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「須賀神社のクス」と「旭伝院のマツ」

(須賀神社のクス)

先週の木曜日、第3回駿河百地蔵巡りの間に、2本の巨木に出会った。

まず、旧東海道筋で、水守の国1との交差点のすぐ先で、自分的にはお馴染みの「須賀神社のクス」に出会った。クスノキに変わりは無かったが、周囲の様子がすっかり変わっていた。道路改修によって、周辺が広々としたため、枝を気兼ねなく広げているように見えた。


(須賀神社のクスの幹の部分)

案内板も新しいものになっている。といっても、平成13年設置とあるから、10年以上御無沙汰していたことになる。樹齢500年、樹高23.7メートル、根廻15.2メートル、目通10.9メートル、枝張 東西21.2メートル、南北27.9メートルと記されている。昭和33年9月、靜岡県指定天然記念物で、数値は指定時のものと言う。それから50余年も経つから、幹の太さも目通で1メートル以上も太くなっているに違いない。

以前に見たときは、狭いところに窮屈そうに枝を張り、道路側だけが少し開けているイメージであった。旧東海道筋にあるということは、江戸時代以前から街道を行き来する旅人たち、参勤交代、飛脚や早馬など、ずうっと見下ろしてきたわけで、そんな事を考えると、このクスノキはいよいよ大切にされなければならないと思う。

もう1本は「旭伝院のマツ」である。国1の大手の交差点から南に折れてすぐ、田中城跡を通って西焼津駅へ至る県道224号線に入る。焼津市に入った所で、庭で作業中のおじいさんに、西焼津駅までの道を聞いた。坂を上って瀬戸川の橋を渡り、東名のガードを潜って左手に行けば300メートルほどで、西焼津駅だと細かく教えたくれた。


(旭伝院のマツ)

坂を上る手前で、右手に大きな松の木が見えた。見るからに、これは名前のある松だろうと知れた。200メートルほど寄り道して、松を見に行った。旭伝院というお寺の墓地に、その松は墓地を守るように枝を広げている。昭和47年5月、焼津市指定天然記念物「旭伝院のマツ」との標柱が立っていた。樹種クロマツ、樹齢600年、樹高25メートル、根廻5.5メートル、目通4.3メートル、枝張20メートルという。目通4.7メートルという情報もあるが、指定時と現在の差であろうか。


(旭伝院のマツの幹の部分)

マツクイムシの被害蔓延以降、県内でも松の巨木は次々に枯れて、大変少なくなってしまった。その中で「旭伝院のマツ」はまれな松の巨木で、県内でも有数の松ではないかと思う。

目的は駿河百地蔵巡りだけれども、巨木があるとどうしても立寄りたくなる。今後も何本も見ることになるだろうと思った。
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「頼朝杉」倒れる!

(頼朝杉倒壊の新聞記事)

朝食時に新聞を見ると、地方版に「島田の頼朝杉 折れる」というという見出しで、カラー写真と記事が出ていた。それによると、頼朝杉が倒れたのは先週の日曜日、9月2日のことで、すでに一週間も時間が経っていた。

「頼朝杉」は、島田市千葉の「智満寺の十本杉」の1本で、樹齢950年、幹周囲9.3メートルの巨樹で、国の天然記念物に指定されていた。智満寺を訪れると必ず頼朝杉を見に行っていたから、十本杉の内で最も馴染みの巨杉であった。すでに開山杉、子持杉と失われ、頼朝杉で3本目の倒壊で、十本杉はこれで七本杉になった。

息子が、見に行くかと誘ってくれたので、朝食後、車で出掛けた。大井川を渡り、野田から20分ほどで智満寺に着く。石段下から、木間越しに、斜面に倒れた幹の一部が見えていた。石段を登る途中でカメラを提げて降りてくるおじさんに会い、倒れたようですねと声を掛けると、残念なことをしましたと返ってきた。


(倒壊した頼朝杉の幹部分)

山門から左手に入ると、山道の途中に通行止めのロープが張られ、山道のすぐ下に、幹の根元に近い部分がみえ、幹の上部を斜面の下にして倒れていた。脇に直径1メートル近い杉が、みちずれになって倒れ、山道を塞いでいた。

かつて、頼朝杉は境内左手で一段上の、萱葺きの薬師堂に、かぶさるように立っていた。今、そこにはぽっかり空間が出来ていた。薬師堂がどうなったのか、気になっていたが、斜面側に倒れたので、幸いに薬師堂は無傷であった。

工事業者と住職が来たので、大きな音がしましたかと聞くと、あいまいな答えが帰ってきた。倒れた音を、住職は聞かなかったのであろうか。根元は空洞化が進んでいて、いつかは倒れる運命だったから、と淡々と話す。

頼朝杉には、源頼朝がお手植えという言い伝えがある。お手植えかどうかは別にして、島田市千葉へ、鎌倉時代に千葉県から千葉一族がこの地へ移り住んだことは知られており、十本杉には常胤杉など、一族の長の名前が付いている杉もあり、頼朝杉も一族の主筋に当る頼朝に敬意を表して命名したものであろう。


(倒壊した頼朝杉の根元部分)

頼朝杉のそばまではロープが張られて行けなかった。智満寺のイチョウが倒れたときにも見に来たが、イチョウは根からひっくり返って落ちていた。頼朝杉は根元の空洞化が進んで、根元でぼっきりと折れて倒れたもののようであった。残念ではあるが、支えなど人の手を加える余地はなかっただろうから、天寿を全うしたものとして、寿ぐしかない。
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足摺、松尾のアコウのこと

(松尾のアコウ)

お遍路しながら遍路道沿いの巨木も見逃さないようにしようと思い、たくさんの巨木を見てきた。その内の主なものを上げると、第2番極楽寺の長命杉、第3番金泉寺の先の遍路沿いにある岡の宮の大クス、第5番地蔵寺の大イチョウ、別格1番大山寺の大スギ、浄蓮庵の左右内の一本杉、第12番焼山寺奥之院参道の巨杉群、第19番立江寺の先の櫛渕八幡神社のクスノキ、第22番平等寺の先の月夜御水大師の大杉、第23番薬王寺の大クス(2本)などである。

高知県に入ると海岸沿いの道が多くて、巨木を見かけることがほとんど無かった。足摺岬を越えて、足摺の西海岸に入り、4キロほど歩いた松尾という集落に、亜熱帯の地域に生育するアコウの巨木があった。遍路道のすぐ脇にある変わった木である。沖縄では何本か見たけれども、四国では珍しい木である。さすがに四国の南の果ての足摺岬で、それだけ暖かいのであろう。

このアコウの木は、他の木に着生し、気根を伸ばして地面にまで届かせ親木の幹を覆い、やがては親木を締め殺しに枯れさせてしまう、大変にユニークな木である。案内板によると、松尾のアコウは目通り周囲9メートル、高さ25メートル、そこから数十本の枝を周囲に張り、東西10メートル、南北6メートルに広げている。土佐のアコウの代表的なものであるとともに、その特性を示す標本として貴重なもので、国指定の天然記念物になっている。幹に見える部分は多数の気根の集束したものであると記されている。松尾集落にはアコウの巨木がこのアコウ以外に2本あるという。

   *    *    *    *    *    *    *

自転車遍路を松山で中断した片雲さんは、神戸まで車で出向く用が出来、そのついでに、車で残った遍路を結願まで回る予定だと電話で聞いた。自分が再び出発する14日に、出掛けるといい、途中まで車に同乗しないかと言ってきた。予定通り、電車で行くと、せっかくの申し入れながら断った。今まで、四国に行くのも夜行バスにも乗らず、電車のみで移動していた。車という最も便利な交通手段は、自分の中ではアウトなのである。また、14日に電車でお昼までに宇和島に入り、半日歩いて計画に追い付きたいと考えている。前半の最後に、予定の半分しか歩けていなかった。ここを合わせておかないと、再開してすぐに登る金山出石寺で、時間が半端になってしまう。
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「牛代のみづめ桜」を見に行く

(牛代のみづめ桜)

お天気が崩れないうちに、川根にみづめ桜を見に行こうと、女房と出掛けた。いつも留守番のムサシも今日は連れて行く。

国道473号線(川根街道)を進めて、家山への入り口に、有名な桜トンネルがある。さくら祭りも自粛で寂しいが、お客さんは来ている。それでも桜トンネル脇の店の前の駐車場にゆうゆう駐車できた。早い桜はもう散り始めて、今週末が最後であろう。ムサシを連れて少し散策した。桜トンネルの桜は樹齢がどのくらいになるのであろう。やや樹相が小さくなったように見えるのは気のせいであろうか。

今日の目的は「牛代のみづめ桜」である。近年、急に有名になった桜の巨木である。一日二日前にテレビで紹介されていた。家山から森へ抜ける県道63号線を行くと、八垂の滝がある。(八垂の滝については、2008年4月29日に書込み)それから、700mほど入った牛代という集落、県道から右手茶畑の中に桜の巨木が立っている。

「牛代のみづめ桜」の樹種はエドヒガンで桜の中でも長寿といわれ、神代桜や薄墨桜などのように、1000年~2000年の長寿のものもある。「牛代のみづめ桜」の樹齢は300年というから、エドヒガンとしてはまだ若い。樹高20メートル、幹周り4.2メートルの堂々たる巨木で、樹勢もある。島田市の天然記念物に指定されている。

樹相の大きさの割りに、花が小さくて、ソメイヨシノのように豪華絢爛とはいかないが、遠くから見ると、春がすみがかかったように見える。エドヒガンという名の通り、春のお彼岸ごろに花を付けるというから、ソメイヨシノより少し早く咲く。

大代川の土手のムサシの散歩道に、背の高い木があって、幹が桜らしくなく、何の木だろうと思っていたが、春いち早くソメイヨシノよりもはるかに小さな花を咲かせた。多分、その木もエドヒガンという樹種なのだろうと今は考えている。


(大代川土手のエドヒガン、多分。3月30日撮影)

女房は心配したが、ムサシは人の多いところでも特に吠えることも無く、大人しくしていた。ムサシは自分の縄張り以外では、怖いと思ったとき以外は吠えない。
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近所の巨木2本、梅雨豪雨の被害




(熊野神社の大クスノキの落ちた枝)

昨日の靜岡新聞朝刊を見ていて、島田市指定天然記念物、牛尾の熊野神社の大クスノキの大枝が14日未明に折れて落下したという記事が出ていた。このクスノキは平成14年、当時金谷町の天然記念物に指定される前に、勝手に「自分の木」に決めて、見守ってきていた。それとなくホームページなどで天然記念物指定に匹敵する巨木であるなどと書いた。無指定だと何時切られてしまうかわからない。ようやく指定されて、これで勝手に切られることはなくなったと喜んでいた。その巨木が大枝を落としたのだという。

新聞記事によれば、これも近所にある県指定天然記念物の安田の大シイも6月19日に大枝を折ったという。今度の一連の豪雨は当地では被害が出るほどではなかったが、自然界では何百年も命を永らえる巨樹を傷つけるほど、今までにない降り方をしているようである。

新聞には、熊野神社の大クスノキと安田の大シイには両者にまつわる伝説が紹介されていた。図書館で確認する時間がなかったが、新聞を引用すると、二本の巨木は大井川を挟んでいつも口げんかをしていた。時の殿様がけんかは川向こうでやるようにと、山を切って大井川の川筋を変えてしまった。中を隔てる大井川がなくなって、二本の木は仲直りしたという。大井川の川筋を変えたのは天正18年(1590)の、「天正の瀬替え」のことを言っている。ただ天正18年には安田の大シイはともかく、樹齢400年といわれる熊野神社の大クスノキは、まだ存在しなかったか、あるいは存在しても、まだ若い木で目立たない木であったはずで、伝説には無理がある。


(安田の大シイの根元から折れた枝)

午前中に息子に運転させて、2本の巨木の現状を見に行った。安田の大シイは最も手前の一番下の大枝が根元から裂けるように折れていた。ほぼ一月経って落ちた枝の葉もすっかり枯れていた。

続いて牛尾の熊野神社の大シイノキを見に回った。こちらは高い部分の枝で下からでは折れた部分が確認しにくい。落ちた枝が脇の細いスギの幹や枝を折りながら落ちてきたようだ。太さが直径で60~70センチで長さが約7メートルの大枝が細い道路を塞いでいた。

元気な巨樹は大風が吹くと枝を落とし抵抗を少なくして耐える術を知っている。枝を落とすのは幹を助けるためで、巨木としては健全な対処であると思う。根こそぎ倒れた智満寺の大イチョウのようになってしまわないように、支えをするのも必要かもしれないが、支えをした巨木は支えに身をゆだねてしまうから、巨木の寿命を早めてしまうことにならないように十分留意しなければならない。
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雪の立山巨樹の森




(美女平の立山スギ)

金曜日夜のNHK金とくで「雪の立山 巨樹の森」という番組があった。土曜日の再放送と合わせて2度見た。

立山の美女平に杉の巨木があって立山スギと呼ばれていることは、立山登山をした昔、聞いた覚えがある。美女平駅のそばでも1本見たように記憶している。番組では美女平には幹周6メートル以上の太さの巨樹が147本あるという。それほどの巨樹の森が残っていることは知らなかった。

標高1000メートルの美女平には、残雪がおそくまであり、夏でも霧に覆われることの多くて、杉を育む水がたっぷりとあった。その点、屋久島と共通点がある。まだ雪に覆われた4月に、登山家の田部井淳子さんと内多勝康NHKキャスターが美女平を訪れた。田部井、内多両氏は昨年、番組で北アルプス大縦走をしたコンビである。

美女平駅からバスに10分ほど乗ると巨樹の森に至る。まだ1メートルほどの残雪があり、バス道路端に早くも立山杉の巨樹があった。樹齢1000年といわれる立山スギは、冬は4メートルの積雪の重みを枝が受けて押し下げられ、上へ伸びようとするスギの木とのせめぎあいで、筋肉が付くように枝が太くなり、力こぶを見せる腕のような形で主幹に何本も平行して伸びるという、豪雪地帯ならではの独特な形をしている。その力強さは見る人を圧倒するものがある。

美女平の立山スギは大昔、用材として一度は人間の手で切られている。そのためにさらに奇怪な形となる。大昔の木の伐採の仕方は、性の良い2、3メートルから上部だけを切って利用する方法が取られた。下部の根株や下枝はそのまま放置された。その後、長い年月が過ぎて、下枝が幹のようにまっすぐ伸びて、何本もの大木が束になって伸びているように見えるものもある。かと思えば根株に宿ったスギの苗が根株を取り込むように根を下ろし、成長したのちに、根株が腐ってなくなり、根上りの形状を示しているものもある。

立山スギ研究を長年続けている元新潟大学大学院教授の平英彰氏は、近年、最古と思われる立山スギを調査した。大昔伐採されて朽ちた主幹の中心部分を採取して、放射性炭素による年代測定を実施したところ、樹齢2000年であった。予想よりも遥かに樹齢が古いことが判った。さらに主幹が伐採されたのは1300年前の奈良時代であることが分かった。伐採当時、すでに樹齢が700年のスギであった。奈良時代に切られて何の用材に使われたのであろう。屋久杉がそうであったように、杉板に加工されて平城京へ運ばれたのであろうか。平城京で発掘された木簡にそれを示す証拠でも出れば楽しいであろう。

夏に美女平に立山スギを見に行くのも楽しいかと思う。案内地図のようなものがあるのだろうか。調べてみよう。
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スーパー林道から山住神社へ

秋葉神社の山門に四方の柱に四神の立派な彫刻が付いていた。四神といえば青龍、朱雀、白虎、玄武であるが、いずれも白木のままで色は付けられていない。彫が深くてダイナミックである。途中すれ違ったおじさんは、「虎と龍はわかるけど、あのウズラを大きくしたような鳥はなんだ?」と大きな声で話していた。まあ、ちょっと見、ウズラに見えないことも無いか。





(秋葉神社、上から青龍、朱雀、白虎、玄武)

秋葉山参拝のあと、天竜スーパー林道に足を延ばした。杉の巨木のある山住神社に久し振りに行ってみたいと思ったので、兄夫婦にはつき合わせてしまった。山住神社までは稜線沿いの27kmの道である。稜線では紅葉はまだ早く、穂を出したススキが主役であった。中間あたりで竜頭山直下を走る。

竜頭山(1352メートル)にはその昔、水窪から登った覚えがある。季節は秋だっただろうか。天竜杉の産地で、途中、かつては木材搬出を行った「木馬道」が登山道になっていた。材木が敷かれた上を、馬に材木の塊りを引かせて、下った道である。勢いがつかないように、いかにブレーキを利かせるかが難しかったようだ。

山頂からの山また山の景色、今も記憶に残っているような気がするが、多分、この山の記憶ではないのだろう。スーパー林道からなら1時間ほどで山頂を踏むことができるはずである。またいつか登って確かめてみたい。

山住神社はスーパー林道をしばらく下ったところにあった。かつて巨木を見に来たときは立派な神社だと思ったが、今日の印象ではずいぶん山家の神社であった。立派な秋葉神社を見たあとだったからかもしれない。


(山住神社のスギ)

県指定の天然記念物の「山住神社のスギ」は2本あり、手前のスギ(デジカメでは奥のスギ)は、目通り7メートル、樹高40メートル、奥のスギ(デジカメでは手前のスギ)は目通り9.2メートル、樹高41メートル、樹齢はいずれも1300年という。

案内板によると、山住神社付近一帯の杉は元禄九年(1696)、約300年前に、山住家二十三代大膳亮茂辰公が、当時幕府御用材の乱伐を憂え、遠く伊勢より三万本の杉苗を購入し、この地方における造林の第一歩を印した。以来、大膳亮は四十八年間に36万本の杉檜を植え、明治になって「山住杉」の名声を残し、天竜林業の礎を築いた、と記されていた。

改めて周囲を見回すと山の斜面に、当時植林したと思われるスギの巨木が散見された。
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「武雄の大クス」と「塚崎の大クス」再訪

(「武雄の大クス」)

今夜は佐賀県武雄市、武雄温泉駅そばのセントラルホテルに泊まっている。

“のぞみ” のテロップで、関東甲信地方が梅雨明けしたと流れた。例年より6日早いという。西日本から東海までは梅雨明けがまだであるが、それより早く、九州南部に次いで一足早い梅雨明けである。同じテロップでは、衆議院選挙が8月30日と決まって、永田町も一段とヒートアップしているようである。自民党の断末魔の悲鳴が聞こえてくる気がする。

名古屋の乗り換えのホームはサウナに入っているように暑かった。夏ばてしないように、駅弁に味噌カツ海老天弁当を買った。

ホテルには夕方4時半頃にチェックインした。フロントで、頼まれましたのでと、地図で武雄温泉の位置を教えてくれた。そういえば前回来たおりに、武雄温泉駅まで送ってくれたときに、武雄温泉はどっちの方角にあるのかと聞いた。いつかは武雄温泉にも入ってみたいと話した。ホテルの予約を取った地元の人が、それを覚えていてくれたのだろう。

夕方まだ時間があるから温泉に入るといいと、暗に言ってくれているのだろう。5時になっても日が高く日差しが暑かった。少し歩くと汗がシャツを濡らす。まだ明るいので、温泉の前に武雄神社に大クスを見に行こうと思った。貰った略図と10年前の記憶を頼りに歩いた。

武雄神社まで1キロメートルほど歩いた。「武雄の大クス」は武雄神社の裏手、御船山の山懐にある。御船山は武雄の町の近くで二つのピークを持つ変った小山だから、すぐにそれと分かる。10年前に訪れたときより周りが整備されて、保護のために柵が出来ていた。10年経っても姿は変っていないように見えた。無事で何よりである。案内板によると、幹周囲20メートル、樹高30メートル、推定樹齢3000年という。幹の内部に畳み12畳敷の空洞があり、中に天神様が祀られている。同じく武雄市内にある「川古の大クス」に次いで県内第2位の巨樹である。武雄市の天然記念物に指定されている。


(「塚崎の大クス」)

戻る途中に「塚崎の大クス」の標識があった。市の文化会館の北側の小山にある。当時の印象では崖っぷちの危ういところにあると思っていたが、小さいながらも森の中にあって、森の盟主然としていた。案内板によると、幹周囲13.6メートル、樹高18メートルで、主幹の上部を雷で失っている。ここも皮一枚で残っているような幹であるが、10年前とほとんど変化していなくて幸いであった。「武雄の大クス」に次いで県内第3位の巨樹で、同じく武雄市の天然記念物に指定されている。
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小国町の阿弥陀杉

(見る影の無い「阿弥陀杉」)

九州を福岡県から宮崎県の高鍋に車で移動するには、高速道路を九州自動車道-宮崎自動車道-東九州自動車道と乗り継いで行くのが一番早い。

先週9日、朝、福岡県八女市で仕事をして、宮崎に向かうのに高速を走らずに阿蘇を越えて行くことにした。その日は高鍋まで行き着ければよかった。(後に携帯に連絡があり、鹿児島県の大隅まで行くことになる)山また山の道を走って熊本県小国町に差し掛かった。小国町には名の知れた杉の巨木があったというかすかな記憶があった。何かの本で写真を見た気がする。名前が付いた杉なのだが、何という名前であったかはっきりしない。同乗者にそんな話をしていると、黒渕という集落の道路端に古い社があって、巨木らしいものも見えた。


(「鉾納宮の夫婦杉」)

車を止めて立寄ってみた。鉾納宮(ほこのみや)といい、道路より一段高い境内の茅葺の山門の前に、二本の杉の巨木が門柱のように立っていた。二本セットで「夫婦杉」と名前が付き、推定樹齢700年、多分右が雄杉で幹周囲6.4メートル、左が雌杉で幹周囲5.7メートル、まっすぐに伸びた立派な杉である。

さらに、境内の左右の角にはケヤキの巨木が境内の境界木のように立っていた。案内板によると、右角のケヤキが幹周囲7.3メートル、樹高18.3メートル、左角のケヤキは幹周囲8.1メートル、樹高15メートル、いずれも小国町指定の天然記念物に指定されているという。案内板設置後のも、2本ともかなり傷んだらしく樹勢が感じられなかった。寄生植物に覆われて、特に左のケヤキは枝をもがれたダルマさん状態で、瀕死の状態であった。

この神社の巨樹は、自分の記憶している巨樹ではなかった。駐車場に近くの小学生が描いた近辺の観光案内看板があった。見ると「阿弥陀杉」という巨樹が描かれていた。記憶がつながった。その杉であった。すぐ近くのようだったので、同乗者に頼んで立寄ってもらった。阿弥陀杉の名前から想像される樹形は枝振りが阿弥陀様の光背のように上に広がっているのであろう。写真で見たのもそんな杉だったように思う。

遠くからそれらしい杉が見えた。しかし何か印象が違う。そばに寄ってみると、平成11年の台風18号で、その3分の2が倒壊し、見る影も無くなっていた。生き物である巨木は見れるときに見ておかねば、いつ倒れて失われるか判らないものだと、つくづく思った。倒れた主幹の部分はそばに屋根を付けて保存されていた。その巨大さに立っていた頃の雄姿を思い浮かべた。

案内板には被害を受ける以前の写真とその規模が記されていた。幹周囲は12.6メートル、樹高38メートル、枝張り37.5メートル、推定樹齢1300年、熊本県最大の杉であった。この杉にも伐採の危機があった。明治35年に人手にわたり伐採されようとしたとき、当時の村人たちが義金を募って買い戻し、共有の宝として後世に伝えたものだという。国の天然記念物に指定されているが、現状では解除になるかもしれない。
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杉沢と上相賀の大カヤ2本

(杉沢の大カヤ)

昨日、相賀の集落を歩いていて、一度来たことがあるカヤの巨木2本を見て行こうと思った。一本は相賀谷川に左手の山から注ぎこむ杉沢の先にあった。道路端に高いカヤの特徴的な梢を見せていたから、遠くからでもそれと解った。「杉沢の大カヤ」と呼ばれている巨木である。樹高25メートル、幹周囲5メートル、樹齢は500年以上で、雌株である。


(上相賀の大カヤ)

もう一本はそれより上流、約1.8キロメートル離れたところにある。和田の千葉山への登り道の分岐から500メートルほど上流の農家の裏山にかぶさるように立っている。「上相賀の大カヤ」と呼ばれる巨木である。見学するには10メートルほど斜面を登る。樹高15メートル、幹周囲6.1メートル、樹齢は500年以上で、これも雌株である。「杉沢の大カヤ」よりも樹高は低いが主幹に厚みがある。2本とも昭和32年(1957)に県の天然記念物に指定されている。


(山津波の名残か、大岩)

案内板によると2本の大カヤには次のような伝説が残っている。今から約400年前の慶長の頃、この地が洪水と山津波にあって村の大方は流出・埋没したが、不思議なことに大カヤ3本だけが残った。その内2本が現存する杉沢と上相賀の大カヤだといい、村人から厚い信仰を寄せられた。この山津波の名残であろうか、山の斜面に大きな岩が2つも3つも見えた。千葉山から落ちて来たものであろうか、一つは道の脇まで来ていた。

「杉沢の大カヤ」のそばで、腰の曲がったおじいさんと目が合った。大きなカヤの木だと誉めてから、高山(標高568m)の登り口を聞いた。高山は家からも見える山で、登り道が気になっていた。昔、一度登ったような記憶があるが、山頂まで行けたのかどうか、そのあたりがあいまいである。今日は登る積りはないが、後日のための確認しておきたいと思った。一昨日だったか、島田の男性が一人で高山に登って帰らず捜索したところ次の日に無事見つかったというニュースがあった。島田で高山ならてっきりこの山と思ったが、あるいは他の高山だったのかもしれない。この高山はとても成年男子が遭難するような山には見えない。

おじいさんは、他所の人で説明して解るかどうかと言っていたが、高山神社の脇の道を登っていくのだと教えてくれた。少し上流に、白山神社があった。おじいさんが高山神社といったのはこの神社のことだろう。何とすぐそばの案内板に略図が書かれて、確かに高山に道が通じている。高山には奥の院があるが、そちらの方は高山神社と記されていた。次には高山の山頂を踏んで、神座の方へ尾根伝いに降りてくるか、伊久美側に降りて、コミュニティバスで帰ってくるか、などと計画が膨らんだ。
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