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ほうの会の続き

(冬の青空にバラ)

「ほうの会」(「ほう」は木へんに邦)の後半である。

木内氏の講演会の後、愛知県の田原で一農薬会社の社長さんが私財を投入して農業専門職の大学院大学を構想中であり、その趣旨と計画について話があった。志は大変高く応援したいと思うが、学校法人を維持していくことは大変だろうと思った。若い学生を集めるよりも、実業界から学生を集める部分を充実させたほうが、これからはいいのかもしれない。新しい農業は、今後、新しいビジネスチャンスとして企業に開放されるようになると思う。実業界では農業を学んだ人材が必要になってくる。農家に生まれたから、農地があるから、農業を引き継ぐという形に任せていては、日本の農業はやっていけなくなるのではないだろうか。

質問時間に取られて少し押してしまい、それでも15分間、マイリーフカップの話が出来た。後で、自分のことを「話しなれているから」と評した人もおり、女房も思ったより良かったという。ただ「まあっ」という口癖がたくさん入るのが気になったという。「あー、えー、うー」などを出来るだけ入れないように話そうとしているが、その分変な癖がついてしまったのかもしれない。反省事項としよう。

自分の後に話したAさんは、「よみがえれ日本の心」という小冊子を作り、そのさわりを話された。日本の心の荒廃を憂い、昔の精神文化を取り戻そうと言う想いを書いたものであった。永年富士宮市の市会議員を勤められ、現在観光協会会長で、例の「富士宮焼そば」の提唱者の一人である。同行された奥さんは今も富士宮浅間神社の入り口で「富士宮焼そば」を作って販売していると話された。

ほうの会の懇親会は蕎麦処ゆくらであった。Aさんのご夫婦が隣で、日曜日に富士宮に行って温泉を探したと話すと、富士宮には温泉が無いという。富士山の伏流水が一杯で、温泉にはかなり深い井戸が必要だそうだ。花の湯は多分冷泉なのだろう。箱根の温泉のパンフレットを送ってくれると約束していただいた。
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ほうの会に出席

(木内孝氏の講演)

昔、農業青年団で活動していた人たちが作った「ほうの会」(「ほう」は木へんに邦)という集りが島田市にあって、講演会が「お茶の郷」であるので、その席で15分ほど茶業振興の切り札“マイリーフカップ”について話してもらえないかと、会長のNさんから依頼があって、日曜日の午後出かけた。

「ほう」とは木魚の原形といわれる「魚鼓(ぎょく)」のことである。禅宗のお寺で、食堂や廊下に掛けられている。板に魚の形を刻み、中をくりぬいて音が響きやすくしてある。これを木槌で打ち鳴らし、儀式の開始を皆んなに報せたり、食堂にあるものは修業僧の食事の合図に使用された。

魚をかたどったのは、魚は昼夜常に目覚めていることから、寸時も隙を見せない魚の姿を不眠勉学の譬えとして、怠惰を戒める主旨である。実際は魚も眠るらしいが、昔は不眠と考えられていたのであろう。「ほうの会」の趣旨を明確に表した名前である。

参加者40数名、「ほうの会」のメインは木内孝氏の講演会であった。木内氏は71歳、元米国三菱電機会長、現NPOフューチャー500の理事長である。

世界の三大課題は、気候変動、貧困、紛争/テロ、日本の三大課題は、既得権益、固定観念、貧弱な将来展望だと氏は言う。「この世の中では真面目にコツコツ働く人達が報われない」「景気や経済より大切なことがある」「自然環境の容量には限界がある」という意見には同感に思う。そして「善悪の判断基準を自然環境に置こう」「子や孫にツケを残さない生き方をしよう」と呼びかけ、目標は「緑の国土 安全な社会 生活本位の国創り」「人口8000~9000万人の落着いた日本国」「森林 田畑 海洋を大切にし、日本産の日本食 日本家屋中心の暮らし」だという。

お話には全く同感で、我が意を得たりと思った。しかし、何か気持に引っ掛かりがある。つまり、高度成長、自然破壊、エネルギーの浪費、バブルの崩壊まで、それを謳歌してきた大企業のトップだった立場の人が、自分の反省の弁を述べるわけでもなく、その原因を多数決や民主主義や悪徳政治家とそれを選んだ国民が悪いと言われてもつらい話である。若い人が聞けば、やりたいことをやり尽くした年寄から、これからは質素な暮しをしていかなければ地球は持たないと言われているようなもので、おそらく感じるのは反発だけであろう。

地球環境はもうそこまで追いつめられていることは理解しているが、それは環境も考えずに、自然破壊やエネルギーの浪費をしてきてしまった我々大人が、その責めを全員でかぶり、そこから運動をはじめて行くべきことなのだろうと思った。
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ユー・トリオへ行く

(新稲子川温泉ユー・トリオ)

土曜日、蒲原宿志田邸を後にして、富士宮に向かった。資料は持ってこなかったが、東名富士インターを降りて、西富士バイパスを北上した辺りに温泉の看板があったはずだとのかすかな記憶だけが頼りである。

今朝方、女房が聞いた話で、ご近所のSさんは掛川居尻の「ならここの湯」に、50枚の回数券を買って、ご夫婦で通っているという。行き先を近場と決めているのは風呂に入った後の一杯がこたえられないからだという。自分は同じところへ繰り返し行くのはあまり好きではない。お風呂で知り合いに会うのも避けたい。だから出来るだけ入ったことのない温泉に入りたいというポリシーを持っている。

富士で食事をして、富士宮に入り記憶を頼りに探したが、温泉は見つからなかった。富士宮駅前の観光案内所に行き、女房が聞きに行ってくれた。パンフレットをたくさんもらって、富士宮には日帰り温泉はないようだと帰ってきた。「花の湯」という温泉はあるが、立ち寄りで入るには高そうであった。結局、隣町芝川町の新稲子川温泉ユー・トリオにいくことにした。ユー・トリオには一昨年の6月に行ってから久しぶりである。

思ったよりも随分走った。途中、山の形が変わってしまうほどの採石場が出来て
いた。前回通ったときには無かったような気がする。狭い道をダンプが通り、山の挟間にありながら荒涼とした風景に見えた。しかし温泉の辺りまでは採石の手も及ばず、前の印象通りの風景が残っていた。温泉は思いのほか空いていた。

温泉から出てきて、女房を待ちながら休憩所で横になったら、知らずに寝てしまった。夢見ながら誰かが毛布を掛けてくれる気配を感じ、開けた薄目に女性の影が遠ざかっていくのを感じながら、また寝入ってしまった。女房に起されて毛布が掛かっているのに気付いた。さっきのは夢ではなかった。ユー・トリオの係りの女性であろうか、気遣いに大感謝である。

パンフレットによると、「富嶽温泉 花の湯」は50分900円の立ち寄りコースもあった。今度行った時に入って来ようと思う。

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「志田邸」と「ひし屋」

(広重の版画、大井宿〈上〉と蒲原宿〈下〉)

まだ志田邸に居る。志田邸は今は住んでいる人はおらず、NPOの管理下に置かれている。係りの女性に奥に色々展示してあるとの言葉にうながされて庭に出た。左側にお蔵があり、その奥に今は使われていない醤油の醸造所の一部が残っていた。覗いてみると、木造工場の中にレンガで積んだ炉が築かれていた。その周りには、たんす、長持、茶箱などと共に、さまざまな道具類が所狭しと納められていた。まだまだ整理中なのだろう。

通路を挟んでお蔵の右側には、最近まで住居に使われていたらしい新建材の建物があり、「東海道町民生活歴史館」となっていた。一人100円払って中に入ると、入口に広重版画が2枚飾られていた。いずれも雪景色の版画であった。一枚はもちろん当地、東海道蒲原宿のものである。東海道五十三次で唯一の雪景色である。もう一枚は中山道大井宿の版画であった。

そばに新聞記事が拡大して掲示されていた。東海道蒲原宿の志田邸と中山道大井宿のひし屋のそれぞれ資料館が姉妹提携したというニュースであった。雪景色の広重の版画が繋いだ縁であった。1月22日のメモがある。自分の記憶にも残っていた。ちなみに「中山道ひし屋資料館」には中山道を歩いた時に立ち寄っている。

「東海道町民生活歴史館」に入ったすぐの部屋には、終戦間もなくまでの、いわば「戦争の時代」とも呼ぶべき昭和の遺物が展示されていた。衣料切符、閉鎖された貯金通帳、戦勝記念品など、古い家ならたんすや納戸の奥から出て来そうなものばかりであった。さらに奥の部屋には、江戸時代から現代に至る天神雛が飾られていた。こんなにたくさんの天神雛を一度に見るのは初めてであった。天神雛は男の子の節句の雛飾りである。志田家の歴代の当主の子供時代に贈られたものなのであろう。


(江戸時代から現代までの天神雛が展示されていた)

展示場は広くないので、テーマ別に定期的に入れ替えが行われるのであろうと思った。お蔵の中や醸造所の長持や茶箱の中には未展示の品々がたくさん保管されているのであろうと思った。

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国登録文化財「志田邸」

(蒲原宿志田邸)

2週間前、東へ行こうとして、焼津に留まってしまった反省から、今日は牧之原インターから東名高速に乗った。出発のときは薄日が差していたが、東へ進むにつれて雲が厚くなり、季節が冬の真っ盛りであることを思い出させるようなお天気になってきた。

沼津インター手前で渋滞との標識があったので、清水インターで降りたけれど、どこへ行こうか決めていなかった。女房はおまかせで、自分は十分下調べをしていない。興津・由比を抜けて、蒲原で志田邸のことを思い出した。

蒲原の宿場の往来は、黒いアスファルトから黄土色の土道を想わせる舗装に変わり、一段と街並も整備されていた。観光客用の駐車場に車を停めて、志田邸に行ってみた。「旧東海道夫婦旅」で蒲原宿を歩いたのが平成13年10月で、その一ト月前の平成13年9月に国登録の有形文化財に指定されていた。あの当時はそんな様子は全くうかがえなかった。

案内板によると、
 蔀戸のある家 国登録文化財「志田家住宅主屋」
志田家は山六という屋号で、味噌や醤油の醸造を営む商家でした。
安政元年(1854)の大地震の直後に再建されたという東側二階建て部分は「通り土間1列型」と呼ばれる町屋形式の典型です。
蔀戸(しとみど)とは日光や風雨などをさえぎる戸のことです。上下二枚に分かれていて上半分を長押(なげし)から吊り、下半分は懸金(かけがね)で柱に打った寄せにとめ、全部開放するときは下のものは取り外せます。昼は上に吊り上げて目隠しに用い、夜は下ろして戸締まりの役を果たしました。



(古布のパッチワーク)

志田家は現在、NPOの東海道「蒲原宿」の会が管理している。古布を使ったパッチワークなどの展示が行われていた。中でも羽織の裏地の絵をそのまま生かして、ミシン目で立体感を出した作品は面白いものであった。
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今、考えている その8

(庭のヒイラギの花)

“念”を携帯電話の電波のようなものだと例えた。超能力者が過去の“念”を感じるのは“念”が残留すると考えれば理解できる。しかし、未来予知をする能力はどう考えればよいのだろう。

町の霊能者に家の普請の時期について観てもらうと、今年は年周りが悪いから来年にしなさいと言ってくれる。来年のことが判っていて予知をしているのであろうか。四柱推命のような易学では生年月日などから年回りを認識して判断するが、霊能者は依頼人やその親族の“念”を感じ、その人の“気”の充実振りを判断して、普請を実施するに“さわり”がないかどうかをみる。その時期が悪ければ、“気”の充実に掛かる時間を考え、年回りに問題があるという理由で、来年にしなさいと託宣を述べる。年回りと婉曲に言っているが、その実は依頼人及び親族の“気”の充実があるかどうかを感じ取っているのであろう。そんな風に考えれば未来の予測が何とか理解できる。

インチキ霊能者も多く、霊能者もコンディションによって出来不出来も多いと考えるが、依頼人が列をなすような霊能者までも、迷信だとかインチキだと言ってしまうのは不遜だと思う。ただし、女房は霊能者に視てもらいに行くが、自分は行かない。自分に気の充実がなければ、託宣を待たなくても自ら普請を延期すると思うからである。

超能力者が未来予知出来るメカニズムの話である。我々は3次元の世界に住んでいるのではなくて、時間軸を加えた4次元の世界に住んでいるといわれる。しかし渦中にいる我々には3次元までは五感で理解できるが、時間軸を加えた4次元の世界は五感では実感できない。

たとえば、地球上にいる我々は地球が24時間で一回転していて、地球とともに実に秒速430m以上のスピードで回っている計算になり、音速よりも早く回っていることになる。しかし知識では理解できても、五感では実感出来ない。4次元の話はこれと同じだというと乱暴であろうか。
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K茶工場総会に出る

(K茶工場総会)

午後、昨年に引続きK茶工場総会に出席した。総会は予定より早く、粛々と終った。

来賓祝辞では、昨年はまだ名前のなかったマイリーフカップを祝辞の中で紹介させてもらったが、今日はその後日談をお話しますと言って、マイリーフカップを3種類のお茶とセットにして、世界緑茶協会が主催するお茶フロンティアコンテストに出品したところ、数あった出品作品の中で何と金賞を射止めてしまった話をした。

宴会になって、たくさんの方と話をした。マイリーフカップにベニフウキを入れて持ってきていたが、ベニフウキとマイリーフカップがもっぱらの話題となった。

全国3千万人の花粉症患者に、その季節にベニフウキを行き渡らせるためには、自分の計算では約1万トンのベニフウキが必要であると話した。これは現在のお茶の消費量の10分の1である。まだまだベニフウキは足らない。一人で大量に作るとリスクが大きすぎるので、組合員が皆んなで少しづつ作り、お茶が終ってから日を決めて、伸び放題のベニフウキをいっせいに摘採し製茶をすれば、余分な設備も要らず、リスクがないなどと話していると、ある農家の方がベニフウキを苗から作ってみたいと言い、苗はどこで手に入るのだろうかと具体的に聞かれた。早速、そばにいたセールスに話を繋いだ。

何人かの人からリーフ茶振興のためのマイリーフカップの取り組みの対して、効果のほどはとにかく、メーカーがそこまでやってくれることについて、お褒めの言葉と感謝の気持を聞いた。やって来たことが理解されて大変に嬉しく、その想いは家に帰るまで続いた。

帰りのタクシーの中で、セールスのA君と今日の総会の感想と、こんな状況の中でも皆んな元気があるなどと話し、マイリーフカップの人気のほどを話していたところ、お茶工場地元のタクシー運転手がマイリーフカップとはどんなものかと聞いてきた。説明するとそのマイリーフカップが欲しいという。自分もお茶を作っていて、そのカップでお茶を飲みたいという。結局、自宅に置いてあったマイリーフカップ2個をその場で運転手に販売することになった。タクシーで使って宣伝しますよと約束してくれて別れた。
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日銀0.25%利上げ

(福井日銀総裁、笑顔で利上げ発表)

今日、午後日銀が0.25%の利上げを発表した。先月、日銀の金融政策決定会合が開かれたとき、政府及び自民党がいっせいに利上げに反発する声明を発表して、日銀の利上げに圧力を掛けた結果となり、1月の利上げは見送られた。あの時のやり取りや報道を聞いていて、一ヶ月後の金融政策決定会合ではおそらく利上げとなるだろうとの確信を得た。

その後、金融機関の人たちとお話をする際に、そんな予測の話をした。福井日銀総裁は政府自民党の意向を無視する総裁ではないから、今回(1月)の見送りにはおそらく2月では利上げをするという暗黙の了解があったのではないか。だから2月にはきっと利上げすることになるだろう。

その後、10~12月のGDPの実質伸び率が年率換算で4.8%の伸びとの発表はあったものの、消費動向などが弱いことから、金融機関などの大方の意見は2月の利上げはないだろうとの話だった。しかし、金融政策決定会合が近付いても政府自民党は1月の時のようには騒がなかった。やはり利上げはしそうだと注目していたところ、午後出先から会社に戻る途中のラジオで、利上げ発表のニュースを聞いた。

今回の利上げに付いてはニュースでは次のように解説していた。1月の利上げ検討時に政府自民党は日銀への介入と取られかねないような談話を出し、国の内外から批判を受けた。だから今回は動けなかったのだろう。日銀も本来独立機関であるべきところ、1月は圧力に屈したとの思いもあって、今回の利上げには並々ならぬものがあったから、そんな流れになったのだろう。

利上げ発表後、円相場は一時円高に振れたが、間もなく一転円安になり、現在は121円台の円安に戻ってしまった。また株も利上げは2、3日前から折込済みで、大きな反応はなかった。今回の利上げで、市場にはこれで6月の参議院議員選挙が終るまで利上げはないだろうとの観測が広まり、その安心感から相場は利上げに対して大きな反応しないで済んだようだ。
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手水鉢の照返しと日光写真

(陽射しが揺れる)

日曜日、「日向ぼこ書斎」で本を読みながら思った。この陽射し、何やら懐かしいと。

想いは五十年以上さかのぼる。故郷の家は町屋で間口は狭いが奥行があり、最も裏に小さな庭があった。庭の裏には3尺溝があって、その上に3尺溝を跨いで不法建築の物置小屋があった。その向うは、反対側の道路に表がある町屋の裏で、3尺溝を挟んで接していた。

その日の朝、風邪を引いて休んだのだろうか、小学校低学年の自分は家にいた。布団に寝ていなければならないはずが、庭に面した縁側に座って陽射しを浴びていた。庭に開いた小さな空から、燦々と日光が差しこんでいた。そばの手水鉢に反射した日光は、縁側の背後の土壁と板天井に照り返して、ゆらゆらと揺れていた。

庭に植わっていた植物を今思い出してみる。手洗いの水が落ちる手水鉢の下には、ユキノシタがいっぱい生えていた。その先にはオモトの株が幾つも見える。ナンテンもあるし、樹木はモチノキが2本、煤を吐くカイガラムシが付いて、葉が煤に汚れている。他にもまだあったはずだが、そんなものしか覚えていない。庭に岩が組まれて一番高い部分は燈籠のように組まれている。その岩にびっしりと苔がついていた。

その陽射しにかざして日光写真を焼いていた。キャラメルの箱大のガラス板の付いた箱に、湿式のコピーの用紙(青焼きコピー)のように、薬品が塗られた名刺大の紙の上に、黒く描かれたパラフィン紙の原画を載せ、ガラス板で押さえて直射日光に立てかけて曝す。どのくらいの時間曝したのか記憶が確かではないが、10~20分ぐらいだろうか。人気のプロ野球選手、相撲取り、漫画のキャラクター等の絵柄が黒い部分が白く、白い部分が黒褐色に写される。

「日向ぼこ書斎」は戸が開けられない。スギ花粉が侵入するからだ。カーテン越しの日光は揺れることはないが、頭を動かすと濃淡が映ろう。どこかに昔の日光写真を売ってないかなあ。
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当家の庭はもう春?

(庭に咲き始めたヒヤシンス)

今日は二十四節気の中の「雨水」だとお昼のニュースで言っていた。「雨水」は「立春」の次に位置する節気で、空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始めるころという節気である。この後には半月後に「啓蟄」すなわち冬ごもりの虫がはい出る節気が続く。暖冬の今年は鹿児島ではもうモンシロチョウが飛び始めたとも報道していた。夕方のニュースで静岡の小学校でハクモクレンが満開だとの放映もあった。

昨日の夜NHKアーカイブで、20年前の北海道で、マイナス30℃の低温を記録する町を取材した番組が再放送されていた。尋常でない寒さの中、夜明け前には、樹木の幹に含んだ水分が凍って、生木が縦に割れるけたたましい音が聞こえてくる。ダイヤモンドダストが流れる中でも、人々は凍りついた車を動かし仕事に出る。牧場の牝牛はそんな中でも仔牛を出産する。そんな番組であった。

温暖化の危機が報道され、この冬はそれが現実になった。今や北海道にそんな寒さは来ない。札幌の雪祭りの雪像が造る端から解けていく様子を今年も見た。

人類はこの危機にどのように対処するのだろうか。そのままいけば、地球規模の大きな力が働いて、この温暖化を一気にひっくり返すことになるかもしれない。人類はそんな中で大きな痛手を被ることになろう。21世紀、人類の知恵が試される正念場が来ていると思う。

昨日の午後、雨が止んで気持の良い快晴になった。庭に出ると、露をいっぱい含んだ花々がいっせいに開き、すっかり春の景色となった。庭で見た花の名前を気付くままに書き出してみようか。ヒヤシンス、サクラソウ、デージー、パンジー、クロッカス、ユリオプス・デージー、ジンチョウゲ、ペチュニア、プリムラ・ジュリアン、キンギョソウ、小花のシクラメン(屋外でも育てやすいそうだ)、バラ、ツバキ等々。チューリップやシモクレンはさすがにまだ花が咲くところまではいかない。
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