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山口二矢と山上徹也

庭のコギクに遊ぶキチョウ
どこにいるか分かるかな?
冬まじかで、庭に数羽せわしなく飛ぶから
なかなかカメラに収まらない

似ていると言えば、去年、安倍晋三氏が選挙演説中に銃撃された事件の、容疑者山上徹也の名を聞いて、山口二矢(おとや)のことを思い出した。山上徹也と山口二矢、発音してみると、初めの「山」と末尾の「や」が共通している。

演説中の浅沼稲次郎日本社会党党首が、十七歳の右翼少年、山口二矢に刺殺された事件は忘れられない。当時(1960年)、自分は中学校の2年生だったか、学校内で事件の一報を聞いたような気がする。政治の何たるかも理解せずに、大変なことが起きたとの認識はあった。今考えてみれば、山口二矢は17歳で、自分よりわずか三歳年上でしかなかった。山口二矢は、その後、鑑別所で自死したのだったが。もう60年以上昔の話だ。

安倍晋三氏襲撃事件から一年半、山上徹也が糾弾していた、旧統一教会は、ここまで来て、存続を巡って、窮地に立たされているように見える。山上徹也の主張が実現して行くように見える。人が死ななければ主張が通らない、日本の政治、行政の事なかれ主義を見ていると、江戸時代から何も変わっていないように思える。江戸時代の武士であれば、さしずめ腹を切って主君を諫めるようものだ。山上徹也を持ち上げるつもりは決してないが、ため息のでることではある。

読書:「月夜行 風の市兵衛 4」 辻堂魁 著
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あれ! そっくりじゃないか!

広重の「東海道五十三次」、金谷(上)と小田原(下)
あれ! そっくりじゃないか!

昔から、広重の「東海道五十三次」の「金谷」を見て、背後に描かれている山はどこの山なのだろうと、不思議に思っていた。「金谷」は地元だから気になる。あの方向に高そうな山は見当たらない。

最近、ネットで、その「東海道五十三次」の絵が、ずらり並べられた画面を見ていて、自然に「金谷」を探していた。見覚えのある「金谷」の絵柄を見付けて、案内文に目が行き、えっ!と思った。「小田原」とあったからだ。

細かく見れば小さく小田原城も描かれて、背後の山はデフォルメされているが、「馬でも越す」難所「箱根」の山なのであろう。手前の川は酒匂(さかわ)川である。

あらためて、「金谷」を探して、この二枚、構図がそっくりなことに気付いた。金谷坂らしき家並も描かれているから、金谷に違いないが、あのシルエットに描かれている山並みは、広重さんは「小田原」のものを無意識に流用したのかもしれない。

「越すに越されぬ」大井川の先には、東海道の難所の一つ、「小夜の中山」があるから、難所つながりで、同じような構図になったのだろう。とすれば、「金谷」のシルエットは、「小夜の中山」を指しているのであろうか。

時間があると、余分なことを考えてしまう。
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21世紀はバラ色の世紀だった筈

牧之原市 油田の里公園
11月16日、掛川図書館文学講座、文学散歩にて

万博(前回)が大阪で開催された1970年。会社に入社してしばらく経った頃の話。当時、定年は55歳、自分が定年を迎えるころに、21世紀を迎えると計算して思った。自分は2000年には54歳になるからだ。戦争に明け暮れた20世紀は、当時、冷戦の真っ只中ながら、世界は鎮まり、日本は高度成長に沸いていた。人類は馬鹿ではないはずで、戦いの20世紀の反省から、21世紀はさぞ平和なバラ色の世紀になるだろうと思っていた。

1989年 、ベルリンの壁が崩壊し、1991年 にはソビエト連邦が消滅し、冷戦時代は終焉を迎えた。1993年 、EU発足、いよいよ世界は平和に向かっていると信じて疑わなかった。

21世紀を迎え、定年は60歳に伸びていた。平和になるはずの21世紀は、期待に反して、戦いが20世紀よりも頻繁に起きている。終わったはずの冷戦は、却って国々のたがを外してしまったように見える。期待は大きく外れた。

今、人類は、地球は、どこへ向かおうとしているのだろう。

読書:「砂時計 警視庁強行犯係捜査日誌」 香納諒一 著
読書:「白鶴亮翅」 多和田葉子 著
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この半月の間

牧之原市史料館前、田沼意次像
11月16日、掛川図書館文学講座、文学散歩にて

ブログを休んだ、この半月の間、何をしていたのか、記して置こう。

11月1日 帰郷(豊岡⇒伊勢)から自宅へ戻る。
11月3日 駿河古文書会に出席。
11月8日 まきのはら塾「古文書解読を楽しむ」実施。
11月9日 掛川古文書講座、受講。
11月10日 駿河古文書会に出席。
11月11日 金谷宿大学「駿遠の考古学と歴史」受講。
11月16日 掛川文学講座の文学散歩に出席。
11月18日 金谷宿大学「古文書に親しむ」(初心者)(経験者)2講座、実施。

それぞれの準備もあって、中々忙しく過ごした。

休んでいる間の当ブログの訪問者数が、一日1000人を越えて、何やら随分増えているように思う。いよいよ、くたばったかと、後報を気にされたのかもしれない。期待を裏切ったようで、まだまだ元気で活動している。

昨日、二ヶ月に一度の、内科医の検診に夫婦して出かけた。インフルエンザでいつもより混んでいた。いつも通りに終えて、序でに、夫婦ともインフルエンザのワクチンを接種して来た。

読書:「一番手柄 取次屋栄三」 岡本さとる 著
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エネルギーが切れた


改修を終えた掛川城天守閣
11月16日、掛川図書館文学講座、文学散歩にて

急に寒くなって、先日、灯油を買いに、セルフのガソリンスタンドに行った。昨年同様、20リットル入のポリタンクを二つ持って、40リットルを入れて帰った。車へは、見かねたスタンドの人が載せてくれた。家に帰って駐車場から、リビングを通り、ポリタンク置き場まで、20メートル余を両手にポリタンクを下げて運んだ。身体が、みしみしと悲鳴を上げるようで、何とか運べたが、運び終えたら、エネルギーが切れたように、身体が動かせなくなった。

しばらくして、ようやく動かせるようになったが、去年は平気で運べたのに、何ということだろう。次からは、15リットルずつに減らして購入しようと思った。こんな風に、一つ一つ年令を感じながら、年を取ってゆくのであろう。
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久しぶりのブログ

庭のコギク

久しぶりにブログを書く。ある時「自分がブログを書かなくなったら、くたばったと思ってほしい」などと、書いた記憶がある。どっこい、まだくたばってはいない。病気になったわけでもない。

帰郷のあと、往復15時間の車の運転疲れからか、なかなか気力が湧かなくて、ブログを休んだところ、何とも身体がらくに、夜の気が休まることに気づいてしまった。それが三日になり一週間になり、半月ほど経ってしまった。

考えてみれば、60歳で始めて17年、ブログをほぼ毎日続けてきた。習慣になってしまえば、続けられるものである。しかし、年令を重ねていくうちに、知らず知らずに、身体の負担が増していたようである。

まあ、これからは、肩の力を抜いて、とびとびに、我が老境を記すことにしようと思う。従って、古文書解読を載せることは、少なくなると思う。

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読書はたゆまず続けている。ほとんどが時代小説である。時代小説は遥か江戸時代の事を題材にしたフィクションだから、どんなに理不尽な、残虐な話であろうと、筋にどれだけ飛躍があろうと、また結末が如何にご都合主義であろうと、少しも気に病むことはない。寝る前に読めば、安らかな眠りがやって来る。そういえば、時々、時空を超えて、江戸時代の市居の夢を見る。

読書の履歴を記しているのは、自分の履歴が少しでもヒントになればと考えてのことである。時代小説といっても、多くの作家が山ほど作品を書いている。その山の中を、自分も面白そうな作品を探しているゆえである。

本はもっぱら図書館に頼っている。図書館ではネットで取寄せて、入ったことを確認して、借りにゆく。貸し借りのタイミングにしか行かないが、もう「顔」になっている。

読書:「ちゃんちき奉行 もんなか紋三捕物帳」 井川香四郎 著
読書:「雷神 風の市兵衛 2」 辻堂魁 著
読書:「祝い雛 小料理のどか屋人情帖36」 倉阪鬼一郎 著
読書:「武士の流儀 9」 稲葉稔 著
読書:「黒幕 鬼役 二十八」 坂岡真 著
読書:「じゃこ天狗 もんなか紋三捕物帳」 井川香四郎 著
読書:「帰り船 風の市兵衛 3」 辻堂魁 著
読書:「賞金稼ぎ もんなか紋三捕物帳」 井川香四郎 著
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故郷豊岡 ー 伊勢への旅(中)


我が家の鉄火寿司
伊勢の夜にホテルのレストランで頂いた伊勢名物「てこね寿司」
今一つ味にパンチ力が感じられなかったので
帰宅後、マグロを買ってきて
我が家名物鉄火寿司を作った
わさび醤油が効いて、やっぱりうまい。

(伊勢の旅の続き)
今夜、泊りの伊勢駅前ホテルにチェックイン。夜は、ホテル内のレストランで、長兄及び姪(長兄の長女)と四人で会食した。下戸の会所は時間がかからずに終わった。客が外に一組しか居なかったので、ゆっくりとお話が出来た。自分は姪と、女房は長兄と二組に別れて、話が弾んだ。

60歳を越した姪は、何年か前に連れ合いを亡くし、子供二人も巣立って、独り暮らし。トールペイントの講師をしていると聞いていたが、今はギターを弾いてグループで老人ホームなどを廻り、ボランティアで演奏会をしているとか。直近では、友人と二人で、お菓子を作って販売しているらしい。真珠の乗った、あこや貝のお菓子を焼いて、無店舗でいろいろなところへ出して販売するのだという。儲けが出るところまでは行かず、無給だというが、今日も雑誌の取材を受けていたというから、中々本格的である。

亡くなった連れ合いは税務官で、調査畑だったらしい。おそらく仕事の話は聞いたことがなかっただろうから、企業と税務官がどんな対応をしていたのか、その一端を話してやった。自分は会社で会計担当だったから、毎年のように税務調査を受けてきた。その経験から話したのだが、日本の税務制度は申告制である。申告に元づいて税額を計算し納付する。税務署が調査して不備や間違いを見付ければ、修正申告して追加の税を払う。

税務官と会社の会計担当は決して敵対関係という訳ではない。会社で日々発生する事柄がすべて税法に規定されているわけではない。不明な部分がたくさんある。それを税法に照らして、一つ一つ判断して行くのが税務調査である。敵対して裁判になるのは、もっとも下手くそな調査である。だからお互いに妥協して落とし込む位置を決めるのが、上手な調査になる。

とは言え、税務官は一歩税務署を出れば、すべて敵であるから、日々の緊張感は想像を絶するものであろう。お付き合いして来た税務官の多くが定年を待たずに、あるいは定年を待っていたように亡くなって行くのに出会ってきた。姪の連れ合いは元々身体も弱かったというが、定年まで何年も残して、早くなくなっている。

久しぶりに、そんな話を思い出しながら話していた。(つづく)

読書:「佐平次落とし 三人佐平次捕物帳」 小杉健治 著
読書:「さよならの夏 南アルプス山岳救助隊K-9」 樋口明雄 著
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故郷豊岡 ー 伊勢への旅(前)

伊勢神宮内宮の五十鈴川

10月30日、31日、11月1日と、故郷但馬の豊岡へ久しぶりに帰って来た。伊勢の長兄(88歳)と、豊岡の実家で待ち合わせる。実家を継いだ次兄(82歳)は病を得てから2年立ち、その見舞と両親の墓参りを兼ねた旅であった。

静岡から車で高速道路を乗り継いで、約6時間掛かった。明石在住の「本町の伯父」の孫のT君から、唯一碁を打つからと、伯父の残した碁盤を頂き、長く実家に預かってもらっていたが、それを受取るために、おそらく最後の長距離の車運転になると思い、今回、愛車アクアで女房と行くことにした。小さい車のハイブリッドで、ガソリンを気にしなくてよいから助かる。碁盤は伯父さんが往昔世話をした、静岡で開業した医者から頂いた碁盤で、高価なものである。その開業医には大学入学時に下宿を世話して頂くなど、随分世話になった。

豊岡では、甥(長男)夫婦、家を継ぐ甥(三男9夫婦と子供たち、それに、嫁に行った姪(長女)と姪(次女)が集まり、にぎやかであった。墓参りの後、ホテルにチェックイン。夜は料理屋で食事をした。歩くもままならなかった次兄も、少しづゝ歩けるようになり、元気を取り戻したようで、大慶である。食事の席で、正式に甥(三男)を後継ぎとする旨、次兄より話があった。

2日目、朝、伊勢へ帰る長兄を乗せて5時間、くたびれたが何とか運転した。夕方の伊勢神宮の内宮は参拝者も減って、気分良く、やや薄暗い杜の中を歩いた。久しぶりの内宮の森は、木々が一段と太くなって、杉や楠の巨木(幹回り3m以上)の杜であった。中に巨樹(幹回り5m以上)もたくさんあった。巨木ファンには垂涎の杜であった。(つづく)

読書:「餓狼剣 八丁堀「鬼彦組」組激闘篇」 鳥羽亮 著
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