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「家忠日記増補25巻3」の解読 8

(大代川土手の桜にヒヨドリ、昨日撮影)

三日前から毎日体温を測ることにした。今の所、35度台を動いていない。これは自分のためというより、知らない中に感染していて、自分が原因で、外の人に感染させてしまう事だけは免れたい思いからである。

お昼に久し振りに4人の孫が全員、我が家へ集まった。名古屋から掛川へ疎開中のかなくんも、来週には名古屋へ帰るという。今のところ、新学期が始まる予定だからである。

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「家忠日記増補25巻3」の解読を続ける。

武田勝頼、(し)を帥(ひき)いて遠州表に出張(でばり)し進みて、見付の府に至り、二俣、乾、高明、天方、多々羅、城々の制法を定め、近辺を巡視して帰路に赴(おもむ)く。この次に遠州諏訪の原に一城を築く。武田左馬助、馬場美濃守、これを監す。この年、大神君、信康に命じて、足助、伏地などの城を攻め撃(う)たしめ給う。
※ 師(し)➜ 兵士の集団。軍隊。
※ 制法(せいほう)➜ 定められた法規。おきて。


天正二年甲戌(きのえいぬ)、正月大
一日 諸士、遠州浜松の城に登りて、大神君に謁(えつ)して、新正を祝す。
二日 夜に入り、例の如く、浜松の城に於いて、御演物(だしもの)あり。諸士参賀す。
五日 大神君正五位下に叙(じょ)し給う。
※ 演物(だしもの)➜ 芝居や演芸などで上演する作品。演目。

二月小
八日 大神君の男子誕生故有りて、本多作左衛門尉重次が家に養育し奉る。(成長の後、下野国結城左衛門佐晴朝、男子なきに仍って、聟として結城の家を継がしむ。この日、依って結城秀康権中納言従三位と号し給う。)
十三日 武田勝頼、五ヶ国の兵を率(そつ)して、信長の領、濃州表に軍を発す。これより先き、信玄、東美濃岩村の城を攻め取り、秋山伯耆守、座光寺など、二百五十騎の番兵をして、これを守らしむ。信長、秋山と和せんと請うと云えども、秋山聴かず。これに依って、信長、岩村近辺に塁を構えること、十八ヶ所、軍士をして守らしめ、秋山を拒(ふせ)ぐ。
十八日 織田信長、参議に任じ、従三位に叙す。これより先き、正四位弾正忠。

四月大
六日 大神君、犬井の砦を攻め給わんため、兵を廟路(びょうろ)に発し、瑞雲に陣し給う。諸卒は龍毛堀の内和田の谷に屯す。数日連雨にして、士卒粮米を闕(か)く。これに依って、大神君、兵を引いて、御倉に帰り給う。大久保七郎右衛門尉忠世、水野惣兵衛尉忠重殿(しんがり)す。時に、犬井の城主、天野宮内左衛門尉、跡を躡(ふ)みて追い撃つ。御味方の兵、堀小太郎、鵜殿藤五郎、大久保勘七郎、小原金内など二十余人戦死す。水野忠重、大久保忠世、榊原康政など、馳せ返して奮い戦い、首数十級を得て、敵を追い退く。御倉、要害の地に非ず。これに依って、大神君、兵を収めて、天方に入り給う。
※ 犬井の砦(いぬいのとりで)➜ 犬居(乾)城のこと。
※ 廟路(びょうろ)➜ 秋葉道のことを指すのであろう。。
※ 瑞雲、龍毛、堀の内、和田の谷 ➜ いずれも犬居城近くの地名と思われる。瑞雲寺あり。堀の内、和田の谷の地名もあり。龍毛が見つからない。
※ 御倉(みくら)➜ 三倉。現、森町。
※ 要害(ようがい)➜ 地形がけわしく守りに有利なこと。また、その場所。
※ 天方(あまかた)➜ 天方城のこと。

(「家忠日記増補25巻3」の解読、つづく)
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「家忠日記増補25巻3」の解読 7

(大代川のソメイヨシノ)

よく降った雨も上がって、青空も見えたので、女房と散歩に出る。気になるのはサクラの花で、大代川沿いの桜の様子を見に廻った。ソメイヨシノは早い所で2、3分咲きといった所、遅い所は咲き始めくらいであった。流れが切れそうであった大代川も、流れが復活した。雨は相当降ったようだ。

(大代川のエドヒガン、ほぼ満開)


(大代川のエドヒガン、アップ)

一本だけあるエドヒガンの桜だけは、もう満開に近いように思えた。

午前中、志村けんさんが新型コロナで亡くなったとのテロップが流れた。今まで他人事であった若者たちにも、大きなショックになったようだ。何ヶ月か後に、思えば彼の死が転換点になって、収拾に向かったと語られるようになればよいのだが。それほどに大きな衝撃であった。享年70歳、まだ若い。

四月からの三講座の案内を出し終えた。こちらの方も、何とか実施したいとおもうのだが。

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「家忠日記増補25巻3」の解読を続ける。

馬場美濃守、鳳来寺口に向かう。かれが據(よんどころ)険溢(けんあふ)れたるに依って、大神君これを攻め撃つ事、得給(えたま)わず。故に、松葉を御味方の陣中に積みて、火を放ち、これを焼かしめ、詐(いつ)わりて兵を引いて退き、伏兵を設けて、敵を待たしめ給う。敵、果たして、軍舎(ぐんしゃ)を焼いて敗し去ると察して、或るいは五騎、或いは三騎、馳せ来たる。時に御味方の伏兵、(そつ)起きる、敵、驚き験(けん)じて退散す。
※ 険溢る(けんあふる)➜ たいへんに険しい。
※ 伏兵(ふくへい)➜ 敵の不意を襲うために待ち伏せしている軍勢。
※ 率に(そつに)➜ 急に。にわかに。


奥平信昌に命じて、長篠の城を守らしめ、大神君の御女(むすめ)を以って、信昌に嫁(か)せしめ給う。既に、武田勝頼、屢(しばしば)三州を侵さんと歎ずると云えども、その利なし。勝頼、三州鳳来寺辺の一揆を催(もよお)す。一揆の賊徒など、これに応じて、武田が兵を、鳳来寺口より、国中に引き入れんと物(もの)す。植村土佐守泰忠(初め鳳来寺の別当安養院と号す)鳳来寺表案内者たるに以って、この企てを聞いて、大神君に達す。

大神君、本多三弥、三浦九兵衛尉、久貝市右衛門尉、福尾五左衛門尉、渡辺半兵衛尉を召して、命有りて曰く、鳳来寺は故境に近く、一揆の賊徒など、敵地に脱(のが)れ去らざるのように、これに謀(はか)りて搦(から)め捕(と)らえきの由、御旨(ぎょし)を奉りて、かの地に発向(はっこう)す。渡辺半兵衛尉、同姓墨右衛門尉、兄弟賊徒の長本人(きん)、これを携(たずさ)えて浜松に帰る。大神君、渡辺兄弟が速成の功を(び)らる。
※ 御旨(ぎょし)➜ お考え。おぼしめし。
※ 発向(はっこう)➜ 目的の場所へ向かって軍勢・使者などが出発すること。
※ 長本人(ちょうほんにん)➜ 正しくは「張本人」。事件を起こす原因となった人。 悪事などを企てた首謀者。
※ 擒す(きんす)➜ とらえる。いけどりにする。
※ 速成(そくせい)➜ 物事を早く仕上げること。短期間に成し遂げること。
※ 美す(びす)➜ ほめる。たたえる。

(「家忠日記増補25巻3」の解読、つづく)

読書:「酒合戦 新酔いどれ小籐次 16」 佐伯泰英 著
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「家忠日記増補25巻3」の解読 6

(散歩道のマンネンロウ、3月25日撮影)

マンネンロウはまたの名をローズマリー。ハーブとして名前は聞くが、こんなの大きくなることは知らなかった。

自粛の首都圏に、季節はずれの大雪というニュース。こんな時代には、何が起きても、驚くほどのことではない。

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「家忠日記増補25巻3」の解読を続ける。

貞能、作手の城に帰りて、その夜、男(むすこ)九八郎信昌を携(たずさ)え、作手の城を退く。武田が兵、これを聞いて、撃(う)たんと競い追う。石堂金坂が辺りに於いて、貞能、返し合わせ、挑み戦いて、敵数十人を撃ち捕らえる。武田が兵、これに辟易(へきえき)して、敢えて追う事なし。貞能、兵を全うして退く。貞能兼ねて、大神君にこれを達して、この夜を物し定めるに於いて、大神君より松平主殿助伊忠、本多豊後守康孝、男(むすこ)彦次郎康重をして、貞能、信昌を迎しめ給う。貞能父子、宮崎瀧山に着く。
※ 辟易(へきえき)➜ 相手の勢いに圧倒されてしりごみすること。たじろぐこと。

翌日、大神君の命に仍って、平岩七之助親吉、内藤金一郎、援兵として、且つ貞能が陣に馳せ加わる。貞能、微勢たるに依って、宮崎瀧山を引き退くの間、援兵の武将なども、兵を収めて浜松に帰る。

八月小
廿一日 武田が兵、五千余騎、作手の城より進んで、宮崎瀧山に出張(でば)りす。貞能、信昌二千余騎を率して、再び、瀧山の砦に備えて、近郷に放火し、瀧山に陣す。僅かに柵一重を結(ゆ)いて、未だ屏(へい)を構えず。敵、競い来たるの間、敵、利を失いて、敗走す。貞能、勝つに乗じてこれを追い撃つ。敵、田原坂の辺りにして、敵、廻り返し合わせて、挑み戦う。ここに於いて、武田が軍士、奥平助四郎を始め、五十余人戦死す。

大神君より、援兵として、再び本多康孝、その子康重をして、貞能が兵に加えしめ給う。貞能進みて、作手表に軍を発す。作手の城より敵出張(でば)りて、貞能と戦う。貞能大いに勝ちて、敵を多く撃ち捕り、嶋田の郷に放火す。武田勝頼、貞能、信昌が逆意を怒り、信昌が妻として、質に甲府にあり。これを捕らえて磔(はりつけ)にす。

九月大
諸賀、小泉、吉田、長篠の城を保つことを得ず、甲州に走る。勝頼、長篠の城、既に降(くだ)ることを知らず。諸将を遣わして、遠州所々に陣す。武田逍遥軒、森の郷に於いて、本多平八郎忠勝、柳原小平太康政、大須賀五郎左衛門尉康高、本多作左衛門尉重次などと挑み戦う。武田が兵、軍(いくさ)に利を失いて敗北す。穴山、一条が二手の兵を以って、これを救わんと進むといえども、本多、榊原、士卒(しそつ)、指揮して、軍を速やかに引き取らしむ。これに仍って、武田が兵、為方(しかた)なく軍を収めて甲州に帰る。
※ 士卒(しそつ)➜ 士官と兵卒。また、兵士。

(「家忠日記増補25巻3」の解読、つづく)
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「家忠日記増補25巻3」の解読 5

(散歩道のアイリス、3月25日撮影)

午後、「駿遠の考古学と歴史」講座に出席した。今年度最後の講座で、窓をいっぱいに明け広げて、講座を受ける。今日は最高気温は23℃ほどとなり、外の風も心地よかった。花粉症も新型コロナショックからか、軽くてそろそろ終わるようだ。

コメントで質問を受けた件、教授から答えを頂いたので、コメントで返した。

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「家忠日記増補25巻3」の解読を続ける。

六月大
屋城山の両所に砦を構え、二俣の敵に備え、大神君浜松に還り給う。奥平美作守貞能、同男(むすこ)九八郎信昌(後に美作守に改む)、大神君に来服す。
※ 来服(らいふく)➜ 来て服従すること。

七月大
十九日 大神君、兵を率(そつ)して、長篠の城を攻め給う。火箭(ひや)を発して、二ノ丸を焼かせしめ給う。ここに、これにより、城中の兵器、軍粮(ぐんろう)焼失す。城兵本丸に迫り、守将諸賀、小泉、吉田守り拒(ふせ)ぐといえども、本多平八郎忠勝、榊原小平太康政、これを(はか)に仍(よ)って、城兵乱れ屈し、力尽きる。
※ 火箭(かせん)➜ 昔の戦いで火をつけて射た矢。火矢。
※ 軍粮(ぐんろう)➜ 兵粮。
※ 謀る(はかる)➜ あれこれと手段を講ずる。


奥平美作守貞能、同男(むすこ)九八郎信昌、大神君に忠を通ずるの由を聞いて、武田左馬助(典厩)、彼が逆意の実否を知らんがため、貞能を黒瀬に招きていわく、貞能野心これ有る旨を、多嶺が臣道寿斎、これを告げるの由を云う。貞能陳(ちん)じていわく、この時を得て、敵、間者を以って、内を離すの謀(はかりごと)あり。貞能に於いて、全く帰心なし。間人謀言を信じて、無二の味方を疑う事、短慮たるの由、言を尽して諌(かん)ずるの間、左馬助、頓(とみ)に疑心放して、却って貞能に然意(ねんい)浅からずして、味方の察計(さつけい)を談ず。
※ 逆意(ぎゃくい)➜ 謀反の心。そむく心。逆心。
※ 間者(かんじゃ)➜ 敵方のようすをひそかに探る者。間諜(かんちょう)。 スパイ。
※ 帰心(きしん)➜ 故郷やわが家に帰りたいと願う心。
※ 間人(もうと)➜ 武家の召使いの男。中間
※ 謀言(ぼうげん)➜ はかりごとのことば。
※ 頓に(とみに)➜ 急に。にわかに。
※ 然意(ねんい)➜ 同意する心。
※ 察計(さつけい)➜ 詳しい計画。

(「家忠日記増補25巻3」の解読、つづく)
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「家忠日記増補25巻3」の解読 4

(散歩道のハナモモ、一昨日撮影)

久し振りの雨模様。午後、駿河古文書会で静岡へ行く。今月2回分の例会が延期になって、今日、その二回分を纏めて実施された。一見、やさしい課題と思っていたが、古文書を書いた本人の思い込みからか、何とも解読出来ない文字もいくつかあって、当番泣かせの古文書であった。

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「家忠日記増補25巻3」の解読を続ける。

定盈、忠正、城外に出て自殺せんと歎(たん)ず。武田の兵、これを謀(はか)りて、定盈、忠正を(とりこ)にす。残る城兵等、皆城を脱れ去る。これに依って野田の城陥ちる。信玄、定盈、忠正をして、山縣三郎兵衛尉に預けしめ、二士を郡内に置いて、信玄二士に示して云わく、志を変じて信玄に服せば、厚く賞せん。二士丹心(たんしん)を改めず。信玄使いを大神君に赴(おもむ)かしめて、謂いて云わく、大神君、捕らえ置かるゝ所の作手、多嶺、長篠(これらを山家三方の士という)三人の質を以って、定盈、忠正とこれを代えんと謂う。大神君これを諾(だく)し給う。
※ 擒(とりこ)➜ 生け捕りにした敵。捕虜。。
※ 丹心(たんしん)➜ まごころ。赤心。


二月小
十五日 大神君より、山家三方の人質に、二千軍騎の軍士をして、これを送りしめ給う。また菅沼新八郎定盈、松平与一郎忠正に、武田が兵二千軍騎を相副(そ)え、広瀬河上にして、互いに質を代えて帰り去る。(長篠/菅沼伊豆守、作手/奥平監物入道々文、段嶺/菅沼刑部少輔。初め、大神君に属して質を出す。去年、志を変じて武田に従う故に、その質を以って、定盈、忠正に易(か)え給う)

十六日 信玄、病痾(びょうあ)に依りて、甲州に帰る。
※ 病痾(びょうあ)➜ 長びいてなかなか治らない病気。

三月大
三郎信康、を帥(ひき)いて足助表に御進発あり。武節(ぶせつ)の郷主、私を乞うて御味方に属す。足助の城主、鈴木弥兵衛尉は信康の武威に恐れて兵攻を待たず、城を避けて逐電す。平岩七之助親吉に命じて、天方の城を攻めしめ給う。守将久野弾正拒(ふせ)ぐ事を得ず。城を棄て甲州に走る。石川日向守家成、久野三郎左衛門尉宗能をして可久輪の城を攻めしめ給う、城主出奔す。酒井左衛門尉忠次をして、鳳来寺の城を援けしむ。六笠、一の宮の両城攻めを待たずして降りる。
※ 師(し)➜ 兵士の集団。軍隊。
※ 武節(ぶせつ)➜ 武節城。現在の愛知県豊田市武節町にあった山城。


四月小
武田信玄卒去(そつきょ)す(五十三歳)。男(むすこ)勝頼継ぎて立つ。(信玄卒去を深く密し、病痾と称し、勝頼を軍代(ぐんだい)とす)
※ 卒去(そっきょ)➜ 身分のある人が死ぬこと。
※ 軍代(ぐんだい)➜ 主君に代わって戦陣で指揮を執る者。

(「家忠日記増補25巻3」の解読、つづく)
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「家忠日記増補25巻2」及び「25巻3」の解読 3

(大代川土手下のシャガ/昨日撮影)

シャガの花はこんなに早い季節だったか、もっと春たけなわの頃だと思っていた。首都が新型コロナの瀬戸際になってきた。静岡は変わらないが、気になる話である。

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「家忠日記増補25巻2」の解読を続ける。

時に、夏目次郎左衛門尉、独り処し合わせ、奮い戦いて、忠死す。その余、本多肥後守忠員、成瀬藤蔵、鳥居四郎左衛門尉、榊原摂津守、岩堀勘解由左衛門尉父子、河澄源五郎、加藤九郎、天野麥右衛門尉、米津小大夫、安藤杢助、大久保新蔵、渡辺新九郎、渡邊十右衛門尉など三百余人戦死す。大神君、浜松の城に退き給う。

その夜、信玄、犀が崖に屯す。天野三郎兵衛尉康景、大久保七郎右衛門忠世と議して、軽卒(けいそつ)をして僅(わず)かに火炮十六挺を持たしめ、信玄が陣する犀が崖に進んで、不意に起きて火炮を放さしめ、穴山陸奥守が陣を襲(おそ)い攻(せ)む。武田が兵、驚き騒ぎ、犀が崖に敗(はい)し落ちて、死亡する者、数千人。
※ 軽卒(けいそつ)➜ 身軽な服装の兵士。また、身分の低い兵士。

廿三日 黎明(れいめい)、信玄、兵を引きて、同国刑部(おさかべ)に退き、この所にして越年す。
※ 黎明(れいめい)➜ 夜明け。明け方。

(「家忠日記増補25巻2」の解読、おわり)

これより、「家忠日記増補二十五巻三」の解読に入る。

天正元年癸酉(みずのととり)、正月小
三日 武田信玄、旧冬(きゅうとう)、三方ヶ原一戦の後、遠州刑部に至り、越年し、今日、軍を発し、井伊之谷を経て,三州野田に至る。将軍義昭、使いを遣わし、信玄に謂(い)いていわく、大神君及び信長と交和(こうわ)ならんとす。信玄これに応ぜず。
※ 旧冬(きゅうとう)➜ 昨年の冬。昨冬。ふつう、新年になってから用いる。
※ 交和(こうわ)➜ 互いに調和すること。相互になじむこと。


十一日 武田信玄、兵三万五千余騎を率(そつ)して、三州野田の城を囲む。菅沼新八郎定盈(さだみつ)(後に織部正と号す)、この城を守る。松平与一郎忠正、援兵として菅沼に加えて、野田の城に在り。その兵合せて四百余騎、武田信玄、多勢を以ってこれを攻め撃つ。定盈、忠正、堅く守りて、拒(ふせ)ぎ戦うの間、城陥(お)ちず。

信玄、謀(はかりごと)を廻らし、全堀をして城中の水を掘り尽きさしむ。城兵、ここに屈し、(げき)を飛ばして、後援を大神君に請う。大神君、これを援け給わんがために、笠頭山に至りて陣し給うと立てども、信長果さず。然るに野田の城兵ら、大神君、後援あることを知らず。数日渇して困窮するの間、城将菅沼、力尽きて、使いを城外に出して、信玄に謂いていわく、篭城(ろうじょう)の諸卒など各(おのおの)一命を助けらるゝにおいては、定盈、忠正、彼等が命に替えて、城を出て自殺せんと謂う。信玄これを許す。
※ 檄(げき)➜ 召集や通告のための文書。ふれぶみ。

(「家忠日記増補25巻3」の解読、つづく)

読書:「焼津の歴史あれこれ」 焼津市史編さん委員会 編
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「家忠日記増補25巻2」の解読 2

(大代川のコサギ)

午後、女房と散歩に出る。静岡にはまだ桜の開花の発表がない。そういえば、新型コロナの感染も、県下で3人と、止まったままである。無責任なコメンテーターが、静岡には「のぞみ」が停まらないからと言う。東京は一日の感染者が40人と発表があった。オリンピックの一年延期が決まって、急に増えたと感じるのは、穿った考えであろうか。今の感染は、どうやら地球を一回りして来たものかもしれない。何とか治まってもらいたいものである。散歩の途中で、開花したソメイヨシノの木を一樹だけ見かけた。明日は5月の気温になるというから、漸く開花が発表されることになろう。

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「家忠日記増補25巻2」の解読を続ける。

武田信玄が男(むすこ)、勝頼、兵を率して二俣の城を攻む。大神君、これを救い給わんがため、軍を出して天竜川を(とん)給う。勝頼、二俣の城を下して、依田下野守をして、これを守らしむ。東参河の士、皆な、信を変じて、武田に属す。菅沼次郎右衛門尉、同新八郎、忠を変ぜず。野田の城を守る。
※ 屯す(とんす)➜ 兵隊が群れ集まる。

廿七日 遠州宇津山の砦は、当時、武田が兵、その辺りに陣して、通路を絶す。大神君、勇将して、この砦を守らしめんと欲し給う。諸将猶予す。ここに於いて、松平備後守清善、家督を嫡子清宗に譲りて、近来隠居すといえども、請(う)けて、宇津山の砦に赴(おもむ)く。大神君、その勇功を悦び給いて、これを賞(め)でて、遠州友長村千貫の地を清善に賜わる。
※ 勇将(ゆうしょう)➜いさましく強い将軍。
※ 猶予(ゆうよ)➜ ぐずぐず引き延ばして、決定・実行しないこと。


今度宇津山への相移り候事、忠節、祝着(しゅうちゃく)に候。知行千貫文の地、申し付くべく候。その旨、左衛門尉に申し候。恐々謹言。
 元亀三、十月廿七日           家康
     松平備後守殿
※ 祝着(しゅうちゃく)➜ 喜び祝うこと。うれしく思うこと。満足に思うこと。

十一月大
尾州の援兵、佐久間信盛、滝川一益、平手など、浜松に至る。

十二月大
廿一日 武田信玄、四万余騎を率(そつ)して、陣を遠州味方ヶ原に張る。大神君、尾州の援兵を并(あわ)(併)せて、八千余騎、進みて戦わんと欲し給う。信玄、尾州の援兵を聞きて、猶予して戦わず。既にその日これを申す。尅(こく)に及ぶ時に、大神君の先隊の兵士など、競い進みて武田が兵と戦う。敵の先隊、一、二の陣を破ると云えども、勝手を得ず、利を失いて敗す。敵、勝ちに乗じて、頻りにこれを追う。撃つ大神君の陣、危急(ききゅう)なり。
※ 尅(こく)➜ 耐え抜いて打ちかつ。
※ 危急(ききゅう)➜ 危険・災難がさし迫っていること。

(「家忠日記増補25巻2」の解読、つづく)
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「家忠日記増補25巻2」の解読 1

(大代川土手のエドヒガン)

午後、桜の開花具合はどうだろうかと、女房と散歩へ出る。大代川脇の桜はまだ蕾であった。しかし、つぼみは膨らんでいて、明日くらいには開花になるだろうか。毎年、開花が少し先行するエドヒガンは、今、二分から三分咲きといった所であった。

今日から再び、O氏依頼の戦国の遠州、駿河の戦記物解読へ戻る。最初は「家忠日記増補25巻2」であるが、家忠日記は江戸時代の写本をかつて読んだ。この部分は家忠さんが残したものではなくて、後世の人が書き加えた部分のようで、形式も全く違う。これは解読に時間は掛からないであろう。

夜、オリンピックが一年延期のニュースが流れた。

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「家忠日記増補25巻2」の解読を始める。

元亀三壬申(みずのえさる)、閏正月小
十三日 大神君、兵を金谷大井川の辺りに出して、巡見し給い懸り給う。酒井左衛門尉忠次、小笠原与八郎など、井呂ヶ瀬を渉(わた)りて、嶋田河原に陣す。信玄、物を変じて、大神君兵を大井川に出し給うの罪を貴(たっと)びて、これより弥(いよいよ)相怨(うら)む。
十九日 大神君、兵を収めて浜松に懸(帰)り給う。
※ 井呂ヶ瀬(いろがせ)➜ 現在の、島田市色尾地先の瀬。

十月小
十二日 信玄、甲州を発して遠州に至り、天野宮内左衛門尉を案内者として、多々羅、飯田の両城を攻めて、これを抜きて、見付に至りて陣す。大神君の兵、三千余騎、一言坂に進み向う。本多平八郎忠勝が徒士(かち)、大兼彦一郎、見付の町に放火して、敵を西北に廻し、御味方の兵、既に進み、撃たんとす。

時に、本多平八郎忠勝、内藤四郎左衛門尉正次、大神君に言いて曰く、今日、必ず戦うことなかれ。速やかに軍を返さしめ給うべし。敵多勢を率いて、進退自由の、地利(ちり)に陣す。味方は且つ微勢にして、地利宜しからず。味方の陣を退かんに、敵、若し天竜川を越えて追い来らば、かれ川を半ば渉るの時、味方の軍を返すとて、迷うに奮い撃てば、その利を得ん事、掌(たなごころ)を指すがごとくならんと決す。大神君これを許し給う。
※ 地利(ちり)➜ 地勢上の便利さ。地の利。

ここに、これにより、味方の兵を退かんと欲す。然りといえども、両陣の間、その近き事僅かに二反計りにして、味方の兵、退かば、敵その動きに来(こ)して、競い撃たんと窺う。故に、退くことを得ず。両陣、互いに(ぼく)へ挑(いど)む。本多忠勝、独り鎗を捨て、両陣の間に馬を乗入れ、諸率(しょそつ)に指揮して馳せ廻る事、七、八度にして、遂に味方の陣を退かしむ。敵その勇勢に辟易(へきえき)して、これ故、追うことを得ず。
※ 攴(ぼく)➜ 打つこと。
※ 諸率(しょそつ)➜ 多くの兵卒。


味方の軍勢、三町余退き去る。時に敵起きて、これを追う。忠勝が徒士、桜井庄之助、三浦竹蔵、大原作右衛門尉、柴田五郎右衛門尉など、軍を返して奮い戦う。武田が兵、なお進みて競い追う。本多平八郎忠勝、内藤三左衛門尉、大久保七郎右衛門尉忠世など、殿後(しんがりご)、兵を全うして浜松に帰る。
※ 殿後す(しんがりごす)➜ しんがりになる。

(「家忠日記増補25巻2」の解読、つづく)
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「異国来泊の記」の解読 16

(庭のレンギョウ)

庭のレンギョウがこの二日ばかりで一斉に咲き出した。今日も暖かく、上野の桜は満開近いと、テレビで放映していた。宴会は禁止で、花の下を散策する人々でにぎわっていた。しかし、中には敷物を敷いて座り込んでいる不心得者もいたようだ。

午後、土手まで出てみたが、ソメイヨシノはまだ蕾で、ようやく、エドヒガンがうっすらと色づいて来たように、遠目で見えた。暖かいはずの静岡だが、この所、他の地域の桜に開花が抜かれてしまった。と言っても、昔より遅くなっているわけではなく、他の地域が早まっているということである。

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「異国来泊の記」の解読を今日で終える。

親しく聴聞する所、且つ今、商等、乍浦(さほ)、帆揚げの間、揚威大将軍、已(すで)に浙省を抵(う)つ。書を為し、軍兵を調発(ちょうはつ)し、絡繹(らくえき)す。伝え聞く、今春正月一(はじめ)に、大兵の到るを俟(ま)つ。齊整(せいせい)戦舸(せんか)を備え、英寇を會勦(かいそう)す。商等、乍(たちまち)開く由、行く後、未(いま)だ曽(かつ)て、いや、知らず。交戦等の情、来販(らいはん)に貴国に至る一節、毫(すこし)阻碍(そがい)なく至る。茲(こ)れ将に形勢の現今たり。具(つぶさ)に単(ことごと)く。

覆(報)
※ 調発(ちょうはつ)➜ 人や物品などをととのえて送ること。
※ 絡繹(らくえき)➜ 人馬の往来などの、絶え間なく続くさま。
※ 齊整(せいせい)➜ 整いそろえること。
※ 戦舸(せんか)➜ 戦の大船。戦艦。
※ 會勦(かいそう)➜ 会って征伐すること。
※ 来販(らいはん)➜ 商売に来ること。
※ 阻碍(そがい)➜ さまたげること。じゃますること。

(「異国来泊の記」の解読を終わる)

解読が最後まで来てから気付くのは迂闊な話であるが、「異国来泊の記」の漢文部分は、そもそも、長崎へ来航した清の商人が、日本の役人に報告したものだと、はじめて気付いた。それが判っておれば、解読の仕方も変わったはずと、今更のように思う。もう一度最初から読み直してみみなければなるまい。

中国人の書いた漢文は、もともと解読が難しく、敬遠していたが、新型コロナによって、各種講座や行事が中止になり、この一月弱は引き籠りのような状態になっており、この解読はその暇つぶしのようなものであった。案の定難しくて、一日がかりで、一日分のノルマ(ブログ一回分)をこなすのがやっとという状態であった。今はやれやれといったことろである。
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「異国来泊の記」の解読 15

(散歩道のヒヤシンス、3月18日撮影)

トランプさんも窮地に追い込まれて、新型コロナウィルスのことを、チャイナウィルスなどと言い出した。中国も反発して、米中関係が更にややこしくなってきた。まあ、中国の秘密主義が事態を悪くしたのも確かである。ただ、今蔓延している欧米諸国も、事はアジアの話として、油断があったのだろうと思う。極東の国々は韓国を除いて、対応は素早くしてきたと思う。日本の、クルーズ船への対応の無策さを批判していたのは、その欧米諸国であったことを、今はずいぶん昔のことのように思い出す。

今、阿片戦争時代の中国人が書いた漢文に挑戦している。なかなか解読が難しくて、投げ出したくなる。もう少しで終りなのだが、漢和辞典のもっと本格的なものを用意しないと無理なのかもしれない。

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「異国来泊の記」の解読を続ける。

(もと)知る夷人兵法、未(いま)だ、必ずしも精通せず。而(しこう)して、その炮火を畏(おそ)れ、利害に心居(お)き、究(きわめ)るに悉(つく)すべからず。

また恐れる虚(きょ)に乗(じょう)じ、劫掠(ごうりゃく)、当(まさ)に、該(そ)の省、文武各大員(だいいん)飛章(ひしょう)入奏(にゅうそう)を経て、欽命(きんめい)皇侄(こうてつ)(皇姪)弈、勅封(ちょくふう)を経(へ)揚威将軍隨同(ずいどう)参賛大臣(さんさんだいじん)数員、兵を統(おさ)め、万を累(かさ)ね、前(さき)の浙江、江蘇へ往き、両省、海口へ駐剳(ちゅうさつ)す。
※ 劫掠(ごうりゃく)➜ おどして奪い取ること。
※ 大員(だいいん)➜ 高官。
※ 飛章(ひしょう)➜ 急ぎの手紙。
※ 入奏(にゅうそう)➜ 申し上げ入れること。
※ 欽命(きんめい)➜ 君主の命令。また、その使い。
※ 勅封(ちょくふう)➜ 勅命によって封印すること。また、その封印。
※ 揚威将軍(よういしょうぐん)➜ 中国の官位である。「揚威」とは「威を揚げる」を意味する。
※ 隨同(ずいどう)➜ お供する。随行する。
※ 参賛大臣(さんさんだいじん)➜ 中国,清朝で外モンゴル,新疆に派遣され,将軍のもとで軍務を議する行政官。
※ 駐剳(ちゅうさつ)➜ 使臣が任地にあって事務を扱うこと。


銅鉄鋳(い)て、火炮を成す。数百門以って、接戦(せっせん)に備う。以上の情由(じょうゆう)、之(この)上、春以来、屢々風聞を稟(う)け較べ、矛盾を覚ゆに似て、唯(ただ)、因(ちな)みに、広東を離れる窵遠(ちょうえん)謡言(ようげん)ながら、(こう)の如く、この番、報ずる所、仍(すなわ)ち、蒋春洲覊留(きりゅう)する粤(えつ)の間の在(ざい)に係(かかわ)る。
※ 接戦(せっせん)➜ 戦いを交えること。
※ 情由(じょうゆう)➜ 事の理由。事情。
※ 窵遠(ちょうえん)➜ はるかに遠いこと。
※ 謡言(ようげん)➜ うわさ。
※ 簧(こう)➜ ふえの舌。吹くと振動して音を出すもの。
※ 蒋春洲 ➜ 清の商人、船主。
※ 覊留(きりゅう)➜ 旅の留り。逗留。

(「異国来泊の記」の解読、つづく)
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