goo

駿台雑話壱 9 異説まち/\(一).

(大代川のカモ)

女房と息子は名古屋へ行き、今日はムサシとお留守番である。ムサシは借りて来た猫のように静かである。

室鳩巣著の「駿台雑話 壱」の解読を続ける。

  異説まち/\
ある日、翁が病を問うとて、人々来たりしを、翁も、徒然にこそ侍れ、今日はしばし、といえば、さらば侍坐(つこうまつ)らんとて、日を暮らし語りあいし程に、当代異説の事に及べり。
※ 徒然(つれづれ)- することがなくて退屈なこと。手持ちぶさた。
※ 侍坐(じざ)- 主人・客など上位の人に従ってそばに座ること。
※ 日を暮らし - 一日中。


座中一人、翁にむかいて、ただ今、西京、東都において、世に鳴って人を率る儒者の説を承り候に、或は我国の道とて、神道を雑(まじ)えて説くもあり〔山崎闇齋等の流〕、或は陽明が学とて、良知を主として説くもあり〔中江藤樹・熊澤蕃山の流〕、或は古えの学とて、新義を造りて説くもあり〔伊藤仁齋等の流〕紛々異同の説、まち/\なり。いづれを是とし、何れを非とせん。翁の心において、いかが思い給えるにや。
※ 西京、東都 - 京と江戸。
※ 鳴る(なる)- 名声などが、広く世間に知れわたる。
※ 紛々(ふんぷん)- 入り乱れてまとまりのないさま。
※ 異同(いどう)- 異なっているところ。相異。違い。


翁聞いて、当代門戸を立てゝ異説を唱うるもの、大様(おおよう)今申さるゝ三流と聞こえ侍る。これらの説を立てる人々、さこそ所見あるにて侍るべし。もし翁が古えに聞くところをもて言わば、いづれもさには侍らず。それ、道はそれに出(いで)一原なるものなり。その一原のところをさえ悟りぬれば、わが国の道とて、人の国にかわるべからず。
※ 門戸(もんこ)- 自分の流儀。自分の一派。
※ 一原(いちげん)-(「原」は「源」と通用)一つのみなもと。


良知の説とて窮理にはなるべからず。鄒魯の学とて濂洛に違(たが)うべからず。然るにこれを知るは聖賢の書にあり。聖賢の書は読み易からず。されば、を遜(へりくだり)て、詳しく読まずしては、その意を得る事なし。
※ 良知(りょうち)-(「孟子」の説から)人が生まれながらにもっている、是非・善悪を誤らない正しい知恵。
※ 窮理(きゅうり)- 朱子学における学問修養の中心課題の一。広く事物の道理をきわめ、正確な知識を獲得することで、そのために読書をすすめた。
※ 鄒魯の学(すうろのがく)-(孟子が鄒の人、孔子が魯の人であるところから)孔孟の学。儒学。
※ 濂洛(れんらく)- 濂洛関閩の学。周敦頤・程・程頤・張載・朱熹の唱えた宋学。周敦頤が濂渓(湖南)、程・程頤が洛陽(河南)、張載が関中(陝西)、朱熹が閩(福建)の人であったことからいう。
※ 聖賢(せいけん)- 聖人と賢人。また、知識・人格にすぐれた人物。
※ 志(こころざし)- 心に思い決めた目的や目標。

(この項続く)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

駿台雑話壱 8 釈源空が誓い(後)

(強風になびく、土手のカラシナ)

昨日と一転して晴天、季節風が吹き荒れ、ムサシの散歩の土手では立っておれないほどであった。

駿台雑話壱の解読を続ける。

  釈源空が誓い(続き)
この人の、命を喪う外に神罰なき事を定め得て、誓いしように、源空も土になるより外に地獄なき事を定め得てこそ、かくは誓いつらめ。

今、翁が誓いはそれと異なり、上は皇天をいたゞき、下は后土を履(ふ)みて、天地にかけて誓う。誓いもし誕ならば、天地の罰を蒙(こうぶ)るべし。
※ 皇天(こうてん)- 天をつかさどる神。上帝。天帝。
※ 后土(こうど)- 土地の神。また、土地。


されど我道のために誓うは、源空も同じ心なり。これにつけて思うに、釈氏の教えは、有を無にし、実を虚にするにあり。然るに無を有にせねば、有を無にしがたく、虚を実にせねば、実を虚にしがたし。されば、極楽、地獄の沙汰は、もと虚なる事と知れども、もとより真仮一如とみてこれを説く。往生の教えを立てゝ衆生を導けば、賢愚を分かず、思慮に渉(わ)たす。すべて念仏滅罪の中に帰して止みぬ。これ釈迦如来の密旨なり。
※ 真仮(しんけ)-(仏)絶対的・普遍的な真理と、一時的に特定の場に適合した形態で示される真理。真実と方便。
※ 一如(いちにょ)-(仏)宇宙に遍在する根源的実体である真如は、現れ方はいろいろであっても根本は一であるということ。
※ 往生(おうじょう)-(仏)現世を去って仏の浄土に生まれること。特に、極楽浄土に往(い)って生まれ変わること。
※ 念仏滅罪-念仏をとなえることにより、すべての罪が許されて、極楽往生できること。
※ 密旨(みっし)- 秘密の命令。内々の命令。


我が朝にても、諸宗の祖になる程の僧は、この旨を互いに心をとて心に伝えて、仮にも、浄土、地獄の沙汰を浮きたる事とはいわず。今、源空が誓いも相伝の旨なるべし。九条殿の生れるべき浄土もなく、源空が堕るべき地獄もなし。されば無をもて有とし、虚をもて実として、衆生に生死を出離さする法とするは、釈迦の本意に叶えり。それはいさゝか偽りなきことなり。もし吾が儒、至誠をもて人を教化する道をいわば、雲泥の沙汰なるべし。
※ 浮きたる事 - 根拠がなく、事実から離れていること。
※ 相伝(そうでん)ー ある物事を何代にもわたって受け継いで伝えること。
※ 生死を出離(しゅつり)-(仏)生死の苦がある現世を離れて、悟りの境地に入ること。
※ 雲泥の沙汰 - 天にある雲と地にある泥。はなはだしく懸け離れているたとえ。もちろん、儒を「雲」仏を「泥」と言いたいのであろう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

駿台雑話壱 7 釈源空が誓い(前)

(庭のサクラソウ)

一日雨。一雨ごとに春が近づいて来るように思える。但し、目下の不安は花粉症である。明日、天気が回復すれば、大量に舞うだろう。

駿台雑話壱の解読を続ける。

  釈源空が誓い
むかし源空上人、九條の月輪殿へつかわせし、一枚起請とて、今に新黒谷に残りてあり。その誓書を翁は見侍らぬとも、そのかみ、人に尋ねしに、念仏申して極楽に生まるという事、ならば、源空地獄に堕(お)つべしという事なんありけると悟りし。
※ 源空(げんくう)上人 - 法然の僧としての正式の名前。
※ 九條の月輪殿 - 九条兼実(くじょう かねざね)。平安時代末期から鎌倉時代初期の公卿。従一位・ 摂政・関白・太政大臣。五摂家の一つ、九条家の祖。法然上人に深く帰依。
※ 一枚起請(いちまいきしょう)- 法然が建暦2年(1212)臨終の際、門弟の源智の求めに応じて、浄土往生の要義を和文で1枚の紙に書き、遺戒としたもの。浄土宗で朝夕読誦する。
※ 新黒谷(しんくろたに)-法然上人が比叡山の黒谷(青龍寺)から下りて、京都市左京区、岡崎に修行道場(光明寺)を開いた。比叡山の黒谷に対して新黒谷と呼んだ。
※ 誕(たん)- 大げさなうそを言う。でたらめ。


かの宗門にては、さぞ慥なる事に思うべけれど、吾が儒よりいえば、この誓いほど、浮ける事はあらじ。いかにとなれば、もとより極楽という事なければ、又堕つべき地獄もなし。幾度誓いても、いと安かるべきわざなり。
※ 浮ける - 根拠がなく,事実から離れている。

前代いまだ殉死の制禁なかりし時、ある諸侯の家、殉死あまたありける。中に、ひとり輿論たしむ人にやありける。その家の老臣みずからその宅へ行きて、死を止めしに、中々許諾せざりしを、いろ/\と拵(こしら)えければ、その人やむ事を得ずして一諾しけり。さらば誓いてよと言えば、いと快く誓う。さては心安しとて帰りぬ。
※ 制禁(せいきん)- ある行為を禁止すること。禁制。
※ 輿論(よろん、世論)- 世間の大多数の人の意見。
※ たしむ(嗜む)- このむ。すく。たしなむ。
※ 拵える(こしらえる)- 手だてを設けて相手を誘う。
※ 一諾(いちだく)- 頼まれたことを承知して引き受けること。同意。


さてその翌日にか、殉死の面々、亡君の菩提所へ登り、相約して寺に聚(あつま)りしに、日ごろ旧(ふる)きを知り、名残を惜しみつゝ詣で来にけり。かの老臣も行きて上座しけるに、昨日誓いし人、いち早く来て、諸客に暇乞いしけるを、老臣怨みて、某(それがし)をこそ欺き給うとも、いかで誓いをば背き給うべき、口惜しきわざかな、といえば、その人笑うて、御上を欺き候事は御許し候え、昨日誓い申さず候えば、とかく御逃しなく候故、御疑いを散ずるためにこそ誓い候え。誓いを背きて神罰を得候とても、死ぬるより外の事はあるまじく候。されば死を極めたる身にて候えば、もとより誓いを背く覚悟にて誓い候といえば、老臣言葉なくして止みぬ。


(この項続く)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

駿台雑話壱 6 老学自叙 (三)

(庭のヒイラギナンテンの花)

駿台雑話壱の解読を続ける。

  老学自叙(続き)
諸賢かく思うて見給え。西山以下の諸賢、たとい汚下なりとも、好む所に阿(おも)ねるには至らじ。又その徳行材識、いずれも明季並びに今の儒者の下にあるべきにあらず。それに程朱、万分の一にも及ばぬ学識をもて、軽(かろ)くしく何くれと識議するは、を笑ひ蠡にて海を測るに似たり。韓愈がいわゆる、井に坐して天を観て、天を小なりというの類なり。然るに、軽薄無識の徒、その説の新奇なるを喜びて、雷同尾鳴する事、あげて数うべからず。
※ 諸賢(しょけん)- 多くの人々に対して敬意を込めて呼ぶ語。代名詞的にも用いる。
※ 西山以下の諸賢 - 真西山以下、いずれも、朱子の学問を継いだ儒学者。
※ 汚下- 低地。衰え下れる様。
※ 徳行(とくぎょう)- 道徳にかなった行為。正しいおこない。
※ 材識(ざいしき)- 才識。才知と識見。
※ 明季(みんき)- 明の時代。
※ 鷃(あん)- ふなしうずら。うずらの一種。
※ 鵬(ほう)- おおとり。想像上の大鳥。
※ 蠡(れい)にて海を測る - 小さいほら貝で大きな海の水を測る。小知をもって大事を測ることのたとえ。
※ 韓愈(かんゆ)- 中国、中唐の儒者・文人。
※ 雷同(らいどう)- 自分自身の考えがなく、すぐに他人の説に同調すること。「尾鳴」も同じ意。


国家百年以来、太平久しく、文化日に開く。師儒世に輩出しけり。その学の是非
は知らず。ただ程朱を堅く崇信して、ふるき模範を失わざりしをぞ、ひとつの幸せとせしに、近き頃、作る人ありて、始めて一家をたて、徒弟を集めしより、老の儒出でて、その上に立たん事を欲し、猖狂の論を肆(ほしいまま)にして、忌み憚る事なし。一犬、虚を吠えれば、群犬これを和する習いなれば、邪説横議、世に盛んなるこそ、理にて侍れ。誠にこの道の厄運ともいうなり。
※ 俑(よう)- 中国で、死者とともに埋葬した人形。
※ 姦(かん)- よこしま かしましい
※ 猖狂(しょうきょう)- 荒々しく常軌を逸した振る舞いをすること。
※ 厄運(やくうん)- めぐり合わせの悪いこと。不運


されば韓愈も、仏老盛んに行われし時に生れて、独りこれを排斥して、みずから孟軻に比せしが、その孟簡に与うる書をみるに、天地鬼神これを臨むに上に在り、これを質(ただ)すに傍らに在り、とは誓いしぞかし。今翁が誓いも、孟子の功にこそ及ばずとも、韓愈が心にはおとり侍るまじ。あなかしこ、仮初めの空言と思(おぼ)すべからず。
※ 韓愈(かんゆ)- 中国、中唐の儒者・文人。儒教、特に孟子を尊び、道教・仏教を排撃した。
※ 仏老 - 仏教や老子の教え。
※ 孟軻(もうか)- 孟子。
※ 孟簡に与うる書 - 韓愈から仏教信者の孟簡へ、仏教排斥の立場は変っていない事を弁明するために書かれた手紙。
※ あなかしこ-(下に禁止の語を伴い)決して。くれぐれも。ゆめゆめ。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

駿台雑話壱 5 老学自叙 (二).

(散歩道の紅梅)

夜、鬼コーチさんから電話、三月に何度目かのお遍路へ出かけるという。話を聞いていて、自分もむずむずしてくる。

駿台雑話壱の解読を続ける。

  老学自叙(続き)
年四十に近き頃にもあらん。深く程朱の学、ついに易き道からざる事を悟りて、それより日夜程朱の書を読みて、心を潜め、思いを覃(ふかく)する事、今に三十年、仰ぐ事はいよ/\高く、きれはいよ/\堅く、高遠に過ぎず、卑近に落ちず、聖人復(また)出ずとも、必ずその言に従わん事疑いなし。

されば天地の道は、尭舜の道なり。尭舜の道は孔孟の道なり。孔猛の道は程朱の道なり。程朱の道を捨て孔孟の道に至るべからず。孔孟の道をすてゝ、尭舜の道に至るべからず。尭舜の道をすてて、天地の道に至るべからず。老学もとより信ずるに多らぬ事には侍れども、こればかりは実見ありて申す事にて侍る。もし実見なくして、さもなきことを申すならば、翁が身忽ち天地の罰を蒙るべしと、誓いけるにぞ。
※ 尭舜(ぎょうしゅん)- 中国,古代の伝説上の帝王,尭と舜。徳をもって天下を治めた理想的な帝王とされる。
※ 孔孟(こうもう)- 孔子と孟子。
※ 程朱(ていしゅ)- 程・程頤と朱熹のこと。程朱学は朱子学と同義。
※ 実見(じっけん)- 実際にそのものを見ること。


座中も聴くを改むる気色なり。その時翁いうは、これは五百年来論定まりたる事なり。今更翁が違いを待つべきにもあらず。朱子以後、宋には真西山魏鶴山。元(げん)には許魯斎呉草盧。明には薛敬斎の諸賢をはじめ、その外、道学に志ある人、程朱を尊信せざるはなし。一代の碩学たる事、宋潜溪がごとく、百家を綜核する事、楊升庵がごとき。文字論説の末においては、程朱を議すといえども、学術道徳においては、間然する事を聞かず。
※ 真西山、魏鶴山、許魯斎、呉草盧、薛敬斎 - いずれも、朱子の学問を継いだ儒学者。
※ 道学(どうがく)- 儒学。特に,宋代の程朱学をさす。 朱子学。
※ 碩学(せきがく)- 修めた学問の広く深いこと。また、その人。
※ 綜核(そうかく)- 物事の本来を明らかにする。
※ 楊升庵(ようしょうあん)-音韻学・訓詁学・文学などの明代屈指の学者で、著名な詩人。
※ 間然(かんぜん)- 欠点をついてあれこれと批判・非難すること。


されば明の中葉にては、大様(おおよう)世の学術も正し、岩教も頽(くず)れさりしぞかし。王陽明出て、良知の学を唱え、朱子を排せしより、明の学風大いに変じぬ。陽明既に没して、その徒、王龍溪の如き、ついに禅学となる。それより世の学者、良知に沈酔し、究理に欠伸し、その嘉萬暦の間に至りて、天下の学者、陽儒陰佛の徒となりてやみぬ。
※ 王陽明(おうようめい)- 中国,明代の儒学者。朱子学に満足せず、心即理・知行合一・致良知を説き、陽明学を完成、実践倫理への道を開いた。
※ 欠伸(けんしん)- あくび。
※ 弊(へい)- 悪い習慣。また、いけないこと。害。
※ 嘉(かせい)- 中国、明代の元号(1522~1566)
※ 萬暦(ばんれき)- 中国、明代の元号(1573~1620)
※ 陽儒陰佛(ようじゅいんぶつ)- 口では儒学を唱えながら、心では仏法に帰していることをいう。


(この項続く)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

駿台雑話壱 4 老学自叙 (一)

(土手のタンポポ)

昨夜来の雨が止み、春のような陽気になって、日中、ストーブを点けることが無かった。土手にはタンポポが咲いていた。

駿台雑話壱の解読を続ける。

  老学自叙
つら/\身の過ぎ来し昔を思うに、もとは武蔵の産にてなんありける。そのかみ、初めて髪を結びて、詩書を事としてよりこのかた、あるはを捧(ささげ)て藩邸に游事し、あるはを負いて、京師に旅食す。その後北地に家居をしかば、常に旧学を脩(おさ)め、素願を償(つぐな)いて、一生を終る事なん図りにき。
※ 檄(げき)- 自分の主張を述べて、行動への決起を促す文書。檄文。
※ 游事(ゆうじ)- 客分として仕える。他国に仕える。
※ 笈(おい)- 荷物や書籍を入れて背負う竹製の箱。
※ 京師(けいし)- みやこ。京都。
※ 素願(そがん)- 日頃の願い。


然るに往年、はからざるに、大家を辱(かたじけ)のうして、ふたたび故郷に帰り住せしが、身老い腐りて、やがて丘に首(まくら)する死を待つ程になんなれにける。されば多くの歳月を経て、今犬馬のよわい、七十に余る四の年まで、学を好み道に志すといえども、人の師表と長(なが)えて道徳もなく、また外に何の材能もなくして、むなしく世にあるこそ、いと本意(ほい)なき事なれ。
※ 大家(たいけ)- 金持ちの家。また、社会的地位や身分の高い家柄。ここでは、徳川幕府。
※ 徴(ちょう)- 召し出す。
※ 材(ざい)- 才能。また、才能のある人。
※ 丘に首(まくら)する - 「狐死して丘に首す」(「礼記檀弓上」)狐は死ぬとき、生まれ育った丘の方に頭を向けるという意から、故郷を思う心、また故郷を忘れないことのたとえ。
※ 犬馬の齢(けんばのよわい)- 自分の年齢の謙譲語。自分の歳を謙(へりくだ)って言う場合の表現。馬齢。
※ 師表(しひょう)- 世の人の模範・手本となること。また、その人。
※ 材能(ざいのう)- 才能。


されど我を信じて、ここに問い来る人々に、日ごろ自得したる事を語りきかせて、後学の頼(たよ)れともなしえ、それこそ、せめて長らうる甲斐もあるべしと及ぶにぞ。病をつとめ、痛みを忍んで、たえず書を講ずるにてぞありける。

ある日講はてゝ、宋儒以来学術の異同におよぶ。座中に程朱の学に疑いを貽(のこ)す人ありしに、翁のいうよう、某(それがし)も若かりしとき、俗儒に習って記誦詞章を学びて、多くの年月を曠(むなし)うせしが、ある時忽(たちま)ち往日の非を悟(さと)って、始めて古人、己が為にするの学に、志ありしかども、不幸にして良き師友もなかりしかば、諸儒紛々の説に眩惑して、程朱をも半ば信じ、半ば疑いつゝ、定見なかりし程に、とかくして、又むなしく歳月を経にけり。
※ 宋儒(そうじゅ)- 中国、宋代の儒者。程子・朱熹など。
※ 程朱(ていしゅ)- 程・程頤と朱熹のこと。程朱学は朱子学と同義。
※ 俗儒(ぞくじゅ)- 見識が狭く、つまらない学者。
※ 記誦(きしょう)- 記憶しておいて、そらで唱えること。暗唱。
※ 詞章(ししょう)- 文字によって表現された言葉。詩歌や文章。


(この項続く)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

駿台雑話壱 3 目録(目次)の注意書き

(庭の現在、唯一の花、ビオラ)

駿台雑話壱の解読を続ける。

 目録(目次)の注意書き - 目次は省略
駿台問答の話、これに限るにあらず。経伝の文を論ずれば、論ずる所の書により、諸生の問いに答れば、問う所の人に随う。この故に論ずる所の文、参差として斉(ひと)しからず。問う所の事、多端にして一にあらず。今ここに記す所は、正道を明らかにし、邪説を弁じ、すべて学問の大綱に係り、または世俗の諺、浅近の語捉えど、平生の事に通して、観省の益ともなるべき事どもを、採り集めて、しるし置くになんありける。
※ 経伝(けいでん)- 経典(けいてん)とその注釈。
※ 参差(さんさ)- 互いに入りまじるさま。また、高低・長短などがあって、ふぞろいなさま。
※ 浅近(せんきん)- 浅はかなこと。また、そのさま。浅薄。


よりて、観るに多かりあるべきために、章段を分かち、その中の提要の一語を摘みて、篇に名付けらし。鋪叙論なく、議論複出するように聞こゆるもあれど、本より撰次して書となすに心なければ、ただそのかみ(昔)、語りしまゝに叙録して、家に貽(のこ)し置くものならじ。
※ 提要(ていよう)- 物事の要点・要領を取り出して示すこと。
※ 鋪叙(ほじょ)- 「起承鋪叙結」という常套句がある。起承転結と似たようなもの。文の道筋。
※ 叙録(じょろく)- 順序立てて述べ、記録すること。


国語大様古雅にしたがい、世俗の卑しき語を避けるといえど、事情に近く、人聴くに切なれば、たとい鄙(いや)しき俗語とも、そのまゝ取り用いて、択(えら)び捨つるに暇(いとま)あらず。
※ 大様(おおよう)- 大まかなさま。大ざっぱ。
※ 古雅(こが)- 古風で優雅なこと。また、そのさま。


また近代漢字をもちいて、音にて連ね読みて、常語とするあり。武家の盛衰に「武運」といい、武士の戦功に「武辺」といい、人に礼辞(れいじ)するを「挨拶」といい、事に懈馳するを「油断」といい、若父の義絶を「勘當」といい、山林の鬼魅を「天狗」という。これらの類い、なお多し。甚無し(いわれ)といえども、久しく世にいい来る詞なれば、今改むるに及ばず。
※ 常語(じょうご)- 日常使っている言葉。話し言葉。
※ 武辺(ぶへん)- 戦場で勇敢に戦うこと。また、その人。
※ 鬼魅(きみ)- 鬼とばけもの。妖怪変化。
※ 甚無し(じんなし)- 大したことのない。


また字を誤り用ゆるあり。号令して流布するを「ふるし」といふに、「徇」字たるべきを「觸」字をもちい、強悪にして敢えてするを「おす」というに、「悪」字たるべきを「押」字を用ゆ。これらは、同訓に誤らるゝなるべし。

雨露の滴を「しずく」というに、「雫」字をもちい、種菜の田を「はたけ」というに、「畠」字をもちい、伴語いの人を「とぎ」というに、「伽」字を用いる。これは「雨下」の二字を合わせて一字として、露の下埀れするという意をとり、「白田」の二字を合わせて一字として、白地の田という意をとり、「人加」の二字を合わせて一字として、人の相加わるという意をとるなるなり。

また同仇の兵をみかたというに、「味方」の字を用ゆるは、一味の方という語を略するなるべし。また家号氏族の「かじい」(梶井)「かじわら」(梶原)というに、「梶」字を用ゆ。これは「柁」字を誤りて「梶」に作るなるべし。すべてこの類いは仮名をもてその詞を記しおきてもよかるべし。されど畠山、梶原などいう氏族を記すには、仮名を用い難し。誤りながら真名を用いても、咎なかるべし。

雑話の中に引き用いる古語、古文もしくは事実、頗(すこぶ)る多し。そのかみ、客に対しては、あらまし覚えしまゝに語りし程に、少しずつ違(たが)い、または首尾せぬ事もあれば、後に本書を考え記し置きぬ。されど今老耄して、精神も乏しければ、その出処を忘れて、急に考えあたらぬをば、必ずしもしいて考索せず、もし善き読者あらば、多く大意のある所を取らんかし。その余は論ずるにたらず。
※ 老耄(ろうもう)- おいぼれること。耄碌。
※ 考索(こうさく)- 調べさがすこと。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

御鷹巣おろしの文書など2通 - 駿河古文書会

(大代川の川浚い-終わったと思ったが、何か半端である。)

午後、古文書に親しむ講座へ出席した。

昨日の駿河古文書会では御鷹巣おろしの文書など2通を読んだ。御鷹巣に関連する文書は初めてである。以下へ読み下し文で紹介しよう。

    恐れながら返答書を以って御訴詔仕り候
一 へび石沢と申す所、ゆんで(左手)めて(右手)に中屋方御座候。この度、安図上方のくじ原衆、とや、かくやと口論仕り候。右廿九年以前、七郎右衛門作り申し候場所は、中屋方に紛れ御座なく候と、聞き伝え申し候。安図上方はその上にへび石、鳩旨と申して、沢両の向いに御座候。へび平の内に外に、上方御座候とは、終に聞き及び申さず候。へび石と申すは、右見成久兵衛作り、鳩旨と申すは当村十右衛門手作り仕り候。然る所、安図上方には、大切の地帳御座候。これを御尋ね、御詮義頼み奉り候御事。

一 うしくびと申す所、太郎右衛門切り藪の場所、四十六年以前、山地入り込みの節、六、七間(軒)、小屋を掛け、四、五ヶ年、入り作仕り候。その節、下方上方の境、存じ候者御座なく候て、当所三郎右衛門殿登り、くね境定め候事も御座候。上方の内は久兵衛少しも切らせ申さず候。下方、中屋方、親方の分は、皆おさ割りに仕り、作り申すに紛れ御座なく候。安図上方の分は久兵衛かまい申し候故、皆立山に残し置き候。右の趣、偽り御座なく候。御済推しに御意仰ぎ奉り候。
※ くね - 垣根。竹垣や生け垣など。

 正徳六年申二月        坂本村
                  太郎右衛門
  海野弥兵衛様



      覚え
一 巣は春二月、三月山々へ登り、巣掛け所、遠見仕り、巣見出し候間、五月へ入り巣おろし仕り候事。

一 御巣鷹おろし候時分は、駿府御町奉行様へ相伺い、御左右次第おろし申し候事。
※ 左右(そう)- どちらかに決定すること。決断すること。

一 先年、御巣鷹甲州へ差上げ候節は、駿府町御奉行様、宿継ぎ御証文にて遣され、御鷹江戸へ参り候儀、御坐なく候事。

一 御鷹遣され候節は、巣守り相添い参り候て、御鷹匠衆へ相渡し、罷り帰り申し候事。

一 御鷹おろし候節は、御支配の御代官様へ御注進申上げ候事。

一 巣おろし候節は、拙者家来、所の名主相添い、人足同道仕り、おろし申し候。餌飼い仕り候事。
※ 餌飼い(えがい)- 鳥獣などを、えさで飼いならすこと。

一 甲州へ御鷹遣され候節、巣守りのもの相添い参り候。道中露金は下し置かれず候。百姓入用にて参り候事。
※ 露金(ろきん)- 路銀。旅に必要な金銭。旅費。

一 拙者父、弥兵衛儀、先年御鷹御用相勤め申し候儀、権現様御代より、厳有院様御代まで、七十年程相勤め申し候処に、十七年已前、巳の六月、病死仕り候事。
※ 厳有院 - 四代将軍徳川家綱の法号。
※ 巳の六月 - 元禄十四年六月。


一 御巣鷹飼い立て申す儀は御坐なく、巣おろしの儘、上げ申し候事。
右の通り、相違御座なく候、已上。

   享保二年酉正月廿五日、海野弥兵衛
    小林又左衛門様
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

駿台雑話壱 2 序(駿台雑話の成り立ち)(後).

(「駿台雑話」序)

午後、駿河古文書会に出席した。本日は海野弥兵衛の文書であった。

駿台雑話壱の解読を続ける。

先頃より、衰病日に加わり、それに痿痺の疾(やまひ)ありて、起居も心に叶わねば、日夜枕をのみ親しみ、書籟にさえ疎(うと)くなりにたり。何をか世にある思い出にせまし。
※ 痿痺(いひ)- しびれること。また、しびれる病。痿は神経性の疾患をいう。
※衾(ふすま)-布などで長方形に作り、寝るときにからだに掛ける夜具。綿を入れるのを普通とするが、袖や襟を加えたものもある。現在の掛け布団にあたる。
※ 書籟(しょらい)-書の立てる音。つまり、書を音読すること。


ここに、この翁に就いて、もの学ぶ輩(ともがら)ありて、書を講じ文を論じ、おのおの零(きょ、虚)にして往き、実にして帰らぬはなし。その外、花の晨(あした)、月の夕(ゆうべ)には必ず訪い来て、何くれと世にあらゆる事ども語り続ける。日を暗(くら)し、僕を更ずれども、やむ事なし。
※ 僕を更ず(ぼくをこうず)- 夜警の者が更代することから、夜が更けるの意。

むかしより良辰は失いやすく、嘉会は得がたければ、いつも賓主ともに、唐錦たゝまくおしく難く見えし。翁も客に対して清談する事を好みて、身の煩わしさも心地よく覚ゆるままに、いにしえ、今の世に言いふる難き、かの事の善悪(よしあし)となく、本末応じて、その理を尽くしけるが、我ながらおかしと思う一節もあれば、その席は、即、わが子弟に命じて、やまと文字に写し置けるに、日数を経て、覚えず書をなせり。
※ 良辰(りょうしん)- よい日。吉日。
※ 嘉會(かかい)- めでたい会合。風流な会合。
※ 賓主(ひんしゅ)- 賓客と亭主。
※ 唐錦(からにしき)- 唐織りの錦。「断つ」に懸る枕詞。
※ たたまくおしく - 終わる(断つ)のが惜しい。
※ 言いふる - 言い触らす。言い広める。


もとより有職の際(きわ)の人の、目を登らむべきものにもあらねば、さして惜しむべきとにはあらねども、古人の雞肋といえるにも類しぬべし。さすが反故なして、掻い遣り捨てむも本意なければ、さて児輩に与えて読ましめむとて、しばらく残し置きけらし。
※ 有職(ゆうしょく)- 学識のあること。また、その人。学者。
※ 雞肋(けいろく、鶏肋)- 鶏の肋骨のこと。鶏がら。あまり重要ではないが、捨てるには惜しいもの。
※ 反故(ほご)- 書きそこなったりして不要になった紙。ほご紙。ほうご。ほぐ。
※ 掻い遣り(かいやり)- 払いのける。押しやる。
※ 児輩(じはい)- 子供たち。子供ら。


享保壬子の年九月中旬、鳩巣の翁、駿台の草の庵にして筆をとる。
※ 享保壬子の年 - 享保17年(1732)。室鳩巣は1734年に亡くなる。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

駿台雑話壱 1 序(駿台雑話の成り立ち)(前)

(夕方の虹の切れ端)

「四国邊路道指南」を読み終えて、次に何を読もうかと考えた。江戸時代の色々な本を読みながら、ここは一つ、江戸時代の文人と言われた人々が読んだ本にチャレンジしてみたいと思った。もっとも、彼らは漢文や擬漢文と呼ばれる本を抵抗なく読み、また書いていた。今の自分の実力ではそこまでは無理である。色々ネットで探して、室鳩巣の「駿台雑話」という5巻からなる本に行き当たった。

室鳩巣(1658~1734)は江戸中期の儒学者で、江戸に生まれ、寛文12年(1672)より、長く加賀藩に仕えた。その間に、藩命により京都の木下順庵のもとで朱子学を学んだ。正徳元年(1711)、新井白石の推挙により幕府の儒官となり、将軍吉宗に侍講した。著作に「五常名義」「五倫名義」「赤穂義人録」「兼山麗澤秘策」などがある。

「駿台雑話」(1932成立)は 鳩巣の最晩年、病を得てから見舞の門人や弟子たちに囲まれて、口述し書き留めさせたものをもとに、まとめた随想集で、比較的平易な和文で書かれていて、これなら自分にも読めそうだと思った。なぜ室鳩巣なのかというと、朱子学は江戸幕府の治世の基本思想で、室鳩巣は歴史の教科書にもその代表のように名前が挙げられていた記憶がある。早い話が偶々目に付いた、手に中ったもので、手当り次第というのは、こんな時に使う言葉である。

それでも、読み始めると中々難解な部分もあり、中国宋代の朱子学者の名前など、ちんぷんかんぷんで、凡その文意を理解するのに、随分手間がかかった。

鳩巣さんも年老いて、自分より年若い儒学者たちが、新しい解釈をもって活躍して、自分の学問上の地位も危うくなる自覚があり、全体にその嘆き節のような基調がある。かなり時間がかかると思うが、取り敢えず5巻ある内の1巻読破を目的としよう。それではその序から読んでみよう。

  駿台雑話 序
武蔵の国、大城(江戸城)の東、駿台(駿河台)のもとに、草の庵結びて住みける、独りの翁有りけり。そのかみ(昔)、北国よりここに来て家居せしが、もとより、深山木の花にあらわるべき材(才)もなければ、その梢と知る人も無くして、多く学びの窓に文を広げ、見ぬ世の人を友とし、日の至るをも忘れつゝ、昨日といい、今日と暮して、早や二十年(はたとせ)余りに及べり。
※ 深山木(みやまぎ)- 奥深い山に生えている木。田舎者の譬え。自分のことを謙(へりくだ)って言った。


(明日へ続く)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ