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高知のホテルに着いた

(土讃線から小歩危)

午後4時に高知のホテルに着いた。半年振りのお四国で、前回最後に宿泊した高知駅前のホテルタウン駅前店に宿泊した。春を秋に繋ぐためにあえて同じホテルにした。

JRで高知まで5時間13分、何か外国に来ているような気分であった。というのは、浜松で新幹線に乗ると3人席に母と子供が乗っていた。窓際に座って母子を見ていると、子供は何かぶつぶつ言いながら、ガチャガチャから出した小さな玩具で遊んでいる。小さな子供が一人遊びする良くある風景だが、言葉がどうも違った。それは中国語であった。途中で、母と上の子が席を変り、子供同士でトランプで遊びだした。語尾のはっきりした言葉のやり取りは、子供の頃から彼らには身についているようで、兄弟で言葉をせわしく交わしている。その子も含めた中国からの観光団は、京都でいっせいに降りて行った。

さらに岡山から乗った南風11号では、隣が西洋の青年で、前の席の女性とカップルらしく、前後の席で話しをしたり、細かい洋書から地図のようなものを書き出したりと、忙しく働いていた。結局、高知までその青年と隣通しであった。日本も国際的になったものだと思うが、言葉が分からない人が隣に座るのは何とも落ち着かない。

今朝から旅の間にうっかりミスが三つあった。浜松駅の乗換えで階段を下っていると、どさっと音がした。落ちましたよ、肩をたたいてくれる人がいた。ザックにくくりつけて置いた巡拝鞄が落ちたのである。肩を叩いた人とは別の男性が巡拝鞄を持ってきてくれた。とっさのことで、御礼も十分言えなかった。

岡山で在来線への改札で、切符を全部入れて下さいと駅員が声を上げている。5枚までは入るらしい。自分の手持ちも5枚だったから全部入れたらエラーになった。中に在来線の南風11号の特急指定券が入っていた。それを外して入れたら通った。これは自分のエラーというより、駅員の説明不足である。

ホテルでチェックイン手続きを行って、部屋に入った。腹ごなしに少し歩いて来ようとフロントの前に出ると、忘れてありましたと、金剛杖を渡された。まだモードがお遍路モードになっていないためのミスであった。

夕方の散歩代わりに、高知駅から西へ1kmの安楽寺へ出かけた。安楽寺には門の右手に多宝塔があった。春の最後の札所であった、30番札所の善楽寺と札所争いがあり、安楽寺は善楽寺の奥の院となることで決着したことは書いた。だから正式の札所には入っていない。本堂と大師堂に作法通りに勤行をしてみた。春を少し思い出した。


(安楽寺の多宝塔)
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四国遍路に明日出発

(準備できたお遍路の荷物)

今朝から四国遍路の荷をザックにまとめる。春と違ってこれから寒い方に向かう季節とあって、衣類が増えて春より1kg強増えてしまった。春に現地で購入したお遍路グッズをリュックにくくり付けると、8kgになった。予備のズボンを持とうと思ったが、重量が0.6kg増えるから断念した。背負ってみると、それでもやはり重い。歩きながら減らすことを考えよう。さしあたってはウォーキングシューズをどこで履き替えるかである。新しいウォーキングシューズは結局ザックの底に入れたから、どこかで減らすことが出来る。午前中に図書館から借りた本をすべて返却するついでに駅に行って切符も買ってきた。9時52分、金谷駅発、高知駅に15時39分着である。もう後戻りは出来ない。

かつて山へよく出掛けていた頃、何泊か山小屋に泊まる山行の前夜になって、よく心が萎えそうな気分になった。何もつらい目に合う山登りに出掛けなくても、せっかくの休暇を家にいれば、楽にのんびりと出来るのに、という悪魔のささやきのような内なる声が聞こえてきた。しかし、山行には必ず仲間がいたから、そんな思いも仲間との約束が振り払ってくれた。

お遍路は一人旅である。行くも止めるも誰からも強制されるわけではない。「リュックを背負って、一日30kmもよく歩けますねぇ。」皆んな一様に驚く。「30kmも一歩一歩の積み重ねですから、誰だって歩けます。」平気な顔でそんな話を何人の人に話したか。差し詰めブログの読者もそれらの人数に入る。沢山のひとに話したのは、自分の決心にプレッシャーを掛けるためである。幾ら悪魔のささやきが聞こえても、止められない、のっぴきならぬ場所へ自分を追い込んでおかないと、挫けそうな気がするからである。

それでも、今夜になってもなお、明日出発することが実感になってこない。明日の今頃は旅の空にいることが信じられない。テレビの連ドラが来週へつづくと表示される。来週はどこの宿で見ることになるのだろう。明日から日本シリーズが始まるが、家にいればテレビ桟敷に陣取るはずが、旅の途中でテレビ観戦している姿は想像できない。

何とか、明日の朝、8kgの荷を担いで、菅笠と金剛杖を持って駅頭に立っている、自分の姿をイメージしてみる。今までだって、悪魔のささやきはあっても、それでやめたことはなかった。迷いながらも出発すれば、それなりに頑張ってくる自信は無いわけではない。そんな思いは振り捨てて、今夜は早く休むことにしよう。
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四国遍路秋編、31日出発

(西原でラッキョウの花 - 10月16日撮影)

会社の株主総会も無事に終った。決して満足できる成績ではなかったが、このどん底の時代では良しとしなければならない。夜は役員慰労会で役員を卒業する人、新たに役員となった人を交えて食事をした。食欲、酒量とも自分よりはるかに多い役員の皆さんは、気付いてみれば自分よりもはるかに若い人たちであった。

    *    *    *    *    *    *    *

春に2週間歩いたお遍路に続いて、秋編4週間のお遍路に31日出発する。何とか八十八番札所まで巡って結願したい。3ヶ月ほど前からこの日程で出掛けようと計画して、色々と準備を勧めて来た。本日、会社の株主総会が終り、仕事も一段落付いた。春編と同様に、出発に当って自らに課す決め事を今回もしておこう。

まず、春編で決めたルールを、もう一度思い出して見る。
 1.全ルートを徒歩にて、歩き遍路で行く。
 2.お遍路としてのしきたりは極力守る。
 3.すべてに感謝し、腹を立てないこと。
 4.物事にこだわらないで、成り行きに任せる自然体で居よう。
 5.毎日の去来する思いをブログに書く。
ここまでは秋編でも同じである。秋編ではもう一つルールを加える。
 6.毎日一人、自分の身辺で亡くなった人を思い浮かべる。

春は霊場を巡りながら、スポーツ感覚で歩いていた。般若心経を挙げながらお参りしている感覚は薄かった。これでは、信仰のための霊場めぐりという側面が欠けたまま、お遍路が終ってしまう。幸いと悩まねばならない深刻な問題もない。そこで、秋編は毎日一人、過去に自分の身近で亡くなった人のことを思い浮かべながら、その菩提を弔う気持で霊場を巡ろうと思う。

自分の身辺で亡くなった人は他の人ほど多くない。直系では考えてみると自分の実父だけである。生まれたときは4人いる祖父母はすでに亡くなっていたから、祖父母の死に目にも会わずに済んだ。そうはいっても、60年も生きていると、親戚、友人、知人、上司、同僚など、亡くなった人は30人を下回ることは無いだろう。

この世に思いを残さずに亡くなった人は、まずいないにちがいない。だから故人のことを思い出すだけで大いに供養になる。霊感が強い人だと、故人の思いを背負って帰ってきてしまう人があると聞く。だから「触らぬ神に祟り無し」という言葉も成立した。しかし、幸い自分には霊感はほとんどないから、そんな恐れもないと思う。

これでお遍路に一つ重要な意味が加わり、より意味深いものになる。このブログももう少し抹香臭くなるはずである。
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町の開業医も大変で

(裏の畑のシシトウ)

最近、自分の掛かり付けの医者がO医院からS医院に変った。その経緯を話せば長くなるからここでは触れない。

永年人間を続けていると、一つや二つ検診の数値が標準値をオーバーするものが出る。要治療で医者に薬をもらうことになる。自覚はないから、無理に付けられた生活習慣病という病名で納得させられる。まあしかし、一病息災というように、医者とは仲良くして置いて損はない。

今度、一ヶ月お遍路に出掛けるので、一ヶ月分の薬を出してもらうべく、昨日S医院を訪れた。9月に受診した健康診断の結果を入手したので、それも見てもらう。特に悪い数値は無いので、今出ている薬は続けることで問題は無さそうであった。血圧も測ったが、110-70で安定している。薬は予備をみて5週間分出して欲しいと頼んだ。

S医師は面白い医者で、5週間も出したらうちの医院はつぶれてしまうという。毎度お願いする訳ではなくて、今回だけと話した。話の都合上、11月1ヶ月掛けて、四国へお遍路に行くと話した。どうしてもその期間の薬を出してもらわないと、現地で医者に掛からなくてはならないからと説得する。S医師はその間仕事はどうするのかと聞く。もう仕事は定年退職していて、少しだけ継続しているけど、時間は取れると話すと、「いいなあ!!」と実感のこもった声でいう。その声に羨望と、わずかに批難のトーンがあった。

先生は僕より若くて現役だから、まだ無理でしょうけど、と弁解の口調になる。S医師は60歳である。僕なんか、医院のローンが残っているから68歳まで働かないわけにはいかない。前回診察のとき、ローンが終ったら、医者をいつ辞めてもいいんだと話していて、先生は良くても辞めたら患者さんが困るでしょうという会話を交わしていた。

開業医をやっていると長い休みを取るわけには行かない。収入は良いようでも設備にお金が掛かる。休んでいても気が休まらない大変な仕事である。最近は医者も大変で、S医師の話では一年で50軒ほど個人医院が倒産しているという。

薬は出すけれども、外でもらってくれないかという。そういえば医薬分業の時代に、S医院は自分の医院で薬を出してくれる。薬を自分のところで持っていると、残ってしまうものも多く、消費税は取らないから何も儲からない。外の調剤薬局でもらってくれれば、処方箋を書くから、医院としては処方箋の料金が稼げる。つまりはその分患者側の負担が増えることになる。それまでかかっていたO医院では、処方箋を貰って調剤薬局で薬を貰っていたから、それで構わないと話して、ようやく35日分の薬の処方箋を出してくれた。

考えてみれば、O医院からS医院に変って、支払いが少なくなったように思っていたが、処方箋の料金はいらなかったためであったか。S医師は口は悪いけど開けっぴろげで、患者の負担を気にしている、ある種名医なのかもしれない。しかし開業医も一時も気が休まるときがない立場にいる割りに報われることが少ない大変な職業であると思った。S医師にも医者の不養生にならないように気をつけて、少なくとも自分よりも長生きしてもらいたい。患者は誰もそう思っている。
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世界経済はオバマと胡錦濤が握る

(平峯明氏経済講演)

先週の金曜日、理事をしているS厚生年金基金の代議員会で静岡に出向いた。代議員会の後、経済講演を聞いた。

講師はS信託銀行の平峯明氏。氏は春山昇華のペンネームで幾つかの経済読み物を書いている。本日の演題は「オバマと胡錦濤のリーダーシップで復活を目指す世界経済」である。

現在の相場について、サブプライム問題、リーマンショックと株価が大暴落し、「悲観」の局地にあった投資家マインドは、その後「不安」の中でジグザグに推移、また「期待」のフェーズが来て、裏切られて「失望」で萎えるということを繰り返していた。しかし、最悪期は脱したようで、今後各企業の業績改善を見て、投資家マインドは「安心」に移行し、株価も安定した動きに変るだろうという。

今回の住宅金融バブル崩壊前には、世界では、ロシア、中東、オーストラリア、ブラジルなど、資源大国は資源の旺盛な需要で潤っていた。欧州も資金の流入と輸出で潤い、中国は世界の工場として輸出によって外貨準備世界一となった。もちろん基軸通貨を持つアメリカはバブルの真っ只中で好景気にあった。バブルが崩壊し、資源大国は資源の下落でたちまち厳しくなった。輸出で稼いでいた欧州は輸出が止まると借金だけが残り厳しい状況になった。ところが中国には豊富な資金が残り、中国版列島改造計画というべき内需拡大策を行い、いち早く景気回復局面に抜き出た。バブルの張本人ともいうべきアメリカは基軸通貨の強みを発揮し、世界に向けてドルを無制限に供給し、何とか窮地を脱しようとしている。

かつて世界経済を動かすG7、G8といわれた国々は、今やG20といわれる国々に呑み込まれて消えてしまった。現在はG2(アメリカと中国)が世界経済を左右するといわれるように様変わりしてしまった。巨大な消費のアメリカ、巨大な生産の中国が世界を引っ張る時代になった。

日本の位置はこのビッグ2の間にあって、どちらへも近い距離におり、上手に立ち回れる立場にある。失われた13年といわれる時期に、日本は世界経済の重要な位置にコミットするチャンスを失った。これに対してアメリカはいち早く不良債権処理と資本増強を行い、人々の不安を解消した。中国は内需振興で小康社会を建設することを目指し進んでいる。人口がアメリカの4倍ある中国はアメリカの富のすべてを持ってきても分配すればアメリカのように豊かにはなれない。「小康社会」とは、ほどほどの豊かさを目指そうという目標である。

今後は世界経済はオバマと胡錦濤の言動が左右する時代が続くだろうというのが、平峯氏の話であった。中国の政治不安、ドルが今後も基軸通貨たりうるのか、など疑問は幾つか湧いた。しかし、話は判りやすくて納得できる部分も多かった。

S厚生年金基金とS健保組合のそれぞれ理事を7年ほど務めてきたが、今年中に退任することになった。後任は会社の総務部長に頼んだ。また一つ荷が軽くなる。
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今週末にお遍路へ出発

(巨大カボチャ-島田市大柳)

今週末にお遍路へ出発する。そろそろ荷物の準備に掛からなければならない。準備するものは前回しっかりと書き出してあるので迷うことはないが、春より確実に寒くなるからその準備をして置かねばならない。その分荷物は少し増える。増加分を1kgとみて、7~8kgほどになるだろうか。

もう一つ、体重が増えている。これは身の内で荷物とは言えないが、余分な肉であれば荷物と同じことである。春のお遍路に出発前は64~65kgで推移していた。お遍路から戻ってきて計ったら62kgと減っていたので、2kgは戻してもよいと油断したのが悪かった。お遍路の間に食べる量が増えて、胃も大きくなっていたようで、お腹も無性に空いて、食欲はお遍路前よりかなり旺盛になっていた。その結果、この半年で約4kgも体重が増えてしまった。現在、68~69kg。秋の健康診断でメタボ予備軍に入ってしまった。体重を減らす有効な方法は頻繁に体重計に乗ることであると考えている。この一週間ほどは毎日体重計に乗っている。歩けば体重は減る。先日30km歩いたとき、直後に計ったら67.4kgまで落ちていた。もっとも一日で戻ってしまったが。

荷が1kg、体重が4kg増えれば、5kg増の荷重で歩き始めねばならない。そのままではちょっときつい。体重は徐々には減ってくると思うが、荷をさらに減らすことを考えよう。

持ち物を再度書き出してみる。
(装備)ザック、シューズ、雨合羽
(衣類)ジャンバー、長袖シャツ2、長ズボン2、ベルト、半袖シャツ2、パンツ2、靴下2、タオル、小タオル、軍手
(機器類)モバイルパソコン、マウス、パソコン電源コード、LANアダプタ、Bモバイル3G、デジカメ、SDカード〈予備〉、デジカメ充電池〈予備〉、デジカメ充電器、携帯電話、携帯電話電源コード、万歩計
(カード)銀行(VISA)カード、ゆうちょカード、保険証カード
(雑貨など)、めがね、財布(札)、財布(小銭)、歯ブラシ、歯磨き、ティッシュ5、ポリ袋各種10、輪ゴム20、水性ボールペン、メモ帳、洗剤、万能ナイフ、バンドエード20、麺棒30、お茶100g、マスク5、薬など。

一つ迷っているのは靴である。春に履いた軽くて足に優しい靴と同じものを買ってあるから、その靴に履き替えて行けばよいが、今回は一ヶ月、途中で履きつぶす可能性がある。だから、何日か春の靴を履きつぶすまで履いて、途中で靴を履き替えようと思った。そうすると新しい靴をしばらく携行しなければならない。それでも靴を補修をしながら歩いたり、新しい靴を探したりする手間は省ける。いつでも履き替えて送り返せばよいから、古い靴で出発することにしようと思う。

これ以外に春に現地で買い求めたお遍路グッズがある。金剛杖、菅笠、白衣、巡拝鞄、遍路地図帳、輪袈裟、数珠、納経帳、線香、ローソク、納め札、経本(「作法とお経の意味」)。

これらを全部入れれば10kgを越えるであろうか。さあ、準備に掛かろう。
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第5回古文書に親しむ「直江大言の事」 その3

(伊太のセイタカアワダチソウ、一株で見ると悪くない)

昨日に続いて「直江大言の事」の解読文、続きを載せる。

石田三成進み出て、直江氏申さるゝ處もっとも至極せり。さりながら諸侯の銭を称美ありしも、まったく金銀を誉むるにあらず。主君の下知にて鋳させられしものゆえ、軽んずべき用なし。軍用に利あらん事を賞美せし処なり。御邊(こと)の言葉は勇士の本意たれば、これまた咎(とが)むべきにあらずと。両方まったき挨拶しけるより、漸々(ようよう)その場も済みておのおの退散ある。

白けたその場は石田三成の発言で収まった。この納め方、自分が長年果してきた役割と手法によく似ている。組織の中にこんな役回りの人が必ず必要なのだろう。そんな三成が関ヶ原の西軍を統率するのは役割を間違えたとしか思えない。それはさて置き、三成は直江の無頼に自らにない物を感じ、手厚く扱い、二人は昵懇の仲となる。

時に三成、今日直江が振舞い、不(無)頼なるを感じ、天晴れ、彼がごとき勇士を語らえ、一方の将ともなせば、我も大望成就すべきと思い付きたり。何となし直江に親しみ、弁舌をもってその心を動かし見るに、直江元来智謀武略に達し、殊に信臣なれども高禄を領し、大身なれば何不足なしといえども、信臣なるがゆえ、少知小輩の役人に出合っても、頭(かしら)を上げる事あたわず。これによって、兼継いさゝか無念の気あり。

三成その気を察し、直江に心を喜ばしめんため、何にても出合いにては、随分睦ましく挨拶して、決して輩を卑しめず。途中などにて行逢うときも、石田は直参にて五奉行の頭人、殊に太閤御気に入りのものなれば、権勢盛んにして、いかなる大名もこれを敬い礼をなして通らるゝに、直江が信臣の事なれば、いよいよ礼を厚くすべきはずなるに、三成は直江と見るより、あるいは下馬し、または参りものをたてさせ、入魂の体にもてなしける。直江も石田は天下の役人なりと思い随分尊敬しけるに、三成はなはだ懇情を通ずるによりて、返礼のため直江は石田が屋敷へ至りければ、三成大きに喜びて奥へ請じて様々もてなし、すこしも疎意なく会釈しけるにぞ。
※ 疎意 - 避けようとする気持ち。隔意。

直江痛み入りて、貴前様は天下の御役人、それがしは上杉の郎等なり。然るにかくのごとく御もてなしにあづかり候事、憚(はばか)りなきにあらず。近頃礼に迷い候なりと申しければ、三成笑つて、鼠も時を得れば虎の勢いを振るう。猛虎も用いる人なければ、兎のために恥しめらる。大身、直参、信臣と差別あれども、尊ぶべきは智謀度量なり。愚かなるものも時運によって高位に上り、智あるものも時を得ずして、人の下に徘徊する事、和漢ともに例(ためし)多し。
※ 貴前様 - きわめて高い敬意を表す。あなたさま。
※ 智謀 - 知恵を働かせたはかりごと。巧みな計略。
※ 度量 - 他人の言行をよく受けいれる、広くおおらかな心。
※ 徘徊 - あてもなく、うろうろと歩きまわること。

続きは来月の「古文書に親しむ」で読むことになるが、来月はお遍路で欠席になる。
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第5回古文書に親しむ「直江大言の事」 その2

(島田中央公園の山柿、口に入れたら甘いと思った次の瞬間渋さに口が曲った)

今朝、まーくんとママが来た。最近、よく出かける子育て支援センターで運動会があり、同じくらいの子供の駆け比べで、泣きながらママも所へ駆けたまーくんが、ダントツの一位になったと聞く。家でも覚束ない足取りながら駆け回っているから納得の結果である。まーくんはいったい一日にどのくらいの歩数を動くのだろうと思い、まーくんに万歩計を付けてみた。お昼を食べて昼寝をするころまで、およそ4時間ほどで、1561歩という歩数になった。1歳と4ヶ月にしてはちょこまかと動く方なのだろう。

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先週の土曜日、第5回「古文書に親しむ」に出席した。先月読み始めた、大平基軍伝の中の「直江大言の事」の続きで、いよいよ直江の大言壮語の内容が明らかになる。直江とはもちろん、NHK大河ドラマ「天地人」の主人公で、直江山城守兼継のことである。

山城守にっこと笑い、身不肖なれども、それがしは上杉の執権をつとめ、一国の政事を預り、景勝の後見たり。上々もより御存じの事。殊更今日は主人の代りに列座仕り候えば、天下評定の事においては、いさゝかもおのおの項(候)に遠慮仕るべき由なし。唯今の義は所存あって致せしなりと申すにぞ。
※ 不肖 - 未熟で劣ること。

田中赤面の体にて、所存とはいかなる事ぞや、子細を承り申さんと尋ねなれば、直江、おのおの様、件(くだん)の銭を御覧あって、はなはだ称美し給えども、それがしが目にては何とも存ぜず。金にも贋銀にもせよ、かたちは銭に候らわずや。匹夫、下賎、乞食、非人までも持て扱うものを、尊貴の手に触れる用なし。

かく申すは、それがし自ら尊大を申す様に思し召し候わんなれども、まったく左様にあらず。主人景勝は一国の王にて官爵ともに卑しからず。その名代たるそれがしなれば、主人の尊貴を穢し候わん事を存じての義なり。たとえ、さはなくとも、大丈夫の士は金銀を見る事、塵あくたのごとくす。

※ 尊大 - いばって、他人を見下げるような態度をとること。
※ 官爵 - 官職と爵位。
※ 名代 - ある人の代わりを務めること。代理。
※ 大丈夫 - りっぱな男子。

国家を失い身を亡す根元は色欲の二つなり。女に迷ひ金銀に迷ひぬる心ある時は、自然と悪を行い不忠をいたす。それがし、いさゝかこの義をまもり、追従軽薄を除きて丈夫の心指しに習わんと歎(たん)ず。このゆえに言語に絶せしなり。必ず無礼と思し召さるゝ事なかれと傍若無人に返答せしかば、列座の諸侯顔見合せ、いずれも銭を誉めたる衆中なれば、手持ち無沙汰に挨拶もなく、座中白けて見えにける。
※ 追従(ついしょう)- 他人の気に入るような言動をすること。こびへつらうこと。
※ 軽薄 - 人の機嫌をとること。

直江の発言に座が白けてしまった。現代の言葉でいうならば、空気読めよと言いたいところであろう。この後に、その場に居合わせた石田三成の発言になる。連なる諸侯の中でも最も若くて軽輩の、直江兼継と石田三成がこの時より昵懇の間柄になり、同志となっていく。続きは次の機会にする。
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島田金谷の展望台、矢倉山

(矢倉山からの眺望-その一部)

昨日登った矢倉山について少し詳しく書こうと思う。

金谷から東を見ると、大井川の向こうの、最も手前に台形状の山が見える。それが矢倉山(標高311メートル)である。昔から気になっていた山だが、今まで登ったことはなかった。「伊太和里の湯」に行ったとき、その500メートルほど手前、「田代環境プラザ」の右脇に矢倉山登山道の標識があることに気付いていた。いつかその道をたどってみたいと思った。今日はそこから登り始めることにした。

「田代環境プラザ」の敷地に沿って、山すそをたどった先で山道が始まる。荒れた道を20分も登ると東西に伸びる尾根上の峠に出た。そこは十字路で標識があり、峠を乗り越して下ると伊太に至る。左手に尾根をたどると島田の中央公園まで行けるようだ。矢倉山は右手に登っていく。低い山だから、ものの15分も登れば山頂に立つことになった。登山道がしっかり整備されていて登りやすい。途中下ってきたおじさんに山頂の展望の様子を聞くと、山頂から1分ほど下った先で絶景の場所があると話す。登山道がよく整備されていると誉めると、この辺りの一帯の登山道はふもとの青年が一人で何年もかけて整備してくれたという。

業者が作った登山道できれいには出来ているが、段のワンステップが高くて、まるで障害物競走のような階段をよく見る。登山者は段を避けて上るため、結局自然を傷めてしまう。その点、この登山道の段はきれいではないが、一段づつが低くて大変登りやすい。多分、山歩きの好きな青年が自分が登りやすい形に作った段なのだろうと思った。標識も小まめにあって安心して歩ける。

山頂では展望は全く利かなかった。おじさんの言葉通り、少し下ったところに素晴らしい展望所があった。大井川を真ん中に、こちらに島田、向こうに金谷が一望に出来た。最も右に完成間近の第二東名がこの山の根元(トンネルがある)から大井川を渡り金谷の大代へ伸びている。その先に粟ヶ岳の「茶」の字も見える。大井川に並行する牧之原台地を南へたどっていくと、靜岡空港の管制塔まで見える。待っておれば離着陸する旅客機も見えるだろう。(本数が少ないから相当粘る必要がある)眼下の伊太の谷から街の方まで、鳥の目で見るように見えた。対岸の牧之原公園からの眺望の反対側にあって、双璧をなす展望所だと思った。

十字路まで下って、中央公園に通じる道を選んだ。要所には標識があるからそれほど迷わずに、尾根伝いに最初は西へ歩き、途中で農道に出たりして、また尾根道に戻り南へ歩いて国1バイパスにぶつかった。脇の歩道を行くと中央公園に至った。十字路から約3km。誰にも会わなかった。木の枝で目の前のくもの巣を払いながら歩いた。

崩壊箇所一ヶ所、草を分けるところも何ヶ所かあった。起伏も少なくて手を入れれば快適な林間歩きのハイキングコースになると思った。今はほとんど使われることもない様子であった。幾つかのバリエーションもあり、何度かコースを変えて歩いてみたいと思った。
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島田伊太、山歩き、秋深し

(矢倉山の下を第2東名のトンネルが抜ける)

今日でお遍路の訓練歩行も5回目になる。山の上の札所も想定して、今日は少し山歩きもしようと思った。今回のお遍路では一日平均30km近い距離を歩かなければ、11月中のゴールは難しくなる。訓練もそろそろそのぐらいの距離を歩いて置こうと思った。だから目標は、歩数40,000歩、距離30kmである。

最初目指したのは大井川の対岸、「伊太和里の湯」のある島田市田代から登る矢倉山である。まずミニストップでパンとおにぎりを購入する。途中、近所の奥さんとすれ違って、「今日はどこまで歩かれますか」と聞かれた。お祭り以降、自分がお遍路に出発することはご近所さんにバレバレになってしまった。「伊太の温泉あたりまで歩こうかと思っています」と答えて、目を丸くされた。

対岸へは横岡の水路橋を渡った。人と二輪車までで、車の通行は禁止だったのを地元の要望に応えて車の通行が許されてしばらく経つ。すれ違いの出来るほど橋の幅が無いため、時間帯で西行きと東行きを交互に通している。橋の手前に警備員の詰所があって、おじさんが座っていた。声を掛けて少しお話する。おじさんは一日に、島田→金谷、金谷→島田、それぞれ500台ほど利用者があると話す。毎日1000台の通行は通る方だろうと思った。通行時間帯を書いた紙をくれた。

島田水路橋通行時間帯
島田 → 金谷
  6:00 ~  7:45
 10:00 ~ 11:45
 14:00 ~ 15:45
 18:00 ~ 19:45
金谷 → 島田
  8:00 ~  9:45
 12:00 ~ 13:45
 16:00 ~ 17:45
   ※ Uターン禁止


神座へ渡り、工事も9割方終ったように見える第2東名を潜ってすぐに、「伊太和里の湯4km」の標識を見て左折した。第2東名工事用と兼用道路で、第2東名の道路面と同じ高さまで上り坂になって、そのまま、第2東名の道路内に入れるようになっている。工事車両も無いようでゲートが閉まっていた。下って谷間の道を「伊太和里の湯」まで歩いた。まだ11時前で、タオルは持ってきたが温泉に入る気分ではなかった。トイレを借りて気分良く山登りに進んだ。

このあと、矢倉山に登り、登頂後、尾根を伝う道をたどって、島田市野田の中央公園へ出た。島田の街を横断して大井川の側の横井運動公園から、茶色のアスファルトの河川敷マラソンコースを歩き、国一バイパスの新大井川橋を渡って、自宅まで歩いて帰った。歩数42,950歩、30km近く歩いたと思う。
(矢倉山については後日少し詳しく書く)
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