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小夜中山夜啼碑8 十六夜の霊、我子に乳房を含ます

(十六夜が霊、我子の泣き声を慕い、折々出て乳房を含ます)

一日、4人の孫で大騒ぎ。ムサシ昨夜玉ねぎを含んだものを口にしたらしく、未明に何度も嘔吐して、今朝、動物病院へ連れて行った。結果、今日は食事抜きとなり、空腹なのか宵の口まで騒いでいた。この時間はあきらめて寝てしまったようだ。

小夜中山夜啼碑の解読を続ける。

かくて上人は、この赤子を朝暮かたわらに寝かしおくに、乳の欲しき頃に至り、少しむずかる時、不思議や一つの陰火ひらめき、赤子のほとりに落つると見ゆれば、すや/\と寝睡せり。

かくすること度々なれば、上人思い給う様、これ母親の亡魂の、子に添え乳するならんとて、その後は更にあやしみ給わず。この一奇事は上人の目にのみ見えて、余の者は側に居るとも知らざりけり。

光陰は矢のごとく、ひま(隙)ゆく駒の蹄(あがき)疾(はや)く、この児、虫気もあらずして、ようやく乳ばなれのする頃は、所にひさぐ飴の餅をねぶらせけりに、肉(しゝむら)肥え、骨太く、追々成長、今年十二才の春をむかえ、手習い学文、怠りなく、一を聞いて万を知り、大人も及ばぬ才あれば、上人は世に頼もしく、ゆく/\は出家させ、我が後住にもと思しけり。
※ 隙ゆく駒(ひまゆくこま)- 年月の早く過ぎ去ることのたとえ。
※ 駒の蹄(こまのあがき)- 時が過ぎていくことのたとえ。また、時の過ぎるのが速いことのたとえ。
※ 後住(こうじゅう)- 住職の後継者。


この児(ちご)の名を始めより、里人呼んで、石よ/\、石若よ、と呼び慣わしけるにぞ。上人もかく呼び給い、自らも名と覚えて、終に石若となりにけり。

かくて、ある時上人は、石若を居間に招ぎ、仰せける様、我れ、汝が種性を、今までは包むといえども、今こそ語り聞かすべし。汝はかやう/\の義にて、人手に果てたる懐妊女の疵口より、産まれ出で、観音菩薩の霊夢によって、この年来、養育せしかど、何者の胤なるを知らず。
※ 種性(すじやう)- 素姓。

母の死骸のからわらに、うち捨てありし守り袋、外に短刀一腰ありと、とり出して見せ給えば、石若は日頃心に懸りたる、家尊父母の事初めてうち聞き、昔を忍ぶ俄の雨、乾きもやらぬ袖の露。また師の坊の手一つにて、十をあまり二年(ふたとせ)を、育てられたる高恩は、口に言うともなか/\に、及びもやらず、礼(いや)も涙に口籠(くごも)りて、ただうち伏してありけるが、
※ 家尊父母(かぞいろ)- 父母。父と母。
※ 礼(いや、うや)- 「礼」の事を「いや」あるいは「うや」と云った。「うやまう」「うやうやしい」などの語源。



(笹鶴錦の文様、鶴は蔓のことだろう)

暫くありて両手をつかえ、師にうち向い、これまでの、莫大慈善の恩を謝し、母の片身に笹鶴錦の守り袋をおしひらき、証拠やあると求むるに、中より出でる書付を、手にとり披(ひら)き閲(み)るに、信濃国の領主、更科家の藩、望月隼人が妻、十六夜と記したり。
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小夜中山夜啼碑7 十六夜の疵口より男子出産

(中山寺の夢幻和尚、観世音の霊夢を蒙る)

小夜中山夜啼碑の解読を続ける。

去る程に、この死骸を埋めし印の石の下にて、夜啼く赤子の泣声して、
上人の居間の内まで、手に取る如く聞えければ、峰の哀猿の叫びならんと、その夜は耳にも止め給わず、寝所に入りて休ませ給う。その夜の夢に観音菩薩、一人の赤子を抱き給いて、上人の枕辺に立ち給う、と見て夢覚めたり。
※ 哀猿(ましら)-「ましら」は猿の雅語的表現。「哀猿」とは晩秋の頃、猿が甲高い声を上げて叫ぶ求愛の声。芭蕉の「野ざらし紀行」に富士川で、「猿を聞く人捨子に秋の風いかに」という句がある。子供の泣き声を哀猿の声に譬えた例である。

かゝる夢を三夜つゞけて見給いければ、上人は心の内にいぶかしみ、泡沫夢幻と世の中の、はかなきことに説諭す夢すら、三夜に及びては大悲の霊想、疑うべからず。殊にこの頃女子を埋めし、石の夜な/\、声を出すは、人も知り我も聞いたり。
※ 泡沫夢幻(ほうまつむげん)- 水のあわと夢とまぼろし。はかないことのたとえ。


(小夜の中山、夜啼き石の古事、懐胎女の疵口より、男子出産す。)

かの死骸にこそ子細あらんと、その夜明けるを待ちわび給い、里人を呼び集え、さてしかじかと観音の、夢想三夜に及びしことを、皆々にもの語り、夜啼の石をとり捨てさせ、土を掘りて穴をうがち、女の死骸をとり出しみるに、不思議なるかな、疵口より赤子這い出し、乳房にすがり、乳を吸いてありしかば、上人はじめ里人等は、驚く事大方ならず。

上人は死骸に立ち寄り、やがて赤子を抱きとり、黒衣の袖におし包み、里人に宣(のたま)う様、
「この女子懐胎にして、人手にかゝり、非業の死をとげしといえども、是非の一念、孩児(あかご)にまつわり、疵口よりかく安々と出産をなせしをば、大慈の妙智力をもて救わせ給い、拙僧に前(さき)の霊夢のありしならん。寿なるかな、妙なりけり。」
と峰を仰ぎて、ぬかづき給えば、
※ 孩児(がいじ)- 幼児。嬰児(えいじ)。おさなご。

見もし、聞きもす奇瑞霊験、里人信心肝にめいじ、再び女の死骸を埋めて、子供を持ちたる里人は、家に走(はせ)て一つ身の、着類もて来つ赤子に着せ、乳汁余る女房等は、住寺にきたり乳房を与え、ひたすらに愛情すにぞ。それより赤子は、泣くことなく、いとおとなしく生長せり。
※奇瑞(きずい)- めでたいことの前ぶれとして起こる不思議な現象。吉兆。
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小夜中山夜啼碑6 闇六、十六夜を殺し五百両を奪う

(散歩道のハクモクレン)

本日午後、名古屋のかなくんが来る。掛川駅まで出迎えに行く。幼稚園が春休みで、すぐに来る積りが、母子ともインフルエンザで一週間ほど遅れた。明日からまーくん、あっくん、三つ巴で大にぎやかになることであろう。

小夜中山夜啼碑の解読を続ける。

手元にしかと十六夜が、念力極めし女の一心、闇六の強悪人、かよわき女子とあなどりて、不義いい懸けしのみならず、かく無残にも殺すとは、鬼に類(ひと)しき人面獣心、たとえこの身は死するとも、魂魄汝に付き添いて、いつか恨みをはらさんと、憤怒の形相すさまじく、口より吐く息、炎となり、たけり狂うて闇六が、刃持つ手に食いつきて、小指を一本、喰い切ったり。
※ 人面獣心(じんめんじゅうしん)- 顔は人間であるが、心はけだものに等しいこと。恩義や人情を知らない者、冷酷非情な者のたとえ。ひとでなし。
※ 魂魄(こんぱく)- 死者のたましい。霊魂。


闇六は気をいらち、力を極めてふりほどき、刀逆手にとり直し、笛のくさりをさし通せば、歯を喰いしばり息絶えたり。闇六、刀の血汐をぬぐい、鞘におさめて蹴りかへす。死骸の肌につけたる五百金、この時胴巻うちほぐれ、あたりに飛び散る黄金の花、元来切り取り強盗を、業として世を渡り、富に浮べる村雲闇六、拾い集めて完而とうち笑み、死骸に立て寄り胴巻を、引き出だしつゝおし頂き、かゝるべしとは思わぬ幸い、仕合わせよしと懐中し、雲間を出ずる月影に、路をもとめて逃げ去りけり。
※ いらち(苛ち)- いらいら、せかせかとして落ち着かないこと。
※ 笛のくさり - 「喉笛の関節」の意で、喉仏の軟骨の部分。


かくてその翌の朝、所の百姓ら農業の、出がけにこゝをよぎり、十六夜が死骸を見つけ、驚きあわて、中山寺の院主に、かくと訴えければ、現住、夢幻和尚、徒弟をひき具(ぐ)しはせ付けて、死骸をいち/\あらためさするに、盗賊の業とおぼえて、何さま太刀疵数ヶ所あり、無残というもあまりあれば、上人読経し給いて、その死骸を百姓ばらに指揮して、その処に埋めさせ、しるしに一つの石を建てたり。
※ 現住(げんじゅう)- 寺院の、現在の住職。
※ 百姓ばら - 百姓たち。百姓ども。「ばら」は人に関する名詞の下について、複数を示す。(親しみ、あるいは見下して)


さればその折り、かの死骸のかたわらに、飛散りたる守り袋を、上人は拾いとり、後に由縁の者あらんとき、証拠のためと取り置かれ、跡ねんごろに弔われける。
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小夜中山夜啼碑5 十六夜、中山で村雲闇六に出会う

(大代川土手のエドヒガンは今が満開。ソメイヨシノは満開にはもう少しだろうか。)

小夜中山夜啼碑の解読を続ける。

折しもあれ、急ぎ足にて来かゝるは、浪人体の一人の武士、行き違いざま、十六夜と貌(かお)見あわせて、ともに驚き、
「やあ、おのれは望月隼人が妻。」「さいうは村雲闇六か。」
と、女ながらも身構えなせば、闇六はあざ笑い、
「汝が夫、隼人めは、我父を讒言なし、己が栄花(栄華)を計りをもて、その憤(いきどお)り骨髄に徹し、姨捨山の麓に待ちうけ、討ち果さんと思いしに、かえって隼人が刃の下に、我父を討たれたれば、我またその場を去らずして、父の仇を報うたり。」

「汝も今は夫に別れ、後家となりしは幸いなり。憤(うら)みと恨みを水になして、今より我に随わば、夫婦となりて連れ添わん。いかにや/\。」
と寄り添えば、十六夜は無念の泪、強悪無道の村雲闇六、何ぢょう己に随わんや。

夫の敵(かたき)近寄りて、只一と打ちと心に思えど、甲斐なき女子の細腕に、もし仕損じなば、この身のみかは、胎内の赤子まで、月の目も見せず、暮れより暗きに帰る悲しさに、だまし寄ってさし殺さんと、たちまち完而(にっこ)と笑顔を造り、闇六にうち向い、
「わらわも今はよるべなく、いずことさして行手あらず。今幸いに和君に面会、うらみを捨て、つたなきこの身を、伴われんこと悦ばし。」
※ 完而(莞爾、かんじ)- にっこりと笑うさま。ほほえむさま。
※ 和君(わぎみ)- 二人称。親しみを込めて呼びかける語。あなた。


「この上は何処までも、ともに随いまいらん。」
と云いつゝ寄りそえ、油断を見すまし、隠し持ったる懐剣逆手に、夫の仇と闇六が肩先、少し切り込めば、闇六ひらりと身をかわし、十六夜が懐剣持つ手を、捻(ねじ)かえして、足下に踏まえ、怒れる声をふり立て、
「いらざる女の小腕立て、たばかり寄りて、我を刺さんとなせしとぞ。奇怪なれ、夫とともに死出の旅路を許してくれん。」



(小夜の中山にて、闇六、十六夜を殺害し、金を奪い去る)

この絵で気になる点。十六夜は巡礼姿(白衣)のはずで、また闇六の左手に持つ巾着は五百両にしては余りに小さい。

憎さも憎しと、水なす刃をひき抜き、刺し貫けば、虚空を掴む七顛(転)八倒、もがくを闇六蹴かえして、かたえの石に腰うち懸け、苦痛の十六夜尻目にかけ、摺火打取出し、ゆう/\と烟草くゆらせ、
「おお、痛いか、苦しいか。人我につらければ、我また人につらいぞや。恨みを捨て、情に報うこの闇六に、手向いなす。天罰ただに巡り来て、この中山の露霜と、消うるは汝が自業自得、さらば止命(とどめ)をさしてくれん。」
と、立ち上りざま黒髪を、引っ掴みつゝ引寄せて、刃を胸に押しあつる。
※ 摺火打(すりびうち)- 火打ち石を火打ち金ですって火を出すこと。また、その道具。
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小夜中山夜啼碑4 身重の十六夜、一人小夜の中山へ

(庭のレンギョウの花)

小夜中山夜啼碑の解読を続けよう。

身重の十六夜が伊勢の知るべを頼って、五百両もの大金を持って、一人、旅に出る。物語の筋廻しでは、必要なことは判るが、武士の妻が身重の身で、従者も連れないで長旅に出るのは、無理な設定である。当時、そういうことはあり得なかった。しかも五百両の大金を持ってである。小判一枚18グラムとして、500枚なら9キロある。お遍路の時、リュックの重さが7、8キロで、重くて辛かったことを覚えている。かように、無理な筋立てもあるが、解読を続ける。

さても隼人が妻、十六夜は、夫がこたびの不慮の死に、悲しむこと大かたならず。腹腑(はらわた)を絶つばかりなりしが、せめては君命の、かたじけなさを心頼みに、死骸を引きとり、菩提所にあって葬り、七日/\の仏事供養を果して後、家財残らず売代なして、
※ 売代(うりしろ)- 物を売って得た代金。売り上げ。

さて、おのれが旧地といえるは、その家絶えて、ある事なければ、勢州のしるべを頼り、懐胎の重身をかゝえ、君より給わりたる三百金の余に、家財の売代、貯えまで、肌につけたる五百両、女の身にて大枚の路用を、たづさう危うさに、西国順礼の姿にやつし、心細くもたゞ一人、東海道を心ざし、住みも慣れたる古郷をば、おぼつかなくも立ち出でて、
※ 旧地(きゅうち)- 以前の領地。
※ 勢州(せしゅう)- 伊勢の国。
※ 大枚の路用(たいまいのろよう)- 多額の旅費。


なまよみの甲斐路に出、嶮岨をよぎる九折(つゞらをり)、なれぬ旅路に足曳の、山また山をたどりつゝ、かろうじて遠州なる、日坂、金谷に程近き、小夜の中山のほとりまで、来たりにけり。
※ なまよみの - 国名「甲斐(かい)」にかかる枕詞。
※ 足曳の(あしびきの)-「山」および「山」を含む語「山田」「山鳥」などにかかる枕詞。


さらぬだに、女の旅の道、はかどらず、殊さら産み月の折りなれば、いとゞその身も重やりに、日数ほど経て、この地に来つれば、今少しにて駅路に出んは、難きことならず。しばしが間、休(いこ)わんと、かたえの岩を仰ぎ見るに、松柏を交えて繁茂し、美水、山の腰を伝うて、幾千丈の谷に下り、俗塵放れし風景に、
※ 俗塵(ぞくじん)- 浮世のちり。俗世間の煩わしい事柄。

十六夜は一人うなづき、これなん、音に聞こえたる中山寺の霊場にて、かしこは峰の観音ならん。夫の菩提、胎内の孤子(みなしご)のため、救世円通の大悲の応験たのまばやと、杖にすがり谷を越え、霊山に登りて拝礼なし、麓に下りの中山の、元の処に至るころ、冬の日いと短かく、はやくも黄昏に及びしかば、駅に至りて宿とらんと、立ちあがる。
※ 救世円通(くぜえんつう)- 観世音菩薩の異称。衆生済度のため、さまざまな姿をとって世に現れ、その救いの働きが融通無礙であるところからいう。
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小夜中山夜啼碑3 望月隼人と村雲主膳の検死と処置

(隼人が妻、十六夜、夫の死骸にすがり、なげく。
星野検死を命じられて、二士が亡骸を改む。)

静岡では一昨日、桜の開花宣言があった。今日は午後から雨、開花を進める雨だという。今日、JRのジパング倶楽部の今年度の手帳が届く。運賃が3割引になるのだが、出掛けなければ割引きも無いわけで、つまりは7割を使うということ。人は割引部分しか見ないけれども、世の中にはそんなお得が多い。特にお年寄りは注意しなければならない。

小夜中山夜啼碑の解読を続ける。

更科家にては、隼人が従者、追々に走(はせ)帰りて、右の始終を訴えけるにぞ。老臣星野郡司、手勢を引き具し、かの場所へ走せ付け見るに、村雲主膳は望月に、討たれし様子紛れなけれど、隼人も手痛く討たれたる。死骸はさながらのごとし。さては村雲の方には、多勢の助太刀ありと見えたり。正(まさ)しく一子闇六も、倶に隼人を討ちしならんと。
※ 粉(こ)- 粉とは大げさな表現だが、「身を粉にする」との慣用句もある。

家来を村雲が宅にはせ付けさせ、家内を改めせしむるに、一子闇六あることなければ、先ずこのよし、我が君に訴え、上の命令にまかせんとて、村雲、望月二人の死骸を、半駄にうち乗せ、かき荷(にな)わせ、館にこそは帰りけれ。
※ 半駄(はんだ)-「駄」は「馬に荷を積む。また、その積み荷」。半駄はその半分程。

かくて更科家にては、家臣の同士討ち、外聞をはばかり、村雲主膳は妻もなく、一子闇六も欠落して、死骸を引き取る家もなければ、その所の僧を呼んで引き取らせ、望月隼人は妻の十六夜(いざよい)に死骸を給わり、老臣中より言い渡すには、今度隼人義は上野へ使者の途中、同藩村雲主膳とともに、何ようの遺恨にや、相討ちしたり。主膳の方は助太刀もありしと見えて、家内は明き家同様にて、一子闇六もここにあらず。
※ 欠落(かけおち)- (日本中世とくに戦国時代において)人々が軍役・貢租の負担や戦禍から逃れるため他領に流亡すること。

隼人、日頃温順の本性にて、人と争うべき者ならねど、定めし余義なき場所なる故、止むことを得ず、かくの仕合せなるべけれど、一子なければ、一度は家名断絶たるべきなり。しかれども、妻十六夜は懐胎と聞き及べば、何所へなりとも身を忍び、男子を産みし折がらに、一つの功を立てさせなば、その子に家名相続させんと、いとも賢き君命なり。
※ 仕合せ - めぐりあわせ。運命。(良い巡り合わせだけではない)
※ 賢き(かしこき)- 恐れ多く、もったいない。


こは夫隼人が年来の忠勤にめで、汝が身の落ち付き料にも、せよろしと、君よりの賜物なりとて、金子三百両を渡しけるにぞ。十六夜は泪ながらに御請けしつゝ、わが家へと退きけり。
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小夜中山夜啼碑2 村雲主膳が望月隼人を襲う

(村雲父子主従三人、姥捨山の麓において、望月隼人を
討つといえども、闇六、望月が為に父を失う。)

小夜中山夜啼碑の解読を続ける。

折から村雲主膳は一子闇六(あんろく)、若党烏羽平(うばへい)をうち従え、尾花を分けて顕われ出、望月が前後につめ寄せ、声高にのゝしるよう、
「そこに来るは、同藩の望月隼人にあらざるや。汝ひがめる心より、我が君寵をねたく思いて、主君に讒言なせしをもてあるに、甲斐なき村雲父子、日頃の無念を晴らさんため、主従三人、ここにあり。尋常に勝負せよ」
と、一度に抜つれ切ってかかれば、とつうの答えに及ぶ間なく、元来手練の望月なれば、同じく抜いて、三人を相手に一上一下と切り結ぶ。
※ 讒言(ざんげん)- 事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、その人のことを目上の人に悪く言うこと。
※ 尋常(じんじょう)- 態度がいさぎよいこと。すなおなこと。また、そのさま。
※ 一上一下(いちじょういちげ)- 刀をとって、激しく打ち合うこと。


望月に従いたる奴僕の多勢は、この形勢に甲斐なき烏合の平人なれば、みな散り/\に逃げうせけり。跡には隼人が秘術を尽くして、右にさゝへ、左にうけ、こゝを先途と戦いつゝ、すきを見合わせ闇六が、脾腹を丁と蹴かえせば、あっとさけんでふしまろぶを、烏羽平つゞいて走(はせ)けるを、右に主膳が太刀受け止め、左手(ゆんで、弓手)に烏羽平かい掴み、深田の中へ投げ込んだり。
※ 烏合(うごう)- 烏(からす)の群れのように規律も統一もなく集まること。
※ 先途(せんど)- 勝敗・運命などの大事な分かれ目。せとぎわ。
※ 脾腹(ひばら)- よこ腹。わき腹。


村雲主膳はこれに驚き、なお踏み込んできり付けるを、二、三、合いうちあわし、ひるむ所を太もゝ懸けて、ばらり寸と切り列(つら)ねたり。あっとまろぶを取って押へ、胸元かけて止どめのおりから、倒れし闇六おき上り、父の敵(かたき)とうしろより、隼人が肩さき、二太刀、三太刀、深手にひるむ望月を、畳みかけて討つ所へ、深田の中より烏羽平が、惣身すべて泥にまぶれ、遅ればせに欠け付けて、闇六もろとも望月を、のごとく、切り捨てたり。
※ 鱠(なます)- 魚肉をこまかく切って、 盛りあわせたもの。切り刻んだ様子を誇張して表現したもの。

かくて、主従二人のものは、隼人を討って宿意をはらせど、父の主膳は隼人がために、その場をさらず、討たれけるにぞ。せめては父の死骸をば、あたりへとりも隠さばやと、談合するうち向いの方より、人声あまたしけるゆえ、死骸をそのまゝうち捨て、何所ともなく逃げ去りけり。
※ 宿意(しゅくい)- かねてから抱いている恨み。宿怨。宿恨。
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小夜中山夜啼碑1 発端、望月隼人と村雲主膳

(ひっそりと咲くヒサカキの花、たくあんの匂いがする、
昨日女房の実家のお墓参りで、すぐ脇に見つけた)

「小夜中山夜啼碑」を解読するに当って、これを読んで下さる皆さんに、出来るだけ読みやすいように心掛けた。漢字や仮名使いを現代のものに直すこと、判りにくい言葉には注を付けること、仮名ばかりで判りにくいところは漢字を使うことなど、今までの解読と同様である。「小夜‥‥」では、著者は文の流れをよくするために、所々で、七五調を使っている。そんな部分については、原文には全く無い句読点を、出来るだけ七五調を生かすように打っていきたいと思う。

それでは「小夜中山夜啼碑」の解読を始めよう。

   小夜中山夜啼碑(さよのなかやまよなきのいしぶみ)発端
                    江戸   鈍亭魯文編
諸説(その)往古、信濃国の領主、更科田毎介影住といえる人、おわしける。遠祖の勲功によりて、領地あまた賜わり、その家ます/\富み栄えて、鎌倉どののおんおぼへも、いとめでたく、君臣人和して、無事安穏に諸人万歳を称えける。ここに更科家の藩臣に、望月隼人といえる者、忠義無二の士にて、弓馬剣法の道にも闇(くら)からず、就中(なかんずく)軍学経史、諸子百家、和論事歴に至るまで、明弁せざるもなかりしに、慎むべし、終に非命に死す。
※ 明弁(めいべん)- 明らかに分別する。明白に説明する。
※ 非命(ひめい)- 天命を全うしないこと。思いがけない災難で死ぬこと。


その顛末を尋ぬるに、この頃当家へ新来に、抱えられたる村雲主膳と言える者、奸佞邪智の本性尓て、佞弁をもて者を迷わせ、忠臣を遠ざけ、己に等しき輩を吹挙し、その身の出世をぞ、巧(たくみ)ける。
※ 奸佞(かんねい)- 心が曲がっていて悪賢く、人にこびへつらうこと。また、そのさま。
※ 邪智(やち)- よこしまな知恵。悪知恵。
※ 佞弁(ねいべん)- へつらって,口先の巧みなこと。また,へつらいの言葉。


望月隼人、村雲が、日頃の振廻いを審(いぶかし)み、この者ながく昵勤せば、終には君が明徳の、光りを失う曲者にて、おそるべきの盗臣なり。これを知って諌めずば、臣たるものゝ道にあらずと、一時(あるとき)主君の側(かたわら)に、人なきを幸いに、道を尽くし理を述べて、さまざまに諷諫しけるにぞ。
※ 昵勤(じっきん)- 親しみ勤める。
※ 諷諫(ふうかん)- 遠まわしに忠告すること。また、その忠告。


影住朝臣、元来の明君なれば、大いに後悔し給いて、それより何気なく村雲を、遠ざけ給いけるにぞ。主膳はたちまち寵を失い、つら/\一人思案なすに、我れ今、主君の愛を失い、剰(あまつさ)え、かたわらを遠ざけらるゝこと、全く日頃不和(仲悪しき)望月隼人が賢しらにて、我が君寵を嫉妬(ねたま)しく、密かに讒言(ざんげん)せしものならん。

いつにもして、この憤(いきどお)りをはらさばやと、そのひまを伺いけるに、今度、影住朝臣の嫡男、桂之丞影光に、かねて云号(いいなづけ)ある、上野国の領主、赤城判官高峯の息女、深山姫を迎えとりて、婚姻あるべきに定まり、この義を望月隼人に命ぜられけるぞ。隼人は即刻用意とゝのえ、供人あまた従えつゝ、上野に出立し、まだ夜深きに、姥捨の山の麓をよぎる。
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江尻本郷町の飢饉時御救い米の願い書、二通 - 駿河古文書会

(駿河古文書会 川崎文昭会長)

金曜日、今年度最後の駿河古文書会、会長講義であった。課題に2通の江尻(静岡市清水区)から出た文書を読んだ。

駿府ではたくさん接した飢饉の御救い金の話であるが、江尻の物を見るのは初めてである。以下へ書き下して示す。

   恐れながら書付を以って願い上げ奉り候
江尻五町一同、願い上げ奉り候は、去る秋より追々米価高直に相成り、同暮れに至り、倍々高価に相成り、小前の者ども暮し方、難渋至極仕り候処、かれこれ手段、才覚を以って相凌ぎ、春にも相成り候わば、下落も仕るべく心構え仕り、相待ち候処、春に相成り候ても、格別の景気も相見えず、麦作の出来方宜しく、右様にては三、四月頃にも相成り候わば、引き直しも仕るべきやと、種々歎(艱)難仕り相暮し候処、遠州、三州、東は相州、豆州は勿論、関東筋残らず、麦作違いに付、なおまた米価格、別けて高直に相成り、これまでかなり貯えの糧穀へ、山野の草木、糧に相成り候分、拾い取り、相互に助け合い、露命相繋ぎ、老人、小児など相養い兼ね候えども、当節に至り候ては、諸色ども追々高直に相成り、日雇いその外稼ぎ方渡世薄く、小前末々者に至り候ては、渇命に及び候外これ無く、必至と困窮、難渋差詰り、手段才覚に尽き果て、歎かわしき仕合わせ存じ奉り候間、恐れながら願い上げ奉り候は、格別に御憐愍を以って、御救いのため、御金弐百両、御拝借仰せ付けさせられ、下し置かれ候様、願い上げ奉り候。

返上納の儀は仰せ付けさせられ次第、差し上げ奉るべく候。
右の趣、聞こし召し訳させられ、五町小前の者、御救い拝借願いの通り、仰せ付けられ下し置かれ候様、御憐愍を以って、御慈悲御意、幾重にも
願い上げ奉り候、以上。

           江尻辻町
             組頭 定五郎 ㊞
             同  庄八  ㊞
             同紺屋町
             町頭 惣右衛門㊞
           同鋳物師町
             町頭 吟右衛門㊞
           同鍛冶町
             町頭 清助  ㊞
           同本郷町
             町頭 九平治 ㊞
 御番所様


この五町は、江尻宿の周辺にあって、江尻宿を補助する役割を持っていた。窮状を訴えるために、山野の草木まで食べているとの話は初めて見る。どんなものを食べたのか。そんな資料もあるらしい。

   御救い拝借米証文の事
     江尻本郷町
       召仕いこれ有る者 五人へ拝借
一 米合わせ拾俵 但し、四斗入り
   この訳
     米弐俵       半右衛門 ㊞
     米弐俵       治三郎  ㊞
     米弐俵       九平治  ㊞
     米弐俵       小兵衛  ㊞
     米弐俵       平右衛門 ㊞

右は当町連々困窮の上、打続く諸国違作にて、米穀諸色とも直段引上げ、人気不穏、窮迫の者ども飢渇に及び、難渋至極に付、町方惣代の者、江戸表へ罷り出、御救米願い上げ奉り候処、出格の訳を以って、書面の通り、銘々拝借米仰せ付けられ、御渡し下し置かれ、上納方の儀は、来戌年より未年まで、十ヶ年賦、米壱石に付、金壱両の積りを以って、金納仕るべき旨、仰せ渡され、冥加至極、有難き仕合わせ存じ奉り候。

然る上は、右金年々丁頭方へ取り集め、十一月限り急度御上納仕るべく候。もっとも拝借人の内、病死仕り候か、または異変の儀など出来仕り候わば、壱町内の者どもより弁納仕るべく候。

よって御請け証文、差し上げ申す処、くだんの如し。
  天保八酉年五月
               江尻本郷町
                 油屋  半右衛門 ㊞
                 萬屋  小兵衛  ㊞
                 油屋  九平治  ㊞
                 萬屋  治三郎  ㊞
                 庵原屋 平右衛門 ㊞
                組頭   久蔵   ㊞
                同    徳兵衛  ㊞
                同    市兵衛  ㊞
                丁頭   半右衛門 ㊞
 御番所様


この文書では「人気不穏」と書き、そのまま置けば使用人たちが騒動を起こしかねないとの危惧を述べている。結果、召仕(召使い)を持つ店だけが救い米を拝借するとしている点が珍しい。
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小夜中山夜啼碑 読みはじめに

(庭の水仙)

これから読む「小夜中山夜啼碑」という本は、「小夜の中山夜泣き石」など、掛川市の中山峠の伝説を元にした物語である。著者の鈍亭魯文は幕末から明治に掛けて活躍した戯作者、仮名垣魯文、その人である。
※ 仮名垣魯文(1829~1894)幕末から明治にかけての戯作者・新聞記者。江戸の人。本名、野崎文蔵。別号、野狐庵、鈍亭、猫々道人など。著に、開化の風俗を描いた「西洋道中膝栗毛」「安愚楽鍋(あぐらなべ)」など。

「小夜中山夜啼碑」の冒頭に、著者による、以下のはしがきがある。

曲亭翁の石言遺響は、古蹟を探り、事実を尋ね、日を重ね、月を経て、やゝ稿成れる妙案なりとす。この小冊はかの意に習わず、古書にも寄らぬ、自己拙筆、疾(はや)いが大吉、利市発行、二昼一夜の戯墨にして、勧善懲悪、応報の道理を録せし。談笑諷諫、更(ふけ)るを知らぬ。小夜の中山、灯下に綴る一夕話(こと)。無間の鐘の暁かけて、夢とうつゝに草稿成り、寝言に類等(ひとし)き業(わざ)くれながら、童蒙(おこ)さま方のお目ざまし、飴の餅とも見なしたまえや。
※ 諷諫(ふうかん)- 遠まわしに忠告すること。また、その忠告。
※ 無間の鐘(むげんのかね)- 静岡県、佐夜の中山にあった曹洞宗の観音寺の鐘。この鐘をつくと現世では金持ちになるが、来世で無間地獄に落ちるという。 
※ 童蒙(どうもう)- 幼くて物の道理のわからない者。子ども。
※ 飴の餅 - 小夜中山名物、子育て飴は昔より有名であった。

       戀岱野狐庵主
             鈍亭魯文記 ㊞
  安政二乙卯年新梓

※ 新梓(しんし)- 新版。「梓(あずさ)」は木版印刷に用いる版木のこと。

はしがきに言う「石言遺響」は曲亭(滝川)馬琴の作として、図書館で復刻版を見ることができる。その他、自分が図書館で手に取ることができる、夜泣き石を主題に据えた古書(復刻本含む)は以下の通りである。

  往昔諺話小夜中山霊鐘記全 藤屋武兵衛(1748)
  石言遺響         滝沢馬琴(1805)
  小夜中山夜啼碑      仮名垣魯文(1855)
  小夜中山縁起       遠州小夜中山 久延寺(1868以降)

他にもあるのかどうか、知らないが、仮名垣魯文のものは、久延寺縁起を別とすれば、最も新しいものである。

さて、「小夜中山夜啼碑」の本は、昔、蚤の市で500円ほどで買ったものだと、Aさんは話した。今同じ本をネットの古書で探してみたら、4万円近い値段が付いていた。遠州の小夜中山の名前に引かれて、江戸土産に買って帰ったものだろうとAさんは言う。B6版の小さい和綴じの本で、お土産には最適である。また、井草芳直の見開きの挿絵が19枚も入っていて、その絵が中々上手い。見ても楽しめる本である。
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