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「家忠日記 四」を読む 3

(庭に一輪咲いたアイリス)

「家忠日記 四」の解読を続ける。

 天正十一年(1583)未二月
 二月小
一日 甲寅 雨降り。
二日 乙卯 
三日 丙辰 
四日 丁巳 彼岸に入り。浜松御訴詔にて、吉田まで越し候。
      酒左へふる舞い候。
五日 戊午 浜松へ越し候。

六日 己未 城へ出仕候。
      岡崎御屋敷様御越しにて、殿様迎えに出られ候。供にて出で候。
      田原、戸三郎右衛門、我ら妹祝言事、御意候由、申し来り候。
※ 戸三郎右衛門 - 戸田尊次(とだたかつぐ)。通称、三郎右衛門。後に三河田原藩初代藩主。
七日 庚申 
八日 辛酉 夜、雨降り。
九日 壬戌 夜、雨降り。吉田酒左越され候。城へ同行にて出で候。
十日 癸亥 雨降り。

十一日甲子 
十二日乙丑 
十三日丙寅 
十四日丁卯 御訴詔事、酒左、御披露候。如雪へふる舞いにて越し候。
※ 訴詔(そしょう)- 嘆願すること。哀訴すること。ここでは婚儀の歎願だったようだ。
十五日戊辰 深溝帰り候。

十六日己巳 
十七日庚午 雨降り。
十八日辛未 大津へ祝言、廿四日に定り候。
※ 大津(おおつ)- 現、豊橋市老津。戸田三郎右衛門の居住地。
十九日壬申 雨降り。清固越し候。
廿日 癸酉 

廿一日甲戌 会下へ参り候。
廿二日乙亥 雨降り。
廿三日丙子 
廿四日丁丑 妹、大津戸三郎右(戸田三郎右衛門)所遣し候。
廿五日戊寅 雨降り。

廿六日己卯 雨降り。
廿七日庚辰 雨降り。
廿八日辛巳 雨降り。
廿九日壬午 

 天正十一年(1583)未三月
 三月大
一日 癸未 
二日 甲申 雨降り。
三日 乙酉 地震三度する。
四日 丙戌 夜、地震二度。
五日 丁亥 山中法蔵寺越され候。

六日 戊子 
七日 己丑 丹隼越し候。
八日 庚寅 雨降り。
九日 辛卯 雨降り。
十日 壬辰 下江、礼に越し候。

十一日癸巳 
十二日甲午 雨降り。
十三日乙未 雨降り。
十四日丙申 雨降り。
十五日丁酉 

十六日戊戌 
十七日己亥 中嶋へ茶仕りに越し候。吉田、酒井小五郎殿へ、穴山殿娘越し候。
十八日庚子 
十九日辛丑 岡崎、松崎伊東越され候。
廿日 壬寅 

廿一日癸卯 永良へ堤築かせに越し候。
廿二日甲辰 
廿三日乙巳 雨降り。深溝ヘ帰り候。
廿四日丙午 雨降り。
廿五日丁未 同日雨降り。吉田、酒左へ祝言に越し候。

廿六日戊申 時鳥(ほととぎす)鳴き候由候。聞きはせず。
廿七日己酉 
廿八日庚戌 夢想の連歌興業候。
      近江なる 五十四郡の 手につけて
※ 建武の中興の直前、元弘の乱で、北畠顕家が、義良親王を奉じて、奥州五十四郡の軍勢を率いて、京に上った故事を示している。
廿九日辛亥 雨降り。
晦日 壬子 雨降り。野火(やび)火打ち難し候。

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「家忠日記 四」を読む 2

(大鉄お花見SL「さくら号」)

大井川鉄道の臨時SL「さくら号」に、孫のかなくんがママと乗るという。女房と同SLを沿線で見送った後、家山駅まで車で迎えに行った。

「さくら号」は桜の季節限定で家山まで運行する臨時SLである。C5644は戦時輸送のためタイへ送られて、生き延びた戦後はタイ鉄道で働き、昭和54年に帰国し、大井川鉄道で現役のSLである。


(六分咲きの、家山桜トンネル)

帰りに桜トンネルに寄ってきた。桜は六分咲きといったところであった。一列車分の花見客が家山駅からぞろぞろ歩き、桜トンネルは平日ながら混み合っていた。

「家忠日記 四」の解読を続ける。

 天正十一年(1583)未閏正月
 閏(うるう)正月小
一日 乙酉 浜松へ家康御帰り候由候。
二日 丙戌 
三日 丁亥 雪降る。家康より鷹雁給り候。
      戌刻に晦日の悪党、懸落ちヘ詰めて居り候。
      小平、甚蔵、宗七なり。
※ 懸落ち(かけおち)- 逃げて行方をくらますこと。逐電。
四日 戊子 方々へ人を越し候て、盗人改め候。
      会下、東堂越され候。
五日 己丑 雨降り。会下へ参り候。礼ながら。

六日 庚寅 東堂振る舞い申し候。
      雪降る。東条松周防より鷹鳫越し候。
七日 辛卯 
八日 壬辰 
九日 癸巳 雨降り。会下へ振る舞いにて越し候。
      大津土左衛門、他国へ合力遣し候。
十日 甲午 雨降り。中嶋へ越し候。

十一日乙未 つづみ(鼓)つかせ候。紅左衛門ふる舞い候。
      大塚より永良池にて網引き候。取り候。
十二日丙申 崇福寺にふる舞い候。
※ 崇福寺(すうふくじ)- 現、岡崎市中島町にある浄土宗のお寺。
十三日丁酉 一平所へふる舞いにて越し候。松崎伊東越され候。
十四日戊戌 
十五日己亥 久師にふる舞い候。

十六日庚子 
十七日辛丑 松崎伊東帰られ候。深溝へ帰り候。
十八日壬寅 また中嶋へ越し候。
十九日癸卯 雷雨降る。岡崎一世越され候。
      長津上野、大鷹さし取り候。
廿日 甲辰 長津へ鷹やり候。

廿一日乙巳 久師にふる舞い候。一世帰られ候。
廿二日丙午 
廿三日丁未 夜雨降る。深溝帰り候。
廿四日戊申 
廿五日己酉 夜、地震候。隼、雁取り候。

廿六日庚戌 雪降る。鵜八郎三郎礼に越され候。夜、地震候。
廿七日辛亥 桜井松平七十郎、隼狩りに越され候。雪降る。
廿八日壬子 七十郎帰られ候・
廿九日癸丑 永良へ白縄引かせに越し候。
      鯉十五本取り候て、深溝帰り候。

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「家忠日記 四」を読む 1

(庭のアセビの花咲く)

朝から夕刻まで、孫4人で大騒ぎで、パソコンの前には寝静まってから座った。

今日より、「家忠日記 四」の解読を始める。量が多いので二ヶ月ほど掛かるだろう。

 天正十一年(1583)未正月
 天正十一年癸未正月大
        小年廿九才 
一日 乙卯 家中礼衆越され候。
二日 丙辰 
三日 丁巳 
四日 戊午 僧衆礼に越し候。
五日 己未              国替
六日 庚申 浜松礼に日返し越し候。
七日 辛酉 雨降り。出仕候。
八日 壬戌 雨降り。浜名まで帰り候。
九日 癸亥 深溝へ帰り候。
十日 甲子 岡崎、久志本法安越され候。
十一日乙丑 東条周防娘、浜松松井兵部輔所に祝言候。
十二日丙寅 

十三日丁卯 徳例の連歌候。発句勘左、
      松におおう かすみや千世の 深緑
十四日戊辰 日待ち、くせん茶候。
※ くせん茶(供煎茶)- 供茶を仏前の備えるお茶。「御茶とう」のことだが、それを煎茶で行うことかと想像した。確証はない。
十五日己巳 立春。

十六日庚午 浜松殿、岡崎へ越され候。
※ 浜松殿(はままつどの)- はじめてのよび方だが、信康を岡崎殿と呼んだ例に習えば、浜松殿は浜松を本城とする家康のことを指しているのであろう。
十七日辛未 雨降り。大津土左衛門、池野有助、越し候。
※ 大津土左衛門 - 大津時隆(おおつときたか)。徳川家康の家臣。三河一向一揆に加わり家康にそむくが、翌年降伏。剛勇で知られ、三河吉田の戦い、遠江小山の戦いで功をたてた。

十八日壬申 尾張清須、信雄に家康、星崎にて御見相い候。
      十郎左衛門所にふる舞い候。
※ 信雄(のぶかつ)- 織田信雄(おだのぶかつ)。信長の次男。信長の死後、清州会議で信長の後継とはなれず、信長の遺領配分で、尾張・伊賀・南伊勢、約百万石を相続した。
※ 星崎(ほしざき)- 現、名古屋市南区星崎。


十九日癸酉 三光院住し‥‥高橋にて死去候。
廿日 甲戌 浜松殿、吉良へ鷹野に越さる。
廿一日乙亥 会下へ参り候。大洞より使僧越し候。
      東堂煩いにて、年頭の礼申し候。
廿二日丙子 北殿にふる舞いにて越し候。意至一人にて、くせん茶候。
廿三日丁丑 雨降り。
廿四日戊寅 
廿五日己卯 
廿六日庚辰 二三尺、夜、大雪降る。
廿七日辛巳 
廿八日壬午 
廿九日癸未 雪降る。
晦日 甲申 同雪降る。夜、悪党、倉へ入り候。
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「家忠日記 三」を読む 17

(散歩道のハクモクレン、3月25日撮影)

朝方、雷を聞いた。夕方にも雷を聞いた。列島に寒気が入って、天気が不安定で、寒い。静岡で桜の開花を聞いたのは昨日だった。まだなかなか花見の気分にはならない。

夜、金谷宿大学の教授会、新旧役員の懇親会が「福助」であった。初対面の方と色々お話をした。自分の思いも話せたと思う。さあ、いよいよ、第一回講座まで、あと二十日となった。始まってしまえば、あとはエンドレスである。

「家忠日記 三」の解読を続ける。

 天正十年(1582)午十二月
 十二月大
一日 丁(乙)酉 
二日 戊(丙)戌 
三日 己(丁)亥 右左(うば)口へ陣替え候。
四日 庚(戊)子 
五日 辛(己)丑 


           文禄二年卯月八日
              賦何人連歌
         卯の花や 山の端知らぬ 夕月夜
           待つホトトギス 声近きそう
         一むらの 雲の行衛に 雨見えて
           舟さし帰る 袖の浦風
         打ち寄する 磯辺の波や 高からじ
           搔きつめ焚くも 湿る藻屑火
         松の葉は 雫もともに 落ち添いて
           ところ/\の 岩が根の霜

※ 文禄二年 - 1593年。同年に豊臣秀頼が誕生。
※ 賦何人連歌(ふすなにひとれんが)- 連歌・俳諧で、一巻の全句または発句そのほか一部分に一定の物の名を詠み込むようにする賦し物の一つ。
※ 藻屑火(もくずび)- 藻屑をたく火。


日記は現在、天正十年(1582)12月である。そこへ11年後の日付の入った「賦何人連歌」が書き込まれているのはなぜだろう。この日記には、後世に書き込まれたものがあるといわれる由縁だろうか。

六日 壬(庚)寅 
七日 癸(辛)卯 普請出来候。
八日 甲(壬)辰 人数返し候。
九日 乙(癸)巳 
十日 丙(甲)午 
十一日丁(乙)未 古府へ出仕候。明日、帰陣候え候由、仰せられ候。
         越前遠田所より御音信候。進上物私集三十巻、
         ‥‥ 鱈五本なり。

十二日戊(丙)申 大宮まで越し候。
十三日己(丁)酉 晩、雨降り。宇津ノ谷まで越し候。
十四日庚(戊)戌 雨降り。原川まで越し候。
十五日辛(己)亥 時雨。吉田まで越し候。寒に入る。
十六日壬(庚)子 深溝まで越し候。

十七日癸(辛)丑 勘左にふる舞い候。会下へ参り候。うす雪降る。
十八日甲(壬)寅 
十九日乙(癸)卯 
廿日 丙(甲)辰 
廿一日丁(乙)巳 夜、雨降り。会下へ参り候。
廿二日戊(丙)午 
廿三日己(丁)未 
廿四日庚(戊)申 日待ち候。


ここまで、十干が間違っていたが、間違いに気づいたようで、25日より正しい表示となった。

廿五日己酉 
廿六日庚戌 
廿七日辛亥 黒鬼神。
廿八日壬子 
廿九日癸丑 
晦日日甲寅


これで「家忠日記 三」を読み終えた。量的には、他の卷の半分で、17回で終った。次回は「家忠日記 四」に入る。
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「家忠日記 三」を読む 16

(庭の花壇のビオラ真っ盛り)

昼は名古屋の娘が掛川の孫たちも含めて総動員で、200個近くの餃子を作り、皆んなで食べ、あちこちに配ったりした。子供の口に合うように、ニンニクやニラなど入れず、やや甘めの餃子だったが、これはこれでいける。

「家忠日記 三」の解読を続ける。

 天正十年(1582)午十一月
 霜月小
一日 戊(丙)辰 
二日 己(丁)巳 
三日 庚(戊)午 
四日 辛(己)未 右左口(うばぐち)筋に、取出(砦)普請候間、
         昨日、善光寺まで陣替え候え候由、申し来り候。
※ 右左口(うばぐち)- 本栖、精進より、甲府へ入る口。

五日 壬(庚)申 善光寺まで越し候。
六日 癸(辛)酉 むかい山まで陣替え候。
※ むかい山 - 右左口のすぐ北側(甲府寄)に現、甲府市向山町がある。
七日 甲(壬)戌 勝山取出(砦)普請候。
八日 乙(癸)亥 雨降り。
九日 丙(甲)子 普請候。
十日 丁(乙)丑 同。
十一日戊(丙)寅 同。雨降り。

十二日己(丁)卯 同。誂諧の発句、
            元日
         春や知る 今日から梅の 匂いかな
            十月
         ひろ袖や 誰ふところも 神無月
            九月
         惜しめども 人恋う菊の 盛りかな
            同月
         折る袖も 菊は朽ち葉の 袷(あわせ)かな
            三月
         名にしおば 折る人増えよ 犬桜
            四月
         行く舟の 夜の山照り 時鳥(ほととぎす)
十三日庚(戊)辰 同
十四日辛(己)巳 同
十五日壬(庚)午 同、雨降り。
十六日癸(辛)未 同
十七日甲(壬)申 同、夜雨降り。
十八日乙(癸)酉 同
十九日丙(甲)戌 同
廿日 丁(乙)亥 同、家康より雁給い候。
廿一日戊(丙)子 同
廿二日己(丁)丑 同
廿三日庚(戊)寅 同 
廿四日辛(己)卯 同 
廿五日壬(庚)辰 同

    夏はひく 路上方の 奥津巣
       鳥は集けど 君は音せず

※ 奥津巣(おくつす)- 奥の巣。
※ 集く(すだく)- 群がり集まる。(虫や鳥などが)鳴く。
※ 音せず(おとせず)- 便りがない。訪れがない。


廿六日癸(辛)巳 同、雨降り。夜雪なり。
廿七日甲(壬)午 同、家康より酒給い候。
廿八日乙(癸)未 同、雨降り。
廿九日丙(甲)申 同、雨降り。
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「家忠日記 三」を読む 15

(散歩道のムスカリ、白い花はハナニラ)

午後、名古屋のかなくん一家が来金、もう春休みである。かなくん、見るたびに身長が伸び、驚かされる。しかし、まだ七歳の小学一年生である。(この春に二年生)夜、班の常会に出た。新年会の持ち方、費用負担の問題で、少し揉める。ほとんどが年金世代だから。

「家忠日記 三」の解読を続ける。

 天正十年(1582)午十月
 十月大
一日 丙戌 
二日 丁亥 夜、大五左陣所に火事出来候。
三日 戊子 
四日 己丑 小口番に当り候。
五日 庚寅 
六日 辛卯 雨降り。みたけ小屋へ鉄砲衆番に一人ずつ越し候。
七日 壬辰 取出番に当り候。
八日 癸巳 
九日 甲午 
十日 乙未 小口番当り候。

十一日丙申 
十二日丁酉 
十三日戊戌 雨降り。
十四日己亥 
十五日庚子 雨降り。城にふる舞い候。


10月16日より、日々に記されている十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)が二つ跳んで、前へずれているのに気付いた。この後、家忠さんがどこで気付いて直すのであろうか。それまで、正しい「十干」をかっこ内に示しておくことにする。今確認した範囲では「家忠日記 三」の終り、天正十年十二月までは、ずれたままで、家忠さんは気付いていない。

十六日癸(辛)丑 小口番に当り候。
十七日甲(壬)寅 
十八日乙(癸)卯 取出番に当り候。
十九日丙(甲)辰 
廿日 丁(乙)巳 
廿一日戊(丙)午 雨降り。小口番当り候。
廿二日己(丁)未 西風あら吹く。
廿三日庚(戊)申 
廿四日辛(己)酉 
廿五日壬(庚)戌 雨降り。
廿六日癸(辛)亥 
廿七日甲(壬)子 

廿八日乙(癸)丑 城、出で候。雨降り。小口番当り候。
廿九日丙(甲)寅 氏直、様子は鶴(都留)の郡を、この方へ渡し候。
         無事相済み候て、退き候。質物に
         酒井小五郎、敵よりは大道寺、山角越し候。

※ 氏直(うじなお)- 相模国の戦国大名で小田原城主。後北条氏の第五代当主。母は武田信玄の娘、黄梅院で、武田の遺領を継ぐという名目で、信長の死に乗じ、大軍を送った。
※ 酒井小五郎 - 酒井忠次(さかいただつぐ)。徳川四天王・徳川十六神将ともに筆頭とされ、家康第一の功臣。通称、左衛門尉。家忠日記の「酒左」はこの人。
※ 大道寺、山角- いずれも、後北條氏の家臣、大道寺政繁(だいどうじまさしげ)及び山角康定(やまかくやすさだ)。
晦日 丁(乙)卯 人質替えに働き候。


織田信雄・信孝兄弟の調停もあり、10月27日、上野(こうずけ)は氏直、甲斐・信濃は家康が領有し、家康の娘が氏直に嫁ぐことで、両軍の和睦・同盟が成立した。
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「家忠日記 三」を読む 14

(土手のエドヒガン)

ソメイヨシノの開花はまだだが、土手のエドヒガンが咲いているのに、今日気付いた。

「家忠日記 三」の解読を続ける。

 天正十年(1582)午八月
十三日戊戌 物見の番に当り候。
十四日己亥 雨降り。おこりをふるい候。一日悪感(おかん)
※ おこり(瘧)- 間欠的に発熱し、 悪感や震えを発する病気。
十五日庚子 小口番に当り候。
十六日辛丑 味方、諸手へ鉄放(鉄砲)揃え候。
十七日壬寅 雨降り。
十八日癸卯 
十九日甲辰 
廿日 乙巳 家康、甲府見舞い越され候。
廿一日丙午 

廿二日丁未 小口番当り候。
廿三日戊申 家康より、無上茶給わり候。
※ 無上茶 - 宇治抹茶の初期ブランド茶。
廿四日己酉
廿五日庚戌 ふるい落ち候。
※ ふるい(震い)- 瘧の震えが直るのに10日余りかかった。
廿六日辛亥 向かい取出(砦)番、一日一夜番なり。
廿七日壬子 小口番当り候。
廿八日癸丑 
廿九日甲寅 敵、陣取り近所、苅田候。雨降り。
※ 苅田(かりた)- 敵陣の近辺の実った田を苅り、兵粮を断つと共に、自分たちの兵粮を確保すること。

度々苅田を実施しているが、百姓たちとの折り合いはどう付けていたのだろう。

晦日 乙卯 


 天正十年(1582)午九月
 九月大
一日 丙辰 家康より、くるみ給わり候。
      敵物見来り候て、酒左手寄衆働き候。
二日 丁巳 城へ出仕候。 神者 ‥‥
三日 戊午 雨降り。
四日 己未 小口番当り候。
五日 庚申 雨降り。刈谷衆出陣候。
六日 辛酉 
七日 壬戌 取出番当り候。
八日 癸亥 
九日 甲子 雨降り。
十日 乙丑 小口番当り候。

十一日丙寅 ふるい(震い)再発候。
十二日丁卯 小家かけな越し候。
※ かけな(掛け菜)- 干葉(ひば)。ダイコンの茎や葉を 干したもの。飯に炊き込んだり汁の実にしたりする。
十三日戊辰 雨降り。
十四日己巳 
十五日庚午 小口番に当り候。
十六日辛未 
十七日壬申 物見番に当り候。兵伏にて手負い一人、‥‥ 小吉なり。
※ 兵伏 - 伏せ兵。
十八日癸酉 取出番当り候。
十九日甲戌 雨降り。
廿日 乙亥 雨降り。

廿一日丙子 小口番当り候。
廿二日丁丑 
廿三日戊寅 
廿四日己卯 
廿五日庚辰 雨降り。惣働き候。敵味(方)手負い。
廿六日辛巳 
廿七日壬午 二三日中、一埒有るべき由、御触れ候。
※ 一埒(ひとらち)- 一区切り。(「埒」は物事の区切り)
廿八日癸未 雨降り。小口番に当り候。
廿九日甲申 初鮭、城にふる舞い候。
晦日 乙酉 敵、返り道、普請候。

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「家忠日記 三」を読む 13

(畑の山椒の木の新芽)

温暖な静岡にまだ桜の開花を聞かない。寒波が戻って、まだ2、3日掛かるだろうか。近所の桜もまだ蕾が固い。

「家忠日記 三」の解読を続ける。

家康は甲府を通り、信州へ進出する。武田が滅び、また今、本能寺の変で手薄になった信州を勢力下に置こうという意図である。

 天正十年(1582)午七月
 七月小                 
一日 丁巳 
二日 戊午 
三日 己未 家康は懸河まで。山口まで至り候。
四日 庚申 家康は田中まで。牧野まで至り候。
五日 辛酉 家康は江尻まで。駿府まで着陣候。

六日 壬戌 清水まで至り候。
七日 癸亥 家康は大宮金宮まで着き候。
八日 甲子 家康は精進(しょうじ)まで。雨降り、逗留候
九日 乙丑 家康は甲府まで。精進まで着陣候。

十日 丙寅 甲(州)善光寺まで。
十一日丁卯 
十二日戊辰 鉄放(鉄砲)衆、信濃 ‥‥


徳川家康、知久頼氏へ諏訪表への出陣を命令。結果、知久頼氏は旧領の知久平を安堵され、三十年ぶりに知久家再興がなった。

十三日己巳 
十四日庚午 
十五日辛未 酒左信州の儀、相済み候て、来る十七日、
      大河原、白州まで、着陣候え由候。
十六日壬申 
十七日癸酉 大河原まで陣替え候。
十八日甲戌 雨降り。信州諏訪まで着陣。
十九日乙亥 
廿日 丙子 雨降り。庵人。
廿一日丁丑 

廿二日戊寅 高嶋扱い切り候て働き候。
廿三日己卯 雨降り。
廿四日庚辰 かたの原衆屋へ夜討ちを入れ候。
廿五日辛巳 
廿六日壬午 小屋際にがまりを置き候て、手前も人を討ち候。
※ かまり - 忍びの斥候。かまり物見(ものみ)。
廿七日癸未 
廿八日甲申 雨降り。
廿九日乙酉 


 天正十年(1582)午八月
 八月大
一日 丙戌 雨降り。相州衆出候沙汰にて、白州まで引取り候。
二日 丁亥 
三日 戊子 おつこつまで‥‥出られ陣はり。
四日 己丑 
五日 庚寅 雨降り。
六日 辛卯 人数二万余。味方人数二千余。
      相州氏直押出し候て、新府まで引取り候。
      敵駈けつけ付き候。敵一里程、陣取り候。
      古府中、人数少々駈け付け候。
※ 氏直(うじなお)- 相模国の戦国大名で小田原城主。後北条氏の第五代当主。この時、甲州に押し出たのは、叔父の氏忠であった。

七日 壬辰 敵備え押出し候。味方備えも新府山へ出候。
      敵半里程に陣取り候。
八日 癸巳 家康、古府中より新府へ物見に移られ候て、相陣成され候。
九日 甲午 
十日 乙未 家康、陣を新府城へ寄せられ候。
十一日丙申 新府向かいに、あし城普請候。
十二日丁酉 小口番に当り候。
      都留の郡より、伊豆北条左衛門介、古府中近所黒駒まで働き候。
      古府中留守居衆かけ合い随一の者、三百余討取り候。


この家康と北条の戦いを、天正壬午の乱と呼ぶ。
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「家忠日記 三」を読む 12

(大代川の水ぬるむ)

適度に雨が降って、流れの短い大代川に、最近は水が絶えることがない。今日も勢いのよい流れに、夕陽が照り輝いていた。

「家忠日記 三」の解読を続ける。

 天正十年(1582)午六月
十一日丁酉 雨降り。
      夫丸(陣夫)出し候。陣、十四日まで相延べ候由候。夫丸呼び返し候。
      宗兵衛殿、苅屋へ越され候由候。
※ 宗兵衛殿 - 水野惣兵衛。水野忠重(みずのただしげ)は、討ち死の報が入ったが、その後、京都に隠れいたことが分り、この度、刈谷へ帰ってきた。
十二日戊戌 雨降り。

十三日己亥 雨降り。岡崎まで越し候。城へ出候。
十四日庚子 鳴海まで越し候。
※ 鳴海(なるみ)- 東海道鳴海宿。
十五日辛丑 雨降り。旗本へ出候。
      明知を京都にて三七殿筑前五郎左、池田紀伊守、
      討ち取り候由、伊勢かん一より注進候。
※ 旗本(はたもと)- 戦国時代に、戦場で主君の軍旗を守る武士団を意味していた。ここでは、信長の居城であった清州城を示すのであろう。
※ 三七殿 - 織田信孝(おだのぶたか)。三七は幼名。信長の三男。
※ 筑前(ちくぜん)- 羽柴筑前守。秀吉。
※ 五郎左(ごろうざ)- 丹羽長秀。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。織田氏の家臣。武者振りから鬼五郎左と称される。


十六日壬寅 雨降り。
      明日十七日に、津嶋へ陣替え有るべき由、申し来り候。
※ 津嶋(つしま)- 現、愛知県津島市。津嶋神社の門前町。
十七日癸卯 酒左手寄衆ばかり、津嶋へ陣替え候。
十八日甲辰 
十九日乙巳 羽柴筑前所より、上方一篇に候間、早々帰陣候への由、
      申し来り候て、津嶋より鳴海まで帰り候。
廿日 丙午 旗本へ出で候。
廿一日丁未 家康、同遠州衆、東三河衆、帰陣候。
      水(野)惣兵(衛)より、陣所へ音信候。

廿二日戊申 土用に入り。深溝まで帰り候。
廿三日己酉 吉田へ使い越し候。
廿四日庚戌 東陣、夫丸出で候。
廿五日辛亥 
廿六日壬子 雨降り。浜松まで日がけに越し候。城へ出仕候。
廿七日癸丑 同雨降り。大水出で候。
      信州の儀、酒左入られ候事、談合候。
廿八日甲寅 同雨降り候。
      家康、巣このり給り候。
※ このり - ハイタカの雄。雌より一回り小さく、区別して呼ばれる。
廿九日乙卯 同雨降り。
晦日 丙辰 同雨降り。

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「家忠日記 三」を読む 11

(女房の実家のハクモクレン)

「家忠日記 三」の解読を続ける。今日はいよいよ本能寺の変である。

 天正十年(1582)午六月
三日 己丑 雨降り。
      京都酒左衛門所より、家康下られ候わば、
      西国へ御陣有るべく候由、申し来り候。
      さしもの諸国大なる旗止み候て、
      知るは成り候間、その分申し来り候。
      酉刻に京都にて、上様に明知(明智光秀)
      日向守、小田七兵衛別心にて、
      御生害候よし、大野より申し来り候。
※ 小田七兵衛 - 津田信澄(つだのぶすみ)。安土桃山時代の武将。織田氏の家臣。近江大溝城主。摂津大坂城代。明智光秀の娘婿。その後、別心は誤報と分る。
※ 別心(べっしん)- そむこうとする気持ち。ふたごころ。
※ 生害(しょうがい)- 自殺すること。自害。


四日 庚寅 ぶり初尾、安部三助殿より越し候。
      明知別心なり。信長御父子儀、秘定候由、岡崎、緒川より申し来たり候。
      家康は境(堺)に御座候由候。岡崎へ越し候家康、伊賀、伊勢地を
      御退き候て、大浜へ御あがり候て、町まで御迎えに越し候。
      この方御人数、雑兵とも二百余討たせ候。
      穴山は腹切り候。途(みち)にて、七兵衛殿別心はせつなり。
※ 初尾(はつお)- その年最初の収穫物。農・漁業、狩猟を通じてこの語が用いられる。
※ 秘定(ひじょう)- 極秘事項に定めること。
※ 大浜(おおはま)- 現、碧南市。知多湾の奥。


五日 辛卯 城へ出仕候。早々帰り候て。陣用まで候へ由、仰せられ候。
      伊勢、尾張より家康へ御使越し候。
      一味の儀候て、深溝へ帰り候。
六日 壬辰 雨降り。日待ち候。
      来る八日に、東三川衆、岡(崎)へ御寄り候。
      爰元衆は御左右次第候由、酒左より申し来り候。
※ 爰元(ここもと)- この所、このあたり。
※ 左右(そう)- 指図。命令。


七日 癸巳 刈谷、水野宗(惣)兵衛殿、京都にて討ち死に候由候。
八日 甲午 小田七兵衛、去る五日に大坂にて、三七殿、御成敗候由候。雨降り。
※ 三七殿 - 織田信孝(おだのぶたか)。三七は幼名。信長の三男。伊勢国中部を支配する豪族神戸氏を継いだため、神戸信孝(かんべのぶたか)とも称する。七兵衛を野田城に攻め討取る。
九日 乙未 西陣少し延び候由、申し来り候。
      水野惣兵衛殿事、京都に隠れにて御入り候由候。
十日 丙申 明後日、十二日出陣候へ候由、酒左より申し来たり候。
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