伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

2015-09-15 23:15:10 | 言いたんく

今年も自分の田で取れた米を持って帰ってきた。

自宅はリフォームした時に、米置き場を作った(写真)。

しかし、その直後から自分は米を食べなくなった。

そう、たまに書き込みをしているMECだ。

しかし、この米は旨いんだよな。

小さい頃から親父に、実家(実家のある田舎の意味)で取れた米はオカズがいらないんだよな。

噛めば噛むほど旨いんだ。

そう、その通りの米である。



この米は玄米で袋に入っている。


 いつか体質改善が終わったら、1日に1食くらいは腹一杯この米を食べようと思っている。

まぁ、長男が頑張って毎日消費しているが・・・

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Оさんの代わりに14…アーヘン

2015-09-14 23:06:59 | 

アーヘン。

西にオランダとベルギーが隣接する都市である。

ゆきたんくは、当初アーヘンには寄らない予定だった。

ルクセンブルクからブリュッセルに行き、そこからデュッセルドルフに戻る予定だったのである。

でも行きたい。

アーヘンの大聖堂を見たい思いがあったのだ。

そして旅行中のNさんの話。

「アーヘンハネ、セカイイサンノダイイチゴウネ。」

確かに、1978年に世界遺産には12件認定されたが、アーヘン大聖堂がその一つとは認識していなかった。

ここまで来たんだ。是非見てみたい。

Nさんに提案をした。

ルクセンブルクからアーヘンに寄れないか。

そのついでに、マーストリヒトにいけたら嬉しいことを伝えたのである。

だから最初はアーヘンで一行とはさよならになる可能性もあったのだ。

電車の切符購入でみっともない話を書いたが、そこをフォローした計画をNさんが練ってくれたのだ。

かくしてアーヘンに着いた。

石畳に反射する日の光が眩しい。


 

 
アーヘンの石畳


ウールとボタンの店前には毛糸で包まれた自転車があった → Map



アーヘン大聖堂正面 → Map

 


中央ホールのシャンデリア 


高い天井とステンドグラス


大聖堂は荘厳な雰囲気だった。

人が多かったのが、まっしょうがないか。

聖堂内の写真を撮るには1ユーロ必要だった。

いわゆる献金というやつだ。

小銭入れを見ると、1ユーロ硬貨は無し、50セントが2枚あったが、これはトイレ用にとっておく。

近くにいた神父さんに2ユーロ渡して、1ユーロのおつりをもらった。

静かな声で「シェーン」と言われ、カメラのストラップにシールを貼られた。

周囲には、そんなのお構いなしに写真を撮っている者もいるが、それはだめだろう。

さて、大聖堂の素晴らしさについては、いずれ拙サイトの「旅たんく」で詳細を書くことにする。 




アーヘン中央駅とゆきたんくの荷物を運ぶNさん。

 


ついに一人になったゆきたんく。電車の来るまでが長く感じる。


 Nさんの別れ際の言葉は

 「マタライネンネ。コンドハモンサンミッシェルイコウ。マタネ。」

帰国後聞いた話だが、ゆきたんくがいなくなってからのNさんは無口で車を運転していたという。

また、Оさんが参加した旅の時は、Оさんとドイツ語で賑やかだったという。

歳が近いこともあるので、少しは気が合ったんだろうか。

うん、ゆきたんくはまたNさんの運転で旅をしたいと思う。

さて、次はデュッセルドルフだ。

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Оさんの代わり・・・じゃないけれどね2。…オランダ・マーストリヒト

2015-09-13 23:34:29 | 

さて、結構海外の旅で爆発している、ゆきたんくの突飛行動。

今回はОさんの計画に則ってというのが基本にあった。

ところが、その計画の中でゆきたんくが行きたかったけれど行けない場所ができてしまった。

じゃあせめて、ルクセンブルクからベルギーのブリュッセルに行くまでに寄り道ができないか相談した。



最初の計画。 ルクセンブルクからブリュッセル。


ゆきたんくの我儘計画 ルクセンブルクからマーストリヒト、そしてブリュッセル。 


 明日の投稿で全貌を書くが、Оさんの計画の中でゆきたんくがスケジュール的に無理な場所があった。

しかし、それにどうしても行きたくなったのである。

その場所はゆきたんくと一行が分かれた次の日に予定されていた。

しかし、そこにどうしても行きたい。

そしてそこからブリュッセルに行くのであれば、オランダのマーストリヒトは寄ってみたいという話なのである。

Nさんは、一晩考えてくれた。

優しいが時間に厳格なNさんである。

そこで提案されたのが、ルクセンブルク→マーストリヒト→寄りたい所の旅程である。

そこからゆきたんくはデュッセルドルフに、一行はブリュッセルにである。



ランベルタス教会から伸びているブリュッセル通りをまっすぐに進み、写真正面から右の道へ。


この右手に教会がある。



ゆきたんくのお目当て、セント・セルファース教会


回廊の造りはとても素敵である。



中庭に置かれている巨大な鐘。


マーストリヒト最初の大司祭、セルファースの墓がある教会の地下。


384年にこの場所の葬られたのが教会の起源だという。

よく見るのが、協会の床に葬られた司祭の墓。

日本のお寺では、お坊さんの墓は、卵塔を建てている。


教会のステンドグラスはいつ見ても素敵だ。

 


教会から外を見る。この建物の中の暗さが心を落ち着ける。


 ゆきたんくの我儘、オランダで最も古い教会の一つであるセント・セルファース教会に行くことができたとともに、オランダは初めての訪問であった。 

 この町は、現在のEUがECから発展することとなったマーストリヒト条約(欧州連合条約)が1992年に締結された場所でもある。

オランダの南部にちょこんと出っ張った形になっている土地の特異性から20回以上も他国に占領された歴史を持つ土地でもある。

一般的なオランダとは毛色が違うというから、アムステルダムあたりへは行ってその違いを確かめたいと思う。

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Оさんの計画外で…昼食・オランダへの移動

2015-09-12 23:27:02 | 

さて、ルクセンブルクで買ったケバブを車内でいただく。

Nさんの「おいしいよぉ(笑)」が連発される。

本当に旨い。

もっとも、生まれて初めて食べるケバブであり、気に入った味なので旨いのは当たり前かもしれない。

ただ、Nさんの機転で店最初の客にならなかったことで、旨い部分にありつけたとも言えよう。

とにかく齧り付く。

スパークリングの水を流し込む。

口の中がすっきり爽やか。

それを繰り返す。


 ケバブ。本場ターキーの方が焼いたケバブだ。 この形はドネルサンドという。


食べて気持ちがホンワカしていると。

「サァ、シャシンヲトッテクダサイ。ハヤクシナイトイッチャウヨ。」

路上ではあるが、ベルギー入国である。

このようなシャッターチャンスの時にNさんは忘れず声をかけてくれるのである。



さて、生まれて2度目のベルギーだ。

 


ゆきたんく大好き「牧草ロール」だ。食べる訳ではない。



さてNさん食事休憩。そしてオランダ・マーストリヒトの情報収集の時間。高速本線からは外れている。


オランダに行くことは最初は計画になかった。

そう、Оさんの計画にはなかったのである。

ただ、その計画でゆきたんくが外せないもの(9/14の投稿ネタ)が出て来た副産物としてオランダ行きが決まったのである。


 
マーストリヒトの表示がみえて来た。


 目指すはマーストリヒト。

ゆきたんくがどうしても見たかったものが2つあった。

そのうちの一つは今回の予定には入っていなかった。

ルクセンブルクからベルギーに行くまでに寄れたらいいなぁ。

とNさんに呟いてみた。

いろいろと考えてくれて、ルクセンブルクからマーストリヒト(オランダ)へ、そしてアーヘンへ。

ここでゆきたんくは一人デュッセルドルフに。みんなはブリュッセルへ。

というコースを考えてくれた。

ゆきたんくの苦手なものの一つにドイツの券売機がある。

機械に弱い訳ではないけれど、ドイツの切符券売機は苦手だ。

Nさんは、アーヘンからデュッセルドルフへの1回だけの購入にしてくれたのだ。

最初の予定では、ルクセンブルクからアーヘンへ行ってバイバイだった。

そうするとアーヘンからマーストリヒト、マーストリヒトからデュッセルドルフと2回買わなくてはいけない。

国と国をまたぐのが不安だったのである。

ドイツとオランダは片言英語が通じるけれど、ブリュッセルはオランダ語やフランス語なのだ。

まして昨年南ブリュッセルの駅では券売機が故障して長蛇の列ができているのを見てしまったし、カードで買うにしてもよく分からんかったし・・・


 ベルギー、マース川沿いに建つ衣料品店プリマーク。マース川はマーストリヒトにつながっている。



マーストリヒトへが× あらら



オランダらしい風景が見えてきた。ホーゲ橋の架かるマース川


ランバルタス教会 → Map


 このランバルタス教会はラウンドアバウトの周回にある。

 このラウンドアバウトを右折すると、計画には入っていなかったがゆきたんくが行きたかったお目当てのセント・セルファース教会だ。

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一青窈 ハナミズキ Live 2004

2015-09-11 23:00:07 | グーグルフォト

9.11は忘れられない日、忘れてはならない日である。

2001年9月11日、ニューヨークにおいて、同時多発テロが起こった日である。

映画で見るよう場面が実際に起こり、多数の人が命を落とした日。

当時は特集を買ったり、人々の救助のために命がけで働いたニューヨーク市消防署の方々のことが収められているDVDを買って観たりした。

それから10年以上たったある日、職場の催し物のために、一青窈氏の「ハナミズキ」の練習をした。

歌を歌うには、歌詞の内容を押さえておかないといけない。

「百年続きますように・・・」

そんなに人は生きられないし、未来永劫の愛を誓うのなら分かるが100年って・・・

人と人との愛を歌ったものだと思っていた。

しかし、歌詞を読んでみると難解だった。


 空を押し上げて         手を伸ばす君 五月のこと
 どうか来てほしい        水際まで来てほしい
 つぼみをあげよう        庭のハナミズキ


水際ってどういうこと・・・

 


 薄紅色の可愛い君のね    果てない夢がちゃんと
 終わりますように        君と好きな人が
 百年続きますように


 

 君が何を指しているか分からない

 


 夏は暑過ぎて          僕から気持ちは重すぎて
 一緒にわたるには       きっと船が沈んじゃう
 どうぞゆきなさい        お先にゆきなさい


 

夏が示しているのは・・・

順番を譲っているが、自分から行けないというのは・・・

 


 僕の我慢がいつか実を結び 果てない波がちゃんと
 止まりますように        君とすきな人が
 百年続きますように


 先に行くのを我慢しているのはなぜ・・・

果てない波?


 ひらり蝶々を         追いかけて白い帆を揚げて
 母の日になれば        ミズキの葉、贈って下さい
 待たなくてもいいよ       知らなくてもいいよ

 


母の日にミズキの葉?


 薄紅色の可愛い君のね    果てない夢がちゃんと
 終わりますように       君と好きな人が
 百年続きますように


 

夢が終わるように?

 


 僕の我慢がいつか実を結び  果てない波がちゃんと
 止まりますように      君と好きな人が
 百年続きますように       君と好きな人が
 百年続きますように  


 この曲が出た時に、すでに歌詞の意味が分からなくて、いろいろと調べた方々がいらっしゃったようです。

ご自分なりに歌詞の意味を解釈しようとして方もいらっしゃいました。

ネットで探せば見つかります。

そこに共通するのは「同時多発テロの起こったニューヨークにいた友人からのメールを見て、歌詞を書き上げたこと。

 ということ。

結婚式で軽々しく歌ではなかったことを知った。

歌に込められているメッセージはしっかりと受け止めることが大切だと思った。

ゆきたんくが人前で披露したのは1年前のことだ。

「ハナミズキ」は知っていたが、その歌詞の意味を知ったのは10年経ってからだった。

もちろん一青窈氏のファンの方々はすでに知っておられたと思う。

テロで亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。


 

一青窈 ハナミズキ Live 2004

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Оさんの代わりに13…ルクセンブルク

2015-09-10 23:02:23 | 

ゆきたんく初訪問の国、ルクセンブルク。

ベネルクス三国の一つで領土は2,586km2と小さい。(日本は377,961.73km2で約14600倍。)

かつては周辺国に翻弄され続けてきた国だ。

現在は高度に発達した工業先進国で、運転手のNさんに言わせれば、金持ちの国である。

物価も高い。

調べてみると、21世紀以降一人当たりのGDPは世界の首位である。

まずは、憲法広場が駐車場になっているのでそこに駐車。

高台の憲法広場から周囲を見る。



銀行や石炭の協会が入っている建物。



ルクセンブルク大聖堂。左手の建物はルクセンブルク国立図書館 → Map

 


ギョーム広場では朝市が開かれていた。 → Map


ボックの砲台 → Map




砲台近くからの眺め → Map(写真を撮るのに立った場所)

 


リュー・ミンスターと呼ばれるグラント(低地)地域



ルードラ・ブーシュリーという通り。土日は閑散としているそうだ。


 ここで、Nさんの「おいしいよぉ」が始まった。

ケバブの美味しい店があるという。

Nさん、実はイラン人なのだが、6か国語くらいペラペラで。美味しいケバブにありつくタイミングを知っておられた。 



焼きたてケバブの回っている店。


 女性陣がご不浄に言っている間に、Nさんと二人でコーヒーを飲んでいた。

隣はケバブの店である。

5人くらいの客がケバブを買った後、Nさんが、「ジツハワタシ、トルコゴモデキマス。」

「サッキトルコジンがケバブをカイマシタ。」

「ヤイテイルオモテノブブンハオイシクナイネ。」

「イマカウト、イチバンオイシイトコロタベレルネ。」

丁度ご婦人方のお帰りだ。

ケバブを買って車に戻る。

移動先のオランダまでは車の中で食事となる。


 「シャシントッテオイテクダサイネ。」 Nさんはシャッターチャンスを教えてくれる。

ルクセンブルクの郵便ポストだ。 


ついでの話だが私はNさんはドイツ語と英語と少し日本語ができると思っていたが、フランス語も母国のイラン語もスペイン語も使う。

「コトバガデキルト、タノシイヨォ」と言うのだが、なかなかできることではない。

帰国したら、英語からおさらいしてみよう。

TOEICの勉強も中途半端なままだ。

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Оさんの代わりに12…トリアー2

2015-09-09 23:48:07 | 

さて、トリアーで一泊。

久しぶりの朝の散歩である。

ホテルアウルマンから徒歩12分でカイザーテルメンである。


 


カイザーテルメンのバス停。 → Map


何か引っかかっていた。

そう、阿部寛主役の映画テルマエロマエがある。

直訳するとローマの浴場。

まさに、このテルメンがテルマエなのである。

映画のロケ地はほとんど日本の温泉、海外では、イタリアのチネチッタということだ。

さて、ローマ帝国の浴場としては、これも本物。

かつてイギリスでバースをかすって残念なことをした。あれもローマ帝国の浴場だ。

さて、昨日は入場時刻に間に合わなかった。

そして今日はトリアーからルクセンブルクに移動である。

早朝散歩で見に行くしかなかったのである。




なんと工事中・・・


東側に回ってみると足場が建てられていた。


やはり正面からの写真がほしい。


 この写真を撮った位置からは、すぐに道路になっており、ゆったりと写真を撮っていると轢かれてしまう。

1本道路を隔てた場所に移動する地下道を見つけた。



芸術的な地下通路を通って道路の東側に廻る。


真正面は足場が邪魔だったのでこの角度で我慢した写真を載せる。


うん、満足だ。

本場のテルマエロマエである。

次はやはり工事中で入れないらしいが、ここから600mほど西にバルバラテルメンという浴場跡があるという。

浴場は、施設の中の入浴場所が見れないとつまらない。

しかし、工事中とか開場時間で入れないのは仕方がない。

見るだけ見ようと思って歩を進めた。 

 バルバラテルメンでは83枚の写真を撮ったが、そのほとんどが史跡の周囲と、幸いにも見学用足場が組まれていたので、その上からの写真である。施設の中の写真は残念ながら撮ることは不可能だった。


 


足場から見た史跡の中ほど → Map


奥に浴場をつないでいる通路が見える。

湯船の跡か





史跡に雨がかかると修復が進みにくいという

 


柱が気になる。


元の姿を気にさせる遺構



通路が見える。

これもテルマエロマエである。

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Оさんの代わりに11…トリアー

2015-09-08 23:43:20 | 

トリアー。

今回一緒に行けなかったОさんが一番行きたかった場所。

2000年の歴史を持つ、ドイツ最古の都市である。

ドイツ人として74年間生きて、初めて行けると喜んでいた場所だ。

さて、トリアーの場所はフランクフルトから西へ100㎞のところにある。

ドイツワイン発祥の地であり、ローマ帝国がヨーロッパ進出の起点とした。

「第二のローマ」と呼ばれていたこともある。



まずはポルタニグラ(黒い門)、ローマ市壁の北門だったところだ。 → Map

 


ポルタニグラ近くの一律博物館の前でローマ戦士と → Map


 この写真のシメオン通りは旧市街を南北に結ぶ通りで、現在は歩行者天国になっている。南に300m進むとトリアーの中心部に行くことができる。

メインマーケット広場の前に、トリアー大聖堂、聖母聖堂、コンスタンティヌスの大聖堂など世界遺産が立ち並ぶ。

メインマーケット広場に来ると、市場が開かれていた。 



紀元前958年に建てられたマルクトの十字架が建つマルクト広場



十字架は鳩の止まり木になったり、人々の腰かけになったり・・・ → Map

奥にトリアー大聖堂が見える。


 ポルタニグラから広場まで350mの間に、所せましと人が行きかう。

ここから東側に見どころが立ち並ぶ。

西側には、のりたんが泊まるパークブラザートリアーや、ゆきたんくが泊まるホテルアウルマンがあるホテルやレストランが立ち並ぶ。



トリアー大聖堂 → Map


聖母大聖堂。トリアー大聖堂の南に隣接する。 → Map


コンスタンティヌスの大聖堂 → Map 





Nさんおすすめ、トリアーは海産物が美味しいそうだ。ゆきたんくは、これ海老サラダ。

魚のレストランチェーン、ノルツェーでいただく。プリプリで旨かった。→ map



ブリュッケンシュトラーセにあるカールマルクスの生家 → Map


 大変お世話になった、神奈川大学で教鞭をとられておられ、カトリックの神父もされていた方がいらっしゃる。

 もう8年前に亡くなられたが、その方の卒業論文がカールマルクスについてであったことを思い出した。

その方と今回来れなかったОさんはドイツでは旧知の中であった。

まだ明るいが夜の7時である。

そろそろ運転手のNさんも体を休めないといけない。

Оさんが一緒だったらば、どんなに感動したことだろう。

ゆきたんくの奥方のりたんは、9/1にデュッセルドルフに戻り、お見舞いに行って報告するそうだ。

この後、ゆきたんくはホテルアウルマンへ、のりたんと友人たちはホテルバークプラザへ・・・

Nさんは6㎞離れた別のホテルへ。

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Оさんの代わりに10…ベルンカステル・クース

2015-09-07 23:05:32 | 

さて、次はベルンカステル・クースだ。

元々モーゼル川の両岸にベルンカステルとクースという2つの町があった。

今回は、ベルンカステル川を中心に歩いた。

まず、アウトバーンをNさんが飛ばす。



上がったり下ったり、遠くの山が見える景色が続く



お金持ちがたくさん住んでいる地域。しかし、ホテルがある。 → Map 


 しばらくモーゼル川沿いを走って、ベルンカステル・クースの駐車場に着いた。

船着き場の隣に設けられている駐車場から、この地が観光産業の地であることが分かる。



駐車場。近くに見える教会が期待感を膨らませる。


クース川に渡る橋からの撮影。葡萄畑と建物がセットである。


 再びベルンカステル側に渡り、最初にマルクト広場に行く。

「なんだぁこりゃあ。」

絵本の中にあった世界が、そのまま目の前にあった。

組木造りの家が立ち並び、小さい広場を形成している。



マルクト広場。


広場の奥にあるレーマー通りに足を伸ばす。東洋人は我々だけのようだ。

町の奥は山。それも葡萄畑が広がっている。ここもワイン醸造の中心地であった。

 


歴史ある組木造りの家。変形しているのはご愛嬌。


タイヤで走る観光電車も一生懸命坂を登る。 


 絵本の主人公になった気分で街中を歩く。

折り返し地点で折り返すが、腹が減ってきた。

昼食はもちろんソーセージだ。


 


茹で上がったソーセージ。齧り付くのが一番旨い。

 


美味しいスープ。豆を入れたものが旨いと聞いていたがオフシーズンでなかったのが残念。



食事をした場所の概観である。これは行きに通り過ぎた時の写真。左のオレンジの建物。



マルクト広場にある市庁舎の奥に細い建物が建っている。それも生き物のようなしぐさに見える。


街の景色そのものが、視覚のおもちゃと言って良いくらい、素敵な楽しい景色だった。

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なんだぁ

2015-09-06 23:53:50 | 言いたんく

ゆきたんくが使っているスマホは現在エクスペディアだ。

以前使っていたスマホはメディアスで革ケースが着いてとても気に入っていた。

しかし、動きが遅いので取り換えたが、ゆきたんくの机の上にフィギュアとして飾っておいた。

9月になって、少しケースの形が歪んでいたので調べてみた。



ケースのお腹が膨らんでいた。 


ケースからスマホが抜けない。

なんでこんなにきついのだろう。

やっとの思いで抜いたら、電池の蓋が外れていた。

なんだ、蓋が引っかかっていたのかと思ったら・・・



何か、電池が膨らんでいる。


 薄っぺらいはずの電池が3倍の厚さになっていた。

いったい何でこうなるんだ。


膨らんだ電池


 本当は抜いて、始末しなければいけないとかあったのだろう。

「使用後はNTTドコモまたは代理店、リサイクル協力店へ」と書いてある。

まあ、火事などにならなくて良かった。

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Оさんの代わり・・・じゃないけれどね。…コブレンツ・ゲベルベパーク

2015-09-05 23:30:49 | 

コブレンツに宿泊したということでNさんにお願い。

ネットで調べたら10分と出たので寄りたいところがあると・・・



コブレンツの街中を北西へ向かう。ホテルと発電所の中間地点、ブーベンハイム。


 実際には40分かかってしまい、ベルンスカステル・クースへ向かう時間が削られてしまったのである。

反省。

昨年、フランクフルトからケルンに行く時にICEに乗って移動した話は前に書いた。

その車窓から見えたのが、後で調べたら原子力発電所だったことが分かった。

民家から300mしか離れていないところにある原子力発電所。

現在はドイツの政策で稼働してはいないが・・・

あまりにも距離が近いのでびっくりしたのである。



だんだん近づいてきた。


これ以上近づいたらドイツの警察が来るところまで近づいてみた。 → Map

地図リンクの星印の所から撮影した。 


 最初の予定コースにはなかったが、是非近くに行ってみたいという願いをかなえてくれたNさん。

 時間がかかったことに反省していると、「キモチガダイジネ。イキタイトイウキモチガデキタトイウコトネ。」

と言って慰めてくれた。

Nさん、優しいね。

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Оさんの代わりに9…コブレンツ2泊目

2015-09-04 23:46:53 | 

さて、コブレンツには2泊の予定だ。

リューデスハイムでゆったりとした時間を過ごし、お土産のぶどうジュースを買い、後は宿に帰るだけ・・・

なんと空模様が怪しい。

晴れ男の誉れ高いNさんが、「オカシイネ、ワタシハレオトコなのにね。」と笑わす。



どう見ても一雨きそうな感じだ。


 前に書いたが、ライン上りで見た城の一つがNさんの結婚式の場所だった。

降り出していた雨が、そこを通る時だけ、止んだ・・・



ライゼンシュタイン城。ここを通る時、雨は止んだ。 


 ここからホテルまでの1時間弱、Nさんの楽しいお話のおかげで退屈はしなかったが、空模様は不機嫌だった。


 


 

 すこしまどろんだゆきたんく。

車はコブレンツに着いていた。



ただいま、コブレンツ。写真は連邦工科大学の建物。

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Оさんの代わりに8…リューデスハイム

2015-09-03 23:29:46 | 

舟を降りて、Nさんと合流。

Nさんの運転する小型バスで移動開始。

なぜか、Nさんご機嫌。

その訳は、写真にある手に持っているカップだ。


 


Nさんはマックカフェの大ファンである。

マックじゃだめなのだ、マックカフェである。この珈琲が美味しくてたまらないのだそうだ。


 まずは、リューデスハイムの船着場から車で走ること10分。

坂道を登り続けるコースだ。

到着したのは、「ニーダーヴァルト記念碑」のある丘。



中央の人物像はゲルマニアで全ドイツ民族全体を擬人化したものだという。

両サイドにある像は、向かって右が「平和の像」、左が「戦争の像」 

 


丘の上からの写真だ。 → Map


パノラマ写真に挑戦しました。


 再び車で10分、広い広い畑の中の道を飛ばして、リューデスハイムの街中に戻ってきた。

そして最初に行ったのが、オーバー通りにある日本人経営のワインケラー「プロスト」。

帰国後に知ったのだが、リューデスハイムはユネスコの世界遺産に登録されているワイン醸造の町だそうだ。



貴腐葡萄で造ったワインを、写真で説明してくれるワインケラープロストのスタッフ。 → Map


 この店は地下にあって、とても涼しい。

ワインを寝かすのにちょうどよく作ってあるようだ。

ゆきたんくは飲めなかったので、ぶどうジュースをいただいた。

こんな旨いぶどうジュースは初めて飲んだ。

小さなコップ1杯のぶどうジュースにとても感動した。


 


ぶどうジュース(赤)。白もいただいた。


 良い気分の一行は、オーバー通りを西に歩いて、つぐみ横丁へ迎う。

途中でNさんがシジェラートを食べたいと言い出し、みんなそれに乗った。

溶けるのも早いが、暑かったので食べるのも早かった。

地面にクリームたらさずに済んだ。



休憩場所にあった郵便ポスト


つぐみ横丁の通りの中ほど。アコーディオンと歌声が響く。


つぐみ横丁出口 


 老舗のビアホール、アコーディオンの生演奏、様々な土産やの立ち並ぶ「つぐみ横丁」。

立ち並ぶ店の1軒1軒に入りたくなってしまうほどであった。

この後は、少し街はずれのところでNさんおすすめのぶどうジュースを夜の土産に買った。

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Оさんの代わりに7…ライン上り、ザンクト・ゴアールスハウゼンからリューデスハイムまで

2015-09-02 23:23:49 | 

さて、船に乗り込んで一番最初に見えて来たのがネコ城。

船着き場でも見たが、船の上からは真正面の姿が見える。



ネコ城…ベルクカッツェ → Map


 ナポレオンに主塔(どこを指しているかはゆきたんくは未学習)破壊された歴史があるが、現在では修復済みだそうだ。

 その名前には様々な説があるが、どれもそう思えるから不思議である。

  1 この城を建てた人物が猫のような顔をしていたという事。

  2 二つ目は、城一部のが猫に似ていたという事。

  3 城を建てたカッツェンエルンボーゲンのヴィルヘルム2世の「カッツェンエルンボーゲン」はドイツ語で『猫の肘』の意がある。

まあ、ゆきたんくには1かなと思っている。

 出航してすぐに有名なローレライが現れる。

 昨年フランクフルトからケルンに移動する時にICEの窓から見て以来(何の気なしに撮影した景色がローレライだった)1年ぶりである。

 今回は船でゆっくり進むのでじっくりと見ることができる。

 そしてローレライ伝説だ。

 「岩山にたたずむ美しい少女が船頭を魅惑し、舟が川の渦の中に飲み込まれてしまう」という話

 川幅が狭く、川床には大きな岩礁があるので、船の航行が難しく多くの舟が事故を起こしたことから生まれた伝説だ。

 現在では川幅を広げ、川床の岩礁も爆破して、安全な航行ができるようになった。


 


岩山にたたずむ美しい少女ローレライの像 → Map


ライン川のかつての難所ローレライ岩 → Map


ここで船の食事である。

ゆきたんくは、運転手のNさんに勧められた「ウィンナー・シュニッツェル」を食べることにした。

ざっかけない言葉でいうと、ウィーン風の小牛のカツレツである。

味つけは薄く、素材の味で勝負が決まる料理だと思った。

付け合わせはもったいないのでいただいたが、なくても良かったなあ。

ウィーン川を移動しながら船内レストランでオーストリア・ドイツ料理をいただく。

なんと贅沢なことか。



ウィンナー・シュニッツェル


 

食事が終わって気が付いた。「ファウツグライエンシュタン城」という川中にある城を見るのを忘れていたのだ。

何という失態だ。

食事中に、窓から写真を撮影している人たちが賑わった時があった。

何事かと思ったが、後で考えてみると、川中城の辺りでのこととしか考えられないのだ。



ゆきたんくは、やっぱり、色気より食い気なのだと思う。


食事も終わり、河岸の景色に目と心を奪われながら、素晴らしい時間を過ごす。



ニーダーハイムバッハ


ラインスタイン城 → Map


組木の素敵な家々


街中の教会も景色に溶け込んでいる。


どこでもみられた葡萄畑。近くの城はエーレンファルスン城


 

途中、運転手Nさんの結婚式を揚げたお城も通過した。

運転手さん曰く、お城の中には結婚式を上げるところがあるとのこと

蓋をあけてみれば、ご自分の結婚式を挙げた城が超えるとこと。



ただいま修理中でなので使用可能どうかは分からないが、Nさんは盛り上がった。


 Nさんは同行はしていなかった。

リューデスハイムからコブレンツに戻るまでの間に車の中で話してれたものだ。

ライン下りの方向に車を走らせるので、またお城を見ることができたのである。

 

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Оさんの代わりに6…ザンクト・ゴアールスハウゼン

2015-09-01 23:09:00 | 

ブラウバッハから直線で南南東へ10㎞。

そこにザンクト・ゴアールスハウゼンがある。

そこからライン上りでリューデスハイムまで行こうという計画だ。

ライン川を右に見ながらカメラを構える贅沢な旅。

運転手のNさんが途中で寄りたいところがあるという。

「おいしいの食べよぉ。」

と寄った所がここ。



ライヌファシュトラウスという場所にあるワインと果物の店 → Map 


 葡萄など房で売っている果物も、ここでは、1個1個バラバラで店頭にある。

それを袋買いするのだ。

Nさんがたくさん買って振舞ってくれた。

とても旨い。

日本とは違い、甘味が強くはないが、何個でも口が欲しがるおいしさだ。

 

途中で車を停める。

ドイツは、植えられている木になる果物類は自由に取って食べて良いのだそうだ。

ブラックベリーの木を見つけたと行って、繁みの中に入って行かれた。

ゆきたんくは、ライン川の案内写真地図を見つけたので撮影に行った。



コブレンツからリューデスハイムまでの案内。


 車に戻ってきたNさんは

「ひどい、ブラックベリーはほとんどなかった。」

「ジャムを作るためにたくさん取って行ったんだ。」

「ひどい、俺のことを考えてない。」

とう散々に言うのだが、実は冗談で誠に面白い。

さて、そろそろザンクト・ゴアールスハウゼンに近づいてきた。

目印はネコ城だ。

ドイツ語で「ベルク・カッツェ」。

昔「科学忍者隊ガッチャマン」というアニメの登場人物の名前だったよな。



「ねこ城」 管理人は日本人で大阪の方だという。


 ザンクト・ゴアールスハウゼンに着いた。

ここからライン上り、リューデスハイムまでの船旅が始まるのである。

Nさんは、車でリューデスハイムに向かう。

ゆきたんくたちは3時間の船旅だが、Nさんはものの20分で現地に着くだろう。

サービス満点の方なので、少しでも休憩になればと思っている。


 


さて自分たちの乗る船がやってきた。


 ここでトイレがしたくなったのだが、Nさんは地元で顔なのだろう。

近くのレストランの奥にあるから行こうと言って連れて行ってくれた。

通常50セント必要なのだが、「いらないよ。早くしようね。」とのこと。

言葉ができるというのはとても大きな武器になることを改めて感じた。

さて、次は船旅である。

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