週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#300 -’09. 田舎暮らし(そのニ)

2009年11月18日 00時00分01秒 | 別荘生活
田舎暮らしにも色々の考えがありますが、独断と偏見の記事を。

田舎暮らし(その一)の続きです。

人口構成比で多い団塊の世代の大量退職が続いてる。
高度成長期を支えた世代でしょうか。
田舎育ちの少年少女が都会に或いは東京に上京して学生生活を始め、
卒業後に田舎に帰らずに職を得ていた沢山の方達が退職の時期を迎えているのです。
仕事一筋で人生の節目を迎えた定年退職者。
仕事から離れて我に帰ると、生まれ育った故郷を思い出すのでしょうか。
都会は仕事する所で生活するところでないとでも思うのでしょうか。
それとも、トレンドでしょうか。
リタイヤと共に何故か田舎暮らしを始める方が多いのです。

仕事から離れると、今まで住んでいた所には自分のコミニティーとしての生活の場がないのです。
仕事をしている時は都会の家は只のねぐらだったのです。
数十年住んで来たのに地域のコミニティーとしての社会参加が無いのです。
生まれ育ち、楽しい事も悲しい事も共に味わい成長してきた地ではない都会と言う事でしょうか。
ですから地域に対する愛着もそれ程生まれてきません。
只のねぐらでは致し方ありません。
最寄駅までの道筋と、ご近所で用事をする本屋さんや買い物するお店の周囲しか知りません。
況や、駅と反対方向など知る由もありません。
故郷なら、幼い頃から遊び廻ることで覚えた地域も、家庭と職場との往復では何も目に入りませんし、脳裏に残りません。
通勤経路上で無ければ、知る必要もありません。
知らないことは地域への愛情も生まれません。
そんな亭主に対して主婦たる家庭のご婦人は、子育や子供の学校生活や買い物などでドップリ地域に溶け込んでおり、
コミニティーの構成人員に組み込まれています。
亭主がリタイヤすると否に拘らず、ご婦人方は地域に根ざしているのです。
所が男性はリタイヤした事に伴ない新しい第二の人生を自分が描く価値観に従い、生活を開始するのです。
自然が人間性を回復すとの思いでしょうか。
過去への回帰でしょうか。
今まで地域に溶け込んで居なかった自分を振り返り、地域に溶け込みやすい地を探すのでしょうか。
自分達が地域にも溶け込まず、また、都会にも自然が有る事自体に目を向けていなかった事に気が付かずに田舎の中での自分発見に努めるのです。
ストレスの多かった勤務生活。
都会はそのストレスを連想するに十分な要素も兼ね備えています。
そのストレスからの解放と、まるでキャッチコピーに有るが如くの田舎生活が脳裏に浮ぶのです。
新聞でも沢山の宣伝が載っています。
茨城や千葉の太平洋沿岸の所や福島から関東6県は言うに及ばす甲信越から伊豆まで、沢山の選択肢が存在します。
自分がお気に入りの原村も田舎生活の移住支援を大々的に行っています。
(この項は後日、別途にアップします。)
自分探しの田舎暮らしでしょうか。
それとも、自然は田舎にしかないとの信念に基づく行動でしょうか。
生まれ育った故郷を離れた第二の人生とすれば、第三の人生を新たな地で踏み出す勇気には敬服します。


以前、白州町で犬とともに田舎生活を始めた方のブログを楽しみに読んでいました。
でも、そのブログも廃止されてしまいました。
都会から週末に訪れる、開放感が無くなりマンネリの生活となったためでしょうか。
人生、変化のないドップリとマンネリの生活に浸かる事が本当の幸せと思うのですが。


人それぞれ価値観も違えば、生まれ育った地域環境も、家庭環境も、生活風習も異なりますから、田舎生活に関する認識も思い入れも違うと思います。
TV番組の人生の楽園を見るに付け、田舎暮らしでこんな事を考えてしましました只の自分の戯言です。


後日、続編として以下のテーマで、 ”地方自治体としての過疎化対策” と ”終の棲家としての田舎暮らし” の記事を考えています。


この項の終わりにあたり、自分自身は田舎生活を念頭に考えておりません。
目的意識を持ち田舎暮らし(自給自足の無農薬野菜栽培、物造りなど)を考えている方には全く当てはまりません。
ですから、田舎生活を考えている人にとっては少し問題の発言があるかも知れませんが、その点はご容赦ください。
只の、ほんの寝ぼけた戯言です。
コメント (1)
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