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愛犬ムサシの戒名を考える

(カメラ目線には決してならないムサシ/かなり昔の写真)

ムサシが逝って二日目、家の中は灯が消えたようである。

今、ムサシの戒名を考えている。人ではないから、勝手に付けても問題ないだろう。

ムサシが家に来たのは、自分が出張中のことで、もう幼稚園で働き出していた娘が、何の相談もなく買って来てしまった。まめ柴と呼ばれた小型の柴犬で、ペットショップで可愛くて、買ってきてしまったらしい。(訂正/ペットショップではなくて、柴犬専門の繁殖をしていた店で、血統書付きの柴犬だった。)名前は娘が付けた。正しくは「武蔵」なのだが、自分はカタカナで「ムサシ」と書いて来た。この命名が彼の一生を決めたような気がしてならない。

娘は自分の部屋で飼い始めたけれども、昼間は仕事で娘もいない。大反対の女房は手を出さず、幼いムサシは一匹で部屋に放って置おかれた。幼犬のうちにしつけの訓練に出す犬もあったが、事情が事情で、ムサシにはそんな機会もなかった。(訂正/動物病院のしつけ教室には何度も通い、ムサシは女房の云うこと(コマンド)はよく聞いた)大きくなるにつれて、なかなか部屋に置けなくなって、仕方なく女房が手を出し始めた。

そんな事情で、ムサシは人に心を全面的には許すことのない、柴犬の気性をその侭に成犬になった。もっとも、人にベタベタする犬よりも、毅然としたムサシの性格が、自分的には嫌いではなかった。

やがて、娘は嫁いで、ムサシは我が家に残され、世話はもっぱら女房の係りになった。ムサシは気が荒くて、気に入らないとパクリと噛みつく癖がある、油断ならない犬になった。女房も、自分もこの17年の間に、5、6回ずつ噛みつかれている。自分も一度は医者に通うほどの噛み傷を負ったことがある。やたらに身体を触るのを嫌い、漸く身体を自由に触らせるようになったのは、最晩年になってからであった。

カメラを向けると顔を背け、決してカメラ目線にはならなかった。だから、ムサシのあまり良い写真がない。

そんなことを思い出しながら、次のように、戒名を付けてみた。

     孤柴武蔵犬士

何とも武ばった戒名になったが、ムサシにふさわしい戒名だと思う。「武蔵」の名は、戒名には直接には入れないのだろうが、犬だから構いはしない。

こう考えると、自分が敢えてカタカナで「ムサシ」と書いていたのは、恐らくその猛々しい性格を少しでも和らげたい、という意識が働いたためかもしれない。

先に逝った愛犬は、飼い主が来るまで、成仏しないで、浄土の手前の花園で、飼い主を待っているものだと聞いたことがある。ペットロスを和らげる作り話臭いが、ムサシに限っては、飼い主を待つことなく、勝手に成仏して行ってしまうだろう、と少しさびしく思った。
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ムサシの尿回収装置

(ムサシの尿回収装置)

ムサシも、この4月2日で10歳、人間で言えば中高年の部類に入るのであろう。当然、犬であっても成人病にならないわけはない。昔の飼犬ならば成人病になる前に、ヒラリアなどで亡くなっていた。しかし、最近は愛犬の医療も進んで、ヒラリアなどの予防も進み、概して飼犬は長生きになってきた。だから当然成人病も出るわけである。ムサシも年1回は血液検査などを行ってもらっている。今までのところさしたる問題も無く推移していた。

ところが、一日二日前から、ムサシの腹部に膨らんだ部分が2ヶ所ほどあると女房が騒ぎ出した。ムサシは自分の腹部などは女房にしかは触らせない。他の人が手を出そうものなら噛み付きかねない。だから自分で確かめたわけではない。そういえばムサシは最近体重が減っていると、女房は、当然、ガンなど最悪のことを考える。それで、月曜日の今日、午後の診察を予約して、動物病院に出かけることになった。

午前中は検査のための便や尿などの準備で右往左往している。ムサシは尿と便は散歩に出ないとしない癖がついている。検査のために必要だといっても、コップに取らせてくれるはずがない。便はいつも散歩で新聞紙で受けて回収しているから、容易く準備できたが、困ったのは尿である。散歩しながらあちこちに少しずつ引っ掛けるので、それを回収は無理である。そこで女房がない智恵をしぼって考案した愛犬用尿回収装置が写真のものである。大きいペットボトルを中間で切って器を作り、それに野菜などに使う支柱を取り付けたもので、散歩させながら足を上げるタイミングで回収装置を差し出す。何ともユーモラスな散歩になるが、それを使って、尿回収に見事成功したと報告があった。

さて、ムサシの診断であるが、皮下に溜まった脂肪の塊りだとのこと。痛みもなく、別に心配することではないようで、余り大きくなるようなら取除くことが出来るという。注射針で吸引したら、どろどろした脂肪が出てきたという。それならば安心である。人でも皮膚の下によく溜まることがあって、目立つようなら手術して取り出してもらう。

それで、本日の診断に掛かった費用であるが、保険が使えないから、実費で、15,900円かかった。中身を少しのぞいて見てみると、血液検査7,350円、尿検査2,630円、皮下腫瘤の針吸引生検2,600円などが主な項目であった。高いというのか、安いというのか。何にしても高い安心料となった。
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食卓を覗くムサシと円安ドル80円台

(食卓を覗くムサシ)

我が家のムサシはいよいよ座敷犬の様相を示し、今まで昼間は庭の芝生の上、夜は裏の小屋という所定場所をはみ出し、冬は外が寒いからという理由で、昼間は日当たり最良の、かつて縁側書斎であった場所を締め、夜にはダイニングが居場所になって、その隅の布団の上で寝ている。いずれも猫可愛がり(猫ではないが)の女房による、ムサシの座敷犬化計画の成せる業である。

ムサシはそこが居場所だと認識すると、縄張りを主張し他を排するために、訪問者にやたらに吠える。番犬としては忠実なのだが、これを家の中でやられると煩くてならない。

食事をしていると、何かおこぼれがもらえないかと、身を付けんばかりに接近して、じいっと見つめる。女房と話をしようものなら、自分も仲間に入りたいのか、ワンワン吠えて話をしておれなくなる。油断するとテーブルに足を掛けて顔を出し、食べ物をねだる。何とも傍若無人ぶりである。

夜、ダイニングに出入りを度々すると、煩いというように吠える。女房は、ムサシに近付くな、構うな、放って置けというが、つまるところ、我が家における自分の行動範囲が徐々に狭められるわけで、毎日が日曜日の自分にはなかなか辛い。

   *    *    *    *    *    *    *

この二日ほどで、ようやく円高基調に変化が見られた。一時は70円台の半ばまで円高が進んでいたが、ようやく80円の大台を越えて円安に振れて来た。ギリシャの危機が一応回避されたことが大きいが、原因の一つには日銀が一層の円の量的緩和策を打ち出し、米金利との金利差が顕著になって、金利の高いほうに流れて、円が売られドルが買われることになったことが上げられる。

今朝の国会の質疑の中継で、自民党の中川秀直氏の質問を聞いた。その中で歴史的な円高の理由として、リーマンショック以降の通貨発行量がドルでは3倍になり、一方、円は1.3倍にしかならず、これだけを要素として単純計算すれば、1ドル50円くらいになっても不思議ではない通貨の発行高の推移である。その結果、日本はデフレに陥り、アメリカではデフレに陥ることが無く推移している。日銀の優柔不断な政策が現在のデフレと円高を引き起こしているのではないかというのが、中川氏の質問趣旨であった。

これは一つの見方である。今回の円の量的緩和策が円高を止める有効な手段であったことを考えると、納得できる。ドル買いによって相場へ介入するのはショック療法ではあるが効果が長続きするようには思えないのに対して、量的緩和策は根本的な政策になると思った。

今回の80円台突入を機会に、円ドル相場は円安に推移していくだろうという予感がある。それを確実にするためには、今後も日銀のタイムリーな対応が不可欠である。
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ダイニング犬になったムサシ

(ムサシはダイニングの寝床に)

今朝のこと。出勤で送って出た女房が、その間ちょっと目を離した隙に、ダイニングにいたムサシが食卓に足を掛けて、包み紙の上で幾つかに切り割った愛宕下羊羹を包み紙さら、床へ落としてしまった。

愛宕下羊羹は日曜日に遠州横須賀に行ったときに買ってきたもので、横須賀に行くといつも買って帰る。高級な本格的な羊羹だけれども、そんなに高くない。

ムサシは羊羹など食べたことがないから、成り行きに驚いて、ワンワンワン‥‥、女房が戻ると、羊羹に向かって吠えていた。歯型が付いているようではなかったので、その羊羹は洗って冷蔵庫へ入れておき、今夜自分たちのお腹に納まった。

最近、ダイニングキッチンまでムサシの住居エリアが拡がって、時にはそこで寝起きして、朝起きるとムサシがダイニングにいることが多くなった。朝食をしていると、すぐ脇に座って何とかおこぼれに預かりたいと、じっと自分の口のあたりを見る。しかし、食事の中でムサシにやれるようなものはない。というより、女房に禁じられているから、愛想がないことになる。無視して新聞を見ていると、ワンワンと吠える。顔を隠されるとムサシは不安になるのであろう。ダイニングに上げてやる条件として、そこでは吠えてはならないと決められていて、女房が声を荒立てて叱る。酷いときは勝手口の土間へ出される。

ムサシは朝夕の散歩の時以外には大小の便をしない。じっと我慢している。潔癖なのはよいが、便がゆるいときなどは夜であっても騒ぐから、短い距離でも散歩の真似事をしなければならない。シャンプーも自分の散髪より頻繁に行っている。もちろん料金は自分の散髪代より高い。そんな風だから、我が家ではケモノ臭さは全くといって良いほどしない。もっとも、自分たちは慣れて気にならないだけかもしれないが。

ダイニングの中にはいつの間にか色々な犬用品が増えている。他所の部屋には行かないように簡易の鉄柵がはめられるが、そこを出入するには鉄柵を障害物競走のように跨いで越さねばならない。意外と高くて歳を取ると辛いところがある。ダイニング内の寝床も女房が買ってきて、テレビの横に置かれている。そばでテレビがうるさいと思うのだが、気にならないようだ。

今夜は勝手口外のムサシの寝床へ行った。時に、中へ入れろと騒ぐときがあるが、すぐ脇のお風呂場に湯を入れ始めると、騒ぐことを止める。多分ムサシの中ではそこで線が引かれるのであろう。ムサシの中で、色々と決まりごとを持っていて、それにしたがって暮している。その方がなにかと楽なのであろう。

毎日同じ道を通勤し、決まった仕事をしてきた人が、定年退職して、もう会社に行かなくてよくなったとき、自分の身の置き所をなくしてしまうケースがよくある。一種共通しているものがありそうである。
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ムサシが頑固に守る掟

(石のベンチで昼寝のムサシ)

一昨夜、ブログの更新をしていると、ムサシが裏で吠えている。猫が近づいたり、不審者が近づいたときの烈しい吠え方ではなくて、何かをうったえる吠え方である。自分にもそれくらいは理解できるようになった。ムサシ弁がほぼ理解できる女房は、そばで宵寝をしていたので肩を揺すって起した。

様子を見に行った女房は、ムサシを連れて、新聞紙と懐中電灯を持って、玄関から雨模様の表へ出て行った。しばらくして戻ってきて、お腹を壊しているらしく、三度ほどウンチをした。もっとも三度目は液体だけだったが、と話す。何か悪いものでも食べたのだろうか。餌が多すぎたことは無いはずなのだが。たしかに、最近、おやつなどが増えている。血液検査で、少し栄養不足と感じられて、間食を心持ち増やしているようだ。ムサシの餌は最初からしっかり管理されて、過大にやることがないようにしている。だから、ムサシは中年太りやメタボとは無縁で来た。

ムサシのために、仕舞い込んだ石油ストーブを出してきて、台所にシートを敷いた。ムサシを専用のタオルケットの上に寝かせた。石油ストーブは雨で濡れたので乾かすのに使ったらしく、自分が休むときにには、ストーブは消され、ムサシはタオルケットの上で丸くなって寝ていた。その夜はそれ以上騒ぐことは無く、朝までそのままであった。

下痢の原因はとにかく、ムサシは成犬になってから、家の屋敷内に決しておしっこやウンチをしない。これはムサシの中で重要な掟になっているらしく、だからムサシのいる昼間の柵の中や、夜間の裏の小屋などは、ほとんど犬臭いことがない。通常は、雨が降っても、嵐でも、朝と夕の2回、必ず出かける散歩の途中に済ませる。ウンチは拡げた新聞紙の上に落すので、くるっと包んでビニール袋に入れて、ゴミと一緒に出す。ちなみに、島田市は、焼却炉の性能が高く、高熱で燃すことが出来るので、ビニールも生ゴミも皆んな一緒に「燃えるゴミ」として出せる。

めったには無いが、体調が悪くて、おしっこやウンチ、あるいは戻したくなったときなどには、吠えて訴える。自分にはムサシ弁は理解出来ないが、女房には解るようで、自分は大概吠えていることを伝える役回りになることが多い。

誰に教えられたわけでもない。ムサシの中でこの掟が出来たのは、毎日2回の散歩を欠かさないような育て方をしてきたためかもしれない。ムサシがこの掟を守れなくなるときは、人間様のほうが毎日2回の散歩が出来なくなるか、あるいはムサシに介護が必要になるときであろうと、今は思っている。
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ムサシ、眼を傷つける

(眼を傷つけたムサシ、心なしか元気がない、昨日撮影)

ムサシが眼を怪我した。一昨日夕方、女房がムサシの左眼がおかしいという。何かあったかと聞かれたが、夕方散歩に連れて行ったときは気付かなかった。普通に元気に散歩をしたと話す。獣医に連れて行こうかどうしようか迷っているから、気になるなら連れて行ってきたらどうだと勧めた。

獣医から帰ってきて、風が強かったから眼に何か当ったのか、眼のレンズに疵が付いていると言われ、飲み薬と目薬をもらってきたが、目薬は点せるかどうかという。

ムサシは医者嫌いで、いつも獣医に噛み付かんばかりに騒ぐ。この日も大騒ぎで、口輪をはめられロープで縛られて、看護師と3人がかりで押さえつけて、診察を受けたという。ムサシは人(犬)一倍怖がりで、診察を何やら恐ろしい危害が加えられると思ってしまうようだ。目薬を落としてもすぐに前足で拭いてしまい、効くかどうかと危ぶんでいた。

昨日、散歩に連れて行こうとすると、前足で何度か左目を掻いた。気になって仕方がないのであろう。歩き始めたら少し忘れたようであった。しかし、右目に比べると左目を少し細めている。

先日、テレビで犬の眼には色がどう見えるかと放映していた。何時だったか、ムサシに信号が赤で止まることを教えていると話したら、犬には色が判断できない色盲だと言った人がいた。

眼の網膜には白黒を判別する杆状体(かんじょうたい)と色を判別する錐状体(すいじょうたい)がある。霊長類には3種類の錐状体があり、虹の7色が識別できるけれども、霊長類以外の哺乳類には2種類の錐状体しかなく、「赤-黄-緑」の範囲が1つの色として、また「青-紫」の範囲の色が別の1つの色に見えるというように、二つの色調しか見えない。それ以外は色の濃淡として見えている。犬が見えているであろう状態をテレビで見せたが、セピア色の写真を見ているようなものであった。

だから進化が遅れていると見るのは人間の勝手で、森で狩りをする野生の犬にとっては、色はわずらわしいだけで、獲物の動きをすばやく捉えるには、色はない方がよい。錐状体が少ない分、杆状体を増やして暗闇での夜目を利かせるように進化した。犬にとってはそちらの方が重要なのである。見方を変えれば色を捨てる形で進化したといえるかもしれない。白黒写真の方が対象に迫る力が強いと、カラー写真を好まないカメラマンもいる。技術で白黒写真の方が劣るとは言えない。

女房は心配性で、一昨夜は食欲がないと夕食も摂らないで寝てしまった。ムサシは今朝は元気を取り戻し、眼を気にしなくなった。だいぶ良くなったようで、女房の愁眉も開いた。
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やさしい柴犬が本当に良いのか

(菜の花-ムサシの散歩道、
菜の花と言っても菜種が取れるの菜の花とは限らない、この菜の花は何の花?)

21日目、今年初めてS医院へ行く。人の顔を見ながら「何だったかなあ」と、カルテを見ながらいう。帯状疱疹ですよと、患部を見せると、「ああ、そうか」と全く頼りない、先生正月ボケではないのか。「黒くなって来ているから、よくなっている」同じ言葉を前回も聞いたよ。とにかく塗り薬を1本出して。どちらが医者かと疑うけれども、先生は帯状疱疹になったことがないから、その一点ではこっちの方が勝っている。ともあれ、病気が早期に治ってくれれば、口が悪いのや、半惚けな点は、お座興である。

   *    *    *    *    *    *    *

このところ、女房が愛犬家のブログをよく見ている。音声入りの動画などもあり、突然、犬の吠える声などが聞こえる。とくにムサシと同じ柴犬には思い入れがあり、どの犬も座敷で飼っていて、ムサシと比べると嘘のように優しいという。育て方を間違えたともいう。娘が相談無しに突然買って来て、子犬の頃に一日娘の部屋に置いたままにしていたことを悔いている。

ブログに出てくる柴犬は座敷で飼っていて、何をしても怒らない。猫とも仲良くやっている。しかし他の犬種はとにかく、柴犬は飼主にも馴染まない孤高な姿が本来で、柴犬の愛犬家はそれが良くて飼っている人が多いという。ムサシはマメ柴といわれる柴の中では小さい犬であるが、庭にいれば不信な人が来ると必ず吠える。ややうるさいけれども、番犬としての役割はしっかりと果たしている。

ムサシは、今までに自分をはじめ5人の人に噛み付いている。そう聞けば凶暴な犬に聞こえる。しかし、自分以外の4人はそれぞれ犬好きで、柴犬に不容易に手のひらを鼻面に出して指を噛まれている。手を出した方が悪かったと、後で皆さん言ってくれた。中では自分が一番ひどい怪我だった。自分の場合は餌を食べているときに背後から手を出したのが不容易で、ムサシの表情が見えていなかったのが原因である。

何年か前に亡くなった池田満寿夫氏は同居人のバイオリニストの佐藤陽子氏ともども大の柴犬好きで、家の中で何頭も飼い、勝手気ままな柴たちに何度か噛まれたという。それでも柴犬を飼うのを止めなかった。とくに佐藤陽子氏にとっては手はバイオリニストの命と言って良い。それだけ、飼主に媚びることがない柴犬の姿に魅せられていたのだと思う。

やさしい犬が欲しければ、犬種を選べばいくらでもいる。そんな話をしても女房は聞く耳を持たない。ひたすらムサシがもっとやさしくなることを望む。もっともそれは叶わぬ願いで、自分としては誰にでも尾を振るよりも、凛としたムサシの方が余程良い。ただ、犬好きの人は平気で指をムサシの目の前に出す。だから噛まれる。よく判った人はグーを出して噛み付かれることはない。ムサシにとって、人の指は攻撃的に見え、怖い存在なのだろうと想像する。現在は散歩に出ても、きついからと話して、人を近付けないようにしている。
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久し振りのムサシの散歩

(ご近所のロウバイがもう咲いている)

12日目、帯状疱疹もいよいよ第3ステージに入った。昨日の夜は痛みも和らぎ少し楽になったかと思っていたところ、かゆくなってきた。痛痒いという表現が良いのだろう。疵が治りかけに痒くなるのは判るが、傷口が痒いのではなくて神経が痒がっているようで、掻きどころのないかゆみだから、グッと我慢するしかない。もちろん疵口を触るわけにも行かない。波があって、やがて痒みも治まる。

帯状疱疹になってからムサシの散歩に出る気力が無くて、女房が朝夕やっていた。歩けないわけではなく、歩くと腹部がジンジンと痛むので、出掛けられなかった。つまりこの2週間ほどムサシの散歩に出なかった。

年末で、女房は一人で飛び回っている。夕方から雨という予報でもあったから、その前にムサシの散歩をやっておこうかと思った。幸い今日は痛みが少ない。かゆいのは、じっとしているから感じるのだろう。歩けば忘れるだろう。

午後3時前、まだ太陽は高かったけれども、女房が帰ってくる頃には日も暮れて、雨も来るかもしれない。それで女房の留守の間に出かけた。

歩くのに痛みは感じないが、振動で肉が強く揺すれるとまだ痛みが少し出る。早く歩くと揺すれるから、ムサシにゆっくり歩けというが、頓着なくぐいぐいとリードを引っ張る。何とかリードを引いてゆっくりと歩かせる。しばらくはゆっくりと行くが、またまたぐいぐい引っ張る。何度か駆け引きがあった。

出来たら簡単に済ませようという人の気も知らないで、ムサシはいつも行かないような遠くまで行こうとした。あとで聞くと、朝の散歩が最短だったというから、ムサシにしてはその埋め合わせだったのかも知れない。

早い時間だと人の散歩も犬の散歩も少ないから、気を使わなくて良い。女房は人や犬に出会ってムサシが大人しくしておれば、ご褒美をくれるように躾けている。だから、人とすれ違ったりするとムサシはこちらの顔を見てご褒美の催促をする。しかし、今日はすれ違う人もいないから、本来ならばご褒美の必要は無いのだが、時々こちらの顔色を伺うようにみる。ついついポケットからおやつを一粒出して与える。

しかし、このおやつは数を持って出て、途中でくれなければ帰ってからすべてを与えるから、途中で貰ってもトータルでは変わらないのであるが、ムサシはそのことには気付いていない。

結局、1時間弱の散歩を無事に行って来れた。その間はかゆいのもどこかへ飛んでいたように思う。まあ、回復に向かっているのであろう。
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ムサシのストレス

(庭のキキョウが咲いた)

猫のに引っ掛かれた疵(?)は1日で治ったが、ムサシが元気を取り戻さない。左前足の指の間を一心不乱といった様子で舐めている。指間炎だといって、女房は夕方遅かったので、行きつけではない近所の動物病院に連れて行った。過去にもやったことがあり、放っておくと足を突くにも痛がるようになる。早めに行くに越したことはないと思ったのであろう。

医者から帰ってきて、ムサシはストレスだという。子供の指しゃぶりと一緒で、指をしゃぶることでストレスから逃れようとする本能的な行為のようだ。指間炎が原因で指を舐めるのだろうと思っていたが、ストレスのために指を舐め、それが高じて指間炎をおこすというのである。この獣医は犬の心理まで詳しく話してくれたという。

下の娘の出産で、この一月ほど、前半は上の娘がかなくんを連れて来て泊り込み、あっくんが生れてからは、まーくんの家族が我が家で一緒に生活している。それでどうしてもムサシのことは忘れられがちになっていた。夜、自分の寝場所にいて時々騒ぎ、3回に1回は30分か1時間、台所か居間に上げてもらって、それで納得して自分の寝場所に帰っていく。そんなムサシの至福の時間(女房の表現)が全くなくなってしまった。女房に言わせればムサシは誰かが泊まっていると、自分の出番は無いと悟って、我慢していつものように騒ぐことがない。昼間もよく遊んでやったのに、今は時間的余裕がない。それがムサシのストレスの原因であるようだ。この状態はまーくん一家があっくんを連れて家へ戻るときまで改善はありえないようである。

手を出そうとする獣医に、女房がムサシはきついから手を出すと噛み付かれると話すと、ムサシを良く観察していて、柴犬は皆んなそんなものだという。この子はまだやさしい方だ。いきなり噛み付かないで周りの臭いをくんくん嗅ぎ回っているし、リードで制御しようとすると、ロープに噛み付く。ロープで代用して怒りをそらしているのだという。

自分が噛まれたことを女房はムサシがきつい証拠に考えているようだが、あの時は後ろを向いていて、ムサシの表情が見えなかった。正面から見ていれば、ムサシの表情で噛み付くかどうかわかる。無防備に手を出すと噛み付かれることもある。

散歩でどうしても自分の行きたい方向へ行かせないようにコントロールをすると、時々ロープに噛み付く。頭が悪いからコントロールしているのがロープだと思って噛み付いているのかと思っていたが、飼主に噛み付く決定的な状況を起さないために、ロープに噛み付いて我慢しているのだと知った。そういえば、ムサシの小屋にしばらく前まで原型をとどめないドッジボールの残骸があり、ムサシがそれを激しく振り回して怒りを収めているのを時々見た。

ムサシは付き合えば付き合うほど、人間と変わらない心の動き方をしていると、つくづく思う。
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ムサシが鼻先から血を流し

(しおたれるムサシ-鼻の頭に近いところ、ちょっと黒いのが傷)

午前中に、あっくん(名前が決ってあっくんと呼ばれるようになった)の生後2週間の検診から戻ってきた。1日に60数グラム体重が増えていて、順調に育っているようだ。母乳で十分足りているらしい。女房が開口一番に、留守の間にムサシが騒がなかったかと聞く。郵便屋さんが来たときに少し吠えたが、気付かなかったと答えると、ムサシが鼻先から血を流していて、いつもの元気がないという。

猫にでも引っ掛かれて、落ち込んでいるのだろうと思ったが、心配性の女房は蛇に噛まれたり、蜂に刺されたりしていたら大変だと騒ぐ。毒が回っていればとても歩けたりはしないから、大丈夫だとは思うのだが、蛇は庭で時々見掛けるようで、ムサシと対峙しているのも見たという。蜂が刺しても血を流すことは無いから、蜂の可能性は無いだろう。早速、女房は屋敷周りに蛇避けの粉薬を撒いていた。

自然界の蛇は自らが危うくならない限り、餌にならない大きな物に噛み付くような馬鹿な真似はしない。蛇が噛み付くのは、不意に尾を踏まれたり、自分が襲われていると感じたときに限る。他はほとんど争いにならないように、草むらに姿を消す。ムサシが蛇にちょっかいを出すかというと、ムサシは女房の蛇嫌いが移って、蛇が嫌いで姿を見ると小屋に入って小さくなっている。もともと両者は争いにならないと思うのだが、女房の心配は募る。自然界では、生きるため、獲物を捕らえる闘いは最小限に行われるが、無闇な争いはほとんど無い。無闇な戦いをするのは人間だけである。

茶畑がのら猫のねぐらになるのか、近辺には野良猫が何匹かいる。子育てをしたりしているが、餌をやることはないので、増えることはない。表通りに出て車に轢かれるのか、よその地域に縄張りを求めて立ち去るのであろう。しかし野良猫は気が荒い。人にも歯を見せることがあるほどである。ところがムサシはその猫に対しては強気で追いかける。追い詰められて反撃され、ひるむムサシの姿も見ている。だから、多分、反撃されて、猫の爪で引っ掛かれたのだろう。眼の前に赤い血が見えるわけで、痛みもあったのだろうが、意気消沈して1日しおたれていた。

夕方、見るともう黒く固まっていたし、心配して夕方の散歩は女房が連れ出したら、歩いて行って来たというから、問題ないと判断した。夜の部屋に移り、今夜は吠えることも無く静かにしている。明日にはまた元気が出るだろう。
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