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キリシタン灯籠か、織部灯籠か

(大日寺、キリシタン灯籠)


(撰要寺、織部灯籠「カクレキリシタン灯籠」)


(万松院、切支丹灯籠)
        
今月の15日、「駿遠の考古学と歴史」講座の初回で、俗称「キリシタン灯籠」(織部灯籠)のことが取り上げられた。「キリシタン灯籠」に関しては、今まで幾つかのお寺で、「キリシタン灯籠」なる灯籠を見たことがある。隠れキリシタンの礼拝対象とされたと、まことしやかに案内板があり、その多くが指定文化財となっていた。隠れキリシタンは随分あちこちに存在したのだなぁと、素直に感じていた。しかし、この話にはどうやら大きな誤解があったようである。

近くにも、いくつか「キリシタン灯籠」のある場所を紹介されたので、22日に、思い付いて見に行った。掛川市上張の大日寺、大須賀の撰要寺、袋井市浅羽の万松院の順に回る。大日寺の灯籠は三つの内、風化がほとんどなく、最も原型を留めているもので、どうやら旧相良街道の傍らに、長く半ば地中に埋まっていて、明治の初めに掘り出されて、当寺に安置されたものと案内板にあり、納得した。次に訪れた、撰要寺の灯籠は、裏庭にあって、非公開であったが、庭作業の翁が、せっかく遠くから来てくれたからと、中へ招き入れて見せてくれた。かなり風化が進み、頭部にはセッコクが着いていて、細かい部分は判然としなかった。最後の浅羽の万松院は、お寺を探すに少し時間がかかったが、灯籠は入口のすぐ見える所にあった。ただ頭部が失われて、見る影もなかった。何れの灯籠の案内板にも、はっきりとキリシタン(切支丹)灯籠と書かれていた。

この意匠の灯籠は、古田織部によってデザインされた灯籠で、「織部灯籠」と呼ばれたものである。デザインの中に十字架や聖像、アルファベット文字などが見えるとして、「キリシタン灯籠」とされた。
※ 古田織部(ふるたおりべ)- 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名の古田重然。茶人として知られ、千利休が大成させた茶道を継承しつつ、大胆かつ自由な気風を好み、茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって、「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらした。

織部は切支丹大名などと親交も深く、反骨精神も旺盛で、大坂城落城後に大坂方への内通を疑われ、言い訳もせずに切腹したぐらいだから、本気で「キリシタン灯籠」として意匠した可能性はあるけれども、織部灯籠として織部の手を離れた以後は、織部のデザインの変わった灯籠として、江戸中期まで数多く造られ続けた。それらの多くが、隠れキリシタンが崇拝の対象としたもの、とはとても思えない。あれだけ厳しく取り締まられた切支丹が、全国各地にこれほどたくさん隠れて存在していたとは、とても信じ難いし、「キリシタン灯籠」以外に、そのことを示す遺物が全くないのもおかしい。

思うに、その多くのものは、織部灯籠として、商人や僧などの数奇者が造らせて庭などに置き楽しんだものだろうと思う。織部灯籠=キリシタン灯籠、とみなすのは科学的ではないし、キリシタン灯籠として文化財に指定して置くのも問題だと思う。正しくは織部灯籠ないし織部型灯籠と認識すべきだと思う。
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事実証談 巻之三 異霊部25 贋牛王の崇り、筍の呪い

(散歩道のナデシコ)

「事実証談 巻之三 異霊部」の解読を続ける。

第55話
豊田郡森本村、近藤玄貞の家にて、寛政と言いし年の始めの比、台所に出し置きたる銭を、誰かは知らず盗み取りしと見えて、なかりけるに、その家の下女、常に人の物を奪う心有る者なれば、かれが業ならんと思えど、いさゝかの事をとかく糺すべくもあらざれば、欺きて出させんと、密かに紙を切り、文字など書いて、熊野牛王なりと偽り、これを呑めば、盗みたる者は忽に顕わるゝなれば、家内の者に残らず呑ましめんなど言い触らせしかば、
※ 熊野牛王(くまのごおう)- 熊野牛王宝印のこと。熊野三山で配布した符印で、妄語を正す熊野の神使である烏の絵で図案化した「熊野牛王宝印」の6文字が印刷され、朱の宝印が押してある。護符や起請文を記すのに用いた。

聞き怖じやしけん、その夜になりて、その銭、元の如く出でしありしを主見て、かの下女、実の事と思いて出せしか、又は外のもの盗り置きしが、恐れて出だせしか、知れざれども、大かた、かの下女の業なるべきを、贋牛王に欺かれて出しけん事の可笑しさよと、人々一笑して、かの牛王はそのまゝ捨てたりしに、

その後、家内に病人ありて、尋常の病とは変わりければ、卜者(ぼくしゃ)に占わせしに、御札を麁末(そまつ)にせし崇りなりと言ければ、かの贋牛王の崇りならんと驚き、その崇りを祓いしめたるにぞ。その病者は快くなりし。怪しきことなりと、則ち玄貞の物語なり。これを思えば、仮に造りし物にも霊ありて、そのしるしは有る物と知られたり。


第56話
豊田郡川勾庄にて、明和年中、ある家の薮なる筍を人知れず折り取れる者有りしを、その家の主、大きに怒りて、その折り取る者を悩まさんには、筍の折口へ塩を塗れば、その者必ず悪病発(おこ)ると言えり。いで折口へ塩を塗り悩まさんと、怒れる余りに塗りしが、

そのしるしにや、かの折りつる者、俄かに足腫れ、悩みつる事甚しかりければ、甚く憂うるに、塩ぬれりと告ぐる人有るにより、驚きて則ち酒一樽、かの方に持ちゆきて、罪を謝しけるに、さてはその崇りにて悩み給うか。近きわたりの人の仕業と知りせば、などかは、さる事すべき。

今その罪を明かし給えども、我ら言伝えにて、しかしつれど、如何にせばその悩みの鎮まるにか、さる業は更に知らずと言いつゝ、かの方に行きて、とかく語らいて、神仏に祈願せしに、その悩みは速やかに鎮まりしかども、さて後、上足となりて、生涯不具となりぬと、則ちその悩みし者の物語なり。

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事実証談 巻之三 異霊部24 木を伐るを欺くゆえの崇りの話

(散歩道のネムノキの花)

「事実証談 巻之三 異霊部」の解読を続ける。

第54話(続き)
怒れるさまにて言えるは、それはいと憎き業なり。いで伐りたらん者を顕わしてん、とその者を案内として、伐りたりし松のもとに至り、その切口にて幣帛を切り、そこに立て、言いけるは、三日を過ぎずして俄かに悩みたらん者こそ、この木伐りたりし盗人なれ、と言いつゝ、伴い帰る道すがら、思いけるは、幣帛立てしを恐れて悪業の罪を明かするらむと窺えども、さらに気色見えざれば、さては他人の仕業かとも思わるれば、いでや盗人現われば、告げし功に枝葉は汝に取らすべしと契りて返しける。
※ いで - さあ。どれ。いざ。(思い立って行動しようとする気持ちを表す)
※ 幣帛(へいはく)- 和幣(にきて)。榊の枝に掛けて、神前にささげる麻や楮で織った布。のちには絹や紙も用いた。
※ いでや - さてさて。いやもう。(感慨や詠嘆を表す)


その日の夕つ方、木伐りぬと告げたりし者の妻、来たりて言いけるは、いでや言む方なき業には侍れど、包むにたへず、明かし申さん事有りて参りぬと、常に変わりし形状(ありさま)なる故、如何なる事にかと尋ぬれば、何をか包み申さん。我が夫、某(なにがし)、今朝疾(と)く、人知れず松を伐り置き、他人の所行と君に偽り、その枝葉を功に給われかしと、あらぬ巧みをなしけるを、君いたく怒り給い、盗人を顕わさんと山の神に祈願せさせ給えりしを恐れて、とく明かし申すべきを、なお隠しつる崇りにこそ、家に帰るより俄に悩み苦しむ事、尋常(よのつね)ならず、足さえ痛みて、為方(せんかた)なく木伐りし事を打ち明かし、歎きけるを見るに堪えず、御許しを乞い申さんため参りたり。悪業をにくみ給うはさる事なれど、御慈悲に許し給えと、泣く/\述ぶるを神主聞いて、さこそあらめ、我が推察に違わず。宥免すべしと言ければ、その悩みは速やかに鎮まりぬとなん。
※ いでや - いやはや。(不満や反発の気持ちを表す)
※ 宥免(ゆうめん)- 罪を許すこと 。大目にみること。


かくて神主思いけるは、我、しか悩まさむと神に祈願せしにもあらず。ただかの者の心を引き見んため、幣帛を立てたるなるを、かゝる験(しるし)有りつるのみか、赦すと言いつれば、忽ちに平癒せしは、己れが心の遅れたる故か。祈願せずとも神わざすれば、そのしるしは有る物にやと。則ち神主ぞ物語りし。
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事実証談 巻之三 異霊部23 山の木を伐り崇りを受けない方法

(今宵の夕焼け)

今宵の夕焼けは最近見たことがないほど、真っ赤に染まった。午後7時26分、我が家の庭からの光景である。

「事実証談 巻之三 異霊部」の解読を続ける。

第53話
天龍川の川上に小仏山という山有るよし。その山の木を買い取りて、伐り初めし者多かりしが、如何なる故にか、種々の崇り有りて、皆伐り終らざる故、さらに買う者なくて、その価、甚く減じたるに、

豊田郡森本村、野口与市ぞ、買取りたるに、崇り有りとて、その山に入らむとする杣人なきを、こゝかしこにて語らいて、山入りの日、与市、杣人を給いて、かしこに至り、山中にて大音上げて言いけるは、この山を伐り初めし者、数多なれど、崇り有りて伐り終りたる者なきを、この度おのれ買い取り、伐らむとす。
※ 給いて - 率いて。

(しか)崇るは、神か仏か、如何なる者ぞ。天の下いづくか王地ならぬ所は有る。国宝の金銀以って買い取り、伐り出るに崇るべき由あらめや。神仏にても、この理に違う物あらば速やかに出合い給え。いで一討と罵りつゝ、大脇指を抜きかざし、その山中を東西南北に駈け週(まわ)る。その威勢にや恐れけん。獣一疋見る事なく、山小屋に立ち帰り、伐り初めしは、いとゆゝしく見えつるとなん。
※ いで一討 - さあ、一討ち(にしてくれよう)。
※ ゆゆしく(由由しく) - すばらしい。りっぱである。


さきざき崇りける物も、その理にや服しけん。聊かの崇りもなく、盡(ことごと)に伐り出し、商い木としたるに、山代聊かなりければ、大いに利を得、その子孫、今は藤右衛門と言いて三代を旧(ふ)れども、聊かも崇りなしと。則ちその家なる老人の物語なり。
※ 山代聊かなり - 問題物件で、材木を伐り出す権利金が安かった。
(その所の老人に聞くに、それは大入山なりと言えど、これは三河国設楽郡の□□□いう所に有る山なり。近比その山に入りて、木伐りし人有しが、崇りなしといえ□□□伝う小仏山なるべし。)
※ □の部分は原文が不鮮明で解読できず。


第54話
城東郡笠原、権現山は松、揚梅(やまもも)のみ生い立つるを、そのわたり海辺にて、薪乏しく皆その山の松を買いて薪とする故、その価、杉桧にも等し。常に人をして守らしむるに、寛政年中の事にて有りしが、その山の辺なる者、密かに神主の家に来りて言いけるは、我ら山を通りしに、人知れず松を伐り置きしが、根伐りばかりなる故、もしそのわたりに忍び居るかと窺いしかど、然もあらず。よくよく糺し給え。そを見付け告げたる功に、かの枝葉は我に給えかしと言いけるを、神主つら/\思いけるは、こはおのれ枝葉を取らむため、自ら切りて他人の業(わざ)とこそ欺(あざむ)からめと。
(この項、続く)
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事実証談 巻之三 異霊部22 霊山伐採の崇り

(散歩道のカラスビシャク)

田圃の畦道でカラスビシャクを見たとき、たくさんの小蛇が鎌首をもたげているようで、ぞっとした。初めてみる花だったが、説明によると、畦などに全国で普通にみられる花らしい。

「事実証談 巻之三 異霊部」の解読を続ける。

第52話
幾百年さき(前)にか有りけむ。薬師如来安置せる霊山有りけり。その山、大木生い繁りたるを、明和年中の比より入札ということして売払い、いさゝか堂の辺りのみ残れるを、またそれをも売らんとすれども、崇りあらん事を恐れて、買取る者まれなり。たま/\買取りて伐り初める者は、種々の障り有りて、山入りせるのみにて退く者多かりければ、始めには引きかえて、價(価)を減じ払わんとすれども、更に買う者なかりしを、

ある人價ことに減じたるに心とまり、杣人数多集めて言いけるは、如何なる霊山なりとも、價を出し代取らむに、何物か崇るべきと、堂の辺りとも憚らず伐り取りしが、いさゝかの崇りもなかりしかば、難なく切り終りて、その材木を江戸に送り、嫡男をやりて売払い大いに利を得たりしかども、嫡男江戸にて戯れ遊び、金を多く費やして、聊かも持ち帰らざりし故、父に言わむかたなくて、更にまた江戸に下り、こゝかしこの残金をとり集め、その金子を以って三、四年の程、かの地にて、また多くの金を得たるにより、それを功に家には帰りたりしに、

かの霊山の崇りにや有りけん、それより嫡男悪病発し、家にも有り難く、いさゝかなる金を路用とし、何国を心にさすにもなく、家出したりとなん。さてまた、その家出せし者の姉妹は、三、五里遠く嫁したりしが、(嫁したりし所、聞きただしつれども、詳しくは云い難し)姉妹ともに、故なく鉄砲腹とて、鉄砲にて自殺して死(うせ)たりき。(鉄砲腹とは筒口を胸にあて、足の大指にて引金を引いて自殺するを、山方にては鉄砲腹とぞいう)

またかの家の妻も鉄砲腹にて死たりしかば、人皆な霊山の崇りならんと言いしに違わず、嫡男は家を出、娘、嫁は横死せしゆえ、老父幼稚の孫の成長を頼みたるに、ある時、樫の木を伐るとて、その木に綱をかけて、思う方へ引き倒さむとしたりしに、杣人の伐ると均しく、その木、老父の上へ倒れしかば、微塵になりて死ぬるこそ、実に霊山の崇りとは知られけれ。

かくて幼稚の孫のみなるに、ある時土蔵より火出て、三ツながら焼失し、家財の
みか、馬さえ二疋焼き失いぬるは、いとゞしき崇りにぞ有りける。かゝりければ、その崇りを和むべく、身禊(みそぎ)祓いもすべかりけるを、若年の者にて、よき事真似ぶ(学ぶ)事なく、戯け遊べるほどに、世の渡らいなり難く、国遠く身退暫(しりぞき)断絶せしは、実に霊山の崇りなるべしと、その所なる老人の物語なり。
※ いとどしき - 甚だしき。
※ 渡らい - 生活のための仕事。生業。


鎮守の森などの巨樹を伐る事は、巨木好きな自分にも堪えられないことではあるが、この霊山の崇りの凄まじさには驚いた。一家を亡ぼすほどの崇りを、どう読めばよいのか、戸惑うばかりである。
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事実証談 巻之三 異霊部21 疳病と十句観音経

(散歩道の真っ赤なカンナ)

「事実証談 巻之三 異霊部」の解読を続ける。

第51話
周智郡天宮郷、村松家の三男熊吉は、享和元年と言いし年、四歳になれるが、秋の比より疳病発し、翌年夏の比より弥(いや)まさりて、七月廿三日より肛門脱出し、常にその長さ凡そ三、四寸ばかりなりければ、座する事なり難く、物食う時は起きて食し。その余は臥してのみ有るを、同年の十二月廿日比、継母里に行きたる時、近きわたりの老人にこの病を物語るに、老人言いけるは、そは観音経だに唱え給わば、速かに平癒すべし。我ら人に伝えて、さる病二人平癒せりと云うにより、
※ 疳病(かんびょう)- 漢方では消化器の虚弱とある。小児の慢性消耗性疾病全般を指す。

則ち急ぎて、その老人を伴いて家に帰りつきたるは、十二月廿五日の夜、酉の時ばかりの事なりけり。主にかくと物語れば、甚く歓びて、道遠く来り給い労(つか)れ給わめど、しばしも早くと請うまゝに、老人とりあえず、佐野郡法多山観音へ立願(りゅうがん)して、教え申さんと手洗い、口漱(すす)ぎ、十句観音経を唱えて教えけるは、この経、怠慢なく三千返唱え給え。その内一返違いてもその験有るべからずと教うるを、
※ 法多山(はったさん)- 静岡県袋井市豊沢にある法多山尊永寺。高野山真言宗の別格本山。本尊の正観音は古来、厄除け観音として広く信仰される。
※ 十句観音経(じっくかんのんぎょう)- 別名を「延命十句観音経」。大乗経典の観音経系経典に属し、わずか42文字の最も短い経典として知られる偽経だが、古来ただ何度も唱えるだけでご利益を得られるとされており、人気が高い。


則ち唱え初めしが、年の暮にて事繁く、とく果さんとも思わざれど、いかで来ん年の始めより安からしめんと、心を尽くして唱えけるに、晦日の夜の九つ時までに唱え果てたれども、聊かその験もなき故、安からず思い居るに、

明れば享和三年正月元日、辰の時過ぐる比、祝儀の吸物とて家族打ち寄り祝うに、かの小児尻より出でたるものなしという。さては切れ落ちしにやと、衣服引上げ見れば、速やかに平癒せしこそあやしけれ。こは実に観音の利生なりと、取るものも取り敢えず、四日の日、法多山観音へ召使十太という者を、先ず代参に遣して、いよ/\信仰すと、則ち村松家の主の物語なり。
※ 辰の時 - 時の数え方で、現在の午前8時の前後2時間頃を指す語。
※ 利生(りしょう)-(仏語)仏・菩薩が衆生に利益を与えること。また、その利益。
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事実証談 巻之三 異霊部20 瘤のとれた話


(第49話の挿絵)

「四国お遍路まんだら再び」の中で、「クマのぷーさん」と渾名を付けた中国人の部(ぷー)さんとは、お遍路でほぼ一日一緒に歩いた。当時で、日本在住すでに16年、日本語はペラペラで色々と話した。内容は「再び」の中に書いたが、その本を送りたいと思うも、住所も何も聞いて置かなかった。昨日、ふと思い付いた。明石に住んでいると聞いたから、同じ明石に住む甥っ子に調べて貰ったら、ひょっとして分るかも知れない。さっそく電話した。手掛かりは、「再び」に書いたことがすべてである。ほとんど無いに等しい。唯一、部(ぷー)という名字が大変珍しい。本人も同じ名字の人は日本にはいないと思うと話していた。甥っ子には面倒なことを頼んでしまったが、見つかる可能性は低いだろう。部(ぷー)さんはこのブログの事は承知しているから、もし、この書き込みを見ていたら、連絡を欲しいと思う。

「事実証談 巻之三 異霊部」の解読を続ける。

第49話
山名郡下地という所に、年老いて子もなく、只一人住まる嫗(うば)有る。この嫗の面に大なる癭瘤(こぶ)有りて、いと怪しかりしを、同郡米丸村の医師溝口春水、かの嫗に出会いたるに、その癭(こぶ)なきを怪しみ、いずれの医師の治療にてか平癒せしと尋ぬれば、かの嫗、こは治療にて平癒せしにあらず。ある日、乞食に等しき僧来て言えるよう、汝面に癭ありて煩わしからん、まじないて得さすべしと言えり。

それは嬉しく侍れど、一銭の礼謝せん事も難き身なりと言えば、礼謝を得むの心にあらず、我れ汝が煩はしからん事を思いてなりと、則ち柱杖(つえ)取直し、我が面の癭をまじない、近からんほどに平癒すべしと言いつるを、日も経ずして平癒しつるは、いと怪し。さて、その僧は弘法(大師)にて有りしかと言えりと、則ち溝口氏の物語なり。


第50話
周智郡久野郷の甚七、寛政六年と言いし年の比より、耳の辺りに癭瘤発(いでき)たるに、年月にそえて、ただならず、既に寛政十年と言いし年に、いと甚く大きになれるを、森町村、猪原道悦という医師に治療を乞えど、治療せん事安からじと言うに、せん方なく、瀬川という所のはやり薬師に、月毎に詣でて祈願するに、かつがつ減じ寛政十二年という年までに、いつしか名残なく全快せりと、猪原氏の物語りし。
※ かつがつ(且つ且つ)- 少しずつ。ぼつぼつと。

後、そのわたりの人に、なおよく尋ぬれば、その比は速やかに平癒せしを、またさらに吹出(ふきで)しを、かの薬師に祈願怠らず、月詣でもしたれども、只一時の流行(はやり)事にて、その験(しるし)なかりきと言えり。こゝを以って、流行物(はやりもの)はその時々の神の御心なる事知られぬ。これは同例数多あれど、事繁ければ省きつ。
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事実証談 巻之三 異霊部19 疱瘡神祭るを禁ず、石臼の目切の不思議

(島田市プレミアム金券)

女房が「島田市プレミアム金券」を求めて来た。一万円で一万二千円分の金券が購入できる。地域振興政策の一つというが、プレミアムは結局税金から出ていると思うと、複雑な気分である。

午後、自動車免許証の更新に行く。次回は5年後、あと何度、更新できるのだろう。

「事実証談 巻之三 異霊部」の解読を続ける。

第45話
豊田郡森本村、伝八郎という者は、並々ならぬ者にや有りけむ。ある時、小児疱瘡煩うにより、妻疱瘡神を祭らんと言えども許さずて言いける。この国にてこそ、疱瘡神など言いて祭もすれ、西国順礼に行きし者の物語を聞くに、紀伊国にては百日癩病とか言いて、百日の間は山奥に出し置くよし。その時のみか、生涯人の面に疵付け醜くからしむる病なるを、などかはさる疫病神を祭るべきとて、萬ず禁じ許さゞる事を、

妻はたえず思いて、密かに物蔭にて祭けるを、主見付け大いに怒りて言いけるは、我言に背くやと言うまゝに、疱瘡神の棚を打ち砕き捨てたりけるを、妻いとゞ心にかけて、大方このわたりにては、病者の死にたりし時にのみこそしかすれ。かく神をも恐れざれば、如何なることかあらんと案じつるを、小児皆順痘にて、痘瘡(もがさ)の数もなく、遊びつゝ安らかに(療養に)つとめたりと。則ち伝八郎嫡男、太郎左衛門の物語なり。


第46話
山名郡松袋井村、村松八郎左衛門、ある時、川狩りすとて、袋井駅の南なる川を網うちつゝ、川上へ上りけるに、はからず深みに入れりけるを、汀(みぎわ)に上らむと、木に取付いて上りたるに、その比、袋井駅にて、疫病煩う者多かれば、立祓とて、修験して疫病神を送り出す事あり。

かの立祓の幣帛の川辺に捨てたるを、有るとも知らで上りしに、それに触れると即ち、頭に釘さす如く覚ゆる故、さては立祓の幣帛にこそと、いとゆゝしくみそぎして帰りつるに、疫病神こそつきたりけめ、大熱の病起り、甚くなやみて百日ばかりにて全快せしは、実に怪しかりきと、則ち、かの人ぞ物語し。
※ 幣帛(へいはく)- 神前に供える物の総称。みてぐら。


第47話
安永年中の事とかや。榛原郡住吉村、長左衛門家内、残らず畑に行くに、雨戸をもさしたり。この隣りは伝左衛門という者の家なるが、これも同じく畑に行きて、年老いたる老婆のみあるに、長左衛門の家にて石臼の目切音しけり。伝左衛門の石臼も目尽きたりければ、切りしめんと、家族の帰るを待ちけるに、午の時過ぐる比、両家の人々帰りきつ。さて老母、長右衛門にしかじかのよし言いけるに、今日我ら家、こぞりて留主なれば、かつてさる事なしとぞ答えける。

さて、後、長右衛門の妻、を挽(ひ)くに、常よりことに細末なりけるを怪しみ見れば、いつしか石臼の目切りて有りけり。いよ/\怪しくつら/\見るに、切目ごとに梵字の如く見ゆれども、文字に似て文字とも定め難しと言えり。それより萬ず物挽けども、その目尽きる事なく、今は三十年にあま連ども、更に切る事なしというは、いと怪しくなむ。
※ 炒(こがし)- 米・麦などを炒って、粉にひいたもの。湯にとかして飲んだり、砂糖を加えて練って食べたりする。香煎。
※ 細末(さいまつ)- 細かい粉。粉末。


第48話
佐野郡岡津村、松永平太夫が許にても、百年ばかり以前に、同じさまなる事有りしが、その石臼、今に持ち伝えて、挽くにその目切事なく、尽きる事なきよし。こは今の主の、高祖母の若きほどの事なりしと、則ちその家に言い伝えたり。
※ 高祖母(こうそぼ)- 祖父母の祖母。

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事実証談 巻之三 異霊部18 疱瘡神と疫病神あれこれ

(隣の新堀川に滝が出来た)

午前中、キリシタン燈籠の取材へ行く。記事は後日。

隣の新堀川で水音を聞いて、覗いてみると写真のような滝が出来ていた。向いの農業用水溝から水が溢れて、下の新堀川に滝となって落ちている。対岸に渡る小さな木橋は昨年秋の増水時に流されて、無くなった。向いの小さな畑の人たちが私的に造ったものだったので、今はそのままになっているから、様子を見に行くには大回りしないと行けない。なあに、田圃に水を入れる一時だけ出来る滝である。放っておいても問題ないだろう。

「事実証談 巻之三 異霊部」の解読を続ける。

第39話
豊田郡池田庄、杉村太七郎、天明五年と云いし比、東池田村にものしけるに、ある家の門の前に、惣髪の人立ち塞ぎたり。よけて通らんとするに通さず。何者ぞ、我を通せと言いつゝ、突き倒し通らんとするに、なお退かず。かくて互いに力足を踏みて押し合いたるに、太七郎力や増(ま)さりけむ。押し除(のけ)ると均しく、かの総髪なる人は消え失せたり。
※ 力足(ちからあし)- 力を込めた足。相撲の四股(しこ)のこと。

太七郎、甚く驚きぞっとして、身の毛よだち、怪しとは思えども、如何なる者とも知られず。家に帰るより疱瘡(ほうそう)(わずら)うに、さては疱瘡神にて有りけむと、後に思い合わされつと、則ち太七郎の言えるを書き留めつ。


第40話
周智郡天宮郷、中村家の老母、ある夜の夢に疱瘡神来ましぬと見つるを、怪しみ人にもかくと語りけるに、その翌日より、小児、疱瘡煩い付きつとなん。

第41話
榛原郡志戸呂庄、横山家の老母も、疱瘡神、家に来たれりと、夢見し事を怪しみけるに、これもその日より、小児、疱瘡煩い付きつといえり。すべてかかる流行病は、疫病神の所行にや。
※ 所行(しょぎょう)- 所業。しわざ。多く、よくないことにいう。

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第42話
豊田郡森本村、近藤玄瑞の物語に、疱瘡流行(はや)る度毎に、あまた治療しつるに、病者のする者の夢に、老翁、老婆の類いを見る時は、必ず順痘なり。若き美男、美女の類いを見るときは、必ず逆痘にして安からずといえり。
※ 伽(とぎ)- 病人の看護。
※ 順痘(じゅんとう)- 疱瘡の経過がよいこと。
※ 逆痘(ぎゃくとう)- 疱瘡の経過が悪いこと。


第43話
豊田郡大谷村、内山家の嫡男、疱瘡わづらう時は、常とは甚くかわり、博奕をのみ好みて、人を集め、昼夜となく、さるわざしたるは、疫病神の心にて有りしか。病い平癒せしかば、即ち博奕の沙汰なかりつといえり。

第44話
ある御方の疱瘡せさせ給ふ時には、いと/\あやしき賤の男、賤の女の形状をのみ、好ませ給えりしよし。これも神心にや。平癒の後、さるわざ、かつてなかりつと、ある人の物語にぞ有りける。すべて疱瘡煩う時は、赤紙を以って疱瘡神を祭るを、家々にて種々の沙汰有りければ、疫病神あること疑いなし。
※ 疱瘡と赤紙 - 疱瘡神はや赤色を苦手とするという伝承があったため、赤い紙で御幣を作って祭ったり、地域によって様々な赤い物を飾ったり、身の回りで使った。
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事実証談 巻之三 異霊部17 総髪の人の告げ

(庭のムラサキクンシラン)

「事実証談 巻之三 異霊部」の解読を続ける。

第36話
享和三年の夏は、おしなべて麻疹(はしか)流行したるに、豊田郡源兵衛新田村、源兵衛方にて、家族麻疹を煩うに、ある日、二人の子供のみ寝たる所に、惣髪の人来て言うよう、我は今は長森村膏薬屋へ行かん。汝が悩みは今より安からんと言いて出て行くを、子供ながらも怪しとこそ思いつらめ。
※ 惣髪(そうはつ)- 男性の髪型である。月代(さかやき)を剃らずに、前髪を後ろに撫で付けて、髪を後ろで引き結ぶか髷を作った形を言う。江戸時代前期からは男性の神官や学者、医師の髪型として結われ始めた。
※ 長森村膏薬屋 -「長森こうやく」は東海道の名物であった。


父の来るを待ちとりて、さる事有りつと語りしに、果して長森村にて、膏薬屋山田与左衛門方にて、煩いそめつと。それより三日ばかり過ぎし後、則ち源兵衛の物語なりしが、月日は記(しる)さゞりき。


第37話
駿河國三輪村、三輪神社の神主、武藤左門の嫡男左膳、二十歳ばかりの比、文化五年と云いし年の七月五日の夜、難病発しつれど、聊か快(こころよ)かりしに、又八日の夜、甚く悩みける故、家族付添い有るに、五日より昼夜看病に労(つか)れければ、病者の少しひまあるに心ゆるみ、皆しばらくまどろみけるに、夢現(ゆめうつつ)ともつかず、惣髪の人来ていうよう、今より快(こころよ)からむと言いけるを、

左膳夢ごゝちにて聞き歓び、人を呼びてそのよしを語り、温石は如何というにより、その故を問えば、今、温石をあてよと言われしを、早く/\と言ひしかば、家族怪しと思えども、甚く歓び、まづ温石温めんと、囲炉裏の火を掻き起して見れば、温め置きたる人もなきに、瓦一つ灰の中に温めたり。いよ/\怪しみつゝ、温石の代りとするに、それにて大きに快く、日あらずして全快せりと、則ち、武藤左門の物語なり。
※ 温石(おんじゃく)- 焼いた石を綿などで包んだもの。冬、体を暖めるのに使った。


第38話
上総国夷隅郡下横地村、元右衛門の一子、享和三年、難病発(おこ)りて難治の症なるを、母甚く悲しみ、抱きて少しまどろみける折り、夢ともなく現(うつつ)ともなく惣髪の人来たりて、一子の難病快気すべしと云うに、驚きて辺りを見るに人なし。しかじかと人にも語りて、怪しみたるに、難病忽ちに快気せりと、同国同郡同所の者と、江戸にて旅宿に同居せし折り、聞きける故、同例には添えつ。
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