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中国結婚写真事情

(花壇の向うにウェーディングドレスが見える)

中国杭州、太子湾公園の続きである。

公園のあちこちにウェーディングドレス姿の女性が目立った。花婿も白い服で従っている。はじめてくる人はこれは何だと面食らうであろう。近くに結婚式場があって、集団結婚式でもあったのかと思うかもしれない。しかし、次々に移動してくるウェーディングドレスをからげた下履きにGパンが見えた。カメラマンとアシスタントが何人か付いて、ちょっとした撮影隊である。一つの撮影隊にカップルが数組付いて、カメラスポットで撮影の順番待ちをしている。

あとで女性通訳に聞いてみたら、中国では結婚式の記念写真を写真館や式場だけではなくて、事前にカメラスポットに出かけ、モデルのようにポーズをつけて撮影し、大きく引き伸ばして部屋に飾ったり、写真集を作ってみんなに見せたりするのだという。その撮影にはかなり費用がかかるようだが厭うことはないようだ。太子湾公園だけではなくて、このあと西湖の周りのあちこちで、ウェーディングドレスを何組も見た。今日は平日だからこのくらいだが、週末ともなるとさらに賑やかなのだそうだ。こんな撮影風景は台湾に真夏に旅行したときも見たし、韓国の済州島で見たと聞いた。近隣アジア諸国の習慣なのだろうが、さすがに日本では見たことがない。

一度撮った写真は残ってしまう。日本人スタッフがアパートに入ったら、先住者のその手の写真が引き延ばし、額装されて飾られたまま残っていた。もちろんそのまま置くわけにもいかず、捨てることも出来ないので、管理人に引き取ってもらったという。写真の主たちは離婚でもして部屋を引き払ったのであろうか。如何に上手に撮られていても、離婚すれば無用の長物になってしまう。ちなみに中国は原則共稼ぎだから、かなり離婚率は高いようである。


(人魚になった気持でポーズ)
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中国杭州、太子湾公園

(太子湾公園の滝)

中国から今夜戻ってきたばかりである。中国出張の間の書込みは出張前にまとめて書込んでおいたが、その間、閲覧者数が減った。やはり毎日確実に書込む方が良いのだろうなぁ。

中国杭州に着いた日、桜が満開だと聞いて、西湖のほとりの太子湾公園に連れて行ってもらった。

西湖はもともと干潟で、今も水深は平均1.8mしかない。一説には杭州全体が低地だったところを、西湖の土を浚渫して杭州の町を作りあげたのだともいう。いずれにしても大昔のはなしである。

西湖は大きな水溜りのようなもので、水が変わりにくい。現代のように生活用水も流れ込むと水質汚染がどんどん進む。西湖は中国でも有数の観光地で水質汚染はイメージダウンも甚だしい。そこで銭塘江から水を取り込み水質保全を計ることになった。銭塘江の水も決して奇麗な水ではないので、ろ過浄化して一週間に一回替るほどの大量の水を流入して西湖の水を奇麗に保っている。

太子湾公園は銭塘江からの水の取り入れ口で、せっかくの奇麗な水だからただ流入させるだけではもったいない。公園内に水路を蛇行させ、水辺に樹木と花がいっぱいの公園を造った。それが太子湾公園である。公園の奥の山の中腹から大きな滝をなして水が流れ出ている。山の大きさからは不自然な水量なのだが、気にする人はいない。水辺に沢山の人々が憩っている。


(太子湾公園の滝-去年は桜の下で花見をした)

広場を取り巻くように桜が満開であった。桜の下が芝生になっているところと、びっしりチューリップが植えられ、色とりどりのじゅうたんになっているところがある。桜にチューリップを組み合わせるセンスは日本にはない。芝生になったところで去年は子会社の日本人と現地スタッフが日本式にお花見をしたという。しかし同じ場所が今年は芝生内に進入禁止となっていた。かつて中国には桜は無かった。しかし最近西湖の周辺にも桜が増えてきた。この季節だけ存在を主張している。いずれも幹はせいぜい20~30cmの細いものである。西湖の周りでこの太子湾公園が最も桜が多いと聞いた。
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今、考えている その12

(或る夕陽)

臨死体験をした人の話を幾つか読んだことがある。死ぬということはそんなに苦しいことであろうか。実は死ぬことよりも生きることの方が苦しいことなのだといわれている。

山で遭難して凍死した人が死の寸前暑い暑いと衣服を脱いで凍え死んだという話はよく聞く。人は死に目にあったとき、苦しみをそのまま受ければ脳が持たないという判断から、脳内物質が出て死の苦しみからその人を解放するという。脳内物質は一種の麻薬である。凍え死ぬほど寒い状況ならば、脳内物質が逆に暑いと錯覚させて、苦しみからその人を救うのである。

臨死体験をした人は、向かう方向に光が差して楽園のように見え、その方角から呼ぶ声がする。行こうとするところをこの世へ呼び戻されてしまったなどと、似た体験を話す。もちろん向こうへ行ってしまった人の体験は聞けないから、光の方がどうなっているのかはわからないままである。死に掛けた多くの人が似たような臨死体験を語るところを見ると、これも一種の脳内物質が出て夢を見させているのであろう。

年寄りが身体を壊して入院させたところ、それまでまったく惚けるような素振りが無かったにもかかわらず、惚けたとしか思えない言動にびっくりさせられた人の話を良く聞く。それまで達者で病院と縁の無かった年寄りほど、その傾向が強いと思う。本人が故意にやっている訳ではなく、これも病院という苦痛から逃れるために、脳がしでかす自己防衛本能だろうと思う。それが証拠に、自宅へ戻るとけろりと惚け症状が直ってしまう例が多い。このように脳のしでかすことは我々の脳の想像を超えている。

年を取ると多くの人が惚ける。惚けるということは悪いことばかりではない。惚けることによって人は死の恐怖から開放されると思うからである。しかし自分は最後の一瞬まで惚けたくないと思う。私の場合はブログが書けているうちは惚けていないと思ってもらいたい。このブログが間遠になって終わってしまったら、あの人もとうとう惚けたかと、思ってもらって差し支えない。今のところ。
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今、考えている その11

(庭の満開のサクラソウ)

夢はそんなに毎日のように見るほうではないが、いつの頃からであろうか、同じ夢を繰り返し見ているのに気付いた。それは重力を無視して宙を飛んでいる夢である。誰にも空を飛びたいという願望がある。この夢はそんな願望の現れであろうか。

ただ夢の中で宙を飛んでいる割りには大変論理的である。まず飛ぶにはテクニックが必要である。羽根のような道具を使うわけではなく、ジャンプするように飛び上がることもない。高いところから飛び降りて滑空するわけでもない。要は身体を宙に浮かせることである。一度浮かせてしまえば、重力から開放され、そのままどこまでも飛んでいける。

宙に浮かせるためには、助走もなくそのまま野球の滑り込みのように身体を横に滑らせる。すると地上には着かないで横になった形で地上すれすれに浮くことができる。あとは自由に泳ぐように宙に昇っていく。高く高く昇って行き、地上を見下ろすことも出来る。

飛ぶことはコツをつかめばこんなに簡単である。自分には飛ぶ能力があることを人に見せたいのだが、誰も気付いてはくれない。しかし自分は飛ぶためのコツを会得していると夢の中では確信している。誰でも宙を飛ぶことは出来るのだが、他の人はそのコツを会得していないだけである。何度でもやって見せることが出来ると自信を持っている。その確信と自信は目が覚めるまではゆるぎない。

少しづつバリエーションはあるが、何度もみる。飛ぶコツは夢の中では忘れていない。前回見た夢の続きを見ているようなところがある。

フロイトならたちどころに夢判断をしてくれるであろう。しかし自分が考えたいのはそんな判断ではない。考えたいのは夢と現実の狭間についてである。寝ているときに五感による刺激無しに脳の一部が働いてみるものが夢である。現実は目覚めているときに五感による刺激を受けて脳が働いてみるものである。ただ五感が感じたものが割り込んで、夢をゆがめる例はよく聞くから、夢も全く五感から隔絶されたものではない。

一方、目覚めていても、健さん映画をみて映画館を出るとき、気持は健さんになっている。目覚めているときみるものでも現実でないものもある。その境はあるようでないのかもしれない。そうだとすれば、夢でしばしば見るように、自分は現実でも宙を飛べるのかもしれない。
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アボカドはトロの味

(アボカドの実)

アボカドという果物がある。先日、K園の株主総会があり、総会後の慰労会の席で、話題がアボカドの話しになった。「アボカドは生でわさび醤油をつけて食べるとトロを食べているような味と食感だ」と話すと、そこにいる誰もが「まさか」という。そんな食べ方をした人は居ないようだった。若い仲居さんも「本当にトロみたいですよ」と同調してくれた。話を聞いても食べてみなければ判らないからと、お店に頼んで出してもらった。みんな一口食べてみて、「ほんとだ、トロだ」と異口同音に驚いた。「これはトンボマグロのトロだ」とマグロの特定までする。目を瞑って食べれば騙されそうだという。マグロの資源枯渇がいわれているが、アボカドなら枯渇の心配はない。

当家では女房がアボカドをわさび醤油で食べるのが好きで、食卓によく出る。大半は女房が食べてしまうが、自分も食べる習慣ができた。アボカドは「森のバター」といわれるほど脂肪分が豊富である。この脂肪分はほとんどが不飽和脂肪酸で、血中コレステロールを増加させる心配が少ない。またビタミンEも多く含まれる。コレステロールが気になる熟年世代だが、これなら遠慮なく食べられる。


(冬を越した庭のアボカド)

アボカドは中南米原産のクスノキ科の樹木で、その果実が食用になる。低温に弱くて、主に熱帯、亜熱帯で生育するという。日本でも食べた後の大きな種を土に埋けて水をやっておれば簡単に発芽させることが出来る。葉は大きくて観葉植物としても楽しい。屋外で冬を越すのは難しいといわれるが、地球温暖化が進んで暖冬が普通になると日本でも育つようになる。今年、女房が植えたり捨てておいたりしたものから、庭や畑に7本ばかり幼木が育ったが、暖冬のため、部分的に葉が枯れているものの、どうにか屋外でも冬を越せたようだ。

日本の冬を越せるように品種改良されたものもあって、ご近所から苗を頂いて、去年裏の畑に植えた。3本いただいたうち1本がすくすくと育っているが、我が家で生ったアボカドの実が食べられるのはいつになるだろうか。
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「ジャパン・クール」と海外放送

(庭のムスカリ)

NHK放送記念日特集で、海外放送について座談番組をやっていた。例によって背中で聞いていたのだが、海外放送については番組を流すだけではなく、視聴するための設備まで出して国策としてアフリカ諸国や太平洋の小国に食い込んでいこうとする中国の取組み、800人のスタッフを新たに抱えアラブの放送局から世界の放送局に転進しようとするアルジャジーラの取組み、アンチ英米の立場から独自の主張を海外放送に込めようとするフランスの取組みなどが紹介された後、日本あるいはNHKはどうあるべきかと話が進んでいった。

そこで「ジャパン・クール」という言葉が出てきた。アメリカ英語では「クール」イコール「かっこいい」とか「非常にいい」と言う意味に使われる。つまり、“It's cool.”とは“It's very good.”の意味だと言う。日本のマンガ、ゲーム、アニメ、映画、ポップス、ファッションなどの、特に若者が発信する文化が「ジャパン・クール」として、世界にかっこいいと高い評価を受けている。コスプレやメイド喫茶までもが評価されているという。

日本は、船舶・鉄鋼・自動車・家電・精密機械などの工業製品の品質の高さで、世界にその存在感を示してきた。それらを担ってきた団塊の世代以前の熟年世代が、オタク文化といって眉をひそめて見てきた若者文化が、コンテンツ産業としてこれからの日本の産業を牽引することになる可能性を持っている。遅ればせながら政府もこれらのコンテンツ産業に国際競争力をさらにつけるために、保護・育成策を打ち出してきた。
    ※「コンテンツ」とは、「様々なメディア上で流通する映像・音楽・ゲーム・図書など、動画・静止画・音声・文字・プログラムなどの表現要素によって構成される情報の内容」(デジタルコンテンツ協会)

我々の世代は、製品の品質の良さを武器に世界になだれのように輸出攻勢を掛け、エコノミックアニマルと言われ、必ずしも世界から尊敬されることがなかった。

日本はこの60年間、世界のどの国とも戦争をしなかった唯一の国である。その平和の上に花開いた文化として、コンテンツ産業は、繊細で独特な日本文化を根底に置き、世界に「クール」だと評価されている。その文化に触れることで、日本語を勉強し日本に行ってみたいという若者が増加し、日本及び日本人が世界から尊敬されるようになり始めている。我々熟年の世代が想像しなかった事態である。

日本の海外放送も、国家戦略というよろいを着るのではなくて、これらの文化をきめ細かく世界に発信して、世界に好かれる日本になるように、役割を果たしていくべきであるという方向性を出して番組は終った。
(本日より一週間中国のため、書込みが変則になります。)
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掛川茶イメージレディコンテスト

(掛川茶イメージレディコンテスト)

昨日土曜日の午前中、会社が掛川茶イメージレディコンテストの認定楯を提供したので、そのプレゼンターで掛川城三の丸広場に行った。三の丸広場にはイベントに合わせるように朝市のようなテントのお店が並び、正面に舞台が出来てすでにプロの司会の女性がコンテストの段取りを話していた。

聞いていると、コンテストは2年に一回というが、毎年実施していた時期もあって、第24回を数えている。今回は64人の応募者があった。会場には書類審査で15人が選ばれ参加しているという。そのうちから掛川茶イメージレディグランプリを1名と、イメージレディを5名選出するのだという。

初めは私服で自己紹介があり、一通り終ってから定番の茶娘衣装に着替えて、3人づつ出て掛川茶への想いなどを述べる。司会者が10人の審査員から質問を求めたが、最初に市長から「結婚相手はどんな男性? 子供は何人欲しい?」との質問が出た。生む機械発言の厚生労働大臣の選挙区である当地だけにひやりとしたが、応募者のほうが大人で、3人欲しいという女性やら、言葉を濁す女性やらですんなり過ぎた。

少子化問題は地方都市においても深刻な問題であるから、市長として気になることだと思うし、座を和ます質問と思ってのことであろう。一昔前なら市長の思っている通りの話題であった。しかし今政治家がこの手の発言をするのは大変微妙なところである。結婚するのも子供を生むのもそれぞれの勝手だし、他人にあれこれ言われたくないというのが風潮である。本人たちがそんなに思わなくても、マスコミが食いつくこともある。

結局、保育所の保育士の女性(保母さんと呼んだ方が子供を安心して預ける気になると思う)がグランプリを取った。子供の扱いで手馴れていて、おしゃべりが大変上手な女性であった。子ども扱いの上手な女性はきっとお年寄りの扱いも上手だと思うし、イベントなどでおしゃべりをさせてもうまいだろうと思った。

プレゼンターで認定楯を渡したが、そばで見ると入賞した皆さんはけっこう美人ぞろいであった。(こう言っておけば無難!?)
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「松葉の滝」と「松葉のカヤ」

(松葉の滝「雄滝」)

倉真温泉を出てさらに奥に進む。途中分かれ道で車で出かけようとしていた爺さんに道を聞いた。奥へ行くほど道が狭くなり、これ以上奥へ入ると向きが変えられなくなりはしないかと思う辺りに、車が数台停められる松葉の滝駐車場があった。

滝へ入る遊歩道を歩き始めてすぐ、左足下の谷、木の間越しに滝のような落差が見えた。後から考えると松葉の滝の「雌滝」と呼ばれる滝だったようだ。ただその滝に降りる道は無かった。松葉の滝の「雄滝」は丸木橋を渡って遊歩道を400mほど進んだ最奥にあった。渇水期のためか、東海一の大瀑布といわれるにはあまりに少ない水量であった。それでも落差20m、幅5mの大瀑布だということである。三方を岩壁に囲まれて松葉の滝は右手の壁から落ちてくる。雨季には正面の壁からも滝が落ちて来るらしく、みず道が残っていた。そばには不動明王だろうか、小さな祠もある。この滝が不動の滝とも呼ばれている由縁であろう。

細い遊歩道を登ってくる二人の青年とすれ違った。こんなマイナーな滝を見に登ってくる青年が居たことに驚くとともに、谷側に避けて道を譲ってくれた心遣いに感心し感謝した。


(松葉のカヤ)

滝から出てきて車で細い山道を下ったところにお茶工場があり、その前の山腹にカヤの巨木があった。「松葉のカヤ」と言い、市の天然記念物に指定されている。案内板によると、
    松葉のカヤは、北西向きの山地にある雌木で、高さ14,5m、幹周り4.3m、根周り11.7mで、枝は四方によく広がっていて、雄大な姿を見せています。樹齢は不明です。

樹齢は今までカヤの巨木を幾つも見てきた経験では400年を下ることはないと思った。大きく広げた枝振りに対応して、根張りが広い範囲で所々に露出して、山の斜面を大きく掴んでいる様子が知れた。
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倉真温泉落合荘

(倉真温泉落合荘)

金谷土人形を見た後、どこへ行こうか、何も思い浮かばない。女房が工事中の富士山静岡空港の展望台にまだ行ったことがないというので、まずそこに行った。昨年の5月に歩いて登った道を車で一息に登った。最近、最後の土地収用が終ったというニュースは聞いたが、去年からどこが工事として進んだのか、広すぎて全く判らなかった。

展望台を降りてきて牧の原を越えて菊川市から掛川市へ車を進めながら、ただ無駄にドライブしているだけであった。行き先が思いつかなければ、どこか温泉に入って帰ろうかという話しになり、行ったことのない温泉を探すうちに、掛川の奥の倉真温泉に行くことになった。倉真温泉ならその奥に「松葉の滝」を見て来よう。名前は良く聞くが、まだ見に出かけたことがない。

倉真温泉も初めてだからどんな旅館があるのか確認しながら車を進め、一番奥の温泉であることを看板で確認して、倉真川渓流沿いの落合荘に入った。お風呂だけでも入れてもらえるかと聞いてみると、女将さんが「料金は1000円で休憩場所も玄関の客溜まりしかないけれど、よろしかったらどうぞ」という。女房と相談して入ることにする。

フロントで料金を払っていると、浴衣を着た熟年夫婦が温泉に向かうべく通った。後を付いて行くと男湯には使用中の張り紙がしてあった。戻って女将さんに聞いたら、外してなかったと張り紙を取ってくれた。熟年夫婦は今朝ふらりと落合荘に来て昼食をし、2度目の入湯だという。彼らは同じ日帰りでも安い公共の湯ではなくて、旅館でゆっくり食事をするような温泉の楽しみ方である。

男湯は湯舟の中のタイルがブルーで一瞬そんな入浴剤を思い出した。色がついていると見えたのはタイルのせいで、泉質は無色の単純硫黄泉であった。ちなみに女湯は小豆色のタイルだったようだ。天窓が開けてあって冷たい空気が降りてくる。洗い場に立つと寒いくらいであった。熱めの温泉だがなかなか外へ出辛かった。

倉真温泉は400年前の、慶長4年(1599)に長源寺の梅庵和尚が発見し、湯治をさせたことが始まりといわれる。ずいぶん歴史のある温泉場である。倉真温泉落合荘が33湯目の日帰り温泉である。
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金谷土人形作品展

(金谷土人形作品展)

20日、東京では桜が6輪咲いて、全国で最速に開花が宣言された。お彼岸の21日、静岡は開花予想日であったが、まだ開花宣言されていない。朝、女房の実家のお墓参りに行く。お寺さんも後継の若い住職も決まり、山の中のお寺だが周りがずいぶん整備されてきれいになった。

新聞に金谷土人形作品展が金谷図書館“みんくる”で行われていると出ていた。この日曜日の朝、みんくるに本を借り換えに行ったとき、展示コーナーで小さな人形の作品展があったのを横目で見ていた。お墓参りのあと、女房とあらためて金谷土人形作品展を見に行った。

土人形が金谷で作られるようになったのは江戸時代の終わり頃で、東海道を通って、京都の伏見土人形の流れを汲むものだという。明治の終わりには衣装雛の流行に押されて絶えてしまった。最盛期には5軒の窯元があって、節句人形、縁起物、歌舞伎人形などを作っていた。


(金谷土人形)

展示には土人形の製作工程も展示されていた。土人形の型に板状の土を押し込み前後を合わせる。型を外して形を整え、10日以上乾燥させて素焼にする。底に紙を張って下地塗りをし、最後に彩色すれば完成である。内裏雛、福助人形、招き猫、亀を抱えた浦島太郎、熊をしたがえた金太郎、馬に乗った大黒様、鯛に抱きついた恵比寿様などが数えられる。展示された明治時代の土人形と比べると彩色が今風であった。

作家の小澤和賀代さんのプリント物によれば、郷土人形について長年調査研究している「日本雪だるまの会」の協力で、平成8年に金谷土人形を復活させたという。金谷土人形はどこかで手に入れることが出来るのであろうか。
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