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「富士日記」 2 (旧)七月十八日 旅の始め

(庭のアゲハチョウ)

庭のサルビアで羽根を休めるアゲハチョウ。どこで戦って来たのだろう、羽根を傷めている。

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「富士日記」の解読を続ける。

今年、寛政二年七月十八日、富士に登りて見むとて、かの山の麓に鎮もりませる、浅間社の造(みやつこ)刑部(おさかべ)の国仲に、早う契(ちぎ)り置きたれば、仮初めの旅装いして、供とする人一人、掻い連れて、夜の明くる頃おい、亀島の宿りを出で、わが登らんとする麓は、甲斐国鶴郡なれば、先ず門出良しとて、家なる妻子(めこ)喜び合えり。
※ 寛政二年 - 西暦1790年。
(原注 浅間社、甲斐国都留郡吉田村に在り。)
※ 刑部の国仲(おさかべのくになか)- 富士吉田の北口本宮冨士浅間神社の神官。賀茂季鷹さんの富士登山の案内をする。
※ 亀島町(かめじまちょう)- 現、東京都中央区日本橋茅場町。
※ 門出良し - 鶴(郡)と亀(島)が揃って縁起がよいというのであろう。


今年、十年(ととせ)、二十年(はたとせ)にも、稀(まれ)なる暑さなれば、出でと、留むるもあれど、かの頂きは、例の照る日の盛りにも、霜月(旧暦11月)、師走(旧暦12月)ばかりの寒さと聞き置き、
※ な~そ - ~してくれるな。~しないでくれ。

かつ一年(ひとゝせ)、肥後国の博士、玉山大人の登られし折りの一巻を見しより、しきりにゆかしき上、かけまくもかしこき、大御(おおみ)めぐみ持て、かの国の権守にさえ(よ)ざし給えれば、せめてたゞにも行きて、見まほしき心地せらるゝは、かつはおおけなきことに侍れど、如何はせん。揚名介と言われけん世さえ、今は忍ばしきや。
※ 玉山大人(ぎょくざんうし)- 秋山玉山。江戸時代中期の漢学者。熊本藩学問指南役。藩校時習館設立を建白し、開校されるとその初代教授に就任、学業の振興と規範の制定に尽力した。
※ ゆかし - 心が引かれる。
※ かけまくもかしこき(掛けまくも畏き)- 申し上げるのも畏れ多いことだが。
※ 権守(ごんのかみ)- 長官(かみ)の権官(ごんかん)。
※ 任ざす(よざす)- おまかせになる。委任なさる。
(原注 縣主の甲斐権守に任じられしは、天明六年十二月十九日なり)
※ 見まほし(みまほし)- 見たい。
※ おおけなし - おそれ多い。
※ 揚名介(ようめいのすけ)- 名目ばかりで実際の職務も俸禄もない国司の次官。
(原注 頼業私記に云う。故信西入道、揚名介と云う、正権の外の介なり。公廨(俸禄)に預からず)


読書:「お断り 鎌倉河岸捕物控29」佐伯泰英 著
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