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中国からコップが来た

子会社K社で、年初に中国の現地法人に頼んでおいたコップ50個が送られてきた。

1月8日のブログに書き込んだ、中国で頂いてきた2重になった円筒形のガラスコップを、K社の人達に見せたら、自分も欲しいという話になり、まとめて中国から取り寄せる事になった。その荷が今日着いたのである。

内10個を分けてもらい家に持ち帰った。班新年会の時、隣に座ったMさんは農業でお茶も作っている。このガラスコップの話をして、お茶の葉が開いて来るのを見ながらお茶を飲むと楽しいと話した所、自分もお茶を飲む時お茶の葉がどうなっているのか見てみたいと、大変興味を持ってくれた。送ってきたら進呈すると約束をした。

その後、女房の話では、散歩の時に会うたびに、ガラスコップはまだかと聞かれる。本当に楽しみにしているみたいだという。

女房の分1個、Mさんに2個、娘の二タ夫婦に4個、あと3個をどこへあげようか。

早速、女房はもらってあった手揉みのお茶をつかって、湯沸しポットを60度に設定して入れた。お茶は思ったようには浮かんで来なかった。沈んだままで開いた。もう少し乾燥させた方が、お茶は初めは浮かんで、徐々に開いて沈んでゆくさまが見えて楽しいのだがと思った。目で見て楽しいお茶について、お茶問屋のK園に相談してみよう。
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四国遍路の話

昨日の夕方、NHKのBSで岩崎恭子さんが四国の金毘羅さんから松山まで11日かかって歩くという番組(ハイビジョン番組をダイジェストして編集しBSで再放送したもの)を見た。大変慣れっこくて、いろんな人に声を掛けながら楽しんで歩いている様子がみんなを和ませる、面白い番組であった。

本人の企画なのか、局側の人選なのかはわからないが、よく歩く気になったと感心するとともに、景色に違和感なく溶け込んで、考え付かない人選だが適役だと思った。

四国といえば遍路道である。遍路に出かけた人たちの記録を何冊か読み、歩き遍路をしている自分の姿を思い描くことが、今まで幾度となくあった。実は今も、大正七年に若い娘の身で歩き遍路に出かけた、高群逸枝さんの記録を読んでいるところである。

手元にある四国八十八ヶ所歩き遍路の記録を紹介しておこう。同様の本はまだまだたくさんあると思う。

   (1) 空海の残した道     松坂義晃 著
   (2) 定年からは同行二人  小林淳宏 著
   (3) お遍路さんと呼ばれて 津田文平 著
   (4) 四国遍路         辰濃和男 著
   (5) ガイジン夏遍路     クレイグ・マクラクラン 著
   (6) 平成娘巡礼記      月岡祐紀子 著
   (7) お遍路          高群逸枝 著

四国遍路に出かけたら、遍路の記録を毎日ブログに書き込むのも面白いかもしれない。家族にも今どこを歩いているかわかる。しかしノートパソコンを運ぶのは辛いだろうと思った。耐えかねて途中で投げ出したくなるかもしれない。かと言って、若い人のように親指を使って携帯で書き込むのは無理である。

ところが、携帯をつないで入力できるキーボードが売られていると聞いた。重さは200g、これなら持って歩けそうである。

いけない、四国遍路の目的が物見遊山になっている。四国遍路は修行の場である。しかし、自分にはその覚悟がない。そんなことでよいのかとも思うが、動機はとにかく遍路へ出かければ、何かが変わるはずである。かさぶたがきれいに取れるかもしれない。

あとは一ヶ月半とも2ヶ月ともいわれる時間をどうして作るかである。会社では長期休暇を許してくれないだろうな。だから出発はいつになるのか見当がつかない。
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家庭内隔離

金曜日の夕方、早引きしてきた息子が医者に行ってインフルエンザの診断を受けて来た。インフルエンザの検査も今は10分ほどで出来るようだ。発症してから48時間以内に服用すれば効き目のある薬があるらしく、4日分出してもらってきた。迎えに行った女房に看護婦さんが、「家でしっかり隔離してください」と、家族用のマスクをもらって来た。かくして息子は2階の自分の部屋に隔離された。

女房は息子の部屋に入るときはマスクをして入っている。治るまで顔を見せるなと言ってあり、食事も時間差をつけて、あれから息子の顔を見ていない。

昨日、女房は朝から息子の好きなカレーライスを作り、夫婦で出かけた。隔離には一番の方法である。

掛川城でNHK大河ドラマの「一豊と千代」展を行っていたので、まずはそこへ行くことにする。快晴の空に掛川城が光り輝いて見えた。「一豊と千代」展は城内の一画に架設建物を建て展示されていた。ウォーキングのコースにも入っているらしくザックを背負った人などで込み合っていた。内容はドラマの域を出ないもので、これで入場料500円は高いと思った。

女房の情報で、昼食は袋井の「きたよし」という蕎麦屋に行く。ここの蕎麦は「胡麻切りそば」といって、黒胡麻をすって混ぜた蕎麦だという。ちょっと変った蕎麦ではあったが、わざわざ来るほどのものでもなかったか。

「きたよし」に着いたとき、見覚えのある場所だと思っていたら、その2階が去年の5月までお世話になっていたK会計士の事務所で、何度か来たことがあった。

その後、2割引のサービス券があるというので、掛川市居尻の「ならここの湯」へ行く。正月に娘と来て以来だが、今日はお客が多く、履物は夫婦まとめてワンボックスに入れ、脱衣ボックスも出るとすぐに鍵が回収された。湯質は肌にまとわりつくようで、こんなに良かったとは気付かなかった。帰っても寝るまで身体から温かさが抜けなかった。

息子は薬が効いていて熱は下がったようだが、まだ顔は見ていない。

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大学の友人と

3日ほど前、大学の先輩、O氏から、東京の私大の法学部教授M氏が来静するので、大学の友人たちに静岡へ集合の電話があり、夕方出向く。

待ち合わせは居酒屋タカノである。M氏を囲んで、県職員を退官して第二の人生に入った、いつも世話係のO氏、公認会計士のA氏、養鶏業を営むK氏、そして今日始めて合う警視庁を退官して地元の戻ったS氏の6人が集った。

昔話に花が咲いたのは当然だが、集った人達の共通項をつい考えていた。皆んな爺さんの入口にいることは年齢上致し方ないこととして、年寄りの自覚が全くないこと、アナログ人間であること、花粉症の人がいないこと、それぞれ適齢期を越す結婚しない子供を抱えていること、あまり金には縁が無さそうなこと、などである。病気の話で盛り上がることがなかったのは幸いであった。

M氏は静岡に講演のために来て、明日は伊勢へ向かうのだという。憲法が専門で、憲法改正論議が盛んな現在、引っ張りだこのようである。現在、産経の正論でレギュラー論客として論陣を張っている。

アナログ人間のM氏も、時代の流れで原稿はパソコンで書くようになったと話す。自分の過去の原稿を利用したり、推敲したりするのが大変楽になったという。また原稿の書き方も変ったともいう。以前は書く内容や順序をしっかり書き出しておいてから書いていたが、今はほんのメモ程度であとは思いのままに書き、推敲の段階でまとめるという方法になったという。これは30数年前、自分がワープロを最初に使い出したときに感じたことと同じである。
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変な急須の話

子会社K社での話。

一つの急須は口が欠けて、注ぐとお茶が垂れテーブルを濡らす。だから布巾を添えてお茶を注がなければならない。もう一つの急須は割れて残った別々の本体と蓋を組み合わせて使っていて、柄が違うし蓋が一回り大きい。見兼ねて口を出し、ようやく新しい物を買う許可が出た。

そして女性スタッフが買ってきた急須が写真の急須である。本体と蓋が柄違いの急須を見て、「お店でも割れ残ったものを組み合わせたんじゃないの」と冷やかす。「同じ物がいくつも並んでたから‥‥」そんなことはないと弁解するのも可笑しい。

しかし、こんな急須を作ったきっかけは何だったのかと考えると、案外割れ残ったものを組み合わせてみたら面白い商品になった、という辺りが真実だったのかもしれない。

とにかく急須は新しくなったが、アンバランスなイメージは元のままである。
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ホリエモン逮捕(後)

(昨日の続き)
ホリエモンが世に出た時、危なっかしさを感じながらも、若い人が世の中に風穴を開けようとしていると、大きな期待感をもって見ていた。

40年前、大学を全共闘が牛耳っていた頃、同じ大学生であったが、180度立場が違い理解出来なかった。しかし、今考えると彼らが突き動かされた行動の意味がわかるような気がする。

先の大戦ですべてを失って、戦後間もなしの若者たちには物はなかったが、無限可能性をもった未来があった。世界の企業に発展する多くの企業はその頃の若者たちによって創業された。

しかし、遅れて来た我々の世代には残された席はなかった。ただ席が空くのを待つ順番待ちの行列の後ろに付くしかないように思えた。また団塊の世代と呼ばれる大集団が社会に出てくる準備をして背後に迫っている。そういった逼塞感や焦りがあって、若者たちは既成社会に対してあのような形で爆発したのだろうと、今では考えている。自分の同級生の中にも、活動に加わり挫折して、社会から零れ落ちて行った人々を何人か知っている。

ホリエモンが登場してきた時、彼らにだぶって映った。40年前、彼らが暴力ではなしえなかったことを、金の力でなそうとした。既成社会に対する挑戦なのではないのか。もしかしたら、我々の世代が果たし得なかったことをやってしまうのかもしれない。そんな期待を持たせた。

しかし結果は彼もやはり挫折した。法を犯してまでやることは許さないというのが表向きの理由であった。けれども既成社会が既得利権を守ろうとする力が動いたことは否定できないと思う。40年前と同じだと思った。惜しむらくは、ホリエモンがそういう既成社会の側を甘く見たことである。

彼が日の出の勢いの頃、八女在住のご両親は敗れたらいつでも国に帰ってこいと話していると聞いたことがある。その頃から、大人たちは彼の危うさを心配していた。

しかし、彼には出来れば形を変えて再挑戦を期待したい。彼は能力もあるし、何しろ現代の若者たちの希望の星だったのだから。
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ホリエモン逮捕(前)

(左がライブドアのチャート、右が日経平均のチャート)
ライブドアグループの証券取引法違反事件で、堀江社長が逮捕された。ライブドアに地検が強制捜査に入ってちょうど1週間の月曜日のことである。今までブログで取り上げなかったのは、何が起こったのか判らずにじっとウォッチングしてきたためである。

先週月曜日の夕方、自宅へ帰ったところ、テレビの「ライブドア‥‥」という声が聞こえた。何事かとテレビの前にいくと、地検がライブドアの強制捜査に入ったとのニュースであった。

最初に感じたのは「こんな時間になぜ?」という疑問であった。続いて「株価への影響はどうなる?」「別件捜査?検察はやりすぎではないか?」「これでライブドアは終わりか?」‥‥と次々に?が付いてくる。で、よくウォッチングしようと思った。

株をネット取引ではじめて2年、「401K」を社内で推進する役目柄、この世界のことを知っておかねばならないと思い、少額ながら取引をはじめた。お金を入れると否応なく興味が湧き、この世界のことが理解できるようになってきた。面白さも、危うさもだんだん判ってきた。

自分にとって、ライブドア関連株は胡散臭くてとても手を出す気にならないものであった。だから一度も買ったことはない。

ライブドア関連株を除けば、下がってもやがて戻るとの判断で、ここはしたばたせずに静観しようと思った。火曜日、注目の株は午前中下がって始まったが、元へ戻る動きで、この程度の影響かと思っていたところ、午後は全面安の展開となった。次の日も底が知れない展開となった。木曜日にようやく底を見て、金曜日には大きく戻し、現在はほぼショックから立ち直ったかに見える。

ライブドア関連株で損をしたと被害者ぶる人がいたら、損は覚悟の上ではないかと言いたい。特にネットで取引している人は誰に勧められたわけでもなく、自己責任で買ったのだから。粉飾決算というが、彼の言動を見ていれば如何に危ういものであるかは判ったはずである。事実、機関投資家などはほとんど手を出していないといい、個人投資家が買って価格を釣り上げてきたものだと思う。

捜査に入った時間が夕方だったのは、株への影響を少なくしたいとの意図で、取引時間外を選んだと理解できた。通常、地検にしろ国税にしろ、強制捜査に入るのは決まって月曜の朝一番で、会社の前で待っていて入ると思っていたから、疑問に思ったのである。

いきなりの強制捜査が唐突で、検察は少しやりすぎではないかと思ったが、強制捜査後1週間でのスピード逮捕をみると、かなり詳しい内部告発があり内偵が進んでいたのだろうと思い納得した。

今後ライブドアがどうなって行くのかは見守って行くしかない。(明日へ続く)
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清家篤氏講演会

午後、S銀行の新春講演会で、掛川のパレスホテルに行った。講師は慶応義塾大学教授の清家篤氏である。演題は正月らしく「平成18年の経済展望と経営課題」

今年を占なう経済講演会のつもりで出かけたが、専門が労働問題とあって、期待に違って経済の話ではなかった。

景気の上昇基調を背景に、失業率は4.6%、有効求人倍率は0.99倍と、2年前の5.3%、0.64倍と比べて大きく改善している。こういう状況の中で労働事情は大きな構造的な変化が起こっている。その中の最大のものが急速に進んでいる少子高齢化である。

人口減少の時代に入ったと大きく騒がれたが、本当に問題なのは少子高齢化である。日本は65歳以上の高齢人口比率が20%と世界一である。平均寿命が女性84歳、男性78歳と伸び、要は長生きすようになった。社会保障制度を維持するために、長生きする分、長く働くことが求められるわけである。

幸い日本の高齢者は、健康寿命が男性72歳、女性78歳と、大変元気である。さらに勤労意欲が、英米60%、ドイツ30%、フランス20%に比べて、70%と大変高い。すでに法的には60歳定年延長し、年齢を基準としない雇用制度への移行を促がしている。

2007年問題といわれている団塊の世代の定年退職問題は今や問題ではない。団塊の世代はまさに人材の宝庫である。これからは会社人間ではなくて仕事人間の時代になる。「花王の××部長だった」ではなくて「アタックをつくった」と胸を張って言える人間でありたい。

話はごもっともだが、42.195kmを走ってきた人に、ゴールは3km先というようなもので、大変身につまされる話であった。
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なんぶの湯

日帰り温泉も近辺には残り少なくなって、昨日の日曜日は山梨県へ足を伸ばすことにした。山梨県で最も近い公共の温泉という条件でネットで探したら、「なんぶの湯」というのが見つかった。新しそうな温泉で料金も500円とまずまず安い。

途中日本坂パーキングの焼津さかな工房に立ち寄り、女房の同級生でそこの共同経営者のHさんに声を掛けた。食堂の隣は売店になっていて焼津の魚の加工品などが並んでいる。少し早い昼食であるが、再び「2色丼」を食べた。この2色はマグロとカツオだということを店員さんから教わった。前回そんなことにも気付かずに食べていた。Hさんから透明なカップに入った変り寿司を頂いた。一番上にイクラ・ウニ・カニが載り、以下サケ、コンブ、漬物がご飯と交互に重なっている。それがよく見えて楽しい(写真)。商売物を申し訳ありません。

清水から山梨に抜ける国道52号線の途中、時々真っ白に雪を頂いた富士山が見えた。南部を通り抜けて、まず身延山に初詣に行った。途中、いつも立ち寄る相又峡のドライブインが閉まっているのに気がついた。人影がなく、駐車場も鎖で閉ざされている。夜中で店がお休みでも駐車場とトイレと自動販売機は動いていて、いつもお世話になっていたのに、いつどうして閉鎖されたのであろうか。

身延山の門前町に参拝客の姿は全く見えなかった。境内も参拝客はちらほらで静かなだった。本堂をデジカメに撮ったが、背景の山がロープウェイで行ける奥の院である。境内では、平成十九年秋完成予定の五重塔の工事のため、元あった休憩所が壊されていた。池のそばに豆桜というのだろうか、小さな花がちらほらと咲き始めていた。有名な枝垂桜が咲くのはまだ2ヶ月以上先である。

富士川の左岸を下って、南部町内船の「なんぶの湯」へ行った。道が良くなって国道52号線を下るよりも早く着いた。この道を通ると相又峡はパスしてしまう。もしかしたら車の流れが変ったのかもしれない。「なんぶの湯」は新しい大きな湯船で、気泡湯、寝湯、打たせ湯、サウナ、露天風呂など色々揃っていた。これが18湯目の日帰り温泉であった。

途中、温泉の看板をたくさん見た。南部町だけでも奥山温泉・十枚荘温泉・佐野川温泉などがある。また、南部町には「本郷の千年桜」「原間のイトザクラ」などがあり、見たい巨木もまだまだありそうだ。
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花粉症とべにふうき(後)

(昨日の続きである)
「べにふうき」のお茶が、少しだが昨年春に出来てきた。言いだしっぺでもあったから、早速「和(やわらぎ)」と命名された「べにふうき」を購入して、実験台になった。

「和(やわらぎ)」は「べにふうき」3グラムを三角型のティーバッグに加工されている。それが20個入って1155円である。この3グラム2個で1日分として、10日分である。この3グラムのティーバッグに300~400㏄の熱湯を注ぎ、3分間ほど置いてお茶を出す。おいしさを追求するわけではないから、湯冷ましの必要はない。また、ティーバッグをしぼったりするのも、エキスをしっかり出し切るのに効果的である。

出し終わったら、500㏄のペットボトルに入れて、すぐに冷水で冷やす。ここで冷やして置くとお茶の色が変わらない。500㏄のペットボトル2本で一日分になる。一日、このペットボトルを携帯する。べにふうきの効果は3、4時間である。で、これを3~4時間置きに一日飲み続ける。一回あたりは120㏄~140㏄、ほぼ湯のみ1杯と考えてよい。入れて24時間以上経ったものは残っても飲まないほうが良い。(宵越しのお茶は飲まない)

 さて効果のほどであるが、飲んでみたが最初は効いているのかよく判らなかった。そのうち、回りからくしゃみが聞こえてくるが、自分に症状が出ていないことに気付いた。飲んだり飲まなかったり色々と試してみた。そして、わかったことを以下へ書き込む。ただし、以下のことはあくまでも個人的な体験で、誰にでも当てはまるかどうかはわからない。試験場の先生も70%の人に効果があるといっているから、30%の人には効果がないことになる。

(1) まず、べにふうきは薬ではないから、飲んでも花粉症が治るわけではない。「和(やわらぎ)」の命名通り、一時的に症状を和らげるお茶だと思ってほしい。

(2) しかも、お茶としてはそれほどおいしいお茶ではない。紅茶品種を緑茶に仕上げたのだから、美味いはずがない。まあ口が曲がるほど苦いわけでもないし、慣れれば結構飲めるお茶である。

(3) 1杯飲んですぐ効果があると思ってはならない。3~4時間置きに2、3回飲んだ辺りから、効き出したと感じることが出来る。想像するに、メチル化カテキンが身体に行き渡るに半日くらいかかるのであろう。

(4) 効き目が出てからも、飲んで4時間経つと、計ったようにくしゃみが出て鼻水が出た。薬効が切れるのである。そこで次の1杯を飲むと、この場合は約20分で効果が現れる。

(5) その効果の現れ方であるが、薬を飲んだときは鼻水やくしゃみが蛇口をひねって止めた感じで、奥に元が残っていて「うっ」と詰まるような感じが残る。ところが、べにふうきは内側に潮が引いていく感じで、後に残らない。花粉症の季節に、花粉症を忘れる時間が取れるのは、夢のような効果である。

(6) 多量の花粉には負けてしまうときがあるようだ。季節のうち2日か3日、べにふうきを飲んでもどうにも効果がなかった日があった。そんなときはじっと我慢をするだけである。

(7) だから、吸い込む花粉の量は出来るだけ減らすに越したことはない。
    ① マスクをする
    ② 防護メガネをする
    ③ 目や鼻の中まで洗う
    ④ 空気清浄機を使う
    ⑤ アイマスクをして寝る
    ⑥ 外出を避ける
などは実行した方がよい。また薬も併用しても問題ないと思う。医者に「べにふうきを処方してくれないか」と聞いたら、「薬じゃないのでねえ」と笑われた。

(8) これは気をつけろというべきか。確保しておいた「べにふうき」がだんだん減り、しかもまだ季節は残っているという時、なくなった時のことを考えて少し不安になってきた。いうなれば「べにふうき依存症」になっていたのかもしれない。

要は試してみることである。たまたま自分にはよく効いたが、誰にでも効くわけではない。まずは10日分買って、効いたら追加して確保すればよい。効かなくても、少し高いが変わったお茶を飲んだと思って許そう。

飲んでみたい花粉症の人のために、注文先を書いておく。まだ量が少ないので、大量の「べにふうき」は断わられると思うが、個人が使う程度なら在庫がある限り分けてもらえると思う。

    株式会社 川 崎 園
    〒428-0017 静岡県島田市金谷河原347-8
    TEL 0120-46-0707  FAX 0120-59-3550
    URL http://www.chamurietei.co.jp/
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