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読むことと書くこと

(まーくん、裏の畑で大好きなアスパラガスを折って収穫)

伊勢の長兄から電話があった。お遍路の本が配達されて、今、夫婦して読んでいる。これだけ書けるなら、今度は小説を書いたらどうだ、と勝手なことをいう。事実を書き綴るのとフィクションを綴るのでは全く違う。自分には作り事は書けないよ。それより五重塔の絵はどうなったの。いま構想を練って何枚か試しに描いている。景色の中に五重塔を入れるなら楽に描けるが、五重塔をメインに描くのが難しい。

長兄とは11歳違い、子供のころ一度だけクレヨンで絵を描いてもらったことがある。一枚の画用紙に空を飛ぶ旅客機や自動車を描いてくれた。幾つかの色を重ねて旅客機の金属の感じが上手く描いてあると、子供ながらに感心した記憶がある。

その長兄が仕事をリタイアしてからカルチャーセンターで水彩画を始めた。もう10年近くなるであろうか。写真を元にして描いたり、スケッチ旅行に行ったりと、けっこう上手になっているらしい。それでふるさとで会ったときに、五重塔の絵を一枚所望した。描いたことはないがチャレンジしてみるか、と返事をしてから、もう3年ほど経つ。まともに描こうとすると、なかなか複雑でハードルは高いかもしれない。

学生のころ、たくさんの文学書を読んだ。不思議なもので、たくさん読むと無性に文章を書きたくなる。友達に長々と手紙を書いたり、それでは足らずに小説を書き出してみたり、その度に三島由紀夫調であったり、大江健三郎風であったり、安倍公房ばりであったりと、しばらく書きなぐっていると、飽きてしまうらしく、また、読書に戻るというようなくり返しがあった。当時の友人への手紙に、「読書欲と創作欲は交互にやってくるようだ」と書いた記憶がある。

卒業から40年、本は良く読む方であった。しかし、書くのはもっぱら型どおりの事務文書ばかりで、時々旅の記録などを書いたこともあり、日記にチャレンジしたこともあったが、長続きしなかった。

ブログに出会って、40年間溜まった創作欲が一気に噴き出したように、3年半、1500日を越える書く日々を続けてきた。その一つのゴールに「四国お遍路まんだら」があるわけで、40年間溜まっていたとはいえ、さすがにテーマも尽きた。最近は、パソコンの前に座るまで、何を書くのかテーマがないことが続いている。それでも、惰性で続けられているが、テーマ性のないグダグダ話が増えてしまったと反省している。一ヶ月も書くことを休めば復活できるような気もするが、書かなくて良い楽さを覚えると、復活できないような気もする。どこかで体勢を立て直さねばならない。

ここまで書いて約一時間、1日のノルマと決めた1000文字を越えた。
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今年は冷夏になるのだろうか

(裏の畑の夏野菜)

アイスランドのエイヤフィヤトラヨークトル火山が4月に噴火し、その影響で今年は冷夏になるのではないかと心配されている。アイスランドから冷たい夏の贈り物かと、冗談言っている場合では無さそうである。

火山と冷夏の関係で記憶に新しいのは、1991年6月のフィリッピンのルソン島のピナツボ火山の噴火である。その結果、1992~1993年に世界中で異常気象が起きて、日本でも冷夏になりお米が不作で、平成5年には日本でも米を緊急輸入した。会社で取っていた給食にタイ米が使われて、パサパサだったため、文字通り、箸にも棒にも掛からなくて、往生したことを覚えている。

噴火で冷夏になるメカニズムは、ネットで調べたところ、噴火によって発生した二酸化硫黄が成層圏まで行って亜硫酸ガスに変化し、薄い層を形成する。その層が本来地表に到達するはずだった太陽光を減少させて、地表の気温が下がるという理屈のようだ。火山灰が成層圏まで達して太陽光線を遮るのかと思っていたが、チリはそんなに長く留まっていないのだろう。温暖化の時代に気温が下がるなら結構なことなどと言っておれない。食料不足は世界の政情を不安定にする。例えば北朝鮮など、空恐ろしいことが起きそうである。

ピナツボ火山ほどの規模でないことを祈るしかないが、亜硫酸ガスの層は平常に戻るのに3年ほど掛かるという。あの当時は冷夏だけでなく、豪雨による河川の氾濫など、異常気象による被害も世界各地で起きた。

その所為ではないと思うが、今日は雨も降らないのに妙に涼しい日であった。晩霜による葉物野菜の不足も何とか出回るようになって、価格も安くなってきたと報道されていた。我が家の裏の畑も夏野菜がようやく葉を伸ばし始めた。苗の風除けに被せていた筒状にした肥料袋も外して支えを作った。自分も少し手を出したが、大半の作業は女房がイニシアチブを取った。体育会系の女房は近ごろは農作業系に変貌したようだ。

写真のように、畑には手前からサヤインゲン、キャベツ、キュウリ、甘シシトウ、ピーマン、ナス、ミニトマトと植わっている。その向こうに、この後、ゴーヤとオクラを植えるように耕してある。ゴーヤとオクラはポットに種をまいて順調に芽を出している。その中でキャベツは葉物野菜が高くなったころ、近所から苗を頂き植えてあった。しかし肥料不足か、巻きそうにないし、農薬を使ってないから昆虫たちの餌場になりつつある。収穫にいたることは無さそうだが、価格も下がったから良しとしよう。
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受領のコメントが入り始めた

(庭の「隅田の花火」-ご近所から頂いたガクアジサイ)

今日辺りから、「四国お遍路まんだら」受領のコメントが入って来始めた。まだ内容まで読んでのコメントではないから、本の印象だけである。おおむね好評である。ごく普通の市販の本のように出来ないかと、印刷屋さんに注文をつけて作った。自費出版の本を何冊も見てきたが、本自体が「自費出版いたしました」と語っているような本が多かった。この本はそんな風にはしたくなかった。印刷屋さんもよく意図を理解してくれて、満足の行く装丁となった。

コメントを頂いた皆さんに一言。
「sora to umi」さんへ 「三坂峠の手前の宿」が「久万五郎」さんの宿です。
「斎藤」さんへ 奥村さんにも頼まれましたので近日中に届けます。
「橄欖」さんへ 新茶時期の凍霜害は靜岡の茶農家にとっては、宮崎の口蹄疫のような大災害です。日本茶の生産農家のために微力ながら発言したいと思います。お茶の生産も手掛けているお茶の問屋さんが、「お茶は作るものではなくて買う(仕入れる)ものだ」と本音を語ったという話が、茶農家の現状をすべて語っていると思います。
「Yoo」さんへ 違和感は女房の話では取れるのに半年ほどかかると言います。奈良大和の旅の計画はまだ何も立てておりません。お遍路本の処理が終り次第、計画しようかと思っております。基本的には、40年前に歩いた跡をたどることです。
「hogure」さんへ 遠江三十三観音霊場は、昔仲間と10日掛かって歩きました。自費出版など、縁遠い話と自分も思っていました。自費出版専門の出版社に頼むと、楽に出来るけれども、コストがかかり、なかなか制約も多いようです。その点、町の印刷屋さんに頼めば自由が利き、コストも安く出来そうです。自費出版を考えるのでしたら、ノウハウをお話出来ます。
「久万五郎」さんへ 半年経った今でも、八十八ヶ所すべてのお寺の様子を映像の形で思い浮かべることが出来ます。不思議なのはその映像の中に自分の姿が入っていることです。あの41日間はそれだけ非日常の日々だったのだと思います。

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今朝、会社の山の会の活動を共にしていた先輩たちに本を届けた。年賀状のやり取りはあったが、お会いするのは久し振りである。先輩たちはこのブログを見るような年齢の人ではないから、この本でお遍路に行ったことを初めて伝えることになった。山に足を運んでいた昔とは比べられないが、いずれもお元気で安心した。しっかり読んでくれなくても、写真を見て拾い読みしてくれれば十分である。

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「四国お遍路まんだら」読んでみたいと思われる方、まだ余部はたくさんありますので、遠慮しないで、コメントに、郵便番号、住所、氏名を書いて下さい。個人情報は確認後、削除しています。
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普天間問題は決着?その2

(近所から到来の花-名前は判らない)

普天間問題について、ようやく政府は、ほとんど原案通りの辺野古陸上案でアメリカと合意して、今夕の発表となった。福島消費者・少子化相は閣議決定にサインできないと拒否。鳩山首相も万策尽きたようで、ウルトラCの第3案を出すことなく、福島消費者・少子化相を罷免した。連立解消になるかどうかははっきりしない。

夜、9時からの鳩山首相の記者会見で、移転先を県外・国外に求めるという公約から、辺野古原案に戻ってしまった経緯をくどくどと聞いた。お詫びするという言葉が何度出たか。しかし、自分の責任の取り方には言及がなく、政権を引き続き担当するという気持を述べた。

結局、鳩山首相の発言は、その時その時の気持を述べているのであって、人間鳩山としては何も嘘を言っている積りはなく、少しも恥じるところがないのであろう。彼が宇宙人と言われる所以である。しかし政治家鳩山首相としてはそれでは困る。その時の気持をそのまま述べられたのでは、付いていく人はどんどん減ってくるであろう。福島消費者・少子化相にしても、沖縄県民にしても、政権獲得時には自分たちと考えが一緒であると思ったはずである。しかしそれは首相の思いを述べていただけであった。そして、この8ヶ月で全く反対のところへ、首相の思いは移って行ってしまった。口で百万遍、沖縄の負担軽減のために努力を続けていくと言われても、もう誰も信じない。

こともあろうに、「初めての政権交代から8ヶ月、まだよちよち歩きで‥‥」という発言まで飛び出した。我々はよちよち歩きの首相に政権を託したのである。混迷するのも無理はない。マスコミももう慣れてしまって、こんな言葉尻には反応しなくなった。

野党からすれば、民主党政権が現体制のままで参院選に突入した方が、選挙を有利に進められるのであろうが、そのチャンスをいったいどの政党が我がものとするのであろう。

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今日からPadが日本で発売された。どれほどの可能性があるものだろう。もう一つ判らない。本が無くなってしまうのであろうか。新刊書を拡げたときの独特な新しい紙とインクの臭い、それを開いて嗅ぐ楽しみは無くなってしまうのであろうか。自費出版したばかりの自分としては気になるニュースであった。

片方では、アップル社などの電子機器を供給している台湾籍の中国企業で、飛び降り自殺が多発し、13名になったというニュースが報じられている。また中国では給料を2割アップする法律が出て、日本からの進出企業でも労働争議が起きているという。中国の労働事情はいよいよむずかしい局面になっていくようだ。
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鳩山政権の普天間問題決着?

(庭の赤いバラ-サザンカの葉群から顔を出す)

沖縄普天間基地の移転問題が、鳩山首相が公言している5月末の決着を目指して大きく動いている。結果は多くの国民が口には出さないが予想していたように、辺野古の陸上部分に滑走路を建設して移転する現行案で、アメリカ側と決着する方向になったようだ。

裏切られたのは沖縄県民で、鳩山首相の甘い言葉に期待を抱いただけに落胆は大きいと思う。アメリカと決着できても、沖縄県民の納得を得られるには、相当時間が掛かるであろう。鳩山首相が負担を少しでも軽くする努力をすると甘言を続けても、誰も信用する人はいないであろう。

アメリカとの交渉の経緯は良く判らないが、裏切られたのはどうやら沖縄県民だけではなくて、何の考えも無く県外を言い続けてきた鳩山首相も裏切られた方かもしれない。現実を直視する岡田外相や北沢防衛相がアメリカ側の説得を受けて、オウムのように県外を繰り返す指導力のない鳩山首相を差し置いて、話を決着の方向へ進めてしまったように見える。背景には首相が約束した5月末決着の期日も迫っており、一方、朝鮮半島がきな臭くなって、これ以上問題を長引かせないとの判断があったのだろう。鳩山首相はもしかしたら蚊帳の外で、ここでも指導力を発揮出来なかったのかもしれない。

一連の動きに対して、社民党の党首、福島消費者・少子化相はあくまでも県外・国外移転を目指すとして、閣議了解事項として署名をしないと言明し、沖縄県民の反対運動を煽っている。首相の近辺からは、アメリカとの合意事項に辺野古の文字を入れないという子供だましの案が出て、福島党首に一蹴されている。

これほどの重要問題に閣内不一致になるならば、首相は署名を拒否する閣僚を罷免するか、閣内不一致を理由に総辞職するか、取るべき方法は限られている。しかし、鳩山首相は第三の方法を考えて、問題をうやむやに先延ばしする方法を選ぶであろう。

鳩山首相は民意を大切にするというが、連立を組んでいる社民党や国民新党がどれだけの民意を代表しているのであろうか。そのような連立少数政党にかき回されて、重要政策が歪められることがあってよいのだろうか。

民主党が連立解消の断固たる態度が取れないのは、参議院選挙を控えて選挙協力が得られないことを恐れているのであろう。しかし、すでに民主党は連立政党の協力をはるかに上回る支持を失っている。その中で、民意が少数政党の主張で歪められることが理由の一つになっている気がする。

民主党が参議院選挙を戦うためには、連立を解消し、党と内閣のトップを変えて、民主党をもっと判りやすくすること以外にはないと思う。
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「四国お遍路まんだら」を配る

(様々な切手を貼る)

「四国お遍路まんだら」が出来て、まだ4日しか経っていない。だから無理はないが、配った冊数はまだ50冊にも届いていない。

その間に女房が四国八十八ヶ所の地図を付けてやらないと、行ったことのない人は読んでもどこを歩いているのかよく解らないという。それももっともかと納得して、今日は会社で「四国へんろの地図」のコピーを取らせてもらってきた。B4を1枚を折り込むことにした。

昨日、金谷図書館に行き、2冊置いてもらうように、寄贈の手続きをしてきた。島田図書館にも置いてもらいたいと思ったが、そちらへ出向いて手続きを行わなくては駄目といわれた。自費出版の本も、一般書の寄贈と同じ手続きであった。手続きを区別にして、もっと呼びかければ、今は自費出版をする人は増えているから、自費出版書の面白いコーナーが作れるのではないかと思った。棚に置かれるようになるには、少し処理時間が掛かると思うが、そのうち金谷図書館でも「四国お遍路まんだら」を見ることが出来るようになる。

本の重量は約300g、遠方へ送るには書籍小包だろうと、郵便局の窓口で聞くと、今は書籍小包ではなくて「ゆうメール」というようだ。500gまでがゆうメールでは290円である。書籍小包の時代は310円だったから、値下げになっている。おそらく宅配便との競争になっているのであろう。

なぜか手元に色々な特種切手の在庫が溜まっているから、この際使ってしまおうと思った。しばらく気にしないでいるうちに、切手も百花繚乱で、ずいぶん変った切手が出るようになった。四角だけではなくて、丸、三角、動物の形の切手もある。昔は外国切手には色々な形の切手があったが、日本の切手はすべて矩形であった。今はどんな形でも問題ないのだろう。シールのようにはがしてそのまま貼れるものもある。

気にしなかっただけで、こんな切手ももうずいぶん前から出ていたようだ。これだけ様々な切手があると、郵便局で切手なのか、シールなのか、区別が難しくなっているのではないかと心配になる。漫画の切手が始めて出たとき、貼られた切手を郵便局職員がみて、子供が間違ってシールを貼ったのだろうと、注意をしたという笑い話も聞いたことがある。

こんな色々な切手を貼ったゆうメールが届くと、受取った人はびっくりするだろうか。どうかしたと思うといけないので、在庫切手の整理だと断っておこう。

もう読み始めてくれた人もいる。最後まで読んでくれるだろうか。少し心配である。とにかく300冊、何とか読んでくれる人に配りたい。

コメントで注文を頂いたのは、まだ3件である。さっそく送付手続きをした。
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天保時代の西国・四国の巡礼

(磐田農高バラ園のピンクパンサー)

古文書講座の予習をしていて、江戸時代のお遍路の話が出てきた。比較的判読しやすい古文書だったので、ほぼ解読できた。講座の前で先ツモになるが、解読したものを書き出してみよう。

讃州善通寺月牌
天保六乙未年(1835)二月、大井住老母、小松和四郎並び戸助妻登与、善耳禅門、同行四人どもは、管ヶ谷村次助と申す者召し連れ、西国四国の巡拝思い立ち、同月の十七日出立いたし候、それにつき善通寺へ代々の亡き霊の月牌相願い候につき、手前方にても父惠忍居士のため月牌につき申し候、同行無事にて七月二十七日下向いたし候、右月牌料の請け書大井住、小松、手前方とも一紙下し置かれ候、写し左の通りに候

          票
一 金弐両也

  (中略、戒名が並ぶ)
右各位、月牌料のため施入致され、則ち伽藍常行堂並び観智院、両所において三昧の供養懈怠あるべからざるものなり、依って証帳くだんの如し
天保六乙未四月  讃岐国多渡郡屏風浦  
               善通寺 知事所 判

  (以下略)

 ※ 月牌(がっぱい)- 毎月の死者の忌日に供養してもらうため、回向料を添えて寺院に預ける位牌。
 ※ 禅門 - 在家のまま仏門に入り剃髪している男子。禅定門。入道。
 ※ 下向(げこう)- 神仏に参詣して帰ること。
 ※ 施入(せにゅう)- 寺や神社に財物を献上すること。

従者一人を含めて5人の巡礼団である。女性2人を含み、禅門が一人付き添っている。この禅門が案内役だったのだろう。四国八十八ヶ所だけではなく、西国三十三ヶ所の霊場もめぐる長大な旅である。江戸時代のことゆえ、ほとんどは歩いて行くしかない。旧暦だから季節は晩春から初秋にかけてである。どんな旅であったのか。記している人は出掛けた人ではない。だから、実にそっけない。それでも5ヶ月掛かって無事に戻ってきている。

常行堂は現在も善通寺東院の金堂のそばにある。東院は弘法大師が唐の長安、青龍寺の伽藍を模して建立されたといい、善通寺の「伽藍」と呼ばれる。観智院は中門をくぐって御影堂のある西院に向う参道の左側にある。

今から175年前の善通寺の境内はどんな風だったのだろう。はっきりしていることは、2本の大楠、「善通寺の大楠」と「五社明神の大楠」が巨樹の形で存在していたことである。建物は何度か受けた火災や建て替えで変わることはあっても、大地に根を下した巨樹はどこへも動けないから、歴史の一部始終を見てきた。この巡礼団も、弘法大師も見たであろう大楠に感動のまなざしを向けたに違いない。
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雨の散歩を嫌うムサシ

(磐田農高バラ園の「サプライズ」というバラ)

午後、ネットで天気予報の雲の動きを見ていると、大きな雨雲帯が迫っていて、お昼のニュースでも夕方から雷をともなった大雨になるとの予報であった。これは大変と、いつもなら2時の退社を10分ほど早めて帰宅した。雨はほとんど降っていなかったが、会社の駐車場に行くまでに、大粒の雨が傘を叩き出し、篠つく雨になった。予報より早く雨が来たようだった。

金谷は掛川ほどの雨ではなかったが、帰宅して女房に聞けば、今日は予報を見ている暇がなかったから、まだムサシの散歩には行っていないという。それでは今の内に散歩に出掛けようと、準備をして大きな傘を差して、ムサシを呼んだ。何んでこんなに早く散歩に呼ぶのかと、怪訝そうな顔でこちらを見て、犬小屋から出て来ない。おやつを見せると、食べ物の誘惑には勝てないというように、のっそり小雨の中へ出て来た。

リードを付けて、さあ散歩に行くぞというが、訳判らんと言った顔で見上げる。散歩だよと道へ出ようとすると、こんなに早く、しかも雨の中を散歩になんか行かないぞ、と言わんばかりに足を踏ん張る。今日の抵抗はかなりのもので、しかも一回二回としつこかった。こんなときはリードで引っ張り上げるように思い切って引く。幾ら踏ん張っても軽量の悲しさで身体さら持って行かれて、ムサシはこちらの決意を知り、仕方なく歩き出す。歩き出したら、ムサシは嫌がっていたことも忘れていつもの散歩モードに入る。

しかし、大雨が迫っているから、こちらの方は短時間散歩のモードに切替えている。いつものコースを行こうとするムサシと、土手に出て家の周りをぐるりと一周する最短コースに誘導したい自分の間に、分かれ道でもう一度一悶着あり、そこでもこちらの意思を通す。その結果、今日はいつもの半分の時間で散歩を終えた。

ムサシも今日のスクランブル散歩を途中から心得て、臭い付けに小出しにするおしっこを、今日は一回の量をずいぶんたくさん出して、短時間散歩モードに合わせて来た。おかげで大降りになる前に帰って来れた。ただし、うんちは出るまでの距離を歩けずにパスした。

夕方、豪雨になると思ったら、雨は止んでいると女房が言いながら外出先から帰って来た。天気予報に振り回されて、ムサシも大迷惑なことであった。

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お遍路本の注文が二人の読者からあり、郵送するように手配した。なお、書き込んで頂いた住所の入ったコメントは非公開に切替えた。50冊と書いたがとても捌けないかもしれない。
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外来種ナガミヒナゲシの急増

(新聞に載ったナガミヒナゲシの花)

一週間ほど前の新聞に外来種ナガミヒナゲシが全国的に急速に分布を拡げているという囲み記事があった。ケシ科の一年草で、ケシの仲間であるがアヘンの成分はなく、美しい花を咲かせる。地中海沿岸が原産地で、輸入堆肥の中に種が混じって日本に入ってきたといわれている。1961年に東京で見つかっていた。

研究者の話では一個体で15万個の種を作ることが出来、繁殖力が強くて日本の生態系を乱す恐れがあり、駆除が必要だという。

日本に入って来る外来の植物は日本の在来の植物に比べて、いずれも生存能力が強くて、たちまち在来種を駆逐して、日本中に繁茂するという話は良く聞く。日本の気候は植物が育つために大変良好な環境にある。植物に一番大切な水がいっぱいある国で、だから日本の在来の植物は他を排除して生存を図るというような攻撃的な植物である必要がない。そこへ、過酷な自然の中で生存競争に勝ってきた、とげとげの外来種が入って来ると、日本の在来の植物は負けてしまう。

しかし、ちょっと考えれば、日本にもとげとげの植物がいたはずである。それがどうしていなくなったのであろうと疑問が湧く。今は日本の在来種のような顔をしていても、ルーツをたどれば海外に行き着く植物は多い。しかし外来種が入ったため、日本の植物が駆逐されてしまったという話は余り聞かない。

セイタカアワダチソウは一時日本のススキを駆逐するのではないかという勢いでどこでも見られた時期があった。今はどうだろう。見ることは見るが、それほど目立たなくなった。一時は減ったかに見えたススキが最近は増えたような気もする。今見るセイタカアワダチソウはずいぶん背丈が低くなったように見える。

考えるに、外来の植物は日本に入ったばかりはその生存能力の高さから、山野を席捲するように見えるが、何年か経つとずいぶんやさしくなり、日本の風土に根付いていくように思う。遺伝学的にとげとげが取れた種が残って、日本の自然に同化するように見える。動物と違い、植物は桁違いに多い種を残すから、遺伝的な変異の機会も桁違いに多く、短い期間で種が変容して行くのだろうと思った。

生物多様性が失われるという話題をよく聞くが、多様性を損ねているのは人間の営みであって、外来種といえども植物が自ら他の植物を駆逐して多様性が失われることはないと思う。おそらく植物は人が認識する以外にも縦横に共存関係にあって、多様性の中でしか生きられないということがよく判っているのであろう。

以上はナガミヒナゲシの記事を読んでの感想である。何も学問的な根拠があって言っていることではない。記事を見た後、ムサシの散歩の途中でナガミヒナゲシの花を探しているのであるが、当家の近隣には見かけない。きれいな花だというから駆除などと大げさに考えずに、見つけたら皆んなで花を摘み取って持って帰ればよい。


(口直しの一枚/磐田農高バラ園のパープルタイガー)
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「四国お遍路まんだら」完成

(完成した「四国お遍路まんだら」)

今日、お昼前に「四国お遍路まんだら」が印刷屋さんから我が家へ納品された。自費による出版なれども、我が生涯初の本の出版である。15冊余分に、全部で315冊あった。本文173ページで、カラー写真のアルバムが8ページで、ハードカバーにしなかったから、手軽に手に取って読んで貰えそうである。

表紙カバーは写真3枚を入れただけで芸は無いが、印象はそんなに悪くない。題字は自分で書いた。書いたときは印象が悪く、それがきっかけで、少しは上手くなろうと、今年は金谷宿大学で細筆の習字講座に入った。印刷になってみると自分の字もそんなに悪くないと思った。本文の文字もそこそこの大きさの活字で、字がけっこう詰っているが、読みにくくはない。

ほぼ自分の想像通りの出来栄えになった。あまり大仰な本にならず、手軽に手に取って貰えそうで、しかもそんなに安っぽくも見えない、丁度意図した塩梅に出来上がったと満足感が拡がった。

さて、これをどうやって配るか、けっこうハードルが高そうである。積んで置かれたり、すぐに処分に回るような所には配りたくない。何とか興味を持って読んでもらえる人に配りたい。もっともその前に、他人が読むに耐えられる本になっているかどうか、先ずそれが問題である。しかし、そのことは考えないことにしよう。推敲やら校正やらで、合わせて10回ほど自分の文章を読んだ。少なくとも自分は読むには耐えられたのだから、それも10回も。他の人は一回だけである。きっと辛抱して読んでくれると信じよう。

面白おかしくするにはフィクションを混じえる方法もあるが、この本には自分の思い違いはあっても、実際にあったことしか書いてない。もっと事件が起きると思って期待したが、本文でも書いたように順調に進んでしまった。しかし、単調な中に仄見えてくるものが必ずあるはずだと信じて本にまとめてきた。

それにしても、読んでもらえる人をどのようにして選ぼうか。多分予定する人々に配っても200冊くらいである。たくさん余るのも困るから、このブログの読者にも50冊ぐらい贈呈しようと思う。読みたいと思われた人はコメント欄に郵便番号、住所、氏名を書いて下さい。冊数も限られていますので、すべての人に応えることが出来ないかもしれませんが、その時はご容赦下さい。まあ、そんなにたくさん来ることはないか。なお、個人情報を含みますので、コメント欄は住所等が確認出来次第削除します。

そんなこんなで、しばらくは「四国お遍路まんだら」を配る作業で気忙しくなりそうである。
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