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静居寺の牡丹と長島ダムのシバザクラ

(静居寺の牡丹)

金曜日、朝、思い立って女房と静居(じょうこ)寺に牡丹を見に行った。その朝刊に満開の記事を見つけたからである。静居寺は国1バイパス、島田の旗指ICを降りて北へ入った山の麓にある。

山門を入って、境内に至る途中の参道の両側に、大きな花をたくさん付けていた。白、赤、赤紫、ピンクなど色とりどりであった。幾重にも重なる花びらは紙細工のように見えたけれども、触ってみると、確かに生ものだと判った。平日で、参詣者のほとんどは我々の年代で人たちであった。

本堂左手奥で「笑いヨガ」の講座が開かれていると、案内標識があった。また、参詣者が「八角堂を見に行く」との話が聞こえたので、気になって、本堂左を入って行くと、突き当りの日本家屋で、どっと笑い声が聞こえた。「笑い」も「ヨガ」も健康によい行為である。無理に作った笑い声だが、人は無理でも声を上げて笑ってみると、自分の声に釣られて、本物の笑いが心底から湧き上がってくるものである。


(静居寺の説夢堂)

本堂の裏手に、八角堂があった。傍らに「説夢堂碑銘并弘」という碑が立っていた。「夫當山者東海駿國之勝境也‥‥」で始まる擬漢文体で書かれ、石碑の文字は薄くて、しっかり解読できなかったが、この八角堂は「説夢堂」と呼ばれ、禅僧が修行をする堂宇のようである。格子窓から中を覗くと、堂の中央に大きな六角形の行燈状の厨子(?)があって、お堂の内側に壁に沿って1.5メートル幅の床が張られている。修行僧たちはそこで座禅三昧の修行をするのであろう。ただ、使われなくなって長い時が経っているようであった。(「説夢堂」は正しくは「経堂」であった。詳しくは後日。)


(長島ダムのシバザクラ)

出てきたついでに、川根本町の長島ダムにシバザクラを見に行った。井川線の長島ダム駅前の駐車場に車を停めると、眼前に長島ダムが見え、足元から下る斜面一面にシバザクラが満開で咲いているつもりであったが、この何年かの鹿の食害で、シバザクラもまばらになっている。その斜面には鹿の侵入を防ぐために通路も含めてネットが張回されて、見物客もシャットアウトしている。中央に斜めに下る車道のゲートが開けて入れる、と表示があったので、開けて入ってみた。中央辺りにたくさん咲いている場所もあったので、上手に撮ってみたのが上の写真である。

あと、長島ダムのふれあい館に寄って、来客がなくて所在なさそうにしていた館長さんから、色々と話を聞いた。食害を受けたところの一部は最近捕植されたが、全部というわけにはいかなかった。今が満開ぐらいで、GW中は花が見られる出あろうという。

帰りに千頭駅前で、とろろそばを食べて帰った。夕方ムサシの散歩で、北の方が雷雲で真っ黒になって、時おり雷が聞こえた。ニュースによると、天気の良かった川根本町では夕方に雹が降ったという。
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池新田、河津桜の新名所




(池新田の河津桜)

今朝は素晴らしく晴れた。女房に起されて、朝食後、仕度をして女房と車で出かけた。御前崎市池新田の海岸近く、浜岡砂丘を臨む白砂公園から西へ続く太平洋自転車道路の両脇に、河津桜が咲いて見頃であるとテレビで見て、出かけることにしたのである。

牧之原に上り、国道473号線の相良バイパスを走る。牧之原台地の西縁を走り、東名牧之原インターを右手に見て、山中を御前崎に向かって一っ飛び出来るバイパスで、これがない時代から比べると、御前崎への時間が半分くらいになり、30~40分で行ける。

途中から国道150号線バイパスを進み、浜岡原発の前を通り越して、池新田へ。池新田は旧浜岡町の中心街である。河津桜のある場所は見当が付かなかったから、池新田のS氏邸へ行く。広い庭園側から入って覗くと、愛犬と昼食中であった。様々な花や木が植えられた庭園を案内してもらった。もうしばらく経てば花々が一斉に咲きだし華やかな庭になると思う。よそのお宅の庭ながら楽しみである。そこにも河津桜が1本、満開に近かった。並木の河津桜はこの木より若いと聞く。改めて、河津桜のある場所を教わる。とにかく横の道をまっすぐに海へ向かって出ればよいと聞き、S氏邸を後にする。


(河津桜をメジロが啄ばむ)

場所はすぐに判った。白砂公園の駐車場に車を停める。平日なのに駐車する車は多い。テレビ報道はかなりの影響力があるのだろう。自転車道路の両側に延々と何百メートルか続いている。この河津桜はある篤志家が個人で毎年植え継いで、今の形までなったという。木は年数の経ったもので10数年といったところか。まだ木が小さい。花は八分咲きといったところで、寒風の中で大きめ、濃い目の花を咲かせている。メジロが何羽も止まって花を啄ばんでいた。

行く手に風力発電の巨大風車が見えてきて並木も終わった。海岸まで出てみた。強風に高波が海岸に押し寄せている。海岸前の砂山は海抜10メートルほどもある。津波はここまで上がってきて砂山を軽く越えるだろうか。どうしてもそのように考えてしまう。


(風車が立ち並ぶ遠州海岸)

10数年前に、靜岡県の海岸歩きを計画して、一人で遠州海岸を歩いたことがある。この砂山の尾根を歩いたような記憶があるが、西方を見ると巨大風車が延々と連なり、あたりの風景は一変してしまったようだ。

東方には休止中の浜岡原発の塔が何本も、まがまがしく見えている。海岸歩きのときははるか手前からずっと見えていて、歩けども歩けども近付かなかったと記憶している。その当時、この原発が大事故の危険性を孕んでいるとは想像もしていなかった。今は随分見え方が変わってしまった。
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裏の畑のみかんの木ほか

(今年は収穫出来そうなハッサクの木)

我が家を建ててから30数年があっという間に過ぎた。我が家の裏には100坪弱の畑が付いている。家を建てた当初、最初に植えたのはみかんの木であった。温州みかんが3本、甘夏が3本、ハッサクが1本の計7本である。いずれも神座の女房の親戚から頂いた、当時最新の品種であった。肥料もろくにやらないのに毎年たくさん実を付ける。見てくれは悪いが食べると美味しいと評判である。おかげで食べきれない分は、女房が近所や知人に分けて、いろいろとコミニュケーションをはかり、大切な潤滑油になっている。

ところが7本のうち、畑の隅に植えたハッサク1本だけが、成長が悪く、実を付けても食べられるものにはならない。去年まで満足に食べられる実が出来なかった。どうやら住宅用に埋め立てた土がその部分だけ石が多くてよい土ではなかったようであった。途中、ゴイサギが住み着いて糞だらけにし、枯れそうなときもあった。今年ようやく小さいながら実を数十個付けて、食べられるようになりそうである。来年春を楽しみにしている。

その後、裏の畑のかんきつ類も増えた。名古屋の娘が高校生の頃、緑化ポスターで賞をもらい、頂いて来た温州みかんの青島も、植えたところが悪くて、なかなか大きくならなかったが、この何年か、ようやく実を付けるようになった。名古屋の娘夫婦とかなくんが、正月に戻ってくるまで取り入れないで、鳥除けの網を被せてある。

何年か前にキンカンの苗を買って植えたが、生食しても甘くて美味しいという触れこみだったけれども、今まで食べることが無いうちに落ちてしまった。今年はタイミングを上手く捉えて、しっかりと収穫したいと思っている。

今年になって、デコポンを2本購入して植えた。暑い時に水遣りを怠って、1本は葉を落とし枯れる寸前まで行ったが、どうやら新芽を出して息を吹き返してきた。来年には実を付けるであろうか。楽しみである。

数えてみると、裏の畑には実のなる木が随分たくさん植わっている。次郎柿、ブルーベリー、ぐみ、びわ、いちじく、それぞれに裏の庭にやってきたには謂れがあるが、ここではふれない。中でも異色なのはアボガドの木が2本あることである。南国の果物と思っていたが、今では温暖化の所為か、当地でも冬が越せる。1本は日本の気候に合うように品種改良された苗を頂いた。もう1本は女房が果肉を食べた後、大きな種を植えたところ芽を出した。何本かあったが、内1本を残したものである。いずれもまだ実が生らないけれども、そろそろではないかと来年を期待している。

まだまだ実の生る木を植えたいと思っている。今年は渋柿の木を1本植えて干し柿を作れるようにしたいと思った。しかし、柿は実が成るまで8年というから、考えてしまって、まだ実現していない。
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ノビルと 「隅田の花火」

(大代川土手に咲くノビルの花)

昨日の深夜、遠くからホトトギスの鳴き声が聞こえた。梅雨の晴間、夕方5時にムサシの散歩に出る。まだ日は随分高い。大代川の水量は多く、葦原を縫うように流れている。そういえば、大震災に気を取られているうちに、季節は寒い春から梅雨に突入してしまった。

土手を歩いていて、ノビルの花が咲いているのに気付いた。ノビル(野蒜)はユリ科ネギ属の多年草で、小さな玉葱のような球根を持ち食用になるという。食べた記憶はないが、玉葱に似た香りと辛味があって、味噌汁の具にすると美味だという。山菜でも高級な方であろう。

食べてみようと抜いてみると、根が浅くて、玉葱のように抜けてきた。10本ほど取ってから考えた。放射性セシウムは気にすることはないけれども、土手は犬の散歩道である。おそらくかなり犬のオシッコが掛けられているはずである。これは食用には少しまずかろうと思った。取ってしまったものを棄てるのも忍びない。考えた末に、畑の隅に植えて置くことにした。

ノビルは種をつけるのは極まれで、代わりに花序に小さな球根のようなムカゴを着生する。それが散らばって増えるという。さらに球根の分球によっても増える。だから畑の隅に植えたノビルが来年か再来年にはたくさん増え、食することが出来るようになるに違いない。


(庭のアジサイ「隅田の花火」)

線香花火が弾けたようなノビルの花を見ていると、別の花を思い出した。庭の隅で鉢に植わって咲き始めた「隅田の花火」というアジサイである。梅雨になって咲き始めたのは確認していたから、さっそく写真に撮って比べてみた。花の大きさは全く違うが、似ていないこともない。どちらも花火に譬えたくなる咲きぶりである。「隅田の花火」は三年ほど前に、女房が近所から穂を頂いて挿し木をしたものだという。

   *    *    *    *    *    *    *

掛川の娘から電話があって、次の土曜と日曜ではどちらがよいかと聞く。11日はまーくんと自分の誕生日である。結果、12日の日曜日の昼に、我が家で二人の誕生日を祝ってくれるらしい。まーくんは3歳、自分は65歳になる。随分大きな年の差である。
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藤の花は遅かった

(林泉寺の堰南学校跡の碑)

先日、外出から戻った女房が、富士山靜岡空港で「お局さん」に逢ってきたと、勢い込んで話した。まるで有名人にあったミーハーのようである。お局さんは、昔、会社で新入社員の電話応対の研修で講師に呼んだことのある女性で、自分は逢ったことはないが、その後、ブログを始めたと聞いて、時々見るようになり、女房はしっかりチェックするようになっていた。

そのお局さんのブログで、藤の花が花盛りなのを見て、ゴールデンウェークも一段落の今日、女房と出かけた。今日のテーマは藤の花である。最初に行ったのは吉田の林泉寺であったが、もう藤の花は終わりで、花房の上3分の2ほどが枯れ色を見せていて、一日二日の内に花房を切り落とす予定のようだ。放って置くと種を付けて、そちらへ養分を取られてしまうのであろう。


(白藤とクマバチ)

閉店間際の藤棚には、見物客もまばらで、代りにクマバチが団体で来店して、長藤の残り蜜をむさぼっていた。クマンバチといえばスズメバチのことだが、クマバチはミツバチ属クマバチ科の、大形の花蜂で、大人しくめったに人を刺すことはない。それが目の前の花房のあちこちにいて、せわしく花に頭を突っ込んでいた。

林泉寺は、明治三十三年、堰南(えんなん)学校という、吉田町最初の中学校が創設された場所である。堰南は「大井(堰)川の南」という意味で、現在の榛原高校の元になった中学校である。林泉寺にそんな碑が建っていることは見逃していた。藤の花期からずれていたために、そんな発見をした。

おそらく相良の東光寺の藤も時期はずれだろうと思い、このあと藤枝の蓮華寺池公園に廻ることにした。150号線から田沼街道を通って公園のそばで食事をし、池の周りを散策した。池の端には藤枝市の郷土博物館と文学館がある。現在、博物館では「ドールハウスでみる懐かしの風景」、文学館では「小川国夫の書斎」という、それぞれ企画展をやっていて興味が引かれたが、本日は休館であった。一線を退いて、平日に出掛けることが出来て、混雑を避けられ、まことに好都合と考えていたが、注意しないと休館で残念な思いをすることがある。

遊歩道を巡りながら、ふと、蓮華寺池と家山の野守の池はどちらが大きいのだろうと思い、女房に話した。小さくはなったが野守の池の方が大きいだろうという話になった。帰宅後、ネットで調べると、蓮華寺池は28.8ヘクタールに対して、野守の池は61.6ヘクタールで倍以上、野守の池の方が大きいことが解った。野守の池は大井川の三日月湖なのに対して、蓮華寺池は江戸時代の初めに築かれた灌漑用の溜め池だという。

池の畔に植えられている藤は、ここでも花期は過ぎていたが、たくさんある中には今が盛りの藤もわずかにあった。以上が本日、藤の花探訪の結果である。
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大尾山顕光寺のカイドウ




(大尾山顕光寺のカイドウ)

カイドウ(海棠)という花があることは、昔は知らなかった。ハナカイドウともいい、桜よりも少し大振りの花が、桜よりも遅く咲く。

昔、遠江三十三観音霊場を歩いて巡ったとき、掛川奥の大尾山顕光寺の境内に日本でも有数のカイドウがあることを知った。しかし、季節はずれで花は見ることが出来ず、本堂に上がって写真を見せてもらった記憶がある。

そのカイドウの花のことをふと思い出した。今年は季節が少し遅れているけれども、そろそろ咲いているのではないだろうか。思いついたが吉日で、女房を誘って車で出かけた。昔、歩いた道を車で進めるつもりが、うる覚えで、とんでもないところに車を進め、かなり迷った。下調べもしないで来たからと、女房には言われたが、急に思いついたのだから仕方がない。それでも、ようやく大尾山顕光寺に向かう林道に入り、尾根の駐車場まで来た。

駐車場には軽が一台と老夫婦がベンチで昼食を摂っていた。お寺まで行ってきたかと確認し、カイドウは咲いていたかと聞いた。瞬間、カイドウを理解できないようで、返事が遅れたが、満開だったと答えた。たぶん、あの花のことと了解したのだろう。山道を15分も登っただろうか。犬の吠える声に歓迎されて、見覚えのある境内に着いた。

すぐに、本堂前のピンクのカイドウが目に入った。一番大きな木が八分咲きといったところで、他に一回り小さい木は三分咲きほどで遅れていた。この季節でないと見れない花を、所在を知ってから10年以上経って、ようやく見ることが出来た。桜よりも華やかな花である。

ベンチにいた夫婦が場所を譲ってくれ、ベンチに座って、コンビニで買ってきた昼食を摂った。そこへおばあさん二人を連れたおじいさんがやってきて、咲いてた咲いてたと喜んだ。桜かと聞くおばあさんへ、これはカイドウという花だと説明している。やっぱりこの花が目当てで来たのだろう。

境内には真っ白なシャクナゲが咲き、アシビ(馬酔木)がたわわに咲いていた。標高600メートルを越える高さで、今が花盛りといったところである。

昼食の後、奥之院へ登った。杉の大木が林立する山道を10分ほど登ると石段が見えてきた。奥之院はその石段の上にあり、すぐ右側に県の天然記念物の「鳥居スギ」があった。このスギを見るのも久し振りである。石段側から見ると大きく割れて中が空洞であるのが見えるが、樹勢は変わらず元気なようで安心した。鳥居スギは、幹周り7メートル、樹高30メートルである。
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自粛ムードの桜も満開近し

(大代川の土手や川原を彩るカラシナ)

世の中、騒然とし、自粛自粛の声ばかり聞こえる。桜も自粛ムードだったわけはないが、遅れていた桜もここへ来て満開近くなってきた。この日曜日あたりは最後のお花見になると思う。自粛ばかりしていては、世の中の経済も縮こまってしまう。そろそろ、自粛ムードから脱却しなければならない。

ムサシの散歩道も今や桜だけでなく、どこもかしこも花盛りである。桜、桃、レンギョウ、タンポポなどとともに、大代川の土手にも川原にも菜の花のような黄色い花が咲いている。これはカラシナで、農家が何年も前に作っていたものが、種を散らして広がり、散歩道の春の彩を決めている。この種から和がらしが出来る。つぼみの頃に摘んできて、油いためやおしたしにすると少し辛いが美味しくいただけるらしい。明日にでも取ってきてみよう。

裏のアパートに住むお年寄りの女性が班に加入したいと、今日申し入れがあったと女房が話す。ごみステーションの分担金はすでに払ってもらい、鍵を渡して利用してもらっている。アパートの人たちは入れ替わりが頻繁なので、なかなか班に入って付き合いをするのに馴染まない。だから、加入を勧誘しても入ってもらえなかった。その女性は年金生活で、色々な催し物にも参加したいし、ご近所のお付き合いもしたい。班に入っていないと、島田市の公報をはじめ、何も情報が廻ってこないので、ぜひ班に加えてもらいたいという話であった。

まだ金谷町だったころに、班に加入しないアパートの人たちには、公報をどうするのか、役場に聞いたところ、役場で届けるという話であった。当然住民なら住民税も払っているわけで、公報などを受取る権利がある。その後どうなっていたのか知らないが、どうやら島田市に合併してからは貰っていないらしい。うちの班では、アパートはそこだけであるが、アパートを幾つも抱えている町内会はどんな風にお付き合いをしているのだろう。

午後、帰って来ると、家の前に軽が駐車していて、玄関に三色スミレなどの苗が置かれていた。持ってきてくれた方はすぐに見当が付いた。名古屋に住む娘の亭主、その実家の島田在住のOさんである。軽が置いてあるという事は、お花見にでも行ったかなと思った。外出先から女房が帰ってきて、間もなく、Oさん夫婦が戻ってきた。大代川沿いには桜の公園もあって、お天気も良くて満開に近い桜は見頃だったのであろう。花の苗のお礼を言った。
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畑の隅の山椒の木

(東側にフェンスを作った)

我が家の畑の隅に山椒の木がある。最近、敷地東側の隣地の茶畑を改植するといって、茶の木をすべて抜いてしまった。植えるのは一年後だというから、女房の提案でこのチャンスに仕切りが無かった茶畑との間にフェンスを設置してもらうことにした。今週の初め、猛暑の中を1日半掛かって業者のおじさんが息子と来て、大汗をかきながら、ブロックを一段積み、フェンスが取り付けてくれた。業者が来る前に、フェンス周りの草や枝を取り除く作業を女房がやっていて、今日見たら甘夏の下、フェンスの側に高さ50cmほどの山椒の木があるのを見つけた。


(甘夏の下の山椒の木)

山椒の木がそこにあることは知っていた。もう30年近く昔のことになる。故郷のお袋が作った、蕗に山椒の実を入れたつくだ煮を良く食べた。ピリッとしてたくさん食べると舌べらがしびれる。その味と感覚が忘れられなくて、ある時、山から山椒の実を取って来て食べてみようと思った。たけ山の山頂近くの雑木林に分け入って、たくさん生っている山椒の実を少し頂いてきた。家に帰って女房に見せると、こんなに黒く硬くなっては駄目だという。季節はもう秋になっていた。蕗の季節も過ぎていただろう。もっと青いうちに取ったものがつくだ煮に出来るのだとその時初めて知った。

がっかりして、畑の隅に山椒の実を捨てた。ところが、何年かして捨てた場所に山椒の幼木がたくさん出ているのに気付いた。場所が甘夏の木の下だったから、木は大きくならなかった。すぐに草の中に隠れてしまう。山椒の幼木は棘があるから、草を取るときに抜き取られて、それでも、一本だけ残した。新芽を料理の彩りに使ったこともあったが、そのうちに忘れられた。時々草を取るときに出てきて、その存在を知る。大きくなる前に上部を詰めてしまうので、なかなか成長しない。

今日見ると、直径3cmほどの幹が二株あって、10cmほどのところで詰められ、新しい枝がそこから伸びて新芽を出している。

山椒の木は大きくなると5メートルにもなるという。もっと日の当る広い場所に植え替えれば実をつけるようになるだろうか。山椒の葉はアゲハチョウの幼虫が食べるらしい。甘夏の木にはよくアゲハチョウが飛んできている。草に隠れてアゲハチョウにも見つけられずに生きてきたということであろうか。

ネットで見ると、果実の主な辛味成分はサンショオールとサンショアミドという。サンショオールには毒性があり、東北地方ではこれを煮たものを川に流し魚をとる漁法があったという。多分、痺れを感じるのはサンショオールの方だ。魚はしびれて浮いてくるのであろう。
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可睡ゆりの園に行く

(黄色いユリのじゅうたん)

袋井の可睡斎にある「可睡ゆりの園」の招待券を2枚頂いたので、今朝女房と出掛けた。平日なら空いているだろうとの予想は当っていた。空いているのは良かったが、ユリの花の最盛期にはまだ少し間があるようであった。日当たりの良いところは開花しているけれども、日陰はまだまだであった。

可睡ゆりの園に来るのも何度目かで、山の斜面に色とりどりのユリが一面に咲いているのを初めて見た時の驚きや感動はもうない。ユリのように大きな花は一輪ずつ見るもので、じゅうたんにして見るものではないなあなどと、考えている。

チューリップの歌詞のように、「並んだ、並んだ、赤、白、黄色 ‥‥」と、結局、ユリの花も赤、白、黄色の三色が基本だと思った。様々な色の花が揃っているように見えるが、その三色のバリエーションなのだろうと思った。赤と白が混ざってピンク、黄色に赤が混じればオレンジ、それらの色が混ざって斑のある花もある。

入口で頂いた案内パンフレットによると、天然のユリは世界に約96種あり、アジアに59種、北アメリカに25種、ヨーロッパに12種で、日本には15種が自生しているという。その内、日本独自のユリは7種だという。ササユリとかヤマユリがその中に入っている。豪華な園芸品種ばかり見ていると、清楚な天然のユリも見てみたいと思った。意外に思ったのは南米やアフリカ、オセアニアには天然のユリがないことである。


(ゆり尽くしの天ぷらうどん)

豪華なユリに食傷気味で一休みと、園内の食事処で天ぷらうどんを食べた。食傷気味で食べるのも変だが、お昼になったからである。天ぷらの素材はユリ尽くしであった。根、つぼみ、乾燥した花びら、花芽が天ぷらになって出てきた。ユリ根は、味に独特のクセがなくモチモチした食感でわずかに甘かった。珍しい天ぷらうどんを頂いた。

食事のあとはデジカメで少し工夫してユリを撮ってみた。前景にアップでユリを入れて、遠景にユリのじゅうたんを見せる構図である。広重の「名所江戸百景」の浮世絵版画で多用された手法を真似て見た。すべてにピントが合うはずのデジカメであるが、ユリをアップにしてピントを合わせようとすると、遠景は普通の写真のようにぼやけてしまう。結局、意図したようには撮れなかった。


(ゆりの園のクレマチス)

ユリよりも目が引かれたのは、遊歩道に植えられた桜の幹にネットを巻いて這わせたクレマチス(テッセン)の花であった。見たこともないような珍しい色や形のクレマチスが歩く先々に現れて満開であった。
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外来種ナガミヒナゲシの急増

(新聞に載ったナガミヒナゲシの花)

一週間ほど前の新聞に外来種ナガミヒナゲシが全国的に急速に分布を拡げているという囲み記事があった。ケシ科の一年草で、ケシの仲間であるがアヘンの成分はなく、美しい花を咲かせる。地中海沿岸が原産地で、輸入堆肥の中に種が混じって日本に入ってきたといわれている。1961年に東京で見つかっていた。

研究者の話では一個体で15万個の種を作ることが出来、繁殖力が強くて日本の生態系を乱す恐れがあり、駆除が必要だという。

日本に入って来る外来の植物は日本の在来の植物に比べて、いずれも生存能力が強くて、たちまち在来種を駆逐して、日本中に繁茂するという話は良く聞く。日本の気候は植物が育つために大変良好な環境にある。植物に一番大切な水がいっぱいある国で、だから日本の在来の植物は他を排除して生存を図るというような攻撃的な植物である必要がない。そこへ、過酷な自然の中で生存競争に勝ってきた、とげとげの外来種が入って来ると、日本の在来の植物は負けてしまう。

しかし、ちょっと考えれば、日本にもとげとげの植物がいたはずである。それがどうしていなくなったのであろうと疑問が湧く。今は日本の在来種のような顔をしていても、ルーツをたどれば海外に行き着く植物は多い。しかし外来種が入ったため、日本の植物が駆逐されてしまったという話は余り聞かない。

セイタカアワダチソウは一時日本のススキを駆逐するのではないかという勢いでどこでも見られた時期があった。今はどうだろう。見ることは見るが、それほど目立たなくなった。一時は減ったかに見えたススキが最近は増えたような気もする。今見るセイタカアワダチソウはずいぶん背丈が低くなったように見える。

考えるに、外来の植物は日本に入ったばかりはその生存能力の高さから、山野を席捲するように見えるが、何年か経つとずいぶんやさしくなり、日本の風土に根付いていくように思う。遺伝学的にとげとげが取れた種が残って、日本の自然に同化するように見える。動物と違い、植物は桁違いに多い種を残すから、遺伝的な変異の機会も桁違いに多く、短い期間で種が変容して行くのだろうと思った。

生物多様性が失われるという話題をよく聞くが、多様性を損ねているのは人間の営みであって、外来種といえども植物が自ら他の植物を駆逐して多様性が失われることはないと思う。おそらく植物は人が認識する以外にも縦横に共存関係にあって、多様性の中でしか生きられないということがよく判っているのであろう。

以上はナガミヒナゲシの記事を読んでの感想である。何も学問的な根拠があって言っていることではない。記事を見た後、ムサシの散歩の途中でナガミヒナゲシの花を探しているのであるが、当家の近隣には見かけない。きれいな花だというから駆除などと大げさに考えずに、見つけたら皆んなで花を摘み取って持って帰ればよい。


(口直しの一枚/磐田農高バラ園のパープルタイガー)
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