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大晦日の夜は更けていく

(川根奥の山々も雪-ムサシの散歩道)

15日目、今日は何だか傷口の周りが猛烈にかゆい。

夕方、娘二タ家族が集まってくる。この時だけは10人の大家族となる。恒例のスキヤキパーティが、今年は大晦日となった。買出しは昨日女房が息子をお供にジャパンバザールで終えていた。そのほか、野菜類は色々な方から貰い物が多くて助かる。

鍋奉行としては、砂糖と醤油の味付けを、今年は少し抑え気味にした。昨年は自分で考えても味が濃すぎた。後で水分で喉を洗いたくなるようでは濃過ぎであろう。おかげでか、用意した分は気持ちよくたちまちにほぼ完食となった。

子供たちは大騒ぎにやや興奮気味で、お風呂に入ってもなかなか寝ない。まず、まーくんが寝て、あーくんが遅れて続き、名古屋のかなくんはかなり遅くまで起きていたようだ。

紅白のあと、年越しそばを大人7人がバラバラに頂く。エビの天ぷらはOさんからの差し入れである。
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かなくんの絵

(かなくんの絵)

14日目、帯状疱疹も2週間を経過した。傷あとからかさぶたが軟膏を塗るたびに取れてくる。しかし痛がゆさは変わらない。傷口とは関係のないところから発しているのが不気味である。もう一つ不気味なのは下腹ばかり妙に膨らんでいることである。メタボは否定しないが、それが下へ下がってきているように見える。痛みもあってお腹に力を入れて来なかったので、臓物が下がってきたのだろうか。

とにかく、ムサシの散歩へは今日も出かけた。何だか、ムサシもいつもより遠くへ行こうとする。歩くスピードをセーブするから、ムサシのパワーが余っているのだろうか。いい加減に鼻先を帰路へ向けてやらないと帰ろうとしない。飼主を早く回復させるために、ムサシなりのエールを送っているのかもしれない。それは少し穿ち過ぎか。

写真は名古屋の孫、かなくん(1歳10ヶ月)が描いた絵である。この間は名古屋で引き付けを起して、静岡の爺婆たちをもびっくりさせ、心配させた。元気な顔を見せてくれるだけで十分であるのに、そのお詫びもかねた、かなくんからのクリスマスプレゼントだという。

“じいじ” と “ばあば” とムサシの絵だという。ぐちゃぐちゃに描いたものを、親が贔屓目の解釈をして、それぞれへ当てはめたものでは決してない。大きさはハガキより少し大きいほどで、明らかに、本人が “じいじ” “ばあば” ムサシと説明しながら意識して描いたものである。サインペンのようなものだろうが、これだけ自在にペンが扱えるだけでも驚きである。絵を良く見れば、写生画ではなくて、かなくんの心象風景の中の、 “じいじ” “ばあば” ムサシなのであろう。

一幅の抽象画を見るようで、青は厳格な “じいじ”、赤はやさしい “ばあば”、茶色はかわいいけど少し威張るムサシと、ママの説明書きがなくても、くもりの無い眼でみれば、誰が見ても感じることが出来る。

パパとママは高校の美術部出身だから、かなくんは両親から絵の才能を引き継いでいるのだろう。今のうちにたくさん絵を描いてもらっておけば、一財産築けるかもしれない。(笑)

昨夕、故郷からお餅が届いた。毎年臼と杵で本格的についたお餅である。暮れの一日、近郷へ嫁にくれた娘婿さんたちが加勢してくれて、五人の子供たちのそれぞれの家の分に加えて、我が家の分までついて送ってもらい、有り難いことである。今は簡便に出来たお餅をいつでも手に入れることができるが、故郷の、人の手でついたお餅はやはり美味しい。

昨夜と比べて、今夜は静かな夜である。年賀状を書いていて寝不足の女房はもう休んだ。キーボードを叩く音と、石油ファンヒーターの音だけが聞こえている。
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エスパルス、元旦の天皇杯決勝に進む

(ムサシが散歩中にご褒美をねだる)

13日目、昨日と変わらずと言いたいところだが、下腹が痛痒さが昨日よりも酷かった。昨日はムサシの散歩の後、しばらく横になれたからよかったが、娘の二タ家族が今夜泊まるといって、午後からやってきて、ムサシの散歩の後、石油ファンヒーターを買いに行ったり、何だかやあり、夜遅くまで横になれなかったためだと思う。現在は一度横になって休んだ後、お風呂に入ったから、気分はすっきりしている。この病はなかなか一筋縄ではいかないようだ。

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サッカーの熱烈ファンというわけではないが、日本平スタジアムに一度見に行ったことがあって、エスパルスの活躍は横目で見るほどのファンである。午後、元旦の天皇杯決勝に向けた、ガンバとの準決勝戦がエコパであって、テレビ観戦をした。

エスパルスは長谷川健太監督が今期で退陣するが、天皇杯はその最後の試合である。相手のガンバはディフェンディングチャンピオンで、今年は3連覇が掛かっている強豪である。かなり旗色が悪いのだろうと思いながら見ていると、真逆の試合運びになった。ガンバは累積ペナルティで出場停止になった司令塔の遠藤を欠き、好守に精彩を欠いていた。エスパルスは前へ前へと攻撃的な試合に終始し、終ってみれば3対0と圧勝した。

天皇杯3連覇が目標のガンバと、長谷川監督に有終の美を飾らせようとするエスパルス、それぞれこの試合に掛けるものがあった2チームであるが、エスパルスの思いの方が強かったようである。

サッカーは野球やバレーボールなどよりも、人数も11人と多いし、選手が一体となって攻撃し、また守備をする。だから選手の力が一つになったときと、バラバラでプレーしているときとでは、強さが全く違ってしまう競技であると思う。強いといわれるチームが必ず勝つわけではない。監督の采配一つで大きく変わるし、その采配が選手のやる気を鼓舞するものであると実力以上の力を発揮する。

この試合を見るに、エスパルスは監督だけではなくて主力選手の多くが今期限りでエスパルスを去る選手が多く、彼らにとっても負けてしまえばエスパルスでの試合が最後になってしまう。そんな思いが、監督采配をプラスに受け止めて、こんなに大きな力を出したのだと思った。惜しむらくはその力がもっと早く発揮されていれば、リーグ戦でももっと勝てたような気がする。

エスパルスは主力選手がほとんど移籍してしまい、新しい監督の元に新チームを立ち上げることになるが、主力選手の陰に隠れて実力を出せなかった若手選手には大きなチャンスである。どんな選手が出てくるのか、楽しみでもある。
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久し振りのムサシの散歩

(ご近所のロウバイがもう咲いている)

12日目、帯状疱疹もいよいよ第3ステージに入った。昨日の夜は痛みも和らぎ少し楽になったかと思っていたところ、かゆくなってきた。痛痒いという表現が良いのだろう。疵が治りかけに痒くなるのは判るが、傷口が痒いのではなくて神経が痒がっているようで、掻きどころのないかゆみだから、グッと我慢するしかない。もちろん疵口を触るわけにも行かない。波があって、やがて痒みも治まる。

帯状疱疹になってからムサシの散歩に出る気力が無くて、女房が朝夕やっていた。歩けないわけではなく、歩くと腹部がジンジンと痛むので、出掛けられなかった。つまりこの2週間ほどムサシの散歩に出なかった。

年末で、女房は一人で飛び回っている。夕方から雨という予報でもあったから、その前にムサシの散歩をやっておこうかと思った。幸い今日は痛みが少ない。かゆいのは、じっとしているから感じるのだろう。歩けば忘れるだろう。

午後3時前、まだ太陽は高かったけれども、女房が帰ってくる頃には日も暮れて、雨も来るかもしれない。それで女房の留守の間に出かけた。

歩くのに痛みは感じないが、振動で肉が強く揺すれるとまだ痛みが少し出る。早く歩くと揺すれるから、ムサシにゆっくり歩けというが、頓着なくぐいぐいとリードを引っ張る。何とかリードを引いてゆっくりと歩かせる。しばらくはゆっくりと行くが、またまたぐいぐい引っ張る。何度か駆け引きがあった。

出来たら簡単に済ませようという人の気も知らないで、ムサシはいつも行かないような遠くまで行こうとした。あとで聞くと、朝の散歩が最短だったというから、ムサシにしてはその埋め合わせだったのかも知れない。

早い時間だと人の散歩も犬の散歩も少ないから、気を使わなくて良い。女房は人や犬に出会ってムサシが大人しくしておれば、ご褒美をくれるように躾けている。だから、人とすれ違ったりするとムサシはこちらの顔を見てご褒美の催促をする。しかし、今日はすれ違う人もいないから、本来ならばご褒美の必要は無いのだが、時々こちらの顔色を伺うようにみる。ついついポケットからおやつを一粒出して与える。

しかし、このおやつは数を持って出て、途中でくれなければ帰ってからすべてを与えるから、途中で貰ってもトータルでは変わらないのであるが、ムサシはそのことには気付いていない。

結局、1時間弱の散歩を無事に行って来れた。その間はかゆいのもどこかへ飛んでいたように思う。まあ、回復に向かっているのであろう。
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ウォーキングシューズを買う

(買って来たウォーキングシューズ)

11日目、S医院に行く。塗り薬が正月五日まで持ちそうにないので、出してもらうために診察を受けた。

塗り薬はいつまで使うのかと聞いた。疵が残っていれば使えばよいが、と少し歯切れが悪い。色々聞いてみる。塗り薬に鎮痛効果もあるのだろうか。無いと思う。痛みが治まる様に思うのは気分的なものだろうか。治癒の方向へ機能するから、結果的に痛みも和らげる働きがあるかもしれない。何とも歯切れが悪い。おそらく皮膚科は専門外なので、細かい点は分からないのだろうと思った。

痛みが残る場合があるから、あとは痛みへの対処で、痛み止めは出す。長引くようなら注射を打ってもよい。注射は嫌だから質問はそこまでとし、後は経過を見ての対処ということにした。どちらにしても、このまま年を越すことは確実のようである。

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お遍路から帰って、ビジネス用の革靴を履くのは止めた。お遍路で使ったウォーキングシューズが誠に履き心地がよく、足元も安全だと思い、どこへ行くにもそれを履いて行くようになった。あまり着ることはないが、背広を着ても頓着無くウォーキングシューズを履くと思う。幸い色が黒で革靴と変わらない。ところがお遍路で履いてきた二足目のウォーキングシューズが、雨のときに底から水が浸入するようになった。新年を迎えるにあたり、靴を新調しようと思い、昨日、息子に運転させて、靴を買いに出かけた。

前二足を購入したスポーツ用品店に行くが、型が変わってしまい、全く同じ靴はもう無かった。その後継の靴を履いてみたが気に入らない。前のウォーキングシューズの気に入っていた点を、あらためて挙げれば、色が黒、軽い、つま先が拡がって余裕がある、足に優しい、最後の点はお遍路の過酷な歩きにほとんど靴擦れやマメを作ることが無かった、実証済みである。靴が優しいということは、靴が足に負けてくれて、靴はくずれるが、足を傷つけない。それが自分の思う最高のウォーキングシューズである。色々な細工が施され、自己主張の強い靴は、一日30kmの歩きには向かない。その点、今履いている靴は最高である。

後継の靴は見てくれがスマートになっている分、靴が自己主張をしている。気になるのは靴の中で五本の指がゆったりとするかどうかで、窮屈だとてき面に爪を傷めてしまう。

一度は買わずに出たが、帰ってからネットで調べた結果、今まで履いていた同じ靴はやはり無かった。ネットで値段を見ると、店頭よりも2000円以上高かった。ネットではメーカー希望小売価格で出ていた。型は変わって気に入らないが、その他の点は変わっていないはずだから、その靴にしようと思った。今日、もう一度出かけて、店頭でその靴を買ってきた。

買ってきたウォーキングシューズは、BROOKS リラクサーOTBK605、値段が4990円であった。
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「歩いた、よかった、ふれあった。」を読む

(畑のキンカンの実 - 一昨年、植えたキンカンが今年ようやく実をたくさん付けた。これって、いつ黄色くなるのだろう。)

10日目、痛みは変化がない。この痛みは患部が直っても長く残るのだろうと思う。人の痛みはどこか悪い部分があって、警告のため痛むのが通常であるが、この痛みは悪い部分とは関係なしに痛むわけで、痛みを感じても、無視すればよいと思うが、実際はその痛みのために、行動が消極的になってしまうのがつらい。

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娘婿のお父さんのO氏から、「四国お遍路まんだら」のお返しに、「歩いた、よかった、ふれあった。」という本をお借りした。しばらく手元にあったが、家にいることが多くなって、この頃、読んでみた。

夫婦で東海自然歩道を16年かけて歩いた記録である。16年というのはこの夫婦にとっても、留守番が何とか任せられるようになった子供たちが、大学を終えて社会人となり、結婚して孫が生れるほどの年数である。

総距離は1300kmを越す山また山の険しいコースである。宿も少なくてテントを担いで行かねばならないと聞いていた。中高年が歩き通すのは大変難しいと思われていた。距離も四国遍路が1100km、旧東海道が500km、旧中山道が600kmだから、それよりもはるかに長い。この記録が、すべて宿へ泊って歩けることを証明してくれたのは、東海自然歩道の完歩をめざす中高年にとって大変貴重だと思う。

夫婦とも山歩きは素人同然の状態で始めた。ご主人は、歩いているときは水を飲むと身体が余計に疲れるという、戦前の誤った考えを貫いてバテてしまったり、雨用の傘を日傘に差すことをみっともないといって、やらなかったり、今なら熱中症になりかねないような歩き方をしていた。奥さんは何が必要かを身体で感じて、歩きながら水分を少しずつ補給し、傘で直射日光を避ける手立てをしていた。少し学べば常識的なことも、夫婦は我流で歩き続ける。あとから振り返れば、それが案外楽しいものにしているようだ。

16年後にメモを元に、前半を奥さん、後半を旦那が受け持って、1年半掛かって文章にしていったのだという。もっと短期間に歩くことも出来るのだろうが、社会生活をしていて、たとえ3日、4日でも夫婦でまとまった時間を作るのは大変な事なのだと思う。16年掛かったというのも、逆に16年間、夫婦して東海自然歩道の完歩の目的を持続できたことに敬意を表したいと思う。

「歩いた、よかった、ふれあった。 夫婦で歩き通した東海自然歩道の一六年」田中正八郎・はるみ著 山と渓谷社
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村役人の選び方 - 古文書に親しむ

(車に映るイルミネーション)

9日目、痛み変わらず。そろそろ身体を動かさなくてはと思うが、この寒さでは表に出る気にもなれない。

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前回の「古文書に親しむ」で取り上げた、欠員となった村役人の選び方を示した文書を、以下へ書き下した文にて示す。

恐れながら書付をもって願い上げ奉り候
駿州志太郡伊久美村の内、小川組の儀、名主甚左衛門退役跡、組頭にて御用相勤め罷り在り候ところ、手廻りかね候に付、小前一同相談の上、元名主甚左衛門病死仕り、忰恵七、当未三拾弐才に相成り、実躰なる者にて、算筆なども相応でき仕り候に付、組頭役に取極め申し候、右の者、役中、御年貢金、その外夫銭などに至るまで、引負い仕り候わば、惣小前にて弁納仕り、御公儀様へ御損失相掛け申すまじく候あいだ、願いの通り仰せ付けられ下し置かれ候様、恐れながら連印をもって、御慈悲奉り願い上げ候、以上
  天保六未年        駿州志太郡伊久美村
      九月         小川組
                   組頭願人    恵七
                   組頭      惣太夫
                    〃      孫左衛門
                    〃      藤右衛門
                   百姓代     五右衛門
                    小前連印
   紺屋町御役所

※ 小前 - 江戸時代、田畑や家屋敷は所有するが、特別な家格・権利を持たない本百姓。
※ 実躰 - まじめで正直なこと。また、そのさま。実直。
※ 算筆 - 算術と習字。計算をすることと文字を書くこと。
※ 夫銭 - 鎌倉時代から江戸時代にかけて、夫役(ぶやく)の代わりに納めさせた金銭。
※ 引負い - 人に代わって売買や取引をし、その損失が自分の負債となること。

村役人は名主、組頭、百姓代で構成され、村の行政を取り仕切っていた。名主が退役(死亡)したとき、次の名主がどのように選ばれるのかを、この文書は示していて興味深い。当面は組頭が名主の代行をする。名主は世襲というわけではないから、その息子がなると決まってはいない。その村の小前百姓が集まって相談し、全員一致で御役所へ推挙をし決まる。この文書では名主の息子を組頭として推挙している。推挙した小前百姓たちはこの組頭候補が年貢や夫銭などの義務をはたさないときは、連帯責任で弁済することまで約束している。名主はこの組頭の中から選んで推挙することになる。

結果的に世襲に近いかもしれないが、選ぶ条件として、読み書きそろばんが出来ること、ほとんどボランティアに近い村役人の仕事を、こなせる時間的余裕などを勘案すれば、役をこなせる人は限られてくる。

現代の選挙において選ばれた代議士が不正をすれば、選挙民は自分たちの期待を裏切ったことを非難するが、選んだ側の責任を考える人はいない。不正をするような人を選んだのは選挙民であろう。選んだ側の責任とは、そういう人は2度と選ばないことに尽きる。選んだ側の責任という意味で、江戸時代の制度は見方を変えれば随分進んでいたと思う。
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「お茶のまち掛川」アイデアコンテスト

(「お茶のまち掛川」アイデアコンテスト表彰の靜岡新聞記事)

8日目、痛み変わらず。この痛みをどう表現するか、考えた結果、筋肉痛の酷い状態と表現すれば良いと思った。慣れない腹筋を使った後のような痛みである。筋肉痛がそうであるように、お風呂に入ると瞬間に痛みが消える。もっとも、今日はそう表現しているが、明日以降、気分で表現も変わる気がする。

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先頃、「お茶のまち掛川」づくり実行委員会が募っていたアイデアの入選作が発表された。掛川在住の娘の亭主が応募したところ、何と最優秀賞を受賞したという。この20日、市役所で表彰を受け、地方紙に載っていた。提案したアイデアは「地元の特性を生かした野外事業」と題して、年数回、子供たちが茶園で体験授業をすることで、お茶の知識向上に役立て、農家と交流してもらおうという内容であった。

行政がお茶の振興のために努力してくれることは、お茶のまちにとっては大変貴重なことで、掛川市の取組みには拍手を送りたい。これがイベントに終らないで、NPOなどをうまく利用して、地道な日々の活動になっていくことを望みたい。

今までも、靜岡県の首長さんがお茶の振興のために、色々な発言をし、活動されている様子を拝見しているが、印象としては、お茶の振興イコールお茶の消費拡大ととらえて、消費量が増えれば何でも良いだろうと、ペットボトルや粉末茶でも大いに結構と推奨している姿を、歯がゆい思いで見ている。前知事など、お茶は一日6グラムと名刺に刷られていた。これは何かと聞けば、粉末茶だという。全国一のお茶の生産県の首長なら、お茶は急須と湯飲みで飲んで、美味しいと言ってもらいたいと思ったことがある。

この誤解は、お茶の情報がお茶の商人からしか得られていないためである。商人よりもっとたくさんいる茶農家の声が届いていない。茶農家にとって、この数年は、急須と茶碗で飲むお茶の消費が漸減し、稼げる上質茶の価格が下落して、毎年のように収入が減った。このままでは、茶業を続けて行けなくなっているのである。ここで下級茶しか使わないペットボトルや粉末茶が増えても、商人にはプラスになっても、茶農家のためにはならない。そういう状況を肌身で感じておれば、お茶の消費が伸びるなら何が売れてもOKなどという発言は出来ない。

江戸時代のお代官が越後屋を呼んで、「越後屋、お前も悪よなあ」「お代官こそ」と、商人との癒着が農民を痛めつけるパターンと同じとは言わないが、実は江戸時代のお代官は領民の声に意外と良く耳を傾けて、その時代なりに手を打っていたことが、古文書を学んでいると知ることができる。民主主義の現代の首長ならば、声なき声にもっと耳を傾ける努力が欲しい。

掛川茶の振興策として、一番遠回りと思われる教育面の提案が最優秀になった点をみると、掛川市の本気度が知れて頼もしい。今後、注目していきたい。
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まーくん、ナイトツアーに行く








(クリスマス電飾、ナイトツアー)

7日目、痛みは昨日と変わらず。

昼前から来ていたまーくんを、どこへも連れて行けないからと、女房と宵の口にナイトツアーに連れ出し、夜の街を島田から金谷へと車で連れまわした。車に乗ると催眠術のように眠くなるまーくんだが、そのつもりで昼寝もさせたので、何とか目を明けさせて置かねばならない。運転をしている女房が、助手席のまーくんに、前方の信号に注意を向けさせて、赤では「止まって!」、青では「行っていいよ!」と言わせ、寝かせないように考えた。まーくんは乗せられて、大きな声で、行っていいよ、止まって、と叫んでいる。

この時期のナイトツアの目的は、個人の住宅に飾られているクリスマスの電飾である。年々少しずつ増えて、満艦飾の家も出てきた。発光ダイオードが出来て、普及するに伴なって、始まったイベントである。毎年、少しずつ電飾を増やして行くから、満艦飾な電飾は1年や2年では出来ない。それだけの年月が掛かっている。おそらく、きっかけは自分の子供や孫たちの喜ぶ顔が見たくて始めたものであろう。何年も経てば、子供たちも巣立って、当初の目的は終っているのかもしれない。しかしうわさを聞いて毎年のように見学者が絶えないので、止めるわけに行かなくなっているのであろう。

発光ダイオードよりも、今は、サンタクロース、トナカイ、ミッキィマウス、SL、などの電飾を伴なった飾りがけっこうな値段がするのだという。満艦飾にすれば、消費電力の少ない発光ダイオードとはいえ、電気料も大変なものだという。容量も増やさねば持たない。家の中ではテレビも暖房も消してひっそりと過ごしているという、笑い話のような話もある。そんな苦労も乗り越えて続ける人々に感謝を込めて拍手を送りたい。

途中から風が出て随分寒くなったが、まーくんは約1時間のツアーに寝ることもなく、楽しんでくれたと思う。電飾が幼い目にどのように映ったのであろう。家へ戻って、そのまま、ママとあっくんと一緒に、明日も来ると言い置いて、掛川のアパートに帰って行った。パパは今夜は出張で帰りが遅くなるらしい。

そういえば、最近、テレビの趣味の番組で、クリスマス用の電飾を始める人のために、そのノウハウを教える番組を見た。この電飾の不思議はお店などが商業的に目を見張るような電飾をしているのに出逢ったことがないことである。都会ではどうか知らないが、近辺では電飾をしているお店があってもほんのわずかなものである。やはり個人的に楽しむものなのだろう。

クリスマスが終ればほとんどの電飾の灯は消えるが、中にはお正月モードに切替えて、新年まで続ける家もあるようだ。
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帯状疱疹、第2ステージ

(庭のサザンカの大輪 - 今年は花が大きい)

6日目、帯状疱疹、第2ステージに入る。

5日分の飲み薬が終わり、午前中、会社を早めに終えて、S医院へ行く。S先生は患部を見て、かさぶたの表面が黒くなっている様子に、一応順調に推移しているから、飲み薬はこれくらいにして、あとは塗り薬をせっせと塗るようにと、塗り薬を出してくれた。(「かさぶた日録」に「かさぶた」の話題は何度目であろう。)抗ウィルス薬は効果のあるのが1週間だとは言わなかった。口振りでは酷ければもっと出すことを考えたようなことを言う。

痛みはいつまで続くのか、かさぶたが取れて患部がきれいになるのにどれくらいかかるのか、などと、今後の推移を尋ねた。それには答えないで、ウィルスは誰の体にも常駐していて、直ってもウィルスがいなくなることはないという。それがどうして発病するのか。皮膚科の先生にも聞いてみても、免疫力が弱っているときに発病するというが、体力が落ちていたり、弱っていたりすると発病するという訳でもないようで、元気の良い人でも発病するし、何とも言えないと話す。

運動や温泉に浸かるのが良いのだろうかと聞いても、特別にどうということはない。今、温泉に行けば周りの人に嫌がられるし、お風呂も自宅の風呂で十分だという。まあその通りで、今はまだ行く気はない。

ひりひりする痛みは軟膏を塗ると治まるが、二時間ほどで薬が切れたように戻ってくる。だから、3、4時間に一度、自然に軟膏が塗りたくなる。いわば体内時計を持っているようで、便利といえば便利である。すっきりするのはお風呂に入っているときだけで、カラスの行水だったのに、最近は温めのお風呂にゆっくり浸かるようになった。

運動不足になっているから、今日あたりからムサシの散歩に行こうかと女房に話すと、まだ良いと出鼻をくじかれた。言われてみれば、痛いのを我慢して歩くのはまだ早いかと思い直し、家でごろごろする口実になってしまった。

午後、昼間一番暖かい応接間のソファに横臥して、図書館で借りた本を読んで過ごす。眠くなったらうつらうつら、間が覚めたら続きを読む。こんな贅沢なことはない。おかげで読書がずいぶん進む。本を読み始めると、テレビを見ている時間が随分減るものだと思う。漠然と見ていることはほとんどなくなった。良いことなのだろう。

9月13冊、10月15冊、11月24冊、12月17冊(今日まで)、記録を取っているが、年初からようやく100冊を突破した。読んでいる本は推理小説、時代小説など雑本が多くて、自慢できるものではない。来年は、冊数は減らしても、知的好奇心を刺激する本をもっと増やしていきたいと思う。
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