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マントル掘削 - 静大、読売市民講座

(超深部掘削船「ちきゅう」)

今日の午後、靜岡大学・読売新聞連続市民講座2013に出席した。市民講座は今年度3回目である。「マントル掘削 ~地球規模の物質循環を探る~」と題して、講師は靜岡大学大学院 理学研究科 地球科学専攻 道林克禎教授の講演である。

地球の構造は鶏卵に例えられる。極表面で我々が住んでいる地殻はさしずめ卵の殻である。その内側に卵白にあたるマントルがあり、真ん中に卵黄にあたる核がある。簡略に言ってしまえば、そんな構造である。

昔から漠然と、地球は中心に行くほど温度が高いにも関わらず、核は固相で、それより外側の、温度の低いマントルはどうして液相なのだろうと疑問に思っていた。いままでそれを糾明しようと思わないで過してきた。講師の説明で、液体、固体の分かれ目は温度だけではなく、圧力にも関係していると聞いて、今ようやくその理由が判った。地球の核の部分は温度は高く、液相になってよいはずなのだが、それ以上に高圧で、液化できない。マントルの部分は圧力も下がり、温度もある程度高いので、液化する。地殻では温度が低くて、圧力は表面が1気圧と、低くなるので、硬い岩石に、固化しているのである。

ロシアのモホロビッチッチという学者が、地震波の測定で、海洋底から約6~7kmの所に強い反射面(まぶしい面)を見付け、地殻とマントルの境目ではないかと注目し、「モホ面」と名付けた。「モホ面」は地球上のすべてに存在し、海洋では「モホ面」までの距離が約6~7kmと薄く、大陸では約30kmと厚いことも判った。卵の殻のように、厚みがほぼ均一ということではなかった。

2005年、当時、ロケットの打ち上げに何度か失敗していたこともあり、汚名挽回というわけではないが、マントルまで掘削できる超深部掘削船「ちきゅう」に予算が付き、掘削船が完成した。まだ誰も見たことがない地球の深部、マントルまで掘削し、調査することが大きな目標であった。掘削船の中央に立つやぐらが高くて、レインボーブリッジを潜ることが出来ず、掘削船「ちきゅう」の母港は静岡県清水港の興津埠頭となった。

現在、道林教授らが中心になって、超深部掘削船「ちきゅう」を使って、マントルまで掘削する、国際科学者のチームを平成25年度内に編成し、10年計画で進めようとしている。300億円から1000億円の予算を要する。掘削の場所は太平洋でモホ面までの深さが浅い、3地点が候補に挙がっている。有望なのはハワイ沖の候補地点である。

そもそも、マントル掘削(モホール計画)の最初は、アポロ計画が進んでいたケネディ大統領の時代に始まり、1961年4月、水深3558m、170mの堆積物を貫通し、その下の玄武岩13mまで貫入したところで、技術レベルの限界で終焉を迎えた。引続いて、深海の掘削はたくさん行われたが200mに達する掘削はわずかなもので、今までに海洋地殻で行われた最深の掘削は1.8kmとなっている。

7年後の東京オリンピックの頃にはマントル掘削が始まっているかもしれない。注目していきたいテーマである。(写真はマントル掘削情報サイトから借用した。サイトを管理している道林教授が自ら撮影されたという。問題があるようでしたら削除します。)
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「梅さんの旅日記」のコピーを製本した

(「梅さんの旅日記」コピーを製本)

「梅さんの旅日記」の本を、翻字と編集して刊行した、駿河古文書会会員のO氏から、手元に一冊しか残っていない貴重な本をお借りして、読む段になって、汚すようなことがあってはならないと思い、一部コピーを取らせていただいた。半月ほど掛かったが、何とか、学びながら読み終えた。借りた本は、次回古文書会で返却しなければならない。

手元にそのコピーの束が残ったので、「梅さんの旅日記」の本は製本しようと思った。製本方法は正式に学んだことはないけれども、今まで何冊か、凧糸を使って、我流で製本したことがある。今回もその方法でやってみようと思った。

今日、女房は午前中から友達の家へ遊びに行った。気の置けない同級生と、おしゃべりでストレスの発散をしてくるのであろう。留守番になって、まず作業の道具などを集めた。凧糸、針、錐、千枚通し、強力クリップ、などから、不足しているものを買って来た。

まずはコピーをきっちり揃えて、強力クリップ二つで両側から挟んで、コピーがばらつかないようにする。端から8ミリのところに線を引き、線上に2センチ間隔でポイントして、穴をあける位置を決める。両端だけは1センチにすると、ほぼ格好が付く。

穴を開けるには大変苦労した。千枚通しだけでは、どれだけ力を掛けても、穴は開けられない。だから、最終的には四方錐でゴリゴリと開けることになった。錐をもむ作業など、日頃やらないから、終わり頃には手のひらが痛くなった。

凧糸は一本の糸の両端を交互に差して、しっかりと締めながら綴じていく。西欧の鞄職人が手仕事で一針ずつ縫っていく方法と同じである。背に一本回すので、一つに穴に3本通す計算になる。だから穴を予想以上に大きく開けないと針が通らない。大きな針の方が使いやすいと思い買って来たが、針は太くて、一層大きな穴が必要になったので止めた。

一本しかない小さい針を交互に、とっかえひっかえして使う。その度に針の糸を通し換える。まだ目はよく見えるけれども、太い凧糸の先がばらついて、通すには難義であった。一計を案じて、糊で糸先を固めてみたら、一発で通すことが出来るようになった。我ながら名案とほくそ笑む。

肝心なのは、糸を緩めないように、しっかり締めることである。後から、始めの方の緩みに気付いても、締めなおすのは難しくなる。

夜まで掛かって完成した。出来映えは満足できるものになった。本当はこれに表紙や背表紙を付ければ良いのだが、素人細工にそこまで凝ることはないだろう。
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日高敏隆著「昆虫学ってなに?」を読む

(「昆虫学ってなに?」)

風邪で休んでいる間に、日高敏隆著「昆虫学ってなに?」を読了した。日高敏隆氏は1930年生まれ、2009年に亡くなっている動物学者である。この本は氏の昆虫についてのエッセイをまとめたもので、専門家でなくても理解できるように、平易に書かれていて、大変に読みやすい。難しい話を難しく語るのは普通の人である。難解な話を平易に語ることが出来る人こそ、頭の良い人で、自分はそういう人に憧れる。

昆虫についてはファーブル昆虫記がバイブルのようなものだが、ファーブルはひたすら観察して、昆虫の生態を明らかにしてきた。それまで昆虫学といえば、昆虫分類学に過ぎなかったものを、昆虫の生き様の解明に光を当てたのはファーブルの功績であった。現代の昆虫学はさらに進化して、解剖学的な側面も持つようになったようだ。

たくさんの昆虫学者といわれる人たちが研究して論文発表したものを、著者は本書で平易に案内してくれる。昔は男の子なら誰もが昆虫採集に励んだ。山野はそれだけ昆虫にあふれていた。昆虫採集で洗礼をうけ、昆虫についての知識は他の人より多く持っていると自負している自分にも、知らなかった面白い話が次々に出てくる。それらをいくつか挙げてみよう。

蝶と蛾の違いについて、はっきりとした区別はないけれども、誰でもおおよその区別は出来る。しかし、区別の根拠を聞かれても明快に答えることが出来ない。著者は、蝶は昼間に活動の場を持ち、蛾は夜に活動することを選んだところから、蝶と蛾が別れたと説明する。蝶は昼間活動するから、美しい翅を見せて、視覚的にオス、メスが呼び合う。だから美しい翅が発達した。蛾は夜間でよく見えない中で活動するため、翅は地味なままで良かった。その分、メスはフェロモンなどの臭いを出して、オスを呼んだ。このように活動時間の違いが蝶と蛾を分けてきた。

メスがフェロモンを出すと数キロ離れた所から、オスがも嗅ぎ付けてくると思われているけれども、実際にはフェロモンは数メートルしか届かないという。オスは我々が昆虫採集をしたときのように、メスがいそうな場所を探してやって来て、フェロモンを嗅ぎ、メスの元にたどり着くのだという。

動物は酸素を血中に取り込んで毛細血管で全身に送り、生きているが、血が流れていない昆虫は気門から空気を取り入れ、全身に張り巡らされた気管を通って酸素が送られて、生きている。こんなことも自分たちは学ばなかった。今の子供たちは学んでいるのだろうか。

他にも、水生昆虫はどのように酸素を得ているのかとか、昆虫はどのように飛ぶのかとか、興味のある話が満載のエッセイ集であった。
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2時間推理ドラマと「ぎったく」

(暮れに頂いたビオラ、ペニーミッキーという名、ミッキーマウスに似ているからだろう)

最近、ブルーレイのビデオデッキを購入した。もっぱらテレビ番組の録画に使用している。2時間推理ドラマが面白いほどすかすか撮れて、たくさん溜まる。とても見ている時間がないから、片方ですかすか消して、何やっているのかわからないけれども、それでもけっこう見ることになる。

コマーシャルをとばしながら見るから、2時間ドラマを1,5時間で見ることが出来る。10年、15年前の再放映と、今のものを見比べると、たった10数年で、俳優たちが皆んな年取ったなあと思う。若くて、髪も黒くて過剰にあった彼(または彼女)も、今のハイビジョンでは、増えたしわや白髪が一本一本映ってしまい、俳優たちには気の毒な時代になった。あれ、15年前と同じように、あんなに懸命に走っているが、当時のように足が上っていない。

2時間ドラマの女王などといわれて、同じ女優があれにもこれにも出続けて、若くて美人だったのが、くずれてきながら、何とか美人のイメージを留めようと努力している。いろんな役をこなし過ぎで、こちらの頭がこんがらがってくる。

ドラマの終わり近くになって、あれだけ寡黙であった犯人が、犯行の一部始終を問い詰められてもいないのにぺらぺらとしゃべりだす。こんな犯人ばかりだったら、刑事も楽だろうと思う。昔は探偵役が推理を話して解いていったものだが、最近のドラマでは、探偵はきっかけを与えるだけで、後は犯人がしゃべってくれるから、探偵も楽である。それだけドラマも安直に作られるようになったというべきか。

昔、金田一耕助がテレビで活躍していたころ、何人も殺され終わってから、謎を解いているけれども、名探偵なら殺人が起きないうちに謎を解いて解決すべきだとよく思った。もちろん、それではドラマにならないわけだが。

今夜も2時間ドラマを見ていて、寝てしまった。起きると、もう犯人が犯行の次第を話し始めていた。起き掛けに夢を見ていて、頭に「ぎったく」とか「ぎったこ」という言葉が残っていた。言葉だけではダイングメッセージのようだ。

ネットの辞書で調べても、そんな言葉は出て来ない。夢の中での脳の働きには謎が多い。記憶にない言葉がとうとつに夢の中に出てくるものなのだろうか。その言葉がどういう場面で出て来たのか、思い返してみると、皆んなに配られたパンフレットほどの書類を、これは何ですかと聞くと、「ぎったく」あるいは「ぎったこ」と答えた。たぶんそんなことだったと思う。

さらに詳しくネットで調べると、北海道の方言で「ぎる」というのは「盗む」という意味だと出ていた。したがって「ぎった」は「盗んだ」、「く」や「こ」は「どじょっこ」「ふなっこ」などのような接尾語だろう。そうすると、「ぎったく」あるいは「ぎったこ」は盗んだもの、あるいはその資料といえるかもしれない。どうやら2時間推理ドラマを夢にまで引きずっていたようだ。
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「DASH島」を捜せ!

(「DASH島」= 由利島写真)

台風16号の影響であろうか、今日は雲の動きが激しく、一日突然に激しい雨となり、5分と続かずに止むといったような、不安定な天気であった。

「鉄腕ダッシュ」という番組があって、TOKIOのグループがDASH村で様々な農業体験をやるユニークな番組で、よく見ていた。ところがDASH村は福島原発事故の危険区域に入って、活動が出来なくなってしまった。

昨夜の番組では、無人島で壱から生活を築いていくという新しい企画が始まった。その初回で、今や、中年のおっさんに近付いてきたTOKIOの5人が、無人島生活で遊ぼうという番組である。昭和40年頃までは人が住んでいて、その痕跡も残っている島で、生活出来る条件があるのかどうか、TOKIOのメンバーが島を調べるところから、番組が始まった。

DASH村もそうであったが、この無人島(「DASH島」と命名された)が日本のどこにあるのかは秘密になっている。しかし、番組の中にたくさんヒントがあって、どの辺りにあるかは、推理力を働かせれば、ほとんどバレバレに近い。地図で捜せば、きっと見つけることが出来ると思った。

DASH島は大変に特徴的な形をしている。大きな島と小さい島の間を砂州でつないだ形である。イメージ的には「ひょっこりひょうたん島」である。番組の始まりに、手漕ぎの船でTOKIOが漕いで砂浜に着くところから始まる。この絵を見て、波の静かな内海だと思った。大きな内海なら瀬戸内海しかない。お遍路で一回りしたときに思ったが、四国の海は瀬戸内海に入ると全く様相が変わって静かになる。

瀬戸内海だと、山陽新幹線から行けるから、忙しいTOKIOでも、何とかロケに行けるエリアだと思った。しかし瀬戸内海と言っても随分広いから、捜すのに時間が掛かるだろうと思っていると、浜に打ち寄せられたゴミの中に、中国語の書かれたペットボトルがあった。これは大きなヒントになった。中国からペットボトルが流れ着いているとすれば、瀬戸内海でも関門海峡に近い、西の方であろうと思った。潮の満ち引きがあるとしても、そんなゴミは奥までは達しにくいのではないかと想像した。

探す方法はネットで見ることが出来る地図で、瀬戸内海を西の方から見ていくことにした。結果、5分足らずで、DASH島を見つけてしまった。松山港から西へ20キロほど伊予灘を進んだ先にある、「由利島」がDASH島であった。不思議に周囲10キロほどに島影がない。山陽新幹線を利用するのかと想像していたが、松山空港からの方がはるかに近いと思った。

決め手は砂州に沿って小さい島の方に、構築された港の跡が細長く残っている点で、間違いないと思った。おそらくネットの中では数百人単位の人が、すでに場所を見つけてしまっているのではないだろうか。多分、判っても、一般の人は行く手段を持たない無人島だから問題ない。そんな判断から、DASH村のときほどには、厳しいバリアを張らなかったのであろう。
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ブログを1週間休んだら

(5月23日、龍泉寺の龍の鏝絵)

オリンピックをこれだけ熱心にテレビ観戦したことは今までに無かった。いつもブログを書く時間に重なって、ブログ書き込みを一日休んでみたら、これが何とも楽で、一週間もブログを開かずに過ごした。

ところが、巷ではきのさんもとうとうくたばったかとの噂が立っているらしく、それも癪なので、久し振りにパソコンの前に坐った。暑さと寝不足に参っている以外、いたって健康であるので、万が一心配されている向きには安心されたい。

どうしてブログが書けなかったのか。オリンピック漬けになっていると、ブログのテーマがオリンピック以外に思いつかなくなる。かと言って、オリンピックについて書いているブロガーはごまんといるだろうから、屋上屋を重ねても意味がないと思った。テーマさえあれば書き続けたのだろうが、無いのを幸いに休んでしまった。

オリンピックも半分過ぎて、今日は少しだけ感想を書いて置こう。金メダルこそ少ないが、毎日銀、銅のメダルを取る選手が絶えることがないほど、色々な競技で取っている。若者たちの顔に悲壮感はなく、実にのびのびと競技を楽しんでいる風に見えて、それがこういう成績に繋がっているのだろうと思う。もちろんどの競技でも血の出るような練習を重ねてきたのだろうけれども、最後は競技を楽しもうと考える方が実力が発揮できるのだと思う。

スポンサーになった人たちの期待と、選手たちの責任が選手を潰してしまったら、とんだ贔屓の引き倒しである。マスコミの金メダル確実との報道が選手をがんじがらめにして、実力が出せないとすれば、マスコミの責任は大きい。

「2番じゃ、駄目なんですか」という蓮舫さんの言葉ではないが、2番でも、3番でも、大いに結構である。見ている国民に、大きな感動を与え、勇気を起させるならば、予選敗退でも構わない。国民の期待を外した北島選手に、最後の400メートルメドレーで、何としてもメダルを持って帰らせたいと、他の3選手が話して、銀メダルを取った話しなど、今まで水泳を引っ張ってきた北島選手の敗退があったからこそ、感動的であった。

中でも、男女サッカーの大活躍では、体力的に劣るハンディがありながら、工夫と努力で乗り越えていく。資源のない日本が創意と工夫で経済大国になった過去を、もう一度思い出させてくれる。今後サッカーが変わるのではないかと、思わせるものさえある。かってウルトラCで体操を変え、コンビバレーでバレーボールを変えてきたことが、サッカー界にも起きるのだろうと思う。

日が変わって、なでしこジャパンは怒涛の攻撃に耐えて、フランスに2:1で勝った。銀メダル以上を決めた。運が良かったというかもしれないが、運を味方にしたのは、なでしこの団結力だと思った。
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ロンドンオリンピックが佳境に入る

(5月22日、瀬戸内海)

ロンドンオリンピックが始まって四日目になる。オリンピック観戦で寝不足が続いている。日本人の活躍を見ていると、期待されていて、期待通りの活躍が出来ない選手がいる中で、期待通りの成績を残すのは大変に立派だと思う。

サッカーは男女とも一試合を残して、予選リーグの突破を決めた。オリンピック前から始まっているが、男子2試合、女子2試合ともに、楽しくテレビ観戦した。しかし柔道は少しも面白くない。日本が負けたからというよりも、ボクシングかレスリングに見間違えそうな、柔道の試合とは随分かけ離れたところに行ってしまったと思う。今は技ではなくて力勝負の戦いになっている。

礼に始まり礼に終わる精神は忘れられ、帯を解けやすく結んで置いて、結び直す時間で休息をとろうとする選手までいる。そのためか、柔道着が帯から外れてだらしなく垂れていても、以前のようには審判は直せとは言わない。今は技ではなくて力勝負の戦いになっている。かける技よりも、返し技の方が決まりやすいから、返し技をねらって、技を掛けてくるのを待っていたりする。だから観客には大変に分かりにくい技が多い。

その柔道着も分厚く固く作って、年々つかみ難くしてきた。一応規則はあるらしいが、昔よりも明らかにつかみ難くなっている。つかめないから技を持っていても、掛けられない。結局、訳の分からない決まり手で勝負がついてしまう。背中は付いても技を掛けた結果でなければ、柔道の勝敗には影響しないはずなのに、観客は訳の分からないまま、蚊帳の外に置かれて、試合だけがこなされていく。

訳の分からない決まり手が増えたので、勝負の結果にビデオ判定を取り入れられた。畳に上がっている3人の審判よりも、下でビデオでチェックしている人の方が力を持っている。だから審判の判定が覆ることが頻発している。せめてビデオ判定は、審判が求めたときだけに限定するようにすべきである。判定が変わるたびに、試合に水を指されて試合が楽しくない。

力勝負なら、重量挙げの方が余程楽しい。体重の3倍もありそうなバーベルを上げ、顔を真っ赤に耐えながら、審判を横目で見る。バーベルを床に落としたときのほっとした顔。特に女性の試合は、化粧をしていない分、ハイビジョンテレビで、それらを赤裸々に映し出してしまう。オリンピック3度目で、年々力をつけてきた、三宅選手の銀メダルには頭が下がり、大いに祝福したい。

バトミントン、卓球、テニス、バレーボールなど、日本選手が出場する試合はすでに何試合か見た。いずれも予選であるが、ひょっとしてメダルに手が届くか、との期待を抱かせてくれる活躍である。

アーチェリー女子団体の銅メダル、水泳の男子400メートル個人メドレーの萩野選手の銅メダル、など、急成長した選手の活躍を見るのは楽しい。
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「目利きの人生談議」中島誠之助講演会

(ほとんど完成した新東名、先週土曜日撮影)

先週の水曜日、地元の信用金庫の講演会があって、島田のおおるりに出向いた。昨年の春に予定されていたが、東日本大震災で流れて、今年開催となった。だから、第一声は「やっと島田に来れました」。地震の話から始まるかと想像していたが、「開運!なんでも鑑定団」の話から始まった。

この番組は910回を数え、18年続いている。番組の最初のとき、島田紳助が、この番組は20年続くと断言したことを思い出す。もっとも当の本人が先に降りてしまったが。

番組では本物、ニセモノを見分けるだけではなくて、その値段まで言わなければならない。これには悩んだ。骨董商にとっては生活権の侵害になりそうだから、同業者の反応が気になった。骨董など胡散臭く思われていたものが、これだけ多くの人の関心を呼んだことは、業界にとって決してマイナスにならないと思った。番組が成功した理由の一つは、計算高い島田紳助と、自分の感性だけで良いものを選り分ける石坂浩二の、司会者の絶妙なバランスである。

鑑定士が前もって見るのは、応募の写真と手紙だけである。これは意外に思ったが、鑑定士が前もって実物を見てしまうと、反応が自然で無くなる。18年間に66,000通の手紙を見ていると、手紙に書かれたエピソードなどで、ほとんど真贋が判ってしまう。写真は大体ピンボケだし、品物を見ないと鑑定できないようではプロではない。番組に取り上げるのは真贋だけではなく、骨董にまつわるエピソードを大切にしてきた。

だから、番組では、好奇心を持ってその場で実物をチェックする。本当は天眼鏡などいらないけれども、あれがあると格好が付く。感想は、文学的表現ではすぐに底を付いてしまうので、科学的な表現を用いるようにした。これなら、感想は無限に出すことが出来る。

出張鑑定の第1回を伊東温泉で「美人女将‥‥」というタイトルでやったところ、大いに受けた。だからしばらく同じタイトルで各地の温泉を回った。その伊東温泉は明治の成功者の別荘が多くあった土地で、戦後没落して売りに出た骨董が旅館などに多く残っていると分かっていたから、第1回に選んだ。

その中に木彫りのおじいさんの像があった。作家は石川光明で、高村光雲などと並び称せられた明治の彫刻家である。見た瞬間、そのおじいさんが歩き出したように見えた。無意識に出た言葉が、「いい仕事をしていますねぇ」この言葉が人気を呼び、テレビ局側から、その言葉を出来るだけ使うように言われた。本当に自分でそう思った時にしか出てこない言葉なのだが、言わされた時もある。

骨董商になりたいと志願する若者を多く見るが、ほとんどが骨董品、美術品を見るのが好きだからという。そんな人には止めなさいとアドバイスするようにしている。骨董の世界は皆さんの住んでいる世界とは全く違う世界である。皆さんが住んでいる世界は生産がきく世界である。人を信用して、性善説で過ごせる世界である。ところが骨董の世界は生産がきかない、人を信用してはいけない、性悪説の世界である。ニセモノが売買されたときに、ニセモノを売った方が誉められ、買った方は勉強が足らないと怒られる世界である。人を疑わねば生きていけない世界にわざわざ入ることはない。好きだからでは飯は食えない。

自分は両親を早く無くして、養子に行った先が骨董商で、それしか選択肢が無かった。義父に言葉で教えられたことは何も無かった。みな背中を見て教わった。目利きになるには、良いものをたくさん夢中で見る。説明を聞くことはいらない。現物をとにかくしっかりと見る。しっかりと見たことは、自分の引き出しにしまわれる。そしてそれが必要なときに自然と出てくる。もう一つ、「捨て目を利かす」という事を教わった。日常でほとんど不必要でも、物を見る目を常に開いていると、本当に良いものを見たときに、自分の引き出しがさっと開く。目利きとして生きていくためには必要なことである。

話はまだ続いたが、手元が暗い中、メモする紙が無くなって、後は聞き流した。
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NHK「にっぽん・微笑みの国」を視る

(自家製の味噌)

三ヶ日が終わり、娘二タ家族も大騒ぎして帰って行った。帰りに、女房がJAの味噌作りで仕込み、一年ほど寝かせた味噌を小分けにして娘たちに持ち帰らせた。その作業を写真に撮れというので、何枚か取った。自家製の味噌は大変美味しいと評判のようで、女房の自慢の手前味噌である。

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NHKBSプレミアムの番組「にっぽん・微笑みの国」を視た。明治11年、来日して、独りで東北・北海道を3ヶ月に渡って旅をしたイザベラ・バードという英国の女性がいた。彼女は帰国後「日本奥地紀行」という本に、その旅行記を書いている。番組はイザベラ・バードの「日本奥地紀行」を元に、江戸時代の日本の面影をたどった番組である。

イザベラ・バードは東洋の各国を巡った後、日本に来た。若い通訳一人を連れて、東北から北海道へ、馬を雇ったりしながら旅をする。旅の間、まったく安全で心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわずに旅行できる国はないと述べているが、未知の国を単身で旅をするとは、相当度胸の坐った女性である。

「日本奥地紀行」の日本語訳を平凡社版で読んだのは平成14年8月で、読んだときの印象としては、かなり日本人に対して辛らつな表現をしていると思った。他の江戸末期から明治にかけての来日外国人と比較しても、厳しい目を持ってみていると思った。「日本人のみじめな体格、凹んだ胸部、がにまた足という国民的欠陥」などという表現は英国人の人種的偏見に満ちている。

そのイザベラ・バードが、旅が進むに連れて、村々の生活は貧しいけれども、人々の顔には笑顔が絶えないことに気付き、農民たちは自分たちを貧しいと思っていないのではないかと思うようになった。それが日本国中、どこへ行っても同じであることに驚く。村々では皆んな勤勉に働いていて、ぼんやりしたり、怠けたりしている人が見当たらないといい、旅を終える頃には日本に対する見方がずいぶん変わっていた。

江戸時代は封建社会で、民衆は貧困にあえいでおり、一揆や逃散などが頻繁に起きたと、暗黒の時代のように教えられてきた。しかし、その後、江戸時代の民衆たちが案外と日々笑いに満ちた生活をしており、決して暗黒時代ではなかったことを学んだ。特に古文書の勉強を始めてからは、さらに強く感じるようになった。

去年、国王夫妻が来日して話題となったブータンは、GNPに代る「国民総幸福量」(GNH)を重視する国で有名であるが、一方、つい最近まで、鎖国をしていた国である。日本も江戸時代に鎖国をしているときには、貧しくてもそれなりに民衆は満足していた。ところが、列強の圧力で開国させられた途端に、比較するものが出来て、富国強兵に突っ走り、幸せを感じる間もなく、敗戦の憂き目を見ることになった。

近年はグローバル化の名のもとに、再びの開国を余儀なくされ、日本人は先行きの不安にさいなまれている。開国を避けることは出来なかったのであろうけれども、開国がもたらすものは決してプラス面だけではないことに気付くべきであろう。
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国産ロケットH2型の開発譚

(暮れに「四国お遍路まんだら」の読者から頂いたペゴニア)

今年はどんな年になるのか。先のことを予測するのは困難である。去年、あの大震災、大津波、原発事故が起きることを、無責任な予言者以外に予測できた人はいない。今年も何が起こっても不思議ではないのである。

しかし、自分がどうありたいのか、これだけは自分の努力次第で何とでもなりそうである。だから年頭に当って一応は考えてみる。その通りに出来ることはなかなか難しいのだけれども、考えておかなければ何事も始まらない。

3月までは、ご近所の班長の職務が残っている。また今年は少ないとはいえ、スギ花粉も飛んで動きにくい。だから四月になってから、2ヶ月かけて、2度目の四国遍路に出ようと思う。途中、義父の1周忌がどこかであるだろうから、その行事には一度帰ってきて、Uターンして続きを歩く。そんな大まかな予定を考えている。2度目は88ヶ所プラス、20の番外札所と石鎚山を巡ることが目標である。戻って半年で記録をまとめようと思っている。ただし、年金生活者には本にまとめるだけの資金が捻出できるかどうか。今のところペンディングである。出来れば暮れまでには二冊目の本を出したい。

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もう0時を回って3日になっている。今までNHKで、日本の国産ロケットH2型の開発の話をやっていた。

敗戦後、日本では、航空機とロケットの開発が7年間にわたって禁止されていた。ロケット技術はその間に大きく遅れを取って、禁止が解けてから、糸川東大教授を中心にしたロケット開発チームがペンシル型のロケットから始めた。すでに、ソ連、アメリカが相次いで人工衛星を打ち上げ、かなり先を走っていた。日本でも衛星打ち上げが急務となり、国産ロケットの開発が急がれたが、遅れを取り返すのは至難の業であった。

一時は自力開発を断念し、エンジンなど中枢部をアメリカから技術導入して、N1型ロケットとして衛星を打ち上げたけれども、何機目かに打ち上げに失敗したときに問題が起きた。原因究明をする中で、エンジンなどアメリカから技術導入した主要部分がブラックボックスになっていて、原因究明が進まない事態となった。失敗の原因が解らなければ、対応も出来ず、ロケット事業を進めることなど不可能であった。

そこでもう一度、国産ロケットの開発に舵が切られた。それから数年後、H2型という完全国産のロケットが開発された。レーザージャイロなど独自技術を織り込んだH2型による衛星打ち上げが始まった。ところが7機目、8機目と連続して打ち上げに失敗し、このままではH2型ロケットが頓挫してしまう危機を迎えた。研究者は、調査のために、太平洋の3000メートルの深海に落ちたロケットを引き上げることにした。それは、あたかも砂浜に落ちた米粒を探すような難作業であった。深海探査艇を使って1ヶ月、ようやく見つけ、引き上げて原因調査した。その原因は目視しなければ想像も出来ないことであった。その対策を取ってから、H2型ロケットは1機も事故を起すことなく、打ち上げ続けていて、世界的にも信頼の高いロケットに成長した。

その後、H2型ロケットはより大型のH2B型が開発され、国際宇宙ステーションへ物資を運ぶ衛星「こうのとり」の打ち上げなどを順調にこなしている。日本の国産ロケットは世界の大型のロケットと比べて、ロケット自体の重量が最軽量で、その分積める重量が多くなり、効率のよいロケットとなっている。
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