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「美耶巨萬有提」の解読 33


「美耶巨萬有提」の20P

ようやく、ワクチン3回目の接種券が今日郵送された。高齢者は2回目から6ヶ月後より、とあり、早速ネットで主治医のS医院へ、2月25日に、夫婦して予約が取れた。2回の接種と同じ、ファイザー製で取れた。まずは一安心である。2月の講座などが終ったころで、これも望み通りである。オミクロンの蔓延状況を見ているが、どうやら爆発的な流行は防げそうな気がしてきた。「まんぼう」の効果であればよい。

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「美耶巨萬有提」の続き、19Pの9行目より。

行雄ハ、廿八日こゝ尓来りて、共に故郷尓可へらんとせし尓、
おのれ可事乃はてん(果てん)もま多し登て、三日の朝立出ぬ。
尚寛盤、十九日尓先立て、故郷尓可へれりと所(とぞ)。おのれ
可こ登も、行雄立出しあと尓て、や可てとゝの(調)へ多り
け連ハ、おなし三日乃未(ひつじ)すくる(過ぐる)頃、都を多つ。志れる
人と別(わかれ)をしミ(惜しみ)て、あるは三條の橋、あるは逢坂
まてとてをくり(送り)ぬ。
  い可(如何)にせん 逢坂山ハ ふる郷尓
    可へる道さへ す起(過ぎ)う可り(浮かり)け李
なこり(名残り)徒起
せ須、立別(たちわかれ)て、酉(とり)すくる(過ぐる)ころ、大津尓い多り、又、飯の浦
まてとて、戌(いぬ)すくる頃、こゝより舟尓乃りて
出須(いづ)。唐崎わ多りよ里、雨ふりとて、(とま)の志津く(しずく)
志はし(暫し)ゆめをむすふ。以つ(何時)のまに夜ハあけ(明け)尓け無(む)
ひま(隙)志らめりと、苫をあくれハ空盤晴て、日多可く(高く)
能本(昇)れ里。
浮かる(うかる)➜ 心が落ちつかない。動揺する。
苫(とま)➜ 菅や茅などを粗く編んだむしろ。和船や家屋を覆って雨露をしのぐのに用いる。
隙(隙)➜ 苫を掛けただけの屋根の透き間から、外が白んだ気配が知れるのであろう。

【 読み下した文】

行雄は廿八日、こゝに来りて、共に故郷に帰らんとせしに、
おのれが事の果てんもまだしとて、三日の朝、立ち出でぬ。
尚寛は、十九日に先立ちて、故郷に帰れりとぞ。おのれ
がことも、行雄立ち出でしあとにて、やがて調えたり
ければ、同じ三日の未(ひつじ)過ぐる頃、都を立つ。知れる
人と別れ惜しみて、あるは三條の橋、あるは逢坂
までとて送りぬ。
  如何(いか)にせん 逢坂山は ふる郷に
    帰る道さえ 過ぎ浮かりけり
名残り尽きせず立ち別れて、酉(とり)過ぐる頃、大津に至り、又、飯の浦
までとて、戌(いぬ)過ぐる頃、こゝより舟に乗りて
出ず。唐崎わたりより、雨降りとて、苫(とま)の雫(しずく)に
暫し夢を結ぶ。何時(いつ)の間に夜は明けにけむ。
隙(ひま)白(しら)めりと、苫を揚ぐれば空は晴れて、日高く
昇れり。

(20Pの2行目途中まで、以下続く)

読書:「夢芝居 知らぬが半兵衛手控帖 20」 藤井邦夫 著

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「美耶巨萬有提」の解読 32


「美耶巨萬有提」の19P

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「美耶巨萬有提」の続き、18Pの16行目途中より。

明而(あけて)廿七日より、ゆ可りあるか多尓おと津れて、廿九日
は千種殿尓まゐ能本連(参上れ)り。かはらけ(土器)な登多まはり
て、おんもの可多り(御物語り)ともねもころ(懇ろ)也。おのれ尓道の
(しるし)やある旅乃哥ハ、な登(など)ゝ者せ(問わせ)多まふに、紀の
國よ李難波万てのをたてまつる。めて多し(愛でたし)とて、
御前尓とゝめ(留め)られぬ。御哥をはしめ、く佐/\(種々)飛起(引き)
もの
多まはりて、日くるゝ(暮るゝ)頃、以とま(暇)ゝう志(申し)ま可て(罷で)ぬ。
※ 土器(かわらけ)➜ 酒宴。酒盛り。
※ 懇ろ(ねもころ)➜ 心がこもっているさま。親身であるさま。
※ 愛でたし(めでたし)➜ すばらしい。見事だ。りっぱだ。
※ 種々(くさぐさ)➜ 種類や品数の多いこと。さまざま。いろいろ。
※ 引きもの(ひきもの)➜ 引き出物。また特に、膳に添えて出す菓子・料理などの土産物。
※ 罷づ(まかづ)➜ 去る。退出する。

晦日故郷に可へら無とせし尓、さり可多起(去り難き)事乃いて
きてやミぬ。此ころ四条王多りハ祗(祇)園祭乃解てふ(開帳)
もの大路尓立ならへ多る。起ら飛ら可(きらびやか)那り。川原乃
すゝミ(涼み)も以とゝ尓起はひ(賑わい)多り。一夜(ひとよ)ふ多よ(二夜)、おのれも物
せ里。飛る(昼)の暑さも志はし王須(忘)れぬ。
  ふるさとは な保わすれねと 旅衣
    たゝまくをしき(立たまく惜しき) かもの川風
※ 開帳もの(かいちょうもの)➜ 開帳を当て込んで興行した見世物。からくり仕掛け・細工物など。
※ 立たまく惜しき(たたまくおしき)➜ 立つのが惜しい。

【 読み下した文】

明けて廿七日より、所縁(ゆかり)ある方に訪れて、廿九日
は千種殿に参上れ(まいのぼれ)り。土器(かわらけ)など賜わり
て、御物語りども懇ろ(ねもごろ)なり。おのれに、道の
(しるし)やある旅の歌は、など問わせ給うに、紀の
国より難波までのを奉る。愛でたしとて、
御前に留められぬ。御歌をはじめ、種々(くさぐさ)引き
もの賜わりて、日暮るゝ頃、暇(いとま)申して罷でぬ。

晦日(みそか)、故郷に帰らんとせしに、去り難き事の出で
来て止みぬ。この頃、四条わたりは、祇園祭の開帳
もの
、大路に立ち並べたる。きらびやかなり。川原の
涼みもいとど賑わいたり。一夜(ひとよ)二夜(ふたよ)、おのれも物
せり。昼の暑さもしばし忘れぬ。
  ふるさとは なお忘れねど 旅衣
    立たまく惜しき 賀茂の川風

(19Pの8行目まで、以下続く)

読書:「わるじい慈剣帖 7 どこいくの」 風野真知雄 著

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「美耶巨萬有提」の解読 31


寒さの中、早くも庭のコブシの花が膨らんだ。もっとも咲くのはまだ先だ。

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「美耶巨萬有提」の続き、18Pの7行目より。

廿六日、淀河を舟より都尓とて、今朝漕出ぬ。去れ
る人々、河のほとりまてをくりぬ。午のころより、戌
亥乃風吹て、舟盤帆を可け多り。まされる水
さ可のほる(遡る)おと、心地よし。淀の王多りハ、水な
多ゝえ(湛え)て、真こも(真菰)等の志けり多るは、可るひま(刈る暇)
へや、な可りけ無と志られぬ。申乃ころ、伏見尓つく。

者る可に(遥かに)なる神(鳴神)乃音飛ゝきて、北山ハゆふ多ち(夕立)
すら無。雲のふるまひなれハ、竹田乃わ多り、そよ

いそ起(急ぎ)て雨すくるころ、都乃旅舎尓つきぬ。
※ 真菰(まこも)➜ 水辺の湿地に群落をつくり植生する大形の多年生の沼沢植物。イネ科に属し、ヨシも同じ仲間。
※ 鳴神(なるかみ)➜ かみなり。

【 読み下した文】

廿六日、淀河を舟より都にとて、今朝漕ぎ出でぬ。去れ
る人々、河のほとりまで送りぬ。午(うま)の頃より、
(いぬい)の風吹きて、舟は帆を掛けたり。増される水
に遡る音、心地よし。淀のわたりは、水な
お湛(たた)えて、真菰(まこも)等の茂りたるは、刈る暇さ
えや、なかりけんと知られぬ。申(さる)の頃、伏見につく。
遥かに鳴神の音響きて、北山は夕立
すらむ。雲の振る舞いなれば、竹田のわたり、そよ
と急ぎて、雨過ぐる頃、都の旅舎に着きぬ。

(18Pの16行目途中まで、以下続く)

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「美耶巨萬有提」の解読 30


「美耶巨萬有提」の18P

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「美耶巨萬有提」の続き、17Pの12行目途中より。

志はし可ほと、物せんとおもへし
都多尓(だに)かくは可り(ばかり)なるに、まして
ふる里を おもへハいそく 都さへ
心のほ可(外)の 五月(雨)(さみだれ)乃空
こ乃若山より舟出して、難波尓至里しまてのハ、
古登(異)尓志るして、後尓千種殿に奉りぬ。行雄ハ
紀の國より廿二日難波尓来りて、明日廿三日、須

磨、明石王多り物せんとて、立出ぬ。織田某も
王可(わか)山より与へ(よべ)可へ連りとて、廿四日の朝、おとつれぬ。
※ よべ(昨夜)➜ 昨夜(さくや)。ゆうべ。

廿五日、空盤なほ、はれミくもりみけ志き(気色)佐多(定)
ら須。淀河の舟は今朝よりかよ(え)里と聞えぬれと、
水猶多可(高)け連ハあやふ可りけん登てやミぬ。織田
某を(訪)ひし尓、月尓桔梗と尾白(おじろ)とを物せし

短冊と(取)うて(出)ゝ、哥乞けるに、
  乃起ち可ふ(軒近う) や登(宿)尓みるつき よしも可那
    尾白やまねけ(招け) 武蔵野の月
とものせぬ。

※ 晴れみ曇りみ(はれみくもりみ)➜ 晴れたり曇ったり。
※ 気色(けしき)➜(自然の)ようす。模様。
※ 尾白(おじろ)➜ オジロビタキ。スズメよりも小さなヒタキ科の鳥。
※ 由もがな(よしもがな)➜ 方法があればいいのになあ。

【 読み下した文】

暫しがほど、物せんと思えし
都だに、かくばかりなるに、まして
  ふる里を 思えば急ぐ 都さえ
    心の外の 
五月雨(さみだれ)
この若山より舟出(ふなで)して、難波に至りしまでの(事)は、

(こと)に記して、後に千種(ちぐさ)殿に奉りぬ。行雄は
紀の国より、廿二日、難波に来りて、明日廿三日、須
磨、明石わたり、物せんとて、立ち出でぬ。織田某も
若山より昨夜(よべ)帰れりとて、廿四日の朝、訪れぬ。

廿五日、空はなほ、晴れみ曇りみ気色定ま
らず。淀河の舟は今朝より通い(かよえ)りと聞こえぬれど、
水猶(なお)高ければ、危うかりけんとて止みぬ。織田

某を訪いしに、月に、桔梗と尾白(おじろ)とを物せし、
短冊取(と)う出(で)ゝ、歌乞いけるに、
  軒近う 宿に見る月 由(よし)もがな
    尾白や招け 武蔵野の月

と物せぬ。

(18Pの6行目まで、以下続く)

読書:「きりきり舞いのさようなら」 諸田玲子 著

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「美耶巨萬有提」の解読 29


掛川市立図書館のクロガネモチ、1月20日撮影

夜、ガソリンスタンドのHさんのお通夜に行く。年齢は75歳、自分と同い年である。しばらく前に入院しているとは聞いていたが、また、淋しくなる。

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「美耶巨萬有提」の続き、17Pの2行目途中より。

堺乃沖あひ(合)すくる。俄乃五月雨(さみだれ)
出て、(とま)(揚)くる飛ま(隙)も奈し。
  住吉の 岸も可く連ぬ 舟(果)てん
    難波や以つこ(何処) 五月乃空を
※ 苫(とま)➜菅や茅などを粗く編んだむしろ。和船や家屋を覆って雨露をしのぐのに用いる。
※ 果てる(はてる)➜ 最後の所まで行き着く。

やミなくふ里志きり、かろう志て十九日乃夕さり津可多
難波尓舟はてぬ。明日廿日より廿四日まてを、やミ
なく降徒ゝき(続き)て、旅のやと里乃徒れ/\なるいは
無可多なし
  旅衣(たびごろも) 志保多れ尓け李 五月雨ハ
    難波のあまの うミわ多るま傳
※ 夕さりつ方(ゆうさりつかた)➜ 夕方のころ。
※ つれづれなり(徒然なり) ➜ することもなく手持ちぶさただ。所在ない。
※ 言わん方無し(いわんかたなし)➜何とも言いようがない。 たとえようもない。
※ しおたれる(潮垂れる)➜ 衣服などが水にぬれて、しずくが垂れる。

はやく、淀河乃舟
佐ら也(さらなり)。陸地も水あふれて、都尓もかよひ可多しと
人々いふ尓、
  五月雨に ふねも可よは須 都こ所(そ)
    名尓おふ淀乃 こひし可りけれ
※ さらなり ➜ 言うまでもない。もちろんだ。
※ 名に負う(なにおう)➜ 世間一般にその名とともに評判される。有名である。

【 読み下した文】

堺の沖合過ぐる。俄(にわか)の五月雨(さみだれ)降り
出して、(とま)を揚ぐる隙(ひま)もなし。
  住吉の 岸も隠れぬ 舟果てん
    難波や何処(いずこ) 五月の空を
止みなく降りしきり、辛うじて十九日の夕さりつ方
難波に舟果てぬ。明日廿日より廿四日までを、止み
なく降り続きて、旅の宿りの徒然なるいは
ん方無し

  旅衣 しおたれにけり 五月雨は
    難波の
海士(あま)の 海渡るまで
はやく、淀河の舟
さらなり。陸地も水溢れて、都にも通い難しと
人々言うに、
  五月雨に 舟も通わず 都こそ
    名に負う淀の 恋しかりけれ

(17Pの12行目途中まで、以下続く)

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再びの巨木巡礼 101 馬ヶ谷宇刈神社のシイ


袋井市宇刈馬ヶ谷、宇刈神社、スダジイは左に見える


「再びの巨木巡礼」リスト

1月22日の「再びの巨木巡礼」5本目の巨木は、袋井市馬ヶ谷の宇刈神社のスダジイである。山名神社を出て、県道58号袋井春野線を少し北へ進み、すぐに右折して宇刈の集落を進む。2キロほど進んだ馬が谷で左折、山の麓の小高い所に、馬ヶ谷の宇刈神社がある。(それより500メートルほど東に、同じ宇刈神社があるので間違えないようにすること。)

馬ヶ谷宇刈神社のスダジイ

本殿に向かう石段を登った、すぐ左に、御神木のスダジイがある。「静岡県の巨木」には、宇刈神社のスダジイとして、

  1 幹周囲4.1メートル、樹高14メートル
  2 幹周囲3.3メートル、樹高14メートル
  3 幹周囲3.1メートル、樹高13メートル

の三本のスダジイが記されている。御神木のスダジイが最も太い4.1メートルのものであろう。


境内の左手、ネットフェンスの外側に、何本かシイノキの巨木が見えた。一番手前のシイが2番目のもので、さらに2本シイの巨木が並んでいる。

帰りに、下から見上げると、ごつごつしたシイが3本並んでいるのが見える。

1月22日の巡礼はここまでとして、帰路に付いた。

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「話題の古文書」として、「うつろ舟の瓦版」を半日かけて解読した。画像と解読に少し手の混んだことをしたので、思いの外、手間がかかった。これで7月までは種が埋まった。

読書:「故郷がえり 研ぎ師人情始末15」 稲葉稔 著

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再びの巨木巡礼 100 上山梨山名神社のクス


袋井市上山梨、山名神社、鳥居右奥に山名神社のクスが見える


「再びの巨木巡礼」リスト

1月22日の「再びの巨木巡礼」4本目の巨木は、山名神社のクスである。袋井から県道58号袋井春野線を北上、上山梨の道路左手、人家に囲まれて山名神社はある。


山名神社のクス、三本の幹を束ねたように見える

昭和60年5月建立の根元の石碑によれば、幹周囲4.52メートル、樹高30メートル、樹齢300年となっているが、「静岡県の巨木」のデーターでは、幹周囲6.50メートル、樹高23メートルで、測定がほぼ同じころと思われるので、別の木のように思われる。ただ、境内を隅々まで探したが、これ以上のクスノキは見つからなかった。

今日で「再びの巨木巡礼」100本目の巨木になった。ほぼ半年でここまで来たが、このペースで、静岡県の巡礼を終えるにはあと一年、あるいは2年かかるだろうか。

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2月、駿河古文書会での当番、2回分の発表準備がようやく終わった。

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再びの巨木巡礼 99 西島須賀神社のクス


磐田市西島、須賀神社のクス、神社本殿の真裏にある

1月22日の「再びの巨木巡礼」3本目の巨木は須賀神社のクスノキである。木原の許弥神社から西へ、旧国道1号線(県道413号)に合流するとすぐに磐田市に入る。太田川を渡る手前、300メートルほどを左へ折れて、人家に囲まれて、西島須賀神社がある。クスは神社本殿の真裏にある。このクスは今まで何度か見ている。


「再びの巨木巡礼」リスト


平成8年10月6日「巨木巡礼」時の須賀神社のクス

「巨木巡礼」では次のように記している。

磐田から三ヶ野坂を越えて旧東海道をたどる。袋井市街の手前、街道から 100mほど外れたところに須賀神社がある。須賀神社のクスは社殿の背後にあった。樹齢のわりに幹が太くて瘤でごつごつしている。

 
平成14年2月11日、「旧東海道夫婦旅」時の須賀神社のクス

「旧東海道夫婦旅」では次のように記している。

数分西進した西島の集落で、看板に導かれて左の横町に入った所に須賀神社がある。神社には境内を覆うほどのクスノキの巨木があった。数年前に最初に見てから一度神社が火災を受けたとニュースで聞いた覚えがあるが、ほとんど被害を感じさせない勢いがあった。真ん中の巨枝がもぎれたように折れ、中の洞を見せている辺りがその時の被害であろうか。


西島須賀神社のクス(静岡県の巨木153/№119)

クスノキは昔と変わらずに、太い枝を本殿上空まで伸ばしていた。かつては窮屈そうに感じたが、今はその地へすっかりなじんだように見える。クスノキは変わらないのだから、自分の心境により、そんな風に感じるのだろう。

平成30年1月の案内板によれば、幹周囲10.6メートル、高さ15メートル、推定樹齢500年、平成17年11月に、磐田市天然記念物に指定されている。30年余以前の「静岡県の巨木」のデーターでは幹周囲9.5メートル、樹高9メートルとなっている。

読書:「付け火 秋山久蔵御用控 16」 藤井邦夫 著

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再びの巨木巡礼 98 許弥神社のクスノキ


袋井市木原、許弥(こね)神社、クスノキは写真左端に見える

昨日の「再びの巨木巡礼」2本目の巨木は許弥(こね)神社のクスノキである。旧国道1号線(県道413号)、磐田袋井線を西進し、木原の手前で右手の旧東海道に斜めに入り、300メートルほど進んだ右手に木原の許弥(こね)神社がある。かつては木原権現社と呼ばれた。戦国時代には、木原畷(きはらなわて)の戦いと呼ばれる、徳川と武田の戦いの古戦場にもなっている。おそらく、このクスノキは、目が有ったならば、その有様も見ていたに違いない。


許弥神社のクスノキ

このクスノキは幹の下部が瘤が出来たように、大きく膨らんでいるのが特徴的であった。

「旧東海道夫婦旅」の時の許弥神社のクスノキ

平成14年2月11日、「旧東海道夫婦旅」で撮影したものと、今を比べると、当時は幹回りが太くしっかりしている。


こちら側の瘤は堅いけれども、


反対側の瘤はボロボロである。

かつて膨らんでいた瘤の片側がボロボロと崩れていて、以前に見た時よりも幹回りが細くなったように見える。触ってみたら、触った所がぼろっと落ちた。

「静岡県の巨木」では幹回り6.5メートル、樹高15メートルとなっているが、1メートル位細くなっているかもしれない。このまま置くと、瘤の部分が取れて、あとどうなってしまうのだろう。心配である。

そういえば注連縄もしてなかったし、御神木の立札も無くなっていた。氏子さんたちからも見放されたわけではないだろうなぁ。

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夜、班長会。区長の仕事も、いよいよゴールが見えてきた。

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再びの巨木巡礼 97 七ッ森久努神社のシイノキ


袋井市国本 七ッ森久努神社

1月22日、久し振りの「再びの巨木巡礼」である。この年末年始は繰り返し寒波が襲来して寒い日が続いた。また、正月でやや気が緩んだ分、講座の準備やら何やら気忙しくて、なかなか「再びの巨木巡礼」に出掛ける気にならなかった。今日は風が止み、好天に恵まれて、出掛ける気になり、女房と袋井方面に出掛けた。

第21回目の「再びの巨木巡礼」である。最初に訪れたのは袋井市国本、七ッ森久努神社である。国道1号線を西に進み、掛川バイパスから袋井バイパスに繋がる辺りの右手に、七ッ森久努神社の杜が見える。七ッ森久努神社には旧東海道の松並木のある道から入る。細長い敷地の最奥、国1に近い所に社殿があり、その右側にある御神木のスダジイが、目的の巨木である。


袋井市の名木古木指定されている


周囲にシイの実がたくさん落ちていた
今では拾う人も居ないのであろう

「静岡県の巨木」のデーターでは、幹回り6.7メートル、樹高15メートルとあるが、20年後の平成21年名木古木の再調査の際に測り直した所、幹回り4.98メートル、樹高13メートルになっている。古い木だから幹の一部が損なわれて細く計測されたのであろう。

読書:「余計者 秋山久蔵御用控 15」 藤井邦夫 著

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