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「駿河安蘇備 上」を読む 7

庭の松の木の下、緑が残っていたマンリョウの実が
知らないうちに、真っ赤に色づいていた

午前中、アクアの点検に藤枝に行く。

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「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

一 玉桂山華陽院府中寺 同 寺領三十石、浄土宗。
天文の昔、御幼若の御時、寺にて御筆道を住持知短に
※ 筆道(ひつどう)➜ 文字を書き習う法。書道。
学ばせられしと云う。
武徳編年集成 寂寥(せきりょう)の余り、平岩七右衛門へ命じ、蜜柑、柿を
植させらる処、柿大いに繁茂し、後、府においてこれを七右衛門
柿という、云々。いまなお栄えり。
華陽院殿玉桂慈仙大禅定尼 永禄三年申五月六日 御宝塔あり。

一 田町 同 車留旧地 古老伝云う。 慶長年間、御放鷹(ほうよう)の時、
この所の民家に入らせ給うに、老姥(ろうば)ありて、親しく御物語申し上げけるに、
何にても望み事はあらずやと、命ありし時、今は世に望みなし。願わくば、
朝夕に牛車(うしぐるま)率き通りてかしましくと申しければ、今より後はここ
通すまじき由、御沙汰ありて、今の世までもここを牛車
率き通らず。この姥(うば)が子孫、弥兵衛という、この町の長なり。
(つづく)

読書:「阿片 交代寄合伊那衆異聞 5」 佐伯泰英 著
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「駿河安蘇備 上」を読む 6

駿河の絵地図(「駿河安蘇備」より)

「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。「府中」の続き。

その後、永禄、天正の兵火にて、昔の家居残りなく失いて、天正より
以前のここに住しというものある事なし。慶長の初めより、民家
そこここに建ちそめたるを、同十四年の頃より、今の町を割らしめ
賜いしというなり。町割のなれるは、友野宗善が力なり。宗善は
代々府の町人頭にて、町年寄友野與左衛門というものゝ祖なり。
いまなお、その家存せり。

一 傳馬町 府内 東海道旅行の人馬荷物、貫目(かんめ)改めを命ぜらるゝは、
品川驛、大津驛、當驛、三ヶ所なり。
※ 貫目改め(かんめあらため)➜ 江戸幕府が、街道往来の荷物の重量を検査するためにおいた役所。東海道では品川・駿府・草津の三ヶ所。「大津」は間違いか。

一 横田町 同 風土記 横田 正税なし。郷学醫生の給料、驛馬の草
料、この郷を当てる、云々。和名鈔にも見えたり。
(つづく)

読書:「凶状持 新秋山久蔵御用控 12」 藤井邦夫 著
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「駿河安蘇備 上」を読む 5

「駿河安蘇備 上」始まりの部分
上欄外に「風流踊り」の記事がある

午後、北側隣地境の立ち合いがあった。北側アパートを半分取り壊してずいぶん経つが、そこに家が建つのだろうか。

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「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

【上欄外の記事】
駿府政事録
慶長十八年癸丑正月四日、駿府町人等御礼、云々。
慶長二十年乙卯三月二十五日、今日より府中、伊勢躍(おど)りと号し、
諸人在々所々、風流(ふりゅう)致す。これ、伊勢より躍り出し、奥州辺、これを躍る、云々。
※ 風流(ふりゅう)➜ 華麗な仮装をし、囃し物を伴って群舞した、中世の民間芸能。
同晦日、伊勢躍り、頻(しき)りなり。大神宮飛ばし給う由、祢宜(ねぎ)と号す者、唐人
(たの)み、花火飛ばす、云々。伊勢踊り、これを制し給う、云々。

府を当郡に置かれしこと、何れの御代ということを知らず。なお、古えは
庵原郡にして風土記に古国府と見えたり。今に河内という所、
その旧跡なるべし。庵原国造(くにのみやつこ)、代々ここに住みて、国の政を取りし
からに、国守の府をここに定められしならむ。今は府内有度郡、
安倍郡にまたがりて、町員(まちかず)九十六街なり。町は往昔、安倍市の旧跡 ならむ。中古も町並みありしにや。永禄九年、今川家の老臣、飯尾豊前守、
※ 中古(ちゅうこ)➜ その時代からある程度隔たった昔。中世。
野心の沙汰ありて、誅せしことあり。その時に小路(こうじ)、軍(いくさ)ありしと見えたり。
※ 小路(こうじ)➜ 幅の狭い道。町なかの狭い通り。
(つづく)
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「駿河安蘇備 上」を読む 4


散歩道のサザンカの花
まだつぼみがいっぱい付いている

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「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

  駿河安蘇備 巻之上
    有度郡
一 府中 総国風土記 府に正税無し。 假粟六百搔(匙?)。掃料百丸。
固開料百六十丸。府に川辺郷四あり。楠杉松等、府務処分に待す。阿部の
役夫、これに当たる所なり、云々。
※ 正税(しょうぜい)➜ 日本古代,国郡などの正倉(しょうそう)に蓄積された租。大税とも。
※ 丸(まろ)➜ 銭(ぜに)のこと。
※ 園(えん)➜ 日本の古代・中世における畠地の一種。本来、水稲以外のものを栽培する土地のこと。
※ 待す(たいす)➜ 待遇する。取り扱う。
※ 役夫(えきふ)➜ 古代、徭役に従事した人。「徭役」は、律令制下の公民に課せられた労役。
民部省図帳 阿兵市、或いは阿弁。公穀なし。市間、一軒五升の精米。
月別、東西四里、南北五里六十歩、云々。
※ 公穀(こうこく)➜ 正税のこと?
和名類聚鈔 国府、安部郡に在り、云々。
(つづく)

読書:「まだら雪 照れ降れ長屋風聞帖 18」 坂岡真 著
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「駿河安蘇備 上」を読む 3

散歩道のナンテンの実
庭にもナンテンの実は生るが早いうちに鳥に食べらてしまう

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「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

     春の初めに詠める
 ここにだに 見むと思いし 不二の峰(ね)に     源 可安  
   向かえる今朝の 春ぞ楽しき
 思いきや 宮居を土地と うち寄する
   駿河の国に 六年(むとせ)経むとは
※ 宮居(みやい)➜ 神が鎮座する場所。神社。
※ うち寄する ➜「駿河」にかかる枕詞。
     睦月十四日に春立ちければ
※ 春立つ(はるたつ)➜ 春になる、立春を迎える。
 春ながら まだ春馴れぬ うぐいすは
   都に知らぬ 初音(はつね)ならまし
(つづく)
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「駿河安蘇備 上」を読む 2

散歩道にミカンのピンクと白の袋掛け

午後、駿河古文書会で静岡へ行く。

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「駿河安蘇備」の上巻の解読を続ける。

「駿河国志」は(東武、榊原長俊、天明中の、写本)、
※ 東武(とうぶ)➜ 江戸の異称。
※ 輯(しゅう)➜ 集める。「集」が書きかえ字。
こは穿鑿(せんさく)あらましにして、洩れたること多し。
「東海道名所圖會」(平安、秋里籬嶋、寛政中の撰集板本なり)は、
※ 平安(へいあん)➜ 京都の別称。
※ 板本(ばんほん)➜ 版木を彫って、それで印刷した書物。版本。
往還の事跡をも専らとすれば、海道に隔たりたるは届かず。
されば風土記をもととし、「新風土記料」の細かにして、大部なるを
※ 大部(たいぶ)➜ 大冊。
略し、国志の足らざるを名所図会に補い、名所図会の洩れ
たるを国志に加え、また「甲斐日記」(東都、清水濱臣、文政の紀行写本)、
諸々の文、花井材年(駿府医師)の書き留めを見合わせ、萬葉集を初め、
代々の集の歌、紀行、物語を乗せ、寺説、俚言(りげん)を捨てず。たゞ見安
※ 俚言(りげん)➜ 俗間に用いられる言葉。俗言。俚語。
からんことを、もととするは、同好の遊士、この国の旧跡捜(さぐ)んとする
※ 遊士(まんび)➜ 風流人。
頼りにもするべくと、則(すなわち)、「駿河安蘇備」と名付け、書き
留め畢(おわん)ぬるは、嘉永四の年、秋ばかりのことになん。
                   東都 永田南渓可安識(しるす)
(つづく)

読書:「曰窓 照れ降れ長屋風聞帖 17」 坂岡真 著
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「駿河安蘇備 上」を読む 1

庭のセンリョウ
枯れたと思っていた庭のセンリョウ、これだけ残っていた

昨夜のドイツ戦、見ただろうか。遅くまで見ていてブログを休んだ。

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今日より、「駿河安蘇備」の上巻を読む。

    駿河安蘇備 上      永田南渓
  故由を記す
※ 故由(ゆえよし)➜ いわれ。理由。来歴。
元より、あしびきの山水を愛する癖あれば、うち寄する
駿河の国に、旅寝の折りから、そこはかとなく、いそのかみ古き名所を尋ね、拙き筆もて、翠山清泉を写し、
※ あしびきの(足曳の)➜「山」および「山」を含む語「山田」「山鳥」などにかかる枕詞。
※ うち寄する ➜ 末尾の「する」の音から「駿河」にかかる枕詞。
※ いそのかみ(石上)➜「古る」などにかかる枕詞。
その所の伝など求め見れど、いとたど/\けるより思い
※ たどたど ➜ 頼りないさま。
起して、「駿河風土記」(日本総国風土記、五十三巻より五十八まで、
駿河国七郡なり。延長頃の古書という)を読み、また近き
※ 延長(えんちょう) ➜ 平安時代の九二三年から九三一年までの年号。
頃著す、種々(くさぐさ)の書どもを見るに、「駿河国新風土
記料」(同国府中の商家、新庄道雄、文政中の編集にて写本)は
名所旧蹟、ことごとく挙げ、古書を広く引きて、
実に考え尽したりというべく、惜しむらくは、満尾(まんび)に到らず。
※ 満尾(まんび)➜ 物語などが完結すること。
全く成れるは、有度、安倍、益津の三郡にて、庵原郡は未だ
※ 全く(まったく)➜ 完全にその状態になっているさま。すっかり。
半ばなり。富士郡は不二の記のみにして、その余、志田、駿東二郡は
更に届かず。
(「故よしを記す」の項、つづく)
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「魯敏遜漂行記略」を読む 29

皇帝ダリアには青空がよく似合う
散歩道で

「魯敏遜漂行記略」の解読の最終回である。

然れども、その文体及び脚色、甚だ古色(ふるび)たりければ、ウェーセルと云う人、
この書を省略、刪正して、デスサウ(独逸国地名)の教書中に加えんとせり。
※ 刪正(さんせい)➜ 文章などをけずったり訂正したりすること。
※ 教書(きょうしょ)➜ 教科書。
カムペという人も、同時に同じ企てありけり。さてウェーセルはレイ
プシフ(独逸国地名)にて、カムペはハムビュルグ(同上地名)にて、殊に童
蒙のために、人間世業の教戒多く、動植諸般の記載、地理航海の
学術などに至るまで、ウェーセルが書に超越(うちこえ)て、先登(せんとう)をなすに
※ 先登(せんとう)➜ さきがけ。先陣。
至れり(已上、紐氏韻府)といえり。かくて和蘭(オランダ)にてもこれを翻刻して、広略
※ 広略(こうりゃく)➜ 内容を詳細に述べることと簡略に述べること。
本、世に行われけるなり。その広本というべきは、先に或人の訳述あ
※ 広本(こうほん)➜ 同一作品の伝本内で、他のものより内容の多いものをいう。
りて、人のよく知る所なり。今こゝに翻(ほん)せるは、最も省略してその
大体を挙げ、児童の嬉戯に供えしものなれば、かの漂到せし
※ 嬉戯(きぎ)➜ 子どもなどがうれしそうに遊びたわむれること。
割来弁(カライビセ)島の名をだに言わず。その文も平坦にして、事実足らざる
所あり。今その章を逐(お)い、句を踏みて、片言隻語も私に省かず、
※ 片言隻語(へんげんせきご)➜ わずかなことば。ちょっとした短いことば。 
加えず。務めて原書に由循して、これを翻せんとすれば、我が文辞
※ 文辞(ぶんじ)➜ 文章の言葉。また、文章。 
に於いては、大いに語勢を失い、行文渋滞し、章句円滑ならず。
一種、名付くベからざるの体を為すに至る。覧者幸いに、その拙陋(つたなき)
を嗤(わら)わず、一時の睡魔(ねむり)(か)たまえとなん。
※ 駆る(かる)➜ 追い払う 。
                       横山由清識
(終わり)
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「魯敏遜漂行記略」を読む 28


「魯敏遜漂行記略」 横山保三訳 その18

午後、きれいに晴れて、午後女房と散歩した。昼下がりの日差しは強く。背中が熱いほどであった。

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「魯敏遜漂行記略」の解読を続ける。

セルキルク、己が患難を経たりし事を書き記し、当時(そのころ)有名の著述家ダニーフー(人名)と
云う人に託(たのみ)て、これを熟閲(けみ)鏤行(ろうこう)せんことを乞いけり。ダニール、
※ 鏤行(ろうこう)➜ 言葉を修飾して出版すること。
この書を得て、これをロマンの資(たす)けに取りて翻按し、土地を阿里那格(オレノコ)(南米利堅の川名)の
海口(くち)なる割来弁(カライビセ)島とし、この難民を魯敏遜と名づけ、
暴風覆船に依りて、その地に漂到せしめ、その留在(とどま)れる年を延ばして二十八年とし、
その年紀(としつき)を千六百五十年時(ごろ)とせり。これよりして、
魯敏遜のロマン多く世に行われ、ロユッセアユという人、殊にこの書
を後生のために実用あるものとし、童蒙を訓(おし)え導きて、自ら励(はげ)み、
※ 童蒙(どうもう)➜ 幼くて道理がわからないこと。また、その者。 
自ら勤め、自ら警戒(いまし)めて、家務人事(いえのおきて、よのことわざ)を通知らせしめ、事物(もの)に接(つ)いて
苟且(かりそめ)ならず。適宜の生産を営み、神を敬い、人を親しみ、諸般の事業(わざ)
智巧を研磨し、上下相通ずる、生々の至大なる恩恵を知
るなど、総て童蒙を長育(ちょういく)する良則となすべきよし、称(とな)え奉り。
(つづく)

読書:「ドッグテールズ」 樋口明雄 著
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「魯敏遜漂行記略」を読む 27

「魯敏遜漂行記略」 横山保三訳 その17

昨日は、午前、午後と2講座を実施し、くたびれて、ブログを休んだ。

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 「魯敏遜漂行記略」の解読を続ける。

附載
魯敏遜の事蹟を考うるに、原(もと)その人あるにあらず。紐氏韻府(ニューウェンホイス)(書名)に
曰く、千七百二、三十年間(我が享保・元文年間)、魯敏遜の名を藉(か)りて、諸種(くさぐさ)のロマン(正史となく稗史となく、華飾を主として、人意に
(ちゅう)すべく鋪張せる一種の文体)を著わし、海陸非常の患難を説く。
※ 稗史(はいし)➜ 正史に対して、民間の歴史書。転じて、作り物語。小説。 
※ 華飾(はいし)➜ 華やかに飾ること。また、分を越えて飾ること。 
※ 鋪張(しきちょう)➜ 大げさにすること。
※ 患難(かんなん)➜ 身に降りかかってくる災難や心配ごとなど。 
その由(よっ)て起る始めを原(たずぬ)るに、思可齊亜(スコットランド)(国名)のサルグス(地名)という所に、
アレキサンデル・セルキルク(人名)という人ありけり。千六百八十年許りの
生まれなりしが、幼時(いとけなき)より、好みで海事に練達し、水主(かこ)の長となりて、
有名(なだかき)なる英吉利の舶長(船長)、ダムピール(人名)に伴われて、南海に旅行し
けるが、この舶長と諍隙(ものあらそい)ありて、千七百五年のことなりし、当時、居民(すむひと)
あらざりし、智利(しり)(南米利堅の国名)の後なる至唵歇而南垤(ユアンヘルナンデス)島に棄て置かれ
けり。その地に、四年四月が間(ほど)、無聊(たよりなく)惨然(こころぼそくて)、空しく止まり居りたりしが、千七百
九年、甲必丹オーデス、ロゲル(人名)、世界周流の機(おり)に会いて、再び船中に
救け乗せられ、二年を経て英吉利に帰ることを得けり。
(つづく)

読書:「残り香 新秋山久蔵御用控 11」 藤井邦夫 著
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