛、御大方様御煩いゆえ延び候。
※ 御大方様 - 戦国時代の女性で、相模国・伊豆国の戦国大名である北条氏康の正室。法名瑞渓院。
      深尾清十郎所へ、ふる舞いにて越し候。
廿七日乙巳 
廿八日丙午 今日、殿様御上洛。田中まで成られ候。
廿九日丁未 連歌士、三州へ帰られ候。
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「家忠日記 五」を読む 29

(散歩道のネムノキの花)

「家忠日記 五」の解読を続ける。

 天正十七年(1589)丑正月
十六日甲子 竹谷備後所へ、連歌にて越し候。
十七日乙丑 逗留にて、同与次郎所に連歌候。
十八日丙寅 会下、東堂大洞より越され候て参り候。修理所にふる舞い候。
      永良へ越し候。網引かせ候。鯉十本、鮒百枚候。
十九日丁卯 同網引かせ候。鯉五本鮒百枚。
      中嶋孫左衛門所にふる舞い候。夕飯、同権之尉所にふる舞い候。
廿日 戊辰 西郡因幡所に、夢想の連歌にて越し候。

廿一日己巳 会下、東堂様ふる舞い候。
廿二日庚午 雨降る。初鯨越し候。点取りの連歌にて、竹谷備後与次郎越され候。
廿三日辛未 竹谷衆越され候。朝方、勘解由所もて、北殿にふる舞い候。
廿四日壬申 西郡因幡、越され候。
廿五日癸酉 滝長‥‥越され候。緒川熊谷新二郎越され候。

廿六日甲戌 くせんちや候‥‥ひとり候。夜、雨降る。
廿七日乙亥 朝まで雨降る。殿様より御分国中の連歌士越して、
      来る十日時分に、連歌にて京都へ御点の御取りて御らん候わん由、
      大窪治部少輔より、正作勘解由所へ折帋来り候。
※ 折帋(おりがみ)- 奉書紙・鳥の子紙などを横半分に折った形の文書。公式文書・贈呈品の目録などに用いるもの。
廿八日丙子 駿府御普請に、新居まで越し候。鵜殿藤介、二川より同道候。
      夜、南風吹候て、火事出来候か、家十ばかり焼け候。
廿九日丁丑 懸川まで、益田越し候。
      殿様中泉へ御鷹野御座候。久野前にて相申し候。
晦日 戊寅 駿府へ参着へ。丸子より雨降る。落ち付き、十三郎所にふる舞い候。


 天正十七年(1589)丑二月
 二月小
一日 己卯 
二日 庚辰 石垣普請参り候。
三日 辛巳 晩より雨降る。
四日 壬午 殿様、遠州より御帰城候。水野清六所へふる舞いにて越し候。
五日 癸未 雨降り。賀藤源太郎所へ、ふる舞にて越し候。
      申刻に大地震候。駿河川東興国寺
      長久保、沼津城の塀、二階門まで損じ候。

※ 大地震 - 東海地方の大地震で被害続出。「東海道大地震」と呼ばれた。
※ 駿河川東(するががわひがし)- 「駿河川」は現、富士川の示し、その東を指す。
※ 興国寺(こうこくじ)- 興国寺城。根古屋城とも呼ぶ。沼津市にあった平山城。
※ 長久保(ながくぼ)- 長久保城。駿東郡長泉町下長窪にあった城。
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「家忠日記 五」を読む 28

(いも餅を作ってみた)

女房が芽が出て捨てるつもりのジャガイモを、裏の畑に植えて置いたところ、大きくなって収穫出来た。細長いメークイン、丸いダンシャクなど、入り混じって、概して小さい。昔、会社の先輩たちと歩いた時、先輩のSさんが下拵えのされた「いも餅」を野外で焼いて振舞ってくれた。そのことを思い出して、この不揃いのジャガイモで、その「いも餅」を作ってみようと思った。

早速、ネットで調べると、「いも餅」のレシピがいっぱい出て来た。ジャガイモの皮をむき、レンジで柔らかくして潰す。少々の牛乳、片栗粉を入れて、丸く整形し、バターを敷いたフライパンでチーズをのせて焼く。たくさん作って皆んなで食べてみた。ジャガイモで作ったとは思えない餅もち感と、まずまず、好評であった。味付けを色々と工夫すれば、面白いと思った。これなら、孫たちも喜んで食べるだろうか。

テレビのニュースによると、イギリスのEU離脱の可否を決める国民投票があり、今日の午後、結果が判明し、離脱派がわずかに勝利した。間接政治の御手本であったイギリスが、国民の直接投票にゆだねる愚をやってしまったと思った。EU離脱が決まれば、イギリスは大変なことになるだろうと思う。場合によっては、経済の破綻や、国が分裂の危機を迎えるかもしれない。

「家忠日記 五」の解読を続ける。

 天正十七年(1589)丑正月
        小年丗五
 天正十七年己丑正月大
一日 己酉 駿遠同詰め衆、出仕にて候。
二日 庚戌 烏帽子、素襖にて出仕候。また謡い初めに出で候。
      肩衣脱ぎ候。御家中衆、礼に歩き候。
※ 素襖(すおう)- 単 (ひとえ) 仕立ての直垂 (ひたたれ) 。庶民の平服であったものが、武士の常服となり、江戸時代には下級武士の礼服となった。
※ 肩衣(かたぎぬ)- 室町末期から素襖 (すおう) の略装として用いた武士の公服。素襖 の袖を取り除いたもので、小袖の上から着る。

三日 辛亥 鵜殿善六所へ、数奇にてこし候。一休の掛けし候。
※ 数奇(すき)- ここでは茶の湯の会のことであろう。
※ 掛け(かけ)- 掛け物。掛軸。

四日 壬子 板倉四郎右衛門所にふる舞い候。夕飯、善六へ越し候。
五日 癸丑 普請衆置き候て、懸川まで帰り候。

六日 甲寅 新居まで帰り候。雪降る。
七日 乙卯 深溝帰り候。相残り候普請衆越し候。
八日 丙辰 会下へ参り候。
九日 丁巳 
十日 戊午 

十一日己未 南城坊、祈祷候。竹谷衆、形原衆、礼に越され候。金左に茶を申し候。
十二日庚申 雪降る。のは又左衛門、蘆谷与左衛門、礼に越され候。
十三日辛酉 例年の連歌候。竹谷与次郎、岡崎法安越され候
      発句勘左         康定
      春やなお 玉松ヶ枝の 深みどり
十四日壬戌 
十五日癸亥 会下へ参り候。
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「家忠日記 五」を読む 27

(午前中の雨で、流量を増した大代川)

午前中は梅雨前線通過で、大雨。午後は一転して晴れ、夏の日差しで暑くなる。午後「金谷宿だより」の印刷などの手伝いに市の社会教育課に行く。

「家忠日記 五」の解読を続ける。

 天正十六年(1588)子十二月
 十二月小
一日 庚辰 朝まで雨降る。会下へ参り候。
      永良池へ、岡崎本田作左より、網借り候て、鯉引きに越し候。
二日 辛巳 永良へ網引かせに越し候。鯉四十本捕り、深溝帰り候。
三日 壬午 井野次郎左衛門、駿河より越され候。
四日 癸未 おひより越され候。二郎左勘解由所へふる舞い候。
      雨、あられ降る。晩、喜平所にふる舞い候。
五日 甲申 朝、雪降る。二郎左、与五左所へふる舞い候て被帰候
      岡崎藤国より鷹の雁一、越し候。

六日 乙酉 大寒に入る。
七日 丙戌 点取連歌候て、竹谷与次郎所へ越し、夜、雪あられ降る。
八日 丁亥 竹谷備後所に茶の湯候。
      あかね松平分斎より、鷹雁越され候
九日 戊子 
十日 己丑 

十一日庚寅 数寄座敷、出来候。
※ 数奇座敷(すきざしき)- 茶の湯を行うところを「数寄屋」と称するが、古くは「数奇座敷」と呼ばれた。
十二日辛卯 戌刻なへ揺る。大津より鷹雁越され候。
      竹谷備後数奇(座敷)にて舞い候。
十三日壬辰 御国煩い候て、岡崎法安、越され候。
十四日癸巳 宗元、京へ帰り候。中嶋へ越し候。
十五日甲午 網引かせ候。鯉二十本候。

十六日乙未 同網引かせ候。鯉二十五本。深溝帰り候。
十七日丙申 
十八日丁酉 
十九日戊戌 
廿日 己亥 鵜殿八郎三郎、数寄(座敷)にて舞い候。

廿一日庚子 会下へ参り候。明日、殿様吉良へお通り候由候。
      阿善右衛門通られ候。
廿二日辛丑 立春。殿様、関白様より吉良へ御鷹参り候。
      殿様の御拳(こぶし)にて、御とらせ候て、給うべく候由候て
      吉良へ御通り候。下にて御一献参り候。
廿三日壬寅 竹谷与次郎。数奇(座敷)にて舞い候。駿河への文、出し候。
廿四日癸卯 殿様帰られ候。迎いにて御茶の子進上候。
      三谷にて、因幡殿、御一献進じられ候。
※ 御茶の子(おちゃのこ)- 茶を飲むときにつまむ菓子など。
※ 三谷(みや)- 現、蒲郡市三谷町。

廿五日甲辰 五井弥三郎、数奇(座敷)にて舞い候。

廿六日乙巳 竹与次郎、同道候。駿川へ越年に、新居まで越し候。
廿七日丙午 掛川、竹谷与次郎知行、亀の甲まで越し候。
※ 亀の甲(かめのこう)- 現、掛川市亀の甲。
廿八日丁未 駿府まで参着候。十三郎祝言、如雪の娘越し候。
廿九日戊申 雨降り。
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「家忠日記 五」を読む 26

(裏の畑のタイワンレンギョウ)

タイワンレンギョウは庭にもあるのだが、こちらは葉が繁っているが、花を付けていない。剪定の時期に問題があるのだろうか。

「家忠日記 五」の解読を続ける。

 天正十六年(1588)子十一月
 十一月大
一日 庚戌 夜、雨降る。
      法安、お猿(長男)煩い能く候て御帰り候。
二日 辛亥 朝まで雨降る。保々、女房衆帰られ候。
      また駿河へ天野伝右衛門と、長嶺の田地公事にて、与五右衛門遣し候。
三日 壬子 中嶋堤築かせに越し候。雪降る。
四日 癸丑 鷹野へ出で候。ハイタカ損じ候。
五日 甲寅 深溝帰り候。

六日 乙卯 京衆、宗元差図にて、茶の湯座敷作り候。
七日 丙辰 中嶋へ越し候。
八日 丁巳 
九日 戊午 深溝帰り候。丑刻に大なえ揺る。宗元越され候。
※ 大なえ(おおなえ)- 大地震。
十日 己未 会下へ参り候。

十一日庚申 中嶋へ越し候。
十二日辛酉 雨降る。
十三日壬戌 岡崎本田作左より、五十分一の儀、当成箇にて出し候の由。
      内儀保々、深溝帰り候。孫太夫越され候。宗元越され候。
※ 成箇(なりか)- 取箇。田畑に割り当てた年貢のこと。
十四日癸亥 京へ、茶の湯の道具取りに、人を越し候。
十五日甲子 会下へ参り候。宗元。竹谷へ帰られ候。

十六日乙丑 隠入院、月次連歌にて越し候。
      竹谷備後。過夜、俄か煩い成され、連歌止め候。
十七日丙寅 竹谷金左衛門所へ、茶の湯にて越し候。
      京都へ畳取りに、人足越し候。
十八日丁卯 中嶋へ越し、おその池、長池にて、網引かせ候。
      鯉五十五本捕り候。深溝帰り候。女ども、同おまん煩い候。
      京都より、茶之湯の道具もち候て、こし候。
十九日戊辰 宗元、竹谷より越し候。
廿日 己巳 亥刻になえ揺る。女ども煩い、芋にて法安越し候。

廿一日庚午 雨降り。小寒に入る。
廿二日辛未 殿様、岡崎へ御越し候て、御迎えに岡崎へ越し候。
      御目に掛り、深溝帰り候。
廿三日壬申 水野清六、十三郎、越され候。清六へ長刀出し候。
廿四日癸酉 法安帰り候。殿様御鷹失せ候て、尋ね越され候。御鷹、松崎に候。
廿五日甲戌 竹谷備後所へ茶の湯にて越し候。

廿六日乙亥 夜、あられ降る。
廿七日丙子 
廿八日丁丑 形原、松平但馬所に、月次の連歌候て、越し候。
廿九日戊寅 形原城に朝めしふる舞い、過ぎて帰り候。
晦日 己卯 夜、雨降る。

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「家忠日記 五」を読む 25

(笹に巻き付く葛の蔓/大代川土手にて)

土手の葛が蔓を伸ばして、周囲をぐるぐると回るけれども、あいにく春に草刈がされて、まだ背の高い草がない。そんな中で逸早く伸びた笹を、葛の蔓が捉まえた。この後、後続の何本も蔓が巻き付いて、さながらジャックと豆の木のように、蔓同士巻き付きながら、天をめざして昇って行く。そんなわけはないか。

「家忠日記 五」の解読を続ける。

 天正十六年(1588)子十月
 十月小
一日 辛巳 江土、関東へ越し候。大津より越し候。
      賀藤甚右衛門、長刀致し帰り候。
二日 壬午 鵜善六、京より下り候。八幡うえの、鳥屋にてハイタカ留り候。
三日 癸未 竹谷与次郎越され候。
四日 甲申 
五日 乙酉 吉田酒井左衛門婚。隠居宮内、城へ三百疋、樽、肴。
      家上羽祝言に吉田へ越し候。隠居へ百疋、樽、肴。
      宮内所にふる舞い候。
      駿州、天清兵より、殿様京都御屋敷の伸し葺きの竹くぎ、
      五俵一斗弐升、致し候へ候由、申し来り候。
      竹谷松与次郎所届けて、ハイタカ一つ遣し候。
※ 伸し葺き(のしぶき)- 薄板を釘で打ちつけて葺くこと。また、その屋根。

六日 丙戌 柏原一庵に駿川西の郡殿、曽想の連歌で越し候。
※ 柏原一庵(かしわばらいちあん)- 鵜殿長忠。柏原鵜殿家の二代当主。
七日 丁亥 鳳来寺へ漆買いに、源太郎遣し候。
八日 戊子 
九日 己丑 
十日 庚寅 雨降り。

十一日辛卯 大津、戸田甚九、越され候。落ち付き、同与五左所にふる舞い候。
十二日壬辰 甚九逗留、夕食喜平所に候。
十三日癸巳 甚九帰られ候。お猿に馬をくれられ候。
      この方より、刀、脇差し出し候。鷹野へ出で候。
十四日甲午 鷹野へ出で候。
十五日乙未 

十六日丙申 鷹野へ出で候。保々、妹越し候。
十七日丁酉 永良、網引かせに越し候。鯉七十本とれ候。
十八日戊戌 
十九日己亥 
廿日 庚子 鷹野へ出で候。

廿一日辛丑 
廿二日壬寅 月次連歌候。竹谷衆、形原衆越され候。
廿三日癸卯 発句          家忠
      月薄し 雲の行衛や 小夜(さや)時雨(しぐれ)
廿四日甲辰 鷹野へ出で候。
廿五日乙巳 鷹野へ出で候。

廿六日丙午 
廿七日丁未 
廿八日戊申 大津女房衆、帰られ候。
      岡崎法安、お猿煩いて御越し候。芋給わり候。
廿九日己酉 岡崎へ知行方、五十分の一の宋銭遣し候。
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