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「富士日記」 9 (旧)七月廿日(つづき)

(散歩道のミソハギ)

夜、金谷宿大学の要綱部会に出席した。運営費の扱いを要綱にどのように反映させるかの検討会であった。

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「富士日記」の解読を続ける。

この家の前に東漸寺とて日蓮宗の寺あり。そこを指して、この里人はさらなり、近きわたりより、来集(つど)えるという人数知らず。
※ さらなり - 言うまでもない。もちろんだ。

あやしくて主に問うに、この寺の聖、身罷りて、今日なん、葬り(ほうふり)の事(わざ)し侍るを、見侍るなりと云うに、なおあやしくて問うに、すべてこのわたりには、かの宗旨の寺は、これ一つにて、外に侍らねば、珍しみて、かく集えるなり。されば、九里、十里隔ちたる寺々より、同じ宗旨の法師、さあらぬも来弔(とぶら)いて、その作法し侍るなりとぞ。
※ あやし(奇し)- 不思議だ。異常だ。
※ 珍しむ(めずらしむ)- 珍しがる。
※ さあらぬ - 何も知らないような。


とばかり有りて、物の音聞こゆれば、菩薩十天楽などや、調(しら)ぶらん。所の様にも似ぬ技(わざ)なれば、耳驚かし侍りぬ。楽人は何処よりぞと問えば、十里あなた甲府よりとぞ言う。
※ とばかり - ちょっとの間。しばらくの間。
(原注 倭名鈔曲調類に云う、菩薩或る譜云う、僧正、婆羅門等並び哲師等、所伝なり。)
(原注 十天楽、古老伝に云う、東大寺講会の時、笛師常世弟魚、奉勅造る所なり。)
※ 講会(こうえ)- 仏典などを講ずる法会。
※ 奉勅(ほうちょく)- 勅命を承ること。


さて午時も過ぎぬれば、いざやと云うに、昨日の山坂にて、足腫れ、まめ(胼胝)などいふもの出来て、いと苦しければ、ここより馬に乗りて、申の時はかり、心指せる吉田の里に至りて、国仲許(がり)着きたれば、主喜びて、迎え据えたり。
※ まめ(肉刺)-「胼胝」は「たこ」で「まめ」は「肉刺」と書く。間違いだろう。

客座(まろうどい)にて、去年の春にや、強いて望まれて、我が書けりし仰嶽の額を、欄間に掛けたり。げに違(たが)わず。富士は、清少納言が、作り出たりけん、雪の山の如く、たゞ庭の内なるばかり、近くて高く、盆などに盛り据えたらむようにて、聳えたり。
(原注 枕草紙に云う、さて師走の十四日のほどに、雪いと高う降りたるを、女房どもなどして、武士(もののふ)だに入りつゝ、いと多く置くを、同じくは庭に真(まこと)の山を造らせ侍らんとて、侍(さむらい)召して、仰せごとにて言えば、集まりて造る、云々)

   日本の 大和の国の 鎮めとも
        なるてふ
(という)山を 今日見つるかも

主、国仲

   露しげき 富士の裾野の 萩ヶ枝に
        光を添えて 宿る月影


と言えりければ、

   萩ヶ枝の 露をよすがに 宿りても
        見る影薄き 有明の月


今宵、幡野正章、来訪(とぶら)えり。初めて逢えるものから、主の物語りにて、早うより聞きつとて、何くれと主(あるじ)諸ともに語らうに、夜も更けぬれば、また明日とて帰りぬ。
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