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「魯敏遜漂行記略」を読む 11

昨日、掛川北中、三位表彰式(浜松市の天竜球場 )

「魯敏遜漂行記略」の解読を続ける。

かの見つけ置きける野羊(やぎ)を、捕え来て飼い馴らしけるに、いく
ほどもなく、蕃殖(うまわり)て、いと群れらるになりければ、時々それを
※ 蕃殖(うまわり)➜ ふえひろがる。
殺して食となし、それ焼かん(りょう)の串なども整え、その皮
※ 料(りょう)➜ あることのために使うもの。
をば乾(かわ)かし貯えて、衣服のとなしけり。ある時、(のう)に入れ置き
※ 嚢(のう)➜ とじ口のある布製のふくろ。
し穀物を、地(つち)にこぼしたりしが、一、二ヶ月の後、住所の周邊(めぐり)
に、小麦、大麦、米など生い出でけり。かの書き日記(にき)も、墨汁やゝ少
なくなりにければ、今は著しき事ならでは、記し
置かぬこととなし、縫工(きぬぬい)の業を努めなして、衣服などにも
※ 縫工(きぬぬい)➜ 衣服などを縫うこと。
事欠かぬようになりにけり。
(つづく)

読書:「ズッコケ中年三人組 age49」 那須正幹 著
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まーくんの野球へ応援に行く


ピッチャーまーくん

バッターまーくん

朝、家を8時前に車で出て、浜松市の天竜球場に着いた。

掛川の外孫、まーくんももう中学2年になった。小学生から始めている野球を中学でも続けて、今は掛川北中学のレギラーである。

今日は、県西部地区中学校野球大会の準決勝が行われる。県西部地区の地区予選を勝ち抜いた25チームが参加の大会という。これに勝てば、県中学校新人野球大会への出場が決まる。さらに優勝すれば、全日本少年春季軟式野球大会への出場資格を得るという。

今日の相手は同じ掛川の桜が丘中学で、近所の中学で、なかなか勝てない強いチームだとか。それでも本人は絶対に勝つと言って、家を出たという。

9時少し前に試合が始まり、先攻の掛川北、先頭打者がまーくんだ。相手は速球派のエースで背番号1。いきなり三球三振。

守備は三塁。小柄なまーくんも、この頃身長が伸びて、1メートル60ぎりぎり。それでも守備に付くと小柄で、一塁まで球が届くのか心配する程である。

一回に二点先行された。3回に一点返した。

三回の裏、掛川北のピッチャーが乱れて、まーくんがマウンドに立った。まーくんはピッチャーでもあった。

四回の裏、相手は四球を足場にバンド作戦に出た。バンド処理にもたつく間に、3点取られ、5対1。2点スクイズなどで失点した。

それでも5回、6回と押えて、最終回(7回)の表、先頭バッターはまーくん。この日、まーくんはここまで3打数2三振、三遊間のヒット1本であった。いきなり、2本目の三遊間ヒット。それを足場に四死球を絡めて、5対3まで点を詰めたが、そこでゲームセット。

残念な結果だったが、相手は、バンドなどを多用し、すっかり翻弄されてしまった。様々な想定練習などをたくさんこなした相手が一枚上であった。

試合後、掛川北中は3位の表彰を受けた。

名古屋から、まーくんと同じく外孫、中学2年のかなくん一家が応援に来ていた。かなくんは剣道で、初段になったという。明日も練習があると帰って行った。

孫たちはみるみる成長してゆく。

読書:「珈琲屋の人々 心もよう」 池永陽 著
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「魯敏遜漂行記略」を読む 10

「魯敏遜漂行記略」 横山保三訳 その7

午後、駿河古文書会のため、静岡へ行く。

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「魯敏遜漂行記略」の解読を続ける。

この住家をなお平穏(やすらか)にせんとて、芝草にて覆いたる土
垣を築き、小屋を作り広げ、地下を掘りなどしける
ほどに、柵と土垣となき処に、思いがけぬ道を得て、そ
こに戸を以って出口を造り、船より持ち来りし板にて、食
卓、椅子などをも拵えけり。さてこれまでありつる事
ども、猶今よりのちのも、記しおかばやとて、日記すること
を思い立ちけり。朝ごとに外(と)に出て、鳥など射て捕りける。
道に野羊(やぎ)を見つけけり。またある磯辺にて、卵六十ほど持
ちたる蠵亀(うみがめ)を捕えて、調理し喰いけるに、その味、いと
(うま)かりけり。
(つづく)
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「魯敏遜漂行記略」を読む 9


「魯敏遜漂行記略」 横山保三訳 その6

「魯敏遜漂行記略」の解読を続ける。

またある時、舟にて手銃二挺、馬銃二挺、鉛一袋、鏽(さび)たる剱(つるぎ)
二口、銃薬三桶を見出しけり。その後、麻縄と板とを得たりけ
れば、風雨を凌ぎ、獣の難をさけんがために、よき住家造
らんの支度をぞ、したりける。まず地上に、しかと打ち
込みたる(しがらみ)を、二行に立て、出入するに梯(はしご)を用い、それに
※ 柵(しがらみ) ➜ 水流をせき止めるために、川の中にくいを打ち並べて、それに木の枝や竹などを横に結びつけたもの。ここでは単に「柵」のこと。
次いで、岩中に穴を掘り、その掘り出したる土や石を、この柵
に突き添えて、窖(あなぐら)ある家の前に土壁を作り、また
ある杭(くい)に「千六百五十六年(我明暦二年)九月三十日、我れこの島
に到れり」と剞(き)りつけ置きけり。また椰子樹(やしのき)の葉を組み、
木を骨にして、日傘を造りて差しけり。
(つづく)

読書:「それぞれの山 南アルプス山岳救助隊K-9」 樋口明雄 著
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「魯敏遜漂行記略」を読む 8


「魯敏遜漂行記略」 横山保三訳 その5

「魯敏遜漂行記略」の解読を続ける。

その得たりける物どもは、強心薬(くすり)少しと酒二十四罎(とくり)、麻
縄、檣下(ほばしらした)より第三の帆、(ふすま)、敷被(しきふすま)の類い、及び番匠(だいく)の小
※ 被(ふすま)➜ 布などで長方形に作り、寝るときにからだに掛ける夜具。現在の掛け布団。
屋にて、銕釘(かなくぎ)三袋、圓鑚(まるぎり)一、斧十二、砥石一顆、銕梃(かなてこ)三、銃丸(てっぽうだま)
二桶、鉄炮七挺、猟銃(かりづゝ)一挺、銃薬、鉛など。その他、砂糖にて造り
たる焼酒四桶、焼酒一桶、白砂糖と▢(米扁に丐)粉と入りたる箱を取り
※ 焼酒(しょうしゅ)➜ 朝鮮の蒸留酒。うるち米、もち米または、とうもろこし、燕麦(えんばく)などを原料として作ったもろみ粕を蒸留したもの。日本の泡盛に似ている。
得たりければ、これを筏に積み帰りて、さてとある岩脚
※ 岩脚(がんきゃく)➜ 岩の根。
我が住処(すみか)と定めて、まずこの物どもを貯え置くべき小
屋を営なみたてけり。
(つづく)
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「魯敏遜漂行記略」を読む 7


「魯敏遜漂行記略」 横山保三訳 その4

「魯敏遜漂行記略」の解読を続ける。

心落ち入るにつけて、まず天に向いて、かゝる危き
折りに遇いて、命失わざりしこと、おぼろげの神の
救助(たすけ)ならではと、伏し拝みつゝ、磯辺に沿いて行くほど
に、損傷(そこな)われたるわが船を見付けけり。かく知らぬ世界に
漂い着きて、また恐ろしき獣などに出で遇わば、如何せ
ましと、樹上に登り居て、夜一夜明かして、またの
日、よき泉と果實(くだもの)とをたずね得て、飢(うえ)をしのぎけり。海
上の和(な)ぎたるにつけても、さしあたりて、身の艱苦をしのぐ
ばかりの物をだに、こゝに取り寄せべく、かの船にまで至
らんよしもがな、と思いわたりつゝ、磯近く流れ寄りたる
木どもを集めて、筏に組みて、かの船にのりつけ、
種々の物をぞ得たりける。
(つづく)

読書:「南町奉行と火消し婆 耳袋秘帖」 風野真知雄 著
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「魯敏遜漂行記略」を読む 6


昨日、初馬、フジバカマ畑からコスモス畑を望む

「魯敏遜漂行記略」の解読を続ける。

魯敏遜(ロビンソン)は元より、水練(およぎ)に長(たけ)たりけれども、波の勢い薄らぎて、磯近く押し進め、浅き所に差し置くまで、いかで
呼吸(いき)を保ち得べき。多く水を呑み入りて、半々(なかなか)、死に入りつゝ、
※ 半々(なかなか)➜ 半分。半ば。
とかくするほどに、思いしよりもほど近くある陸地(くが)を見
※ 陸地(くが)➜ 陸。丘や山がうねり続く大地。
つけ、そこに泳ぎ寄らんと勢力(いきおい)を激(はげ)ましけれど、寄せ返る
波のために、とある岩石(いわお)に打とつけられて、息絶えけり。やゝあり
※ 息絶える(いきたえる)➜ 死ぬ。ここでは、気を失うの意。
て、我に返りて、岩石を頼りつゝ磯に至り、はじめて
苦しき息を延べあい、乗れる人々の、つたなき宿世(すくせ)
※ つたなき ➜ 運がわるい。
※ 宿世(すくせ)➜ 宿縁。宿命。
思いやりつゝ、歎きけり。
(つづく)
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「魯敏遜漂行記略」を読む 5

掛川市初馬のコスモス畑
コスモス畑そばのフジバカマに寄るアサギマダラ

午前中、晴天に誘われて、掛川市初馬のコスモス畑を見に行く。他と比べて小規模のコスモス畑ながら、満開に、赤、ピンク、白の花を風に揺らがせていた。コスモス畑の上の段にはフジバカマの畑があって、花は地味ながら数頭の渡り蝶、アサギマダラが立ち寄っていた。

その後、初馬の娘の嫁ぎ先へ行く。野球の応援で留守であったが、末の娘と祖母が留守番で、しばらく話して帰る。

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「魯敏遜漂行記略」の解読を続ける。

魯敏遜、伯西児(ブラシリー)に土着(すまい)して四年ばかりありけり。ある時、
友とする商賈(あきうど)とゝもに、奴婢を買いとらんがために、亜弗利
(アフリカ)に行かんとて、己が資材田園(もてるものども)をば、よく心知りたる人に
頼み置きて、もし我れ途中(みち)にて死せりときかば、かの荘
園をば、吾れをこの地に送りたりし甲必丹(カピタン)に贈れという遺書(かきおき)
をなし置きけり。さて船出して十一日というに、いと
荒き風吹きおこりて、その危うさ言うばかりなし。船中の
人々、游艇(はしふね)に移りて助からんことを求むるほど、激しき
浪風に顛倒(くつがえ)されて、皆、海中へ落ち入りけり。
(つづく)

読書:「新酒番船」 佐伯泰英 著
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「魯敏遜漂行記略」を読む 4

「魯敏遜漂行記略」 横山保三訳 その3

午後、「駿遠の考古学と歴史」講座に出た。

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「魯敏遜漂行記略」の解読を続ける。

この魯敏遜(ロビンソン)が乗れる船、都児格(トルコ)(国名)
賊船に掠奪(りゃくだつ)せられ、魯敏遜は生け捕られて、模璉(モーレン)(地名)
に属(つ)きたる。沙拉(サレ)(地名)という海浜の街に送られ、奴僕(ぬぼく)
※ 奴僕(ぬぼく)➜ やっこ。しもべ。下男。
せられけり。魯敏遜、如何でこの奴僕の苦厄(くやく)を免がれんと思い
※ 苦厄(くやく)➜苦悩と災厄。くるしみとわざわい。
わたりしに、ある時主人の命(いひつけ)にて魚釣りに出でけり。これを
良き折りにて、(はしふね)にて遁(のが)れ去りける道に、葡萄牙(ポルトガル)(国名)の船に
※ 艇(はしふね)➜ 端船。小舟。
あいて、伯西児(ブラシリー)(南米利堅州の国名)に送られけり。そこより、かの寡婦(かふ)
※ 寡婦(かふ)➜後家(ごけ)。未亡人。
に書を贈りて、預け置きたる金を取り寄せ、いと良き
荘園を買いとりけり。
(つづく)
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「魯敏遜漂行記略」を読む 3

「魯敏遜漂行記略」 横山保三訳 その2

「魯敏遜漂行記略」の解読を続ける。 
 
この地に到り着きて後、闇▢(口扁に年)(ギュイネア/ギニア)(亜弗利加州の圀名)より、ここに来れる船の
甲必丹(カピタン)と交わりけるに、この人、魯敏遜(ロビンソン)に商いの所得を
※ 甲必丹(カピタン)➜ 船長。
ともに分かつべければ、我れと共に彼處(かしこ)にゆけと言いけり。この
勧めに随いて、我が親族より書翰(ふみ)の便りに添えて、
贈りおこせたりける金(こがね)(四十ポンドステルリング、英吉利国の貨名)
を甲必丹(カピタン)に渡して、細貨(こまもの)など買い取りて行きけり。
※ 細貨(コマモノ)➜ 小間物。
闇▢(口扁に年)に到り着きて、魯敏遜は商人(あきうど)と成りぬ。悲しむべきは、
かの甲必丹(カピタン)、この地に着きて幾程もなく、身まかりけり。その後、
魯敏遜、福島(カナリヤ)に渡らんとしける時、かの甲必丹の妻に、
貯えの金(こがね)二百片(ひら)を預け置きけり。
(つづく) 

読書:「出入物吟味人 日暮左近事件控 2」 藤井邦夫 著
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