のりぞうのほほんのんびりバンザイ

あわてない、あわてない。ひとやすみ、ひとやすみ。

座頭市/2003年日本

2010年10月13日 22時53分47秒 | 映画鑑賞
28.座頭市/2003年日本

■監督・脚本:北野武
■音楽:鈴木慶一
■出演
 ビートたけし、浅野忠信、夏川結衣、大楠道代、ガダルカナル・タカ
 大家由祐子、橘大五郎、岸部一徳、石倉三郎、柄本明、樋浦勉、
 早乙女太一、THE STRiPES
■ストーリ
盲目の按摩、市はある宿場町に到着した。その町はやくざの銀蔵一家に
支配され、人々は苦しい生活をしいられていた。ここで市は、幼少時に
両親を殺害した仇を探している芸者の姉妹と出会う。
市は賭場で出会った遊び人の新吉の叔母、おうめの家に姉妹と共に
やっかいになるが、やがて、姉妹の親の仇が銀蔵一家だと判明し、
復讐を遂げるため、姉妹は銀蔵の家に乗り込む。

■感想 ☆☆☆☆
武さんの色気にみとれながら鑑賞。
それにしても、武さんの頭の中は一体、どうなっているんだろう。
彼にこの世界はどんなふうに見えているんだろう。
彼は一体、何に興味をひかれ、どんなインプットをして生きているんだろう。
と、作品を見ながら、武さん自身に興味をひかれました。

ミュージカル要素が見られる場面構成。
印象的に使われているタップシーン
色とりどりの美しい群集場面。
残酷な場面にも関わらず、様式美が追求された殺陣。
美しいと言うには、あまりに不謹慎な大殺陣回りの場面。
けれど、その訓練された動きと計算しつくされた場面構成に
美しいなあ、としみじみ思いました。

無心に、感情を表に出すことなく、殺陣を演じる
武さんの姿が果てしなく色っぽく、男くさく、渋く
いぶし銀のような、という形容詞はまさにこういうときに
使われるべきなんだ、と思いながら鑑賞しました。
背中や立ち居振る舞いから色気が漂っています。本当に美しい。

そして、彼の勝新太郎さんに対する、ひいては日本の黄金時代の
映画やその時代の時代劇に対する敬愛が伝わってくる映画でした。
金髪だろうが、碧眼だろうが、タップ場面が使われていようが
この映画は「きわもの」ではないし、「日本的美意識」に溢れているな
と思わせてくれるのは、そういった彼の敬愛が作品の根底に
しっかりと根付いているからだと思うのです。

それにしても、大楠さんの存在感ときたら。
かっこよすぎます。そして、彼女の色気もすごいと思うのです。

蛮幽鬼/2010年日本

2010年10月13日 00時30分37秒 | 日常生活
27.蛮幽鬼/2010年日本

■監督:いのうえひでのり
■脚本:中島かずき
■出演
 上川隆也、堺雅人、稲森いずみ、早乙女太一、橋本じゅん、
 高田聖子、粟根まこと、山内圭哉、山本亨、千葉哲也、
 右近健一、逆木圭一郎、河野まさと、村木よし子
■ストーリ
無実の罪で監獄島に幽閉された伊達土門(上川隆也)。
幽閉された10年の間、彼は親友を殺し、自分を陥れた留学生仲間
(粟根まこと、山内圭哉)への復讐心を忘れることなく過ごしていた。
そんなある日、彼の前に「サジ」と名乗る男(堺雅人)が現れた。
サジの協力で伊達は脱獄を果たし、復讐への道を歩み出す。

■感想 ☆☆☆☆☆☆
見終わった後に放心。
鑑賞中、ずっと張りつめていた気持ちが、
舞台の中に入り込んでいた気持ちがクライマックスを迎えて、
高揚しすぎてぱちんとはじけました。
見終わってしばらく、私の体内が人の持つ原罪とか欲望とか、
業や復讐の虚しさとか、人と人が触れ合うと必ず発生するすれ違いとか、
その哀しみとか、そういったいろんな感情でいっぱいいっぱいになり、
張り裂けそうになりました。
特に休憩以降の後半は、ひたすら息をのんで、かたずをのんで鑑賞。

けれど、どんなに彼らに肩入れしても、心配し続けても、
私が彼らの人生に影響を与えることはない。
「なんで?」と疑問に思いながらも、
「どうか彼らの行く末が幸せな結末を迎えますように。」
と強く願いながらも、彼らのことをただただ見守るしかない。
その時間は、演劇というフィクションを堪能している時間にも関わらず、
実生活で周囲の人たちと関わる時と同じ感覚で、
なるほど。これが追体験なんだなだな、としばらくしてから思った。
(しばらくしてから、です。なにせ、鑑賞中も鑑賞直後も
 そういった余裕はまったくなかったので。)

とにかく壮絶。
復讐のためにすべてを投げうつ土門の覚悟も、人を憎しみ続ける気持ちも
それでも愛する人を忘れられない気持ちも、復讐を終えた後の虚しさも。
すべてが壮絶で彼を見ているだけで苦しくなった。
彼はあの復讐心がなければ、まちがいなく生きることができなかった。
けれど、あの復讐心があったからこそ、
生きても生きても苦しいことばかりだった。
復讐心の大きさが彼を故郷に導いてくれたけれど、
復讐心の大きさ、暗さが彼を故郷に縛り付けた。
彼がその闇から目をそらして、今も彼のことを愛し続ける人や
今の彼を見守り続けてくれている人に目を向けられれば、
彼が彼女たちのことを、そして古い友人のことを
きちんと認識できていれば、きっとどこかで何かが変わったのに。

相も変わらず、上川さんの魂のこもった演技はすばらしかったです。
血走った眼、自由自在に変わるのではないかと思わせてくれる声、
よく通る科白、迫力あふれる押し出し、シリアスとコメディのスイッチを
一瞬にして切り替える瞬発力、スピーディな殺陣。
何もかもがすごくて、ひたすら感動し続けました。
彼が演じたからこそ、ここまで舞台の中の世界にひきこまれ、
舞台上の3時間を何年、何十年に感じさせられる
濃密な3時間にできたのだと思う。

でもって堺さん。
なんだろう。あの存在感。あの軽やかさ。あのスマートな恐ろしさ。
サジの持つ恐ろしさ、人でなし感を前半は見事に隠し通し、
もしかして彼も土門にだけは心を許しているのでは、
彼と土門で新しい人生を迎えられるのでは、と思わせてくれました。
そして、後半、そんな私の実に浅はかな期待を見事に裏切ってくれました。
相も変わらず飄々とした表情のまま、にこやかな笑顔のまま、
その本性を少しずつあらわにし、彼の周囲に漂う冷気を解放。
あんなにもかわいらしくて嫌な人にまったく見えない人を
こんなにも恐ろしいと感じたのは初めて。
彼の殺陣場面の軽やかな動きが、見事にサジの気質を表現していました。

けれど、今回の舞台で私がもっとも目を引き寄せられ、
もっとも魅力的だと感じたのはなんといっても早乙女太一さんでした。
ワイドショーやマスコミで「流し目王子」と取り上げられていた彼を
認識もしていたし、ドラマや紅白の舞台で彼を見かけたこともあったけれど、
今までは彼にそこまでの魅力を感じたことがありませんでした。
確かに所作は美しいけれど、舞台関係の人は普段の鍛錬の賜物なのか
発声も動きも美しい人が多いため、彼だけがそこまで突出しているとは
感じられなかったような・・・。その印象が今回の舞台で一変!
見る目がなさすぎるよ!過去の私!

彼の魅力は舞台の中で生きてこそ。
舞台上でひとりの人物を演じてこそ。
こんなにも舞台映えする人を見たのが初めてなら
こんなにも舞台上の人から目を離せなかったのも初めてでした。
ひたすらに美しい。そして、ひたすらに切ない。
彼の動きから、彼をまとう空気から、気持ちが伝わって来て。
彼の美しさはその所作だけではなく、その表情、目力が
セットになってこそなのだと実感しました。
マスコミの名づけた愛称「流し目王子」は
まったくもって誇大広告ではありませんでした。
彼の演技の中でもっとも特徴的で
もっとも魅力的なのがあの目の表情なのだと納得。
科白を発しない彼の所作や表情、眼の動き、
そういったものから彼の演じた刀衣の生き様や想いが伝わって来て、
ひたすら切ない気持ちにさせられました。
クライマックスから終盤にかけて、
私がもっとも望んだのは主役よりもヒロインよりも彼の幸せでした。

どうか彼が生きながらえられますように。
どうか彼が彼の愛する人の傍で明日を迎えられますように。
どうか彼が彼の愛する人を守れますように。
どうか彼が。どうか彼が。
必死で祈り続けた彼の未来。そして迎える終末。
激しい動き(殺陣)はあったものの、息を乱すことも、
声を荒げることもなかった彼は、最後まで役柄通り一貫してクールで
そんな彼が力強く、熱くサジに投げつけた最後の言葉
「愛する人を守って死ねるこの幸せはお前には一生分かるまい。」に、
愛した人の手の中で彼女だけを見つめて息絶える彼の姿に
この作品のテーマを見た気がしました。

他にも、いつも変わらずかわいらしくて憎たらしい悪役を演じたら
天下逸品の橋本じゅんさんとか(いつも嫌なやつなのにかわいくて
ついつい「じゅんちゃん」と呼びたくなります。)、
ホント嫌な奴らなのに、三人揃うとなぜにそんなに面白いかなー、の
粟根さん、山内さん、橋本じゅんちゃんトリオとか
触れなば落ちん、という感じのたおやかさとはかなさを併せ持った
美しい美しい稲森さんとか、実は一番賢い人だったんじゃないの?
と思うのに、キャラ設定でまったく賢そうに見せないことに
成功していた右近さんとか、いつだってどんな役だって、
かっこよくかわいくひたむきに演じてしまう高田姐さんとか、
この舞台の唯一の救いでした、演技力も存在感も安心力の塊でした!
の山本亨さんだとか、もう脇もがっちりと固められていて、
いのうえ歌舞伎イズム満載!の豪華絢爛な舞台でした。

そして、何より挿入歌。
この舞台用に作られた挿入歌は、歌詞が見事に舞台とあっているせいか
舞台を見ていてもすんなりと頭に入って来て、舞台の臨場感を
更に高めてくれていました。歌詞が胸に迫って泣けました。
元宝塚の森奈さんのすみきった歌声が
稲森さん演じるヒロインと見事に合っていたのも大きいのだと思います。

「どうして人は争い、悲劇を繰り返すのでしょう。
 愛が生まれた同じ場所で、憎しみだけを育てて。」

なんだかここ数日、映画でも本でも出会う作品出会う作品、
同じようなテーマを提示し続けてくれている気がします。
罪とか許しとか、人の想いのすれ違いとか。
あまりに同じテーマが重なり過ぎて、
メッセージ性を読み取ってしまいますわ。
毎回、毎回、飽きもせず、お話の中に入り込みすぎるので、若干疲れました。

それにしてもゲキ×シネさん。
今回は今までで一番お客様が多かった気がします。
客席の半分以上が埋まっていたような。本当によかった!
どんどんお客さまに来ていただいて、
これからの新作もどんどんゲキ×シネで、
(かつ、小倉の映画館で)上映してほしい。
なにせ九州在住。
新感線さんの舞台を生で見る機会はまずないと思うのです。
でも、DVD購入となるとゲキ×シネさん鑑賞の3倍ぐらい
お金が発生するわけで、本当に私の(お財布の)救世主です。
次は新感線30周年公演の舞台が上映予定だとか。
首を長くしてお待ちしております。

告白/2010年日本

2010年10月11日 09時48分53秒 | 日常生活
26.告白/2010年日本
■監督・脚本:中島哲也
■出演
 松たか子、西井幸人、藤原薫、橋本愛、岡田将生、木村佳乃、
 芦田愛菜、山口馬木也、高橋努、新井浩文、黒田育世

■ストーリ
ある中学校の1年B組、37人の13歳がいる雑然とした教室。
終業式後のホームルームで教壇にたった担任の森口悠子は
「私の娘が死亡しました。このクラスの生徒に殺されたのです」
と衝撃の告白を始め、教室は静寂に包まれる。

■感想 ☆☆☆☆☆
下妻物語、嫌われ松子の一生、パコと魔法の絵本、と見た映画すべてで
「面白かった!!大好きだー!!」と思わせてくださった中島監督の
作品ということで見たい、見たい、と思っていたこの作品。
リバイバル上映されたため、鑑賞してきました。

結論。
中島監督作品はやはり面白い。
中島監督作品は原作をまったく邪魔しない。
原作世界を大胆に作り変えるのに、原作の持つ世界観をまったく壊さない。
中島監督作品はとにかく映像がとても美しい。
やはり好きです。中島監督作品。

かねがね、私はドラマにしても映画にしても脚本が好みかどうかで
作品の好き嫌いも決まるわー、と思っておりましたが
やはり映画にもっとも大きな影響を与えるのは監督なんだなー
という(当たり前の)ことを初めて心から実感しました。

ただ、徹頭徹尾、後味の悪い映画です。
「面白い」と書きましたが、一般的な意味での面白さは
みじんたりともない映画です。
人によって好き嫌いははっきりと別れてしまう、そんな映画でした。

抑えた色調で綴られる担任教師の告白。
雑然とした雰囲気の中、行われるホームルーム。
おのおの勝手なことをし続ける生徒たち。
交わされる無責任な会話、会話、会話。
やがて核心に触れ始める担任の告白。
次第に担任の告白に耳を傾け始める生徒たち。
それでも静かにはならない教室。
担任の告白に、おのおの自分勝手な主張を続ける生徒たちの声、声、声。

「中学生」という思春期真っ只中の子どもたちが持つ危うさと
残酷さ、身勝手さを容赦なく真正面から捉え、更にデフォルメして
描き出した作品でした。
そして「中学生」以外の「大人」たちが持つずるさ、弱さ、
身勝手さについても容赦なく捉え、自覚的にデフォルメされ、
にも関わらず、そのデフォルメがまったくうそ臭くなく
大げさではなく真実に寄り添っているように見える作品でした。
見終わって、とても後味が悪い。
けれど、現代社会では、この後味の悪さこそが「現実」かもしれない。
思わずそのように思わせられました。

作品全体から受ける印象はモノクロ。
カラー作品で目をつぶるとまざまざと思い返せるほど
印象的で美しい色合いの映像があるにも関わらず、
漠然と思い返す画面はすべて限りなく黒に近いダークグレー。
登場人物みんなが何かしらの闇を抱え、闇に目を向け、
その闇から目をそらさずにいられないでいる人たちでした。
人は前に向かって生きる力とか悲しみから立ち直る力を
きちんと持っているはずなのに。
そういった人間の持つ力を凌駕するほど闇は魅力的で
だからこそ、いったん、闇に捉えられると
たとえすぐ近くにきちんとした光や光を与えてくれる理解者がいても、
その光に目を向けることができないのだろう、と
人の持つ弱さに思いを馳せて、やりきれない気持ちになりました。

ただ、彼らが闇から目をそらせないでいる気持ち
闇から目をそらせて光に目を向けられないでいる気持ちは
なんとなく分かる気がしました。
登場人物の気持ちや最終的に彼らが選択した行動には
まったく共感できなかったけれど、
そこにいたるまでの葛藤はなんとなく共感できてしまう。
それは彼らがずっともがき苦しんでいる姿を
きちんと描いてくれたからではないかと思いました。
おそらく彼らも光の存在、彼らを理解してくれる人がいることに
なんとなく気付いているし、自分の向いている方向を闇から
そちらに変更すれば楽になることも分かっている。
ただ、そちらに方向転換するときこそ、もっとも大きなエネルギーを
要するから、だから分かっていてもそちらに目を向けられない。
つい楽に逃げてしまう。同じ方向を見続けてしまう。

登場人物だれもが迫力溢れる鬼気迫る演技で
最初から最後まで一瞬たりとも気を抜くことができませんでした。
ずっと息を凝らし、気を張り詰めた状態でスクリーンを見守り続けました。

美女と野獣(3D版)/1991年アメリカ

2010年10月11日 09時08分20秒 | 映画鑑賞
25.美女と野獣(3D版)/1991年アメリカ

■監督:ゲーリー・トゥルースデイル、カーク・ワイズ
■製作総指揮:ハワード・アッシュマン
■脚本:リンダ・ウールヴァートン
■音楽:アラン・メンケン
■ストーリ
森の奥の城に住んでいた傲慢な王子はある日やって来た醜い老女の「お城に一晩泊めてほしい」という願いを断る。その瞬間、老女は美しい魔女に変わり、優しい心を持たない王子と、王子をそのように育てた召使いたち全員を恐ろしい野獣と家財道具の姿に変えてしまう。魔女は1輪のバラを置いていき、その花びらが全部散るまでに、王子が真実の愛を見つけなければ、魔法は解けないと言い残す。
ある日、街の発明家モーリスが野獣のお城に迷い込み、怒った野獣に捕らえられた。モーリスの娘、ベルは父親の代わりに自分を野獣のお城に捕らえてほしいと願い出る。

■感想 ☆☆☆☆*
大好きな映画「美女と野獣」が3D化!と聞き、喜び勇んで鑑賞しました。
ディズニーランドやスペースワールドなどのアトラクションを別にすれば
(あれも3Dなんだよね、きっと)初3D映画です。3Dってどんなだろう。
と、期待に胸を膨らませて映画館に向かいました。

が。

アタシはどうやら映画は3Dでなくてもいい模様。
3Dじゃなくても充分、映画を楽しめる模様。
3Dが嫌、とか3Dが合わない、とかではなくて!
3Dがアタシにはもったいない。
アタシが3Dのすごさをきちんと理解できてあげられない。

そういう結論に落ち着きました。
いやいや、すごかったのです。とても楽しんだのです。
より美しくなった映像とか、重なり合う景色とか、
その奥行きによってより壮大になった世界観とか
迫力を増したアクションシーンとか。
とにかくより楽しく、よりエンターテイメント性が増しました。

でも。
どうやらアタシは自分でも思っていた以上に、
映画の中に入り込んでしまう模様。
埋没しきって、3Dという存在すら忘れてしまう模様。
ふと思い出しては、かけている眼鏡をつけたり外したりして
3Dで見える景色を確認し、そのすばらしさを再確認していましたが
でも、すぐにまた「3D」を意識しなくなってしまう。
なくても十分に楽しめるので、「3Dだから!」という期待で
映画館に向かうことはないだろうなー、と思いました。

ただ「美女と野獣」を大画面で見られたことは大きな喜びでした。
特にお城の住民たちがベルにご馳走をもてなしてくれるミュージカル場面、
野獣がベルに初めてプレゼントを贈る場面、
そしてガストンたちが野獣に牙をむけ、お城に襲い掛かってくる場面は
大画面ならではの迫力がとても合っていて、気持ちが高揚しました。
やはり映画は映画館で見るほうが断然、面白い。

それにしても。
改めてゆっくりと映画を見返すと、野獣が実に切ない映画でした。
初めて経験する恋の喜びと、その恋によって味合わされる絶望。
人を好きになることはとても素敵なことで幸せを
たっぷりと味わうこともできるけれど、
自己完結せずにふたりで向き合う必要があるからこそ
すれ違いや行き違いが発生しやすく、本来は必要のない嫉妬や悲しみ、
それらの感情による絶望を味わうこともあるのだなぁ、
と切なく野獣を見守りました。
特にクライマックスで、野獣に襲い掛かってくるガストンの腰に
彼がベルにあげたはずの鏡を見つけたことは、
彼にとって大きな大きな絶望だったんじゃないかなぁ。
だからこそ、ベルが野獣の元に戻ってきた場面は
私にとってすばらしい希望の場面に見えました。
この場面でベルは愛の告白など口にしないけれど
(なにせ、野獣はガストンに殺されそうになっている場面で
 愛の言葉なんて口にしている余裕はない場面)
それでも野獣はベルが彼を愛しているかどうかなど関係なく
ただベルに再び会えたこと、ベルが彼を探してくれたこと、
それだけで充分に幸せを感じていることが伝わってくる素敵な場面でした。

やっぱりディズニー映画好きだなー。
見終わった後に幸せな気持ちになるなー。

そういえば。
今回、改めて見直してよかったなぁ、と思ったことがもうひとつ。
私が思い込んでいたふうには王子がかっこ悪くなかったこと。
これは私にとって大きな喜びでした。
ハッピーエンドのはずのエンディングで野獣が王子に戻った瞬間
ものすごいがっかり感を抱いた覚えがあって、
それっきりラストの野獣が王子に戻る場面は見返していなかったのです。
野獣のほうが王子より好きな気持ちに変わりはないけれど
思っていたよりも綺麗な顔をしてたんだなー、と安心しました。

むしろ、大人のほうが難しいかもしれない

2010年10月10日 09時08分10秒 | 日常生活
高校時代の友人とランチ&お茶タイムを楽しみました。
いつもは会った瞬間に、気持ちは高校時代を遡り
近況報告をしつつもテンション高く笑って過ごすことが多いのですが
秋という季節のなせる業なのか、昨日はしっとり落ち着きモード。
お互いの仕事の悩みを語り合いました。

あ。語り「合って」はいません。
アタシは悩みを抱えるほど真面目に仕事に取り組んではおりませぬゆえ。

しかしながら、友人の悩みや考えは、
私が最近の教会生活や人との係わり合いの中で抱いていた思いと
重なり合うところが多く、思わず「そうか!そういうことだったのか!」
と膝を打って納得しました。
私にとって「納得する」ということは
「心の中でもやもやしていたことがきちんと形どられること」
「言葉で説明できるようになること」なんだということ
そして、そういうふうにもやもやしたものを正確に捉えられると、
それだけで、問題が解決していなくても
随分すっきりするものなんだな、ということを体感できた時間でした。

中でも友人がぽつりと呟いた
「大人でも難しいけど
 子どもは特に『嬉しい』と『楽しい』、『悲しい』と『怒っている』を
 ごっちゃにしてしまうんよ。
 そこがごっちゃになってわけわからんくなったり
 喧嘩してしまったりすることが多いと。」
という言葉には、目から鱗がぽろぽろぽろぽろこぼれ落ちました。

そうか。
そういうことか。
「悲しい」と「怒っている」は見極めが難しいし、
互いの感情を誘発しやすい。
悲しくて悲しくて、悲しみの原因に怒りが向けられることもあるし
分かってもらえないことに怒っていて、
怒りを突き抜けて悲しくなることもある。
だから、瞬間的に感情が暴発しちゃうのね。

友人いわく、子どもたちは自分の感情に振り回されることが多くて
だからこそ、大人が心の中のごちゃごちゃをきちんと整理し、
「それは怒ってるんじゃなくて、『悲しい』なんだよ。」
と言葉で明確にしてあげと、落ち着くことが多いのだとか。

そうかもなー。
そうだろうなー。

と自分自身を振り返って納得。
納得したけれど。
私は「悲しみ」から「怒り」が派生しやすいし
そうした「悲しみ」を養分とした「怒り」を
抑えこむことがとても苦手なのよー。
身体の中に暴れ馬を飼っているってとても大変。

母は強し

2010年10月07日 23時51分08秒 | 日常生活
出産のために、帰省した福岡の教会友達2名を囲む
「妊婦の会」に参加してきました。
帰省した友人はもとより、福岡時代の教会員の方々とも
お会いするのは久々とあって、少し緊張しつつ友人宅に向かい
まったく変わらない笑顔と再会してほっと安心しつつ、
楽しく食事のひとときを愉しみました。

食卓に所狭しと並ぶ食事の数々に大興奮。
鍋に栗おこわに栗コロッケ、かしわの煮付けに春雨サラダ、
黒豆にヨーグルトムース、そしてしめのデザートには超高級メロン!
それらのほとんどが福岡の教会伝統の「持ち寄り」で、
「これ、めちゃくちゃおいしいけん、食べてみり。」
「あ、それは絶対に食べたほうがいいよ。」
「それは、絶対ノリが好きやと思う。」
「ヨーグルトムースはせっかく妊婦が作って来たんやけん、
 みんな食べて帰ってね。」
「あ!このメロンはね!!」
と、どれもこれもエピソードありのお食事だらけ。
「お食事」の説明を聞いているだけであったかい気持ちになりました。
そして、どれもこれもがお勧めどおり美味しいご飯でした。

特に栗おこわときたら!
大好きな餅米と栗のコラボに秋って幸せな季節だわー、としみじみ。

本日の主賓、出産予定日を来週と来月に控えた妊婦2名は
とても元気で、でも、やはり通常と異なる重心に悪戦苦闘していて
動作のひとつひとつがとてもけだるそう。
間近に接して、妊婦って本当に大変なんだなー、と実感しました。
特に来週予定日の妊婦は、本日、ちびっこちゃんが動き通し、
お腹の中からお母さんを蹴飛ばし通しの模様。
ひたすらお腹をさすっていたため、「痛いの?」と聞くと

「痛い、というよりは、うっとうしい、かな。
 動き始めたばかりの頃は『動いたよー!』と感動しよったけど
 最近はもうすっかり飽きたもんね。」

と期待通りのクールな回答を返してくれました。

「旦那は全然、飽きんみたいで、うちが夜寝た後に
 ふたりっきりの時間を愉しみよったみたいやけどね。」

・・・なるほどねー。
妊婦生活が日常の「母」と、自分が妊娠していないために
妊娠に対してどこかハレ、非日常の意識が抜けない「父」の
対応の違いになんとなく納得しつつ。
「ふたりっきり」の時間を愉しむ旦那様の姿を思い浮かべて
心がほっこりしました。

帰り道。
来月出産予定の妊婦さんがため息をつきながら
「やっぱり来週出産予定ともなると、ものすごきつそうやねー。
 今日、本当にだるそうやったもんねー。」
と言っていたので、
「もうそろそろ飽きたらしいよ。」
と伝えたところ、カラカラと豪快に笑いながら
「分かるわー。あたしも飽きたもん。
 もうそろそろいいよって思うもん。
 妊婦がどんなもんなんか大体分かったけん、
 そろそろいいよって言いたいもんねー。」
と、彼女も大いに納得しておりました。

なるほど。
母は強し、です。

・・・でも、ふたりとも母上になる前から豪快に強く
あっけらかんと軽やか爽やかだったからなー。
予定日近くて大変そうではあったものの、まぶしいくらいに幸せそうで。
でもって相も変わらず、気負いなく魅力的なおふたりでした。

次に会うときはちびっこちゃんが傍らにいるんだろうなー。
想像するだに楽しみです♪

10年先も君に恋して

2010年10月06日 00時11分11秒 | テレビ鑑賞
■10年先も君に恋して
■火曜22時 NHK総合テレビ放送
■出演
 上戸彩、内野聖陽、高島礼子、藤竜也、劇団ひとり、
 木南晴夏、渡辺いっけい、渡辺えり、染谷将太、林丹丹、
■脚本 大森美香
■ストーリ
 出版社の編集をしている里香は、仕事は順調だが、男運のない人生を
 送っていた。しかし、ひょんなことから知り合った博が
 「宇宙エレベーター」について熱く語る姿を見て、運命を感じる。
 その直後、10年後の博だと言う変な男と遭遇する里香。
 確かに現在の博の面影があるその男は、10年後、里香の夫となった
 未来の博だった。
 10年後の博は、10年後のふたりがお互いに傷つけあった結果
 離婚を選択したこと、お互いに不幸だと感じていることを現在の
 里香に伝える。そして、未来の不幸を回避するために、出会った
 ばかりの里香と博を別れさせるためにやって来たというのだった。
 将来の夫と現在の恋人との奇妙な三角関係が始まる。

■感想 ☆☆☆☆☆
 大森作品外れなし!
 というか、もう私の好みどストライクなんだろうなぁ。
 他のドラマさんたちとは、少し時期がずれてますが、
 それでも「今期」に入れると、この作品がもっとも好きな作品でした。
 脚本が好み、というのは勿論のことながら、NHKらしい丁寧なつくりに
 安心感溢れる演技のキャスト陣、そしてドラマの雰囲気によくあった主題歌、
 すべてが揃った本当に本当に素敵な作品でした。

 現在の博と里香も、10年後の博と里香もお互いのことを思いあっていて
 その様子が表情から、しぐさから伝わってくるために、とても幸せで
 同時にとても切ない恋愛ドラマでした。
 現在の博と里香は出会ったばかりで遠慮があるから、ほんの少しの
 いざこざも、お互いが努力し合い、ベクトルをお互いの方向に向け合う
 努力ができる。だから、すぐに仲直りもできてしまう。

 10年後の里香と博は結婚して、長年、一緒に過ごしてきたからこそ、
 お互いに遠慮がなくなっているし、お互いに伝える努力を怠って
 しまう。相手にわかってほしい、という気持ちが強すぎて、自分が
 きちんと伝えることを忘れている。でも、相手のことを好きだという
 気持ちも、このまま離れていくのは嫌だという気持ちも持っていて
 それなのに、その気持ちを素直に表せない。そんなジレンマが伝わって
 きて、すごく切ない気持ちになりました。

 なんで恋愛って、お互いに好きだという気持ちを持っているだけでは
 ダメなんだろう。なんで、自分の正直な気持ちを相手に伝えるのに
 こんなにも躊躇してしまうんだろう。

 博の師事している教授がとてもキュート。未来から来た博をまったく
 疑うことなく受け入れ、お仕着せがましくなく、目立たずそっと
 博と里香をサポートする。その存在感も、そして発するアドバイスも
 どれもがとてもあたたかく、だからこそ説得力あるものだった。

 「喧嘩したとき『離婚しよう』と言い出すうちは、まだ好きという
  気持ちがどこかにあるんですよ。相手にとって自分がまだ必要だと
  確かめたくて『離婚しよう』と切り出してしまうんですよ。」

 ラストはヒロイン里香が10年後の自分に向けた手紙の言葉で
 締めくくられる。
 「どうか未来を諦めないで。こんなはずじゃなかったのに、と
  後ろを振り向かないで、前を見てしっかり歩いて。
  今の私はとても幸せです。
  だから、どうか、今の幸せな気持ちを忘れずにいて。」
 この言葉で終わりを迎え、ふたりのその後は明示されない。
 けれど、10年後に戻った博と里香の関係は劇的には修復しないし、
 まだまだ問題は山積みのままだ。きっとまた喧嘩もするだろう。
 それでも、10年後の未来に戻った博の前には、10年前の里香から
 現在の里香にメッセージが届くというささやかな奇跡が起こる。
 奇跡、というのも大袈裟なほどささやかな奇跡。
 そのささやかな奇跡がきっと未来を変える。そう信じられるラストだった。
 「過去と人は変えられない。けれど、自分と未来は変えられる。」
 使い古されたこの言葉があたたかく胸にしみわたる素敵なラストだった。

 それにしても上戸彩ちゃんが美しくて美しくて。ひたすら見とれました。
 最近の上戸さんは本当に輝きを増しております。美しすぎる。
 でもって演技もとてもキュート!
 恋にも仕事にも一生懸命に体当たりしていくヒロインを可憐に、
 コミカルに、魅力的に、演じていました。くるくる動く瞳と
 表情が今回のヒロイン像にぴったり!
 そして、脇をしっかりと固めた劇団ひとりさん、高島姐さん、
 渡辺姐さんに大森脚本の常連組、いっけいさん。
 特に渡辺えりさん、いっけいさんは出演場面がそんなに多くないにも
 関わらず、大森テイストの厳しさと暖かさをドラマにしっかり
 付与されていました。本当にいいドラマだったなー。

美味しい+懐かしい=幸せさん

2010年10月04日 22時30分54秒 | 日常生活
昨日の礼拝終了後、牧師と青年会メンバで教会員の方のご自宅へ。
一人暮らしの教会員の方が手首を痛められたため、
庭の草取りをみんなで行いました。

久々の庭仕事に小学校まで住んでいた家を思い出してほのぼの。
この土の感触が懐かしい。
庭と呼べないせまい敷地・・・違うな。
あれは庭ではありませんでした。道、ですな。
自宅前の通路がアスファルトで塗装されていなかった
古き良き時代だったため、母上が勝手に花や野菜を植えていたんでした。
その勝手に庭にした部分をよく母上が草取りしていたなー、とか、
その隣で「お手伝いしなさい!」と怒られながら遊んでたなー、とか
でも、たまに草取りをお手伝いして、そのたびに
「根っこからきちんと抜いてよ!」
と怒られてたなー、とか、でも草花ってしっかり根付いているので
根っこから抜くのって面倒だったんだよねー、力いるよなー、とか
懐かしい記憶に想いを馳せながらさくさくと作業を行いました。

襲い来る蚊とか、ごろごろ出てくるだんご虫とか
普段ならきゃーきゃー言いながら逃げ惑ってしまうであろう
名前がよく分からない虫たちにも次第に慣れ、
土の感触の心地よさを楽しんでいると、
あっという間に1時間が経過しました。
ふと気がつくと、草が覆い茂っていたお庭もすっきり。
大満足で作業を終えると、居間にはご馳走が並べられていました。

山盛りほかほかおでんに、今が旬の巨峰に梨。
そして少しシーズンにはまだ早いりんご。
どれもこれも大好物ばかり!
大好物だから、というフィルターがかかっていなくても
どれもこれもとっても美味しそうなおご馳走で
みんな我先にと手を洗い、我先にとぱくつきました。

もう!おでんのこんにゃくが!大根が!すじが!
どれもこれも中の中まで味がしみ込んでいて
噛めば噛むほど美味しさが滲み出てくる感じ。幸せになりました。
あまりの美味しさにこんにゃくをひたすらぱくつきました。
うーまーいー!!

そして、とにかく大好物の果物たち。
アタシはどの果物も大好きなんですよー。
特に旬まっ盛りの果物は汁気たっぷりで
どれだけでも食べられるんですよー。
と大興奮で食べ続けました。
本当に美味しいものっておなかがいっぱいになっても
食べたい気持ちが勝ってしまうから恐ろしい・・・。
さすがに最後の最後に出てきた羊羹は
どうにもおなかの中に入らず、お持ち帰りさせていただき
(諦めることなく持ち帰ったあたり、図々しいというか何というか。)
幸せ満腹気分で帰り道につきました。

夕暮れ時の帰り道。
教会員の方のご自宅は少し高台にあったため
夕焼け空が普段より広く鮮やかに楽しめて
幸せ気分を更に盛り上げてくれました。

先週、北九州で行われた脳科学者の茂木さんの講演会。
残念ながら旅行中で参加できなかったのですが、
教会員の方が詳しく内容を教えてくださいました。
その中で特に心に残ったのが
「脳は周囲の誰かのために何かをしてあげると、喜ぶ物質
 (アドレナリン?このあたりの記憶はあやふやです。
  なにせまた聞きですし。アタシの記憶力ですし。)
 を作り出す。
 だから人のために何かをしてあげると幸せになるんだ。」
というものでした。
これを聞いたとき、以前、友人から言われた
「人の為に善いことをすると書いて、『偽善』なんだよ。」
という言葉を思い出し、なるほどなー、ちょっと解釈が違うけれど、
でも結局は「情けは人のためならず」ってことなんだろうなー、
と納得したのでした。

で、本日。
またもや、その講演内容を思い出し、
うん。今日の草取りは教会員の方のため、ではなく
アタシ自身のためだったなー、としみじみ思いました。
それは物理的なご褒美をもらったから、というだけではなく
(おでんとか果物とかとっても美味しくて
 そこからもたくさん幸せをいただいたているわけですが。)
あの土の感触とか帰り道の夕暮れ風景とか、草取りをしながら
交わした他の方との会話とか、蘇ってきた幼いころの記憶とか
そういったものすべてを思い出して、色々もらっちゃったなー、
と思いながら、自宅に帰り着き。


美味しく夕御飯をいただきました。

びっくりした!
あんなにおでん食べたのに!果物ぱくついたというのに!
もう羊羹すら入らない!と思ってたのに!
夕食どきになったら(って、たったの3時間後)、
ごくごく普通におなかすいちゃってましたよ!
気付いたら「いただきますー!」と食べてましたよ!

自分の食欲が恐ろしい。

でも、持ち帰った羊羹1切れは家族3人で分け合って食べました。
ダイエット♪ダイエット♪

底知れないオトコ

2010年10月04日 22時16分49秒 | 日常生活
福岡から小倉にやってきた友人。
たまたま家族も一緒に呑んでいたときだったので
初めて家族に紹介したところ、
翌日とっても嬉しいメールが届きました。
あまりに嬉しかったので母上にもメール内容をフィードバック。
ついでに妹にもフィードバック。

先日、高校時代の友人たちと食事したときも
妹の旦那様(義弟君)について
「いやいや、そんな人おらんやろー。」
「いるんだってば!本当にそんな人なんだってば!」
とおおいに盛り上がったのですが、
どうやらこの友人も義弟君について
「本当にこんな人いるの?」という疑問を抱いていた模様。
その疑問が今回会えたことで払拭できました☆
という内容のメールでした。
立て続けに聞いた義弟君への反応が面白く、併せて伝えました。
ふたつの反応を聞いておおいに喜ぶ妹。
隣にいた旦那様へもそのまま伝えている様子が伝わってきます。
友人からの感想を聞いた義弟君の感想。

「たったあれだけの時間で、俺の何が分かるんだっつー話だよ。」

・・・うん。
そうね。アナタのすべては分からなかったと思うけど
(アタシもに未だに分からないもの。
 これから先も、彼のすべてが分かるなんて到底思っていません。)
でも、とりあえず、アナタの言動とここに書き記した内容が
すべてイコールで結ばれちゃったんだとは思うよ。
「やりそうだなー」と納得できちゃったんだと思うよー。

と、妹と笑い合いました。
それにしても、アタシとのメールのやり取りだけで
深夜0時過ぎにも関わらず、福岡に帰る前に
アタシたちを見つけ出してくれた友人さまー!ありがと!

小倉城の見所

2010年10月04日 22時08分53秒 | 日常生活
土曜日。
妹と買い物をしていたところ、高校時代の先輩からメールが届きました。



・・・!
この写真は、もしや!
もしや小倉城では?!

とそっこーで返信。先輩からもすぐに返信が戻って来ました。
「さすが!」

やはり小倉城でした。
当てたワタクシってばすごいー!とテンション上がりましたが
念のため、隣にいた妹に
「見て見て!こんな写真が先輩から送られてきたんやけど。」
と見せたところ
「あ。小倉城やん。どしたん?」
と難なく看破されました。

なんだ。アタシがすごいわけじゃなかったみたい。
小倉っ子なら、ごく普通に看破できるみたい。

それにしてもこのこじんまり感。
これが小倉城なんですよー。
このちっちゃさとか、でも美しい天守閣とか
近隣の近未来的デザインセンスのなかなかにビビッドカラーな
ショッピングモールに若干、存在感押され気味なところとか
でもでもやっぱり負けてないところとか
その施設を背景にして新旧コラボが楽しめるところとか
地味に楽しめて好きなんです。見上げると落ち着くし。

というわけで、おいでませー。小倉へー!

しかしながら、残念なことに、
すぐ近くにいたにも関わらず、生憎の本降り雨で
先輩と落ち合うことはできませんでした。
先輩がすぐ近くにいた時間帯のみのどしゃ降り。
アタシの日ごろの行いはどんだけ悪いんだっつーに。
・・・そろそろ、アタシも天気が悪い日は
傘を持ち歩くことを覚えてもいいのではないかとも思います。
そういう習慣も世の中にはあるみたいなので。